神殺しのデミゴット   作:ののじん

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第17話 戸を割る手

 夜が割れそうになっている。

 

 扉の枠が、ぎしりと鳴った。

 板が軋む音じゃない。枠ごと歪ませる音だ。

 押し込む力が、確実に増えている。

 

 護衛が低く言った。

 

「……ここで止める」

 

 ヘルミーナ様が侍女の肩を抱き、丁寧に言った。

 

「大丈夫です。私から離れないでください」

 

 侍女は声を出さずに頷いた。

 頷けるだけ、強い。

 

 俺は扉の死角に入ったまま、呼吸を整える。

 刃は低い。見せない。

 けれど、出せる。

 

 外で、短い金属音。

 こじ開け具を差し込む音だ。

 次に来るのは、押し込みじゃない。跳ねだ。

 

 護衛が、扉の横から声を落として言った。

 

「次の瞬間、入ってきた腕を取る。……刃はその後だ」

 

 俺は頷いた。

 返事はしない。音になる。

 

 扉が、跳ねた。

 

 歪んだ隙間から、腕が一本滑り込む。

 鍵を外す手。枠を広げる手。

 指が器用すぎる。職人の手だ。

 

 護衛が掴んだ。

 

 手首。

 捻り上げるんじゃない。引きずり込む。

 

 外で短い呻き。

 だが叫びにはならない。

 

 同時に、もう一本の腕が入ってきた。

 刃が光る。短い。刺すための刃。

 

 俺は一歩出た。

 刃で斬らない。鞘で叩く。

 

 鈍い音。

 腕が跳ね、刃が床へ落ちる。

 乾いた金属音が、部屋に転がった。

 

 外が静かになる。

 静かになるのが怖い。

 

「入れ」

 

 扉の外で、低い声。

 複数。近い。

 命令の声だ。末端じゃない。

 

 護衛が歯を食いしばる気配。

 枠はもう保たない。

 

「窓だ」

 

 窓側の護衛が言った。

 逃げ道じゃない。逃げさせないための道だ。

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言う。

 

「逃げません。ですが、守り方は変えます」

 

 護衛が頷く。

 

「いい。……動くなら今だ」

 

 俺は刃を鞘へ半分戻した。

 抜いたままだと、狭い室内では味方を傷つける。

 今必要なのは、刃より位置だ。

 

 扉が、また跳ねる。

 

 今度は枠ごと押し破られた。

 板が割れる。

 木片が飛ぶ。

 

 影が3つ、流れ込む。

 最初の2つは護衛へ。

 残りの1つが一直線に侍女へ来る。

 

 速い。

 狙いが迷ってない。

 

 俺は迷わず、間に入った。

 刃を抜かないまま、体で塞ぐ。

 

 影の肩が俺の胸へ当たる。

 押し込む力。

 そのまま抱えて持っていく動き。

 

 ――攫う。

 

 俺は足をずらし、重心を落とした。

 踏ん張る。

 押し合いで勝つんじゃない。相手の力を逃がす。

 

 影の体が流れる。

 流れた瞬間、護衛の拳が顎を叩いた。

 

 鈍い音。

 影が沈む。

 

 次の影が刃を振る。

 護衛の腕を狙う。

 武器じゃない。動きを潰す狙い。

 

 護衛が受ける。

 鎧じゃない場所で受けないよう、角度で逃がす。

 それでも浅く切れる。血が見える。

 

 俺の中で、何かが切れかけた。

 

 だが、今抜いたら負ける。

 護衛が言った通りだ。

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「セキサメさん。大丈夫です。こちらは守れます。――前だけ見てください」

 

 声が落ち着いている。

 その落ち着きが、逆に俺を戻す。

 

「……分かった」

 

 短く答える。

 前だけを見る。

 

 窓側の護衛が、窓を一気に開けた。

 夜の空気が流れ込む。冷たい。

 外の通りの音が、少しだけ近くなる。

 

「外へ出す」

 

 護衛が言う。

 

「出せば、目が増える。……向こうも動きにくい」

 

 ヘルミーナ様が頷いた。

 

「はい。ここに留まる方が危険です」

 

 侍女が震えながらも、足を動かした。

 動ける。偉い。

 

 扉側の影が、舌打ちした。

 

「……逃がすな!」

 

 声が大きい。

 この宿の他の客が反応する。

 それが嫌なのか、影の動きが一瞬だけ鈍る。

 

