You are my Beginning 作:コンスタンシア
【Side: 星川ほたる】
――飛行機の窓から差し込んでくる光が、眩しかった。
眼下に広がるフランスの街並みは、日本のそれとはまるで違う色をしていた。
石造りの建物が整然と並んで、その隙間を縫うように細い道が伸びている。
留学の時にも見た景色のはずなのに、今日はなぜか、全部が新鮮に見えた。
(……ただいま)
「……緊張してる?」
そんな声に隣を振り向くと、裕也くんも窓の外を眺めている。
「…してる」
私は正直に答えると、彼は少しだけ口元を緩めた。
「そっか」
「裕也くんは?」
「……少し」
「ウソ」
「嘘じゃないさ」
「でも顔に出てないよ、全然」
「…ポーカーフェイスって言葉を知ってる?」
それを聞いて、私はくすりと笑ってしまった。
要は"出さないようにしている"。 …そういう所がとても裕也くんらしかった。
「……私は…顔に出てる?」
「出てる」
「どんな感じに?」
「……ちょっと怖そうな顔」
「あはは…正解」
私は少しだけおどけて答える。彼はそれ以上は何も言わなかった。
変わりに肘掛けに置いていた私の手の上に、そっと自分の手を重ねてくれる。
彼の優しさが、心強さが伝わってくる。
(……うん。 大丈夫)
私は窓の外に目を向けて、深く息を吸った。
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空港に降り立つと、日本とはまるで違う空気が肌を包んだ。
乾いていて、少しひんやりとして、でも向こうよりずっと明るい光が降り注いでいる。
「裕也くんは…そっか、一度来たことはあるんだったよね?」
「そうだね。 けど、あの時は時間も限られていたから…それに比べて今回は少し違って見えるかな」
「どう? 空港の雰囲気」
「……思ったより日本と似てる部分もあるな。人が多いのは同じ」
「ふふっ、そうだね」
荷物を受け取って、入国審査を抜けて、タクシー乗り場へ向かう。
彼は私の分も含めた2つの大きなスーツケースを引きながら歩いていく。
「重くない?」
「平気だよ。ほたるのも俺が持つから、自分の荷物だけ持ってて」
「でも……」
「気にしない、気にしない」
そう言いきられてしまうと、従うしかない。
(……もう…)
彼の優しさに頬を緩めながらも心の中で少しだけ悪態をつく。
気さくに話しかけてくれるタクシーの運転手と会話をしている裕也くんのフランス語。
私が留学中に覚えた言葉と、彼が同僚の人から習ったという言葉は少しだけアクセントが違う。
それがなんとなく面白くて、私は窓の外の景色を眺めながら、隣の彼の声に耳を傾けていた。
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彼が借りたアパルトマンは、カトリーヌさんの家からも近くにあった。
フランス語を教えてくれていた同僚の人…ジャンさんが協力してくれたというその部屋は、石造りの建物の三階にある一室で、窓から街路樹の並ぶ道が見える。
「……広くはないけど、悪くないな」
「悪くないどころか、すごくいいよ。日当たりも良くて、天井も高いし」
「フランスの建物って、こういう構造が多いって話は聞いていたけど…実際に中に入ってみると凄いな」
「そうそう。私もホームステイ初日にカトリーヌさんのお家に着いた時、天井の高さに驚いたの」
そんな会話をしながら、二人でスーツケースと段ボールを開けながら荷解きを始めていく。
ノートPCや周辺機器、ヘッドフォン、鍵盤。 それらを一つひとつ丁寧に棚やデスクの上に並べていく彼の様子を横目で見ながら、私は台所の収納に食料品を仕舞っていった。
(……なんか、こういうの)
(……すごく、いいな)
同棲、という言葉が頭をよぎって、思わず顔が熱くなった。
勿論、まだ同棲はしていない…夜になれば私はカトリーヌさんのお家にお世話になる。
でも今この瞬間、二人で荷物を整理して、台所で音を立てて、「そっちの棚に入れていい?」「あぁ、大丈夫」なんてやりとりをしているこの感じは…。
——どこからどう見ても、同棲や…新婚生活の始まりだった。
(流石にお泊りはカトリーヌさんを心配させちゃうからしないとして……休日の日に遊びに来る、くらいはいいよね??)
