神殺しのデミゴット   作:ののじん

16 / 22
第16話 夜が割れる

 廊下の向こうで、また扉が開いた。

 

 足音が近づく。速い。迷いがない。

 衛兵の歩幅だ。

 

 扉の隙間から、隊長格が顔を出した。

 眉間に皺が寄っている。嫌な報告の時の顔だ。

 

「来い」

 

 護衛が立ち上がる。

 俺も続く。

 ヘルミーナ様は一拍遅れて立った。表情は崩れていない。

 

 別室は狭かった。

 机と椅子。壁に釘。空気が乾いている。

 ここが“公”の中だと、嫌でも分かる。

 

 捕らえた3人のうち、鈴役だけが椅子に座っていた。

 顔は青い。だが、目だけがまだ強がっている。

 

 隊長格が言った。

 

「吐いた。鈴役は全部。運び役も半分。受け取り役は黙ってるが、箱の中身が仕事をしてる」

 

 護衛が短く言う。

 

「要点」

 

 隊長格が書記の紙を机に置いた。

 箇条書きだ。余計な言葉がない。

 

「灰の壁の受け渡しは、今日が初めてじゃない。定期で動いてる」

「窓口は金鈴亭。荷は別口。受け取り役は現場で替わる」

「鈴役は合図だけ。指示元は知らない、で一貫してる」

 

 ヘルミーナ様の目がわずかに動く。

 すぐ戻る。丁寧なまま、声だけ落とした。

 

「“もう動いている”の意味は分かりましたか」

 

 隊長格が頷いた。

 

「今日早い時間に、もう一つ“荷”が動いた。場所は北門の外」

 

 空気が変わる。

 詰所の中でも、影が濃くなる。

 

 護衛が言った。

 

「結果は?」

「止めた。部下を回して押さえた」

「だが、北門の荷車は中身がすり替わってた。箱は空。紙が1枚だけ入ってた」

 

 隊長格が紙を机へ置いた。

 宛名なし。署名なし。短い文だけが刺さる。

 

 “印は押さえた。次は人だ”

 

 俺は息を吐いた。

 言葉が刃だ。刃より軽くて、刃より深い。

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「……印、というのは」

 

 隊長格が首を振る。

 

「断定はできない。だが、今日の“押収”が向こうに伝わったのは確実だ」

「脅しじゃない。動きが伴ってる」

 

 護衛が低く言った。

 

「宿を変える。今夜だ」

 

 隊長格が頷く。

 

「それがいい。表立って護衛は付けられないが、目は回す」

「ただし、勝手に消えるな。こちらの線が切れる」

 

 護衛は淡々と返す。

 

「消えるなら、最初からここへ来ない」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「協力に感謝します。こちらも勝手はいたしません」

 

 隊長格が息を吐いた。

 

「よし。――もう一つ」

「鈴役が言った。次の合図は“今夜とは限らない”」

 

 護衛が言う。

 

「意味は」

 

「合図が要る時だけ鳴らす。今日は目くらまし。……本命は別の日、別の場所」

「だから今夜は、こちらの反応を見るだけで終わる可能性もある」

 

 護衛が短く頷いた。

 

「分かった。今日は“探り”だ。だが、探りでも人は取れる」

 

 隊長格が俺たちを見て言う。

 

「戻れ。宿へ戻る前に侍女を回収しろ。今から人の流れが変わる。夕方より夜の方が危ない」

 

 部屋を出る。

 廊下の空気が少しだけ軽い。軽いだけだ。安心じゃない。

 

 詰所の入口へ向かう途中、護衛が小さく言った。

 

「……人だ」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に返す。

 

「はい。印ではなく、次は人。そういう筋書きです」

 

 護衛が言った。

 

「脅しじゃない。……もう動いてる」

 

 その言葉を、俺は胸の奥で受け止めた。

 動いているなら――止めるしかない。

 

 外へ出る。

 日が落ちかけている。

 街の影が伸び、音がまた整い始めている。

 

 鈴は鳴らなかった。

 だが、鳴らない方が不気味だった。

 

 護衛が言った。

 

「宿へ戻る前に侍女を拾う。それから宿を捨てる」

 

 ヘルミーナ様が頷く。

 

「はい。静かに動きます」

 

 俺は左手を柄頭に置いた。

 抜かない。

 でも、もう一度抜くことになる気がしてならなかった。

 

