もしも、ロキファミリアに闇深系少女が入ったら。   作:匿名。

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第14話

 空間を圧し潰す衝撃波が襲い掛かる。

 

 アイズを守るためにフィーナが付与していた『想導障壁(ディア・ヴェール・リヴィーレ)』が、ギシギシと悲鳴を上げた。

 

 愛の深さで強度を増す絶対防壁。だが、それすらもLv.7の最大火力の直撃には耐えきれない。

 

 ピキッ……パリンッ!!

 

 乾いた音と共に、障壁がガラスのように砕け散った。

 

 「アイズッ!!」

 

 遠くから、血を吐きながら叫ぶフィーナの声が聞こえた気がした。

 

 直後、アイズの極小の体を、致死量の衝撃波が丸呑みにする。

 

 「あ、ぁぁぁぁぁぁッ……!!」

 

 だが、アイズは死ななかった。

 

 彼女の胸元で、パァンッ! と甲高い音を立てて弾け飛んだものがあった。

 

 出撃前、フィンから配給された魔道具――『一度だけ致死ダメージを肩代わりする身代わりのペンダント』。

 

 たった一つしか存在しなかったその奇跡のアイテムが、アイズの命を強引に現世へと繋ぎ止めたのだ。

 

 とはいえ、無傷で済むはずもない。

 

 「……が、はっ……」

 

 ペンダントが相殺しきれなかった余波を受け、アイズは全身から血を吹き出し、岩壁に叩きつけられた。

 

 骨が折れ、筋肉が裂け、指一本動かすことすらできない重傷。

 

 (動け……フィーナを、守らなきゃ……)

 

 薄れゆく意識の中で、アイズは必死に剣を握ろうとするが、力が入らない。

 

 だが次の瞬間、温かな銀色の光が彼女を包み込んだ。

 

 大人三人を死の淵から蘇らせた直後のフィーナが、自らの命を削るようにして紡いだ遠隔回復魔法だった。

 

 「【ディア・リヴィーレ】!!」

 

 光が収束し、アイズの折れた骨が繋がり、裂けた肉が瞬時に塞がっていく。

 

 肺に新鮮な空気が満ちる。

 

 痛みが、嘘のように消え去った。

 

 「……フィーナ」

 

 アイズは立ち上がった。

 

 その視線の先には、同じく『聖鐘楼』の直撃を受け、全身の甲殻を砕かれて瀕死の状態で痙攣するデルピュネの姿があった。

 

 アルフィアの魔法すら、辛うじて耐え切った深層の化け物。

 

 「……これで、終わり」

 

 完全回復を果たしたアイズは、床を蹴った。

 

 再び纏う黒い風は、先ほどよりもさらに濃く、鋭く。

 

 「【リル・ラファーガ】ッ!!!!」

 

 神速の刺突。

 

 黒風を束ねた巨大な剣閃が、デルピュネの巨体を脳天から尾の先まで、完全に両断した。

 

 断末魔すら上げる間もなく、黒い怪物は塵となってダンジョンの底へと還っていった。

 

 「……見事な一撃だな」

 

 瓦礫の山の上で、血に濡れた口元を拭いながら、アルフィアはその光景を見届けていた。

 

 彼女の放った最大の魔法を凌ぎきり、即座に反撃に転じて深層のモンスターレックス相当の怪物を葬り去った少女たち。

 

 盾となり癒やしを与える、『聖女』フィーナ。

 

 黒い風を纏い、絶望を切り裂く『英雄』アイズ。

 

 (……ああ、そうか)

 

 アルフィアの胸の内にあった「迷い」が、晴れやかな「確信」へと変わっていった。

 

 かつて最強だった自分たちでさえ到達できなかった領域。

 

 この二人の少女なら、あるいは。

 

 (この二人なら、本当に……あの黒竜(ぜつぼう)すらも討ち倒せるのではないか?)

