神殺しのデミゴット   作:ののじん

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第18話 公の剣

 詰所の空気が、忙しくなる。

 

 走る足音。

 紙をめくる音。

 鎧の留め具が鳴る音。

 全部が、同じ方向へ向かっていく音だ。

 

 隊長格が指を折って言った。

 

「押さえるのは3つ。表。裏。逃げ道。――そして中」

 

 護衛が短く返す。

 

「中で暴れたら」

「暴れさせない。暴れた瞬間、こちらの名目が立つ」

 

 名目。

 “公”の剣は、刃より先に理由で動く。

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「私たちは、どこに」

 

 隊長格は即答した。

 

「お前はここに残れ」

 

 護衛の眉がわずかに動く。

 当然だ。狙われた直後に外へ出すのは危ない。

 

 だが、ヘルミーナ様は落ち着いたまま、丁寧に言った。

 

「囮として残す、という意味ではありませんね」

「違う」

 

 隊長格が首を振る。

 

「ここは鍵も人もある。……外よりマシだ」

 

 護衛が言った。

 

「セキサメは」

 

 隊長格が俺を見た。

 

「お前は動ける。……だが、先頭じゃない。目だ。壁だ。刃は最後だ」

 

 俺は頷く。

 

「分かった」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言う。

 

「セキサメさんは、私の護衛です。ですが、今は“公”の動きを優先してください」

「……分かった」

 

 短く返す。

 雇い主の命令だ。

 そして、理屈も合っている。

 

 隊長格が机を叩いた。

 

「行くぞ。金鈴亭だ。――詰所の印で押す。扉は開けさせる」

 

 衛兵が数人、入口へ集まる。

 鎧は重い。

 その重さが、今は心強い。

 

 護衛が小さく言った。

 

「俺たちはどう動く」

 

 隊長格が答える。

 

「お前らは“外側”だ。逃げ道を塞ぐ。店の中へは衛兵が入る」

 

 俺はそれを聞いて、少しだけ納得した。

 俺が中へ入れば、刃を使う確率が跳ね上がる。

 向こうの狙いに近づく。

 

 だから外側。

 壁になる。

 

 詰所を出る。

 

 夜の空気が、さっきより冷たい。

 通りの明かりが少なくなっている。

 その分、影が濃い。

 

 隊長格は走らない。

 走らないのに速い。

 速く見せない動き。

 “公”は、慌てたら負ける。

 

 金鈴亭へ向かう道は、真っ直ぐじゃない。

 曲がる。交差する。

 人波の少ない道を選ぶ。

 

 それでも、目はある。

 二階の窓。

 路地の奥。

 酒場の入口。

 

 護衛が言った。

 

「……見られてる」

 

 隊長格は頷く。

 

「見せてる」

 

 その言葉が、実務だ。

 隠す気がない。

 向こうに“公が来た”と伝えるために来ている。

 

 金鈴亭の前に着く。

 

 鈴の音は鳴らない。

 夜の店は静かだ。

 静かすぎるのが、逆に答えだ。

 

 隊長格が手を上げる。

 衛兵が左右に散る。

 表口。裏口。横の路地。

 逃げ道の形を潰す。

 

 護衛は俺に目配せした。

 裏へ回る合図。

 

 俺は頷き、外周へ回る。

 刃は抜かない。

 左手は柄頭。右手は空。

 歩き方だけで“壁”になる。

 

 裏口が見えた。

 小さな扉。鍵が掛かっている。

 外からは静かだ。中の気配も薄い。

 

 隊長格の声が、表から響いた。

 

「衛兵だ。開けろ」

 

 返事がない。

 

 隊長格がもう一度言う。

 

「開けろ。――令状だ」

 

 令状という言葉は、この街では重い。

 重いのに、まだ返事がない。

 

 護衛が小さく呟く。

 

「……いるのに黙ってる」

 

 次の瞬間。

 

 表で、鈍い音がした。

 扉を叩いた音じゃない。

 中で何かが倒れた音。

 

 俺の背中が冷える。

 中で動いてる。

 逃げる準備か、潰す準備か。

 

 裏口の向こうで、床が鳴った。

 近い。

 

 護衛が低く言った。

 

「来るぞ」

 

 来る。

 逃げ道はこっちだ。

 

