You are my Beginning   作:コンスタンシア

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Episode 14 - 待ち合わせ II

[Side:ほたる]

 

音のする方へ一歩近づくたびに、ざわめいていた空気が、不思議と透明になっていくのを感じた。

さっきまで、あれほど私を委縮させていた駅前の喧騒や、人混みの圧迫感。

それらが、ピアノの旋律に触れた瞬間、まるで霧が晴れるように「心地よい背景音」へと変わっていく。

 

(……不思議)

 

広場の一角には、すでに幾重もの人垣ができていた。

買い物袋を提げた主婦の方、休日を満喫している学生たち、手を繋いだ老夫婦。

本来なら足早に通り過ぎていくはずの人たちが、まるで魔法にかけられたように足を止め、その中心を見つめている。

泣いていた赤ん坊が泣き止み、スマホを見ていたサラリーマンがふと顔を上げ、肩の力を抜く。

そこには「他人同士の冷たい距離」はなくて、代わりに温かい暖炉のそばに集まったような、不思議な一体感が漂っていた。

 

「……どんな人が弾いてるんだろう」

 

好奇心が、人見知りの不安を凌駕する。

私は吸い寄せられるように人垣の後ろへ立ち、爪先立ちをして背伸びをした。

私の身長じゃ、中心にいる演奏者の姿はよく見えない。

けれど、人の波の隙間から、カラフルなペイントが施されたアップライトピアノと、その前に座る男性の後ろ姿がちらりと見えた。

 

「すいません、ちょっとだけ……」

 

小声で謝りながら、私は人垣の切れ目へと身体を滑り込ませた。

もう少し近くで、この優しい音の主を見てみたい。

そう思って、視界が開けた瞬間――。

私の時間は、唐突に止まった。

 

(……あ)

 

息を呑むことさえ忘れて、私はその場で立ち尽くした。

見間違えるはずがなかった。

私の記憶のアルバムに、何枚も何枚も保存されている、あの大好きな背中。

 

「……裕也、くん……?」

 

声にはならなかった。

ただ、唇が音のない名前を形作っただけ。

彼だ。

私の幼馴染であり、今、私が一番会いたい人。

彼が紡ぐ旋律は、まるで会話をしているみたいだった。

 

――歩き疲れた?

 

――今日はいい天気だね。

 

――少し休んでいってください。

 

そんな風に、通り過ぎる人たち一人一人に語り掛け、包み込むような音。

だから、みんな足を止めるんだ。

彼の音楽には、人を惹きつける引力がある。

それは技術が上手いとか、有名な曲だとか、そんな次元の話じゃない。

彼の持つ「優しさ」そのものが、指先を通して音に変換されているんだ。

 

(……そっか)

 

さっき、私が遠くでこの音を聴いて「落ち着く」と感じた理由が、腑に落ちた。

これは、彼の声だ。

私が不安な時、落ち込んでいる時、いつも隣で「大丈夫だよ」って支えてくれた、あの大好きな声と同じ温度を持った音。

人混みが苦手な私が、無意識にここまで歩いてきたのは、偶然なんかじゃなかった。

心が、彼を見つけたんだ。

ドクン、ドクンと心臓が高鳴る。

演奏に集中している彼は、背後の私には気づいていない。

時折、身体をゆったりと揺らしながら、楽しそうに、愛おしそうに鍵盤を叩く彼。

お昼の暖かい日差しが差し込む広場。

光の中でピアノを奏でるそのシルエットが、神々しいほどに輝いて見えた。

私は人垣の最前列で、バッグを手に持ったまま動けなかった。

声をかけることすら躊躇われる。

ただ、この美しい景色を、一秒でも長く網膜に焼き付けていたい。

 

「……素敵だよ、裕也くん」

 

誰にも聞こえない声で呟く。

演奏が終わるその瞬間まで、私は瞬きさえ惜しいと思いながら、ただひたすらに彼の背中を見つめ続けていた。

この音色が止むまで、魔法が解けないことを願いながら。

 

===================

[Side:裕也]

 

最後の音が、広場全体に反響し、空へと溶けていく。

鍵盤から指を離すと、一瞬の静寂の後、パラパラと、やがて大きな拍手が沸き起こった。

ストリートピアノとはいえ、こうして誰かに聴いてもらえるのは、スタジオでの録音とは違う生の温かさがある。

椅子から立ち上がり、集まってくれた人々に軽く一礼をした。

ふと、視線を上げた時だった。

人垣の最前列。

バッグを取っ手を両手で持ち、真っ直ぐに俺を見つめている女性がいる。

 

(ッ……ほたる?)

