カラドが剣を引き抜いた。
青い霧が一気に広がる。
――来る。
俺は、回避の準備だけ残して前へ出た。
逃げない。逃げたら、霧は人へ流れる。
青い霧は冷たい。
でも、息が白くなるような冷たさじゃない。
胸の内側を押してくる冷たさだ。
吸い込んだら、体が遅くなる。そういう“圧”に近い。
俺は口を布で覆った。
騎士たちも同じ動きをしている。
ガイゼルが低く言った。
「下がれ。庭を開けろ。……避難を優先しろ」
命令は正しい。
普通なら、ここで退く。
あれは勝てる相手じゃない。
でも、俺は前に出る。
退けば、カラドは次の標的を探す。
庭に残った者へ向く。
それだけはさせない。
俺は足を止めない。
霧の薄い場所を選んで、半歩ずつ詰める。
カラドが動いた。
剣を横に払う。霧ごと払う。
霧の線が、刃に沿って伸びた。
見たことのない動きだ。
ゲームなら、ただの横薙ぎで終わる。
今のは違う。
刃の先から、青い刃が“遅れて”伸びてくる。
俺は迷わず回避を切った。
紫電ステップ。
音が短く鳴る。
体が横へ抜けた。
抜けた先の石畳が、青い刃で削れた。
直撃していたら、鎧の上からでも終わっていた。
ガイゼルが声を荒げた。
「やめろ! 退け!」
俺は振り向かない。
言い返す時間もない。
カラドの目の光が、俺を追う。
いい。俺だけを見ろ。
俺は刀を下げた。
居合の形には入らない。
MPは残す。次の紫電ステップのために。
踏み込む。
巨体の内側へ。
剣の根元へ近い場所へ。
大神降ろしの炎が、刃に沿って揺れた。
熱は来ない。燃えない。
でも、刃だけが答えている。
俺は短く斬った。
鎧の継ぎ目。肩の付け根。肘の線。
金属が鳴る。
火花が散る。
硬い。だが、カラドの腕が一拍遅れた。
押せる。
俺はさらに半歩入った。
距離が近いのは、相手にとっても邪魔だ。
3メートルの体は強いが、近すぎると剣が振れない。
カラドが剣を持ち上げた。
縦。落とす。
さっきより速い。
正面で受けたら終わる。
だから受けない。
俺は、剣の落ちる線を“ずらす”。
刃の側面へ打ち込む。
押し返すんじゃない。角度を変える。
剣が少しだけ外へ流れた。
その瞬間、足元の霧が濃くなる。
円を描くみたいに広がっていく。
また見たことのない動きだ。
でも、やることは同じ。
霧を人へ行かせない。
中心を潰す。
俺は息を止めて、霧の中心へ踏み込んだ。
カラドの足元。剣の死角。
ここなら、広げにくい。
俺はアイテムボックスへ指を滑らせた。
一瞬だけ小瓶を出す。
青ポーション。
栓を弾いて喉へ流し込む。
冷たい液体が落ちて、体の奥が軽くなる。
俺は構え直した。
居合。
この距離なら、避けにくい。
赫日刀術――飛炎。
抜きと同時に、斬撃が飛ぶ。
居合から放った分、線が太い。
カラドの胸の装甲へ叩きつける。
抜けない。
でも、押し返した。
カラドの上体が、僅かに揺れる。
揺れた分だけ、霧の広がりが遅れる。
俺はその遅れを、逃さない。
赫日刀術――飛炎。
今度は角度を変える。胸の縦の光。
鎧の中心。そこが“核”なら、止まる。
青と赤がぶつかって、光が弾けた。
カラドの目の光が、細く揺れた。
反応はある。
ガイゼルの声が、遠くなった。
怒鳴っているのは分かる。
でも今は聞かない。
俺は前へ出続ける。
止める。削る。折る。
倒し切れる。
カラドが、もう一度剣を引いた。
今度は、霧じゃない。
霧の中から、青い刃が“生える”気配がした。
――次は、踏み外せない。
俺は回避の準備だけ残したまま、刀を正面に立てた。
ここで決める。
青い霧が、地面から“刃”みたいに立ち上がる。
一本じゃない。三本、四本。
庭の石畳を裂きながら伸びてくる。
ゲームで見たことがない。
カラドのはずなのに、別の手だ。
でも、形は分かりやすい。
範囲攻撃。踏んだら終わる。
俺は跳ばない。
跳ぶと着地が読まれる。
だから、抜ける。
紫電ステップ。
音が短く鳴る。
体が横へ抜けた。
青い刃が、俺のいた場所を削っていく。
石が粉になる。粉が霧に吸われる。
抜けた先でも、霧はまだ濃い。
視界が白く霞む。
口の布の内側が冷える。
カラドが踏み込んだ。
一歩で距離が詰まる。
大剣が横へ走る。霧ごと薙ぐ。
広い。