 俺は半歩引いて、扉の真正面から外れた。

 真正面に立てば、開いた瞬間に押し込まれる。

 古典的でも、効果はある。

 

 裏口の鍵が、内側から外れる音。

 扉が、ほんの少しだけ開いた。

 

 隙間から、目が覗く。

 

 目が俺を見た瞬間――閉じようとした。

 

 逃がさない。

 

 護衛が扉を押さえ、声を落とす。

 

「動くな」

 

 中の男が舌打ちした。

 力任せに閉めようとする。

 だが、閉まらない。

 

 俺は手を伸ばし、扉の縁を掴んだ。

 引く。

 無理に開けない。相手の力を使って開く。

 

 扉が開く。

 男の肩が露わになる。

 

 男は短い刃を持っていた。

 刺すための刃。夜の刃。

 

 俺は抜かない。

 抜かずに、距離だけ潰す。

 

 鞘で手首を叩く。

 刃が落ちる。

 乾いた音が石畳に跳ねた。

 

 男の目が揺れる。

 揺れたまま、奥へ叫ぼうとする。

 

 護衛が口を塞いだ。

 布で。手で。確実に。

 

 表で、また音。

 今度は扉が開いた音だ。

 衛兵が入った。

 

 隊長格の声が響く。

 

「動くな! 床に手を付け!」

 

 中のざわめき。

 椅子が倒れる音。

 走る足音。

 

 裏口の男が暴れた。

 暴れて、身を捩る。

 

 俺は柄頭から手を離し、男の肩を押さえた。

 刃を使う必要がない形を作る。

 

 男の体が落ちる。

 護衛が関節を固め、動きを止めた。

 

「終わりだ」

 

 護衛が淡々と言った。

 

 その時。

 店の中から、焦げた匂いが漏れた。

 

 紙が焼ける匂い。

 

 俺は一瞬で理解した。

 証拠を焼く。

 

 隊長格の怒声が飛ぶ。

 

「火だ! 止めろ! 帳面を出せ!」

 

 “公”の剣が、今夜初めて刃に近づく。

 

 俺は息を吸い、柄頭に左手を置いた。

 ――今度は、抜く理由が生まれかけていた。

 

 紙が焼ける匂いが、強くなる。

 甘くて、嫌な匂いだ。

 火は小さくても、証拠は一瞬で消える。

 

 隊長格の怒声が飛ぶ。

 

「水だ! 桶を持て! 火皿を押さえろ!」

 

 店の中で足音が乱れる。

 乱れるが、乱れ方が“仕事”だ。

 慌てているのに、やることが決まっている。

 

 裏口の男が、押さえられたまま目を見開いた。

 焦っている。

 焦る理由は一つ。――焼けるのは紙だけじゃない。自分の首だ。

 

 護衛が低く言った。

 

「……中へは入るな」

「分かってる」

 

 俺は短く返した。

 外側でやれることをやる。

 

 俺は裏口の内側へ半歩だけ体を入れ、視線を走らせた。

 通路。階段。物置の扉。

 逃げ道は――上だ。

 

 階段の方から、微かな足音。

 急いでいる。だが走っていない。

 音を殺している。

 

「……来る」

 

 俺が言うより先に、護衛が目で合図した。

 上から落ちる。

 

 次の瞬間。

 

 二階の窓が、内側から跳ねた。

 板が外へ押し出される。

 影が一つ、夜へ飛び出した。

 

 逃走役。

 

 俺は抜かない。

 抜かずに、距離だけ詰める。

 

 影は地面へ着地し、膝を使って衝撃を殺した。

 慣れている。

 慣れているから、逃げ足も速い。

 

 だが、逃げ道は潰してある。

 表も裏も、路地も。

 

 影が路地へ入ろうとした瞬間、衛兵が槍を横に出した。

 通れない。

 

 影は迷わず方向を変えた。

 変えた方向に、俺がいる。

 

 影の手が腰へ伸びる。

 短い刃。

 抜く動き。

 

 俺は刃を抜かず、鞘で肩を叩いた。

 叩く位置は骨じゃない。関節の上。

 力が抜ける場所。

 

 影の腕が落ちる。

 刃が抜けない。

 

 それでも影は突っ込んできた。

 体ごとぶつけて、壁を抜けるつもりだ。

 

