「お帰り、今年は大活躍だったな、ラン」
そう言って私の頭を撫でてくれる鹿嶋さんの手付きを享受しながら、私は北海道の生まれ故郷の牧場に戻って来ていた。近くには弟のアークもおり、他の人に手綱を持たれて何処かポケッとした顔をしていた。
激闘の有馬記念を終え、私は栗東には戻らず、中山競馬場の空いている馬房で5日間程過ごして酷使した身体を癒した。そしてその間に行われたホープフルステークスでGI初優勝を飾ったアークと共に私は雪の積もる北海道に戻って来たのだ。
すぐに輸送せず、競馬場で待機していたのは私の疲労状態を鑑みてのことだったらしい。やはりあの有馬記念は誰から見ても凄まじいものだったらしく、キタサンブラックと一騎打ちを演じた私をすぐに馬運車で移動させたら負担が大きいだろうと考慮したのだという。そしてホープフルステークスも終われば弟のアークも北海道に戻るので、一緒に輸送した方が効率が良いとのこと。
「有馬記念、凄かったぞ〜。やっぱりお前は凄い奴だ!」
笑いながら私の頭をずっと撫で続ける鹿嶋さん。この人は私の勝利を我が子のように喜んでくれるのだ。
「鹿嶋さん、そろそろ馬房へ移しませんか?」
「あっ、そうだな。早く馬房に連れて行くか」
アークの手綱を持っていた人が遠慮がちに声をかける。それを聞いて思い出したかのように鹿嶋さんは私の手綱を持ち直し、馬房へと連れて行った。
「短い間だけどゆっくり休むんだぞ」
私は馬房に入り、すぐに横になった。私は輸送疲れとかの影響はほとんどないのだが、有馬記念の激走が響いているのか、予想よりも身体に来ている。まぁ、暫くレースは無いのだから、ゆっくりと回復していけばいい。
明日は何をするかと考えながら、私はゆっくりと瞼を閉じて眠りに着いた。
タッタッタッと軽快な脚音を鳴らしながら私は放牧地を駆け回っている。日課である走り込みだ。
雪が積もった美しい銀世界に私は自分の足跡を残しながら、颯爽と駆け抜ける。冷たい空気が充満し、冷え切った風が私を撫でるが、走り続けて温まった体に然程問題はなかった。
「すっかりと回復しましたね」
「あぁ、いつも通りのランだな。いくらランでもあの有馬記念は流石に堪えたらしいが、しっかりと回復できたようだな」
私が放牧地を駆け抜けているその横、柵越しで鹿嶋さんは腕を組みながら、私の駆ける姿を目で追っていた。
「疲労はしていても飼葉食いは落ちませんでしたから、回復が早かったんですかね?」
「元々体力が突出しているからな、ランは。あれだけ疲労しているのに食欲も落とさずに状態を維持してる。もうあと2日か3日、長くても1週間で完調しそうだ」
2人を会話を耳にしながら、私は淡々とペースを刻んで走り続ける。
雪を蹴り上げ、冷たい風を切り裂ていく。静寂に包まれた北海道の大地は競馬場で感じる喧騒さとは無縁で、静謐な雰囲気が漂っている。
吐き出した白い息と雪を踏み締めた蹄の音が辺りに響いていた。
そしてここに居るのは私だけではない。隣の放牧地を覗けば、私の母親の姿があった。母のお腹はまだ膨らんでおり、もうじき生まれるであろう新しい命が宿っている。
ペースを落として母親の元へ行けば、向こうもこちらの存在に気付き、寝かせられていた干し草を食べるのを中断してこっちに歩いて来た。まだ身籠もっているので、その足取りはゆっくりだが、その一歩には力強さが滲み出ていた。これが母は強しと言うのだろうか。
柵越しとなっての久しぶりの再会を果たし、柵からニュッと顔を出せば、母馬も同じように顔を出す。そしてそのまま私をグルーミングをしてくれた。
我が子との再会を喜ぶように母は丹念に舐めてくれる。母からのグルーミングを受け、私は目を瞑ってそれに顔を綻ばせた。今は馬なのだからそれは分からないが、穏やかな顔になっていることだろう。