正面で受けたら終わる。
俺は刃の内側へ入った。
剣の根元へ近い位置。
振り抜きにくい場所だ。
大神降ろしの炎が、刃に沿って揺れた。
神性を前にすると、勝手に燃える。
俺はそれを利用するだけだ。
短く斬る。
肩の付け根。肘の線。継ぎ目。
硬い。だが、反応がある。
カラドの剣が一瞬止まった。
止まって、縦に上がる。
落とす。
俺は回避を切る。
ここは惜しまない。
紫電ステップ。
剣が落ちた場所が割れた。
衝撃が足元から来る。
避けても、腹の奥が揺れる。
俺は着地と同時に、前へ入った。
下がらない。下がれば霧が人へ流れる。
庭の端で、騎士が盾を立てている。
その後ろで、貴族たちが固まっている。
動けない者がまだいる。
だから、俺が止める。
俺は刀を戻した。
居合の形に沈む。
飛炎はMP10。今なら撃てる。
赫日刀術――飛炎。
居合から放つ。線が太い。
狙いは胸の縦の光。
核があるなら、そこだ。
斬撃が当たって、青い光が弾けた。
火花が散る。赤い炎が刃に揺れる。
カラドの目の光が、細く揺れた。
効いてる。
俺は止まらずに、もう一歩入る。
飛炎で止めた一拍を、体で奪う。
通常攻撃。
短く。速く。確実に。
継ぎ目を叩く。関節を叩く。
剣を振れない距離に張り付く。
カラドが腕を振りほどこうとする。
巨体の力が来る。
押し潰す力だ。
俺は押し返さない。
横へ逃がす。
体を半身にして、力を流す。
足元の霧が、また円を描く。
さっきより速い。
繰り返しだ。学習してる。
――次は、中心を作らせない。
俺は剣の柄へ視線を置いた。
霧は剣から出ている。
なら、剣を“固定”させなければいい。
カラドが地面へ刺そうとする。
その前に、俺が動く。
赫日刀術――飛炎。
今度は核じゃない。
手首。握り。柄の根元。
居合からの一撃で、剣を刺す角度を崩す。
斬撃が当たって、カラドの剣が僅かに浮いた。
刺せない。
霧の円が途中で途切れる。
止まった。
その瞬間、庭の空気が一段軽くなった。
騎士たちの動きが戻る。
盾が前へ出る。人が後ろへ下がる。
ガイゼルの声が、近くで響いた。
「……もういい! 戻れ! お前が死ぬ!」
俺は答えない。
答える余裕はない。
今、目の前の一撃を外したら、終わる。
カラドが、俺を見下ろした。
3メートルの影が落ちる。
その目の光が、初めて“怒り”みたいに揺れた。
次が来る。
今までより重い。
カラドが剣を引いた。
霧が一気に薄くなる。
代わりに、刃の青い光が濃くなる。
集中。
一点に集めてくる。
今度は、広げない。貫く。
俺は息を吐いた。
MPの残りを数える。
紫電ステップは使える。
飛炎も撃てる。
覇龍の破斬は、MPに余裕がない。
だから、決め手は俺の腕だ。
俺は刀を下げた。
居合の形。
目は刃の光。足はカラドの肩。
来る瞬間だけ、見る。
カラドが踏み込む。
剣が真っ直ぐ来た。
横でも縦でもない。突き。
青い光の槍。
――外す。
紫電ステップ。
体が抜ける。
青い槍が、俺のいた場所を貫いて庭の奥まで伸びた。
石が割れ、土が跳ねた。
あれが人へ行っていたら、終わっていた。
俺は抜けた先で、もう構えている。
突きは、引き戻しに一拍かかる。
その一拍が、俺の番だ。
踏み込む。
狙いは胸の縦の光。
核の線だけを見る。
刃を短く振った。
火花が散る。大神降ろしの炎が刃に沿って揺れる。
深くは入らない。だが、押し返す。
今度は、逃がさない。
斬撃が当たった。
青い光が大きく揺れ、霧が一瞬途切れた。
カラドの巨体が、ほんの半歩だけ止まる。
――ここだ。
俺は通常の踏み込みで距離を潰した。
刃を短く振る。
核の周りを削る。割れ目を作る。
もう一度、飛炎を撃つか。
それとも、温存して回避を残すか。
俺は迷わない。
赫日刀術――飛炎。
次の斬撃が、カラドの胸の光へ吸い込まれていった。
青い光が、揺れた。
揺れて、細くなる。
霧が一瞬だけ途切れる。
カラドの足が止まった。
3メートルの巨体が、初めて“踏ん張れない”みたいに沈む。
俺はその一拍を逃さない。
追い込む。逃がさない。
でも、突っ込みすぎない。回避は残す。
カラドが剣を持ち上げる。
縦。落とす。
最後の力で潰しに来る。
受けない。
