神殺しのデミゴット   作:ののじん

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第13話 夕方までの距離

 鍵束が、震えた。

 

 番頭の指先は、錠前に触れたまま止まっている。

 逃げたい。けれど逃げれば終わる。

 そういう顔だ。

 

 棚の前に並ぶ箱は、どれも同じ形をしていた。

 同じ材。同じ金具。

 “揃っている”のが、逆に不自然だった。質屋なら箱の癖が出る。客が持ち込むものは揃わない。揃うのは――店側のものだ。

 

 俺は左手を柄頭から離して、体の横へ下げた。

 刃はしまった。ここから先は、抜かない。

 

 護衛が低く言う。

 

「変な真似はするな。手だけ動かせ」

 

 番頭が息を飲み、鍵を回した。

 

 金具が、軽く鳴った。

 鈴より小さい。

 でも、今はその音が妙に甘く聞こえる。

 

 箱の蓋が、少しだけ浮く。

 番頭の喉が鳴った。

 

「……見たら、戻れなくなるぞ」

 

 護衛が即答した。

 

「戻る気はない」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言う。

 

「私たちは、もう戻れません。ですから、今ここで終わらせます」

 

 番頭の目が揺れた。

 ヘルミーナ様の声は静かで、強い。

 脅しじゃない。決裁だ。

 

 護衛が蓋に指をかけ、開けた。

 

 中身は――印ではない。

 印は昨夜、もう戻っている。

 ここにあるのは、別のものだった。

 

 薄い帳面。封蝋の道具。小さな鈴。

 札が数枚。紙片が束ねられている。

 “取引の道具”が、まとめて入っていた。

 

 質屋の箱じゃない。

 連絡と管理の箱だ。

 

 護衛が帳面を開いた。

 数字と、短い符号。

 品名の代わりに、記号。

 日付らしい並び。

 そして、店の印とは違う封蝋の跡が、何度も押されている。

 

 ヘルミーナ様が静かに言う。

 

「……これが、材料ですね」

 

 護衛が頷く。

 

「十分だ。金鈴亭は“ただの質屋”じゃない」

 

 番頭が唇を噛んだ。

 

「それは……俺の店じゃない。預かってただけだ」

 

「預かった相手は」

 

 護衛が詰める。

 

「言えない」

「言えないなら、言えるものを出せ」

 

 護衛が箱の中の紙片を指で弾いた。

 

 紙片には、短い文が一行。

 宛名はない。署名もない。

 だが――合図の取り方が書かれていた。

 

 “鈴は二度。返しは一度。場所は灰の壁”

 

 灰の壁。

 街のどこかに、そう呼ばれる場所がある。

 俺は知らない。

 でも、護衛は知っていそうな顔をした。

 

 護衛が低く言う。

 

「……城壁裏の古い灰塗りだ。倉庫街の外れ」

 

 ヘルミーナ様が頷く。

 

「次の受け取り場所ですね」

 

 番頭が、乾いた笑いを漏らした。

 

「……そこに行けば、死ぬぞ。あんたらの方が先に消える」

 

 護衛が淡々と言う。

 

「脅しは要らない。……行くかどうかは、こちらが決める」

 

 ヘルミーナ様が一拍置いて言った。

 

「私たちは、行きます。ただし、手順を踏みます」

 

 番頭の目が細くなる。

 

「手順?」

「教会と、衛兵です」

 

 ヘルミーナ様の声は丁寧なままだ。

 でも、“逃がさない”言い方だった。

 

「証拠がここにあります。これを持って、正規に動かします。あなたは――逃げないでください」

 

 番頭が鼻で笑った。

 

「逃げない? 逃げた方が生き残る」

 

 護衛が番頭の肩を壁へ押し付ける。

 

「お前は逃げられない。逃げれば、外の連中に消される。……こちらに付け。生きたいのならな」

 

 番頭の顔から血の気が引いた。

 それが答えだ。

 “上”は、裏切りを許さない。

 

 表の方で、鈴が鳴った。

 客の出入り。

 昼の普通の音。

 

 でも、今はその普通が邪魔だった。

 ここで騒げば、店の顔が割れる。

 割れた瞬間、逃げる者が出る。

 逃げる者が出た瞬間、外が動く。

 

 護衛が言う。

 

