もしも、ロキファミリアに闇深系少女が入ったら。 作:匿名。
苦手な方はブラウザバックを推奨します。
また、著者は小説を書くことが初めてのため、至らない点が多々あるかもしれません。
それでも良いという方は読んでいただけましたら幸いです。
世界が、燃えていた。
轟音と熱風。それが、純粋な少女フィーナとしての記憶の最後だった。
鼻をつくのは、焦げた木材の臭いと、もっと生々しい――鉄錆と肉が焼けるような異臭。
「あ……、ぁ……」
喉から漏れるのは、言葉にならない空気の摩擦音だけ。
視界は赤と黒に塗り潰されている。倒れ伏したフィーナのすぐ目の前には、瓦礫の下敷きになった二つの影があった。それはつい数秒前まで、彼女の手を引いて笑っていた父と母だったものだ。
ピクリとも動かない。流れ出る赤が、地面の埃を泥に変えていく。
(いやだ、いやだ……お父さん、お母さん……)
フィーナ自身の体も、半分は吹き飛んでいた。感覚がない。熱さすら通り越して、ただ冷たい闇が足元から這い上がってくる。
悔しかった。悲しかった。何よりも、無力な自分が憎かった。
もし私に力があれば。もし私に、傷を癒やす魔法があれば。
――誰かを、助けられる力があれば。
その強烈な《願い》が、世界に溶け出そうとした瞬間。
次元の狭間より漂着した、異質の魂が、空っぽになりかけた器へと滑り込んだ。
『――適合を確認。魂の定着を開始します』
誰の声でもない理(ことわり)が響く。
日本の男子高校生だった頃の「私」の意識が、絶望に染まったハーフエルフの少女の意識と混ざり合う。
この時、私は前世の記憶を思い出した。
激痛。
魂が肉体に縫い付けられるような、焼けるような痛み。
「ガ、ぁ……ッ!?」
意識が混濁する。ここはどこだったのか。私は誰か。これは夢なのか、あるいはこれが地獄なのか。
全身がバラバラになりそうな苦痛に喘いでいた時だった。
カツ、カツ、と。
燃え盛る炎の中を、悠然と歩く足音が聞こえた。
「……愚かな争いだ。いつの世も、犠牲になるのは無垢な命か」
黒衣を纏った何者かが、私の前で立ち止まる。
フードの奥には顔がない。あるのはただ、虚無のような闇と、知性を宿した視線だけ。
その人物――あるいは賢者――は、懐から硝子の小瓶を取り出すこともなく、ただ骨だけの指先を私にかざした。
「慈悲と呼ぶには些か遅すぎたか。だが――救える命を救わない理由にはならない」
荘厳な詠唱が、爆炎の音を圧して響き渡る。
「ピオスの蛇杖(つえ)、ピオネの母光(ひかり)。治療の権能をもって交わり、全てを癒せ」
その言葉を、俺は知っている。
いや、知っているはずがない。だが、魂が震えるように理解していた。
これは、あの物語に出てくる、究極の回復魔法。
「【ディア・パナケイア】」
世界が白に染まった。
降り注ぐ光の粒が、砕けた骨を繋ぎ、裂けた肉を塞ぎ、失われた血液を生成する。
死の淵にあった冷たさが、柔らかな温もりに置き換わっていく。それは奇跡と呼ぶに相応しい、神の御業にも等しい全癒だった。元々怪我など負ってなかったかのように。
「……生きろ。」
意識が途切れる寸前、黒衣の賢者――フェルズの姿が、揺らぐ陽炎のように消えていくのが見えた。
次に目を覚ました時、そこは薄汚れた路地裏だった。
鼻腔をくすぐるのは、埃と、どこか遠くで漂う香辛料の匂い。
体を起こす。痛みはない。五体満足だ。
だが、違和感があった。視点が低い。手足が細すぎる。そして何より――。
「……嘘だろ」
口から出たのは、鈴を転がしたような可憐な声だった。
慌てて自分の体をまさぐる。膨らみ始めた胸、華奢な肩、そして髪の間から伸びる、少し尖った耳。
近くの水たまりを覗き込むと、そこには銀糸のような髪を持った、いたいけな少女が映っていた。
「ハーフエルフ……? それに、さっきの魔法……」
『ディア・パナケイア』。
800年を生きた賢者フェルズが使う、超高位の回復魔法。
そして路地裏から見上げた空、その中心に突き刺さるようにそびえ立つ、白亜の巨塔。
「バベル……。ここは、オラリオなのか」
間違いない。俺は、いや「私」は、『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』の世界に転生憑依したのだ。いや、前世の記憶を思い出したという方が正しいのかもしれないが、転生あるいは憑依と表した方が、わかりやすいだろう。
本来なら歓喜すべき事態かもしれない。大好きな作品の世界だ。冒険への憧れがないわけじゃない。
だが、今の私の胸を占めたのは、強烈な喪失感だった。
フィーナとしての記憶が蘇る。
優しかった父。笑顔の母。爆発。理不尽な死。
そして、自分の股間を確認して突きつけられた、男としてのアイデンティティの喪失。
「女の子に……なっちゃったのか……」
喜びよりも先に、膝から崩れ落ちそうなショックが襲う。
しかし、感傷に浸る時間は与えられなかった。
遠くで再び爆発音が聞こえる。人々の悲鳴。怒号。
平和なオラリオではない。空気が張り詰めている。街行く人々の目には怯えと、殺気立った色が宿っている。
(暗黒期……)
そうか、今はゼウス・ヘラファミリアが敗北し、『悪』が蔓延る混沌の時代。
親を失った子供なんて、この街では野垂れ死ぬか、もっと悪い結末を迎えるかだ。
生きなければ。
純粋な少女としてのフィーナの最後の願い、「生きたい」「助けたい」という渇望が、私の背中を叩く。
私はボロボロの服を引き締め、あてもなく歩き出した。
どこかのファミリアに入らなければ。衣食住を確保し、身を守る力を得なければ。
