もしも、ロキファミリアに闇深系少女が入ったら。   作:匿名。

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本編とは何も関係ないので、興味がない方は、読み飛ばしてください。

もしも、アルフィアを許す選択をしなかったらあったかもしれないエンディング。


間話 IFストーリー

 黒龍との決戦を数日後に控えたオラリオの夜。喧騒が嘘のように静まり返った裏路地の一角、ヘルメス・ファミリアの拠点に、その銀髪の少女は音もなく訪れた。

 

 ロキ・ファミリアが誇る奇跡の体現者、フィーナ。

 

 彼女は神ヘルメスの前に静かに座ると、背中を向け、自身のステイタス更新――それも、たった今読み終えたばかりの『魔導書(グリモア)』による結果の確認を求めた。フィーナは、主神でなくとも一度だけ魔法やランクアップすらも可能にするマジックアイテムを持ち込んだのだ。

 

 ヘルメスは神血(イコル)を垂らし、彼女の背に刻まれた神聖文字(ヒエログリフ)をなぞる。そして、そこに新たに発現した「魔法」の記述を見た瞬間、飄々とした神の顔から一切の表情が消え失せた。

 

 「……フィーナ。君は、自分が何をその背に刻んだか、本当に理解しているのかい?」

 

 震える声を隠しきれないヘルメスに対し、フィーナは衣服を整えながら、振り返りもせずに淡々と答えた。

 

 「ええ。おそらく――私の『全て』を対価にする、最愛への魔法でしょう?」

 

 ヘルメスは息を呑んだ。

 

 ありえない。魔法の発現は、その者の資質、歴史、強い願いが絡み合って生み出される奇跡だ。全知たる神々でさえ、いざ発現するまで何が飛び出すかなど予測できない。

 

 だが、目の前の少女は平然と言ってのけた。己の在り方を、魂の形を、そして自身の内にある「アイズ・ヴァレンシュタインへの愛」という名の狂気を、彼女自身が誰よりも深く、恐ろしいほど正確に理解しているからだ。

 

 「もし違っていたら、どうするつもりだったんだい?」

 

 「別に違っていても構いませんでした。でも、私には分かるんです。私の願いは、もうそれ以外に残されていませんから」

 

 フィーナは初めて振り返り、ヘルメスに向かってふわりと微笑んだ。それは、明日死ぬことなど微塵も恐れていない、あまりにも純粋で、完成されすぎた聖女の笑みだった。

 

 「……なぜ、主神であるロキのところへ行かなかった?」

 

 「ロキ様にこれを見せれば、絶対に止められます。それに、私は最後に『観測者』たる貴方にお願いをしたかったのです」

 

 フィーナは静かに、けれど絶対に譲れない決意を込めてヘルメスを真っ直ぐに見つめた。

 

 それは、これから自分が消滅し、世界から忘れ去られた後のこと。誰も自分の存在を覚えていない世界で、それでも遺されてしまうであろう「不自然な痕跡」について。

 

 「私が消えた後、アイズの心に『誰かを失った』という欠落感だけが残ってしまったら……どうか貴方の口から、都合の良い嘘を吐いて騙してあげてください。彼女が、存在しない私の幻影に囚われて立ち止まらないように」

 

 ヘルメスは頭を抱えたくなった。どれほど重く、残酷な願いか。

 

 己の全てを投げ打って最愛の少女を救う。それだけでも悲壮だというのに、彼女は残されるアイズの「悲しみ」すらも先回りして消し去ろうとしているのだ。一切の見返りを求めず、ただ相手が笑って生きる世界だけを望む。それはもはや愛という名の呪いだった。

しかし、ヘルメスは彼女のその瞳を見て、断る言葉を飲み込んだ。

 

 「……ああ、分かった。君の愛の結末は、このヘルメスが確かに見届けよう」

 

 「ありがとうございます、ヘルメス様」

 

 少女の笑みは、月の光の下で、すでに幻のように透き通って見えた。

 

 そして訪れた、隻眼の黒竜との決戦。

オラリオの主神たる神々は、バベルの最上階、あるいは各ファミリアの拠点にて、神の鏡(オクルス)を通じてその戦いを見守っていた。

 

 映像と音が魔道具を通じて共有される。それは、下界の子供たちが成し遂げるかもしれない未曾有の偉業を見届けるためであり、同時に、愛する子供たちの「最後」をその目に焼き付けるための、神々に許された唯一の特権だった。