「裕也くん、その箱の中身どうする?」
「あ、えっと……それはデスクの引き出しに入れてもらえると助かる」
「わかった」
なんでもない会話。
でも、その一言一言が、なんだかとても嬉しかった。
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「さて、ある程度片付いたかな? お腹も空いたし、この辺でお昼でもどうかな?」
ある程度の荷解きが済んだ頃、裕也くんはそんな事を背伸びをしながら言ってくれる。
「賛成。 私、この辺りの美味しいお店、少しなら知ってるよ」
「さすが。 留学の時にリサーチ済み?」
「うん! …と言っても一人じゃなかなか入る勇気が出なくて、カトリーヌさんに連れてきてもらったお店が殆どなんだけどね」
「それでもいいさ、助かるよ。 それじゃ、行こうか」
外へ出ると、四月の柔らかい光に包まれていた。
街路樹の葉がまだ薄くて、その隙間から差し込む日差しが石畳の上に細かい模様を作っている。道を行き交う人たちの服装は、東京の春よりも少し軽い。
裕也くんが自然と私の隣に並んで、私も自然と彼の腕に手を回す。
二人並んで歩くこの感じが、もうすっかり当たり前になっていた。
「この道、好きだよ」
私が言うと、裕也くんは周囲を見渡した。
「何で好きなの?」
「なんだろう……木の並び方が綺麗で、どこかの角を曲がると急に可愛いカフェがあったりして。街が、ちゃんと生きてる感じがするから、かな」
「なるほど…。 生きてる感じ」
「うん。東京もそうだけど、でも少し質が違う気がするの。上手く言えないんだけど」
「質感が違うって言うのは確かに分かる気がするかな」
裕也くんがそう言って、少しだけ歩みを緩めた。
彼の視線を辿っていくと、石畳の向こうに白い壁の小さな建物が見える。
窓辺に花が飾られているその建物は、ドアの前に黒板でランチメニューが書かれている。
「ここ、カトリーヌさんに連れてきてもらった事があるけど、ランチが凄く美味しかったよ」
「お、さっそく気になる情報だね。 じゃあ、ここにしようか」
「そうだね!」
お店に入った私達は日当たりの良い席に案内されて、ランチメニューとドリンクを注文する。
風通しの良い席だったけれど、今日は風と日差しを感じながら食事をするにはちょうどいい気温だった。
「ここ、キッシュも美味しいんだよ。 食べてみて」
「…っ。確かに。 生地がしっかりしてる」
「でしょ? 中の具材も日によって違うんだって。今日は何かな」
「……ポワロー?っていうのかな? 長ネギみたいなやつ」
「そうそう、ポワロー。 私、フランスに来てから好きになったんだ」
「日本ではたしかに見かけないか…」
「そうなの。 だから、留学から日本に戻ってきてしばらくはポワロー不足で困ってたんだよ」
「ポワロー不足…それは大変そうだ」
クックと笑う彼と他愛もない話をしながら、ゆっくりと食事をする。
近くのテーブルでは、老夫婦がワインを飲みながら小声で何かを話している。
外に目を向けると、遠くで鳩が鳴いていて、平和な日常のワンシーンがそこにあった。
「……本当にフランスに来たんだな。 って実感するよ」
彼がぽつりと言葉を発する。
「裕也くんにもそういう感覚あるんだね」
「あるよ。ロサンゼルスに着いた時も、そうだったし」
「向こうに着いた時は、どんな感じだった?」
「……空が広かった。それが一番最初に思ったこと」
「空?」
「東京って、高い建物に囲まれてるから、空が狭く見えるんだよ。 ロサンゼルスは開けてて、乾いてて……全然違う空が広がってた」
