神殺しのデミゴット   作:ののじん

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第10話 鈴を踏む

 倉庫へ向かう道は、暗い方を選んだ。

 暗いから安全、じゃない。

 暗い方が“刃を出す場所”になる。だから、こちらも覚悟を決めやすい。

 

 護衛は先頭に立たない。

 先頭は俺だ。目立つ装備を前に置いて、相手の動きを歪ませる。

 背後は護衛が締める。

 ヘルミーナ様と侍女は、その内側。影の中心だ。

 

 人の多い通りを一度だけ横切り、すぐに外れへ抜ける。

 灯りが減る。声が薄くなる。

 代わりに、足音が浮く。

 

 俺は左手を柄に添えたまま、角を曲がるたびに反射を拾った。

 窓。水たまり。磨かれた看板。

 追ってくる影が、まだいる。

 

 護衛が小さく言った。

 

「2つ。いや、3つだ」

「増えた?」

「入れ替わった。……先回りがいる」

 

 先回り。

 つまり、倉庫へ向かうことは読まれている。

 読まれているのに行く。行かないより、行く方が勝つ。

 

 ヘルミーナ様が静かに言う。

 

「倉庫に、受け取り役が残っている可能性もあります」

「あります。だから、こちらから潰します」

 

 護衛が即答した

 守るために動くなら、先に手を出すしかない。

 

 運び役の男が、震える声で言った。

 

「……白い線が二本。壁に、二本。あれが見えたら、すぐ裏だ。裏に小さい戸が――」

「分かった。喋るな。息だけ整えろ」

 

 護衛が遮る。

 情報はもう聞いた。今は、余計な声が危険だ。

 

 路地が細くなる。

 湿った匂い。木と埃と、腐りかけた野菜の匂い。

 住む場所じゃない。物の場所だ。

 

 遠くで、鈴が鳴った。

 今度は一度じゃない。短く二回。

 合図の種類が違う。

 

 護衛が言った。

 

「……倉庫側の合図だ」

「中にいる?」

「いるか、来るか。どっちにしても近い」

 

 角をもう一つ曲がる。

 そこで、白い線が見えた。

 

 壁に二本。

 雑に引いた白。汚れているのに、線だけは新しい。

 目印として機能している。

 

 運び役の男が息を呑んだ。

 

「……ここだ」

 

 護衛が即座に男を後ろへ下げた。

 ヘルミーナ様と侍女も、壁の陰へ。

 俺だけが前へ出る。

 

 倉庫は低い。

 扉は大きいが閉まっている。

 裏手に、小さい戸。確かにある。

 

 路地の端に、物乞いみたいな格好の男が座っていた。

 帽子を深く被り、手を差し出している。

 だが、指先が綺麗だ。

 汚れが“演技”の汚れだ。

 

 俺と目が合った瞬間、男のまばたきが一度止まった。

 止まって、すぐに目を逸らす。

 気づいていないふり。気づいている目。

 

 護衛が、息だけで合図を送る。

 俺は頷かない。頷けば見られる。

 代わりに、足の角度を変えた。

 

 見張りの前を通り過ぎるふりをして、距離を詰める。

 詰めて、詰めて、詰めて――

 

 男が、立ち上がった。

 

 立ち上がり方が速い。

 物乞いの動きじゃない。

 腰のあたりで、布が揺れる。刃がある。

 

 俺は抜かない。

 でも、鞘を前へ出す。

 

 男が低く言った。

 

「……迷子か」

「通り道」

「ここは通り道じゃない」

 

 言葉の裏がはっきりしている。

 来るな。戻れ。

 戻らないなら――。

 

 護衛の足音が、背後で止まった。

 止まっただけで、空気が締まる。

 

 男の視線が俺の後ろへ流れた。

 流れた瞬間、判断が遅れる。

 

 俺はその遅れに合わせて、一歩だけ入った。

 鞘で男の手首を押し流す。

 押し流して、壁へ当てる。

 

 短い呻き。

 声を上げさせない。

 

 護衛が男の背後へ回り、口を塞いだ。

 そして、首筋に肘を入れる。

 

 男の身体が、力を失う。

 

 倒れる音が出ないように、俺が受け止めた。

 重い。だが、落とさない。

 

 護衛が低く言う。

 

「……静かに済んだ」

 

 ヘルミーナ様が、壁の陰から言った。

 

「中に入れますか」

「入れる」

 