 

 『……っ、なんてデタラメな力や……!』

 

 ロキが血を吐くような声を漏らす。鏡の向こうでは、天地を揺るがす黒竜の咆哮が響き、第一級冒険者たちが次々と吹き飛ばされていた。

 

 絶望の化身。どれほど剣を叩き込もうと、どれほど魔法を放とうと、黒竜の鱗は砕けず、逆にその圧倒的な暴力が冒険者たちの心を折ろうとしていた。

 

 最前線で剣を振るうアイズ・ヴァレンシュタインもまた、満身創痍だった。

 

 風は散り、息は絶え絶えになりながらも、彼女の黄金の瞳だけは復讐の炎を燃やし続けている。だが、その命の灯火が風前の灯であることは、見ている神々の誰の目にも明らかだった。

 

 その時だった。

 

 鏡の映像の中、崩れゆく戦場の中心へと、一人の銀髪の少女が進み出た。

 

 『フィーナ!? 何ばしとる、下がれ!!』

 

 ロキの絶叫は、当然ながら鏡の向こうには届かない。

 

 ヘルメスだけが、静かに、ただ静かにその瞬間を見つめていた。

 

 フィーナは、黒竜の威圧にも、吹き荒れる嵐にも一切の恐怖を感じていなかった。

 

 彼女の視線の先にあるのは、ボロボロになりながらも立ち上がろうとする、世界で一番愛しい少女の背中だけ。

 

 (ああ、アイズ。どうか、もう泣かないで)

 

 フィーナは両手を胸の前で組み、祈るように目を閉じた。

 

 そして、その薄い唇から、神の理すらも超越する禁呪の詠唱が紡がれる。

 

 「――我が名を刻む神よ、

 我が歩んだ過去よ、まだ見ぬ未来よ、

 そして巡るべき来世よ」

 

 その瞬間、フィーナの体から溢れ出したのは魔力の光ではなかった。

 

 それは、彼女の「時間」、彼女の「命」、彼女の「魂の記憶」そのものが変換された、極彩色の銀の光。

 

 血の代わりに光が血管を巡り、彼女の皮膚が、髪が、羽のようにパラパラと崩れ落ちていく。

 

 痛覚などとうの昔に喪失していた。ただ、胸の奥底から込み上げる「アイズへ全てを捧げられる」という至上の歓喜だけが、彼女を包み込んでいた。

 

 「すべてを灰に。

 すべてを供物に。

 すべてをただ一人のために」

 

 戦場にいる誰もが、その異様な光景に息を呑んだ。

 

 アイズが振り返る。その黄金の瞳が、崩れゆくフィーナを捉え、大きく見開かれた。

 

 「フィーナ……? なに、を……」

 

 手を伸ばそうとするアイズ。しかし、フィーナの体はすでに半透明に透け始めていた。

 

 「その瞳に曇りあらば我が光を、

 その身に傷あらば我が命を、

 その心に絶望あらば我が魂を」

 

 彼女の持つ過去の経験値、Lv.7に至るまでの血の滲むような鍛錬の歴史。

 

 現在のステイタス、魔力、精神のすべて。

 

 そして、未来で得るはずだった幸福や、死後に還るべき輪廻の魂すらも圧縮され、光の粒子となってアイズの体へと流れ込んでいく。

 

 「我は時を持たぬ者となろう。

 我は輪廻を捨てる者となろう。

 我は存在を終える者となろう」

 

 詠唱が進むにつれ、周囲の冒険者たちの顔から「フィーナ」という存在の認識が薄れていく。

 

 「あの子は……誰だ……?」「なぜ、あんなところに……」

 

 記憶が剥がれ落ちる。世界が、フィーナという存在を「最初からいなかったもの」として修正し始める。

 

 だが、鏡越しに見つめる神々にだけは、その崇高なる犠牲がはっきりと見えていた。

 

 「それでも――」

 

 フィーナは最後に、アイズに向かって、出会った日と同じように優しく、温かく微笑んだ。

 

 「銀の聖女は、最愛を守る。

 《アルゲンテウス・アナテマ》」

 

 パーンッ、と。

 

 ガラスが弾けるような軽やかな音と共に、フィーナの身体は完全に銀の粒子となり、戦場から消失した。

 

 直後、爆発的な光がアイズを包み込む。

 