紫電ステップ。
短い音。
体が横へ抜ける。
剣が落ちた場所が割れて、青い霧が吹き上がった。
霧は広がらない。
広がる前に、胸の光が弱い。
今の飛炎が、効いている。
俺は抜けた先から、もう一度だけ踏み込んだ。
狙いは変えない。胸の縦の光。
核がそこなら、折れる。
でも、MPはもう無駄にできない。
飛炎は使った。回避も切った。
残りは、通常で削る。
刃を短く振る。
硬い。火花。
大神降ろしの炎が、刃に沿って強く揺れる。
熱は来ない。燃えない。
ただ、神性の前で刃が答えている。
カラドの胸の光が、さらに細くなった。
目の光も揺れる。
苛立ち。焦り。そういう揺れだ。
カラドが、剣を引いた。
さっきまでの“霧”じゃない。
光が刃へ集まる。一点に。
――突き。
直線の攻撃は速い。
避け損ねたら終わる。
俺は半歩だけ退いた。
退くんじゃない。角度を作る。
突きが来る。
紫電ステップは、すぐには戻らない。
だから、ここは“体で外す”。
俺は肩を落として、刃の横へ滑り込んだ。
青い槍が、俺の脇を抜ける。
風が背中を撫でた。
近い。
巨体の内側。
剣の根元。
ここだ。
俺は刃を短く振る。
胸の縦の光を、斜めに切る。
線をずらす。割れ目を広げる。
青い光が、音を立てずにひび割れた。
霧が、吸い込まれるみたいに消えていく。
カラドの大剣が落ちた。
重い音。庭が震える。
巨体が、膝をついた。
3メートルの体が沈むと、影がほどける。
俺は止まらない。
倒れきる前に、終わらせる。
最後の一歩。
胸の光の中心へ、刃を真っ直ぐ入れる。
大神降ろしの炎が、刃の線だけ燃え上がった。
赤い炎が、青い光を切り裂く。
光が消えた。
カラドの目の光も、同時に落ちた。
巨体が前へ倒れる。
土が跳ね、石が鳴る。
庭が静かになった。
霧が消えて、夜の空気が戻ってくる。
俺は息を吐いた。
勝った。
背後で、誰かが膝から崩れる音がした。
騎士か、貴族か、分からない。
でも、生きている音だ。
ガイゼルの声が、少し遅れて届いた。
「……終わったのか」
俺は刀を鞘へ戻した。
ゆっくり。見せつけない。
手が震えていないことだけ確かめる。
「終わった」
カラドの体から、青い光が抜けていく。
霧がほどけるように薄くなって、夜の空気へ溶けた。
燃えない。崩れない。
巨体は、そのまま庭に横たわる。
重い鎧と大剣だけが残って、動かない。
残るのは――静けさだけ。
そして、遅れて、視線が刺さる。
庭にいる全員の視線が、俺に集まっている。
怖れじゃない。
分からなさの目だ。
俺は、それを受け止めた。
今は言い訳をしない。
まずは、立っている。
次に来るのは、刃じゃない。
言葉だ。
俺は一度だけ、王城の灯りを見上げた。
上で、誰かが見ている気配がした。
気配は一つじゃない。
窓の暗がり。回廊の影。
灯りの縁で、人が止まっている。
俺は見返さない。
今は、下だ。
庭の中心には、カラドが倒れている。
巨体がそのまま残って、動かない。
大剣も、腕の下に沈んでいる。
騎士たちが距離を取って円を作った。
槍が揃う。盾が前に出る。
誰も近づかない。
怖いからじゃない。
“触っていいものなのか”分からない動きだ。
その外側で、ガイゼルが男を押さえていた。
腕を捻り、膝を落とさせ、逃げ道を全部消している。
――エドガー。
さっきまでの余裕は、もうない。
口元は笑おうとしているのに、頬が引きつる。
息が浅い。目が泳ぐ。
俺の視線に気づいた瞬間、エドガーは叫んだ。
「馬鹿な……!」
声が裏返る。
あの巨体を見ているのに、目は現実を拒んでいる。
「下級神兵だぞ! あれは……“神”なんだぞ! 落ちるはずがない!」
隊長格が腕を捻り、膝を落とさせる。
エドガーは痛みに顔を歪めても、叫ぶのをやめない。
「あり得ない、あり得ない……! 欠片は“正しい”! 手順も、量も――!」
そこで言葉が詰まった。
自分で言ってしまった。
隊長格の声が冷たい。
「欠片だな」
「……っ!」
エドガーの瞳が揺れる。
揺れて、焦点が散る。
「違う! 違う、違う……! 俺はただ、使っただけだ! この国が――この国の方が間違ってる!」
ガイゼルが一歩前に出た。
声は低い。刃みたいに短い。