 

 アルフィアは、ゆっくりと立ち上がった。

 

 もはや彼女の体に残された命の火は、風前の灯火だ。魔力も底を突きかけている。

 

 今すぐ逃げ出せば、まだ生き延びられるかもしれない。エレボスの元へ戻る道はある。

 

 だが、彼女はそれをよしとしなかった。

 

 「……ここを、私の死に場所とする」

 

 アルフィアは静かに宣言した。

 

 誰に聞かせるわけでもない、自分自身への誓い。

 

 最後の瞬間まで、立ちはだかる。

 

 彼女たちに立ちはだかる最大の壁となり、自身の残された命のすべてを、彼女たちに『経験値(エクセリア)』として捧げる。

 

 それが、絶望に敗れ、悪に堕ちた『静寂』が最後に為すべき、世界への贖罪であり、未来への投資だった。

 

 怪物を打ち倒した後も、戦場には異様な空気が漂っていた。

 

 「……ぁ、ああぁぁ……!!」

 

 デルピュネを両断したアイズの周囲で、黒い風がまだ吹き荒れていた。

 

 いや、先ほどよりもさらに凶悪に、まるで持ち主の感情を食い破るかのように暴走を始めている。

 

 「全部……消えろ。フィーナを傷つけるものは、私が、全部……ッ!!」

 

 アイズの黄金の瞳は、焦点が合っていなかった。

 

 半狂乱。復讐の炎に魂を焼かれ、敵と味方の区別すら怪しくなっている。

 

 『復讐姫』のスキルは、強力すぎるがゆえに、使用者の精神を容易に喰い殺す。

 

 「まずいぞ! 小娘が我を忘れている!」

 

 ヘディンが顔をしかめ、雷撃の準備をする。このまま暴走すれば、味方にも被害が出る。

 

 「待ってください!!」

 

 それを制したのは、フィーナだった。

 

 彼女は、血だらけの体を引きずりながら、平衡感覚がおかしくなった体でフラフラと立ち上がった。

 

 そして、黒い風が吹き荒れるアイズの元へと、ゆっくり歩き出した。

 

 「おい、やめろ! 今のあいつに近づけば、細切れにされるぞ!」

 

 ヘグニの制止の声も、フィーナには届かない。

 

 ヒュンッ!

 

 暴走する黒い風の刃が、フィーナの頬を浅く切り裂いた。

 

 腕を掠め、制服を裂き、白い肌に無数の切り傷を作っていく。

 

 痛い。刃のついた嵐の中を歩いているようなものだ。

 

 それでも、フィーナは歩みを止めなかった。

 

 「……アイズ」

 

 血を流しながら、ボロボロになりながら。

 

 フィーナはアイズの正面に立ち、そのまま、黒い風ごと彼女の小さな体をきつく抱きしめた。

 

 「え……?」

 

 アイズの口から、呆然とした声が漏れた。

 

 「もう、大丈夫だよ。……怪物は死んだ。誰も、私を傷つけない。だから……もう、独りで泣かないで」

 

 フィーナの温かい体温が、血の匂いと共にアイズを包み込む。

 

 その絶対的な肯定と、甘い依存の温もりが、アイズの魂を縛り付けていた憎悪の鎖を、ふっと解きほぐした。

 

 スゥ……ッと、黒い風が嘘のように霧散していく。

 

 我に返ったアイズは、自分の腕の中にいるフィーナの惨状を見て、息を呑んだ。

 

 フィーナの体中にある無数の切り傷。それは他でもない、アイズ自身の『風』がつけたものだ。

 

 「ぁ……私、が……」

 

 アイズの瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

 「ごめんなさい……ごめんなさい、フィーナ……! 私、フィーナを守りたかったのに、私が、フィーナを傷つけて……ッ!」

 

 アイズはひどく後悔し、フィーナの服を掴んで子供のように泣きじゃくった。

 

 自分が最も傷つけたくない人を、自分の力で傷つけてしまった絶望感。

 

 「ふふ……泣き虫ですね、アイズは」

 

 フィーナは優しく微笑むと、アイズの頭を撫でながら、自分自身に回復魔法をかけた。

 

 「【癒えよ】」

 

 淡い光がフィーナを包み込む。

 

 アイズの風がつけた切り傷も、アルフィアの魔法による内傷も、すべてが一瞬で消え去り、白磁のような肌が戻る。

 

 「ほら、見て?」

 

 フィーナはその場でくるりと回って見せた。

 

 「もう怪我なんて、一つもないよ。全部治っちゃいました。……アイズが私を守ってくれたから、私はこうして無事なんですよ」

 

 「……ほんとうに、痛くない?」

 

 「うん。……だから、自分を責めないで。アイズは私の、たった一人の英雄なんですから」

 