ふらふらとメインストリートを歩いていると、前方から騒がしい集団がやってくるのが見えた。
鮮やかな赤髪の、小柄な神。
その隣を歩く、翡翠の髪を持つ高貴なエルフ。
心臓が跳ねた。
ロキと、リヴェリア・リヨス・アールヴだ。
「あーもう、今日の収穫はシケてんなぁ! オラリオも不景気になったもんやで、ホンマ」
「文句を言うなロキ。闇派閥(イヴィルス)の動きが活発なんだ、物流が滞るのも無理はない」
関西弁で悪態をつく女神と、それを諫める王族。
私は思わず足を止めて見入ってしまった。その視線に気づいたのか、ロキがぎろりとこちらを向く。
「ん? なんや、あの薄汚いチビは」
ロキがスタスタと近づいてくる。私は身構えたが、逃げる気力もなかった。
目の前まで来たロキは、私の顔を覗き込み、そしてニタリと笑った。
「うわ、汚(きった)ない格好やけど……顔はめっさいいもん持っとるやんけ! 原石発見〜!」
「ロキ、子供を脅かすな」
呆れたように続くリヴェリアの声。
その姿を見て、フィーナとしての本能と、私の知識がリンクする。
エルフにとって、ハイエルフは絶対的な敬意を払うべき存在。
私は震える足で姿勢を正し、深く頭を下げた。
「……お目にかかれて光栄です。リヴェリア様」
「ほう?」
リヴェリアが眉を少し上げる。
ただの浮浪児だと思っていた子供が、完璧な礼儀作法を見せたからだ。
私は顔を上げず、震える声で続けた。
「突然の非礼、お許しください。ですが……今の私には、こうして敬意を表することしかできません」
「顔を上げなさい。……ハーフエルフか。その服、そしてその怪我の跡……巻き込まれたのか?」
リヴェリアの翠の瞳が、私の全てを見透かすように細められる。
私は頷き、ぽつりぽつりと事情を話した。
闇派閥のテロにより、両親を爆発で失ったこと。自分も死にかけたが、誰かによって治療してもらって、気づいたら一人だったこと。行くあてがないこと。
嘘は言っていない。前世のことは伏せたが、悲しみは本物だった。
「そうか……。辛かったな」
リヴェリアが膝を折り、私の目線に合わせてくれる。その手は温かかった。
ロキが、つまらなそうに、けれど鋭い眼光で私を値踏みする。
「で? 自分、どうするつもりや。親も死んで、家もない。このままじゃ野犬の餌やで」
「……生きます。私は、生きたい。だから、力を貸してください」
私はロキを見据えた。
この女神なら、きっと。
「私を、あなたのファミリアに入れてください。どんなことでもします。……両親を救えなかったような、無力なままの私ではいたくないんです」
しばらくの沈黙。
やがて、ロキはニカっと口を裂いて笑った。
「ええ目や。絶望しとるくせに、まだ光が消えとらん。それに――リヴェリア、同胞(ハーフやけど)が困っとるんや、見捨てられへんやろ?」
「……お前という奴は。だが、異存はない。この子のマナーは、私の教えがいがありそうだ」
こうして私は、ロキ・ファミリアの一員となることになった。
黄昏の館(トワイライト・マナー)にある大浴場。湯気が立ち込めるその場所で、フィーナの体についた煤と血糊は丁寧に洗い流された。
お湯を使い、石鹸で磨き上げられたその姿は、ロキの予想を遥かに超えるものだった。
「うっわ……こらまた、とんでもない掘り出し物やな」
湯上がりで少し紅潮した頬、濡れて張り付く銀糸の髪、そして何より、宝石のように澄んだ、けれどどこか憂いを帯びた瞳。
薄汚れた服を脱ぎ捨て、サイズの合う清潔な衣服を纏ったフィーナは、まるで深森の泉から現れた妖精そのものだった。
ロキは、自身の好みにクリティカルヒットしたその姿に、だらしなく頬を緩める。
「ぐへへ、これは将来有望やで。リヴェリアも真っ青の美人さんになること間違いなしや! さあさあ、フィーナたん、こっち座り! 早速ステイタス刻んだるからな!」
ロキは手招きをして、フィーナを寝台へと促した。
これから行われるのは、神による最初の儀式。神の恩恵(ファルナ)を刻む、聖なる時間だ。
フィーナがおずおずと背中を向ける。その華奢な背には、爆発に巻き込まれた際の傷跡がまだ微かに残っていたが、フェルズの魔法のおかげで命に別状はない。
ロキは指先に神血を滲ませ、その背へと滑らせた。
「ほな、いくで――」
神聖な光が部屋を満たす。
フィーナの経験、想い、そして魂の形が、神聖文字(ヒエログリフ)となって背中に浮かび上がる。
さらさらと羊皮紙にその内容を書き写していたロキの手が、ある一点でピタリと止まった。
「……なんや、これ」
【ステイタス】
名前: フィーナ・アルジス
所属: ロキ・ファミリア
種族: ハーフエルフ
Lv. 1
能力値:
力:I 0
耐久:I 0
器用:I 0
敏捷:I 0
魔力:I 0
《魔法》
ディア・リヴィーレ
・全癒魔法
・疲労の完全回復
・あらゆる状態異常、呪いを治癒する。
・効果範囲、及び回復速度は込められた魔力量に依存する。
詠唱文:【謳え、残響。響け、追憶。失われし温もりをこの手に。過ぎ去りし日々をこの場所に。癒えぬ傷などないと、涙の雨を拭い給え。我が願いはただ一つ、命の鼓動を再び此処に――】
《魔法の空スロット》
《スキル》
アウクス・マナ・ヴィーレ
・魔力の成長補正大
・魔力の限界突破
・魔法待機の安定化
ロキの糸目が僅かに開かれ、その奥にある朱色の瞳が揺らぐ。
そこに刻まれていたのは、駆け出しの冒険者が持つにはあまりにも強大で、あまりにも悲しい《魔法》だった。
ロキは、文字の羅列を指でなぞりながら、内心で独りごちる。
(『ディア・リヴィーレ』……全癒魔法、か。体力回復に疲労回復、そして解呪…… あまつさえ、状態異常まで完全回復するやと?)
