神殺しのデミゴット   作:ののじん

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第20話 杯を置く音

 外へ戻る。

 灰の壁の白さが、入口の上でまだ浮いている。

 

 今夜は押さえた。

 でも、これで終わりじゃない。まだ奥がある。

 

 俺はもう一度だけ、穴の上を見た。

 ここから先は、街の外だ。

 

 隊長格が言った。

 

「荷を運ぶ。口も運ぶ。……噛ませるな」

 

 衛兵が頷き、縄を増やす。

 顎を固め直す。口を二重に塞ぐ。

 捕縛者は喉で笑ったままだ。

 

 護衛が低く言う。

 

「笑ってても油断するな」

 

 俺は箱を見た。

 小さいのに、重く見える。

 

 箱は開けない。

 今は運ぶ。

 

 入口の石が戻される。

 衛兵が上から押さえ続ける。

 誰かが下から押しても、開かない形。

 

 隊長格が俺を見る。

 

「お前は荷の横につけ。目を離すな」

 

 俺は頷いた。

 

「分かった」

 

 地上へ戻る道は、静かだ。

 静かなまま、忙しい。

 

 荷車が引かれる。

 箱が布で包まれる。

 封の束が胸の内にしまわれる。

 

 森を抜ける。

 灰の壁の外れを抜ける。

 街の灯りが見える。

 

 灯りがあるのに、落ち着かない。

 ここまで来ても、まだ遅いって言葉が耳に残っている。

 

 詰所へ入ると、空気は張り付いたままだった。

 守りの忙しさ。

 そして、狩りの忙しさ。

 

 隊長格が机を指で叩く。

 

「まず口。次に封。箱は最後だ。……医務も呼べ。箱の中身が粉なら、吸ったら終わる」

 

 衛兵が走る。

 

「はい!」

 

 捕縛者が椅子に縛られる。

 手も足も固定される。

 顎も固められる。

 

 護衛が囁く。

 

「噛み毒は全部回収した。だが、隠してる可能性はある」

 

 隊長格が短く返す。

 

「口を開けさせるのは最後。まず話させろ。……詰所の奥でやれ」

 

 捕縛者は笑ったままだ。

 笑いの種類が変わっていない。

 

 隊長格が椅子の前に立つ。

 

「ここで何をしてた」

 

 返事はない。

 口は塞がれている。だが、首は動く。目は動く。

 

 隊長格が続ける。

 

「箱の行き先はどこだ」

 

 捕縛者の目が、ほんの少しだけ揺れた。

 たぶん、それが答えだ。

 

 護衛が言う。

 

「揺れましたね」

 

 隊長格が頷く。

 

「揺れた。……行き先がある」

 

 隊長格は衛兵に目で合図した。

 衛兵が布を少しだけ外す。口が開く程度。噛めない形は残す。

 

 捕縛者が息を吐いた。

 

「……遅い」

 

 またそれだ。

 同じ言葉。

 同じ笑い。

 

 隊長格が声を落とす。

 

「どこが遅い」

 

 捕縛者は笑う。

 

「ここを押さえても……上は止まらねえ」

 

 護衛が低く言った。

 

「上、ですか」

 

 捕縛者は口元を歪めた。

 

「俺たちは……ただの手だ」

 

 隊長格の指が机を一度だけ叩く。

 

「手なら、誰の手だ」

 

 捕縛者は黙った。

 黙って、舌を動かす。噛もうとする癖。

 

 護衛が即座に顎を押さえ、布を戻す。

 固定し直す。

 

「……危ない」

 

 隊長格は息を吐いた。

 

「いい。口は割れなくてもいい。封がある。箱がある。……手は繋がってる」

 

 封の束が机に広げられる。

 印。書式。紙質。

 同じ線が見える。

 

 隊長格が言う。

 

「金鈴亭。灰の壁。地下の入口。……全部が一本だ」

 

 衛兵が封の端を指差す。

 

「この印は……」

 

 護衛が短く返す。

 

「同じ型です。押し方も似てる」

 

 隊長格の視線が一瞬だけ止まった。

 嫌な止まり方。

 

「……印が揃う場所は限られる」

 

 護衛が言う。

 

「内側、ですね」

 

 隊長格は頷く。

 