 フィーナはそう言って、もう一度アイズの涙を指で拭った。

 

 その言葉に、アイズは強く、強く頷いた。

 

 「……ん。もう間違えない。……フィーナのために、剣を振るう」

 

 嵐は去った。

 

 二人の少女は、互いの存在を確かめ合うように額をこすり合わせると、再び前を向いた。

 

 そこには、死を覚悟した最強の魔女――アルフィアが、静かに彼女たちを見下ろしている。

 

 「……茶番は終わったか?」

 

 ヘディンが、冷ややかな、しかしどこか満足げな声で二人に声をかけた。

 

 「終わったのなら持ち場につけ、馬鹿者ども。……真のボスは、まだ首を洗って待っているぞ」

 

 「はいッ!!」

 

 フィーナとアイズは揃って返事をし、再びヘディンの指揮下へと戻った。

 

 迷いは、もうない。

 

 残るは、過去の亡霊に引導を渡すのみ。

 

 アイズが戦線に復帰し、戦況はさらに加速した。

 

 前衛で漆黒の風を纏うアイズが斬り込み、中衛でヘグニが呪詛の刃を振るう。

 

 そして後衛からは、ヘディンとリヴェリアによる、息もつかせぬ魔法の波状攻撃が絶え間なくアルフィアへと降り注いでいた。

 

 「……チッ」

 

 アルフィアは舌打ちし、魔法を無効化する『付与(エンチャント)』を維持し続ける。

 

 だが、それは彼女自身の魔力と体力を激しく消耗させる両刃の剣だった。

 

 ヘディンの狙いはまさにそこにあった。アルフィアに防御を強要し、その命の灯火を削り落とす完全なる消耗戦。

 

 (……このままでは、長くない)

 

 アルフィアは自身の限界を正確に悟っていた。

 

 肺が焼け付くように痛む。血を吐きすぎた体は、すでに鉛のように重い。

 

 無防備な怪物を相手にするのとは違い、手練れの第一級冒険者たちが連携して放つ魔法の弾幕は、確実に彼女の『静寂』を侵食していた。

 

 だが、ここで削り殺されるわけにはいかない。

 

 彼女には、最後に成し遂げなければならない「役目」があった。

 

 「……邪魔だ、お前達は寝ていろ」

 

 アルフィアは、突如として自身を覆っていた魔法無効化の付与を解除した。

 

 そして、残された僅かな魔力の大部分を振り絞り、アイズとフィーナを「避ける」ようにして、三人の大人たちへ向けて魔法を放った。

 

 「【福音(ゴスペル)】」

 

 「なっ……!? しまった、防壁を――!」

 

 リヴェリアが杖を構えるより早く、音の衝撃波が炸裂する。

 

 ドガァァァァァンッ!!

 

 「ぐ、がぁぁぁぁッ!?」

 

 「しまっ……!」

 

 ヘディン、ヘグニ、リヴェリアの三人が、まるで見えない巨人の平手打ちを食らったように吹き飛ばされ、18階層の岩壁に激突して崩れ落ちた。

 

 命はある。だが、立ち上がれない。完全に戦闘不能のダメージだった。フィーナの障壁も、リヴェリアの障壁もなく、無防備なまま直撃しまったからである。

 

 土煙が晴れた後。

 

 荒れ狂う戦場に残されたのは、血に染まった最強の魔女と、二人の少女だけになった。

 

 「……英雄候補たちよ」

 

 アルフィアは、血まみれの口元に、どこか穏やかな、母性すら感じさせる微笑みを浮かべた。

 

 「私の全てを、くれてやる。……私の全てを糧(エクセリア)にするといい」

 

 それは、紛れもない「継承」の宣言だった。

 

 神の恩恵(ファルナ)のシステムにおいて、格上の強敵を倒した際に得られる『莫大な経験値』。だがそれは、多人数で戦えば戦うほど分散し、薄まってしまう。

 

 アルフィアがあえて大人たちを排除したのは、Lv.7である自らの命という最高純度の経験値を、この二人の少女に「独占」させるためだった。

 

 その真意に気づいた時。

 

 フィーナの心の中で、ずっとくすぶっていた黒い炎が、音を立てて崩れ去った。

 

 (……私は、知っていたのに)

 

 フィーナは唇を噛み締めた。

 

 前世の知識。原作の記憶。アルフィアがなぜ、こんな大罪を犯してまでオラリオを滅ぼそうとしたのか。

 

