もしも、ロキファミリアに闇深系少女が入ったら。   作:匿名。

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第6話

 

 そこは、別世界だった。

 

 壁も、床も、天井も、すべてが白亜の迷宮。

 

 だが、その白さは清浄さではない。漂白された骨のような、冷たく乾いた死の色だ。

 

 「……ここが、深層」

 

 フィーナの足がすくむ。

 

 空気が重い。重力が増したかのように、体が鉛のように感じる。

 

 Lv.2のステイタスでは、この階層の「圧(プレッシャー)」に耐えるだけで精一杯だ。

 

 「……一撃も食らわないようにね。食らったら致命傷になりかねないよ」

 

 フィンが低く警告する。

 

 「アイズ、フィーナを身を挺してでも守れ。フィーナが落ちれば、僕たちに帰る道はない」

 

 「……ん。絶対、守る」

 

 三人は慎重に、しかし迅速に進む。

 

 広大な迷宮。どこから敵が現れるかわからない恐怖。

 

 それでも、フィンの背中は揺るがない。

 

 やがて、巨大な扉のような広間の入り口が見えてきた。

 

 その奥に鎮座するのは、床から生える巨大な黒い骸骨。

 

 階層主(モンスターレックス)、ウダイオス。

 

 「……ここで待て」

 

 フィンが二人を制止する。

 

 「フィーナは魔法を待機させておけ。僕が瀕死になったら、躊躇なく使え」

 

 「はい」

 

 「そして……もし僕が『負ける』と判断したら、即座に撤退指示を出す。二人で全力で逃げろ。決して振り返るな」

 

 「……フィン団長」

 

 フィンは振り返り、二人の少女を見つめた。

 

 その瞳には、指揮官としての厳しさと、兄のような優しさが同居していた。

 

 「大丈夫。僕たちなら、きっと帰れる。」

 

 フィンは少しだけ寂しげに、けれど信頼を込めて微笑んだ。

 

 「……皮肉なものだね。これから戦争が始まるオラリオの地上よりも、この地獄の底の方が安全かもしれないなんて」

 

 フィンは一歩、前へ出た。

 

 「行ってくる。……僕の冒険を、見ていてくれ」

 

 小さな勇者が、巨大な死の王へと歩み出していく。

 

 Lv.5の小人族(パルゥム)と、Lv.6の怪物。

 

 一騎打ちの火蓋が切られた。

 

「シッ!!」

 

 戦闘開始と同時に、フィンの姿が掻き消えた。

 

 神速。

 

 ウダイオスが巨大な大剣を振り下ろすが、フィンはその剣身の上を駆け抜け、懐へと飛び込む。

 

 槍が閃き、漆黒の骨の体に無数の風穴を開ける。

 

 (凄い……これが、第一級冒険者の頂点……!)

 

 フィーナとアイズは、柱の陰から息を呑んでその戦いを見つめていた。

 

 ただ見ているだけではない。

 

 足運び、タイミング、魔力の運用、呼吸の一つ一つ。

 

 全てを盗もうと、貪欲に視線を注いでいる。

 

 「……あのステップ、使える」

 

 「はい。…… 距離の取り方、重心の移動……勉強になります」

 

 死闘を教材にする。

 

 会話を交わしながら、自分たちならどう動くか、シミュレーションを重ねる。

 

 その異常な向上心こそが、彼女たちをここまで連れてきた要因だった。

 

 しかし。

 

 数分が経過し、ウダイオスの動きが変化した。

 

 フィーナやアイズがボス部屋に一度入ったこともあり、地面から無数のスパルトイを召喚し、同時に大剣による範囲攻撃を繰り出す。

 

 「――ッ!?」

 

 ウダイオスが、あり得ない角度から裏拳を放った。

 

 フィンの回避が、コンマ数秒遅れる。

 

 ドゴォォォォンッ!!

 

 直撃。

 

 フィンの体が弾丸のように吹き飛ばされ、広場の壁に激突する。

 

 壁が蜘蛛の巣状にひび割れ、フィンが崩れ落ちる。

 

 血反吐が舞う。全身の骨がきしむ音。

 

 「団長ッ!!」

 

 「フィンッ!」

 

 フィーナが詠唱を始め、アイズが風を纏って飛び出そうとする。

 

 だが、土煙の中から、ゆらりと小さな影が立ち上がった。

 

 「……まだだ」

 

 フィンは血を拭い、槍を構え直した。

 

 その瞳から、理性の光が消えていく。

 

 (約束したんだ。ロキと、リヴェリアと、ガレスと……! こんなところで、終わるわけにはいかないッ!)