「内側だ」

 

 俺は箱を見る。

 開けるのは明け方。

 今は守りを固める。

 

 隊長格が言った。

 

「箱を運び込む。鍵付きの部屋へ。守りは二重。……誰も触るな」

 

 衛兵が頷く。

 

「はい」

 

 箱が布で包まれたまま、奥へ運ばれる。

 扉が閉まる。鍵がかかる。

 さらに衛兵が二人、前に立つ。

 

 護衛が小さく言った。

 

「……ここまで押さえたのに、まだ終わってない顔ですね」

 

 俺は短く返した。

 

「終わってない」

 

 夜の外は静かだ。

 静かなのに、悪い予感だけは消えない。

 

 隊長格が俺を見る。

 

「休め。10分でいい。……明け方に箱を開ける。その場に立ち会え」

 

 俺は頷いた。

 

「分かった」

 

 廊下を歩く。

 小部屋の前を通る。

 

 扉の向こうは静かだ。

 守りの足音がある。

 それが、今は一番安心できる音だった。

 

 俺は壁にもたれ、目を閉じた。

 10分だけ。

 息を整えるために。

 

 ――でも、頭の中は止まらない。

 

 地下の白い灰。

 封の束。

 小さな箱。

 

 そして、遅いという言葉。

 

 俺は目を開けた。

 

 箱の中身が、次の夜を決める。

 

 明け方はまだ遠い。

 でも、詰所の中はもう朝みたいに動いていた。

 

 足音。

 水の音。

 紙を束ねる音。

 眠るための音じゃない。起きているための音だ。

 

 隊長格が廊下に出てきた。

 目の下に影がある。だが、動きは鈍っていない。

 

「起きてるな」

 

 俺は頷く。

 

「起きてる」

 

 隊長格が短く言う。

 

「箱だ。医務も来た。……立ち会え」

 

 鍵の部屋へ向かう。

 扉の前に衛兵が2人。さらに廊下の端にも1人。

 守りが厚い。

 

 隊長格が鍵を受け取り、確認する。

 封はされていない。封に頼らない。人の目で守る形だ。

 

「開ける」

 

 衛兵が息を飲む。

 護衛は布を握ったまま、箱から視線を外さない。

 

 俺は左手を柄頭に置いた。

 抜くためじゃない。体を落ち着かせるためだ。

 

 箱の蓋が外れる。

 

 中は暗い。

 布が敷かれている。

 その布の上に、小さな核みたいなものがあった。

 

 白い。

 灰の壁と同じ白さ。

 でも粉じゃない。固い。石でもない。

 

 医務が一歩だけ近づいて、匂いを確かめる。

 

「……灰。ですが、固めていますね。吸い込む危険は小さい。触るのは避けた方がいいですが」

 

 隊長格が言う。

 

「固めた灰。……何に使う」

 

 護衛が小さく言った。

 

「売り物じゃないですね」

 

 俺は核を見た。

 見ているだけで、指先が冷える。

 嫌な冷え。理屈じゃなく、体が嫌がる。

 

 隊長格が封の束を机に置く。

 

「封は“受け取り”のためだ。……なら、中身は“渡すため”」

 

 護衛が言う。

 

「渡した先で、何かをする」

 

 隊長格は頷いた。

 

「そうだ。……ここで形を整えて、外へ流す」

 

 医務が一言だけ言った。

 

「これ、薪や紙の灰じゃありません。……焦げの匂いがないのに、粉の匂いだけ残っています」

 

 隊長格が核を布ごと包ませ、箱を閉めた。

 すぐに閉める。見た分だけで十分だ。

 

「これは証拠だ。……だが、証拠だけじゃ足りない。誰が流してる」

 

 護衛が言う。

 

「封に印がある」

 

 隊長格が封をめくる。

 印の押し方。紙の質。

 金鈴亭と同じ。だが、いくつかだけ、少し違う。

 

 隊長格の指が止まった。

 

「……これ」

 

 護衛が覗く。

 

「違いますね。薄い。押し方も浅い」

 

 隊長格が言う。

 

「同じ型を使える場所で、押せる奴が違う」

 

 護衛が低く言った。

 

「内側ですか」

 

 隊長格は頷いた。

 

