You are my Beginning   作:コンスタンシア

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Episode 8 - 鮮やかな色

[Side:ほたる]

 

キャンバスの上を、筆が踊るように走っていく。

いつもの構図に悩み、色の調和に頭を抱える時間が嘘みたい。

パレットの上で混ざり合う絵の具が、まるで私の今の心の色をそのまま映し出しているかのように、明るく、澄んでいる。

 

(……不思議。色が、勝手に生まれてくるみたい)

 

昨日までは少し重ためのトーンで描いていた風景画。

それが今日は、光をたっぷりと含んだパステルカラーに塗り替えられていく。

筆のタッチも軽い。

迷いがないのは、頭の中にずっと『彼』がいるからだ。

今朝の笑顔。昨夜の手の温もり。

それらを思い出すたびに、胸の奥から湧き上がる幸福感が、指先を通してキャンバスに溢れ出してしまう。

 

「――わぁっ、すごい!」

 

背後から感嘆の声が上がった。

ふと我に返ると、いつの間にか友人たちが私の後ろに立っていた。

 

「星川さん、本当にどうしたの? すっごい鮮やか!」

 

「昨日までの『苦悩する芸術家』みたいな絵も良かったけど、今日のはなんていうか…恋する乙女の絵って感じがする」

 

「えっ……!?」

 

友人の言葉に、動かしていた筆がピタリと止まる。

恋する乙女。

そんなに分かりやすく出てしまっていただろうか。

 

「…やっぱり今朝の "秘密" のおかげ?」

 

「いいなぁ、私もそんな風に絵が変わるような恋してみたい!」

 

「も、もう! からかわないでよ……!」

 

黄色い歓声に包まれて、顔から火が出そうだ。

否定したいけれど、事実、絵が変わってしまったのは紛れもない自分の変化だから言い返せない。

 

「わ、私……お昼行ってくるね!」

 

いたたまれなくなって、私はパレットを置くと、逃げるようにアトリエを飛び出した。

背後から「あ、逃げたー!」「かわいいやつめー!」なんて笑い声が聞こえてくるけれど、今は振り返れない。

熱くなった頬を冷ますように、私は廊下を早足で歩いた。

 

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[Side:裕也]

 

役所での転入手続きは、思いのほかスムーズに終わった。

住民票の写しを受け取り、時計を見るとまだ正午前。

このまま実家に帰って、機材のセットアップを進めるのも良いけれど、こんな天気のいい日に屋内に籠るのも少し勿体ない気がした。

ふと、スマホの地図アプリを開く。

現在地からそう遠くない場所に、ほたるが通う美術大学のキャンパスが表示されている。

 

(……この距離なら)

 

今朝、駅まで送った時の彼女の笑顔が脳裏をよぎる。

『調子いいよ』と言っていたが、無理をしていないだろうか。

それに、彼女がどんな場所で絵を描いているのか、少し興味もある。

俺は迷うことなく、大学の方角へと足を向けた。

 

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[Side:ほたる]

 

お昼時の学食は、講義を終えた学生たちの喧騒で満ちていた。

なんとか空いている席を見つけて座り、日替わりランチのトレイを置く。

周りを見渡すと、楽しそうに談笑するグループや、二人だけの世界に入っているカップルの姿が目についた。

特に、窓際の席に座っている二人組。

彼女が彼氏の口元についたソースを拭いてあげて、彼氏が照れくさそうに笑っている。

 

(……いいなぁ)

 

今までなら「よくいるカップルさんだな」くらいにしか思わなかった光景が、今日はとても羨ましく映る。

 

「私も……裕也くんと学食を食べてみたい……なんて、言ったら困らせちゃうかな?」

 

彼がもし大学に来てくれたら、あんな風に一緒にご飯を食べて、笑い合って……。

そんな妄想が膨らみかけて、ぶんぶんと首を横に振る。

彼は忙しい人だ。今は日本での生活基盤を整えるので手一杯のはず。

私のワガママで振り回しちゃいけない。

はぁ、と小さく溜息をついて、箸を掴もうとした時だった。

 

「――なにか考え事かな?」

 

雑踏を切り裂くように、一番聞きたかった声が鼓膜を震わせた。

幻聴?

いや、あまりにも鮮明すぎる。

驚いて振り返ると、そこには信じられない光景があった。

 

「……え?」

 

逆光の中、彼が――裕也くんが、トレイを持って立っていた。

ラフなシャツの袖を捲り上げているだけの飾らない立ち姿なのに、周りの学生とは明らかに違う、洗練された大人の空気感を纏っていて。

 

「こんにちは、ほたる。 相席、いいかい?」

 

「裕、也くん……!? なんでここに?」

 

数テンポ遅れて、やっと声が出た。

周りの学生たちが、なにやら囁き合ってチラチラ見ているのに、当の本人は全く気づいていない様子で、私だけを見て微笑んでいる。

 

「役所の手続きが終わったのが、お昼前だったからさ。 大学のお昼に間に合うかなって」

 

彼は私の向かいの席にトレイを置きながら、悪戯っぽく言った。

 

「それに、ほたるは今頃、何してるのかなって思ってね」

 

ドクン、と心臓が跳ねる。

何してるのかな、って。

それってつまり、離れている間も私のことを考えてくれていたってこと?

 

(……嬉しい)

 

さっきまでの羨望が、一瞬で喜びに変わる。

妄想じゃなくて、本物の彼が、私の目の前にいる。

しかも、私に会いに来てくれた。

抑えきれない笑みが、顔中に広がる。

私はにへらとだらしなく笑って、彼を見つめ返した。

 

「ふふ、私のこと考えてくれたの、凄く嬉しいな」

 

「そうか? 迷惑じゃなかったなら良かったよ」

 

「迷惑なわけないよ! ……じゃあ、お昼、一緒に食べよ?」

 

「ああ、もちろん」

 

彼が席に着く。

周囲の視線なんてどうでもいい。

今の私には、目の前の彼と、これから始まるランチタイムのことしか見えていなかった。

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