 強制的なレベルブースト。全ステイタスの超域強化。第一級の攻撃すら弾き返す絶対障壁。無尽蔵に供給される体力と精神力、あらゆる状態異常を弾く抗体、そして、運命の確率すら強引に引き寄せる『幸運』の発現。

 

 一個人の存在全てを対価にした、神の御業に等しい奇跡の付与魔法が完成した。

 

 「……え?」

 

 アイズは、己の内に満ち溢れる規格外の力に戸惑い、己の手を見つめた。

 

 傷は完全に癒え、魔力は底なしに溢れている。

 

 彼女はハッとして前を見た。

 

 そこには、黒く焦げた大地の上に、見覚えのない杖と、小さな防具だけがポツンと残されていた。

 

 「誰の……忘れ物……?」

 

 アイズの頬を、一筋の涙が伝い落ちた。

 

 なぜ涙が出るのか、彼女には全く分からなかった。ただ、胸にポッカリと穴が空いたような、ひどく懐かしくて、あたたかくて、悲しい風が吹いたような気がした。

 

 周囲の冒険者たちも、誰一人としてその装備の持ち主を思い出すことはできない。

 

 ただ、天の観測室にいる神々だけが、一人の狂気的で、あまりにも美しかった少女の終焉に、静かに涙を流していた。

 

 ヘルメスは深く帽子を目深に被り直し、誰に も聞こえない声で呟いた。

 

 「ああ、君の愛は……最高に美しかったよ、フィーナ」

 

 神の鏡(オクルス)越しにその光景を見ていた神々は、一様に言葉を失い、そして息を呑んだ。

 

 「……おい、嘘やろ。まさか、どっかのアホが『神威(アルカナ)』を使いおったんか!?」

 

 沈黙を破ったのは、血相を変えたロキだった。

 

 ヘスティアも、フレイヤも、その場にいたすべての神々が同じ錯覚に陥っていた。無理もない。銀髪の少女が放った光は、下界の理を完全に無視していた。時間を捻じ曲げ、世界法則を書き換え、一個人の魂の因果律すらも代償とするその現象は、神々が天界で起こすような『奇跡』そのもの――いや、下界の子供が使う魔法の域を遥かに超えた、正真正銘の『魔法(奇跡)』だったからだ。

 

 「ちがう、神の力じゃない……! あの子自身の、魂の輝きだ君っ……!」

 

 ヘスティアが震える声で叫ぶ。

 

 騒然とする神々の中で、ただ一人。ヘルメスだけは目深に被った帽子の下で唇を噛み締め、瞬きすら忘れたかのように、中継の映像を己の神髄に深く、深く焼き付けていた。

 

 戦場では、かつてない異常事態が起きていた。

 

 先程まで第一級冒険者たちを赤子のようになぎ払い、絶望の象徴として君臨していた隻眼の黒竜。その巨体を、たった一人の少女が圧倒していたのだ。

 

 フィーナの全存在を捧げた付与魔法

 

 《アルゲンテウス・アナテマ》。

 

 過去、現在、未来、そして来世の可能性すらも圧縮されたそのバフを受けたアイズ・ヴァレンシュタインは、まさに神の代行者と化していた。

 

 銀色の光を帯びた風が戦場を駆け抜ける。

 

 アイズが一閃する。ただそれだけで、いかなる魔法も通じなかった黒竜の巨大な腕が宙を舞い、漆黒の翼が根元から両断された。

 

 『ガ、ァアアアアアアアアアアアアッ!?』

 

 黒竜が驚愕に満ちた悲鳴を上げる。

 

 だが、アイズの進撃は止まらない。彼女は竜の咆哮を正面から抜け、その剣先を、残された黒竜の「もう片方の目」へと突き立てた。

 

 ザクンッ!!