 黒竜という絶対の絶望に対抗するため、英雄を生み出すための悪役を演じているのだということを。

 

 知っていたはずなのに、両親を殺された怒りと悲しみから、ずっと「知らないふり」をして、彼女を憎もうとしていた。憎むことで、自分を保とうとしていた。

 

 だが、目の前の光景が、フィーナの欺瞞を許さなかった。

 

 (普通なら……このPTで、真っ先に狙って殺すべきなのは、ヒーラーである『私』のはずだ)

 

 アルフィアほどの戦術眼があれば、無限回復を繰り返すフィーナを初手で潰すのが最適解だ。

 

 だが、アルフィアはそうしなかった。最後までフィーナを残し、アイズと共に立たせた。

 

 自分たちに、未来を託す可能性を見たからだ。

 

 (……あぁ、だめだ。もう)

 

 フィーナの瞳から、憎しみが消え失せた。

 

 復讐に囚われていたはずの心は、いつの間にか、不器用で優しすぎるこの魔女を、完全に「許して」しまっていた。

 

 「……なら!」

 

 フィーナは、涙を拭い、まっすぐにアルフィアを見据えて叫んだ。

 

 「私たちの攻撃が届いたら……私たちの言うことを聞いてください!!」

 

 我儘な子供のような、戦闘中にあるまじき取引。

 

 だが、アルフィアは少しだけ目を丸くした後、優しく頷いた。

 

 「……いいだろう」

 

 「【エアリエル】」

 

 アイズが風を纏う。憎悪に染まっていた黒い風は、今は本来の、純粋で美しい透明な風へと戻っていた。

 

 フィーナが隣にいてくれる。それだけで、アイズの剣は迷いを失う。

 

 「行きます、アイズ!」

 

 後衛で守られることを指示されていたフィーナが、アイズの隣に並び立ち、共に前線へと駆け出した。

 

 ステイタスのペナルティにより、フィーナの足は遅い。Lv.3の敏捷にすら満たない。

 

 本来なら、前衛など張れるはずもない鈍重な動き。以前、アルフィアと遭遇した時は、前衛職ですらない彼女の体術に手も足も出なかった。

 

 だが、今は違う。

 

 彼女には、足りない速さを補ってくれる「最強の剣」が隣にいる。

 

 「……シッ!」

 

 アルフィアが魔法を放つ。

 

 アイズに向かってゴスペルが放たれる。

 

 だが、それをフィーナが障壁を展開して防ぐ。

 

 その死角からフィーナが踏み込む。

 

 「遅い」

 

 アルフィアがフィーナの鳩尾に鋭い蹴りを叩き込む。

 

 「が、はッ……!」

 

 骨が軋み、血がこみ上げる。だが、フィーナは止まらない。

 

 「【癒えよ】!!」

 

 被弾と同時に魔法を発動。

 

 ダメージを「無かったこと」にして、そのままアルフィアの腕に組み付く。

 

 「……なっ!?」

 

 無茶苦茶なゾンビ戦法。だが、その一瞬の拘束が、Lv.7の動きを完全に止めた。

 

 「アイズ!!」

 

 「――ッ!!」

 

 フィーナが作った完璧な隙。

 

 アイズは一切の躊躇なく、風を極限まで圧縮した刺突を放つ。

 

 アルフィアは躱そうとした。だが、フィーナが離さない。

 

 二人なら、互いの弱さを完全に庇い合える。

 

 遅すぎるフィーナをアイズが守り、アイズの死角をフィーナが血肉を犠牲にして塞ぐ。

 

 完全なる共依存の戦闘スタイルが、最強の魔女の予測を凌駕した。

 

 「これで……終わりだッ!!」

 

 ズシュウゥゥゥゥンッ!!!!