 

 「【魔人化(ヘル・フィネガス)】ッ!!!」

 

 咆哮。

 

 フィンの全身から赤いオーラが噴き出す。

 

 理性を焼き切り、闘争本能だけを残す狂戦士の魔法。

 

 全能力の大幅上昇と引き換えに、判断能力を著しく低下させる諸刃の剣。

 

 「オオオオオオオッ!!」

 

 攻守逆転。

 

 バーサク状態となったフィンは、獣のような速度でウダイオスに突っ込んだ。

 

 防御を捨てた、捨て身の猛攻。ウダイオスの骨が砕け、黒い巨体が後退する。

 

その時だった。

 

 広場の入り口付近。フィーナたちの背後の地面が、音もなく隆起した。

 

 「――グルルァッ!!」

 

 現れたのは、骨と筋肉が剥き出しになった異形の怪物。

 

 深層の魔素を過剰に摂取した、スパルトイの変異種。あるいは強化種。

 

 それが、フィンの戦いに見入っていたフィーナの背後を襲った。

 

 「フィーナッ!!」

 

 アイズが反応する。

 

 「危ない!」

 

 ドンッ!

 

 アイズがフィーナを突き飛ばす。

 

 ズプッ。

 

 鈍く、濡れた音が響いた。

 

 身代わりになったアイズの胸部を、怪物の鋭い骨の槍が貫通していた。医学的見地はないため、正確なことはわからないものの、それは、心臓を貫いているようにフィーナには見えた。

 

 「ア、アイズ……さん……?」

 

 フィーナの時が止まる。

 

 アイズが血を吐きながら崩れ落ちる。傷は深い。内臓まで達している。

 

 Lv.3の耐久でも、深層の強化種の一撃は致命傷だ。

 

 「い、やだ……!」

 

 フィーナは駆け寄り、崩れ落ちるアイズを受け止めた。

 

 小さい体が、小さい体を抱きかかえる。お姫様抱っこ。

 

 アイズの体温が、急速に失われていく。

 

 1秒でも早く魔法を唱えなければ、死ぬ。

 

 「【謳え……ッ!】」

 

 フィーナは叫ぶように詠唱を開始する。

 

 「ギャアアッ!」

 

 強化種が追撃を仕掛けてくる。

 

 フィーナは逃げない。アイズを抱いたまま、背中を向けて仁王立ちになる。

 

 ドスッ! バキッ!

 

 爪が背中を裂く。骨の槍が背中を貫く。槍は胸部を貫く。肺に穴が空いたかのような感覚。呼吸をするたびに、肺にガラスを吸い込むかのような痛みを感じる。

 

 「ぐ、うぅ……ッ!!」

 

 激痛。

 

 Lv.2のフィーナでは、深層モンスターの攻撃など一撃で死んでもおかしくない。

 

 だが、フィーナは倒れない。

 

 アイズを庇いながら、血反吐を吐きながら、全力で魔法を唱える。

 

 (魔力を込めろ! もっと! もっと速く! もっと広く!)

 

 フィーナの魔法の特性。

 

 魔力を込めるほど回復速度が増し、そして――効果範囲が爆発的に拡大する。

 

 一方、広場の中央では。

 

 バーサク状態のフィンが、ウダイオスをあと一歩のところまで追い詰めていた。

 

 普段の冷静なフィンなら、入り口の異変に気づいただろう。だが、魔法を使った今、そんな余裕はなかった。

 

 「死ねぇぇぇッ!!」

 

 トドメの一撃を放とうとした、その瞬間。

 

 フィーナの詠唱が完了した。

 

 「【ディア・リヴィーレ】!!!」

 

 閃光。

 

 深層の闇を切り裂く、太陽のような輝き。

 

 その光はアイズを癒やし、フィーナを癒やし、そして――広場全体へと広がっていった。

 

 「……!?」

 

 ウダイオスの核を貫こうとしていたフィンを、光が呑み込む。

 

 『全癒』。

 

 そして、『あらゆる状態異常の完全解除』。

 

 それは、フィンの『魔人化(精神汚染)』すらも、「治療すべき異常」として浄化してしまった。

 

 「……はっ?」

 

 フィンの目が正気を取り戻す。

 

 同時に、体を満たしていた圧倒的な力(バフ)が消失し、強烈な脱力感が襲う。

 

 目の前には、瀕死だがまだ動けるウダイオスが、最後の一撃を振り上げていた。

 

ガギィィィィンッ!!