 

その姿を認識した瞬間、心臓が大きく跳ねた。

見間違えるはずがない。

日の光を浴びてキラキラと輝くショートヘア。

そして、潤んだ瞳で俺を捉えて離さないその眼差し。

彼女は俺と目が合うと、ふわりと花が咲くように微笑み、唇を動かした。

 

『……素敵だったよ、裕也くん』

 

声は喧騒にかき消されて届かないはずなのに、その言葉は直接心に響いた気がした。

 

===================

 

「改めまして……こんにちは、ほたる」

 

早々にピアノの前から撤退し、少し離れた場所にあるベンチへと腰を下ろした。

長居して次の演奏者の邪魔をしたくないというのもあるが、正直なところ、"彼女と見つめ合っていた"という事実に、急激に恥ずかしさが込み上げてきたからだ。

 

「うん。……こんにちは、裕也くん」

 

彼女はまだ少し興奮冷めやらぬ様子で、けれど嬉しそうに俺の隣に座っている。

 

「それにしても、今日は凄い偶然だ」

 

「本当だね。まさか、こんなところで裕也くんのピアノが聴けるなんて思わなかった」

 

「俺も驚いたよ。……実は、今日は海外から来てる友人に『東京を案内してくれ』って頼まれててさ」

 

俺は待ち合わせ場所に来た経緯を説明する。

 

「それで駅前に来たはいいんだけど……向こうでの癖が抜けなくて、かなり早く着きすぎちゃってね」

 

「ふふっ、裕也くんらしいね」

 

少しバツが悪そうに伝えると、彼女はクスクスと笑ってくれた。

その笑顔に救われる思いがする。

 

「ほたるはどうしてここに? 買い物?」

 

「ううん。今日はね、ねねっちとあおっちと待ち合わせしてるの」

 

彼女は目を輝かせて、今日一番のニュースを切り出した。

 

「ねねっちがね、一人でゲームを作って完成させたんだって! それを遊んでほしいからって、集まることになったの」

 

「……ちょっと待って?」

 

俺は思わず聞き返した。

以前、デバッグのアルバイトをしているとは聞いていたが…。

 

「桜さん……ゲームまで作るようになったの? 一人で?」

 

「うん! プログラミングを勉強して、全部自分で作ったんだって」

 

正直、頭の理解が追いつかない。

学生の頃の記憶ではあるけれど、俺の認識では、彼女はゲームをプレイする側――消費する側の人間だと思っていた。

それが、作る側へ。しかも独学で完成まで漕ぎ着けるなんて。

クリエイターの端くれとして、その熱量と行動力には敬意を表さざるを得ない。

 

「……すごいな。正直驚いたよ」

 

俺が感嘆の声を漏らすと、ほたるは自分のことのように誇らしげに笑っている。

 

「そんなに気になるなら、一緒に来ちゃう?」

 

彼女は少し身を乗り出し、からかうような瞳で提案してきた。

その誘惑は、今の俺にはあまりに魅力的すぎた。

桜さんが作ったゲームにも興味があるし、何より――もう少し、ほたると一緒にいたい。

 

「先約が無かったら、この目で確かめたかったところだよ…」

 

だから、俺の声には隠しきれない悔しさが滲んでしまった。

 

「ふふっ、残念」

 

上機嫌にウインクをして見せる彼女に、不覚にもドキリとさせられる。

最近の彼女は、時々こうやって俺の心を揺さぶってくるから油断ならない。

その時、ポケットに入れていたスマホが短く振動した。

 

「っ……っと、メッセージか。そろそろ到着したって内容かな?」

 

俺はポケットからスマホを取り出し、画面を確認する。

差出人は件の友人だ。

しかし、そこに表示されていたのは、到着の知らせではなかった。

 

『Yuya, I am SO sorry! My boss just dumped a bunch of work on me at the last second.

 I’ll totally make it up to you, I promise, but I have to cancel for today... Man, I really wanted to hit up Akihabara. Akihabara!』

(ユウヤ、本当にごめん!ボスが土壇場で大量の仕事を押し付けてきたんだ。

 絶対埋め合わせするって約束するから、今日はキャンセルさせてくれ……。あぁ、本当に秋葉原に行きたかったよ。アキハバラ!)