その効果は、まさにオラリオ最高峰の性能を示していた。
だが、ロキが驚愕したのはその性能だけではない。その魔法が発現した《経緯》にこそ、彼女は戦慄したのだ。
(魔法っちゅうのは、興味の具現であり、魂の渇望や。こんなちっさい子が、なんでここまでの回復魔法を持てたんや? ……いや、逆か)
ロキの脳裏に、出会った時のフィーナの言葉が蘇る。
『両親を救えなかった』。
目の前で爆ぜた命。伸ばしても届かなかった手。自身の無力さへの絶望。
――もしも、私に力があれば。
――もしも、全てを癒やす光があれば。
(この魔法は、希望やない。これは『後悔』の塊や。両親を死なせてしまった自分自身への呪詛であり、二度と喪失を味わいたくないという、血を吐くような祈りそのものやないか……)
死にかけた少女が、最期に抱いた強烈な「助けたい」という願い。それが、世界最強クラスの治癒魔法として固定された。
あまりにも重い。
ロキは、震える少女の背中を見つめ、複雑な笑みを浮かべた。
「……神も、残酷なことしよるわ。こんなもん、子供に背負わせてええわけないやろ」
新しく、眷属となった子のことを考えながらも、同時にロキは眷族の主神として冷静に思考する。
この力は、今のオラリオに大きな影響を与えうる、と。
ステイタスの更新を終えた後、ロキは即座に幹部招集をかけた。
薄暗い執務室に、団長のフィン、副団長のリヴェリア、そしてガレスが集まる。
重苦しい空気の中、ロキは一枚の羊皮紙をテーブルに放り投げた。
「……見てみ。今日入った新人のステイタスや」
フィンがそれを手に取り、リヴェリアが横から覗き込む。
数秒後、二人の表情が凍りついた。
「これは……本当か、ロキ」
「ああ。間違いなく『本物』や」
「信じられん。恩恵を刻まれたばかりの冒険者が発現する魔法ではないぞ、これは」
リヴェリアの声には、明らかな動揺が混じっていた。
オラリオは今、暗黒期の只中にある。闇派閥(イヴィルス)との抗争は激化し、有能なヒーラーは喉から手が出るほど欲しい。
だが、それが意味することは一つだ。
「……狙われるな」
フィンが静かに呟いた。その親指が、考え込むように疼く。
「この魔法の情報が漏れれば、闇派閥は彼女を攫いに来るか、あるいは殺しに来るだろう。彼女はまだ子供だ。自分の身を守る術を持たない」
「せや。だから、この情報はウチら幹部だけのトップシークレットにする。ギルドへの登録も上手く誤魔化すつもりや」
ロキの言葉に、ガレスが重々しく頷く。
「それがええじゃろう。じゃが、隠し通すにも限度がある。彼女自身にも、相応の力が要る」
「ああ。早急にレベルを上げさせよう。少なくとも、自衛ができる程度には鍛え上げないと、彼女の心が先に壊れてしまうかもしれない」
フィンの目は、羊皮紙の向こうにある少女の壮絶な過去を見据えていた。
強力すぎる力は、器が未熟であれば持ち主を滅ぼす。
彼らは、この新たな家族を全力で守り、育て上げることを無言のうちに誓い合った。
幹部たちが深刻な会議をしている頃。
フィーナは、ロキ・ファミリアの古参団員である老兵に連れられ、館の中を歩いていた。
「ここが食堂、あっちが鍛錬場だ。迷子にならんようにな、お嬢ちゃん」
「はい……あの、お願いがあります」
フィーナは足を止め、老兵の服の裾をギュッと掴んだ。
その瞳には、子供らしからぬ鬼気迫る光が宿っていた。
「私に、戦い方を教えてください。……もう二度と、大切な人を失いたくないんです。守れる力が欲しいんです」
今はオラリオ暗黒期、いち早く強くならなくては自分の命も危ないだろう。それに、フィーナとしての記憶が、自然と言葉を紡いだ。
老兵は少し驚いた顔をしたが、その真剣な眼差しに気圧され、やれやれと頭を掻いた。
「……たく、最近のガキは生き急いでるのが多いな。わかったよ、ついてきな」
連れて行かれたのは武器庫だった。
フィーナはまだ背も低く、筋力もない。重い剣や斧は持ち上がらなかった。
様々な武器を試した末に、彼女の手に馴染んだのは、一本の細剣(レイピア)だった。
それは訓練用の刃引きされたもので、非常に軽く、薄い。
「よし、まずは構えからだ」
そこから、フィーナの壮絶な訓練が始まった。
武術の心得など皆無。素人丸出しの動き。
だが、彼女は決して音を上げなかった。
木剣で打たれ、土にまみれ、膝が擦りむけて血が滲んでも、彼女は唇を噛み締めて立ち上がる。
「まだ……っ! まだ動けます!」
ステータスは、自分を追い込めば、追い込むほど上がる。それは、ダンまちが好きだったファンの一人として知っている事実である。そして、オラリオ暗黒期のヤバさも… 。それに、フィーナとしての後悔、闇派閥に対する憎しみ。何もできなかった後悔。そんな思いが複雑に絡み合ってフィーナを修羅へと駆り立てる。
「おいおい、無理するな! 今日は恩恵を貰ったばかりだろ!?」
「痛いのは平気です……心が痛いより、ずっとマシだから……ッ!」
今の私は、純粋なフィーナというわけではないが、体が、口が勝手に言葉を紡ぐ。さっきと同じだ。フィーナに私は大きな影響を受けているのであろう。
今の私は、フィーナという幼い少女と日本に住んでいたダンまちが好きな普通の男子高校生の精神が混ざり合ったものである。
だが、感情面や心のあり方においては、フィーナの感じた想いが強く反映されていた。平和な日本に住んでいた僕には、感じることすらできない、激情。両親の死を目の前でゆっくりと体験する絶望。そして、自分すら死にかけゆっくりと意識が闇に溶け込むかのような恐怖。そんな思いが混ざり合って感情が想いが、ぐちゃぐちゃになる。
フィーナの姿は、痛々しいほどに悲壮だった。
様子を見に来たフィンとリヴェリアが、慌てて止めに入るまで、フィーナは意識が飛びそうになるまで剣を振り続けた。
「そこまでだ、フィーナ! これ以上は体が壊れる!」
「離してください、リヴェリア様!私は強くならなきゃいけないんです!」
暴れるフィーナをリヴェリアが抱き留め、強制的に訓練を終了させた。もっと、ステータスを上げたかったのに… 。
その夜、食事を詰め込まれ、再び風呂に入れられた後、フィーナはようやく自室へと戻された。
一人きりの部屋。
ベッドに横になり、眠ろうとすると、あの日の光景がフラッシュバックする。
肉の焼ける焦げた臭い。親の死に顔。
「……っ、はぁ、はぁ」
過呼吸になりそうな自分を落ち着かせるため、フィーナは訓練用の細剣を握りしめた。フィーナが受けた精神的ダメージはあまりにも大きく、寝ようとしてもこの強烈な体験がフラッシュバックする。
身体能力(ステイタス)を上げるには、経験値(エクセリア)が必要だ。
魔力を上げるには、魔法を使う必要がある。
耐久を上げるには、ダメージを受ける必要がある。
そして、全癒魔法がある。ならば、私はこの暗黒期を乗り越えるために、ダンまちの世界を楽しむために、そして、フィーナの後悔を晴らすため… 。
フィーナの瞳から、ハイライトが消える。
「回復魔法なら、ある」
彼女はためらいなく、刃引きされているとはいえ鋭利な切っ先を、その綺麗な傷一つないお腹にむけて刺した。
ザシュッ、と肉が裂ける音。走る激痛。剣が私の体を貫通する。ここまで思い切りのいいことが、現代日本に住んでいた私にできたであろうか?