「撤収する。……ここで終わらせるな。終わらせるなら“公”の前だ」

 

 ヘルミーナ様が頷く。

 

「はい。セキサメさん、お願いがあります」

 

「何だ」

 

「店の表へ戻るまで、刀に触れないでください。怖がらせたくありません」

 

「分かった」

 

 俺は短く返した。

 刀は腰にある。

 あるだけで十分だ。触れない方が、逆に効く時もある。

 

 護衛が箱の中身を布でまとめ、布包みに戻した。

 帳面も、鈴も、札も。

 必要なものだけを取る。余計なものは残す。

 “盗みに来た”形にしないための手順だ。

 

 番頭が声を絞り出す。

 

「……店は」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「店は、あなたが守ってください。今日ここで騒ぎを起こせば、あなたは終わります。静かにしていれば、まだ残せます」

 

 番頭が唇を噛んで、頷いた。

 頷くしかない。

 

 部屋を出る前に、護衛が扉の外を一度だけ見た。

 廊下の影は減っている。

 さっき制圧した男たちは、動けないまま押さえられている。

 表へ出る道は通る。

 

 俺たちは店の奥から戻った。

 番頭は先に出て、笑みを作った。

 顔が引きつっているのに、客は気づかない。気づきたくない。

 

「お待たせしました。……少し行き違いがありまして」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に頷く。

 

「お時間をいただき、ありがとうございました」

 

 そのやり取りだけで、店の表は“何もなかった”まま流れる。

 

 店の外へ出る。

 朝の光が眩しい。

 息が少しだけ楽になる。

 

 護衛が低く言う。

 

「尾はいる。だが近寄れない。……昼は目が多い」

 

 ヘルミーナ様が頷く。

 

「教会へ戻ります。神官に話し、衛兵へ繋ぎます」

 

 侍女が小さく言った。

 

「……また、追ってきますか」

「追ってきます」

 

 ヘルミーナ様は即答した。

 怖がらせるためじゃない。前提の共有だ。

 

「ですが、こちらも追わせません。朝のうちに、こちらの形を作ります」

 

 俺は歩きながら、布包みの重さを意識した。

 中身は、刃じゃない。

 でも刃より切れるかもしれない。

 

 護衛が言う。

 

「“灰の壁”は夕方だ。……それまでに、公を動かす」

 

 ヘルミーナ様が頷く。

 

「はい。夕方に備えます」

「“灰の壁”……?」

 

俺が呟くと、護衛が短く答えた。

 

「城壁裏の外れだ。灰色の塗り壁が残ってる区画がある。人が寄らない」

 

 夕方。

 また、鈴が鳴る時間だ。

 

 俺は左手を、無意識に柄頭へ添えかけて、やめた。

 今は触らない。

 刀より先に、街の手順が動く。

 

 教会の尖塔が見えてきた。

 昼の鐘はまだ鳴っていない。

 だが、ここから先は“公”の線の内側だ。

 

 俺たちは、朝のうちに形を作る。

 夕方に、形の強さを試される。

 

 そして――その試し方は、きっと優しくない。

 

 教会へ戻る道は、行きよりも短く感じた。

 人の流れは増えているのに、俺の意識は前だけを見ている。

 背後の気配を拾いながら、それでも振り返らない。

 

 石段を上がる。

 扉の前で、護衛が一度だけ周囲を見て、それから押した。

 

 中の空気が冷たい。

 蝋と石と、静けさの匂い。

 

 神官は、祭壇の近くにいた。

 朝の祈りを終えた直後らしく、布を畳んでいる手が止まった。

 

「お戻りですか」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に頭を下げる。

 

「はい。お時間をいただけますでしょうか。……確認が取れました」

 

 護衛が布包みを、机の上に置いた。

 神官の視線が一瞬だけそこへ落ちる。

 

「中身は?」

 

「見せるのは必要な分だけだ」

 

 護衛が淡々と答える。

 

 神官が頷いた。

 

「では、こちらへ」

 

 礼拝堂の脇の小部屋へ案内された。昨夜の控え室より少し広い。

 机と椅子、そして書き物の道具。

 “話を記録する部屋”だ。

 

 扉が閉まると、空気がまた一段静かになった。

 

