神殺しのデミゴット   作:ののじん

19 / 22
第19話 奥の入口

 詰所を出た瞬間、夜の冷たさが肺に刺さった。

 さっきまでの灯りと人の熱が、背中から剥がれていく。

 

 隊長格は外へ出たところで立ち止まり、指を折って言う。

 

「残す守りは3。小部屋。廊下。入口。……交代も組め。眠らせる手口が出た以上、内側も疑え」

 

 衛兵が頷く。

 

「はい」

 

 護衛が俺に目で合図した。

 動く組は少数。派手に動けば、相手は引く。

 

 隊長格が言った。

 

「行くのは俺と、お前と、あと2。……見つけたら押さえる。追い込みは街の外れでやる。灰の壁は目が届きにくい」

 

 俺は頷く。

 

「分かった」

 

 走り出す。

 走る足音は隠さない。今は“公”が動いていることが、抑止になる。

 

 街灯の間隔が広くなる。

 通りが細くなる。

 人の気配が薄くなる。

 

 灰の壁へ近づくにつれて、匂いが変わった。

 土と煤と、乾いた石の匂い。夜の湿り気がそこだけ避けているみたいに、空気が軽い。

 

 隊長格が手を上げた。

 走るのをやめ、歩きに切り替える。音を落とすというより、輪郭を消す。

 

 視界の先、路地の向こうに車輪の影が見えた。

 荷車。

 軽い荷。

 そして、引いているのは一人じゃない。

 

 隊長格が低く言った。

 

「……あれだな」

 

 俺は頷いた。

 荷車の揺れが小さい。重い荷ではない。だからこそ速い。だからこそ、回収が簡単だ。

 

 衛兵の1人が囁く。

 

「今押さえますか」

 

 隊長格は首を振った。

 

「ここは“中継”だ。止めるなら、次の場所で止める。……封がある以上、受け取り側がいる。受け取り側まで出させる」

 

 “名目”が増える。

 押さえる理由が厚くなる。

 逃げ道を潰すには、相手の形が見えた方がいい。

 

 俺たちは距離を保ってつく。

 足取りは一定。視線は散らす。追っているのが分からない程度に、ただ同じ方向へ歩く。

 

 荷車は灰の壁の外れを抜け、倉庫の並びへ入った。

 昼に見ればただの倉庫。夜に見れば、影の塊。灯りがないのに、奥だけが薄く明るい。

 

 隊長格が止まる。

 俺たちも止まる。

 

 倉庫の裏手。

 小さな扉が開き、荷車が中へ引き込まれる。引き込む手が3。受け取り側がいる。

 

 扉が閉まる直前、俺は見た。

 手首に巻かれた布。色が違う。金鈴亭の連中とは違う印。

 

 別口。

 奥がある。

 

 隊長格が息を吐き、短く言った。

 

「……押さえる。ここだ」

 

 衛兵が左右に散る。

 表と裏。逃げ道。

 さっき金鈴亭でやったのと同じ形。だから崩れない。

 

 俺は壁。

 刃は最後。

 

 隊長格が倉庫の正面へ回り、扉を叩かずに言う。

 

「衛兵だ。開けろ。――詰所の印で押す」

 

 返事がない。

 ないのに、中で気配が動く。

 

 俺は柄頭に左手を置いた。

 鞘は抜かない。右手は空のまま。距離だけを詰められる位置に立つ。

 

 次の瞬間。

 倉庫の裏、低い窓が押し開けられた。影がひとつ、外へ滑り出る。

 

 逃走役。

 

 俺は動いた。

 走りはしない。半歩、二歩、三歩。相手の進路に“壁”を置く。

 

 影がこちらを見て、方向を変える。

 変えた先に、衛兵の槍が横たわる。

 

 詰みだ。

 

 影の手が口元へ伸びた。

 噛み毒。あの動き。

 

 俺は踏み込んで、鞘で顎を叩いた。

 痛みで口が開く。噛めない。

 影がよろける。

 