「フランスは?」
裕也くんは少し考えてから、言葉を紡ぐ。
「…フランスの空も広いよ。 後は、当たり前かもしれないけど、雰囲気がそもそも違う。 日本ともアメリカとも」
「うん、分かるよ。裕也くんの言いたい事。 初めて留学で来た時に私も思ったの、独特だなって。絵を描く人がたくさん集まるの、なんとなく分かる気がして」
「それは確かに」
食事を終えた後のドリンク。私は紅茶で裕也くんはコーヒー。
市販のティーパックとは違う、オリジナルにも近い風味を感じながら、私は少しだけ思い切って彼に言葉を掛ける。
「……少し、怖いの」
「…仕事が始まること?」
「うん。同じ会社といっても、裕也くんとは違う部署になるから、最初はきっと一人で色々対処しないといけないわけで。 ……でも、正直まだ自分がプロとして通用するのか、全然分からなくて」
「……」
「カトリーヌさんが声をかけてくれた時は、嬉しさの方が先に立ってたんだけど、いざここまで来ると、急に現実味が出てきちゃって」
「ねぇ、……裕也くんは、ロサンゼルスに行った時、怖くなかった?」
「怖かったよ」
即答だった。
「え、そうなの?」
「当たり前だろ。高校中退して、単身で海外のスタジオに乗り込んでいくんだから」
「……そうだよね」
「ただ、怖いっていう感情の他に、やってやろうっていう感情も同時にあった。 ほたるも今、そうじゃないか?」
(……そうかもしれない)
彼に言われて自分でもハッとする。
怖い、という気持ちが前に出すぎていて、気付くのが遅れてしまったけれど、たしかにある。
東京ゲーム展で見た、八神さんとあおっちを見て私に芽生えた新しいクリエイターとしての気持ち。やってみたい、という気持ちが。
「……うん、そうかも」
「なら、大丈夫」
裕也くんはコーヒーのカップを置いて、まっすぐ私を見た。
「俺は君の絵を知ってる。 実力を知ってる」
「留学が出来たのも、フランスのコンテストで入賞したのも、カトリーヌさんが声をかけてきた理由も、全部、君の実力があったからこそ。それは事実だよ」
「……うん」
「だから、自信持っていい。 むしろ、自信過剰なくらいが丁度いいんだよ、クリエイターは」
(……ずるいな、やっぱり)
そんな風に真っ直ぐ言われると、反論なんて出てこなかった。
「……ありがとう、裕也くん」
「どういたしまして」
軽くウィンクをしながら、あっさり目な返しをしてくれる彼の気遣いに心が軽くなるのを感じた。
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食事を終えてお店を出た後は、彼と少し街を見て回る事にした。
ブルーローズのオフィス周辺の地理を確認しながら、スーパーマーケットに寄って日用品を調達して、それから何となく足が向いた先。
そこは緑が多くて、風通しが良く、中央の広場では子供たちが元気にボール遊びをしている公園だった。 留学中に何度もスケッチに来た場所。
「私ね、ここが好きなんだ」
自然とそんな言葉が出る。
「留学の時もよく来てたの?」
「うん。 休日とか、よくここでスケッチブックを広げてた。子供たちが遊んでる様子を描いたり、風景を描いたり」
「いい場所だな」
裕也くんが周囲を見渡しながら、そんな感想をポツリと呟く。
私は、そんな彼に少しだけもたれ掛かれ、二人並んで少しの時間、広場を眺めた。
——ふと、視線の端に何かが引っかかった。
広場の脇に並んだベンチ。木の木陰になっているところに、一人で座ってタブレットを操作している人がいる。
(……あれ?)