 ――騒ぎになる。

 

 騒ぎになるなら、こちらが勝つ場面が増える。

 

 俺はここで初めて、刃を抜いた。

 抜く理由が揃った。

 守る対象が動いている。外へ出る道を作る。

 刃は見せるだけでいい。

 

 刀身が夜の光を拾う。

 影の目が一瞬だけ止まった。

 

 その一拍で十分だった。

 

 護衛が影の足を払う。

 影が倒れる。

 倒れた瞬間に、俺は刃を床へ落とさない角度で突き出した。

 

「動くな」

 

 低く言う。

 脅しじゃない。線引きだ。

 

 影が動きを止めた。

 止めるしかない。

 刃が近い。

 

 ヘルミーナ様が侍女を連れて窓へ向かう。

 護衛が先に外へ出て、周囲を確認する。

 

「……いける。出ろ」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「行きます」

 

 侍女が息を呑んで、窓枠に手を掛けた。

 

 俺は刃を戻さないまま、扉側を見た。

 まだ2人いる。

 倒れてもいない影が1つ。

 そして、外に呼ぶ声。

 

 このままだと、増える。

 

 早く出す。

 そして――外で“公”を引く。

 

 俺は刃を低く保ったまま、一歩だけ退いた。

 退いて、道を作る。

 

「行け」

 

 護衛が叫ばずに言う。

 

 次の瞬間。

 侍女が外へ降りた。

 ヘルミーナ様も続く。

 

 そして、俺も窓へ向かう。

 

 背後で、影が動いた。

 

 遅い。

 だが、遅いのは危険だ。

 遅いほど、刃は乱れる。

 

 俺は振り返り、短く言った。

 

「……ここまでだ」

 

 刃を、振るう。

 

 ――違う。

 

 振るう、じゃない。

 止めるために、線を引く。

 

 俺は踏み込みを半歩で止め、刃を低く走らせた。

 狙うのは胴じゃない。肩でもない。

 足元。

 

 影が一瞬、重心を崩す。

 崩れたところへ、護衛の体がぶつかる。

 押し倒すんじゃない。壁へ押しつける。

 

「動くな」

 

 護衛の声は低い。

 刃より重い声だ。

 

 影は息を荒くした。

 だが、笑った。

 口だけが笑う。

 

「……娘が、前に出たな」

 

 ヘルミーナ様は窓の外にいる。

 出た。確かに出た。

 だから、向こうの目的は半分達成だ。

 

 俺は答えない。

 答えれば、相手の勝ちになる。

 

 別の影が、扉の破れた隙間から身を引く。

 逃げる動き。

 だが、ただの逃げじゃない。逃げながら見る動きだ。

 

 ――見てる。こちらの形を。

 

 護衛が歯を食いしばる。

 

「追うな」

 

 俺は頷いた。追わない。

 廊下に出た瞬間、数で押し返される。

 ここで勝つなら、勝ち方を選ぶ。

 

 窓の外から、もう一人の護衛の声が上がった。

 

「下は通れます! 路地へ!」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言う声が混じる。

 

「大丈夫です。走れます」

 

 侍女の息が、短く乱れている。

 泣き声はない。

 泣いたら負けだと分かっている顔だ。

 

 室内に残った影が、もう一度だけ笑った。

 

「……これでいい。反応は見た」

 

 反応。

 やっぱり、本命は誘拐じゃない。

 形を崩させること。動かすこと。見切ること。

 

 護衛が影の首元を押さえ、低く言った。

 

「喋るな」

 

 影は喋らない。

 喋らない代わりに、歯で何かを噛んだ。

 

 俺は一瞬で気づいた。

 口の中。

 小さな物。噛み砕く音。

 

「……毒か」

 

 護衛が舌打ちする。

 指を入れようとしたが遅い。

 影の目が薄く笑って、焦点が揺れる。

 

 隊長格に引き渡す予定だった。

 口を割らせる予定だった。

 だが、向こうは最初から“帰れない手”で来ている。

 

 護衛が言った。

 

「持っていく。死なせるな」

 

 もう一人の護衛が、影の顎を押さえ、喉を確かめる。

 呼吸はある。だが浅い。

 

 外で、足音が増えた。

 宿の客が起きた音も混じる。

 ざわめきが広がる。

 

 ここに留まれば、こちらが“騒ぎの中心”になる。

 それは向こうの狙いでもある。

 