 

 轟音。

 

 フィンの体が、枯れ葉のように宙を舞った。

 

 『魔人化(ヘル・フィネガス)』によるステイタス強化の消失。それに伴う急激な脱力。

 

 防御態勢を取ることすらできず、階層主ウダイオスの巨大な漆黒の剣を、槍の柄で受け流すのが精一杯だった。

 

 全身の骨が悲鳴を上げ、内臓が衝撃で跳ねる。

 

 地面を転がり、壁に叩きつけられる。

 

 「ぐ、っ……はぁ……!」

 

 口から血反吐をぶちまけながら、フィンは膝をついて顔を上げた。

 

 視界が明滅する。体は鉛のように重い。

 

 だが、その碧眼(へきがん)に宿っていた狂気じみた赤色は消え失せ、代わりに氷のような理性が戻っていた。

 

 (……バーサク状態が、解けた)

 

 それは、戦力的には大幅なダウン(弱体化)を意味する。

 

 だが、悪いことばかりではない。

 

 獣のような直感と本能に任せた単調な攻撃パターンから、本来の彼が持つ「読み」と「技巧」を駆使した戦いへとシフトできるということだ。

 

 何より、戦場の全体像を俯瞰できる「指揮官」としての目が戻った。

 

 フィンは、ウダイオスが追撃の構えを取る一瞬の隙に、思考を巡らせた。

 

 なぜ、このタイミングで魔法が解けたのか。

 

 フィーナの魔法だ。

 

 『ディア・リヴィーレ』。全癒と状態異常解除。

 

 その光の強さ、広範囲に及ぶ波動。

 

 (……フィーナの魔法は、込めた魔力量によって効果と範囲が拡張される。……広場全体を覆うほどの、この出力)

 

 フィンは、入り口の方角へと視線を走らせた。

 

 そこにあるのは、深層の闇。

 

 だが、彼には見えた気がした。

 

 限界まで魔力を振り絞り、命を燃やす少女の姿が。

 

 (……彼女たちに、死に直結する危機が迫っている)

 

 直感が、確信へと変わる。

 

 ウダイオスは瀕死だ。あと数分、慎重に立ち回れば倒せるかもしれない。

 

 だが、それでは間に合わない。

 

 撤退か。それとも――。

 

一方、広場の入り口付近。

 

 「……はぁ、はぁ、はぁ……ッ」

 

 フィーナは、荒い息を吐きながら立ち尽くしていた。

 

 腕の中には、気絶したままのアイズ。

 

 背中には、強化種によって刻まれた深手を、魔法で強引に塞いだばかりの熱が残っている。

 

 (魔力(マインド)が……もう、空っぽ)

 

 視界が揺れる。手足の先が冷たい。

 

 精神力の枯渇による、意識の混濁(マインド・ダウン)寸前。

 

 このままでは、魔法が使えなくなる。それは、この深層において「死」と同義だ。

 

 目の前には、血に飢えた強化種。

 

 骨と筋肉の鎧を纏った怪物が、舌なめずりをするようにこちらを見ている。

 

 (ポーションを……飲まなきゃ。でも、隙がない)

 

 ポーションを取り出し、蓋を開け、飲む。その数秒の動作を、目の前の怪物が待ってくれるはずがない。

 

 アイズを抱えたままでは回避も不可能。

 

 (……なら、作るしかない。隙を)

 

 フィーナの瞳に、狂気じみた冷徹さが宿る。

 

 彼女は、あえて防御を解いた。

 

 アイズを抱える腕に力を込め、自身の腹部を無防備に晒す。

 

 「来いッ!!」

 

 挑発。

 

 強化種が反応する。単純な殺意に従い、獲物の柔らかい腹へと骨の槍を突き出す。

 

 ズプッ!!

 

 「ぐ、ぅぅぅぅッ!!!」

 

 肉が貫かれる音。

 

 フィーナの腹部を、鋭利な骨が貫通する。

 

 激痛。嘔吐感。

 

 だが、フィーナは倒れない。逆に腹筋に力を込め、突き刺さった槍を左手でお腹で、体全身を使って締め上げ、敵の動きを固定(ロック)した。

 

 「……捕まえた」

 

 驚愕に動きを止めた怪物の目の前で、フィーナは血塗れの右手で腰のポーションを抜き取った。

 

 歯で栓を食いちぎり、中身を一気に喉へと流し込む。

 

 「ん、ぐっ……ぷはぁッ!」

 

 脳髄に染み渡る清涼感。枯渇した精神力が、底から湧き上がってくる。

 

 フィーナは、ニヤリと笑った。

 

 口の端から血を垂らしながら。

 

 ポーションを飲み切ると同時に、刺さっていた骨の槍を体外へと押し出す。

 

 怯んだ強化種の横を、フィーナは駆け抜けた。

 

 目指すは、出口ではない。

 

 地獄の中心――ボス部屋だ。

 

 「フィン団長ッ!!」

 

 掠れて聞こえるかもわからない声で叫ぶ。腹部は熱を持ち異常なほどの痛みを伝えてくる。だが、今回復魔法を唱える隙などなかった。

 

「……!」

 

 フィーナの掠れた声は確かにフィンに届いた。そして、フィンは目を見開く。

 

 入り口から飛び込んできたのは、全身を朱に染めたフィーナ。

 

 その腕にはアイズを抱き、背後には怒り狂った強化種を引き連れている。

 

 フィーナは、一直線にこちらへ――いや、ウダイオスの方へと走ってくる。

 

 自殺行為? 錯乱?

