You are my Beginning 作:コンスタンシア
【Side: 星川ほたる】
「ど、どうでしょうか……」
その日、私は描き直したデザイン画をカトリーヌさんへ提出する。
私のデザインと八神さんのデザインをカトリーヌさんは真剣な表情で交互に見つめる。その沈黙が、いつも以上に長く感じられた。
手のひらに、じんわりと汗がにじむ。
デザインに行き詰ってから、八神さんやミラさん、クロエさんにデザイン以外の事も教えてもらったりして見聞を広めてきた。
裕也くんと一緒に休日も勉強したり、本で自主的にも勉強してきた。
覚えたことを一つでも自分の絵に活かしたくて、寝る前にノートを見返す夜も増えた。
…正直、入社した時に言われた"私の弱点"というのはまだ理解できていない。
けれど、初めて挨拶をした数ヶ月前よりは成長していると思いたかった。
「ふむ……コウ、君はどうみる?」
カトリーヌさんは私のデザイン画を見て、少し考えた後に八神さんへ感想を聞く。
八神さんは手にしていたコーヒーカップを机に置き、意外そうな顔をする。
「え、私に聞くんですか?」
突然、意見を尋ねられ困惑しながらも八神さんはカトリーヌさんから渡されたデザイン画を見つめる。
少しの間、紙面を見比べるような沈黙が続く、その間、私はただ立ち尽くすことしかできなかった。
「……そうですね。 デザインの良し悪しはディレクターの意向が大きいので言及は避けます。 その上で私から言えるとしたら、まだ"星川ほたるという殻の中の絵"になっている。ですかね」
重たい一言が、フロアの空気に沈んでいく。
(まただ……)
「私の殻の絵……」
自分で呟いてみるが、何も浮かんでこない。当たり前だ、私自身がその言葉の意味を理解できていない。
「うん。 ほたるはさ」
八神さんは少しだけ考えた後、言葉を続ける。
「ほたるは"このキャラクターを誰に、どうやって届けようとして描いてる?"」
「え……それは……」
私の一番聞かれたくなかった質問を真正面から射抜かれて言葉が詰まる。
喉の奥が、きゅっと締めつけられるような感覚がした。
(ここで嘘をついたらダメだ…)
「その……ごめんなさい。 このゲームをプレイする人に作品として……って頭では考えているつもりだったんですけど、描いてる時は正直、考えもしていなかったです」
私は正直に話す。
取り繕っても仕方がない。今の私にできるのは、正直に打ち明けることだけだった。
頭ではわかっている。これはゲームで使われる敵キャラクターのデザイン。
だから、このキャラクターは"作品に登場させて、プレイヤーに届けるために描かなくてはいけない"
けれど、いざ描き始めるとそれが頭から抜けて、筆が、手が勝手にデザインを作り上げていく。
気づけば夢中になって、ペン先だけが画面の上を走っている。 立ち止まって考える暇もないくらいに。
(……それじゃダメって事? わからない……)
八神さんの質問を頭の中で繰り返し考えていると、カトリーヌさんもそれに続く。
「別に全ての人が、"このゲームを遊んでくれる人に向けて"みたいな綺麗事で仕事しているとは思っていないさ。生活のため、名を残すため。理由なんて人それぞれだよ」
そこで言葉を区切ると私を真っ直ぐみて、再び言葉を続ける。
その瞳には、容赦のなさと同時に、確かな期待のようなものが浮かんでいた。だからこそ、生半可な返事はできないと思った。
「けれど、ほたるが"自分の殻の中でしか絵が描けない"というのはそういうことさ。 デザインのレベルは悪くない。そこは認めるよ。 けれど、それだけではダメなんだ。 ここで濁すと状況が変わらないからはっきり言う」
「今のほたるのデザインでは"Utopiaで動いているイメージが浮かんでこない"」
その一言は、これまで積み重ねてきた時間ごと、私の努力を切り捨てるように鋭く胸に刺さった。
「…………ッ」
(悔しい)
自分のデザインを否定されたからじゃない。 カトリーヌさんにここまで言わせてしまっている自分の実力不足がとてつもなく悔しかった。
「ッ……わかりました。 もう少しデザインの方向性を変えてみます」