「内側だ。……だが、名を出すには足りない」

 

 俺は封を見た。

 紙が薄い。押しが浅い。

 急いで押したか、慣れていないか。

 それでも型は同じだ。触れる場所が限られる。

 

 隊長格が言った。

 

「雇い主に聞く。今すぐだ」

 

 護衛が俺を見る。

 俺は頷いた。

 

「分かった」

 

 小部屋の前。

 守りが2人立っている。顔が硬い。

 扉の隙間から、薬草の甘い匂いがまだ漏れている。

 

 隊長格が言った。

 

「入る。長くはやらない」

 

 守りが頷き、扉を少し開けた。

 

 中は灯りが弱い。

 ヘルミーナ様は椅子に座っていた。

 顔色は白いが、目は合う。意識ははっきりしている。

 

 侍女は寝台で横になっている。呼吸は浅いが安定している。

 

 医務がすぐに言った。

 

「会話は短く。息が荒くなったら止めます」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に頷く。

 

「承知しています」

 

 隊長格が机の上に、封を1通だけ置いた。

 広げない。見せるだけ。

 

「この封だ。蝋印に見覚えはあるか」

 

 ヘルミーナ様は封を見た。

 近づかない。視線だけで確認する。

 

「……クライブ家の封蝋印と型が同じです」

 

 護衛が言った。

 

「押し方は違う。手が違う」

 

 ヘルミーナ様が小さく頷いた。

 

「はい。位置も違います。癖も違う。……それに、押しが浅い」

 

 隊長格が言った。

 

「同じ印章に触れられる人間は限られる。――心当たりはあるか」

 

 ヘルミーナ様は一拍だけ黙った。

 迷っている沈黙じゃない。選んでいる沈黙だ。

 

「……兄上です」

 

 隊長格の目が細くなる。

 

「名は」

 

 ヘルミーナ様が丁寧に言った。

 

「エドガーです。エドガー・クライブ。今はクライブ公爵家の実権を握っています」

 

 空気が重くなる。

 護衛の指が少しだけ動く。

 俺は柄頭を握り直した。

 

 隊長格が続ける。

 

「エドガー本人が押したとは限らない。だが、印章に触れられる。……それだけで線になる」

 

 ヘルミーナ様が、呼吸を整えながら言う。

 

「城です。印章は城の管理下にもあります。兄上は、城に顔が利きます」

 

 隊長格が頷いた。

 

「十分だ」

 

 医務がすぐに言った。

 

「ここまでです。休ませます」

 

 医務がそう言って、椅子の背に手を添えた。

 もう終わり、という動きだった。

 

 ヘルミーナ様は一拍だけ目を閉じる。

 そして、静かに開いた。

 逃げない目だ。

 

「……待ってください」

 

 医務が眉を寄せる。

 

「お嬢様」

 

 ヘルミーナ様は丁寧に言った。

 

「私も行きます」

 

 部屋の空気が止まった。

 守りの兵も、扉の外で息を止めたのが分かる。

 

 医務が即座に首を振る。

 

「無理です。吸引は浅いとはいえ、今は――」

「承知しています」

 

 ヘルミーナ様は遮らない。

 遮らずに、言い切る。

 

「ですが、兄上の顔を見ておく必要があります。……ここで隠れていては、次の手が読めません」

 

 隊長格が低く言った。

 

「顔を出すだけだ。長居はしない」

 

 医務が視線を鋭くする。

 

「“だけ”で済む保証はありません」

 

 ヘルミーナ様が、ほんの少しだけ息を整える。

 それでも声は丁寧だ。

 

「倒れそうなら、その場で止めてください。……短時間で済ませます」

 

 医務が歯を噛む。

 反対したい。だが、本人の覚悟が固い。

 

「……分かりました」

 

 医務が言った。

 

「条件があります。水を持たせます。口元は布で覆ってください。息が荒くなったら、すぐ引き返します」

「はい」

 

 ヘルミーナ様は頷いた。

 

 隊長格が言う。

 

「護衛は厚くする。だが人数は増やしすぎない。目立てば相手は引く」

 

 護衛が短く返した。

 

「了解」

 

 俺は柄頭に左手を置いたまま、ヘルミーナ様を見る。

 