見覚えのある後ろ姿だった。
黄色のロングヘア。それが、時折吹く風でゆるやかに揺れている。
「……ねぇ、裕也くん」
「うん?」
「あそこに座っているのって……八神さん……じゃない?」
「え? 八神さん? どこに?」
「ほら、あの、脇にある木陰にあるベンチ」
「あっ……たしかに、そんな面影はあるけど…ここフランスだし」
少しだけ困惑する彼。
「行ってみたらわかるんじゃないかな? 人違いだったら『ごめんなさい』で済むと思うし」
彼の手を引いて、彼女に向かって歩き出す。
近づいてみると、タブレットの画面には、子供たちがボール遊びをする様子が生き生きとしたタッチで丁寧に描かれている。
(……凄く上手い)
思わずそれが口から出た。
「……やっぱり、凄く絵が上手ですね!」
「――Merci」
フランス語で返事が返ってきた。
でも次の瞬間、彼女は顔を上げて、目を丸くした。
「……あ、日本語。ごめんなさい、つい……って、星川さん!? それに葛城くんも。どうしたの?こんなところで」
「咄嗟に出ちゃいますよね、フランス語。お久しぶりです、八神さん」
八神さんも想定していない人物に遭遇した。みたいな表情で私達を交互に見る。
その様子が少しだけおかしくて私は、クスクスと笑ってしまう。
「ご無沙汰してます、八神さん。 実はフランスの会社からオファーを受けまして…ほたるもそこでインターン予定なんです」
「そうなんだ! 日本の次はフランスって……世界を駆けてるな~。星川さんもフランスの会社のインターンなんて凄いじゃん」
彼が少しだけ補足を入れてくれたおかげで、八神さんも状況を把握したのかそんな言葉を掛けてくれる。
「い、いえ。 たまたまですよ。知り合いのツテでと言いますか……八神さんは旅行ですか?」
「ううん…あ、そっか。 社外の人間には言ってないんだっけ。 私、イーグルジャンプから一時的に離れて、今はこっちの会社で仕事してるんだ」
「え、そうなんですか!? 社外の人間には…ということは、あおっち…青葉ちゃんたちはこの事を知ってるってことですか?」
「あぁ、うん。青葉や会社の人たちにはちゃんと話して送り出してもらったよ。必ず戻ってくるからって」
「よかった……そうだったんですね。 …あ、ゲーム会社なんですか?」
「うん? 会社?そうだよ。フランスのゲーム会社。 星川さん達はどんな会社なの?」
「あはは……実は私たちもゲーム会社なんです。留学でお世話になったホームステイ先の人がその会社に所属してて、そのツテで……ですね」
「え、そうなの!? …まぁ、葛城くんもいるんだし、今更別の業界ってわけでもないか」
一瞬だけ間ができ、その直後、私も彼も八神さんも三人が同じタイミングで口を開く。
「『ブルーローズ』」
三人の声が、見事に重なり、八神さんが真っ先に吹き出した。
「あはははっ、まさかとは思ったけど、こんなことって本当にあるんだ」
「ふふっ、本当に凄い偶然ですね。八神さんも同じ会社だったなんて」
「日本ほどではないにしろ、フランスにもゲーム系の会社は結構ありますからね……凄い偶然」
裕也くんも肩を揺らして笑っている。
「これはもう運命ですよ!」
「あはは、そんな大げさな」
笑い声が、公園の空気に溶けていった。
ふと、自分の中の変化に気付く。
(…消えてる)
ずっと胸の奥にあった重さが、どこかへ消えていた。
薄っすらと感じていた緊張感は、この笑い声の中にすっかり溶けてしまっていた。
お昼の時、裕也くんにも話したけれど、全く緊張しないなんてことは…あり得なかった。
でも、同じ会社に同じ日本人の先輩がいる。しかも、顔を知っている人。
——そして、親友に、あおっちに大きな影響を与えた人が…。
「……あの、八神さん」