 

 風が、吼えた。

 

 世界がスローモーションのように引き延ばされる中。

 

 アイズの放った漆黒の長剣『デスペレート』が、アルフィアの白い腹部を、背後まで深々と貫いていた。

 

 「……ぁ」

 

 アルフィアの口から、微かな吐息が漏れる。

 

 届いた。

 

 神々ですら恐れた『静寂』の中心に、ついに二人の少女の刃が届いたのだ。

 

 血の雨が降る中、時間が静止したように、三人はその場で固まっていた。

 

 「……私の負けだ。好きにするといい」

 

 アイズの漆黒の剣『デスペレート』が腹部を貫いた状態のまま、アルフィアは抵抗する素振りも見せず、静かに目を閉じた。

 

 その顔には、敗北の悔しさよりも、長きにわたる重責からようやく解放されたような、安堵の色が浮かんでいた。

 

 これで、終わる。自分の命という莫大な経験値(エクセリア)が、この二人に受け継がれる。

 

 「……それで? 私に攻撃が届いたら、言いたいことがあると言っていたな」

 

 アルフィアは、うっすらと目を開け、自分を刺したアイズと、その隣で血まみれになっているフィーナを見下ろした。

 

 「好きに言ってみろ、小娘共」

 

 どんな罵倒でも受け入れるつもりだった。

 

 両親を奪った怨敵への恨み言。

 

 あるいは、オラリオを無茶苦茶にしたことへの正義の断罪。

 

 だが、フィーナの口から紡がれたのは、全く予想外の言葉だった。

 

 「……逃げないでください」

 

 「……は?」

 

 アルフィアは思わず、間の抜けた声を出した。

 

 「何を言っている、小娘」

 

 「そのままの意味です」

 

 フィーナは、アルフィアを真っ直ぐに見つめ返した。

 

 「死んで、ただの数字(経験値)になって終わり……なんて、そんな簡単に逃げないでください。最後の命が尽きるその日、その最後の瞬間まで……『生きて』、私たちの経験値になってください」

 

 「……フィーナの言う通り」

 

 アイズもまた、剣を握ったままこくりと頷いた。

 

 「あなた……悪い人に、思えない。だから、生きて。生きて、私たちの経験値になって」

 

 「……お前たち、正気か?」

 

 アルフィアは呆れ果てた。

 

 自分はテロリストの首謀者であり、数え切れないほどの命を奪った大罪人だ。

 

 「私をここで殺せばいい。ステイタス上の莫大な経験値が手に入る。……生かしておいて、何になるというのだ」

 

 「そうじゃないです!」

 

 フィーナが声を荒げた。

 

 「ステイタスの数字なんかじゃなくて……貴女が実際に見て、感じた『経験』です! 隻眼の黒竜がもたらした、あの本物の絶望を! 前衛職でもないのに、第一級冒険者をあっさりと凌駕するその圧倒的な『技術』を! 私たちに、生きて教えてください!」

 

 「……っ」

 

 アルフィアは、雷に打たれたように目を見開いた。

 

 (ああ……そうか)

 

 アルフィアは、自分の中にある決定的な『弱さ』に気づかされた。

 

 悪を演じ、オラリオを滅ぼそうとした。それは事実だ。

 

 だが、心のどこかで、誰かに自分を討ち取ってもらい、この苦しい現世から「死んで楽になろうとしていた」のではないか。

 

 病の苦痛からも、敗北の絶望からも。

 

 (私は……死ぬことで、逃げようとしていたのか)

 

 少女のひたむきな目が、ごまかしのない真実を突きつけてくる。

 

 アルフィアは、フッと自嘲気味に笑った。

 

 「……ここまで生き恥を晒したのだ。その期間が多少伸びようが、どうなろうが、今さら変わらないな」

 

 そして、アルフィアは静かに頷いた。

 

 「いいだろう。……私の命ある限り、お前たちを鍛え上げてやろう」

 

 「はいッ!!」

 

 アイズが剣を引き抜くと同時に、二人は花が咲いたように元気よく答えた。

 

 その瞳は澄み切っており、先ほどまで渦巻いていた復讐心や憎しみといった負の感情は、微塵も残っていなかった。

 

 「あ、急がないと! 血が!」

 

 アイズが剣を抜いたことで、アルフィアの腹部から鮮血が溢れ出す。

 

 フィーナは慌てて懐から小瓶を取り出した。アスフィ・アル・アンドロメダ特製の『魔法効果増幅薬』。

 

 それを一気に飲み干すと、フィーナは両手をアルフィアの傷口にかざした。

 

 「【癒えよ】!!」

 

 膨大な魔力が、増幅薬の力でさらに跳ね上がり、神々しいほどの銀光となってアルフィアを包み込む。

 

 「……!?」

 

 アルフィアは驚愕した。

 

 アイズの剣が貫いた致命傷が、瞬きする間に塞がっていく。それだけではない。

 

 先ほどまで激しく消耗していた体力が底上げされ、肺を焼くような不治の病の苦痛さえも、嘘のようにスッと引いていくのを感じたのだ。

 

 全回復、疲労の除去、状態異常(デバフ)の解除。

 

 (なんだ、この出鱈目な魔法は……。これなら、私の『病』すらも、進行をも止められるのではないか……?)

