黒い重装甲に包まれた深淵の王は、膝から先に力を失った。
床石が低く鳴り、鎧の継ぎ目から漏れていた赤い光が、呼吸のように脈打って──次の瞬間、ふっと弱まる。
兜の奥は最後まで暗いまま、顔は見えない。
ただ、そこに“穴”だけがあるみたいで、見つめ返されている感覚だけが残る。
巨躯が前へ傾く。
肩の装甲が擦れ、鉄のきしむ音が長く尾を引く。
そして、倒れた。
衝撃で砂埃が舞い、赤い光は完全に消える。
やがて神だったものは灰になっていく。
次の瞬間。
視界の中央に、巨大な文字が浮かび上がる。
【神話級ダンジョン 単独踏破】
音が消えた。
いや、正確には──世界が静まり返った。
HP残量、わずか。
MPはほぼ空。
ポーション残数、1。
紙一重。完全に紙一重。
それでも、勝った。
「……はは」
笑いが漏れる。
俺はやり切ったのだ。
誰にも頼らず、完全ソロ。
しかもノーデスである。
プレイヤー名、
パーティ欄は空白。
そして今、ボス部屋に立っているのは俺だけだ。
果てしない達成感が、胸の奥から込み上げる。
やった。
自分で、攻略した。
視界の端に、ドロップ通知が流れ始める。
──獲得アイテム:王の灰
──獲得アイテム:深淵のマント
──獲得アイテム:深淵の黒鉄×3
──獲得アイテム:不死鳥の羽根
──称号獲得:深淵単独踏破者
──称号獲得:半神半人
一つずつ見ていこう
【王の灰】
分類:素材
説明:深淵の王が灰化した残滓。濃い神性を帯びる。
用途:錬金/付与/儀式素材
【深淵のマント】
分類:アクセサリー(マント)
防御力150
補正:INT+62
効果:恐怖耐性上昇/威圧耐性上昇
備考:深淵の気配を纏う者にのみ馴染む
装備欄にアイテムアイコンを持っていく。
黒に近い濃紺の布が、肩から滑り落ちるようにまとわりついた。
背中が少しだけ重くなる。だが、不快じゃない。
むしろ落ち着く。
効果欄をもう一度見る。威圧耐性、防御力。
今の外套より、明らかに性能がいい。
「……なら、これでいい」
言い切ってから、肩を軽く回す。
布が遅れて追随する。
揺れ方が、妙に静かだ。風に煽られるというより、重さのある影がまとわりつく感じ。
ドロップ一覧に戻って、残りへ視線を滑らせる。
装備じゃない。けど、軽くは見られないやつだ。
【深淵の黒鉄】にカーソルを合わせる。
【深淵の黒鉄】
分類:素材(武器素材)
説明:深淵の王の鎧が崩れて残った黒鉄。熱を通しにくく、魔力の通り道だけを残す。
用途:武器鍛造
「武器素材……」
数は3。
たった3、されど3だ。エンドコンテンツの素材ってのは、いつも少数精鋭で、普通の鉱石の束とは価値が違う。
次。
俺は一覧を指でなぞり、【不死鳥の羽根】を叩いた。
枠が淡く光って、詳細が開く。
その瞬間、喉の奥が勝手に鳴った。
──来た。
【不死鳥の羽根】
分類:アクセサリー(イヤリング)
レアリティ:神話級
防御力:150
補正:LUK+90
効果:死亡時蘇生(CT24時間)
効果:デスペナルティ大幅軽減(30%→10%)
効果:全耐性上昇
下に、フレーバーが続く。
『かつてこれを手に入れた者は、老いに縛られぬ身となったという。
だが永遠は祝福だけではなく、彼はやがて姿を消した。
その羽根だけが、今もなお再生の熱を宿してる』
……やばい。
声が出そうになって、慌てて唇を噛む。
でも、胸の内側が一気に跳ねたのは止められない。
「
俺は思わず、装備欄を開いてイヤリング枠に指を当てる。
アイテムBOXの中で、不死鳥の羽根が淡い光を持ったまま揺れていた。
手で掴むようにして、そのまま枠へ滑らせる。
装備反映の小さな振動。
耳元に、熱が差す。
物理的に暖かい
……落ち着け。確認だ。
効果欄をもう一度、じっと見る。
蘇生。24時間。
そして、デスペナ。
普通なら──課金アイテムの天使の羽を使わない限り、死亡時のデスペナルティは30%から下がらない。
この羽根は、それを10%まで抑える。
「……10%だぞ」
思わず笑いが漏れる。
自分でも分かるくらい、顔が崩れてる。
神話級はめったに出ない。
エンドコンテンツでも、都市伝説みたいに扱われてたやつだ。ソロだろうがパーティだろうが、運がなければ一生縁がない。
……俺は、運がいい。
幸運なことに、神話級の装備はこれで3つ目だ。
大神降ろし。雷雲の軌跡。──そして、不死鳥の羽根。
でも、だからって慣れるわけじゃない。
むしろ分かる。神話級は“当たり”じゃない。“世界が変わる”類だ。
俺はもう一度、効果欄を見た。
蘇生。24時間。
デスペナルティ10%。
全耐性上昇。
「……これ、やばいな」
声が勝手に上ずる。
嬉しさが、胸の内側で暴れてる。
手に入った瞬間の熱が、まだ冷めない。
何度引いても、神話級は特別だ。
なのに今、俺の耳に付いてる。
「勝った」
小さく言って、もう一度だけ、ステータス欄を開く。
LUKが跳ね上がっていて、数字がやけに頼もしく見えた。
さっきまでの静かな達成感が、今は別の形で燃えてる。
“嬉しい”って感情が、こんなに分かりやすく出るのは久しぶりだった。
俺は喜びをいったん飲み込んで、次へ指を動かした。
装備じゃない。称号だ。
称号タブを開き、表示された一覧を指でスクロールする。
【称号:深淵単独踏破者】
【称号:半神半人(デミゴット)】
まず、上。
俺は【深淵単独踏破者】を叩いた。
枠が反応して、詳細が展開する。
【深淵単独踏破者】
効果:恐怖耐性上昇
効果:孤影補正(ソロ時 与ダメ+5%/被ダメ-5%)
読み終えた瞬間、背中の深淵のマントが、さらに静かに馴染んだ気がした。
重さが増えたわけじゃない。意識の置き所が、少し落ち着く。
「恐怖耐性か……」
攻撃や回避の反応遅れる状態異常だ厄介な状態異常だが使う敵はめったにいない。
あまり欲しい効果ではなかったが、こっちはおまけだろう。
孤影補正の方はなかなかに強い
俺は称号タブを閉じ──そこで、ふと手が止まった。
「……もう1つ、あったな」
称号画面じゃなく、ステータスを開く。
いつもの数値欄の下。称号欄。
そこに、新しく追加された文字があった。
【
タップする。
しかし詳細を展開しても分からなかった
効果:???