日本に生きていた男子高校生としてではなく、フィーナの意識が混ざり合い、全く別人になったといえる。むしろ、この体がフィーナであることも影響しているのか主たる人格にフィーナとしての性質が強く影響を受け表面化していると言えるだろう。
「うぐっ……! ……【ディア・リヴィーレ】」
痛みを耐えながら、魔法を唱える。痛みに耐えながら長い、自分の魔法を歌い切る。
光が溢れ、傷が塞がる。
痛みが消える。
全てがなかったかのように綺麗な傷一つない体へと戻る。
だが、すぐにまた刃を当てる。
刺す。治す。刺す。治す。
血飛沫が床を汚し、それを魔法が浄化する。
その行為は、訓練という名の自傷行為だった。だが、それでもアビリティを上げるには必要なことであった。
痛いとはいえ、あの時ほどの痛みはないと、耐えられる。それに、訓練に励んでいる間は余計なことを考えることはなかった。
まるで痛みで、両親を救えなかった罪悪感を誤魔化すように。
限界まで精神力(マインド)を使い切り、彼女が気絶するように泥のような眠りに落ちたのは、明け方のことだった。
翌朝。
フィーナはふらつく足取りでロキの部屋を訪れた。
「ロキ様、ステイタスの更新を……お願いします」
「んあ? ……フィーナたん、顔色悪いなぁ。まあええわ、背中貸し」
ロキはあくびを噛み殺しながら、更新作業を行う。
しかし、次の瞬間、その眠気は完全に吹き飛んだ。
「……は?」
【ステイタス】
名前: フィーナ・アルジス
所属: ロキ・ファミリア
種族: ハーフエルフ
Lv. 1
能力値:
力:I 0 → I 8
耐久:I 0 → H 120
器用:I 0 → I 12
敏捷:I 0 → I 5
魔力:I 0 → H 170
《魔法》
ディア・リヴィーレ
《スキル》
アウクス・マナ・ヴィーレ
「なんやこれ……!? 壊れとんのか!?」
ありえない。たった一晩だ。
恩恵を得た直後は成長が早い(アビリティが伸びやすい)とはいえ、これは異常だ。
特に『耐久』と『魔力』の伸び方が尋常ではない。
耐久がこれだけ上がるということは、死にかけるほどのダメージを何度も負ったということ。
そして魔力がこれだけ上がるということは、ガス欠になるまで魔法を使い続けたということ。
ロキの脳裏に、最悪の想像がよぎる。
――自傷(じしょう)。
自分で自分を傷つけ、それを治すことで無理やり経験値を稼いだのだ。
「フィーナたん…… 昨日の夜、何してたんや」
「……訓練、です」
感情の読めない瞳で答えるフィーナに、ロキは背筋が寒くなるのを感じた。フィーナの言葉に嘘はない。
このままでは、この子は強くなる前に壊れる。いや、もう壊れているのかもしれない。
早急に手を打たなければならない。
ロキはすぐさまリヴェリアとフィンを呼び出し、事情を話した。
沈痛な面持ちで話を聞いた二人は、ある一つの提案に至る。
「……アイズと同じ部屋にするか」
フィンが静かに言った。
アイズ・ヴァレンシュタイン。
彼女もまた、黒竜への復讐心に取り憑かれ、身を削るようにして強さを求めている少女だ。
今のフィーナは、アイズの写し鏡のようだ。
「傷を舐め合わせるわけやないけど……似たもん同士、何か通じ合うもんがあるかもしれへん」
「ああ。孤独は人を狂わせる。同じ年代の、同じ痛みを知る者が傍にいれば、少しは自分を大切にすることを覚えるかもしれん。それに、お互いに同じ年代なんだから友達の一人もいた方が教育的にも良いだろう」
リヴェリアの言葉により、決定が下された。
「フィーナ。今日から部屋を変わってもらう」
リヴェリアに連れられ、フィーナは新しい部屋の前へとやってきた。
扉が開かれる。
そこには、窓辺に佇む一人の少女がいた。
金の髪に、金の瞳。
人形のように美しいが、その瞳にはフィーナと同じ、昏い炎が揺らめいている。
フィーナは知っている、彼女はアイズ・ヴァレンシュタイン、ダンまちのメインヒロインであることを。そして、第一級冒険者として、オラリオの中でもトップクラス冒険者となることを。
窓から差し込む陽光が、彼女の金の髪を透かし、光の粒子となって煌めいていた。
アイズ・ヴァレンシュタイン。
『剣姫』と呼ばれ、後にオラリオ最強の女剣士となる少女。
画面越しに憧れていた存在が、今、触れられる距離にいる。その事実に、フィーナの心臓は早鐘を打っていた。
(綺麗……。お人形さん、みたい)
整いすぎた顔立ちは、造形美としての完成度が高すぎて、どこか現実味がない。
けれど、その黄金の瞳の奥に揺らめく昏い光だけが、彼女が生身の人間であり、かつ深い傷を負っていることを雄弁に物語っていた。
フィーナは知っている。彼女もまた、全てを奪われた子供であることを。
沈黙が落ちる。
アイズは無言でフィーナを見つめ返し、フィーナは言葉を失って立ち尽くす。
そのぎこちない空気を察してか、背後にいたリヴェリアが、呆れたように、けれど優しく声をかけた。
「……二人とも、いつまで見つめ合っているつもりだ? 挨拶くらいしなさい」
「あ……」
アイズが小さく瞬きをする。そして、少し迷うような素振りを見せてから、ポツリと言葉を紡いだ。
「……アイズ。アイズ・ヴァレンシュタイン」
「っ、は、はい! 初めまして、私はフィーナ……フィーナ・アルジスです!」
慌てて頭を下げる。勢い余って噛みそうになったが、なんとか言い切った。
アイズは小首を傾げ、フィーナの、まだ包帯が残るありようを見て話す。
「……怪我」
「え? あ、はい。ちょっと、色々あって……」
回復魔法を練習するために怪我をしたら、呼び出されたのである。治す暇がなかった。すると、包帯を巻いたりされたのだ。