 俺は小さい戸へ向かった。

 鍵穴。古い。だが、手入れされている。

 使われている倉庫だ。

 

 護衛が道具を出す――そういう動きはない。

 代わりに、鍵を“知っている手”で触れる。

 針金。薄い金具。

 短い時間。

 

 カチ、と小さな音がした。

 

 戸が開く。

 暗い空気が流れ出る。

 

 中は埃の匂い。

 そして――灯りが一つだけ、奥で揺れている。

 

 鈴の音が、近い。

 

 俺は息を整えた。

 左手が柄を握り直す。

 

 抜くなら、ここからだ。

 

 俺は一歩、闇へ入った。

 

 空気が違う。外の夜より重い。埃と油と、古い木の匂いが肺に絡む。

 足元の板が鳴かないように、重心を落として進む。

 

 背後で、護衛が戸を半分だけ閉めた。

 閉め切らない。逃げ道は残す。音は殺す。

 手順が“慣れている”。

 

 灯りが一つ、奥で揺れていた。

 その周りに木箱と麻袋。積み方が雑に見えて、通路だけは不自然に空いている。

 通るための空き方だ。人が出入りしている。

 

 俺は視線だけで合図を送った。

 奥。灯り。通路。

 護衛が小さく頷く気配がした。

 

 ヘルミーナ様の声が、背後で小さく落ちる。

 

「……静かですね」

「静かすぎる」

 

 護衛が返す。

 言葉が短いのに、意味だけ重い。

 

 俺たちは通路の陰へ滑り込んだ。

 灯りの縁に入らない距離で止まる。

 

 そこで、気配が一つ。

 

 灯りの向こう側。麻袋の山の陰。

 誰かが座っている。息が浅い。目が開いている。

 

 見張りだ。

 起きているのに、動かない。

 動けばこちらに気づかれると分かっているから、動かない。

 

 護衛が俺の横まで来て、ほとんど口を動かさずに言った。

 

「……1人」

「奥にいるかも」

「いる前提で動く」

 

 その言葉の直後、ヘルミーナ様が背後で一歩、布を踏んだ音がした。

 小さい。けど、この暗さでは十分。

 

 見張りの目が、こちらへ向く。

 

 俺は即座に、灯りの縁へ踏み込んだ。

 見張りの視線を俺に引き付けるためだ。

 

 見張りが立ち上がる。

 手が腰へ行く。短い刃。

 

 俺は抜かない。

 鞘を前へ出す。

 

「誰だ」

 

 声は低い。

 怒鳴らない。怒鳴ると外へ漏れる。

 

 俺は短く返した。

 

「通る」

「通さねえ」

 

 見張りが刃を抜こうとした瞬間、護衛が背後から入った。

 口を塞ぐ。首筋に腕。

 体勢が崩れる。

 

 見張りの目が見開かれたまま、声が出ない。

 足が空を蹴る。

 数秒で力が抜ける。

 

 俺は灯りの縁から下がり、倒れる体を受け止めた。

 床に落とさない。音を出さない。

 

 護衛が耳元で言う。

 

「……進む」

 

 俺は頷いた。

 

 灯りの側を抜ける。

 通路の先に、もう一つの戸がある。

 倉庫の中に、さらに区切りがある構造だ。

 

 運び役が言っていた。

 “中のやつは顔を見せない”。

 

 つまり、この奥が本命。

 

 俺は戸の前で止まり、気配を探った。

 薄い。だが、いる。二つ。

 そして、鈴の音が近い。今度は鳴っていないのに、気配として近い。

 

 護衛が俺の肩越しに覗き、鍵穴を見る。

 

「細工だな」

 

 罠の匂い。

 開けた瞬間に鳴る鈴。あるいは針。

 街の裏のやり方だ。

 

 護衛は手を出さない。

 代わりに、ヘルミーナ様を振り返った。

 

「お嬢様。下がって」

「分かりました」

 

 ヘルミーナ様はすぐに一歩引き、侍女の肩へ手を添えた。

 侍女も黙って頷く。震えているが、声は殺せている。

 

 護衛が、俺に視線だけを投げる。

 

 ――抜くか。

 

 俺は左手の力を強めた。

 抜けば早い。

 でも、ここで抜いて金属音を出すのは良くない。

 

 俺は鞘の先で、鍵穴の周りを軽く叩いた。

 叩いた瞬間、奥で何かが揺れる気配。

 罠の糸が張っている。

 

 護衛が小さく息を吐いた。

 