気づいたらそんな言葉を口走っていた。
口にしてしまってから、自分の言葉の軽さに気づく。心のどこかで、それが上滑りな言葉だとわかっていた。
(何を言っているんだ、私は…。 自分の中で修正する方向性も何もわかっていない…それなのに)
「デザインの方向性を変えたところで、今の問題は解決しない。 まだ期間はある。もう少し悩んでみると良い」
カトリーヌさんは私を諭すようなトーンでそんな言葉を放つ。けれど、目は私を真っ直ぐ射抜いたまま。
その視線から、目を逸らすことができなかった。
「……はい。 わかりました。 もう一度、よく考えてみます」
私はそう返事をするしかない。 カトリーヌさんの期待を裏切らないためにも、もう少し冷静になろう。
そう思った。
思った、はずなのに。
自分の机に戻るまでの数十歩が、やけに長く感じられた。すれ違う同僚たちの視線が、意識するほどに気になってしまう。
誰も気にしていないとわかっていても、俯いて歩くしかなかった。
席に戻って、もう一度自分のデザイン画を開いた瞬間、指が止まった。
さっきまで自信を持って提出したはずの絵が、まるで知らない誰かの絵のように見えてくる。
方向性を変える。
もっと怖くする。
もっと重くする。
もっと王の配下らしくする。
頭の中に浮かぶ修正案は、どれも今までの延長線上にしか見えなかった。
何度も参考資料を捲ってみても、答えは見つからない。まるで同じ場所をぐるぐると回り続けているような感覚だった。
違う。
たぶん、それじゃない。
でも、何が違うのかが分からない。
焦りだけが、じわじわと募っていく。
「どうすれば……」
小さく呟いた声は、モニターに吸い込まれていった。
気づけば、フロアの喧騒も少しずつ静かになっていく。
窓の外の光は、いつの間にか橙色に染まり始めていた。
===================
結局考えが纏まらず、筆が進まなかった。
退社して、カトリーヌさんの家に戻ってきてからも、頭の中は今日言われたことが繰り返し巡っている。
毎日必ずしていた、夕食後のスケッチも今日は筆がのらず、こうして布団に潜っている。
灯りを落とした部屋に、窓の外の物音だけがぽつぽつと響いてくる。
「……こっちに来てから初めて…かな」
そんな独白が部屋の中にポツリと消える。
八神さんはまだ部屋に戻ってきていない。きっと、さっきやっていたスケッチを続けているのだろう。
一人きりの部屋は、いつもより広く感じられた。
私はスマホの画面を眺める。
暗い部屋の中で、その光だけがぼんやりと私の顔を照らしていた。
画面にはメッセージアプリが立ち上がっている。
私は何度も彼に『助けて』と打つ。しかし、指先が、送信ボタンの手前で何度も止まる。
裕也くんに『助けて』と打った後は? 彼になんて言えばいい? 私の弱点はなんですか? 殻ってどう言う意味なの?
打っては消し、消しては打ち直す。そんなことを繰り返しているうちに、画面の明るさだけが虚しく部屋を照らしていた。本当は今すぐにでも、彼の声が聞きたかった。
(……ううん、ダメ。 それだとただの丸投げだ。 ここに来たのは自分の足で立つ為。 …だから、私が自分で乗り越えないと意味がない)
そう思って、メッセージのアプリを閉じようとする。
画面をフリックしようとした時、その名前が目に止まる。
"涼風青葉"
画面の中の四文字が、やけに眩しく見えた。
「…………あっ」
ふと、記憶の奥から蘇ってくるものがあった。 八神さんと何気なく交わした会話の一場面。
――『青葉の時にも同じような事を言ったっけなって』
――『青葉も自分のデザインで悩んでた時があってね。その時にも同じようなやり取りをしたんだよ』
――『青葉の答えはちゃんとPECOに登場するキャラクターとして描かれてる』
(八神さんはあおっちもPECOのデザインで悩んでたって言ってた)
そして、自分で答えを出したとも。
私は慌ててスマホに表示されている時刻を見る。
21時30分……フランスの方が7時間遅いから、今の日本は朝の4:30……。
画面の数字を見つめながら、小さくため息をつく。
