You are my Beginning 作:コンスタンシア
[Side:ほたる]
スタジオのロビーに入ると、張り詰めた空気が肌を刺した。
長椅子には四人の女性が座り、深刻な表情で話し込んでいる。
その中の一人、金色の長い髪の女性を見て、私は息を呑んだ。
八神コウさん。
あおっちが憧れ、目標としているキャラクターデザイナー。
雑誌やインタビュー記事で何度も見たことのある、雲の上の存在だ。
「八神さん! 遠山さん!」
あおっちが声を上げると、四人はバッと顔を上げ、こちらを一斉に見た。
「青葉!?」
「青葉ちゃん!?」
驚きの声が重なる。
けれど、その視線はすぐに私と裕也くんへと向けられた。
特に八神さんの視線は鋭く、射抜くような厳しさがあった。
「青葉がなんでここにいる? どうして場所が分かったの?」
八神さんの問いかけに、あおっちが答えようとする。
けれど、八神さんの目は私たちを離さない。
「青葉とねねちゃんはわかりますが、貴方たちはどなたでしょうか?」
低いトーンの声。
そこに含まれるのは、明らかな警戒心と、「部外者は立ち入るな」という無言の圧力だった。
私は思わず身体を震わせ、裕也くんの背中へと隠れるように身を縮めた。
怖い。
これがプロの現場。遊び半分で来ていい場所じゃない。
足がすくんで、言葉が出てこない。
あおっちが必死に説明しようとするけれど、この重苦しい空気を打破できるとは思えなかった。
その時、私の前に立っていた裕也くんが、静かに一歩前へ出た。
彼がスッと手を挙げ、あおっちを制止する。
「私からご挨拶するのは初めてですね。イーグルジャンプの八神コウさん……ですよね?」
堂々とした声。
八神さんの鋭い視線を真っ向から受け止め、彼は微笑みさえ浮かべていた。
その背中が、震える私を守る盾のように大きく見えた。
===================
[Side:裕也]
「うん、そうだけど。君は?」
八神さんが怪訝そうに眉を寄せる。
敵意に近い警戒心を向けられているが、ここで怯んでは話にならない。
俺は努めて穏やかな口調で、カードを切った。
「私は "葛城裕也" です。以前、フェアリーズストーリーの収録の際に、母……葛城明菜に "息子" として紹介して頂いたと思うのですが、覚えてらっしゃいますか?」
「かつらぎゆうや……」
八神さんが記憶を探るように視線を宙に彷徨わせる。
数秒後、彼女の目が大きく見開かれた。
「ああ、あの時の! なんていうか、凄く雰囲気変わったね。一瞬わからなかったよ」
点と点が繋がったのか、八神さんの表情から険しさが消え、パッと明るいものに変わる。
隣にいた落ち着いた雰囲気の女性も、「あぁ、葛城さんの…」と安堵の表情を見せた。
(あの時は、確か中学生の時だったか…まだ渡米する前……そりゃそうだ)
「覚えていてくださり光栄です。 それで、本日ここに私たちが来た理由ですが…父から連絡は入っておりますでしょうか?」
「うん。さっき葛城さんの旦那さんから連絡があったよ。明菜さんのことをよく知ってる人が来るって聞いたけど、まさか君だったとはね」
「正直今日の収録がバラしになったら、ウチとしても大きな痛手だったから、来てくれて助かったよ。ありがとう」
八神さんが頭を下げる。
(この人は…本当に凄い人だ…この場にいるという事は、涼風さんの様な1人のクリエイターとしてだけではなく、恐らくセクションのチーフ…アートやグラフィックのディレクターとしての立場も持っているのだろう)
(そんな人が、当事者である葛城明菜から紹介されたとはいえ、自分より遥かに年下の人間に向かって『来てくれて助かった』と言って頭まで下げている…その期待を裏切らない為にも、今日は絶対にバラしにさせるわけにはいかないな…)
「はい。業界の先輩である母の代理ではありますが、私にできる事は精一杯やらせていただきます」
俺がそう頭を下げた、その時だった。
「待ってください。いくら葛城明菜さんのご子息とはいえ、ここはプロの現場です」
鋭い声が響く。
声の主は、金髪ショートヘアの女性。
スーツを着こなし、いかにも仕事が出来そうな彼女は、冷徹な目で俺を見据えていた。
「見たところ、貴方はまだ涼風さんと同じ年に見えます。そんな方に、業界のベテランである葛城明菜さんの様な現場の取り回しが出来るとは思えません」
「ましてや、今日はまだプレス前の…秘匿されるべき案件の収録です。ご子息とは言え、実態の分からない人間に舵取りを任せるわけにはいきません」
こちらも正論。言っていることはもっともだ。
クリエイターとしての柔軟さを持っている八神さんとは違い、『会社を守る言動や姿勢』…恐らくもっと上のレイヤー……経営層か、あるいはパブリッシャー側の人間だろう。
「大和さん……」
「いいじゃないか、クリスティーナ。一度通してあげなよ」
八神さんの隣にいた落ち着いた女性と、眼鏡をかけたゆったりとした服装の女性が、彼女を宥めに掛かる。
眼鏡の女性は肝が据わっているというか、機転が利くタイプに見える。『私たちがどうこう言ってても最早意味がない。それなら、彼に任せてみよう』そんなニュアンスだ。
しかし、問題はそこではなかった。
(……ん? 今、彼女たちは何ていった?)