 

 鮮血が噴き出す。

 

 それは、かつて英雄アルバートですら片目を奪うのが限界だった、絶対的絶望に対する明確な『偉業』。

 

 不可能を可能にしたのは、間違いなくアイズの執念と剣技だった。しかし、その根底にあり、英雄すら届かなかった領域へアイズを押し上げたのは――光となって消えた、たった一人のヒーラーのおかげであることは言うまでもなかった。

 

 神々は驚愕とともに、画面越しに伝わってくるその魔法の異常性に気づき始めていた。

アイズが振るう力の源泉。それは、魔力などというチャチなものではない。フィーナという一人の少女が生きた歴史、仲間と笑い合った記憶、ファミリアの家族への想い、そして、ただ一人愛を捧げた少女への祈り。そのすべてを燃料にして燃え盛る、命の残りカスすら残さない完全なる自己犠牲。

 

 「あ、あぁ……なんでや……」

 

 ロキは、膝から崩れ落ちた。

 

 自身の眷属であるはずなのに、そんな魔法を隠し持っていたことなど欠片も知らなかった。いや、知るはずがなかった。それは、すべてを捧げた瞬間に初めて発動する、最初で最後の魔法なのだから。

 

 ロキの瞳から、大粒の涙がボロボロと溢れ落ちる。

 

 片腕で顔を覆うが、嗚咽は止められなかった。

 

 愛するものにすら忘れられ、世界から完全に消滅する魔法。今、下界にいるロキ・ファミリアの子供たちは、誰一人としてフィーナという家族がいたことを覚えていない。アイズですら、自分にこれほどの力を与えてくれたのが誰なのか、知る術を持たないのだ。

 

 悲しみ、慟哭、怒り、後悔。それらすべてを煮詰めて凝縮したような感情が、ロキの胸を激しくかきむしる。

 

 「なんでや……なんで、こんな馬鹿な真似ば……っ! フィーナは、ウチの大切な子供やぞ……っ!!」

 

 「泣かないで、ロキ」

 

 静かな、けれど神の威厳と優しさに満ちた声が響いた。

 

 美の女神、フレイヤだった。魂の輝きを誰よりも正確に視ることができる彼女の瞳には、フィーナの最後の瞬間が、他のどの神とも違う形で見えていた。

 

 「彼女は、決して悲劇のまま散ったわけじゃないわ。……むしろ、逆よ」

 

 「逆……やと?」

 

 「ええ。あの子は、剣姫を救うためにすべてを捧げた。でもね、その自己犠牲の果てに、最も深く、完全に『救済』されていたのは――フィーナ自身なのよ」

 

 フレイヤの言葉に、神々は息を呑んだ。

 

 一切の未練も、恐怖もなく。ただ純粋に、最愛の人が二度と独りで泣かない未来のためだけに己のすべてを差し出す。その瞬間のフィーナの魂は、いかなる神すらも届かないほど、透き通るように美しく、至上の愛に満たされていたのだと。

 

 その時、ずっと黙り込んでいたヘルメスが、重い口を開いた。

 

 「……白状するよ、ロキ。フィーナのステイタスを最後に更新し、あの魔法の発現を確認したのは……俺だ」

 

 「ヘルメス……お前……っ!」

 

 激昂しかけたロキを手で制し、ヘルメスはポツリポツリと語り始めた。

 

 《アルゲンテウス・アナテマ》の恐るべき効果。その重すぎる代償。荘厳な詠唱文。

 

 そして何より――彼女が最後に遺した、アイズへの狂おしいほどの愛と、残される者の心すらも案じた強すぎる願いを。

 

 『――どうか貴方の口から、都合の良い嘘を吐いて騙してあげてください』

 

 その願いの真意を知った時、会場はなんとも言えない、圧倒的な感情の渦に包まれた。

 

 ヘスティアは両手で顔を覆い、見知らぬ少女の愛の深さに声を上げて泣き崩れた。フレイヤもまた、その魂の極致に触れ、静かに一筋の涙を流していた。

 

 「下界の子供たちは、彼女を忘れるだろう」

 

 ヘルメスは、涙で滲む視界の先、神の鏡を真っ直ぐに見据えて言った。

 

 「戦を共に乗り越えた仲間も、ファミリアの家族も、彼女がすべてを捧げた最愛の少女でさえも。……だが、俺たちだけは別だ」

 

 神々は顔を上げた。

 

 「世界が忘れても、俺たち神が覚えている。彼女が生きた歴史を、その勇気を、贖罪と祈りという名の、最高に美しい愛の軌跡を。……彼女という英雄がいたことを、絶対に忘れさせはしない」

 

 それは、天界の神々が満場一致で結んだ、一つの神話の盟約だった。

 

 神々が見守る下界の戦場。

 

 隻眼となり、巨体をよろめかせる黒竜に対し、決定打を放つ瞬間が訪れていた。

 

 「――『ウチデノコヅチ』!!」

 