……流石に迷惑になってしまう。
けれど、このまま朝まで悶々と過ごすのも辛かった。少しでも早く、この重たい気持ちから抜け出したかった。
(明日、早起きしてあおっちに電話をかけよう。 あおっちの話を聞けば何か掴めるかもしれない)
私はそう考え、アラームを日本時間のお昼時に合うようにセットして、そのまま目を閉じた。
まだ答えの形は見えないけれど、少しだけ先が見えた気がして、その夜はゆっくりと眠りに落ちていった。
===================
翌朝、アラームの音で目が醒める。
時刻は6:00。 アラームを止め、寝返りを打つ八神さんを起こさないように着替え、部屋を出る。
「ん、んーー…」
日が出たばかりの外に出て、空気を吸う。
庭のバラは朝露を纏って、しんと静かに咲いていた。
冷たい空気が肺いっぱいに広がって、頭が少しだけ冴えていく。
「……よし」
気持ちを切り替えて、スマホの通話ボタンを押す。
呼出音を聞きながら、画面をぎゅっと握りしめた。
アプリの呼出音が鳴る。2コール目の途中でそれが消え、同時に彼女の声が聞こえる。
『もしもし、ほたるん?』
「おはよう、あおっち。 今大丈夫?」
『おはよう……ふふ、コッチはお昼になったばかりだよー?』
「ふふ、そうだったね。 つい」
あおっちの笑い声で気が紛れたのか、私も気づいたら笑顔で返していた。
『それで? どうしたのー?』
あおっちの声が優しく響く。 その声に背中を押されるように私は自分の胸の内を彼女に話す。
「えっと……あおっちは"自分がデザインしなきゃいけないキャラクターの事がわからなくなった"って経験はある?」
『え? 自分のデザインするキャラクターの事がわからなくなる……ほたるん、もう少し詳しく話してもらえる?』
「あ、ごめんね。 じゃあ、順番に話していくね」
私はあおっちに自分が今陥っている問題を説明する。
言葉にしてみると、自分でもどこが引っかかっているのか、うまく整理がつかないまま話していることに気づく。それでも、あおっちは静かに耳を傾けてくれていた。
『…つまり、ほたるんは"描かなきゃいけないキャラクターの事がわからない"事で悩んでるの?』
「うん……。 貰ってるオーダーの通りに描いている筈なんだけど、描けば描くほどそのキャラクターの事がわからなくなるの」
「……八神さんが前にあおっちも同じ経験をしてるって、あおっちはしっかりと自分で答えを出したって聞いて……」
私はほんの少しだけ藁にも縋る気持ちで、あおっちに聞く。
スマホを持つ手に少しだけ力が入る。この電話が、今の私にとって最後の頼みの綱のような気がしていたから。
『八神さんが私も同じ経験……あ! もしかしてPECOの時の話?』
あおっちが思い出したように声を出す。
「うん。 PECOのデザインの話、あおっちさえ良かったら、教えて欲しいの。 お願い、私にヒントをください」
『ほたるん……』
少しだけ、電話の向こうで間が空く。
その沈黙の数秒が、やけに長く感じられた。
『うん、わかった。ほたるんの悩みだもん、私も協力するよ!』
「あおっち……ありがとう」
スピーカーから返ってきたあおっちの明るい声。
私はその声に救われた気がした。
『私もね、最初は伝えられた仕様書通りのキャラクターを描こうとしてたんだ』
あおっちが言葉を選んで話始める。
その声はどこか思い出を振り返るかのようなトーン。
私は、スマホを耳に押し当てたまま静かに耳を傾けた。
「あおっちも?」
『うん……。 自分でも本当にこんなデザインでいいのかなって疑問にも思ってきちゃって、それでやっぱり八神さんにもこのデザインじゃ通せないって言われちゃって』
あおっちが少しだけ自嘲じみた笑いを含ませて話してくれる。
その声色には、彼女らしい強さと同時に、当時の苦さも滲んでいた。
「……でも、それって仕様に書いてある通りにデザインをしていたんだよね?」
『そうなんだけどね。 私も丁度デザインが溜まってて焦ってた部分もあったんだけど、私自身そのキャラクターの事があまり分かってなかったんだ』
「…焦り…」
私がポツリと呟く。