 街は今日の続きの顔をしている。

 その顔の下で、別の手が動いている。

 

 詰所から離れると、空気が少しだけ広くなる。

 広いだけだ。安全じゃない。

 “公”の建物を出た瞬間に、目が増える。

 

 護衛が足を止めずに言った。

 

「ここから、顔を上げるな。視線は散らせ」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に頷く。

 

「はい」

 

 俺は頷くだけにして、通りの端を選んだ。

 人の流れの外側。

 ぶつけられた時に列が割れない位置。

 

 宿へ向かう道は、行きと同じにはしない。

 市場を抜け、布屋の角を避け、細い道を一つ挟む。

 追う側の癖を崩す手順。

 

 護衛が言う。

 

「尻尾の“動き”を見る。来るなら、ここで来る」

 

 俺は柄頭に置いた左手をそのままに、息を整えた。

 抜かない。

 でも、抜ける。

 

 角を曲がった瞬間、視線が一つ刺さる。

 二階の窓。

 すぐに消える。見えないふりが速い。

 

 護衛が小さく息を吐いた。

 

「……いる」

 

 ヘルミーナ様は声を落とした。

 

「分かりました。急がず、ただ進みます」

 

 宿の通りに入る。

 さっきより人が減っている。

 夕方の“戻り”が始まっているからだ。

 

 宿の前に、見慣れた護衛が立っていた。

 外に残していた男。背筋は崩れていない。

 

 俺が近づくと、男は短く言った。

 

「異常なし」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に頷く。

 

「ありがとうございます」

 

 護衛が続けて言う。

 

「侍女を出す。荷は最小。部屋は捨てる」

 

 店主の目が一瞬だけ動いた。

 また厄介事が来た、と言いたげだ。

 だが、商売人は顔に出しすぎない。

 

 階段を上がる。

 板の軋みが、昼より大きい。

 宿が“夜の顔”に移り始めている。

 

 扉の前で、護衛が一度だけ咳をした。

 合図。中へ知らせる。

 

 内側から、鍵の外れる音。

 扉が少し開く。

 侍女が顔を出し、ヘルミーナ様を見て息を吐いた。

 

「……お帰りなさいませ」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「ただいま。すぐに移動します。荷物は最低限だけで」

 

 侍女の顔が硬くなる。

 理由を聞きたい顔。だが聞かない。

 聞かないのは、もう分かっているからだ。

 

「はい……」

 

 侍女が部屋へ戻り、布袋を一つ手に取った。

 衣類。水。小物。

 余計な飾りはない。連れていく前提のまとめ方だ。

 

 護衛が言う。

 

「置けるものは置け。命が先だ」

 

 侍女が小さく頷く。

 

「はい」

 

 ヘルミーナ様が俺を見て、丁寧に言った。

 

「セキサメさん。すみません。急がせます」

「いい」

 

 短く返す。

 急がせるのは当然だ。

 

 部屋を出る前に、ヘルミーナ様が侍女へ言った。

 

「外では、私から離れないでください。転んでも、荷を落としても構いません。止まらないで」

 

 侍女が息を呑んで頷く。

 

「……はい」

 

 廊下に出る。

 宿の空気が変わっている。

 外の匂いが、少し濃くなった。扉が何度も開いたせいだ。

 

 階段を下りる。

 店主がこちらを見て、口を開きかけて閉じた。

 聞くな、と護衛の目が言っている。

 

 外へ出る。

 夕方の影が、もう夜の影に近い。

 

 護衛が言った。

 

「宿替えは“逃げ”じゃない。……形を変えるだけだ」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に頷く。

 

「はい。こちらの形を崩さず、相手の形だけを崩します」

 

 俺は少しだけ感心した。

 この人は、守られるだけじゃない。

 守られる形を理解している。

 

 通りを一つ、二つ。

 あえて人の多い道へ出る。

 それから、また細い道へ入る。

 見られてもいい場所と、見られたくない場所を交互に使う。

 

 護衛が小さく言った。

 

「……付いてきてる」

 

 俺は視線を上げずに、気配だけ拾う。

 後ろ。距離は遠い。

 だが、消えていない。

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「撒きますか」

「撒かない」

 

 護衛が即答する。

 

「撒いたら、次の手が見えなくなる。……今夜は“来るなら来い”でいい」

 