「そう。……私も、よく怪我をする」
それだけ言うと、アイズは興味を失ったわけではないようだが、再び窓の外へと視線を戻してしまった。
コミュニケーションが不器用だ。だが、拒絶されているわけではない。
リヴェリアがフィーナの肩に手を置く。
「アイズは口数が少なくてな。悪気はないのだが……フィーナ、仲良くしてやってくれ。年齢も近い。この子はLv.2になったばかりだが、同じ部屋で過ごせば学ぶことも多いだろう」
「はい、リヴェリア様。精一杯、頑張ります」
Lv.2。この年齢でその領域に達していることが既に異常なのだが、フィーナにとっては頼もしい目標でもあった。
こうして、傷だらけの二人の共同生活が幕を開けた。
部屋での荷解きもそこそこに、フィーナには次なる呼び出しがかかっていた。
向かった先は、団長室。
中に入ると、机に腰掛けたロキと、書類仕事をしていたフィンが手を止めてこちらを見た。
「おー、来たなフィーナたん! どや、新しい部屋は? アイズにいじめられとらんか?」
「ロキ様、まだ数十分しか経っていませんよ。……それに、アイズさんは静かで綺麗な方でした」
「んふふ、せやろせやろ。ウチの自慢の娘やからなー。ま、フィーナたんも負けず劣らず可愛ええけどな!」
ロキがニヤニヤしながらフィーナの頭をわしゃわしゃと撫でる。
神としての威厳は皆無だが、その掌から伝わる温度は、フィーナの孤独感を少しだけ溶かしてくれた。
だが、その場の空気を引き締めるように、フィンが口を開く。
「ロキ、可愛がるのはそのくらいにしておこうか。……フィーナ、君を呼んだのは他でもない。君の《魔法》についてだ」
フィンの碧眼が、真剣な光を帯びてフィーナを射抜く。
フィーナは背筋を正し、ロキの手から離れて直立した。
「はい」
「単刀直入に言おう。君の『ディア・リヴィーレ』について、他言は無用だ。ファミリア内でも、幹部とアイズ以外には極力伏せてもらう」
それはそうだ。今は暗黒期、それもアストレアレコードの時期にあたるだろう。そんな中、強力な回復魔法の使い手となれば標的になりかねない。
「……やはり、強力すぎるからでしょうか」
「理解が早くて助かるよ。そうだ。状態異常の完全回復、そして欠損すら治癒しかねないその魔法は、今のオラリオ……特に『暗黒期』と呼ばれるこの時代においては、過ぎた力だ」
フィンは親指の腹をこすりながら、言葉を選ぶように続ける。
「闇派閥(イヴィルス)は、優秀な冒険者を狙うだけじゃない。利用価値のある能力者を拉致し、洗脳し、使い潰すことにも躊躇がない。君の力が知れ渡れば、彼らは君を奪いに来るだろう」
想像するだけで身の毛がよだつ。
フィーナはごくりと喉を鳴らした。
「……わかりました。私の命に代えても、秘密は守ります」
「命に代えたらアカンがな」
ロキがポン、と軽くフィーナの頭を叩いた。
見上げると、その糸目がうっすらと開かれ、朱色の瞳が優しく、けれど強くフィーナを見据えていた。
「ええか、フィーナたん。秘密にするのは、自分を守るためや。ウチらはな、フィーナたんが、その魔法を使う場面なんて来ないのが一番やと思ってる。フィーナたんが傷つくのも、誰かが死にかけるのも見とうないからな」
「ロキ様……」
「ま、いざとなったらウチらが全力で守ったる。フィンもガレスもリヴェリアもおる。せやから、変に気負わんでええ。ただ、軽々しくは見せるなよ、って話や」
「はい。……ありがとうございます」
フィーナは深く頭を下げた。
この神と、この団長になら、命を預けられる。そう確信した瞬間だった。
会談を終えた後、フィーナはリヴェリアによる座学を受けるため、館の回廊を歩いていた。
だが、その足は目的地の手前、人通りのない石柱の影で止まった。
(……リヴェリア様の講義まで、あと十分ある)
フィーナは周囲を確認する。誰もいない。
彼女の脳裏にあるのは、自身の魔法『ディア・リヴィーレ』の運用方法だった。
ただの回復魔法として使うだけでは足りない。
戦闘中に、一回で、確実に発動できなければ意味がないのだ。
(原作の知識だと……『魔法の待機』という技術があったはず。詠唱をギリギリで止めて、発動体を保持する技術。あれを今後は、習得しなきゃ)
そして、もう一つ試したいことがあった。
『並行詠唱(パラレル・キャスト)』。動きながら、戦いながら詠唱する技術。
これを身につけるには、極限状態での詠唱経験が必要だ。だが、これは、戦闘訓練で行えば良いだろう。今、練習しなくてはならないのは、痛みの中、魔法を唱えること。そして、詠唱を歌い慣れること。
フィーナの視線が、硬い石造りの柱に向けられる。
彼女は深呼吸を一つすると、着ていたローブの裾をまくり上げた。
白く、華奢な脛(すね)が露わになる。
「……ふぅ」
躊躇いは、捨てた。
痛みは教訓だ。傷は糧だ。
ガッ!!
鈍い音が響いた。
フィーナは全力で、自分の右足を石柱に叩きつけたのだ。
「ぐ、ぁッ……!!」
激痛。
脂汗が瞬時に吹き出す。
骨が軋む感触、いや、完全にヒビが入った、あるいは折れたかのような鋭い痛みが脳髄を焼く。
うずくまりそうになる体を、意志の力だけで支える。
(痛い、痛い痛い……! でも、意識を保て! 詠唱を!)
「う、た……ぇ、残響……っ」
痛みに震える唇で、初めから呪文を紡ぐ。
詠唱の文言を脳内で反芻しながら、魔力を練り上げる。
痛みのあまり、魔法が途切れそうになってしまう。
だが、痛みに耐え、呪文を詠唱する。
(まだ……まだだ……! この痛みを抱えたまま、剣を振るうイメージで……!)