『うん。 丁度、ひふみ先輩…あ、会社の先輩の人に私がデザインを早めに上げないとキャラ班に仕事が無くなっちゃって手が止まっちゃうからって言われちゃって』
あおっちの言葉に私の中で疑問が生まれる。
「……なんであおっちがデザインを上げないと、他の人の作業が止まっちゃうの?」
気づけば口に出していた。
『へ? あぁ、PECOは私がキャラクターデザイナーだったからだよ。 私のデザインを元にキャラ班や3D班がゲームのキャラクターを作っていくの』
「……」
私の中で何かが引っ掛かる。
何かとても大切な事に、指先が触れかけているような感覚。
「……」
『…えっと……ほたるん?』
「え? あ、ごめんね、あおっち」
あおっちの心配する声で現実に引き戻される。
『大丈夫? ほたるん…?』
「うん、大丈夫だよ。 …それで、どうやって答えを見つけたの?」
心配させないように普段のトーンであおっちに言葉を返す。
『八神さんに「これじゃ通せない」って言われた時、こうも言われたんだ。 「自分の中でそのキャラクターの事、しっかり見えてる?」って』
『その後、遠山さんにも「このキャラクターの事は好き?」って聞かれて……正直、その時はよくわからなくて"好き"とも"嫌い"とも言えなかったんだ』
あおっちは続ける。
『でも、その時気づいたんだ…私がこのキャラクターが好きって言えないのは"このキャラクターの事を何も知らないから"だって』
「…キャラクターの事を何も知らないから……」
『うん。 だって、そのキャラクターの良さがわからないとデザインできないでしょ? 描き手が"良い"、"好きになって欲しい"ってポイントを持ってデザインして初めて、そのキャラクターが生きると思うの』
「あ……」
(私はキングス・ハンドを仕様書のテキストだけを見て、それを私だけのイメージで描いていた…)
あおっちの話を聞いて気づく。
「あおっちはそのキャラクターの事をどうやって理解したの?」
私は前のめり気味で彼女に聞く。
『ディレクターの葉月さんにそのキャラクターの事を聞きに行ったんだ』
『初めはそのキャラクターの事をよく知るために聞きに行ったんだけど、葉月さんの話を聞いて出た私の一言がそのまま設定に採用されちゃって…』
あおっちはそう苦笑した後に、でも……と言葉を続ける。
その声には、照れくささと誇らしさが含まれているように感じた。
『その設定があったから私はこのキャラクターの事を好きになれたし、ゲームをプレイした人にも"好きになって欲しい"って思ってデザインが出来たんだよ』
(あぁ……これだ。 私が見えてなくて、あおっちや八神さんには見えているもの。 そのキャラクターの事をよく知って、自分自身がそのキャラクターの理解者になる事……)
私の中で少しずつ、氷が溶けようとしていた。
胸の奥にあった固い塊が、ゆっくりとほどけていく感覚。
「ありがとう、あおっち。 おかげで少しだけ見えてきた気がするよ」
私は彼女に感謝を告げる。
『えへへ、どういたしまして』
「そういえば、あおっちが悩んでいたキャラクターってPECOのどんなキャラクターだったの?」
私は最後に気になっていた質問をぶつける。 あおっちが悩んでデザインしたキャラクター…それがどんな形でゲームに登場しているのかが気になった。
『えーっと…あ、そっか、ほたるんはPECOプレイ済みだったよね。 私が悩んでいたのは女王サマ…コットンのデザインなんだ』
「っ……」
あおっちの言葉に一瞬、呼吸を忘れる自分がいた。
(そっか……そうだったんだ…)
「……ふふっ、あおっちの"好きになって欲しい"って気持ち、確かにプレイヤーに届いてたよ」
私は晴れやかな気持ちで空を見上げて、あおっちに答える。
今日のフランスは雲ひとつない青空。 私の心の中の雲も少しずつ消えていっていた。
大好きなキャラクターの裏側に、あおっちの悩みと答えが隠れていたなんて、今の今まで思いもしなかった。偶然にしては、あまりにも出来すぎている繋がりだった。
『え? ほたるん、それはどう言う意味?』
「……私がPECOの中で一番大好きなのはコットンなの」
『えぇええ! そうなの!?』