 目が合う。

 

「……セキサメさん」

「はい」

「追い詰めたら、何をするか分かりません。どうか、気をつけてください」

 

 俺は頷いた。

 

「分かった」

 

 隊長格が扉へ向かう。

 

「行くぞ。城へ」

 

 護衛が先に出る。

 廊下の角を押さえる。目の動きが速い。

 

 俺は最後に出て、扉が閉まるのを見届けた。

 守りの兵がすぐに位置へ戻る。

 小部屋は守れる形になった。

 

 廊下を歩き出す。

 足音は抑える。だが急ぐ。

 急いで見せない速さだ。

 

 隊長格が前を見たまま言った。

 

「……そういえば」

 

 俺は視線だけ向ける。

 

「何だ」

「お前の名、聞いてない。呼ぶ時に困る」

 

 理由は短い。

 今みたいに動くなら、必要だ。

 

 俺は答える。

 

「セキサメだ」

 

 隊長格は一拍だけ間を置いて、言い直す。

 

「セキサメ。……分かった」

 

 護衛が小さく言った。

 

「隊長も名を」

 

 隊長格は歩幅を変えずに言った。

 

「ガイゼルだ。詰所では隊長で通ってる」

 

 俺は頷く。

 

「ガイゼル。分かった」

 

 護衛も続けた。

 

「俺はロルフです」

「ロルフ。分かった」

 

 ガイゼルが言う。

 

「城の中では名を連呼するな。必要な時だけだ。目が多い」

「分かった」

 

 詰所の門を出る。

 昼の光が強い。

 夜と違って、人の目が多い。

 

 ヘルミーナ様は上着の襟を整え、口元の布を軽く押さえた。

 顔色はまだ白い。

 それでも歩幅は崩れない。

 

 医務が水袋を渡して言った。

 

「苦しくなったら、すぐ飲んでください。……無理はしないで」

「はい。ありがとうございます」

 

 丁寧に答えて、ヘルミーナ様は外へ出た。

 

 通りは広い。

 商人の声が途切れない。

 馬車が通り、すれ違う人が多い。

 

 ロルフが半歩前へ出る。

 道を作る。ぶつからないための動きだ。

 

 俺はさらに半歩後ろ。

 壁の位置を崩さない。

 

 ガイゼルが低く言った。

 

「刃は抜くな。抜かせるな。……名目が要る」

 

 ロルフが頷く。

 

「了解」

 

 王城の壁が見えてきた。

 高い。重い。

 近づくほど空気が固くなる。

 

 門の前には槍が揃っている。

 目が揃っている。

 詰所の目とは違う、城の目だ。

 

 ガイゼルが前へ出て、詰所の印を見せた。

 

「騎士団だ。公爵家の件で報告がある」

 

 門衛の視線がヘルミーナ様へ移る。

 顔色を見て、眉が動く。

 

「……ご体調は」

 

 医務が一歩だけ出た。

 

「長くは留まりません。顔を出して戻します」

 

 ガイゼルが続ける。

 

「公爵令嬢をお送りする。短時間で済ませる」

 

 門衛が頷いた。

 

「承りました。ですが武具の制限があります」

「緊急だ。携行は必要最小で通す。問題が出たら俺が責任を取る」

 

 門が開く。

 中の空気は外より冷たい。

 石の匂いが強い。

 

 廊下を進む。

 窓から光が差し、床に影が伸びる。

 足音が響きやすい。余計な音が出る場所だ。

 

 奥から、笑い声が聞こえた。

 高い声。軽い声。

 宴の声だ。

 

 扉が開いている。

 甘い香りが流れてくる。料理と酒と香水。

 全部が“何も起きてない”顔を作る匂い。

 

 ガイゼルが小さく言った。

 

「顔を出すだけだ。……見たら引く」

 

 ヘルミーナ様が頷く。

 

「はい」

 

 広間に入る。

 

 天井が高い。

 燭台の灯りが多い。

 貴族が集まり、笑って、乾杯している。

 

 その中心に、男がいた。

 

 背が高い。肩が広い。

 服が整っていて、笑みが丁寧だ。

 手にはワインのグラス。

 

 ゆっくり口に運ぶ。

 急がない。怖くない。

 勝っている人間の飲み方だ。

 

