「……行こう」
俺は本を開いた。
ページをめくった瞬間、紙のはずの手触りが消える。
指先の下にあるのは、薄い膜みたいな抵抗だけだった。
視界の端で、UIが一度だけ大きく乱れる。
──WARNING
──SYSTEM NOTICE
文字が出かけて、すぐに欠けた。
読み取れる前に、画面が“静かに”塗り替えられていく。
ふっと足元が、消える。
「っ──」
落下じゃない。
落ちる感覚はあるのに、風も重力も追いついてこない。
音がなくなる。
匂いもなくなる。温度もなくなる。
世界の情報が全部薄くなって、最後に残るのは“俺”だけ。
次の瞬間。
心臓を鷲掴みにされたみたいに、胸の奥が詰まった。
目の前が白く焼けて、胃が裏返る。
息ができない。
俺は反射で口を開くが、空気が入ってこない。
代わりに、喉の奥へ熱だけが流れ込む。
視界に、白い枠が出た。
──再誕処理中
処理中。
その文字が出たのを見た瞬間、笑うべきか迷って、やめた。
「……ふざけてる」
言葉が、音にならない。
口は動くのに、世界が返事をしない。
白い枠が、また変わる。
──レベル情報更新
──ステータス情報更新
──装備同期中
同期中。
そう出た瞬間、耳が熱くなる。肩が重くなる。胸元が冷える。
大神降ろし。
雷雲の軌跡。
不死鳥の羽根。
赤龍の具足。黒無垢の腕輪。耐性の指輪。深淵のマント。
確かに、身体に“残ってる”。
次に、骨の奥が軋んだ。
身体の中を、何かが組み替えていく感覚。
削られていく。
戻されていく。
“元の形”に押し戻される。
白い枠が、最後に一行だけ吐き出した。
──転生先:未定
「未定って……」
その一言を言い終える前に、視界が割れた。
白が砕けて、黒が押し寄せて、全部が落ちる。
俺は、何も掴めないまま。
暗闇に沈んだ。
息が苦しい。
鼻と口に、冷たい空気が入ってくる。
湿った匂い。土。苔。草の青さ。
目を開けた瞬間、視界いっぱいに緑があった。
芝みたいに均一じゃない。長さも太さも揃ってない。ところどころ折れて、枯れた先が混じっている。
風が、頬を撫でる。
いや──頬だけじゃない。
首筋、耳の後ろ、指の間。肌の上を細いものが滑っていく。
草だ。
俺は反射で手を上げて、地面を確かめる。
掌に当たる感触が、ざらついている。冷たくて、湿っていて、粒の大きい土が爪の間に入り込む。
「……」
ゲームなら、こんな“細部”は丸められる。
触った瞬間に一括で“草”って判定されて終わりだ。
でも、これは違う。
情報が多すぎる。必要以上に、世界が細かい。
鼻から息を吸う。
青い匂いが、肺の奥まで入ってきて、少しむせる。
──においが、濃い。
俺は起き上がろうとして、いったん止めた。
まず、確かめる。
おもむろに、目の前の草を指でつまむ。
葉の縁が指先に引っかかる。細かい毛みたいな抵抗がある。
そして、そのまま。
ぷつり。
あっけなく、ちぎれた。
切断面は湿っていて、透明な汁が指につく。
指先に青臭さが残る。
「……ちぎれるのか」
当たり前のはずのことが、妙に重い。
ゲームの草は、ただの背景だ。
触れたって、ちぎれない。ちぎれるとしても、採取判定で、アイテム欄に「草×1」が増えるだけ。
なのに今は、俺の指がそのまま草を裂いた。
力の入れ方で、切れ方まで変わる。
俺は草片を握りしめ、ゆっくり息を吐いた。
「……これ、ゲームじゃない」
どうなってるのか、何も分からない。
不思議と怖さは湧かなかった。
だが、焦りはある
胸が早鐘みたいに鳴る。
息が浅くなるのが分かって、余計に焦る。
「待て、待て……」
俺は自分に言い聞かせるように呟いて、周囲を見回した。
森。空。風。匂い。全部“本物”にしか感じない。
なのに、視界の端にはUIがある。
このチグハグが、頭をおかしくする。
「なんだよこれ……!」
足元の土を蹴ってみる。
柔らかい。沈む。靴裏に張り付く。嫌になるくらいリアルだ。
次は、草をもう一度ちぎる。
ぷつり。簡単に切れて、指に汁がつく。
俺はそれを投げ捨てて、両手を握りしめた。
「ログは!? 転移ログは!?」
視界を探しても、流れるはずの通知がない。
嫌な静けさだけが残る。
俺は反射でメニューを開いた。
設定。ヘルプ。システム。
そこにあるはずの項目を探す。
ログアウト。
……ない。
「は?」
指で画面を何度もスクロールする。
隅から隅まで探す。見落としがないように、文字を追う。
それでも、ログアウトの文字が出てこない。
試しに、いつもの操作を“意識”してみる。
ログアウトする、と強く思う。
何も起きない。
「……冗談だろ」
頭の中で最悪の想像が走る。
ログアウトはもうできない? ここで死んだら? 戻れないなら?