「うん?」
「ブルーローズで、いろいろ教えていただけると嬉しいです。右も左も分からないことだらけで……」
「もちろんだよ。同じ日本人同士、助け合っていこう」
八神さんがそう言って、にっこりと笑った。
その笑顔は「頼れる先輩」という顔をしていて、私はとても安心できた。
(……八神さん、裕也くんと一緒なら、私、最後まで頑張れる気がする)
その確信が、じわりと胸の奥に広がって行く。
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「…スケッチのお邪魔しちゃいましたね、ゴメンナサイ」
「あはは、いいよ。 そんな事気にしなくても」
「ありがとうございます。 じゃあ、私達はそろそろ行きますね。 八神さん、今月から、よろしくお願いします」
「うん、こちらこそ、よろしく」
八神さんに別れを告げて、私たちは公園を後にする。
帰り際、公園の方を振り返ると、八神さんはもう一度タブレットに向かっていた。
子供たちが走り回る広場を、また静かに描き始めている。
石畳の道を、裕也くんと並んで歩く。
夕暮れが近づいていて、街路樹の影が長く伸びていた。
「……ねぇ、裕也くん」
「ん?」
「こっちに着いたときから、怖かったり、緊張してたり、色々あったけど、でも」
「でも?」
「今は、なんかすっきりしてる。八神さんに会って、一緒に笑って……それだけで、なんか消えちゃった」
今の私の声はとても晴れ晴れとしていた。
裕也くんもホッとしたような息を吐いて、笑いかけてくれる。
「良かった。 …緊張って、理屈じゃ解いたりできないから」
「うん。裕也くんや八神さんと一緒に笑ったら、解けた」
石畳の上を、二人の靴音が規則正しく響く。
この街で、裕也くんと並んで歩いていることが、今はとても自然に感じられた。
そんな時、ポケットの中でスマートフォンが振動する。
画面を見ると、カトリーヌさんからの着信。
「はい、もしもし」
『ほたる、今から時間あるかな? さっき、君のベッドが届いてね、僕とソフィーだけだと組み立てが少し大変でね……できれば手伝ってもらえると嬉しい』
「あ、もちろんです! 今すぐ向かいますね」
『ありがとう、助かるよ。急かすつもりはないけど、なるべく早めだと嬉しいな』
「大丈夫です。すぐそこにいるので」
電話を切って、裕也くんに振り返る。
「ごめん、カトリーヌさんからで。ベッドが届いたから、組み立て手伝ってほしいって」
「そっか。 じゃあ、行ってあげな」
「うん! …今日はありがとね、お昼払って貰っちゃって」
「俺の荷解きも手伝ってもらったから、お互い様だよ」
裕也くんはそう言って、私の頭に手を置いてくれる。
その温もりが今はとても愛おしく感じた。
(……ここはフランスだし…いいよね?)
気づいた時には、もう動いていた。
一歩踏み出して、裕也くんの胸に両腕を回す。驚いたように「ほ、」と声が出たのが聞こえたけれど、構わずそのまま背伸びをして——彼の唇に、自分の唇を重ねる。
しばらくして、どちらからともなく、そっと離れた。
「……っ」
顔が、じわりと熱くなる。
恋人になってから、キスは何度かしていた……けれど、やっぱりまだ恥ずかしい。
しかも、自分からしてしまった。
裕也くんが何か言いかけているのが分かったけれど、もう顔を見られなかった。
「じゃ、じゃあ、また明日ね!」
それだけ言って、石畳の上を歩き出す。
カトリーヌさんの家まで、数分もかからない距離。その間、ずっと顔が熱いままだった。
(……裕也くん、びっくりしてたな)
あの顔を思い出したら、なんだかおかしくなってきて、口元が緩んだ。
夕暮れのパリの石畳を、一人でにやにやしながら歩く自分が、少しだけ可笑しかった。