 護衛が布包みを開く。

 帳面。鈴。札。紙片。封蝋の跡。

 神官の目が細くなる。

 

「……これは、質屋のものではありませんね」

 

「そうだ」

 

 護衛が頷く。

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言う。

 

「金鈴亭の奥で、これが出ました。昨夜の“運び”の連絡も、含まれています。“灰の壁”という符牒も」

 

 神官は紙片を見て、短く息を吐いた。

 

「……灰の壁。嫌な符牒ですね。そこを使う連中は、まともじゃありません」

 

 神官が続ける。

 

「教会としては、ここで私的な争いに関与はできません。ですが、街の治安が乱れる話なら別です。衛兵へ繋ぎましょう」

 

 護衛が頷く。

 

「それでいい」

 

 神官が机の上の鐘を、小さく鳴らした。

 控えめな音。鈴とは違う、まっすぐな音。

 

 数分後、衛兵が1人入ってきた。

 鎧は軽い。剣も飾りじゃない。

 目が慣れている。話の扱いに慣れている目だ。

 

「神官殿、どうしました」

 

 神官が言う。

 

「街の治安に関わる可能性があります。こちらの方々が、質屋の裏で取引の道具を押さえました」

 

 衛兵の視線が布包みに落ち、次にヘルミーナ様へ移る。

 身分を測る目。

 護衛へ。

 俺へ。

 最後に侍女へ。

 

 ヘルミーナ様は、名を出さずに言った。

 

「本日中に“灰の壁”で受け渡しがある可能性があります。鈴の合図も記されています。衛兵の立ち会いをお願いしたいのです」

 

 衛兵が紙片を見て、眉を寄せた。

 

「……確かに符牒だ。だが、これは弱い。現場がないと動きにくい」

 

 護衛が低く言う。

 

「現場は作る。……夕方だ」

 

 衛兵が護衛を見て、少しだけ間を置いた。

 

「あなた方が勝手に動けば、揉め事になる。教会を巻き込めば、こちらも動かざるを得ない。……だが、条件がある」

「言え」

 

 護衛が短く返す。

 

「こちらの指揮に従うこと。勝手に斬らないこと。市民に被害を出さないこと」

 

 護衛が頷いた。

 

「同意だ」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「もちろんです。私たちは“騒ぎ”を望んでおりません。必要なのは、確保と裏付けです」

 

 衛兵の目が侍女へ移り、僅かに和らぐ。

 

「……分かった。夕方、灰の壁に人を回す。だが、人数は多くできない。相手に気づかれる」

 

 護衛が即答した。

 

「少数でいい。目を増やすのは、こっちでやる」

 

 衛兵が眉を上げかけて、すぐ戻した。

 

「……勝手はするなよ」

 

「分かってる」

 

 俺が短く言うと、護衛が横目だけで釘を刺した。

 余計な口を出すな、という合図。

 俺は頷いて黙る。

 

 衛兵が出ていく。

 部屋に残ったのは、神官と俺たちだけ。

 

 神官が静かに言った。

 

「ここから先は、街の線引きです。あなた方が“正しい側”でいるなら、守られる」

 

 ヘルミーナ様が頷く。

 

「はい。……ありがとうございます」

 

 小部屋を出たところで、護衛が言った。

 

「夕方まで時間がある。準備する」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言う。

 

「軽く食事を取りましょう。動ける状態を保ちます」

 

 侍女が小さく頷いた。顔色が少し戻っている。

 それだけで、今朝の意味がある。

 

 俺は歩きながら、腰の刀を確かめる。

 触れない。

 でも、ある。

 

 夕方に向けて、準備をする。

 今度は俺たちが待つ側だ。

 鈴が鳴るのを、待つ側だ。

 

 そして、鳴った時――その場にいるのは、俺たちだけじゃない。

 “公”の目も、そこにある。

 

 教会を出ると、昼の光が眩しかった。

 街はもう完全に動いている。

 人は増え、声も増え、足音が重なる。

 

 その重なりの中で、俺たちは目立たない動きを選ぶ。

 目立たない、というより――“普通”に溶ける努力だ。

 

 護衛が歩幅を落とさずに言う。

 

「昼飯は短く済ませる。腹に入れろ。夕方は長い」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に頷いた。

 

「はい。動ける状態を優先します」

 

