数日後、高専の道場。
報告を受けた五条悟は、信じられないという顔でさりを呼び出した。夏油と硝子が見守る中、五条は「不可侵」を全開にする。
「僕の『無限』は概念なんだ。どれだけ君が速くても、無限に減速して到達しない」
「……やってみなさいよ、悟。あんたの概念が、私の密度に耐えられるか」
さりは重心を深く落とした。全身の筋繊維が呪力の熱で膨張し、道場の空気が彼女の存在感だけでミシミシと軋む。
「行くよ、さり」
五条が構える。さりが踏み込んだ。
刹那、五条の「無限」が発動する。さりの拳は、目に見えて減速し、彼の肌に到達することなく、空間の裂け目に囚われるはずだった。
しかし、五条の「六眼」が驚愕に染まる。
さりの拳は、確かに無限の空間に囚われていた。だが、その拳から放たれた「質量を伴う呪力の震動」が、無限という概念の隙間を物理的に「押し広げ」、五条の胸元に直接干渉したのだ。
――ドッ!!!
「……あ、が……っ!?」
五条の身体が、弾かれたように後方の壁まで吹き飛んだ。
壁に叩きつけられた衝撃で、道場の木材が粉砕され、土煙が舞う。
「不可侵」を貫通したのではない。無限という壁を、物理的な密度の暴力で歪ませ、衝撃を浸透させたのだ。
五条は胸を押さえながら立ち上がり、歓喜に満ちた声を上げた。
「……ははは! 見たか!? 今、僕に『触れた』ぞ! 術式もなしに、僕の理屈を力技で越えてくるなんて……『霊長類最強』じゃないか!」
五条が最大級の敬意を込めて叫んだその名。それが、吉田さりが五条悟と並び立つ「もう一人の最強」となった瞬間だった。
しかし、世界は残酷だった。
伏黒甚爾との死闘を経て、五条悟は「反転術式」を会得し、神の領域へ至った。
「僕ら」は「僕」になった。最強は、五条悟一人で完結してしまった。
そして夏油傑は、孤独に呪霊を喰らい続ける日々の中で精神を削り取られていた。
さりは、その境界線の外側にいた。
「……悟が、遠くに行っちゃった。あいつの背中、もう『六眼』でしか見えない場所にある気がして」
医務室で、さりは自分の拳を見つめる。
どれほど重いバーベルを上げても、親友の心の重みは測れない。
どれほど速く走っても、闇に落ちていく夏油の背中には追いつけない。
「……私は、筋肉でしか世界を見れない。あいつらの『魂の摩耗』に、術式がないから気づいてあげられない」
霊長類最強と呼ばれ始めた彼女は、その実、自分の「物理的な無力」に、夜の道場で独り、慟哭していた。
そして事は起きた。
新宿の雑踏で五条と夏油が対峙したあの日、さりは遠方に飛ばされていた。羂索の息がかかった上層部が、五条の「唯一のストッパー」になり得る彼女を遠ざけたのだ。
高専に戻った彼女を待っていたのは、虚空を見つめる五条と、冷たい空気だった。
「……さり。傑、行っちゃったよ」
さりは拳を強く握りしめた。彼女の「内燃」は、怒りと悲しみで爆発していたが、ぶつけるべき相手はもういない。
「悟。あんたはこれから『最強の教育者』になりなさい。中の子供たちはあんたが守れ。その代わり――」
さりは涙を拭い、冷徹なまでの決意を瞳に宿した。
「外から来る『絶望』は、全部私が引き受ける。二度と、あんな思いはさせない。軍隊だろうが、概念だろうが、あんたの邪魔をするものは、私の筋肉ですべて叩き潰してあげる」
これが、吉田さりが日本の「外壁」を一人で引き受けることになった理由。
救えなかった親友への贖罪。そして、「最強の孤独」に陥った五条への、彼女なりの愛の形だった。
そして、物語は現代へ。
五条悟が倒れ、静寂が支配する新宿の戦場。
「あんたの『世界』は、私を断ち切るには少し軽すぎるわね」
ジャージを脱ぎ捨て、シングレット姿で歩み出る吉田さり。
その肉体は、十数年一度も休むことなく内燃し続けてきた。
術式という理を、ただの密度で捻じ伏せる。
霊長類最強の盾が、今、因果を修正するために宿儺の懐へと食い込んだ。