 

 最強の魔女ですら理解の及ばない、まさに神の奇跡。

 

 アルフィアは、目の前で一生懸命に魔法をかける銀髪の少女に問いかけた。

 

 「……娘。お前、発展アビリティの『治癒』は持っているか?」

 

 「えっ? はい、Lv.3に上がった時に発現したので、持ってますけど……」

 

 フィーナは不思議そうに首を傾げながら答えた。

 

 (……やはり)

 

 アルフィアは戦慄と共に確信した。

 

 圧倒的な魔力、異常な耐久力、そして『治癒』の発展アビリティによってブーストされる規格外の回復魔法。

 

 黒竜の圧倒的な暴力の前に、かつてのゼウスやヘラ・ファミリアは心を折られ、絶望した。

 

 だが、どんな致死のダメージも瞬時に無かったことにするこの少女が戦場にいれば?

 

 この少女のレベル、発展アビリティが成長すれば…

 

 誰も死なない。誰も絶望しない。

 

 (この娘は……黒竜戦において、皆が絶望しないための『光』になる)

 

 「……ねえ、早く教えて」

 

 アルフィアがフィーナの存在価値に内心で震えていると、アイズがアルフィアのローブの袖をちょいちょいと引っ張った。

 

 「あなたの剣技、すごかった。……私より速くないのに、全然攻撃が当たらなかった。どうやるの?」

 

 その顔は、新しいおもちゃを見つけた子供のようにキラキラと輝いている。

 

 「……は?」

 

 アルフィアは目をパチクリとさせた。

 

 つい数十秒前まで、互いの内臓をぶちまけようとする血みどろの殺し合いをしていたはずだ。

 

 それなのに、なんだこの間の抜けた空気は。

 

 「……お前たち、それでいいのか…?」

 

 アルフィアは、長年の戦いの中でも味わったことのない激しい戸惑いを覚えていた。毒気を抜かれるとはこのことだ。

 

 「アイズ、ずるいです。私も魔法のコツとか、詠唱待機のタイミングとか教えてもらいたいです!」

 

 「私が先。剣が先」

 

 「魔法が先です!」

 

 「……ええい、五月蠅い!」

 

 アルフィアは、かつてないほど「普通の大人」のようなため息をつき、額を押さえた。

 

 「教えるのは後だ。……その前に、私が吹き飛ばしたあそこのエルフ共を回復させろ」

 

 アルフィアが指差した先。

 

 壁際では、ヘディン、ヘグニ、リヴェリアの三人の第一級冒険者が、白目を剥いて瓦礫の山に埋もれていた。

 

 「あっ」

 

 アイズが、ぽんっと手を打って見事な天然を発揮する。

 

 「……そうだった。忘れてた」

 

 「ひどいですアイズ……リヴェリア様たちがかわいそうだよ」

 

 フィーナが苦笑いしながら立ち上がる。

 

 「……フィーナだって忘れてた…、人のこと言えない」

 

 アイズがフィーナに指摘する。

 

 「そうですけど、そうですけどっ…」

 

 図星を突かれたもののフィーナはそうではないんだと必死になって説明しようとしているが言葉が出てこなかった。実際その通りで返す言葉もなかったのだ。

 

 「……お前たちが一番残酷だな」

 

 アルフィアは呆れ果てながらも、どこか足取り軽く歩き出す少女たちの背中を追った。

 

 地獄と化した18階層。

 

 その片隅で、最強の魔女と二人の少女は、かつての死闘が嘘だったかのように連れ立って、忘れられていた哀れなエルフたちの救出へと向かうのであった。

 

18階層の岩壁際。

 

 アルフィアの『ゴスペル』の直撃を受け、瓦礫の下敷きになっていた三人のエルフ――ヘディン、ヘグニ、リヴェリアの元へ、奇妙な三人組が近づいてきた。

 

 「よいしょ……リヴェリア様、重い……アイズ、手伝って」

 