『大和さん』、そして『クリスティーナ』
その二つの名前に、俺の脳裏にある記憶がフラッシュバックする。
ロサンゼルス時代、楽曲を提供したフランスのゲーム会社。そこでやり取りをした人物の名前。
(……切れるカードがあるなら、切ってみるか)
俺はそう決心して、彼女――クリスティーナさんの前へ出る。
「あの、クリスティーナさん…でいいんですかね?」
「間違っていたら申し訳ないのですが…フランスにあるゲーム会社 "ブルーローズ" の "大和・カトリーヌ・十和" さんをご存じでしょうか?」
俺が放ったその言葉に、涼風さんと桜さん以外の動きが止まる。
彼女の表情が、驚愕へと変わった。
「……カトリーヌは、私の妹ですが……なぜ貴方が?」
(やっぱり……しかも家族となれば話が早い)
「私の経歴を先にお話すべきでしたね。申し訳ありません」
「私は、二年前からロサンゼルスにある『GivernyAudio』というオーディオプロダクションで作曲とオーディオデザイナーをしています」
「『GivernyAudio』の代表作は多岐に渡りますが、『Union of Heroes』、『Vertex Legend』と言ったらわかりますか?」
彼女が息を呑む。
「そして、そこのスタジオで私が担当していた仕事の一つが、 "ブルーローズ" からの依頼でした」
「カトリーヌさんとは、仕事のやり取りさせて頂いた事が何度かあり、フランスで直接お会いした事もあります」
そこで言葉を切り、彼女たちの反応を見る。
淡々と事実を喋った事で、信憑性が増したのか、皆言葉を発せずにいる。
(こっちの空気に引っ張ることが出来たのなら、後は最後の一押しだ)
「"ブルーローズ" から受けた仕事は『Rise of Khazan』」
「このタイトルのリードコンポーザーをしていたのは私です」
俺はトドメとばかりに、ブルーローズが世界に認知される切っ掛けとなったタイトルを言い放つ。
(流石にこれを "姉" が知らないとは言わせない……)
数テンポ遅れて、彼女が言葉を発する。
「『Union of Heroes』と『Vertex Legend』はこの業界に身を置いていて知らない人間はいないでしょう……」
「確かに、あの子から『世界を取りに行く為に利用できるネームは使うべき』と言って、依頼を掛けていたのは知っていましたが……まさか……」
彼女は信じられないといった顔で俺を見つめ、スマホを取り出した。
「一度、あの子に連絡を取ってみます」
(嘘か誠か。情報が情報なだけに半信半疑っていう感じかな)
スマホを片手にブースと反対の方向へ走っていく彼女を見つめていると、八神さんが声を掛けてくる。
「うへー……雰囲気が変わったって思ったら、あれからそんな経験をしてたんだ……」
「はい……母を超すには日本以外で実力をつけるしかないって思っていたので、高三の時に退学届けを出して、そのまま単身渡米しました」
「高三で!? 随分と無茶な事をしたねー」
八神さんはケラケラと笑い、『そのガッツ嫌いじゃないよ』とまで言ってくれる。
そんなやりとりをしていると、カトリーヌさんと連絡がついたのか、クリスティーナさんが早足でこちらへ戻ってきた。
その表情には、驚きと興奮が入り混じっている。
「お待たせしました……あの子と確認が取れました」
「まさかあの子が『彼なら問題ない』、『日本にいるなら話が早い。彼によろしく言っておいてくれ』……とまで言うなんて……」
「葛城さん……この現場、お任せしてもよろしいですか?」
そう言って彼女は俺に向かって深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。はい、精一杯やらせて頂きます」
俺は一つ頷き、スタジオへ向かおうとした。
だが、クリスティーナさんの視線が、俺の後ろに隠れているほたるを捉えた。
「……それはそうと、あなたの後ろにいる彼女はいったい……?」