 衛兵が即座に後ろから腕を取る。

 関節が固まる。逃げられない角度。

 

 影が歯を食いしばる。

 もう一度、口へ。しつこい。

 

 俺は今度は手首を叩いた。

 鞘で。刃は使わない。

 指が開き、何か小さな黒い粒が落ちる。

 

 乾いた音。

 石の上を跳ねる。

 

 隊長格の声が正面から飛ぶ。

 

「裏、押さえたか!」

「押さえました!」

 

 俺は影を見下ろす。

 目が笑っている。笑いの種類が違う。諦めじゃない。“時間を稼いだ”笑いだ。

 

 隊長格が倉庫の扉を開けさせた。

 中から、灯りが漏れる。小さな燭台の灯り。隠す気は薄い。見られてもいい場所だ。

 

 中には荷車。

 そして、小さな箱がひとつ。封の束がいくつか。

 金鈴亭で押さえたものと、書式が似ている。

 

 隊長格が言った。

 

「……ここは中継で確定だな」

 

 衛兵が棚を調べる。

 床を叩く。

 壁に手を当てる。

 

 俺は箱を見た。

 開けるべきじゃない。中身で相手の手の形が変わる。今夜は“受け取り側”を取るのが先だ。

 

 隊長格も同じ判断だった。

 

「箱は開けるな。封だけ数える。印を写せ。……そして荷車ごと押さえる」

 

 衛兵が頷く。

 

「はい」

 

 捕縛した影が、急に笑い声を漏らした。

 口は押さえられているのに、喉で笑う。

 

 隊長格が冷たく言う。

 

「何がおかしい」

 

 影は、顎を固定されながらも、喉を鳴らした。

 

「……遅い」

 

 同じ言葉。

 金鈴亭のやつと同じ。

 意味は一つだ。

 

 隊長格が即座に決める。

 

「今夜の受け取りは、ここじゃない。……“奥の入口”が別にある。封はそこへ行く」

 

 衛兵が言う。

 

「では、次は――」

 

 隊長格が封の束を指で叩いた。

 

「受け取り側は、封が届かなきゃ確認に出る。出る場所は、入口だ。……場所を取る」

 

 “今夜の次の行動は受け取り側(奥の入口)の場所取り”。

 判断が、現状と一直線に繋がる。

 

 俺は柄頭に置いた左手を、少しだけ強く握った。

 抜く理由は、まだない。

 だが、今夜は“最後”が近い。

 

 隊長格が俺を見る。

 

「セキサメさん。ここから先は、走らない。走ったら逃げる。……息を殺して、来るのを待つ」

「分かった」

 

 倉庫の外に、荷車を引き出す。

 衛兵が縄を回し、捕縛者の顎と口を固める。噛ませない形を作る。

 

 俺は箱から目を離さない。

 理由は単純だ。

 こいつらが命を捨ててでも守る“中身”が、俺たちの次の夜を決める。

 

 隊長格が言った。

 

「詰所へ戻る。荷と口を運ぶ。……そして、そのまま動く。休むな」

 

 衛兵が短く返す。

 

「はい」

 

 俺は一度だけ、遠くの灰の壁を見た。

 闇の中で、灰だけが白く浮いている。

 あれを越えたら、“公”の手が届きにくくなる。

 戦いが起きても、助けは遅い。

 

 詰所に入ると、空気はまだ忙しいままだった。

 ただ、忙しさの方向が変わっている。守りの忙しさから、狩りの忙しさへ。

 

 隊長格が封と箱を机に置き、捕縛者を別室へ回す。

 

「割るのは後だ。今夜は入口を取る。……封がある以上、受け取り側は“受け取れない理由”を嫌う。そこを突く」

 

 護衛が言った。

 

「次はどこだ」

 

 隊長格が地図を引き寄せ、灰の壁のさらに外れを指す。

 街の外。森の縁。道が一本だけ細く伸びる場所。

 