 俺は柄頭に置いた左手に、少しだけ力を入れた。

 抜くためじゃない。

 身体を落ち着かせるためだ。

 

 新しい宿は、表通りから一つ入った場所だった。

 派手じゃない。

 だが、入口が2つある。裏口がある。

 護衛が選ぶ条件を満たしている。

 

 護衛が店主に短く話し、鍵を受け取る。

 説明は最小。金は先に出す。

 相手に考える時間を与えない。

 

 部屋へ入る。

 鍵を掛ける。

 窓を確認する。

 背中に壁ができる。

 

 護衛が言った。

 

「ここで一度、止まる。……今夜、向こうが来るなら、ここに来る」

 

 侍女が小さく震えた。

 

「……ここに、ですか」

 

 ヘルミーナ様が侍女の手を取り、丁寧に言った。

 

「大丈夫です。ここは守れます。あなたは私の後ろにいてください」

 

 護衛が俺を見る。

 

「セキサメ。外の気配を読む。窓際じゃなく、壁際だ。見える場所に立つな」

 

「分かった」

 

 俺は窓から少し離れた位置に立ち、外の音を拾った。

 通りの足音。

 笑い声。

 遠くの戸締まり。

 そして――同じ歩幅。

 

 護衛が続ける。

 

「今夜の狙いは“人”だ。印じゃない」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「私を攫う、という形でしょうか」

 

「それもある」

 

 護衛が言う。

 

「だが一番楽なのは、侍女だ。……脅しに使える。足にもなる」

 

 侍女の顔色が落ちる。

 ヘルミーナ様の手が、その震えを押さえる。

 

 俺は短く言った。

 

「なら、触らせない」

 

 護衛が頷く。

 

「触らせない。……ただし、刃で先に騒ぐな。騒げば、こちらが負ける」

 

 俺は息を吐いた。

 分かってる。

 でも、分かってるだけじゃ足りない夜になる。

 

 外で、木の床が鳴った。

 この宿じゃない。通りの音だ。

 だが、近い。

 

 護衛が一度だけ咳をした。

 合図。

 

 俺は身体を少しだけ落とし、足の位置を決めた。

 抜かない。

 でも、抜ける。

 

 そして――扉の外で、足が止まった。

 

 止まり方が、自然じゃない。

 迷って止まった足じゃない。位置を測って止まった足だ。

 

 護衛が低く言った。

 

「……来た」

 

 ヘルミーナ様が、侍女の手を離さずに丁寧に言った。

 

「分かりました。私は動きません」

 

 侍女が唇を噛む。

 声を出しそうになって、飲み込んだ。

 それだけで十分だ。

 

 俺は壁際のまま、左手を柄頭に置いた。

 抜く気はない。

 でも、抜ける距離に置く。

 

 扉が、わずかに軋む。

 押している。軽く。

 鍵が掛かっているか、確かめる押し方。

 

 護衛は扉の横、死角に寄ったまま動かない。

 もう一人の護衛は、室内の反対側。窓と逃げ道を見ている。

 

 扉の向こうで、声が落ちた。

 

「……泊まり客。水、分けてくれ」

 

 声色は整っている。

 困っている旅人の声。

 けど、言い方が短い。余計な説明がない。

 夜に水が要るなら、もっと言い訳が出る。

 

 ヘルミーナ様は答えない。

 答えないことが正解だ。

 

 護衛が小さく息を吐き、俺にだけ聞こえる声で言った。

 

「声を返すな。返した瞬間、人数と位置が割れる」

 

 俺は頷くだけにした。

 

 扉がもう一度、押される。

 今度は少し強い。

 鍵が外れないと分かって、次に進む押し方。

 

 ――来る。

 

 護衛が、もう一度だけ咳をした。

 合図は短い。準備の合図。

 

 次の瞬間。

 

 扉が内側へ跳ねた。

 鍵じゃない。蝶番側に力を入れて、枠ごと歪ませる。

 音を出さないように、布か何かを噛ませていたのか、破る感触が鈍い。

 

 影が滑り込む。

 

 1人。

 いや、2人。

 最初の影の後ろに、もう一つの影が重なった。

 

 狙いは一直線。

 ヘルミーナ様じゃない。

 

 侍女だ。

 

 ヘルミーナ様が、侍女を背中へ回す。

 丁寧な動きなのに速い。

 その速さが、この人の覚悟だ。

 

 護衛が影の横へ出た。

 