「鈴だ。開けたら鳴る」

「鳴らさず開ける方法は」

「ある。だが時間が要る。……その間に来る」

 

 来る。

 つまり、外にも手がいる。

 今夜、ここは“待ち合わせ”じゃなく“回収”の場だ。

 

 奥の方で、誰かの声がした。

 低い。男。距離があるのに、はっきり聞こえる。

 静かに喋っているのに、通る声。

 

「……遅いな。運びが違うのか」

 

 もう一人が答える。

 

「路地で揉めた。だが今夜中に回る。印は……戻ってない」

 

 戻ってない。

 向こうはまだ確信していない。

 だからこそ、今ここで押さえれば、主導権を取れる。

 

 ヘルミーナ様が小さく言った。

 

「セキサメさん。……鳴らしても構いません。ここで終わらせましょう」

 

 丁寧な声のまま、決裁だけ鋭い。

 逃げじゃなく、終わらせる判断だ。

 

 護衛が頷く。

 

「なら――強行」

 

 俺は息を整えた。

 抜く。

 

 柄にかけていた左手が、そのまま引く。

 刃が闇を割る。

 

 俺は戸の前に立ったまま、言った。

 

「開ける」

 

 護衛が短く返す。

 

「一気に行け」

 

 次の瞬間、俺は戸を蹴った。

 罠の鈴が鳴る前に、空間を制圧するために。

 

 戸が開ききる。

 灯りが二つ。

 そして、こちらを向いた男が2人――腕に、同じ形の印を付けていた。

 

 ひとりが、目を細める。

 

「……誰だ」

 

 もうひとりは、俺の刀を見て、笑いもしないまま言った。

 

「違う。こいつは“運び”じゃない」

 

 俺は刀を構えた。

 

 抜いた以上、迷わない。

 ここは闇だ。

 闇に入った刃は、戻らない。

 

 俺が一歩入った瞬間、部屋の空気が固まった。

 灯りは油皿が2つ。壁際に机、床に帳面束。奥に麻袋と木箱が積まれている。

 倉庫の奥の奥。ここは“受け取り”の部屋だ。

 

「誰だ」

 

 先に言った男は、腰を落とす。

 剣じゃない。短い刃。振るためじゃなく、刺すための形。

 

「護衛だ」

 

 俺は短く返した。

 名乗る必要はない。ここでは名が武器にならない。

 

「護衛がここに来る理由はない」

 

 もう一人が淡々と言う。

 目は俺の刀じゃなく、背後を見た。俺の後ろの気配を数えている。

 

 護衛が入ってくる気配。

 ヘルミーナ様は戸の外。侍女も外。

 正しい配置だ。

 

 男が、俺の腰元の黒い鞘へ視線を落とした。

 わずかに眉が動く。

 

「……それ、業物だな」

「通すな」

 

 短い刃の男が、相方に言い捨てる。

 会話を切る。つまり、やる。

 

 俺は刀を水平に構えた。

 狭い部屋だ。振り回すと壁に当たる。

 だから振らない。最短で終わらせる。

 

 男たちが同時に動いた。

 片方が正面から詰める。もう片方が横へ回って、戸口を見に来る。

 逃げ道を塞いでから殺す手順。

 

 俺は横へは動かなかった。

 横へ動けば、戸口が空く。

 俺の役は“通路”を守ることだ。

 

 正面の男が踏み込む。

 短い刃が、腹じゃなく喉の高さに来る。

 狙いが速い。

 

 俺は、刀身で受けず鞘で払う。

 払って、相手の手首を外へ流す。

 

 刃が空を切る。

 その瞬間だけ、男の重心が浮いた。

 

 俺は踏み込んで、柄頭で相手の肋へ軽く当てた。

 殴るんじゃない。息を止める。

 

 男の呼吸が詰まる。

 声が出ない。

 

 その間に、横の男が動いた。

 戸口の外へ出る角度。護衛とぶつけるためだ。

 

 俺は刀を戻し、最短で刃先を見せた。

 見せただけで止まる距離。

 

「通るな」

 

 男の足が止まる。止まるが、引かない。

 仕事の目だ。命令がある。

 

「……お前、ただの剣士じゃねえな」

 

 男が低く言った。

 言葉の意味は、褒めじゃない。警戒だ。

 

 正面の男が息を整え直し、刃を構え直す。

 

「印を持ってるか」

 

 俺は答えない。

 答える必要もない。ここで口を開いた時点で、主導権を渡す。

 