あおっちの驚く声が聞こえて、私はたまらずくすくすと笑ってしまう。
「うん。 デザインも声も、仕草も、喋り方も、コットンの全部が可愛くて私は好き」
『ありがとう、ほたるん! はじめさんやゆんさん、葉月さんもすっごく喜ぶと思う!』
「その時の話とか今度聞かせて欲しいな」
『うん。 私もほたるんに聞いて欲しい!』
私とあおっち、お互いに電話口で笑い合う。
遠く離れていても、こうして笑い合える友達がいることが、たまらなく嬉しかった。
『……階段、上れそう?』
あおっちが言う。いつか言った記憶のある言葉。
「うん、上るよ」
私も言葉を返す。それはいつか聞いた言葉。
『がんばって、ほたるん』
「ありがとう、あおっち。 …それじゃあ、またね」
『うん。 また今度』
あおっちの言葉を聞いてから、通話を切る。
「……」
通話を終えたスマホの画面が、暗く落ちていく。
ヒントは貰った。 けれど、自分の中では断片的で答えが纏まってこない。
きっと私が見落としているヒントがあるはず。
あおっちはなんて言っていた? 私はしばらく彼女の言葉を思い返す。
――『私も丁度デザインが溜まってて焦ってた部分もあった』
――『私がデザインを早めに上げないとキャラ班に仕事が無くなっちゃって手が止まっちゃう』
あおっちの言葉で気になった部分。
(デザイナーの描いた絵がそのまま、ゲームに乗るわけじゃない……)
それはわかってるつもりだ。 学生の私でもそのくらいの理解はある。
けれど、"その先"がわからない。
(そのままデザイナーの絵を渡してしまえば済む話な筈)
あおっちは平然と言ってのけたけど、私にはその過程が理解できずにいる。
(……私一人で悩んでても答えが出そうにない)
朝の光が少しずつ強くなっていく。
もう一度スマホの通話履歴を表示する。
――"葛城裕也"
(答えを聞くんじゃない。 あおっちの話だけじゃ見えてこなかったもっと根本的な部分を見直すんだ)
まだ少しだけ早い時間。
彼を起こしてしまうかもしれない。そんな考えが一瞬よぎる。それでも、指は止まらなかった。
迷惑だとわかっていたけれど、私は行動せずにはいられなかった。
彼の名前をタップして通話をかける。
――ワンコール、ツーコール
(お願い、裕也くん)
コール音が消え、通話が繋がる。
『もしもし、ほたる? こんな時間にどうしたの?』
「おはよう、裕也くん。 ごめんね、こんなに早くから電話しちゃって」
『おはよう、ほたる。 ううん、起きてたから大丈夫だよ。 それより何かあった?』
(迷惑掛けた訳じゃなくてよかった……)
心の中で安堵する。
私は深呼吸をしてから彼に言葉を伝える。
「えっと、ね。 デザインの事で裕也くんの意見を聞きたいんだ。 だから…今からそっちに行ってもいい?」
普段であれば気兼ねなく言える言葉も、今日だけはほんの少しだけ覚悟が必要だった。
『いいけど……デザインのアドバイスは俺より…』
私の声のトーンを感じ取ったのか、彼は八神さんに聞いた方が…と続ける。
それはもっともだった。彼はデザイナーではなくサウンドクリエイター。この質問なら同じデザイナーの八神さんを挙げるは当然のこと。
「あ、ごめんね。分かり辛かったよね……デザインの事ではあるんだけど、もっと根本的な……ゲームのお仕事について聞きたいんだ」
今は"デザイナーである八神さんの意見"よりも、"私の恋人でゲーム業界の先輩である裕也くんの言葉"が欲しかった。
『……わかった。 俺でよければ話を聞くよ。 だから、気をつけておいで』
彼の返事がスピーカーから響く。 この声に幾度助けられてきただろうか。
こんな時間でも、いつもと変わらず私を受け止めてくれる彼の優しさに、胸が温かくなる。
「ありがとう、裕也くん! うん、少しだけ待ってて」
逸る気持ちのまま私は通話を切ると、そのままカトリーヌさんの家を飛び出した。
===================
裕也くんに通され、彼の淹れてくれたカフェラテを飲みながらこれまでの経緯を話す。
八神さんに言われた事、カトリーヌさんに指摘された事、あおっちに聞いた事…そして、今の私の頭の中をすべて。