「止まれ」

 

 声は低い。

 怒鳴らない。命令だけ。

 

 影は止まらない。

 止まらず、侍女へ手を伸ばす。

 

 俺は一歩だけ出た。

 刃を抜かないまま、鞘を前に出す。

 通す気がない線を作る。

 

 影の手が、そこで止まる。

 止まるが、引かない。

 

 袖が揺れた。

 短い刃の光が一瞬だけ走る。

 

 俺は右手で柄を握り、左手で鞘を押さえた。

 抜く。

 

 刃を見せるだけでいい。

 斬る必要は、まだない。

 

 影が引く。

 引くが、その引き方が浅い。

 逃げじゃない。誘いだ。

 

 もう一人の影が、廊下へ視線を投げた。

 外に誰かがいる。呼ぶ合図。

 

 護衛が即座に言った。

 

「……扉を閉めろ」

 

 もう一人の護衛が、扉を内側から押し戻す。

 枠は歪んでいる。完全には閉まらない。

 でも、通路が狭くなるだけで十分だ。

 

 影が舌打ちした。

 

「……面倒だな」

 

 その言葉が、夜に溶けない。

 “仕事”の声だ。

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「あなた方の目的は、私ではなく彼女ですね」

 

 影は答えない。

 答えないことで、答えている。

 

 護衛が言った。

 

「ここで終わらせる。刃を捨てろ」

 

 影が笑った。

 

「捨てたら帰れねえ」

 

 俺は一歩だけ、間合いを詰めた。

 刃は下げたまま。

 脅しじゃない。壁だ。

 

 影の視線が、俺の刀へ落ちる。

 落ちて、すぐ逸れる。

 長く見ない。怖がり方が違う。

 

 ――経験がある。

 

 影が動いた。

 侍女を取りに来る動きじゃない。

 俺の刃を避けて、護衛の肩を抜く動き。

 

 抜かせない。

 

 俺は刃で追わず、体で位置を塞いだ。

 

 護衛が影の手首を掴む。

 関節を折らない。だが、動けない角度にする。

 

「……動くな」

 

 影がもう一方の手で刃を出す。

 短い。

 刺すための刃だ。

 

 俺は刃を横へ払った。

 叩く。落とす。

 床に落ちる金属音が、部屋に乾いて響く。

 

 影の肩が跳ねた。

 瞬間、護衛が体重を乗せて押さえ込む。

 

 もう一人の影が引いた。

 引いて、扉の隙間へ戻ろうとする。

 

 俺は追わない。

 追えば、廊下で形を作られる。

 

 代わりに、護衛が短く言った。

 

「外だ。来るぞ」

 

 扉の外で、足音が増えた。

 近い。人数が増える。

 宿の階段を上がる音じゃない。一直線にここへ来る足音。

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「……詰所の方は」

 

「間に合わない」

 

 護衛が即答する。

 

「だから、自分で止める」

 

 俺は息を吐いた。

 今夜は“騒がない”が最優先だった。

 でも、相手が部屋へ入ってきた以上、守り方を変えるしかない。

 

 護衛が、押さえた影の口元を布で塞いだ。

 叫べないように。

 それだけで、外の足音が一拍遅れる。

 

 もう一人の護衛が、窓を見た。

 

「……逃げ道だ」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「逃げません。ここで守ります」

 

 護衛が頷く。

 

「それでいい。セキサメ、扉の前を踏むな。少し引け。刃は見せるな。見せるのは“最後”だ」

「分かった」

 

 俺は刃を低く保ち、角度を殺した。

 見せない。

 でも、出せる。

 

 扉の外で、誰かが低く言った。

 

「中にいる。開けろ」

 

 次の瞬間、歪んだ枠がさらに軋む。

 押し込む力が増えた。

 

 ――数で来る。

 

 護衛が、俺に目だけで合図した。

 今は斬るな。

 止めるな。

 “入らせない形”を作れ。

 

 俺は一歩だけ横へ動き、扉の死角へ入った。

 呼吸を整える。

 

 扉が、また動く。

 今度は、こじ開ける道具の気配がした。

 

 夜が、ここで割れそうになっている。




アマテラス「くく……赤雨よ。
騒ぐな言うた矢先に、向こうから戸を割りに来おったか。
――よい、童。刃は“最後”でよい。先に割れるのは、あやつらの度胸じゃ」
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。