「ここだ。荷車が通る。人目が薄い。だが、完全に隠れられない。……受け取り側が立つなら、ここが一番都合がいい」

 

 俺は頷く。

 

「場所取りだな」

「そうだ」

 

 隊長格が息を吐き、短く言った。

 

「行くぞ」

 

 俺は左手を柄頭に置いたまま立ち上がる。

 外へ出る前に、一度だけ小部屋の方を見た。

 扉は閉まっている。守りがいる。今はそれでいい。

 

 夜へ戻る。

 今度は、こっちが待つ番だ。

 

 灰の壁の外れは、灯りが少ない。

 通りの端に、古い倉庫が並んでいる。荷車が通れるだけの道幅はあるが、人がすれ違うには狭い。

 

 隊長格が手を上げた。

 足音が止まる。息も揃う。

 

「配置はさっき言った通りだ。表、裏、逃げ道。――中は俺が見る」

 

 衛兵が頷き、左右へ散る。

 護衛は俺の少し後ろ。縄と布を手に持っている。噛ませないための道具だ。

 

 俺は壁になる場所に立った。

 路地の出口が見える。荷車が入るなら、ここを通る。

 

 待つ。

 音は少ない。

 でも、何もない夜ほど、何かが来る。

 

 最初に来たのは、石を転がすみたいな小さな音だった。

 路地の奥。影が動く。ひとつじゃない。

 

 護衛が、息を吐かずに言う。

 

「……先に掃除役が来る」

 

 隊長格の声が小さく返る。

 

「受け取りの前に、道を整える。……来い」

 

 次の瞬間、上から何かが落ちた。

 小さな布袋。地面で弾ける。

 

 白い煙。

 甘い匂い。薬草に似ている。眠りの匂い。

 

「吸うな!」

 

 隊長格が低く言う。

 衛兵が布で口を覆う。護衛も即座に同じ動きをする。

 

 俺は息を止めた。

 止めたまま、半歩だけ前に出る。煙の外側へ、相手の目線を押し出す。

 

 影が2つ、煙の縁を使って走ってきた。

 短い刃。刺すための動き。速い。

 

 俺は抜かない。

 鞘で刃先をずらす。体を半身にして、通り道を消す。

 

 1人目の手首を叩く。

 刃が落ちる。

 

 2人目は迷わず、腰へ手を伸ばした。

 噛み毒だ。口へ持っていく動き。

 

 俺は距離を潰して、鞘の先で顎を叩いた。

 歯が鳴り、口が開く。噛めない。

 

 護衛が背後から入る。音がしない。

 腕を取って、関節を固める。

 

「終わりだ」

 

 護衛の声は低い。

 相手は暴れるが、暴れても形が崩れない。

 

 だが、掃除役は2人だけじゃなかった。

 

 路地の反対側。屋根の影が揺れた。

 細い光が走る。矢じゃない。投げ刃だ。

 

 隊長格が叫ばずに言う。

 

「右、上!」

 

 衛兵が盾を上げる。

 金属が鳴る。投げ刃が弾ける。

 

 次は俺だ。

 狙いが来る。俺の足元へ。

 

 小さな金属片が転がった。

 すぐに熱が走る。火。

 

 油の匂い。

 火皿を投げた。燃やして混乱させる手だ。

 

 俺は迷わず踏み込んだ。

 鞘で火皿を弾き、壁へ飛ばす。炎が壁面を舐めるだけで済む。

 

 煙と火。

 それで十分に乱れる。乱れた瞬間、受け取りが来る。

 

 ――来た。

 

 車輪の音。

 細い路地の奥から、荷車が押し出される。軽い。速い。

 引き手は3。顔は布で隠している。

 

 隊長格が低く言った。

 

「受け取りだ。箱を動かすな。封を動かすな。……押さえる」

 

 衛兵が前へ出る。槍が横に伸びる。

 通れない。

 