「……っ」
息が詰まって、視界が狭くなる。
俺は慌てて膝に手をつき、深く吸った。吐いた。吸った。吐いた。
風が肺に入ってくる。
匂いが濃い。土の匂いが、喉の奥に刺さる。
「大丈夫だ……まず確認、確認……」
俺は震える指で空中を叩き、ステータスを開いた。
表示が出る。
数字が並ぶ。装備欄もある。アイテムBOXもある。
それを見ただけで、少しだけ息が戻った。
「……ある。UIは、ある」
なら、やれることはある。
俺は装備欄を開き、刀の”大神降ろし”に触れる。
柄の感触が、掌に返ってくる。いつもより生々しい重さ。
鞘から少しだけ抜いて、刃を見た。
刀身はうっすら発光していて、神々しい。
その光輝く刀が頼もしく感じて少しだけ。落ち着きを取り戻すことが出来た。
俺は刃を鞘に戻し、息を吐く。
心臓の音はまだうるさい。けど、思考は戻ってきた。
今やるべきことは、シンプルだ。
生き延びるための優先順位をつける。
「まずは、水……それから、視界の確保。安全な場所を探す」
独り言みたいに口に出して、足を動かした。
森の中は静かだった。
静かすぎて、逆に怖い。鳥の声も虫の音も薄い。風が葉を揺らす音だけが、やけに大きい。
俺は歩幅を小さくし、音を殺して進む。
足元は柔らかく、落ち葉が沈むたびに小さく湿った音がした。
水。
まずは水だ。緊張で喉が乾いている。
耳を澄ませる。
遠くで、かすかなせせらぎが混じった。
音の方向へ、斜めに移動する。
木々の隙間から光が差し込み、地面にまだら模様を作っている。視界は悪い。だからこそ、まずは“見通し”が欲しい。
少し開けた場所へ出た。
小さな斜面。低い草地。奥に細い川が見える。
俺は立ち止まり、周囲を一度だけ大きく見渡す。
背中を晒しすぎない位置。逃げ道。遮蔽物。
……よし。
川へ近づく前に、手で口元を拭う。
自分の呼吸がうるさく感じる。今は、何もかもが大げさだ。
俺は川辺でしゃがみ、手を浸した。
冷たい。
掌の隙間から水が抜けていく。ちゃんと“流れてる”感触がある。
「飲める……よな」
見た目は透明だ。匂いも変じゃない。
でも、ここがどこか分からない以上、油断はできない。
俺はまず掌ですくって、唇だけ濡らす。
苦味はない。薬品臭もしない。
次に、少しだけ飲んだ。
……水だ。普通にうまい。
喉を通った瞬間、身体の奥がほどける。
さっきまで張り付いていた焦りが、ようやく剥がれた。
俺は息を吐いて、もう一度だけ周囲を見回す。
緊張が消えたわけじゃない。けど、もう暴れてはいない。考えられる。
「よし」
それから、川面を覗き込んだ。
水面に映るのは、黒髪の少年──俺だ。
俺が作ったアバターの顔だった
目鼻立ちは整っている。けど、画面越しじゃない分、やけに生々しい。
俺は頬に指を当てる。
冷たい。
皮膚がわずかに沈んで、戻る。
「……
名前を口にすると、胸の奥が静かに重くなった。
転生したんだ。ゲームの中の表示じゃない。ここにいる“俺”が
俺は鼻筋をなぞり、顎の輪郭を確かめる。
水滴が指先に移って、青臭い匂いが薄く残った。