 春姫の九尾が展開され、極大の階位昇華(レベルブースト)の光がアイズを包み込む。

フィーナの魔法による超域強化の上から、さらに重ね掛けされる規格外のバフ。

 

 アイズの全身から、銀の光を内包した漆黒の風が爆発的に吹き荒れる。

 

 「これで……決めるッ!!」

 

 アイズは大地を蹴り、黒竜の急所――かつてアルバートが傷をつけ、そして今、自身が切り裂いたその鱗の隙間へと、渾身の一撃を突き込んだ。

 

 轟音。閃光。

 

 風が荒れ狂い、黒竜の体内から莫大な魔力が暴走する。

 

 致命傷を負い、断末魔の咆哮を上げる絶望の化身。

 

 「今だァァァッ!!」「叩き込めェェェッ!!」

 

 その隙を見逃す冒険者たちではない。ロキ・ファミリア、フレイヤ・ファミリアを始めとする、オラリオの全戦力が、己の持つ最強の魔法と技を一斉に黒竜へと叩き込んだ。

幾千の光が交差した直後。

 

 千年以上もの間、世界に絶望を撒き散らしてきた黒竜の巨体は、ボロボロと灰のように崩れ去り――後には、小山のような巨大なドロップアイテムだけが残された。

 

 終わったのだ。

 

 三大クエストの最後、黒竜討伐という人類の悲願が、今この瞬間に達成された。

 

 数秒の静寂。

 

 そして、戦場から割れんばかりの歓声が爆発した。

 

 満身創痍で倒れ伏す者。血を流しながらも空に向かって吠える者。抱き合って泣き叫ぶ者。大怪我を負っている者ですら、痛みを忘れて勝利の雄叫びを上げていた。

 

 彼らは知らない。

 

 なぜ自分たちが生きて勝利できたのか。

 

 なぜアイズが規格外の力を得たのか。

 

 そして、あの焦げた大地の上に、誰のものとも知れない小さな杖と防具が遺されている理由を。

 

 ただ、歓喜に沸く下界の空の上。

 

 神々だけが、名もなき銀の聖女の死を悼み、そしてその美しき愛を讃え、静かに、優しく微笑みかけていたのだった。

 

 歓喜と熱狂に包まれた黒竜討伐の戦場。しかし、その勝利の余韻の中で、ロキ・ファミリアの面々は奇妙な感覚に囚われていた。

 

 「……あれ?」

 

 満身創痍のアイズ・ヴァレンシュタインは、無意識のうちに背後を振り返り、誰かの名前を呼ぼうとして――その口をポツリと開けたまま固まった。

 

 誰に、声をかけようとしたのだろう。

 

 激戦を終え、真っ先に無事を確かめ合い、その「優しい魔法」で癒してもらおうとした相手。黄金の瞳が戦場を彷徨うが、彼女の記憶の中には、そこにいるべき『誰か』の顔も、名前も、声すらも浮かんでこない。

 

 「アイズさん! ご無事で……っ、あれ? 私、今、誰のところに駆け寄ろうと……?」

 

 レフィーヤもまた、杖を抱きしめながら首を傾げていた。陣形の要として、常に自分たちの背後を守ってくれていた絶対的な安心感。それがすっぽりと抜け落ちている。

 

 フィン、リヴェリア、ガレスといった首脳陣も同様だった。

 

 「……おかしいな。完璧な陣形だったはずだが、後衛の配置にどうにも不自然な空白があるような気がする」

 

 フィンが親指を噛みながら眉をひそめ、ガレスも腕組みをして唸る。確かにそこに『在った』はずの事実だけが、形のない空洞となって彼らの胸の内に違和感として残っていた。

 

 そんな中、アイズの視線が、黒く焦げた大地の上にポツンと残された小さな防具と一本の杖に引き寄せられた。

 

 それは、凄まじい魔力帯びた上質な装備だった。しかし、誰のものか全く見覚えがない。

 

 「リヴェリア……これ、誰の落とし物……?」

 

 拾い上げた銀色の意匠が施された杖を見つめ、アイズは不思議そうに呟く。なぜだか、それに触れていると、泣きたくなるほど胸が締め付けられた。

 

 リヴェリアは周囲を見渡し、首を横に振った。

 

 「誰のものかは分からん。だが、これだけの業物だ、黒竜のドロップアイテムと共に積んでおけ。後でギルドが持ち主を割り出すだろう」

 

 「……うん」

 

