You are my Beginning 作:コンスタンシア
[Side:裕也]
腕の中にある温もりを揺らさないよう、俺は意識して足裏全体で地面を踏みしめるように歩く。
本来なら、どこへ向かえばいいのか聞くべきところだろう。
けれど、俺の足は自然と彼女の家の方向を選んでいた。
まるで自分の家に帰るのと同じくらい、この道順は身体に染み付いている。
幼馴染の特権、と呼ぶには少し気恥ずかしいけれど、今はその記憶に感謝した。
腕の中で小さくなっていた彼女だったが、少しずつ落ち着きを取り戻してきたのか、ポツリポツリと言葉をこぼし始めた。
「……あおっちね、イーグルジャンプに入社したんだよ」
「へぇ、あのイーグルジャンプに? 涼風さん、すごいな。夢を叶えたんだ」
「うん。ねねっちもね、デバッグのアルバイトだったけど、あおっちの会社で一緒にお仕事してたんだよ」
「桜さんがデバッグ? あの子の事だから、涼風さんが心配…だったのかな? でも、その行動力は桜さんらしいね」
「ふふ、そうだね……2人とも凄いんだよ?」
彼女の声は弾んでいる。
友人の活躍を心から祝福している、優しい響きだ。
けれど、その声の端々に、微かな陰りが見え隠れしているのを俺は聞き逃さなかった。
自分だけが取り残されているような、漠然とした焦燥感。
腕の中から伝わってくる緊張が、彼女の不安を物語っている。
(……焦ってる…のか)
俺は歩調を緩めず、けれど彼女に届くように、意識して声を張った。
「…ほたるもしっかりと、前に進んでるよ」
「……え?」
彼女が俺の胸元で顔を上げ、不思議そうに瞳を揺らす気配がした。
「この間、メッセージで見せてくれた絵。……あれ、グランプリを取ったんだろ?」
「――っ」
腕の中の身体が、ビクリと跳ねた。
「うそ……私、絵はたしかに裕也くんに見せたけど、賞……コンテストのことなんて言ってなかったのに……」
掠れた声で漏れる彼女の動揺。
俺は苦笑交じりに、視線を前の道に向けたまま答える。
「向こうにいた時も、日本とフランスの美術ジャーナルは時間のある時にチェックするようにしてたんだ」
「……え?」
「フランスの…結構大きな規模のコンテストだったよね? 受賞者の特集ページ、ほたるの絵が大きく掲載されていたんだよ。『Hotaru Hoshikawa』の名前と一緒にね」
「見……ててくれたの……?」
「ああ。それに、ロサンゼルスで一緒に仕事をしたクライアントにも、君の事を知っている人がいたんだ」
これは嘘じゃない。
打ち合わせ後に呼び止められて、話を聞いた時の誇らしさは、自分のこと以上だった。
「『日本人の学生がフランスでグランプリを取っていたわ! 君もそうだけど、日本の若者は才能あふれる人が多いのね』って、驚いてたよ」
「そん、な……」
「だからさ」
俺は立ち止まり、少しだけ腕の中の彼女に視線を落とした。
長い睫毛が震え、大きな瞳が潤んでいる。
「“自分だけ”なんて思わなくていい。焦らなくていいんだよ」
友人の背中を追いかける気持ちは痛いほどわかる。
でも、彼女は彼女のペースで、確実に結果を残している。
それを、一番近くで――いや、一番遠くからでも、俺は見ていたつもりだ。
「君が思っている以上に、周りはちゃんと君を見てる」
風が凪ぎ、一瞬の静寂が降りる。
俺は確信を込めて、彼女の瞳を見つめ返した。
「もちろん……俺も含めてね」
「ッ……うん、ありがと……裕也くん」
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[Side:ほたる]
「へぇ、あのイーグルジャンプに? 涼風さん、すごいな。夢を叶えたんだ」
「桜さんがデバッグ? あの子の事だから、涼風さんが心配…だったのかな? でも、その行動力は桜さんらしいね」
あおっちや、ねねっちの話をする時、私はどんな顔をしていただろう。
友達の夢が叶っていくのは、素直に嬉しいし、自分のことのように誇らしい。
でも、その光が強ければ強いほど、自分の足元に伸びる影も濃くなる気がして…。
(私だけ、置いていかれてるのかな……)
フランス留学も経験した。大学でも評価されている。
頭では分かっているのに、心が追いつかない。
焦りみたいなものが、胸の奥でチリチリと燻っていた。
そんな私の弱音を見透かしたように、頭上から彼の声が降ってくる。
「ほたるもしっかりと、前に進んでるよ」
え?
思わず顔を上げる。
「この間見せてくれた絵。……あれ、グランプリを取ったんだろ?」
心臓が、大きく跳ねた。
(……うそ)
喉の奥が引きつる。
だって、言ってない。
あの絵の画像を送った時、私は「コンテストで賞を取った」なんて一言も添えなかった。
本当は、言いたかった。
『凄いね』って、『頑張ったね』って褒めてもらって、勇気を貰いたかった。
でも、彼は海の向こうで、私の想像もつかないくらい厳しい世界で戦っている。
そんな彼に、「私のことを見て」なんて甘えるのは違うと思った。
余計な心配や、期待を押し付けたくなかった。
だから、せめて『私が描いたんだよ』って事実だけを伝えたくて、絵だけを送ったのに。
「日本とフランスの美術ジャーナルは時間のある時に見るようにしてたんだ」
彼の言葉が、染み渡るように響く。
「フランスの結構大きな規模のコンテストだったよね? グランプリの掲載ページ。ほたるの絵が大きく掲載されていたんだよ」
知っていたんだ。
私が隠していた「結果」も、その裏にあった「努力」も。
彼は、私が言葉にしなくても、海を越えた遠い場所から、ずっと見つけてくれていた。
「それに、ロサンゼルスで一緒に仕事をしたクライアントにも、君の事を知っている人がいたんだ」
彼が続ける言葉の一つ一つが、凍えていた自信を溶かしていく。
「だからさ、“自分だけ”なんて思わなくていい。焦らなくていいんだよ」
トクン、トクン、と背中越しに伝わる彼の鼓動が、言葉に熱を持たせる。
「君が思っている以上に、周りはちゃんと君を見てる」
風が止まった気がした。
彼の視線が、私の瞳を射抜く。
「もちろん……俺も含めてね」
(あ……だめだ)
視界が滲んで、熱いものがこみ上げてくる。
貧血のせいなんかじゃない。
ただ、嬉しくて、切なくて。
遠い国にいても、時差があっても、彼はしっかりと私を見てくれていた。
その事実だけで、胸の奥が火傷しそうなくらい熱くなる。
私は涙を見せないように、彼の胸板にぐり、と顔を押し付けた。
シャツ越しに伝わる体温に、今はただ、縋っていたかった。
「……うん、ありがと……裕也くん」
震える声でそれだけ伝えるのが、今の私にできる精一杯だった。