数秒、いや数分にも感じられる永遠の時間。
フィーナは折れた足を引きずりながら、その場で架空の敵を避けるステップを踏もうとした。
激痛で視界が明滅する。
「……【ディア・リヴィーレ】!」
限界だと悟った瞬間、魔法が完成する。
暖かな光が右足を包み込む。
ズキズキと脈打っていた痛みが、波が引くように消え去っていく。骨が繋がり、内出血が消え、元の綺麗な肌へと戻る。
「はぁ……はぁ……ッ」
荒い息を吐きながら、フィーナは壁に手をついた。
成功だ。
短い時間だったが、激痛の中で魔力を制御できた。
「……もっと、速く。もっと、うたい慣れないと…」
フィーナの瞳に宿る狂気は、消えるどころか、達成感を得てより色濃くなっていた。
「では、ダンジョンの構造について説明する」
その後、合流したアイズと共に、リヴェリアの講義が始まった。
内容はダンジョンの階層構造やモンスターの特性について。
『ダンまち』オタクであったフィーナにとっては既知の情報ばかりだったが、彼女は真剣に聞き入った。
知識として知っていることと、この世界の住人として学ぶことは違う。リヴェリアの言葉の端々にある「実戦での機微」こそが重要なのだ。
講義が終わると、リヴェリアは中庭へと二人を促した。
「座学はこれまでだ。次は体を動かすぞ。……アイズ、フィーナの相手をしてやれ」
「……ん」
「ただし、フィーナは冒険者になりたてだ。手加減を忘れるなよ」
リヴェリアの注意に、アイズはこくりと頷いた。
二人は木剣を持ち、対峙する。
「……いく」
アイズが踏み込んだ。
速い。
Lv.2の速度は、Lv.1のフィーナの動体視力をギリギリまで追い詰める。
フィーナは前世の知識と、昨晩の自傷訓練で得たわずかな反応速度で、なんとか剣を合わせる。
ガツッ!
重い衝撃が手首を襲う。
アイズの剣には、迷いがない。手加減をしているつもりなのだろうが、その根底にあるのは「モンスターを殺す」ための最適化された動きだ。
数合打ち合ううちに、フィーナの防御が遅れた。
「あっ――」
アイズの木剣が、フィーナの脇腹を強打した。
ボキリ、と嫌な音が鳴る。肋骨が逝った。
「――ッ!」
「……!」
フィーナが吹き飛び、地面を転がる。
アイズがハッとした表情で動きを止めた。やってしまった、という顔だ。
リヴェリアが杖を構えて駆け寄ろうとする。
だが、それより速く。
「【ディア・リヴィーレ】!!」
倒れたままの体勢で、フィーナが詠唱を始める。
魔法が完成すると、即座に光が溢れ、歪んだ肋骨が正しい位置に戻り、襲いかかる激痛が霧散する。
フィーナは弾かれたように立ち上がった。
土汚れを払い、何事もなかったかのように剣を構え直す。
「……大丈夫です。続けましょう、アイズさん」
その姿に、アイズの黄金の瞳が見開かれた。
リヴェリアも足を止める。
「……今、治したの?」
「はい。私の魔法です」
「痛く、ない?」
「痛かったです。でも、魔法を使えば全てなかったことになります。だから……もっと強く、お願いします」
フィーナはアイズを真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、恐怖ではなく、渇望があった。
強くなりたい。そのためなら、骨の一本や二本、安い代償だという覚悟。
アイズはその瞳を見て、自身の奥底にあるものと同じ色を感じ取った。
彼女は木剣を強く握り直す。
手加減という枷を、少しだけ外す。
「……わかった。いく」
再開された打ち合いは、凄惨なものとなった。
打たれ、骨が砕け、皮が裂ける。
その度にフィーナは魔法で修復し、即座に立ち上がる。
ゾンビのような、あるいは狂戦士のようなその姿。
けれど、アイズは楽しそうだった。いや、楽しいという感情とは違う。
全力をぶつけても壊れない「練習相手」を見つけた喜び。そして、自分と同じように「痛みを越えて強さを求める」同類への親近感。
「はぁ、はぁ……! まだ、いけます!」
「ん……! ついてきて」
二人の少女の間に、血と汗に塗れた奇妙な絆が芽生え始めていた。
それからの1週間は、まさに地獄と呼ぶに相応しい日々だった。
夜。
静寂に包まれた部屋で、フィーナは度々悲鳴を上げて飛び起きた。
夢に見るのは、決まってあの炎の日。
汗びっしょりで震えるフィーナに、アイズは何も言わず、ただ背中をさすってくれた。
「……私も、見る」
ある夜、アイズがポツリと言った。
「お父さんと、お母さんが、いなくなる夢。……黒い竜」
アイズもまた、自身のトラウマを、震える声で語ってくれた。
言葉数は少なかったが、その痛みの深さはフィーナの胸を締め付けた。
私たちは似ている。
失ったものも、求めているものも。
「強くなろう、アイズさん。誰も失わなくて済むくらい、最強に」
「……うん。強くなる」
その日から、二人の「部屋での特訓」が始まった。
フィーナの前世の知識――筋力トレーニング(プランク、スクワット、アイソメトリックストレーニング)を導入した。
単純だが、ステイタスのあるこの世界では効果が覿面だった。
そして、就寝前の儀式。
フィーナは回復魔法を、アイズは風魔法『エアリエル』を、精神力(マインド)が尽きるギリギリまで使い続ける。
頭痛と吐き気に襲われながら、泥のように眠りに落ちる。それが、魔力を上げる最短のルートだと信じて。
文字通り、身を削り合うような一週間。
だが、その日々は二人にとって、この上なく充実した時間でもあった。
そして、一週間後のステイタス更新の日。
ロキの私室。
「……」
ロキは、フィーナの背中から写し取った羊皮紙を見て、絶句していた。
【ステイタス】
名前: フィーナ・アルジス
Lv. 1
能力値:
力:I 8 → H 190
耐久:H 168 → E 450
器用:I 12 → G 280
敏捷:I 5 → H 185
魔力:G 102 → C 680
(……化け物か、この子等は)
ロキは内心で戦慄する。
Lv.1の、しかも冒険者登録すらしていない段階でのステイタスではない。
特に耐久と魔力の伸びが異常だ。
『耐久』E。どれだけ殴られればここまで上がるのか。
『魔力』C。どれだけ精神を摩耗させればここまで届くのか。
横に置かれたアイズのステイタスもまた、同様に急上昇していた。
お互いがお互いを刺激し合い、限界を超えて高め合っている。
それは理想的なライバル関係に見えるかもしれない。
だが、ロキにはそれが、崖に向かって二人で全速力で走っているように見えた。
(止めなアカン。普通ならな。……せやけど)
ロキは目を細める。
この異常な成長速度は、彼女たちの「歪み」そのものだ。
それを無理やり矯正すれば、彼女たちの心はポッキリと折れてしまうかもしれない。
歪んでいるからこそ、鋭い。
狂っているからこそ、強い。
「……ハハッ、笑うしかあらへんな」
ロキは乾いた笑い声を漏らした。
そして、呼び出したフィン、リヴェリアに羊皮紙を見せる。