水面の像が、瞬きに合わせて揺れる。
揺れても、消えない。
俺は手を離し、立ち上がった。
草が揺れた。
俺は、動かなかった。
──その前に。
ここで焦って動くのが一番まずい。
息を整えるために、俺は一度だけ意識を内側へ落とした。
装備。
今の俺の生命線だ。
視界の端の装備画面を指で叩き、ゆっくり開く。
表示された枠を、上から順に確かめていく。落とし穴がないか。反映が欠けていないか。
まず、刀。
【大神降ろし】(
攻撃力:2760
対“神性”特効/スキル攻撃威力+30%/STR+120
赫日刀術
天照(
『その刀身には”アマテラス
欠けず、折れず、曲がらず、切れ味が落ちることはない。
この刀を手にした者は
枠を見つめるだけで、指先が落ち着く。
鞘の重さが、現実に戻ってくる。
次、首元。
【雷雲の軌跡】(
防御力:190
通常攻撃速度+15%/移動速度+30%
AGI+90/DEX+45
スキル:紫電ステップ(CT12秒)
『雷雲を纏う者は、空が落ちる刹那にだけ笑う。
踏み出した一歩は、稲妻より早く、影は追いつけない。
残るのは軌跡だけだ』
紫電ステップは回避中、紫電に変化して無敵回避ができる。
回避だけじゃない素早いステップが出来る。
文字通り雷が走るように移動が出来るのだ。
このアイテムはまごうことなくぶっ壊れアイテムだ。なんせMP消費5で無敵回避ができるのだ。
……でも。
俺はその一文の先で、指を止めた。
「本当に、出るのか?」
ここは“いつものゲーム”の中じゃない。
表示が出ているからって、全部が同じように動く保証はない。
俺は川辺から少し離れ、足場のいい土の上に立った。
木の根も石もない。転んでも致命傷になりにくい場所を選ぶ。
深呼吸を1つ。
発動方法。
ボタンは……ない。
UIのどこを見ても、スキルアイコンが追加されている様子はない。
「……意識、か」
ゲームではそうだった。
スキルの発動は“入力”じゃなくて、“イメージ”に近い。
使うと決めた瞬間に行使できる。
俺は腰を落として、前を見る。
数歩先の木を目標に決める。
──そこまで、一瞬で。
そう意識した。
次の瞬間。
バリィッ!
空気が裂ける音が、耳のすぐ横で爆ぜた。
次の瞬間、身体の輪郭がほどける。
皮膚も骨も、重さも、ぜんぶが一拍だけ“光”に置き換わった。
俺は紫電になった。
雷鳴を細く引き伸ばしたみたいな振動が、世界を貫く。
視界が線になり、音が遅れて、匂いが消える。
そして──
ズバァンッ! バチバチバチッ!
紫電が着地点で弾けて、俺の身体が元に戻る。
足裏の接地が遅れて追いつき、息が肺に戻った。
俺は木の横に立っていた。
遅れて、髪が風に引っ張られ、頬を空気が叩く。
「は……ははっ」
笑いが漏れる。
すげぇ。
これ、本当に出る。速い。まさに稲妻みたいだ。
12秒経って俺はもう一度、同じ場所に戻るように意識する。
紫の光が足元で跳ねて、地面に細い焼け跡みたいな線が走る。
耳に残るのは、短い雷鳴の余韻。
ズバァンッ! バチバチバチッ!