 アイズはもう一度だけその杖を胸に抱きしめると、名もなき英雄の遺品として、それを静かに回収した。彼女がその杖の本当の持ち主を思い出す日は、永遠に訪れない。

 

***

 

 一方、バベルの最上階。

 

 下界の子供たちが成し遂げた千年の偉業に、天界の神々は一部を除いて狂喜乱舞の祭り騒ぎとなっていた。美酒が振る舞われ、神々が互いの眷属を讃え合う中――ロキだけは、その喧騒から遠く離れた薄暗いバルコニーで、一人膝を抱えていた。

 

 涙の跡がこびりついた顔を膝に埋めるロキの背後に、静かな足音が近づく。

 

 「……隣、いいかい」

 

 帽子を深く被ったヘルメスだった。彼はいつもの飄々とした笑みを完全に消し去り、ロキの隣に腰を下ろした。

 

 無言のまま、ヘルメスは懐から一つの小さな包みを取り出し、ロキの震える手の上にそっと置いた。

 

 「……なんや、これ」

 

 「彼女が遺したものだ。君に、渡してくれと頼まれていた」

 

 包みを開くと、中から出てきたのは、美しい銀の細工が施された『金のロザリオ』と、一通の手紙だった。

 

 「それは、彼女が自身の全財産を投じて作らせた特注品だ。ヘファイストスの神火を借り、アスフィーの調合技術を注ぎ込み、俺が素材をかき集め……そして、あのヴェルフ・クロッゾに『魔法を使っても絶対に砕けない器』として鍛えさせたマジックアイテム」

 

 ヘルメスの言葉に、ロキは息を呑んでロザリオを見つめる。

 

 「彼女のあの規格外の超回復魔法……『癒えよ(ディア・リヴィーレ)』が封じられている。対象が死んでさえいなければ、欠損だろうが絶望的な状態異常だろうが、即座に全快させる。……彼女は、自分が消えた後も、ファミリアの皆を、アイズを守るためにこれを遺したんだ」

 

 自分が消滅することなど、とうの昔に受け入れていた。その上で、残される家族のために全財産と時間を使ってこんなものを準備していたのだ。

 

 ロキは、その冷たい金属の感触に込められた、あまりにも重く、温かい愛に耐えきれず、ロザリオを胸に強く抱きしめた。

 

 「手紙も……読んでやってくれ」

 

 促され、ロキは震える指で封を切った。

 

 そこに記されていたのは、見慣れた、丸みを帯びた優しく丁寧な文字だった。

 

『ロキ様へ

突然のお手紙、ごめんなさい。そして、私の魔法のことを秘密にしていてごめんなさい。

もしロキ様に知られたら、絶対に泣いて怒って、私を止めると思ったからです。

でも、どうか怒らないでください。私は、この魔法を使ったことを絶対に後悔していません。

闇派閥に両親を奪われ、復讐の炎だけで生きていた空っぽの私を拾ってくれたのは、ロキ様でした。

ロキ・ファミリアという温かい場所で、フィン団長たちに導かれ、レフィーヤさんたちと笑い合い……そして、アイズという光に出会うことができました。

彼女の願いを知った時、私は、私の命の意味をようやく見つけることができたんです。

アイズがこれ以上傷つかないためなら。彼女が二度と、独りぼっちで泣かなくて済む世界を作れるなら。そのためにこの命を、魂を燃やし尽くせるなら、これ以上の幸せはありません。

私は消えて、皆の記憶からいなくなります。

だから、これは私の最後のわがままです。

ロキ様、どうかアイズが立ち止まらないように、私のいない世界で、あの子が心から笑って生きられるように、見守ってあげてください。

ロキ様に出会えて、ロキ・ファミリアの子供になれて、私は本当に、本当に幸せでした。

今まで、ありがとうございました。

フィーナより』

 

 手紙を読み終えた瞬間、ロキの喉の奥から、獣のような嗚咽が漏れた。

 

 「……あ、あぁ……ッ! アホや……ほんま、大馬鹿野郎やで、あんたは……ッ!!」

 

 ロキは手紙を握りしめ、顔をくしゃくしゃにして泣き叫んだ。

 

 愛する子供が、神である自分にすら隠し事をして、勝手に一人で逝ってしまった。それは文字通り消滅してしまったのだ。それだけでも気が狂いそうなほど悲しいのに、その動機が果てしなく純粋な「愛」と「感謝」で埋め尽くされている。