 代わりに、俺は一歩だけ前へ出た。

 灯りの中へ。相手の視界を俺で埋める。

 

 護衛の声が背後から入る。

 

「そこまでだ」

 

 戸口に護衛が立った。

 低い声。短い言葉。

 それだけで、横の男の肩がわずかに跳ねた。

 

 男たちの視線が分かれる。

 割れた瞬間が、隙だ。

 

 俺は最短で斬った。

 斬ると言っても、深くは入れない。武器を落とす角度だけを取る。

 

 短い刃が床に落ちる。

 金属音が、乾いて響いた。

 

 ――音が出た。

 想定内だ。ヘルミーナ様も許した。

 ただ、その分だけ“時間”が減る。ここから先は長引かせない。

 

 横の男が舌打ちして、懐へ手を伸ばす。

 鈴だ。合図用。

 

 俺は踏み込んだ。

 届く前に、鞘で手を叩き落とす。

 鈴が転がる。鳴る前に、護衛が踏んで止めた。

 

 護衛が低く言う。

 

「……合図は潰した」

 

 正面の男が、薄く笑った。

 

「潰しても同じだ。ここで鳴らさなくても、外は動いてる」

 

 外。

 つまり、別働がいる。

 この倉庫の周囲に、もう手が回っている。

 

 ヘルミーナ様の声が、戸の外から聞こえた。

 

「セキサメさん。印は、こちらにあります。あなたは前を」

 

 丁寧な声。

 でも、決裁は揺れていない。

 

「分かった」

 

 俺は短く返した。

 

 正面の男が、机を蹴った。

 帳面束が散る。灯りが揺れる。視界が一瞬乱れる。

 その乱れで、間合いを詰めてくる。

 

 俺は下がらない。

 代わりに、刀を立てて体の中心に置いた。

 狭い部屋の戦い方だ。最小の動きで、最大を取る。

 

 刃が来る。

 俺は躱して、相手の腕を払って、膝を崩す。

 

 男が床へ片膝をつく。

 そこで止める。追い込みすぎない。追い込むと叫ぶ。

 

 護衛が、もう一人を押さえ込んだ。

 壁へ当てて、動きを封じる。

 組み伏せる動きが綺麗すぎる。これが“騎士”の制圧だ。

 

 部屋の中の音が、急に小さくなる。

 灯りの油が、静かに揺れているだけになる。

 

 俺は刀を下げないまま、男を見た。

 

「誰の手だ」

 

 男は、口の端だけを動かす。

 

「……金鈴亭だ」

「嘘」

 

 俺は即座に切った。

 ここで“金鈴亭”だけで終わるなら、雑すぎる。

 こいつらの動きは、店の用心棒の動きじゃない。

 

 男の目が、ほんの一瞬だけ動いた。

 その一瞬で十分だった。

 

「……上の命令だ。お前らが触れていいものじゃない」

 

 “上”。

役所でも、ただの店でもない。

こいつらがこういう動きをできる“後ろ”がいる。

それ以上は、今の俺には分からない。

 

 護衛が低く言う。

 

「お嬢様。ここは押さえました。外へ」

 

 ヘルミーナ様が、即答した。

 

「はい。戻ります。……セキサメさん、退きます」

 

 退く。

 勝ったから退く。

 印は確保している。ここで粘る意味は薄い。

 

 男が、悔しそうに息を吐いた。

 

「……次は兵が来る」

「来させるな」

 

 護衛が短く言い捨てる。

 

 俺は刀を一度だけ男に向けてから、視線を外へ流した。

 倉庫の外の気配が、少しずつ近づいている。

 

 遅い。けど、来る。

 

 俺は言った。

 

「行くぞ。今は離脱だ」

 

 護衛が頷く。

 

「同意だ。音を立てずに、早く」

 

 俺は戸口へ戻る。

 ヘルミーナ様の横に立ち、前へ出た。

 左手は柄に添えたまま。

 

 抜いた刃は、まだ鞘に戻さない。

 戻すのは、灯りの外へ出てからだ。

 

 闇の外へ出るまでが、戦いだ。




アマテラス「んふふ……赤雨よ。
今宵は“鈴”に踊らされる番ではないぞ。
鳴ったのなら鳴ったでよい――妾の刃で、次の音を消してしまえ。
静かに勝てぬなら、綺麗に終わらせよ。
血も言葉も、余計に撒くでない」
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