次の瞬間、元の位置。
「やばい……!」
胸が熱い。耳の奥がまだ痺れている気がする。
そして、笑いが込み上げた。
「できた……!」
声が勝手に弾む。
緊張なんてどこかへ吹き飛んで、代わりに心臓が踊ってる。
「紫電ステップ、ちゃんと動く……!」
もう一度やりたくなる。
でも、ここで連打したら目立つ。音も光も派手すぎる。
俺は拳を握って、嬉しさを一度だけ飲み込んだ。
「……よし。改めて確認する」
装備は命綱だ。
動くと分かったなら、他も“今の環境で”どうなるか把握しておきたい。
俺は装備画面を開き、上から順に指でなぞる。
【大神降ろし】(
攻撃力:2760
対“神性”特効/スキル攻撃威力+30%/STR+120
赫日刀術
天照(CT1時間)/焔走り(5分)/日没(10分・空中条件)/飛炎(0秒)/晴雨(3分・防御貫通)
……スキルは、今は温存。
試すなら場所を選ぶ。天照なんて撃ったら森ごと終わる。まぁ今はMPが足らないのでどのみち撃てないが。
【雷雲の軌跡】(
実際に動いた。
なら、残りも──期待できる。
俺は耳元へ指を滑らせた。
【不死鳥の羽根】(
防御力:150
死亡時蘇生(CT24時間)
デスペナルティ大幅軽減(30%→10%)
全耐性上昇/LUK+90
俺は唾を飲んだ。
「……これも、動くのか」
さすがにこれを試す勇気は出ない。
“死亡時蘇生”。
本当に発動するか確かめるには、死ぬしかない。
そんな賭けを、今ここでやるわけがない。
それでも。
紫電ステップが動いた。
だったら、こっちも──期待していいはずだ。
次に視線を落とし、防具を確かめる。
【赤龍の具足】(
防御力:1630
VIT+170/DEX+130/AGI+80
竜種耐性/対竜+24%
スキル:覇龍の破斬(CT22分)
『赤い神龍アルサクオンの遺骸より作られた鎧。
龍神殿最奥、竜人のイズゥが最後まで守りたかったもの。
竜はこの鎧を着けた者を畏怖するだろう』
……兜は、付けていた方がいいかもしれない。
ゲームの頃、全身一式の防具は頭装備が“表示するかしないか”だけで、性能には一切影響しなかった。
だから普段は消していた。
でも今は違う。
気休めでもいい。覚悟を切り替えるための蓋が欲しい。
俺は外見枠を指で叩いた。
赤い面と角が現れて、顔を覆う。
視界は変わらない。息苦しさもない。
ただ、世界に向ける“自分の輪郭”だけが変わった。
次は腕。
【黒無垢の腕輪】(
防御力:70
STR+60/VIT+57/DEX+55/LUK+48
『何色にも染まらぬ腕輪。
嫁ぐ者にだけ許された黒は、誓いの色でもある』
補正値が優秀なだけでなんの効果もない。
だが今はその数値にの高さに安心感を覚える
指。
【耐性の指輪】(
防御力:40
INT+73
石化/腐食/猛毒耐性上昇
厄介な状態異常の耐性をまとめてあげてくれる非常に優秀な装備だ
MPであるINTをあげてくれる装備だ。
スキルや魔法はMPを消費して力を行使する。
今はレベル1のステータスだ。
職業”修羅”の初期ステータスはINTが一番低く10しかない。それを上げてくれるのはありがたい。MPを使うスキルは攻撃力に直結する赫日スキルは基本的に消費MPが重い
背中。
【深淵のマント】(
防御力:150
補正:INT+62
効果:恐怖耐性上昇/威圧耐性上昇
『深淵の気配を縫い込んだマント。
震えを切り離し、声の重さを奪う。
恐怖は薄れ、威圧は霧散する』
……よし。
全部そろってる。
紫電ステップが“使える”なら、俺はまだ戦える。
装備画面を閉じた時、森の空気が少し重く感じた。
さっきの発動音。
あれで、何かを呼んだかもしれない。
俺は川の流れを背にしない位置へ移動して、周囲を見回す。