 

 誰も覚えていない。世界中の誰も、フィーナという最高に優しくて、最高に狂った女の子がいたことを知らない。

 

 だからこそ、ロキは泣いた。神である自分が、彼女の生きた証を、その痛みを、全部受け止めて泣いてやらなければならなかった。

 

 そんなロキの隣で、ヘルメスはもう一つ、空間収納(アイテムボックス)から美しい細工の施された酒瓶を取り出した。

 

 「ロキ。彼女からの、もう一つのプレゼントだ」

 

 「……酒?」

 

 「ああ。最高級の『神酒(ソーマ)』だ。……彼女は言っていたよ。悲願の黒竜討伐が成し遂げられた最高のお祝いの日に、主神が泣いてちゃダメだってね」

 

 ヘルメスの声も、微かに震えていた。

 

 フィーナは、すべて分かっていたのだ。自分が消えた後、神々だけが記憶を保持し、そして自分を愛してくれたロキが必ず独りで泣くであろうことを。

 

 だから、無理やりにでも祝杯を挙げさせるために、この酒を用意していた。

 

 「……っ、ほんまに……どこまでウチを……っ」

 

 ロキは涙を乱暴に拭い、ひったくるようにソーマの瓶を受け取った。

 

 栓を抜き、グラスも使わずにそのままラッパ飲みする。

 

 喉を焼くような強烈な酒気と、甘く芳醇な香りが口いっぱいに広がる。しかし、その味は、ロキの流す涙と混ざり合って、ひどくしょっぱくて、苦かった。

 

 「……美味い。……美味いわ、フィーナ」

 

 ボロボロと涙を流しながら、酒を煽る。

 

 祝宴の光に照らされたバルコニーで、道化の神は天に向かって、もう一度だけその名を呼んだ。

 

 「あんたは……ウチの、世界一の自慢の子供や……ッ!!」

 

 その慟哭は、誰の記憶にも残らない英雄への、ただ一人の親からの、美しくも悲しい手向の言葉だった。夜空には、彼女の銀髪のように煌めく星々が、ただ静かに輝いていた。

 

 黒竜討伐の熱狂が、オラリオ中を昼夜問わず包み込んでいた翌日。

 

 歓喜の歌が響き、祝杯のグラスがぶつかり合う下界の喧騒から遠く離れたバベルの最上階で、神々の会議――神会(デナトゥス)が開かれていた。

 

 だが、その空気は普段とは全く異なっていた。

 

 いつもならば、他派閥の子供たちにふざけた二つ名を付け合っては茶化し、嘲笑し、大乱闘に発展する神々の宴。しかし今日、円卓に着く神々の顔にヘラヘラとした笑みを浮かべる者は一人もいない。

 

 彼らは皆、神としての威厳と、どこか深い喪失感を纏い、静かに口を閉ざしていた。

 

 「――皆、集まってくれておおきにな」

 

 沈黙を破ったのは、いつもなら真っ先に場を引っかき回すはずの道化の神、ロキだった。

 

 彼女の目は赤く腫れ上がり、昨晩の神酒(ソーマ)の匂いを微かに漂わせている。だが、その声には、決して折れることのない主神としての強烈な意志が宿っていた。

 

 「今日の神会は、二つ名を決めるためやない。……ウチの、たった一人の大切な子供の『生きた証』を、どう残すか。それを決めるためのもんや」

 

 神々は黙って頷いた。

 

 フィーナという存在は、下界の理から完全に抹消された。もしここで神々が何もしなければ、彼女の狂おしいほどの愛も、その尊い犠牲も、存在すらも、本当に「無かったこと」になってしまう。永遠を生きる神々にとって、それは絶対に許されないことだった。

 

 「彼女は、最愛の少女が悲しまないよう、自身の痕跡を消すことを望んだ。俺にも、都合のいい嘘を吐いてくれと頼んだよ」

 

 ヘルメスが帽子を卓上に置き、静かに語り継ぐ。

 

 「俺は約束通り、アイズたちには『君たちの力だけで偉業を成し遂げたんだ』と嘘を吐いた。……だが、俺は『彼女の物語を誰にも語らない』とは約束していない」

 

 「ええ、その通りよ」

 

 優美な声音で同調したのは、美の女神フレイヤだった。彼女は銀の杯を指でなぞりながら、伏し目がちに微笑む。

 