「……予想以上だね」
フィンが苦々しい顔をする。
「自傷行為に近い訓練、か。リヴェリア、君の目から見てどうだった?」
「止めたくても、止められなかった。……いや、あの子たちの目を見れば、止めることが正解だとは思えなかった」
リヴェリアもまた、苦悩の表情を浮かべる。
「傷つくことを恐れていない。むしろ、傷つくことで生きている実感を得ているようにすら見える」
「このままいけば、いずれ死ぬぞ」
ガレスが低い声で唸る。
「せやな。だから、ガス抜きが必要や」
ロキが結論を出すように言った。
「檻の中で牙を研がせるのはもう限界や。外の世界で、本物の怪物を相手にさせた方が、まだ健全かもしれへん」
「……ダンジョンか」
「ああ。ただし、条件付きだ」
フィンは、フィーナ達のダンジョン入りに条件をつける。
フィンはリヴェリアを指差す。
「リヴェリア、君がつきっきりで護衛しろ。過保護と言われようが構わない。フィーナの魔法の隠蔽も含めて、全責任を持て」
「……わかった。私が、あの子たちの『壁』になろう」
「えええええええっ!? リ、リヴェリア様が同行、ですか!?」
翌日。
冒険者登録に向かうことになったフィーナは、玄関ホールで素っ頓狂な声を上げた。
隣には、既に装備を整えたアイズが立っている。
「当然だ。お前たちの暴走を、誰が見張ると思っている」
リヴェリアは完全武装――『聖王の一般衣装(ハイ・エルフ・クロス)』ではなく、戦闘用の装束を身に纏い、手には至高の魔杖『マグナ・アルヴ』を携えていた。
「そ、そんな! 畏れ多いです! 副団長であり、王族であるリヴェリア様に荷物持ち……じゃなくて、付き添いをさせるなんて!」
「決定事項だ。拒否権はない」
「うぅ……」
フィーナは項垂れた。
内心では(嬉しいけど! オラリオ最強の魔導士とパーティーなんて夢みたいだけど! でも目立ちすぎる!)と葛藤していた。
「行くぞ、フィーナ、アイズ」
「……ん。行こう、フィーナ」
アイズに手を引かれ、フィーナは覚悟を決めた。
ギルド本部。
大理石の床が広がるホールは、多くの冒険者たちで賑わっていた。
その喧騒が一瞬、静まり返る。
ロキ・ファミリアの副団長、『九魔姫』リヴェリアが現れたからだ。
その威圧感と美貌に、誰もが道を空ける。
受付カウンターへ直行したリヴェリアは、出てきた受付嬢(まだ新人のミシャ・フロット)に書類を叩きつけた。
「新規登録だ。この子――フィーナ・アルジスの手続きを頼む」
「は、はいっ! リヴェリア様、直々に!?」
ミシャが目を白黒させる。
フィーナが口を開こうとすると、リヴェリアがすっと前に出た。
「細かい質問は無用だ。全て私が保証する。申し訳ないが急いでくれ。最近ダンジョンに行かせてなかったことで、このままだと、アイズが一人でダンジョンに行きかねない」
「あ、はい! 承知いたしました! では、こちらの用紙にサインを……」
リヴェリアの無言の圧力(プレッシャー)と、アイズが抜け出して本当に一人でダンジョンに行きそうだったこともあり、必要な手続きは素早く行われた。
魔法の欄については空白で提出されることとした。後日、魔法がバレたとしても、後から使えるようになったことにすれば良い。
「これで登録完了です! ようこそ、冒険者の世界へ、フィーナさん!」
ミシャから渡されたギルドカード。
そこには『フィーナ・アルジス』の名と、『Lv.1』の文字。
これで、晴れて正式な冒険者だ。大好きな世界で、なりたいものになれたそんな喜びを強く感じる。
「ありがとうございます……!」
カードを胸に抱きしめるフィーナ。
リヴェリアはふっと息を吐き、踵を返した。
「行くぞ。目立ちすぎた」
フィーナは、目立ったのはリヴェリア様がハイエルフだからだと思った。そんな気にしなくても良い気がするが、そういうことにしておくことにした。
「あ、待ってくださいリヴェリア様、アイズさん!」
三人はギルドを後にし、そのまま大通りを抜けていく。
目指すは、バベルの地下。
広大な地下迷宮(ダンジョン)。
フィーナにとっては初めての、そしてアイズと共に歩む、長い長い冒険の始まりだった。
バベルの地下、ダンジョンの入り口をくぐった瞬間、空気が変わった。
地上とは異なる、濃密な魔素の匂い。
壁面から放たれる青白い燐光が、薄暗い通路を幻想的に照らし出している。
(これが……ダンジョン。アニメや小説で何度も見た、あの場所……!)
フィーナの胸が高鳴る。
恐怖がないわけではない。ここは人が容易く死ぬ場所だ。
けれど、それ以上に「物語の中にいる」という高揚感が、足取りを軽くさせていた。
「フィーナ、隊列を崩すな。アイズもだ。先走りすぎるなよ」
「はい、リヴェリア様!」
「……ん」
保護者役のリヴェリアが最後尾から目を光らせ、前衛にアイズ、中衛にフィーナという布陣で進む。
程なくして、壁の亀裂から何かが這い出してきた。
緑色の小鬼。ゴブリンだ。
「ギィィィッ!」
「来たな。フィーナ、やってみろ」
「はい!」
フィーナは訓練用の細剣(レイピア)を構え、ゴブリンを見据える。
ゴブリンが地面を蹴り、飛びかかってくる。爪が迫る。
その動きを見た瞬間、フィーナは拍子抜けしたように目を見開いた。
(……遅い)
止まって見える、とまでは言わない。だが、軌道が丸わかりだ。
それもそのはず、フィーナはこの一週間、Lv.2のアイズ・ヴァレンシュタインと毎日殺し合いのような組み手を繰り返してきたのだ。
神の恩恵を持たない怪物など、今の彼女にとってはスローモーションに等しい。
シュッ。
最小限の動きで爪を避け、すれ違いざまに喉元を貫く。
「ギ……」
ゴブリンは断末魔を上げる間もなく、黒い灰となって崩れ落ちた。
後に残ったのは、小指の先ほどの魔石だけ。
「……見事だ」
リヴェリアが感心したように頷く。
「初めての実戦とは思えない落ち着きだ。狙いも正確。アイズとの特訓が活きているな」
「はい。アイズさんの剣に比べれば、怖くありません」
「……ん。フィーナ、すごい」
アイズが淡々と、しかし嬉しそうに親指を立てる。
フィーナは魔石を拾い上げ、リヴェリアから魔石についての講義――これがモンスターの核であり、換金アイテムであり、エネルギー源であること――を受けた。
上層のモンスターは、もはや敵ではなかった。
コボルトやジャック・フロストが現れても、アイズとフィーナの手にかかれば瞬殺だ。
余裕が出てきたフィーナは、戦闘の中に新たな課題を組み込むことにした。
「ギシャァァッ!」
「……【謳え、残響。響け、追憶】……ッ!」
襲い来るコボルトの攻撃を剣で弾きながら、口では祝詞を紡ぐ。
『並行詠唱(パラレル・キャスト)』の練習だ。
もちろん、魔法を発動させるつもりはない。実戦の緊張感の中で、詠唱への集中力を維持する訓練だ。
(剣を振りながら、言葉を紡ぐ。呼吸を乱さない。意識を分割する……!)