 俺は周囲を見た。

 尾は、近い場所にはいない。

 だが、消えたわけじゃない。視線の奥に“気配”がある。

 

 露店の通りを抜け、裏手の食堂へ入った。

 昨日の宿とは違う。教会に近い、人の出入りが多い場所。

 逃げ道が多い。護衛が選ぶ店だ。

 

 店内は油の匂いと、煮込みの匂いが混ざっている。

 腹が、遅れて反応した。

 

 席は壁際。入口が見える位置。

 護衛が自然に左右へ散る。

 侍女はヘルミーナ様の隣。運び役は逃げられない位置に座らされる。

 

 店主が近づくと、護衛が短く言った。

 

「温かいもの。早いもの。水も」

 

 店主が頷き、すぐ引っ込む。

 注文を詰めない。余計な会話をしない。

 こういう店は、護衛が好む。

 

 料理はすぐに出た。

 野菜のスープ。香草の香り。

 焼いた肉を薄く切ったものと、硬めのパン。

 湯気が、今はありがたい。

 

 侍女がスープをすすり、ようやく肩から力が抜ける。

 昨日より少し、人の顔に戻っている。

 

 ヘルミーナ様が声を落として言った。

 

「夕方まで、時間はあります。ですが、油断はできません」

「できない」

 

 護衛が即答した。

 

「“灰の壁”に人を回すと言っても、衛兵の人数は限られる。……こちらの目で補う」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言う。

 

「こちらの目、とは具体的に?」

 

 護衛が答える。

 

「通りの目。裏の目。どちらも使う。……ただし、騒ぎは起こさない」

 

 俺はスープを飲みながら聞いていた。

 対人の戦いは、刃より前に“目”が動く。

 それが分かるだけで、胃の奥が少し重くなる。

 

 ヘルミーナ様が護衛に視線を向けた。

 

「確認しておきたいのですが。夕方、相手が来なかった場合はどうしますか」

 

 護衛が即答する。

 

「来なければ、来ない。それでいい。……来ないなら、相手は警戒している。警戒しているなら、次は別の手を打つ。その“次”を追う」

 

 ヘルミーナ様が頷いた。

 

「分かりました。来るなら確保。来ないなら、動きを追う。どちらでも前に進みますね」

 

 運び役の男が小さく言った。

 

「……俺は、どうなる」

 

 護衛が冷たく言う。

 

「生きたいなら、口を割れ。夕方までに、知ってることを全部吐け」

「全部は……」

「全部だ」

 

 男の顔が歪む。

 だが、ここで歪むのは正しい。現実に追いついた証拠だ。

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「あなたを無駄にしません。ですが、あなたも私たちを無駄にしないでください。協力するなら、守ります」

 

 男の目が揺れる。

 護衛の冷たさと、ヘルミーナ様の丁寧さ。

 その差が、逆に逃げ道を塞ぐ。

 

 食事を終えた。

 腹に入った熱が、身体を動かせる状態に戻す。

 

 護衛が立ち上がる。

 

「宿へ戻る。装備と、配置の確認だ」

 

 ヘルミーナ様が頷く。

 

「はい。侍女も休ませます。……夕方に備えます」

 

 外へ出る。

 昼の光が強い。

 影は薄い。けれど、消えない。

 

 通りを1つ、2つ。

 護衛は同じ道を使わない。

 人の流れに逆らわず、しかし最短でもない。

 “追う側”の癖を、自然に崩していく。

 

 俺は左手を遊ばせないように、柄頭に軽く触れかけて、やめた。

 今は触らない。

 触れば、気持ちが刃に寄る。

 

 宿の角が見えたところで、護衛が言った。

 

「……尾が変わった」

 

 俺は視線を動かす。

 確かに、気配の質が違う。

 今までの“見ているだけ”じゃない。

 もっと近い。もっと短い。刃の匂いがする。

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「来ますか」

 

 護衛が答える。

 

「来ない。……今はまだ。だが、夕方まで待たないかもしれない」

 

 街の戦いは、こちらの都合で進まない。

 夕方の前に、ひとつ揺さぶりが来る。

 

 その予感が、背中に張り付いて離れなかった。




アマテラス「くく……赤雨よ。問う相手が正しければ、血は減る。
……だが尾の匂いは変わった。気を抜くでないぞ」


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