 受け取り役は止まらない。

 荷車を捨てる。箱だけ抱えて走る。逃げ足が軽い。

 

 逃げ道は一つ。

 俺の方へ来る。

 

 俺は抜かない。

 足を止め、体を置く。壁になる。

 

 受け取り役が突っ込んでくる。

 肩で抜けるつもりだ。

 

 俺は半歩だけ横にずれた。

 ぶつかる力を流し、そのまま鞘で脇腹を叩く。

 

 息が抜ける。

 箱が揺れる。

 

 落とすな、割るな。

 俺は腕を伸ばし、箱の角を押さえた。地面に落ちる前に、動きを止める。

 

 受け取り役の口が動いた。

 噛む。噛み毒だ。

 

 護衛が間合いに入る。

 顎を掴み、口を開けさせる。布で塞ぐ。固定する。

 

 衛兵が縄を回す。

 手と足。早い。確実。

 

 隊長格が荷車の方を見た。

 引き手の1人が、すでに逃げている。裏へ回った。

 

「裏だ! 逃げた!」

 

 衛兵が追う。

 だが、逃げ足が速い。屋根伝いだ。

 

 俺は追わない。

 俺の役は壁だ。ここを崩せば、箱が動く。

 

 隊長格が言う。

 

「封の束はどこだ」

 

 受け取り役は黙った。

 黙って笑う。笑い方が同じだ。時間を稼ぐ笑い。

 

 その瞬間、遠くで短い合図が鳴った。

 鳥の鳴き真似。屋根の上から。

 

 逃げたやつが、誰かに知らせた。

 

 護衛が低く言う。

 

「……奥が動く」

 

 隊長格が即断する。

 

「今夜の入口だ。逃げたやつが案内役だ。……追う」

 

 衛兵が迷う。

 

「ここは――」

「押さえは残す。箱は詰所へ。封は写せ。……俺とセキサメさんと護衛で追う」

 

 俺は頷いた。

 

「分かった」

 

 隊長格が走らずに動く。

 速い。音が少ない。

 俺たちも同じ速度でつく。

 

 路地を抜け、灰の壁の外れへ。

 灯りがさらに減る。人の目が消える。

 

 逃げた影は、白い灰のそばを選んで走る。

 足跡が残らない。灰が吸う。

 

 俺は、胸の奥で嫌な感覚を噛み潰す。

 ここから先は、助けが遅い側だ。

 

 影が立ち止まった。

 小さな祠の裏。石が積んであるだけの場所。

 

 影が手を伸ばし、石を外した。

 下に、穴がある。人が一人、やっと通れる穴。

 

 入口。

 

 影が振り返った。

 短い刃を抜く。最後の足止めだ。

 

 隊長格が低く言う。

 

「押さえる。――生け捕りだ」

 

 俺は左手を柄頭に置いた。

 抜かない。まだ抜かない。

 

 影が飛ぶ。

 俺も一歩、前へ出た。

 

 刃は短い。刺すためだけの刃だ。

 狙いは俺じゃない。俺の横を抜けて、穴へ戻るつもりだ。

 

 半身になって進路を潰し、鞘を横に滑らせた。

 

 刃先が逸れる。

 金属の擦れる音が短く鳴った。

 

 影がすぐに踏み替える。速い。

 足が軽い。ここまで案内して、最後だけ止める役。

 

 隊長格が低く言った。

 

「逃がすな。穴に入らせるな」

 

 護衛が返す。

 

「顎からいきます」

 

 影が口元に指を伸ばした。

 噛む。噛み毒。やっぱりそれだ。

 

 俺は距離を潰して、鞘の先で顎を叩いた。

 硬く当てない。噛めない形を作るだけ。

 

 影の頭が揺れる。

 その一瞬で、護衛が背後に入った。

 

 腕を取る。

 関節が固まる。

 

 影は暴れた。

 暴れて、足で地面を蹴る。穴へ体ごと倒れ込もうとする。

 