詳細:???
「……隠し効果?」
一切の説明が伏せられている。
条件未達成か。
それとも段階解放タイプか。
まぁ今は置いておこう。
俺は称号画面を閉じた。
普通なら──ここで、帰還用の転移陣が現れる。
いつもの流れだ。ボスが灰になって、ドロップが流れて、区切りがつく。
だから、俺は何の疑いもなく床を見た。
光の輪が浮かぶ場所を、無意識に探して──
「……ない?」
静寂だけが残っている。
転移陣の気配が、どこにもない。
代わりに。
ボス部屋の奥。玉座のさらに向こう。
岩壁だったはずの場所が、薄く歪んだ。
ひび割れるように闇が走り、次の瞬間──扉の輪郭が浮き上がる。
金属音も、石が削れる音もない。ただ“そこにあった”みたいに、扉が現れた。
「……なんだよ、それ」
事前情報でも、こんな話は一切ない。
聞いたこともない。知ってるはずがない。
このダンジョン、クリア者は多い。
上澄みだけじゃなく、周回勢もいる。攻略サイトも動画も山ほどある。
それなのに──この扉の存在は、どこにも出てこない。
考えられるのは、条件分岐。
ソロ。ノーデス。
あるいは称号を取った瞬間だけ、開く何か。
「ソロ攻略特典……か?」
そう思った途端、胸の奥が熱くなる。
こういう“寄り道”があるから、ゲームはやめられない。
寄り道をしている瞬間が、一番楽しい。
効率だけ追ってたら触れられない場所。知らない景色。知らない仕掛け。
俺は迷わず、扉へ歩いた。
近づくほど、深淵のマントが微かに重くなる。
嫌な重さじゃない。背中を押されてるみたいな重さ。
扉に手をかける。
取っ手は冷たい。
でも、指の腹にだけ、熱が伝わってくる気がした。
「行く」
押す。
抵抗はほとんどない。
扉は、音も立てずに開いた。
奥は短い通路。
足音だけが、やけに響く。
壁は黒い石。天井は低い。まっすぐで、逃げ場がない形。
突き当たりの小部屋。
中央の台座に、一冊の本が置かれている。
黒い装丁。金の文字。
『再誕の書』
俺は一歩、間合いを詰めた。
いつものアイテムなら、ここでポップアップが出る。
……出ない。
「アイテムじゃないのか?」
でも、台座の本は確かに“ある”。
UIが無視してるだけ、みたいな違和感。
俺は手を伸ばしかけて止め、先に鑑定を使う。
視界が一瞬だけ白く走り、本の上に情報が浮かび上がった。
【再誕の書】
効果:レベルを失い、新たな世界に転生します
「……は?」
一瞬、思考が止まる。
新たな世界?
“転生”。
そんな単語、ゲーム内で見た覚えがない。
俺は唾を飲み、もう一度だけ文字をなぞる。
変わらない。見間違いじゃない。
「未開拓領域か」
隠しエリア。
隠しサーバー。
あるいはレベルリセット型の高難易度コンテンツ。
神話級単独踏破者限定の、裏ルート。
──そういうの、嫌いじゃない。
むしろ、最高だ。
俺は口角を上げたまま、台座に手を置く。
本の表紙は意外と温かい。生き物みたいに。
「レベルを失う、ってのが気になるけど……」
ここまで来て、引き返す選択肢はない。
寄り道の先に何があるか。知らないから面白い。
俺は本を持ち上げ──
その瞬間、指先がじり、と焼ける。
熱い、じゃない。
熱が“染みてくる”。皮膚の内側へ、ゆっくり入り込む感じ。
視界の端で、UIが一度だけ乱れた。
ログが、表示されかけて、消える。
「……?」
本が、軽く脈打った。
まるで、俺の鼓動に合わせているみたいに。
俺は息を止めて、鑑定文をもう一度見た。
【再誕の書】
効果:レベルを失い、新たな世界に転生します
「……行こう」
そう呟いて、俺は本を開いた。