 ヘルミーナ様の指先が、一瞬だけ止まった。

 すぐ戻る。だが、その一瞬で分かる。

 

 ロルフが息を殺して言った。

 

「……エドガー」

 

 エドガー・クライブ。

 ここにいる。王家の宴の中心に。

 

 ガイゼルが前へ出る。

 空気を割らずに進み、輪の手前で止まった。

 

「クライブ公爵家ご嫡男、エドガー・クライブ様」

 

 エドガーが視線を向ける。

 笑みは崩れない。

 崩れないまま、ワインをもう一口だけ含んだ。

 

「これはこれは。騎士団の方ですか」

 

 ガイゼルが低く言う。

 

「話がある。――少し同行を願う」

 

 周りの笑いが止まる。

 グラスの音が消える。

 空気が一段だけ冷える。

 

 エドガーは微笑んだまま言った。

 

「ここで、ですか。王家の宴の最中に?」

 

 ガイゼルは封の写しを一枚だけ見せた。

 広げない。見せびらかさない。必要な人にだけ見せる。

 

「灰の壁の外れで押さえた。……封の蝋印が、クライブ家のものと同じだった」

 

 エドガーの目が、ほんの一瞬だけ細くなる。

 次の瞬間、また笑いに戻る。戻し方が上手い。

 

「物騒な話ですね。ですが、印など誰でも真似できる」

 

 ロルフが静かに言った。

 

「真似じゃない。同じ印章で押してる」

 

 エドガーは肩をすくめる。

 

「それが何を意味するのか、私には」

 

 ヘルミーナ様が一歩だけ前へ出た。

 声は丁寧だが、逃げない。

 

「兄上」

 

 エドガーの視線が、ゆっくりこちらへ移る。

 笑みは、薄くなった。

 

「……顔色が悪いですね、妹よ。詰所で休んでいればいいものを」

 

 ガイゼルが言った。

 

「同行を願う。拒否するなら、この場で押さえる理由を作る」

 

 エドガーは、余裕のままワインを飲み干した。

 そして、グラスをテーブルに置く。音は小さい。だが全部の耳に届く。

 

「騎士団の人間は、いつから貴族の肩を叩けるようになったのですか」

 

 口調が変わった。

 丁寧なのに、刃が出る。

 

 ガイゼルが返す。

 

「“公”だ。必要なら叩く」

 

 エドガーは笑った。目が笑っていない。

 

「あなた方は、掴んだつもりなのでしょう。……ですが掴んだのは端だ」

 

 そして、袖の中へ手を入れる。

 

 俺の背中が冷える。

 嫌な冷えだ。灰の壁と同じ冷え。

 

 エドガーが小さく言った。

 

「いいでしょう……では、見せてあげましょう」

 

 指の間に、白い欠片が見えた。

 

 ヘルミーナ様の息が、わずかに止まる。

 

「……それは……」

 

 エドガーは笑う。

 

「少し、予定を変えます」

「この国が崩れるところを、お見せしましょう」

 

 ガイゼルが踏み込む。

 

「押さえろ!」

 

 ロルフが動く。

 俺も動く。だが――一拍、遅い。

 

 エドガーが欠片を握り潰すように力を入れた。

 白い光が、指の隙間から漏れた。

 

 広間の灯りが負けるほどの白さ。

 

 近づいた衛兵が、足を止める。

 息が詰まるみたいな圧が、肌に当たった。

 

 エドガーは逃げない。

 堂々とその場に立っている。

 

「焦らなくていい。どうせ勝つ」

 

 白い光が床へ落ち、模様みたいに広がっていく。

 そしてエドガーは歩いた。広間を壊さず、庭へ抜けるために。

 

 ガイゼルが低く言った。

 

「追う。……庭へ出すな」

 

 俺は柄へ手を滑らせる。

 

「止める」

 

 扉の向こうに、外の光。

 王城の庭が見えた。

 

 戦いは、もう始まっている。




アマテラス「ほほう、赤雨よ。
 人が笑う場で、神の欠片を弄ぶとは――随分と趣味が悪いのう。
 じゃが安心せい。おぬしの刃は、そういう余興を“終わらせる”ためにある」
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