 俺は影の腰を押さえた。

 押さえるだけじゃ足りない。引けば落ちる。

 

 だから、足を掛けた。

 穴の縁に届く前に、膝を止める。

 

 影が息を吐いた。

 短い、嫌な笑い。

 

 隊長格が近づく。

 視線は穴だ。影じゃない。

 

「……入口はここで確定だな」

 

 護衛が影の顎を掴み、布で口を塞ぐ。

 固定する。噛ませない。

 

「終わりだ」

 

 護衛が淡々と言った。

 

 影はまだ笑っていた。

 笑いながら、喉で言う。

 

「……遅い」

 

 隊長格が一拍置いて返す。

 

「黙れ。――口を割るのは後だ」

 

 隊長格は穴の中へ目を凝らした。

 暗い。湿った匂いが上がってくる。地下の匂い。

 

 俺は穴の縁にしゃがみ、手を伸ばして石を確かめた。

 罠はない。少なくとも、すぐ爆ぜる仕掛けはない。

 

 でも、違う危険がある。

 閉じられる。火を入れられる。毒を流される。逃げ道を塞がれる。

 

 隊長格が言った。

 

「ここから先は、名目が薄い」

 

 分かってる。

 ここは街の外れで、地下だ。衛兵の仕事としては踏み込みにくい。

 

 護衛が言う。

 

「逃げた先は、もう近い。今止めないと、全部隠される」

 

 隊長格が歯を噛む。

 俺は短く言った。

 

「中で火が出たら、突入でいい」

 

 隊長格が俺を見る。

 

「……それが名目になる」

「そう」

 

 隊長格は頷いた。

 

「よし。入る。だが、最小で。俺、セキサメさん、護衛。――外は一人残す。蓋を押さえろ」

 

 隊長格が衛兵に指示する。

 衛兵が穴のそばに膝をつき、槍を横にして構える。

 

「はい」

 

 俺は穴へ足を入れた。

 狭い。肩が壁に当たる。石が冷たい。

 

 下へ降りると、通路になっていた。

 天井が低い。腰を落として進む。

 

 隊長格が後ろから降りてくる。

 護衛が続く。足音は小さい。呼吸も小さい。

 

 数歩進んだところで、前方に灯りが見えた。

 弱い燭台の灯り。揺れている。

 

 人の声がした。

 低い声。急いでいる。

 

「……封が来てねえ」

「だから言っただろ。今日は止めろって」

「止められるか。上が怒る」

 

 上。

 受け取り側のさらに上。ここにいるのは末端じゃない。

 

 隊長格が手で合図する。止まれ。

 俺たちは壁に寄る。

 

 通路の角の向こうに、広い空間がある。

 倉庫の地下みたいな部屋。棚。箱。縄。油。火皿。

 

 それと――灰。

 

 床の隅に、白い粉が溜まっていた。

 灰の壁と同じ白さ。街の灯りとは違う白さ。

 

 俺は息を止めた。

 嫌な冷えが指先に来る。

 

 隊長格が小さく言う。

 

「……ここで加工してる」

 

 護衛が視線を走らせる。

 

「人が4。奥にもう1」

 

 俺も見た。

 奥の机。小さな箱がいくつも並んでいる。封の束もある。

 

 そして、机の横に――火皿。

 すぐ燃やせる。すぐ消せる。すぐ隠せる。

 

 隊長格が言った。

 

「名目はできた。灰の壁の外れで違法な加工。証拠隠滅の道具もある」

 

 その瞬間、奥の男が顔を上げた。

 こっちを見たわけじゃない。空気の変化を感じた顔。

 

「……誰かいる」

 

 気づくのが早い。

 訓練されてる。

 

 次の瞬間、男が火皿に手を伸ばした。

 

 燃やす。

 今だ。

 

 隊長格が前へ出て、低く通る声で言った。

 

「衛兵だ。動くな!」

 