鋭い問いかけ。
当然だ。部外者を機密保持の厳しい現場に入れるわけにはいかない。
ついに来てしまったと言うべきか、彼女が俺の服の裾を握る手から、震えが伝わってくる。
俺が慣れ過ぎてしまっているせいか気にならなかったが、この状況で震えるなというのは無理がある。
彼女を安心させる意味も込めて、俺は彼女の頭へポンッと手を置いてやり、覚悟を決めた。
ここで "彼女は学生ですが三人の友人です" では道理が通らない。
俺はクリスティーナさんを、そして八神さんたちを真っ直ぐに見据え、言い放った。
「安心してください。部外者ではありません」
一呼吸置き、明確に告げる。
「彼女は私の身内……妻です」
「「「ええええええええっ!?」」」
そう言い放った途端、八神さんたちの絶叫が重なり、場の時が止まる。
この瞬間まで後ろで震えていた彼女も「ひゃっ!?」と声を上げ、思考停止したように固まった。
「えっと……奥さん……ですか? 失礼ですが、お二人ともかなりお若い様に見えますが……」
「ええ。私も彼女も涼風さん、桜さんと同年代です」
「しかし、先ほど申しました通り、私は既に自分の力で稼ぐ手立てを有しています。ですので、同年代の中でも幾分か早く婚姻関係を結ばせてもらっています」
俺は畳みかけるように続ける。
「また、彼女自身も過去に商業イラストの仕事を受けた事がある身です」
「NDAの結び方も知っていますし、何なら後日、私も含めてNDAを結んでも構いません」
身内である事だけではなく、しっかりと彼女の実績を主張しつつ、彼女を守る。
NDAを結んだ経験があるクリエイターだと分かれば、機密保持の暗黙の了解を理解できる人間だと判断され、幾分か信用は増すだろう。
何より……ここは幼馴染として、そして "男として引けない場面" だ。
「それに、彼女はそちらにいる涼風さんと桜さんの友人です」
「二人から時々名前が出たりしていませんか? "星川ほたる" って」
「あぁ! 君が星川さん! 青葉から話は聞いてるよ、絵がすごく上手いって!」
二人の話題を出すと、八神さんが以前から話を聞いていたのか『納得』といった表情をする。
場の空気が、驚きから少しだけ受容へと変わった。
俺は横にいるほたるに視線を落とし、目で合図を送る。『合わせてくれ』と。
彼女は顔を真っ赤にしながらも、意を決したように唇を震わせ、小さな声で言った。
「あ、ありがとうございます。ご紹介にあずかりました……その……」
彼女は一度言葉を詰まらせ、そして顔を上げた。
「……つ、妻の……葛城ほたる……です」
「あっ、えっと、きゅ、旧姓は……星川ほたる……です」
蚊の鳴くような、けれど精一杯の声。
その破壊力に、俺自身の心臓が早鐘を打ったのは、誰にも悟らせないように必死だった。
===================
[Side:ほたる]
「……それはそうと、あなたの後ろにいる彼女はいったい……?」
クリスティーナさんと呼ばれた女性の鋭い視線が、裕也くんの背中に隠れていた私を射抜いた。
心臓が嫌な音を立てて跳ねる。
恐れていた瞬間が来てしまった。
いくら裕也くんが認められたとしても、私はただの部外者。
機密保持が絶対のこの場所で、「友達だから」なんて理由は通用しない。
追い出される。そう思って、私は思わず彼の服の裾を強く握りしめた。
その時、ポン、と頭の上に温かい手が置かれた。
裕也くんの手だ。
その温もりが、「大丈夫だ」と私に告げている。
「安心してください。部外者ではありません」
彼は私の頭に手を置いたまま、迷いのない声で言った。
何を言うつもりなの? 幼馴染? それともアシスタント?
私が息を呑んで次の言葉を待った、その時だった。
「彼女は私の身内……妻です」
「「「ええええええええっ!?」」」
「ひゃっ!?」
八神さんたちの絶叫と、私の喉から漏れた悲鳴が重なった。
え? いま、なんて?