 護衛が俺を見る。

 

「行け。外へ合流しろ。……姫を守れ」

 

 俺は頷いた。

 

「分かった」

 

 刃を鞘へ戻す。

 音を殺す。

 鞘を腰に収める。

 

 そして、窓へ向かった。

 

 夜風が顔を叩く。

 下は路地。暗い。狭い。

 でも、人の目が少ない。

 今はそれが味方だ。

 

 俺は窓枠に手を掛け、外へ降りる。

 

 着地の音を殺すために膝を使う。

 石が冷たい。硬い。現実だ。

 

 路地の先に、ヘルミーナ様と侍女がいた。

 護衛が前後を押さえ、短い距離で囲っている。

 

 ヘルミーナ様が俺を見て、丁寧に言った。

 

「セキサメさん。無事ですか」

「無事だ」

 

 短く答える。

 言葉が揺れると、全員が揺れる。

 

 侍女が俺を見て、息を吐いた。

 安心した顔。

 その顔が、敵の狙いだった。

 

 護衛が低く言った。

 

「今夜は“取る”気じゃない。……見に来ただけだ」

 

 ヘルミーナ様が頷く。

 

「はい。こちらの配置と反応を測った。そういうことですね」

「そうだ」

 

 護衛が言い切る。

 

「次はもっと露骨に来る」

 

 俺は柄頭に左手を置いた。

 抜かない。

 でも、次は抜くかもしれない。

 

 路地の向こうで、鈴が鳴った。

 

 一度だけ。

 短く。

 さっきの灰の壁とは違う音。

 

 護衛が足を止め、目を細めた。

 

「……合図じゃない。挑発だ」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「見られていますね」

 

 見られている。

 だからこそ、見返す必要がある。

 

 護衛が言った。

 

「詰所へ。今すぐだ。……毒を持ってる。口を潰しに来る連中だと分かった」

 

 俺は頷く。

 

「行こう」

 

 全員が動く。

 路地の夜が、俺たちを飲み込む。

 

 騒ぎを起こさない夜は、もう終わった。

 

 路地を抜ける。

 抜けた先の通りは、人の声が増えていた。

 宿の方角からのざわめきが、波みたいに広がっている。

 

 護衛が先に出て、手のひらを軽く上げた。

 止まれ、じゃない。速度を落とせ、の合図。

 

「ここからは走るな。走れば“逃げてる”に見える」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に頷く。

 

「はい」

 

 侍女は息が上がっている。

 それでも声を出さない。

 

 俺は侍女の歩幅に合わせて、半歩前へ出た。

 守るためじゃない。壁を作るためだ。

 

 護衛が低く言った。

 

「尾は、まだいる」

 

 俺は視線を動かさないまま、気配だけ拾った。

 遠い。

 だが、消えていない。

 

 ――見てる。

 今も、こちらの形を。

 

 通りの角を曲がる。

 石畳の音が変わる。

 詰所が近い。

 

 その時。

 

 反対側の路地口で、男がひとり立ち止まった。

 荷を担いだふり。

 だが、荷が軽い。肩の沈みがない。

 

 男の視線が、ヘルミーナ様へ一瞬だけ寄る。

 寄って、すぐ逸れる。

 逸らし方が“見た”逸らし方だ。

 

 護衛が口を動かさずに言った。

 

「……増えた」

 

 増えたのは敵だけじゃない。

 周囲の一般人の目も増える。

 宿の騒ぎが広がれば、好奇心で人が寄ってくる。

 

 そうなる前に詰所へ入る。

 

 護衛が隊列を少しだけ変える。

 ヘルミーナ様と侍女を真ん中。

 俺と護衛で両脇。

 前後に護衛が一人ずつ。

 

 形が整う。

 それだけで、通りの視線が少し引く。

 “面倒なもの”に見えるからだ。

 

 詰所の入口が見えた。

 

 入口の衛兵が、こちらを見て眉を寄せる。

 宿で何かあった、と顔が言っている。

 

 護衛が声を落として言った。

 

「怪我人がいる。すぐ通せ」

 

 衛兵が一拍置いて、扉を開ける。

 

「中へ!」

 

 建物に入った瞬間、外の音が薄くなった。

 

 奥から隊長格が出てきた。

 顔色が変わる。何が起きたか、すぐ分かった顔だ。

 

「……早いな」

 

 護衛が答える。

 

