You are my Beginning 作:コンスタンシア
[Side:ほたる]
西日が差し込むアトリエは、オレンジ色の光に包まれていた。
パレットに残った絵の具を片付けながら、私はふぅ、と満足げなため息をついた。
今日の筆の進み方は、自分でも怖くなるくらいだった。
迷いなく色が選べたし、キャンバスの中に閉じ込めたかった空気が、そのまま形になったような手応えがある。
(……これも全部、君のおかげかな)
筆を洗い終わってから、スマホを手に取る。
時刻はまだ夕方の早い時間帯。いつもならもう少し粘るところだけれど、今日はなんだか、彼に会いたくて仕方がなかった。
お昼に別れてから数時間しか経っていないのに、もう彼の声が聞きたくなっている自分がいる。
『まだ近くにいたり……する?』
送信ボタンを押す指が、少しだけ震える。
もし「もう帰っちゃったよ」って言われたらどうしよう。
忙しい彼を引き止めるのは悪いかな。
そんな不安がよぎる間もなく、画面に「既読」の文字がついた。
『校内のカフェテリアで時間を潰していたから大丈夫。まだ近くにいるよ』
その返信を見た瞬間、心臓がトクンと跳ねた。
――待っていてくれたんだ。
その事実だけで、今日一日分の疲れなんて吹き飛んでしまう。
『じゃあ、一緒に帰ろ? 今、終わったの』
『了解。校門で待ってる』
短く、けれど確かな約束。
私はスマホを胸に抱きしめ、心の中でガッツポーズをする。
まるでドラマに出てくる恋人同士みたいなやりとり。
「待ってる」って言葉の響きが、こんなに甘くて嬉しいものだなんて知らなかった。
画材をロッカーにしまい、バッグを掴んでアトリエを飛び出す。
廊下を走る足音が、夕方の校舎に響く。
階段を下り、正門が見えてくると――そこには、夕陽を背にして立つ、見慣れたシルエットがあった。
壁に背を預け、スマホを眺めている裕也くん。
逆光で表情まではよく見えないけれど、その立ち姿だけで彼だと分かる。
周りの学生たちが通り過ぎる中、彼だけが違う時間を生きているみたいに静かで、綺麗だった。
「――裕也くん!」
名前を呼ぶと、彼が顔を上げ、こちらを見て優しく微笑んだ。
その笑顔に向け、私はブレーキをかけることなく駆け寄った。
「お待たせっ!」
勢いそのままに、彼の左腕に自分の右腕を滑り込ませる。
ギュッとしがみつくと、彼が一瞬驚いたように目を見開いたけれど、すぐにふっと表情を緩めて受け入れてくれた。
腕に伝わる体温と、彼の匂い。
ああ、やっぱり落ち着く。
「おかえり、ほたる。いい顔してるな」
「えへへ、すごく捗ったの。……裕也くんがいてくれたおかげかな?」
少し上目遣いに、いたずらっぽく笑ってみせる。
彼は「それは光栄だな」と苦笑して、私の頭をポンポンと撫でてくれた。
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[Side:裕也]
腕に柔らかい重みを感じながら、俺たちは並んで駅への道を歩いた。
夕陽が長く伸びた二人の影を、アスファルトの上に焼き付けている。
すれ違う学生やサラリーマンの視線を感じるが、不思議と気にならない。
彼女は俺の腕を抱き直しながら、嬉しそうに笑う。
その笑顔を見ていると、向こうでの日々が遠い昔のことのように思えてくる。
あんなに夢中になっていた仕事も、この笑顔の前では霞んでしまうようだ。
いや、違うな。
この笑顔があるからこそ、俺もまた頑張れる。そんな気がする。
電車に揺られ、最寄り駅に降り立つ頃には、空は深い藍色に変わり始めていた。
実家までの緩やかな坂道。
あと数分で、今日のこの時間は終わってしまう。
「……着いちゃったね」
家の前まで来ると、ほたるが名残惜しそうに腕を離した。
離れていく体温に、俺も一抹の寂しさを感じる。
「今日はありがとな、ほたる。楽しかったよ」
「ううん、私の方こそ! ……また、明日も会える?」
「もちろん。しばらくはこっちにいるんだ、いつでも会えるよ」
「……うん! おやすみなさい、裕也くん」
彼女は門の前で一度振り返り、大きく手を振って家の中へと消えていった。
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晩御飯をすませ、シャワーを浴びて自室へと戻ってくる。
午後に送られてきたメールと資料を移動させ一息ついていると、デスクの端に置いたスマホが短く震えた。
『今日はありがとう! 送ってくれて嬉しかった。おやすみなさい』
可愛らしいスタンプと共に送られてきたメッセージ。
脳裏に浮かぶのは、別れ際の彼女の名残惜しそうな瞳と、腕に残る感触。
『こちらこそ。いい夢を』
送信ボタンを押す。
たったそれだけのやり取りなのに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「おやすみ」と言い合える相手がいること。
明日になれば、また「おはよう」と言えること。
俺は画面の向こうにいる彼女の寝顔を想像しながら、満ち足りた気持ちでノートPCを閉じた。