「王城でそれをやった時点で、お前が間違いだ」
エドガーは噛みつくように言った。
「黙れ! 貴様らが……貴様らが“正しい”顔をするな! あれが落ちたら……俺の――!」
最後まで言えない。
言ったら終わりだと分かっている。
その瞬間、喉の奥で声が潰れた。
肩から力が抜ける。
抵抗していた腕が止まり、エドガーはがくりとうなだれた。
息だけが浅く、荒く残る。
それでも目だけは上がった。
憎しみじゃない。壊れた計算を見つめる目だ。
それでも目だけは上がった。
憎しみじゃない。壊れた計算を見つめる目だ。
ガイゼルはエドガーの腕を捻ったまま、淡々と言った。
「終わりだ」
エドガーは返事をしない。
返せない。呼吸だけが荒い。
庭の周りで、騎士たちが動き出す。
槍の列が外側を固める。
王族の近くには盾が寄る。
人を下げる。道を作る。仕事の動きだ。
俺は刀を鞘に収めたまま、倒れたカラドを見た。
巨体は庭に横たわり、動かない。
3メートルの重さが、空気を押している。
近づきたくない。
でも、目は離せない。
ガイゼルが低く言った。
「触るな。囲え。……念のためだ」
騎士が頷く。
すぐに円が二重になる。
近づくのは、鎧の厚い者だけ。
隊長格が言った。
「こいつは騎士団へ引き渡す。ここは王城だ。詰所の縄で引っ張る場所じゃない」
俺はそこで、少しだけ息を吐いた。
“公”の線引きが、ここでも揺れていない。
エドガーが、うつむいたまま笑い声を漏らした。
さっきの余裕の笑いじゃない。
喉が擦れるだけの、乾いた笑いだ。
「……俺は……間違ってない……」
隊長格の手が止まらない。
押さえたまま、短く返す。
「間違ってる」
その時だ。
庭の端、石柱の影が揺れた。
人が一人、滑るように出てくる。
走らない。音も立てない。
狙いは隊長格。
背中を取る角度。
奪還だ。
俺は反射で動いた。
刃は抜かない。
抜けば、この場が血になる。
半歩、二歩。
相手の進路に体を置く。
影は止まらない。
だから、ぶつけてくる。
俺は半身になって受け流し、鞘で肩を叩いた。
関節の上。力が抜ける場所。
影の腕が落ちる。
短い刃が石畳を転がった。
影が舌打ちした。
次の手に移ろうとする。
「囲め!」
ガイゼルの声で、槍が一斉に伸びた。
影は退けない。退いた瞬間に刺さる。
影が目だけで俺を見た。
殺意じゃない。計算だ。
“ここで暴れても無駄”と理解した目。
それでも、最後に一手だけ打つ。
影の指が口元へ伸びた。
噛み毒。
俺は鞘の先で顎を叩いた。
硬く当てない。噛めない形を作るだけ。
口が開いて、呼吸が乱れる。
そこへ騎士が組み付いた。
2人、3人。
倒して、腕を固める。顎を押さえる。
縄が回る。
短い乱れは、すぐに終わった。
庭に残るのは、倒れた神兵の死体と、拘束された人間だけ。
隊長格が息を吐いた。
俺を見る。
「……助かった」
俺は短く頷いた。
「仕事だ」
ガイゼルがエドガーの前に立つ。
兜の影で表情は見えない。
でも、声は冷たい。
「エドガー・クライブ。召喚の罪、王城での暴挙、騎士団が預かる」
エドガーは顔を上げない。
上げられない。
肩が小さく震えている。
しばらくして、やっと声が出た。
「……下級だぞ……」
まだ言う。
まだ現実を噛めていない。
「下級神兵が……落ちるはずが……」
ガイゼルが言った。
「落ちた。お前の計算が、ここで終わった」
エドガーの喉が鳴った。
言い返したいのに、言葉が出ない。
隊長格が拘束を解かないまま、騎士に引き渡す。
引きずらない。歩かせる。
形を崩さないまま、罪だけを固める。
エドガーは歩かされながら、最後にだけ顔を上げた。
王城の上。
俺がさっき感じた“見ている気配”の方角。
そして、小さく呟いた。
「……くそ……」
騎士たちがエドガーを連れていく。
隊長格もついていく。
俺は、その後ろに回った。
倒れたカラドの巨体が、視界の端に残る。
動かない。
でも、ただの死体とも違う。
この庭に残った重さが、次の夜を呼ぶ。
俺は鞘の柄頭に左手を置いたまま、歩いた。
――終わった。
アマテラス「ふん、やりおったのう。
下級とはいえ、王城の庭で斬り伏せた度胸は本物じゃ。
お前様、今夜はゆっくり休め……明日は面倒ごとが来るぞ」