 

「……」

 

俺は天を仰ぎたくなるのを堪え、フリック入力で返信を打った。

 

『Pressing F for you. Enjoy the grind, corporate warrior』

(Fを捧げるよ(ご愁傷様)。社畜のプロとして残業頑張って)

 

送信ボタンを押し、スマホをポケットにしまう。

隣で様子を伺っていたほたるが、恐る恐る声をかけてきた。

 

「ど、どうしたの……?」

 

俺は少し苦笑いして、彼女に向き直った。

 

「件の友人は……どうやらボスにしょっ引かれて仕事になったそうだ」

 

「えっ……」

 

「ドタキャンだよ。……さて、今日一日の予定がぽっかり空いてしまった」

 

俺は少し芝居がかった仕草で肩をすくめ、独り言のように呟いた。

 

「どうするかな……」

 

その言葉を聞いた瞬間、彼女の表情が一変した。

驚きから、パァッと花が咲くような歓喜へ。

大きな瞳が、キラキラと輝きを増す。

 

「じゃあ……!」

 

彼女は俺の袖をギュッと掴み、期待に満ちた声で言った。

 

「じゃあ、私と一緒に……ねねっち達の所に行きませんか?」

 

===================

[Side:ほたる]

 

「改めまして……こんにちは、ほたる」

 

「うん。……こんにちは、裕也くん」

 

人混みを避けて移動したベンチ。

隣に座る彼の横顔を見ながら、私はまだ高鳴る心臓を落ち着かせるのに必死だった。

偶然ピアノを弾いている彼に出会えたこと。

そして今、こうして二人きりで座っていること。

まるでドラマみたいな展開に、頬が緩みっぱなしだ。

 

「それにしても、今日は凄い偶然だ」

 

彼が説明してくれた理由は、「アメリカから来ている友人の案内」だった。

待ち合わせ時間よりかなり早く来てしまったのだという。

 

(……そっか。お友達と約束があるんだ)

 

胸の奥がチクリと痛む。

せっかく会えたのに、この後すぐにお別れしなきゃいけない。

彼の誠実さを知っているからこそ、「じゃあ、そのお友達が来るまで一緒にいよう」なんてワガママは言えない。

 

「ほたるはどうしてここに?」

 

「ううん。今日はね…」

 

寂しさを笑顔で隠して、私は今日の目的を話した。

ねねっちが一人でゲームを完成させたこと。

それをあおっちと一緒に遊ぶために集まること。

 

「……ちょっと待って? 桜さん…ゲームまで作るようになったの? 一人で?」

 

裕也くんが目を丸くして驚いている。

その反応がなんだかおかしくて、同時に友達の凄さを彼が認めてくれたことが嬉しくて、私は誇らしい気持ちになった。

 

「…気になるなら、一緒に来ちゃう?」

 

「先約が無かったら、この目で確かめたかったところだよ…」

 

彼が本気で悔しそうに呟く。

その言葉だけで十分だった。

彼も、私(たち)と一緒にいたいと思ってくれている。

その事実だけで、今日のところは我慢しよう。

 

「ふふっ、残念」

 

精一杯の強がりと、少しの期待を込めてウインクしてみせる。

彼がドキッとしたような顔をしたのが見えて、私は密かにガッツポーズをした。

その時、彼のポケットから震える音がした。

 

「っ……っと、メッセージか」

 

彼がスマホを取り出す。

きっと、待ち合わせのお友達からだ。

もう時間なのかな…。

少しの寂しさを覚えながら、私は立ち上がる準備をしようと、バッグの持ち手を握りしめた。

けれど――。

画面を見た彼の表情が、困惑の色に曇った。

眉を寄せ、何かを諦めたようにため息をつく。

 

「ど、どうしたの……?」

 

悪い知らせ?

心配になって覗き込むと、彼は苦笑いを浮かべて私を見た。

 

「…どうやらボスにしょっ引かれて仕事になったそうだ」

 

「えっ……」

 

「……さて、今日一日の予定がぽっかり空いてしまった」

 

彼がわざとらしく肩をすくめる。

その仕草と言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。

約束が、なくなった?

つまり……彼は今、フリーになったってこと?

 

(――やった!)

 

そのお友達には申し訳ないけれど、心の中で小さく叫んでしまった。

これは神様がくれたチャンスだ。

「幸せな誤算」って、こういうことを言うんだと思う。

高揚感で身体が熱くなる。

今しかない。

このチャンスを逃したら、絶対後悔する。

私は深呼吸をして、彼の服の袖をギュッと掴んだ。

驚いてこちらを見る彼の瞳を、逃げずに見つめ返す。

 

「じゃあ……」

 

声が震えないように、勇気を振り絞って。

 

「じゃあ、私と一緒に……ねねっち達の所に行きませんか?」

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