「来た。宿を割りに。狙いは侍女。ついでに口封じも」

 

 隊長格の眉が寄る。

 

「口封じ?」

「一人、噛んだ。口の中に仕込み。毒の可能性が高い」

 

 隊長格が舌打ちする。

 

「連れてきたか」

「連れてきた」

「どこだ」

 

 護衛が短く言う。

 

「まだ宿だ。押さえてる。だが、長くは保たない」

 

 隊長格が即座に指示を飛ばした。

 

「担架! 医務! それと、部下を回せ。宿の周囲を押さえろ。逃がすな。……逃げ道は裏だ、裏口を塞げ!」

 

 衛兵が走る。

 足音が詰所の中を駆ける。

 “公”が動く音だ。

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「ご迷惑をお掛けします」

 

 隊長格が首を振る。

 

「迷惑じゃない。……向こうが先に線を踏んだ」

 

 その言葉が、少しだけ救いになる。

 こちらが悪者にならない。

 向こうが“公”を敵に回した。

 

 隊長格が俺を見る。

 

「お前。怪我は」

「ない」

「刃は」

「抜いた」

 

 隊長格が一拍置いて頷いた。

 

「記録は取る。だが今はいい。……今夜は“公の中”にいろ。外へ出るな」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言う。

 

「侍女を休ませたいのですが」

 

「ここで休ませろ。詰所の奥に小部屋がある。鍵も掛かる」

 

 隊長格が手短に言い、衛兵へ合図した。

 

「案内しろ」

 

 侍女がヘルミーナ様を見る。

 離れたくない顔。

 だが、ここで離れるべきだ。

 

 ヘルミーナ様が侍女の手を握り、丁寧に言った。

 

「大丈夫です。すぐ近くにいます。……呼んだら来ます」

 

 侍女が小さく頷いた。

 

「……はい」

 

 衛兵が侍女を案内する。

 扉が閉まる。鍵の音。

 その音が、今はありがたい。

 

 俺と護衛、ヘルミーナ様は廊下に残った。

 隊長格が護衛に言う。

 

「襲ってきた人数は」

 

「室内に3。外に増援の足音。少なくとも、計5以上」

 

「顔は見たか」

 

「二人は見た。三人目は頭巾。だが、手癖が揃ってる。組だ」

 

 隊長格が唸る。

 

「……鈴役の線より、荒い手が早い。上が焦ってる」

 

 “上”。

 

 言葉が出た。

 だが、それが何を指すか、まだ俺には確定できない。

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「こちらが動けば動くほど、向こうも動く、ということですね」

 

 隊長格が頷く。

 

「そうだ。だから、こちらも一段上げる」

 

 護衛が言う。

 

「今夜、終わらせられるか」

 

 隊長格は少しだけ笑った。

 笑い方が硬い。

 

「終わらせる。……終わらせるために動く」

 

 その言い方が、今までと違う。

 “手順”の話じゃない。

 “押さえる”話だ。

 

 隊長格が俺を見る。

 

「お前、走れるな」

「走れる」

「なら使う。……今夜、もう一つ踏む」

 

 護衛が目を細める。

 

「どこだ」

 

 隊長格が紙を取り出し、机に広げた。

 ムソニアの簡単な区画図。

 線が引かれている。

 

「金鈴亭だ。……今夜、押さえる」

 

 空気が、また一段冷えた。

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「今夜、ですか」

 

「今夜だ」

 

 隊長格が言い切る。

 

「宿を割りに来た。つまり向こうは“もう隠す気が薄い”。なら、こちらも隠さない」

「金鈴亭の中を押さえ、帳面と人を押さえる。逃げ道は塞ぐ」

 

 護衛が短く言った。

 

「……派手になる」

「なる」

 

 隊長格が頷いた。

 

「だが、派手にするのは“公”だ。お前らじゃない。――そうすれば、こちらが正しい」

 

 俺は息を吐いた。

 スカッとする戦いが欲しいと言った。

 だが、これは戦いの形が違う。

 

 それでも、今夜は剣が要る。

 剣を使わずに済む夜は、もう終わった。

 

 隊長格が言った。

 

「準備しろ。すぐ動く。……今夜で、窓口を潰す」

 

 その言葉が、はっきりとした終わりの匂いを持っていた。




アマテラス「ほう……やっと街が動いたの。
赤雨は余計な血を足すでないぞ。
斬るなら、必要な時にだけ斬れ」
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