「なるほどね……電話でも言ったけれどデザインの部分に関して俺は専門外になっちゃうから、カトリーヌさんの"殻の中で描いてる"に対してのアンサーは出せない。 ごめんね」
「ううん、大丈夫。 その部分は私が自分で辿り着かなきゃいけないって思ってるから」
そう答えながらも、内心では少しだけ心細さを感じていた。それでも、自分で答えを見つけたいという気持ちに嘘はなかった。
「ありがとう。 その上で、俺が力になってあげられるのは、涼風さんの話を聞いてほたるが疑問に思った事へのアドバイスかな」
彼は珈琲を飲みながら続ける。
その口調はいつも通り落ち着いていて、不思議と焦る気持ちが凪いでいく。
「ほたるはさっき"描いた絵がそのままゲームに乗るわけじゃない"って言ったけど、これはその通り」
「ゲームに登場させるためにはそこからある程度長い工程が必要になる」
「うん、それはなんとなくわかるよ。 Utopiaみたいな3Dのゲームだと私が描いた絵だけじゃ動かすことができないと思うし」
「そうだね。 じゃあ、なんで動かすことができないって思ったの?」
「えっと…私が描いたデザインだけだと2次元的でしかない。 Utopiaで動かすためにはデザインを3Dにして立体的に見せなきゃいけない」
「うん。 3Dにするためにはどうする必要がある?」
「3Dにするためには、デザイナーである私から3Dモデルを作るセクションへデザインが渡る必要がある…」
私はそこで一瞬口ごもる。
私の頭では、そのままデザインを渡すイメージしか浮かんでいないから。
言葉に詰まる私を、裕也くんはせかすことなくじっと待っていてくれた。その静かな時間が、今はありがたかった。
「……その表情を見るに、この部分で躓いてるのかな?」
裕也くんが私の様子から察したのか、優しい声で聞いてくれる。
その優しさに甘えてばかりではいけないと思いながらも、今は素直に頼りたかった。
「……うん。 そのまま次の人に渡せばいい、くらいにしか考えが浮かんでこなくて……」
「半分正解かな。 ほたるは、3Dにしてもらう際にモデラーへ渡すためにはどんな準備が必要だと思う?」
「…デザイン画だから線は相手が拾いやすいように最終的に整理は必要だと思う。 コンセプトアートなら迷い線も多くなるけど、デザインとして描くなら線は他人にもわかりやすくしないといけないから」
「うん、そうだね。 線が多いと渡された方も困りそうだ。 けど、それだけじゃいけない」
「え?」
「コンセプトアートやイメージボードならそれも味が出ていいと思う。そういうデザインは俺も好きだからね。 けど、デザインとしてゲームに落とし込む為にはもう1つ考えなきゃいけない事がある」
彼は私の目をまっすぐに見つめる。
その真剣な眼差しに、思わず息をのんだ。いつもの優しい彼とは、少しだけ違う顔をしていた。
「それは"ゲームの中で成立する…もっと言えば、ゲームの中で実際に動いている姿まで想像できるデザインであること"だよ」
「動く姿まで想像できるデザイン……」
「そう。 幾らいいデザインでもゲームに落とし込む段階で実現不可能な物なら結果として登場させられない。 だから、ゲームクリエイターは"ゲームで実際に動いている予想図"を頭に描きながら作る必要があるんだ」
「これはデザインの方向性やディテールの話だけじゃなくて、自分がデザインしたキャラクターがちゃんと3Dとしてゲーム内で動くのか。までを考えながらってことだね」
「……そっか…デザインの良さだけで通すと、もしかしたらゲームとして動かない可能性もある。 八神さんやクロエさん、カトリーヌさんはそれを精査してフィードバックを出す…」
胸の奥で、何かがかちりと音を立てた気がした。
私の中で点と点が繋がっていく。
「……じゃあ、私が考えなきゃいけないのはモデラーさんに渡しやすいデザインってこと?」
「正確には"他のセクションに"かな。 ほたるのデザインしたキャラクターは3Dモデルもそうだけど、それを動かす人、配置する人、音をつける人、そのキャラクターに関わる全ての人にバトンを渡せるようにするのが理想だね」