 部屋が止まる。止まらない。

 2人が同時に動いた。火皿と、逃げ道。

 

 護衛が飛ぶ。

 火皿の方へ。顎じゃない。手首だ。火を止める。

 

 俺は逃げ道の方へ一歩出る。

 抜かない。壁になる。

 

 逃げようとした男が突っ込んでくる。

 短い刃。喉を狙う角度。

 

 俺は鞘で刃を叩き落とした。

 そのまま肩を押して、壁に当てる。

 

 男が歯を食いしばる。

 口元が動く。噛み毒だ。

 

 俺は顎を叩く。

 護衛が間合いに入る。布で塞ぐ。固定。

 

 同時に、奥で火皿が倒れた。

 油が広がる。灯りが揺れる。

 

 燃える。

 燃えたら名目どころじゃない。全部消える。

 

 護衛が火皿を蹴って遠ざける。

 隊長格が叫ばずに命じる。

 

「水だ! 布を濡らせ! 油を拭け!」

 

 衛兵じゃない。ここには俺たちしかいない。

 だから、やることが少ない方が強い。

 

 俺は倒した敵の上着を掴み、布を引き裂いた。

 そのまま油に押し当てる。滑る匂いが強い。

 

 隊長格も同じ動きをする。

 護衛は人を押さえながら、片手で灯りを遠ざける。

 

 火は、まだ出ていない。

 ぎりぎり止めた。

 

 ……その時だ。

 

 奥の机の影から、最後の1人が出てきた。

 動きが違う。静かで、速い。

 

 短い鎖。先に鉄が付いている。

 首を取る道具だ。

 

 狙いは隊長格。

 “公”の頭を落とす狙い。

 

 俺は迷わず前に出た。

 まず壁になる。

 

 鎖が走る。

 俺は鞘で受けた。重い。手首に響く。

 

 相手は鎖を引き戻さない。引き戻せば一拍遅れる。

 鎖を巻いて、引き倒すつもりだ。

 

 俺は一歩踏み込み、鎖の内側へ入った。

 距離を潰す。

 

 相手の目が揺れる。

 距離が近いのは嫌なのだろう。

 

 相手が短刀を抜く。

 刺しに来る。

 

 ここは――最後だ。

 隊長格を守る。突破を止める。短時間で終わらせる。

 

 俺は柄を握った。

 鞘が滑る。刃が出る。

 

 大神降ろしの刃が、灯りを拾う。

 

 ――横に一閃。

 

 鎖が、紙みたいに切れた。

 相手の目が止まる。次の手が消える。

 俺は刃を追わない。止めるだけでいい。

 

 護衛が背後から入って、顎を取る。

 布。固定。縄。

 

 隊長格が息を吐いた。

 

「……押さえた」

 

 部屋の中は静かになった。

 火は止まった。逃げ道も止まった。

 

 床の白い灰が、灯りの下で変に浮いて見える。

 触れたくないのに、目が離れない。

 

 隊長格が机の上の封を掴み、数える。

 

「……多いな。ここが入口で、ここが本体だ」

 

 俺は刃を鞘へ戻した。

 抜いたのは一瞬だけ。これでいい。

 

 護衛が言う。

 

「箱は」

 

 隊長格が首を振る。

 

「今は開けない。運ぶ。詰所で開ける。……守りを固めてからだ」

 

 俺は頷いた。

 

「分かった」

 

 外へ戻る。

 灰の壁の白さが、入口の上でまだ浮いている。

 今夜は押さえた。

 でも、これで終わりじゃない。まだ奥がある。

 俺はもう一度だけ、穴の上を見た。

 ここから先は、街の外だ。




アマテラス「ふふ、赤雨よ。見事じゃ。
 抜くべき時だけ抜いて、余計に壊さず、逃げ道も潰した。
 あれだけの数を相手にして、形を崩さぬのは容易ではない。
 今夜は、ようやったのう」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。