 俺は半歩退き、ぶつかる力を流した。

 そのまま足を掛ける。

 転ばせるんじゃない。走れなくする。

 

 影が膝を擦った。

 転ばない。だが速度が落ちる。

 

 そこへ、護衛が背後から間合いに入った。

 音がしない。近づき方が違う。

 

「終わりだ」

 

 護衛が低く言って、影の腕を取る。

 関節が固まる。逃げられない角度。

 

 影が歯を食いしばり、口元を動かした。

 

「……焼け」

 

 誰に向けた言葉か分からない。

 だが、店の中の匂いがさらに強くなる。

 

 隊長格の声が、店内から響いた。

 

「帳面を押さえた! 火は止めた! ――まだだ、奥を洗え!」

 

 押さえた。

 それだけで、胸の奥が少しだけ落ちた。

 

 護衛が影の口元を押さえ、即座に言う。

 

「噛むな」

 

 影の目が笑った。

 笑って、舌を動かそうとする。

 

 俺は反射で、刃の柄に指を掛けかけた。

 止める。

 抜けば終わる。抜けば、この場が血の場になる。

 

 護衛が影の顎を掴み、無理に口を開けさせた。

 歯の裏。頬の内側。

 小さな黒い粒。

 

「……仕込みだ」

 

 護衛が低く言った。

 

 衛兵が駆け寄り、布を押し当てる。

 隊長格が外へ出てきた。顔が硬い。

 

「奥から帳面と印を押さえた。……複製も、指示書もある。今夜の分は残った」

 

 護衛が頷く。

 

「火は」

「止めた。だが、まだくすぶってる。水を回してる」

 

 隊長格の視線が、捕まえた影へ向く。

 

「こいつが“上”か」

 

 影は黙った。

 黙って、笑う。

 

 隊長格が言った。

 

「笑っていられるのは今だけだ。……詰所へ連れていく」

 

 護衛が即答する。

 

「詰所で割る。だが、こいつは噛む。噛ませるな」

 

 隊長格が頷き、衛兵へ指示を飛ばす。

 

「口を縛れ。顎を固定しろ。両手両足。……逃げ道は潰した、焦るな」

 

 衛兵が手際よく縄を回す。

 “公”の手だ。乱暴じゃない。確実だ。

 

 影が初めて、声を出した。

 

「……遅い」

 

 隊長格が一拍置いて言う。

 

「何がだ」

 

 影は顎を固定されながら、喉で笑った。

 

「娘は……もう別口だ」

 

 その一言で、空気が凍る。

 

 ヘルミーナ様の顔が一瞬だけ変わった。

 変わって、すぐ戻る。

 だが、戻しきれていない。

 

 護衛が低く言った。

 

「……お嬢様は詰所だ。鍵付きで守りがいる」

 

 影は笑う。

 

「誰の話だ。娘は一人じゃねえ」

 

 俺の背中が冷えた。

 “娘”。

 向こうは正体を言わない。言わずに刺す。

 

 隊長格が即座に言った。

 

「戻る。今すぐだ」

 

 護衛も言う。

 

「分かってる」

 

 俺は柄頭に置いた左手を強く握った。

 抜く。

 抜かない。

 今は、走る。

 

 “公”が剣を抜いた夜に、向こうは別の刃を差し込んでくる。

 

 俺たちは詰所へ向かって走り出した。

 

 隊長格が前に出る。

 衛兵が道を割る。

 夜の通りが、短く揺れる。

 

 金鈴亭の影を離れても、匂いが鼻に残る。

 紙が焼けた匂い。

 それが、嫌な予感の形を作る。

 

 護衛が低く言った。

 

「詰所の鍵は硬い。守りもいる。……だが、内側から割られたら意味がない」

 

 内側。

 その言葉が一番怖い。

 外の刃は見える。内の刃は見えない。

 

 詰所が見えた。

 

 入口の衛兵が、俺たちの走りを見て顔を変える。

 ただ事じゃない、と分かった顔だ。

 

「隊長!」

 

 衛兵の声が上擦った。

 その時点で嫌な確信が走る。

 

 隊長格が叫ばずに言う。

 

「奥は」

 

 衛兵が答える。

 

「……小部屋。鍵は閉まってます。ですが、さっきから中が静かすぎます」

 