 「ん……せーの」

 

 フィーナとアイズが、気絶しているリヴェリアの上にのしかかっていた巨大な岩を退ける。

 

 そして、フィーナはその白魚のような手を三人のエルフにかざした。

 

 「【癒えよ】」

 

 将来的には、アルフィアの病すら退けうる、規格外の全回復魔法。

 

 淡い銀光が三人を包み込むと、粉砕されていた骨や裂けた内臓が瞬く間に修復され、失われた体力と疲労すらも完全な状態へと引き上げられていく。

 

 「……ん、ぅ……」

 

 最初に意識を取り戻したのは、ハイエルフの王族、リヴェリアだった。

 

 (……私は、死んだのか?)

 

 アルフィアの魔法が直撃した瞬間の、あの圧倒的な破壊の記憶。

 

 だが、体に痛みはない。それどころか、信じられないほど体が軽い。

 

 「あ、気がつきましたか、リヴェリア様!」

 

 「……フィーナ、か? 無事だったのだな……アイズも」

 

 リヴェリアは体を起こし、二人の少女が無傷であることに安堵の息を漏らした。

 

 そして、隣で同じように目を覚まし、ひび割れた眼鏡をかけ直しているヘディンと、オロオロと周囲を見回しているヘグニの姿を確認する。

 

 (生きている。……あの化け物の魔法を食らって、なお)

 

 リヴェリアが状況を把握しようと視線を巡らせた、次の瞬間だった。

 

 「……目が覚めたようだな、エルフ共」

 

 フィーナとアイズのすぐ背後。

 

 そこには、血に濡れたローブを纏い、腕組みをして彼らを見下ろす『静寂』のアルフィアが、ごく自然な様子で立っていた。

 

 「なッ――――!?」

 

 リヴェリアの翠の瞳が、限界まで見開かれた。

 

 「き、貴様ッ!!」

 

 「……馬鹿なッ!?」

 

 常に冷徹なヘディンでさえ、顔色を失って後ずさり、反射的に杖を構えようとした。

 

 だが、魔力を練ろうとしたヘディンの前に、フィーナがちょこんと立ち塞がった。

 

 「あっ、待ってくださいヘディンさん! もう戦闘は終わりました!」

 

 「終わっただと!? どう見ても最強の敵が、お前たちの背後に立っているだろうがッ!!」

 

 ヘディンが、かつてないほど声を荒らげて叫ぶ。

 

 混乱の極みにあるエルフたちに向かって、フィーナはえっへんと胸を張り、とても誇らしげに説明を始めた。

 

 「大丈夫です! この人は、死ぬその日まで私たちの『経験値』になってもらうことになったんです!」

 

 「……ん。生きた経験値」

 

 アイズも、隣でうんうんと真顔で頷く。

 

 「経験、値……?」

 

 リヴェリアが、理解不能な単語を聞いて呆然と呟く。

 

 ゴツンッ!! ゴツンッ!!

 

 「あだッ!?」

 

 「痛ぅっ!?」

 

 直後、アルフィアの両拳が、二人の少女の脳天に容赦なく振り下ろされた。

 

 「おい小娘ども、私は『経験値』という名前ではない。人を聞くも恐ろしい歩く概念みたいに言うな」

 

 アルフィアはため息をつき、頭を抱えて涙目になっている二人を一瞥した。

 

 「私のことはアルフィアとでも呼べ。……そして、エルフ共」

 

 アルフィアは、固まっている三人に向き直り、どこか面倒くさそうに、けれど真剣な声で言った。

 

 「そういうわけだ。今日からこの娘たちの稽古をつけてやることになった。……当分は世話になる。よろしく頼む」

 

 「……………………は?」

 

 リヴェリアの口から、間の抜けた音が漏れた。

 

 数秒間の、完全な沈黙。

 

 やがて、アルフィアの言葉の意味がリヴェリアの脳内で処理され……そして、大爆発を起こした。

 

 (な、ななな、何を言っているのだこの女は!?)

 

 リヴェリアは頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。

 

 (稽古をつける? 世話になる? オラリオを火の海にした闇派閥(イヴィルス)の首魁の一人、あの『静寂』のアルフィアを、ロキ・ファミリアで保護するということか!?)