つま……妻?
思考が真っ白になり、時が止まったかのように身体が動かなくなる。
「えっと……奥さん……ですか? 失礼ですが、お二人ともかなりお若い様に見えますが……」
動揺するクリスティーナさんに、裕也くんは涼しくも、真剣な顔で言葉を続ける。
私たちがあおっちやねねっちと同年代であること。彼には既に経済力があり、早くに結婚したこと。
淡々と紡がれる「設定」に、私は顔から火が出るほど熱くなるのを感じた。
「また、彼女自身も過去に商業イラストの仕事を受けた事がある身です」
「NDAの結び方も知っていますし、何なら後日、私も含めてNDAを結んでも構いません」
さらに彼は、私の「イラストレーターとしての実績」を持ち出す。
ただの「妻」として守るだけじゃない。私を一人のクリエイターとして認め、そのリテラシーを保証してくれている。
そのことが、驚き以上に私の胸を熱くさせた。
彼は、私がここに居てもいい理由を、全力で作ってくれているんだ。
「それに、彼女はそちらにいる涼風さんと桜さんの友人です」
「二人から時々名前が出たりしていませんか? "星川ほたる" って」
「あぁ! 君が星川さん! 青葉から話は聞いてるよ、絵がすごく上手いって!」
あおっちの名前が出たことで、八神さんの表情がパッと明るくなった。
張り詰めていた空気が、驚きから納得へ、そして受容へと変わっていくのが分かる。
ふと、裕也くんが視線を落とし、私を見た。
その瞳が合図を送っている。『合わせてくれ』と。
これは、私をこの場に残すための彼の「強行突破」。
なら、私がここで否定してしまったら、彼の覚悟も台無しになってしまう。
(……やらなきゃ)
私は深呼吸をし、燃えるように熱い頬をなんとか上げて、みなさんの方を向いた。
心臓が口から飛び出しそうだけど、ここで引くわけにはいかない。
「あ、ありがとうございます。ご紹介にあずかりました……その……」
言葉が詰まる。
でも、言わなきゃ。彼がくれた「役割」を。
「……つ、妻の……葛城ほたる……です」
自分の口から出た「葛城」という響きに、目眩がしそうになる。
「あっ、えっと、きゅ、旧姓は……星川ほたる……です」
精一杯の勇気を振り絞って、私はそう挨拶をした。
蚊の鳴くような声だったかもしれない。
けれど、隣にいる彼の存在をこれほど近くに感じた瞬間は、今までになかった。
「あはは。 かわいいじゃん! 通してあげてもいいんじゃないですか?」
八神さんの明るい一言が、張り詰めていた空気を一気に緩めてくれる。
「……まぁ、ご夫婦という事でしたら、無理に追い返すわけにはいきませんか……」
クリスティーナさんも、八神さんに促されて、少し呆れつつも納得してくれたみたい。
「夫婦」という言葉の持つ強さに、私は改めて驚かされた。
「ありがとうございます……じゃあ、立ち話もなんですからブースに入りましょうか」
裕也くんは、さっきまでの緊張感が嘘のようにクールに振る舞い、私たちにブースへの道を促した。
その堂々とした態度は、本当に仕事の出来る「夫」そのもので、私はまたドキリとしてしまう。
(ほ、本当に通して貰えちゃった……けど、うぅぅ……)
安堵と同時に、さっき自分の口から出た言葉の余韻が、遅れて波のように押し寄せてきた。
『妻の……葛城ほたるです』
自分の声が耳の奥で何度もリフレインして、顔から火が出るほど熱い。
チラッと横を見ると、あおっちとねねっちが目を丸くして、石のように固まっているのが見えた。
(そうだよね。驚くよね。……私だって驚いてるもん……)
二人の視線が痛いような、くすぐったいような。
(あおっち達に後でどう説明しよう……)
「あれは嘘だよ」って言わなきゃいけないのかな。
(でも……不思議と……ううん。全然嫌な気持ちはしなかった……むしろ……)
その先にふと浮かんだ感情に、私はハッとして思考を遮った。
『このまま本当の事になったら良いな』
そんな大それたことを一瞬でも願ってしまった自分がいて、恥ずかしさで胸が張り裂けそうになる。
(もう……後でちゃんと責任取ってもらうんだから……!)
そんなことを心の中で叫びながら、私は頼もしい彼の背中を追いかけて、スタジオの奥へと足を踏み入れた。