 静かすぎる。

 泣き声がないのはいい。

 でも、息遣いまで消えるのは良くない。

 

 俺の足が速くなる。

 止められない。

 

 廊下を走る。

 木の床が軋む。

 音が大きい。今は隠す必要がない。

 

 小部屋の前。

 

 鍵は確かに掛かっている。

 掛かっているのに、扉の縁がわずかに浮いている。

 蝶番側に、薄い紙が噛んでいる。

 

 隊長格が顔を歪めた。

 

「……外から閉めただけだ」

 

 鍵じゃない。

 鍵を使わずに“閉まってる”に見せている。

 

 護衛が扉に耳を当てる。

 一拍。二拍。

 息がない。

 

「……開ける」

 

 隊長格が頷く。

 

「叩くな。押すな。……一気に」

 

 衛兵が鍵を回す。

 音が静かに鳴る。

 そして、扉が開く。

 

 中は暗い。

 灯りが落とされている。

 

 鼻に、甘い匂い。

 薬草の匂い。

 眠らせる匂い。

 

 床に侍女が倒れていた。

 口元に布。

 縛られてはいない。だが動かない。

 

 ヘルミーナ様が、壁際に座らされている。

 背中が壁。

 手首が布で軽く縛られている。

 刃傷はない。

 それが、逆に怖い。

 

 ヘルミーナ様の目が、俺たちを見た。

 焦点は合っている。

 だが、呼吸が浅い。

 眠りかけている。

 

「……すみません」

 

 声は丁寧だ。

 でも、弱い。

 強さが削られている。

 

 隊長格がすぐに命じた。

 

「医務! 今すぐ! 吸わせたな、これ……」

 

 護衛がヘルミーナ様の縄を解く。

 手際は早い。乱暴じゃない。

 守る手だ。

 

 俺は侍女の横に膝をつき、布を外した。

 息はある。

 浅いが、止まってない。

 

 影の言葉が頭に刺さる。

 

 “娘は……もう別口だ”

 

 別口。

 つまり、こっちじゃない。

 こっちを見せて、別の何かを進める。

 

 隊長格が唸る。

 

「……やられた。ここは“見せ”だ」

 

 護衛が短く言う。

 

「時間を取られた」

 

 隊長格は首を振った。

 

「それだけじゃない。――別口が動いてる」

 

 医務が駆け込んできた。薬草の匂いを嗅いで顔を硬くする。

 

「吸引ですね。深くはない。ですが放置は危険です。水と換気、それと安静を」

 

 隊長格が頷く。

 

「ここで守る。……だが、動く者は動く」

 

 ヘルミーナ様が掠れた声で丁寧に言った。

 

「……あの方は、私に何も聞きませんでした」

 

 護衛が目を細める。

 

「聞かない?」

「はい。確認だけでした。……私が“ここにいる”と分かったら、それで終わり、という感じでした」

 

 隊長格が小さく舌打ちした。

 

「位置確認だ。――狙いはお前じゃない。お前の“守り方”だ」

 

 その時、廊下の奥で衛兵が声を張った。

 

「隊長!」

 

 隊長格が扉の外へ出る。俺たちも続く。

 

 走ってきた衛兵は息を切らしながら言った。

 

「金鈴亭の裏口を押さえた部下からです。……裏で火を止めた直後、別の荷車が動きました」

「店の荷じゃありません。車輪が違う。――軽い荷です」

 

 護衛が言う。

 

「どこへ」

「城壁裏の外れ方向です。……灰の壁の方角」

 

 空気が固まった。

 

 隊長格が一拍で決める。

 

「別口だ。――今夜の本命はそっちだ」

 

 護衛が頷く。

 

「こちらは守りを残す」

 

 隊長格が即答する。

 

「残す。鍵も人も二重だ。……今度は“外”で取る」

 

 ヘルミーナ様が俺を見て、掠れた声で丁寧に言った。

 

「セキサメさん……お願いします」

 

 俺は頷いた。

 

「分かった」

 

 そして、夜へ戻る。

 “別口”の、本命へ。




アマテラス「ほれ見よ、赤雨。
箱の中身より大事なのは、誰がどこから運ばせたかじゃ。
……道を押さえれば、奥まで繋がる。人を斬るのはその後でよい」
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