 

 政治的にも、倫理的にも、実務的にも、大問題どころの騒ぎではない。

 

 ギルドが黙っているはずがない。市民感情も最悪だ。

 

 何より、団長であるフィンになんと説明すればいいのだ。

 

 『地下に行ったら、敵の親玉が懐いてきました』で通るわけがない。間違いなくフィンの胃に穴が開き、親指が疼きすぎて千切れるだろう。

 

 「ど、どうしろと言うのだ……こんな爆弾を抱え込むなど……私は、ロキに何と報告を……あぁ、頭が痛い……」

 

 リヴェリアは、高貴なハイエルフとしての威厳を完全に投げ捨て、ブツブツと現実逃避のうわ言を繰り返し始めた。

 

 「ヘディン、俺はどうすればいいんだ!? 闇の波動が、王族の絶望に共鳴している……俺の右目が疼く」

 

 ヘグニは全く状況についていけず、ただオロオロとその場を反復横跳びしている。

 

 そんな中、ヘディンだけは、なんとか理性を総動員して現実を受け止めようとしていた。

 

 彼は深くため息をつくと、しゃがみ込んでいるリヴェリアの肩に、そっと手を置いた。

 

 「……リヴェリア様、お気を確かに」

 

 それは、他ファミリアに対して常に傲慢で、決して敬意を払わないヘディン・セルランドが初めて見せた、同じエルフであり『苦労人』としての連帯感――王族であるリヴェリアに確かな敬意の表すのだった。

 

 だが、フィーナは、考えてみれば口調こそ厳しいものの、ヘディンはリヴェリアに敬意を持って接していたことを思い出す。

 

 「あっ」

 

 その光景を見たフィーナが、アイズの袖をツンツンと引っ張った。

 

 「アイズ、アイズ」

 

 「ん、何? フィーナ」

 

 「……あれが、神々の言葉で言うところの『ツンデレ』というやつじゃないでしょうか?」

 

 フィーナは、ヘディンを指差しながらヒソヒソ(全く隠れていない声で)と耳打ちした。

 

 かつてロキが面白半分で教えてくれたオタク知識。

 

 「はっ!」

 

 アイズは目を見開き、雷に打たれたような表情でヘディンを見た。

 

 「これが……ツンデレ……?!」

 

 アイズはツンデレの正確な意味など分かっていなかったが、「なんだかすごい真理を知ってしまった」という顔で、尊敬と哀れみが混ざった目をヘディンに向けた。

 

 「…………」

 

 ピキッ。

 

 ヘディンのこめかみに、青筋が浮かんだ。

 

 『ツンデレ』の意味は彼にも分からなかったが、今の自分を強烈に馬鹿にしていることだけは、二人の視線から痛いほど伝わってきた。

 

 「……調子に乗るなよ、駄犬ども」

 

 バリバリバリッ!!

 

 「「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!?」」

 

 ヘディンから放たれた容赦のない魔法の雷撃が、フィーナとアイズの脳天に直撃した。

 

 二人は黒焦げになり、口からプクッと煙を吐いてその場に倒れ伏す。

 

 しばらくすると、フィーナが立ち上がり、回復させる。

 

 「…………ふっ」

 

 その、あまりにも馬鹿馬鹿しく、平和で、血生臭さの欠片もないやり取りを見て。

 

 先ほどまで命のやり取りをしていたのに、その空気の緩急のせいかアルフィアの口から、思わず小さな笑い声が漏れた。

 

 「ふふ……あはははっ!」

 

 それは、皮肉でも、嘲笑でもない。

 

 長年の病と、重すぎる使命に押し潰され、絶望の淵に立ち続けていた『静寂』が、何年ぶりかに見せた、年相応の純粋な笑顔だった。

 

 (なんだ、この娘たちは……)

 

 アルフィアは、黒焦げになりながらも「ヘディンさんのツンデレが爆発しました……」と呻いているフィーナたちを見て、肩を揺らして笑った。

 

 死ぬことでしか贖えないと思っていた自分の罪。

 

 だが、この騒がしくて、強くて、どこまでも規格外な少女たちの傍にいるのなら。

 

 もう少しだけ、この理不尽な世界を生きてみてもいいかもしれない。

 

 深淵の18階層に、死闘の終わりを告げる、穏やかな笑い声が響き渡っていた。

 

 リヴェリアは、全てを考えるのをやめ、全員で帰路に着くことに決めるのだった。

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