 「あの子の魂は、私がこれまで見てきたどの英雄よりも、どの神よりも……純粋で、狂おしくて、目が眩むほど美しかった。あんな至上の愛を、無に還すことなんて、美を司る私が許さないわ。彼女の愛は、永遠に語り継がれるべき芸術よ」

 

 「僕も賛成だ」

 

 「妾もじゃ。あのような気高い献身を忘れ去るなど、神の恥辱に他ならん」

 

 ヘスティアが、タケミカヅチが、ミアハが、次々と声を上げる。普段は対立し合う神々が、たった一人の少女の『愛の形』の前に完全に心を一つにしていた。

 

 「……おおきに。ほんま、おおきに」

 

 ロキは深く頭を下げ、その目から再びポロポロと涙を溢れさせた。

 

 こうして、オラリオ史上、最も真面目で、最も美しく、最も悲しい神会が始まった。

中心となったのは、彼女のすべてを知るロキ、魔法の真実を見届けたヘルメス、そして魂の在り方を視たフレイヤ。

 

 彼らは数日間に渡り、寝食すら忘れて(神であるため本来不要だが、それほどの熱量で)一つの物語を編み上げた。

 

 彼女がロキに拾われて不器用ながらも必死に笑おうとしていた日々。

 

 そして、アイズ・ヴァレンシュタインという光に出会い、彼女の背中を守るためだけに、自身のすべてを捧げ尽くしたこと。

 

 神々は、あえて彼女の本当の名前を物語には記さなかった。

 

 それは、彼女の「最愛の人を縛りたくない」という最後の願い(呪い)を尊重するため。そして、アイズがその名を聞いて、謎の喪失感に苦しむことがないようにするための、神々からのせめてもの手向けだった。

 

 数日後。

 

 完成したその書物は、ギルドを通じて吟遊詩人たちの手に渡り、またたく間にオラリオから世界中へと広まっていった。

 

 『名もなき聖女の物語』。

 

 下界の子供たちは、それをただの「おとぎ話」だと思って読んだ。黒竜討伐という現実の偉業に便乗して作られた、美しい神話の一つなのだと。

 

 だが、それでよかった。世界中の人々がその物語を読み、名もなき聖女の献身に涙を流し、その愛を心に刻んでくれるのなら。彼女の魂は、物語という形に姿を変えて、永遠にこの世界に生き続けるのだから。

 

***

 

 ある晴れた日の午後。

 

 復興が進むオラリオの街角で、アイズ・ヴァレンシュタインはベンチに座り、一冊の本を読んでいた。

 

 ベルやレフィーヤが勧めてくれた、最近街で大流行しているという童話。

 

 ページをめくるアイズの黄金の瞳が、ふと、ある一文で止まる。

 

 ――『銀の聖女は、最愛を守る。すべては、ただ一人が笑って生きる世界のために』。

 

 「…………あっ」

 

 ぽつり、と。

 

 アイズの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

 ページの上に染みを作ったその涙の意味を、彼女自身は全く理解できなかった。悲しいわけではない。ただ、胸の奥底がちぎれそうなほど温かくて、懐かしくて、どうしようもなく愛おしい風に撫でられたような気がしたのだ。

 

 「……だれ……?」

 

 誰も答えない。空はただ高く、青く澄み渡っている。

 

 アイズはそっと本を胸に抱きしめ、なぜだか分からないけれど、とても優しい気持ちで、青空に向かって微笑んだ。

 

 バベルの上空から、神々はそんな彼女の姿を優しく見守っている。

 

 これは、神々だけが真実を知る、最高に美しくて残酷な、極光の神話。

 

 それは一人の少女の物語。

 

 一人の少女が聖女と呼ばれ、世界を救うまでの物語。

 

 そして、最後は大切な人に忘れられても、最愛の人に愛を捧げる物語。




作者は、小説を書くにあたり、最初と終わりのみはあらかじめ構想を考えて書き始めたのですが、当初このようなエンディングを予定していましたが、このエンディングに向かうルートでは、原作をそのままなぞるだけになりそうだったのでifルートとして挙げてみました。

作者は、鬱要素があるアニメや小説が好きだったので、頑張って模してみたつもりですが、どうもいまいちだったかも知れません。

このような拙作を最後まで読んでいただきましてありがとうございます。

ゆっくりとになりますが、続きを書いていきます。
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