「【失われし温もりを……くっ、この手に】!」
ガキンッ! と剣戟を響かせながらも、詠唱を途切れさせない。
その様子を後ろから見ていたリヴェリアは、内心で舌を巻いていた。
(……教えてもいない並行詠唱を、実戦で試しているのか? どこでそんな技術を知った?)
通常、並行詠唱は魔導士が長い鍛錬の果てに習得する高等技術だ。
それを、剣を握って数日の少女が、見よう見まねとはいえ形にしようとしている。
才能という言葉だけで片付けるには、あまりにも異質だ。
「アイズ、そこだ!」
「やぁッ!」
アイズが風のように駆け抜け、コボルトの首を跳ね飛ばす。
そのあまりの殲滅速度に、リヴェリアが声を上げた。
「アイズ、少し抑えろ。今日はお前の独壇場ではない、フィーナの初陣だと言っただろう」
「……ごめんなさい。つい」
「まったく……。二人とも生き急ぎすぎだ」
リヴェリアは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
しばらく進んだ広間で、フィーナはある程度の数の魔石が集まったことを確認した。
袋の中には、ゴブリンやコボルトから回収した魔石がジャラジャラと入っている。
彼女の視線の先には、一匹の迷宮犬(ヘルハウンド)がいた。
(……よし。実験、開始)
フィーナの瞳から、理性の光が一瞬だけ消え、代わりに研究者(マッドサイエンティスト)のような冷徹な色が宿る。
彼女はヘルハウンドの突進をあえて受けず、横に回り込んで組み付いた。
「フィーナ!?」
リヴェリアが叫ぶ。だが、フィーナは止まらない。
ヘルハウンドの顎を無理やりこじ開け、袋から取り出した大量の魔石を、その喉の奥へとねじ込んだのだ。
「食え」
それは、慈悲のない命令だった。
同族の核を体内に取り込んだヘルハウンドが、ビクンと痙攣する。
次の瞬間。
「ガルルルルルァァァァァッ!!!」
筋肉が膨張し、眼球が赤く充血し、体躯が一回りも二回りも巨大化する。
『強化種』。
モンスターが魔石を喰らい、潜在能力を暴走させた姿。
本来なら自然発生するイレギュラーだが、それをフィーナは人為的に作り出したのだ。
「なっ……!?」
リヴェリアの美しい顔が驚愕に歪む。
アイズですら、目を丸くしてその変貌を見つめていた。
「何をしている、フィーナ!! 自殺行為だぞ!!」
「ごめんなさいリヴェリア様、あとで聞きますから! ……経験値、いただきますッ!」
フィーナはリヴェリアの制止を振り切り、暴走する強化種へと突っ込んだ。
速い。重い。
先ほどまでの雑魚とは違う。その一撃は、今のフィーナの耐久力でも致命傷になり得る。
「ガァッ!」
「ぐっ……! 【ディア・リヴィーレ】!」
鋭い爪がフィーナの肩を裂く。鮮血が舞う。
だが、即座に詠唱し、傷を塞ぐ。
痛みはある。恐怖もある。だが、それ以上に「格上の敵」と戦っているという事実が、ステイタスの成長を促している実感があった。
(もっと! もっと速く! 強く!)
リヴェリアが杖を構えて加勢しようとするが、フィーナの気迫に一瞬ためらった。
これは彼女の戦いだ。そして、彼女は勝とうとしている。
数分後。
ボロボロになり、服を赤く染めながらも、フィーナの細剣がヘルハウンドの心臓(魔石)を貫いた。
ドサリ、と巨大な死骸が崩れ落ちる。
「はぁ……はぁ……、倒し、ました……」
「……この、大馬鹿者がぁっ!!」
リヴェリアの雷が落ちたのは、その直後だった。
ゲンコツがフィーナの頭に落ちる。
「わざわざ敵を強化するなど、言語道断だ! もし制御できずに暴走したらどうするつもりだった! お前一人の命ではないのだぞ!」
「うぅ……すみません……でも、早く強くなりたくて……」
「強さを求めるのと、死に急ぐのは違う!」
リヴェリアの説教は正論であり、そして愛ゆえのものだった。
フィーナはシュンとして聞き入るしかなかった。
だが、その横で。
アイズが、じっとその死骸を見つめ、何かを学習していた。
(……魔石を食べさせると、敵が強くなる。強くなれば、経験値(エクセリア)が増える。……なるほど)
アイズの瞳に危ない光が宿っていることに、リヴェリアはまだ気づいていなかった。
その夜、館に戻ったフィーナは、羊皮紙に今後の育成計画を書き出していた。
今は暗黒期。いつ闇派閥の襲撃があるかわからない。
生き残るために必要なのは、三つの要素だ。
1.敏捷:逃げるため、そして攻撃を当てるために必須。
2.魔力:回復魔法の効果と回数を増やすため。
3.耐久:一撃で死なないため。治癒魔法師が落ちたらPTが壊滅するため。
(ランクアップの前に、この三つは可能な限り上げる。Sを目指す)
ダンまちの知識がある彼女は知っている。レベルアップ時のステイタスの積み上げが、将来の強さを決定づけることを。
フィーナは、常軌を逸したトレーニングメニューを自分に課した。