人でなくなっても母からの愛情は嬉しいものであるし、特別なものだ。特に動物の場合は親離れしたらそのまま親子という関係が途切れてしまうことが多い。自分の子供と認識できないのか、縄張り意識の問題なのか、それとも単に覚えていないだけなのか……人の飼育下であれば例外の場合もあるが、条件や理由は結局の所は分からない。だけど私の母親はしっかりと私のことを覚えてくれている。それだけがただ嬉しかった。
そうして故郷に帰省した私は穏やかに過ごした。
「うん?あっ、鹿嶋さん鹿嶋さん」
「どうした?」
「見てくださいよ、あれ」
作業を中断し、雨縁に呼ばれた鹿嶋は指し示された方を向けば、そこには柵越しであるが穏やかな顔付きで寄り添うブランベラルーシとテイエムベルレクスの姿があった。
母であるブランベラルーシがテイエムベルレクスをグルーミングしており、仲睦まじい様子が見て取れた。気性の穏やかなテイエムベルレクスもいつも以上にリラックスしているように見える。有馬記念で現役最強馬と評価されたキタサンブラックに真正面から捩じ伏せた馬とは思えない姿だ。
「凄いリラックスしてますね」
「あぁ……ブランも嬉しそうに見える」
離乳後、母馬と仔馬が再会することは少なくなる。競走馬引退後、牝馬なら母と同じ生まれ故郷で繁殖牝馬となって生活する機会もあるが、牡馬の場合は種牡馬や乗馬などで活動することもあって再開する機会ははっきり言って訪れない。
触れ合う機会が取り上げられれば、程度は不明だが母馬は仔馬を認識できないだろう。
その分ブランベラルーシは母馬としてはこれ以上ない程優秀だ。競走馬として突出することはなかったが、これまで誕生した7頭の産駒のうち競走馬としてデビューした子は3頭が勝ち上がり、その中でテイエムベルレクスとテイエムノアアークの2頭が重賞・GIを制している。
繁殖牝馬としての素質は言わずもがな。母としては産まれた仔馬にすぐに母性を発揮し、必要以上に干渉しようとはせず、適度な距離を保ちながら静かに見守る。今でも自分の産んだ子をしっかりと認識し、優しく接している。
母としては中央で名を残した歴代の名牝達と比べても遜色ないのではないだろうか。
「とても三冠馬には見えない姿ですね」
「それだけリラックスできる環境ということだ。ブランが本当に良い接し方をしてる。いつも以上に穏やかなんじゃないか?」
「あまりよく分かんないですけど、まぁ、気分は良さそうですよね」
生まれ故郷であるこの牧場はテイエムベルレクスにとっては安心できる場所となっているのだろう。だからこそここまでリラックスできる。
鹿嶋はここで十分に休み、穏やかに過ごすことを願った。
テイエムベルレクス
生年:2014年2月23日
父:テイエムオペラオー
母:ブランベラルーシ
母の父:ホワイトマズル
競走成績:10戦10勝
2016年8月13日 新潟 2歳新馬 芝1800m 1着
2016年9月17日 阪神 野路菊S(OP) 芝1800m 1着
2016年11月19日 東京 東京スポーツ杯2歳S(GIII) 1着
2016年12月18日 阪神 朝日杯FS(GI) 芝1600m 1着
2017年3月5日 中山 弥生賞(GII) 芝2000m 1着
2017年4月16日 中山 皐月賞(GI) 芝2000m 1着
2017年5月38日 東京 東京優駿(GI) 芝2400m 1着
2017年9月24日 阪神 神戸新聞杯(GII) 芝2400m 1着
2017年10月22日 京都 菊花賞(GI) 芝3000m 1着
2017年12月24日 中山 有馬記念(GI) 芝2500m 1着
整理のために私側で改めてまとめました。デビューから10連勝で重賞8連勝、もう既にオペラオーの記録に並んだんですよね。あと菊花賞を制した時点で主要四場GI制覇ですね。大体制覇するのは古馬となってからが多いので、ベルレクスが史上最速で3歳馬としては史上初ですかね?朝日杯を除くなら話は別ですが。