「サウンドで言うと…そうだな。キャラクター固有の音作りは後ろの工程に来ることが多いんだ。デザインやモデル、実際の動きが形になって、そのバトンを受け取って初めて、そのキャラクターに合った効果音や音の演出を本格的に作る事ができるんだ」
「バトン?」
聞き慣れない響きに、思わず聞き返す。
「そうそう、大きなゲームは1人じゃ作れない。 何十人、何百人という人が協力して作り上げる物。 言っちゃえば、チーム制作だね」
彼は少しだけ考えてから言葉を続ける。
その表情には、いつもの穏やかさの中に、少しだけ真剣な色が浮かんでいた。
「確かに、コンペとかで競わなきゃいけない時もある。でも、案が決まった瞬間に勝ち負けは終わるんだ。そこから先は、チーム皆んなでキャラクターや1つの作品を作る。デザインはゴールじゃなくて、チームに渡す最初のバトンなんだよ」
「……あ」
そっか。
胸の奥が、じんわりと熱くなっていく。
私はブルーローズに来てから、ずっとデザインで皆に認めてもらわなきゃって、結果を出さなきゃって思ってた。 だから、他のセクションの事を考えられていなかった。
……自分のデザインが選ばれた後のことにまで、意識が向いていなかった。
今までの自分がどれだけ視野の狭い場所にいたのか、今になってようやく実感する。恥ずかしさと同時に、妙にすっきりとした気持ちもあった。
そして、これが多分、八神さんが言いたかった事、カトリーヌさんの言葉の意味、そしてあおっちが焦っていた意味。
裕也くんの言葉が最後のピースになって、それらがようやく一つに繋がった気がした。
あおっちの話を聞いた時に思った。
私は、キングス・ハンドを描いていたつもりだった。
でも本当は違った。私の中にある「キングス・ハンドらしい絵」を描いていただけだったんだ。
キングス・ハンドが何者で、ゲームの世界でどう生きているのかを知らない。
プレイヤーに何を感じてほしいのかも定まっていない。
そして、今、裕也くんの言葉をもらって気づく事ができた。
モデラーさんやアニメーターさん、裕也くんに、何を渡せばいいのかも考えていなかった。
――『今のほたるのデザインでは"Utopiaで動いているイメージが浮かんでこない"』
カトリーヌさんから言われた言葉が脳内を過ぎる。
……だから、Utopiaの中で動かなかったんだ。
それが今の彼の言葉で全て、繋がった気がした。
「ありがとう、裕也くん! 私、やっと色々見えてきそうだよ!」
「よかった。 これから、オフィスに行くの?」
いそいそと身支度をする私に、彼は苦笑する。
「ううん! まずはカトリーヌさんにキャラクターの事を聞きに行くの!」
あおっちがそうしたように、私もキングス・ハンドの事をもっと深く知らなきゃいけない。
「そっか。 じゃあ、サウンド側から1つ共有。 キングス・ハンド戦は展開の違う2つの曲で構成する予定なんだ」
「……え?」
「キングス・ハンドとは、複数回戦う仕様だよね。その際、同じキングス・ハンドとの戦いでも、音楽は表情を大きく変える作りになる予定なんだ」
「……? うん? 教えてくれてありがとね」
私は彼の言った言葉の意図が上手く理解できず、生返事気味に返す。
「今は頭の片隅にでも覚えておいて。 それじゃ、行っておいで」
彼はくすりと優しく笑う。
「うん。 私、頑張るね」
「あぁ、頑張れ、ほたる」
その一言、一言が私の背中をそっと押してくれる。
彼の言葉に力をもらって、私は飛び出すように彼の家を出る。
方針は見えた。 やらなきゃいけないこともわかった。
キングス・ハンドの事をもっと深く知ろう。
それから、プレイヤーにどう感じて欲しいかを自分の中で定めるんだ。
そして、私のデザインを次の人が受け取れるバトンにできるように構築し直そう。
やるべき事は増えたはずなのに、なぜか足取りは軽かった。
まだ出勤にはだいぶ早い時間。 私は来た道を急ぎ足で戻る。
夏とはいえ、早朝のフランスは少しだけ肌寒い。けれど、今の私はそれすらも心地よく感じる。
――そう。 ようやく、スタートラインに立てるような気がするのだから。