 

 いや、違う。

 

 (……集める気か!)

 

 フィンは瞬時に意図を理解した。

 

 フィーナもアイズも、決定打(火力)を持っていない。

 

 フィンも、今の状態ではウダイオスと強化種を同時に相手にするのは不可能だ。

 

 ならば、敵を一箇所に集め、最大最強の一撃でまとめて消し飛ばすしかない。

 

 (やってくれるね……! 僕を信じての、死の誘導(トレイン)か!)

 

 フィンは槍を構え直し、魔力を練り始めた。

 

 狙いは一点。

 

 二つの怪物が重なる、その瞬間。

 

 「走れッ! フィーナ!!」

 

 フィーナは走る。

 

 ウダイオスの大剣が振るわれる。風圧だけで吹き飛ばされそうになるのを、歯を食いしばって耐える。

 

 背後からは強化種の爪が迫る。

 

 髪の毛が数本、切り飛ばされる。

 

 (まだ……まだ! もっと近くへ!)

 

 その時。

 

 激しい振動と、フィーナの必死の鼓動を感じて、腕の中の少女が目を覚ました。

 

 「……ん……?」

 

 アイズが薄目を開ける。

 

 視界に映ったのは、ボロボロになりながら、それでも前を見据えて走るフィーナの横顔。

 

 血と泥に塗れ、悲痛なほどに必死で、けれど何よりも美しい。

 

 (……英雄)

 

 アイズの脳裏に、幼い頃に夢見た英雄譚の幻想が重なる。

 

 自分を抱きかかえ、命懸けで守ってくれる人。

 

 白馬の王子様でも、精霊でもない。

 

 同じ傷を持つ、銀髪の少女。

 

 「……フィーナ」

 

 自分が「お姫様抱っこ」されていることに気づき、アイズの蒼白な頬がカッと赤く染まる。

 

 だが、すぐに状況を理解した。

 

 目の前にはウダイオス。後ろには強化種。

 そして、その先でフィンが必殺の構えを取っている。

 

 (……フィーナが、囮になってる。私を守って、ボロボロになって)

 

 胸の奥から、熱いものがこみ上げてくる。

 

 それは感謝であり、そして「守られるだけではいられない」という剣士の矜持。

 

 「……フィーナ。ありがとう」

 

 「えっ? アイズさん!?」

 

 アイズの手が、フィーナの首に回される。

 

 次の瞬間。

 

 「【テンペスト】!!」

 

 風が爆発した。

 

 アイズがフィーナの体を抱き寄せ、空中で体勢を入れ替える。

 

 今度はアイズがフィーナを抱きかかえる形――お姫様抱っこのお返しだ。

 

 「捕まってて」

 

 「わ、わぁっ!?」

 

 アイズは風を噴射し、一気に跳躍した。

 

 ウダイオスの剣劇と、強化種の突進が交差する「死点」から、直角機動で離脱する。

 

 残されたのは、勢い余って激突寸前の二体の怪物だけ。

 

 そして、その直線上には――。

 

 「――そこだッ!!」

 

 フィン・ディムナの眼光が閃く。

 

 彼の手に握られた黄金の槍が、魔力を帯びて唸りを上げる。

 

 『凶暴な魔槍』。

 

 その真名は、使い手の全魔力を破壊力へと変換する、一撃必殺の投擲魔法と同義。

 

 「穿て――【ティル・ナ・ノーグ】ッ!!!」

 

 フィンが槍を投擲した。

 

 それは槍ではない。黄金の流星だった。

 

 空気を裂き、音速を超え、一直線に標的へと吸い込まれる。

 

 ズドォォォォォォォォンッ!!!

 

 着弾。

 

 ウダイオスの巨体と、背後から突っ込んできた強化種が、同時に黄金の光に飲み込まれた。

 

 断末魔すら上げる間もない。

 

 核(魔石)ごと粉砕され、肉体は塵となり、衝撃波が広間の壁を揺るがす。

 

 圧倒的な破壊力。

 

 Lv.5上位の力を一点に集約した、勇者の一撃。

 

 土煙が舞う中、カラン、カランと乾いた音が響いた。

 

 静寂が戻ってくる。

 

 フィンは肩で息をしながら、ゆっくりと体勢を戻した。

 

 「……やったか」

 

 煙が晴れると、そこには何もいなかった。

 

 二体の怪物の姿はなく、ただ巨大なドロップアイテムが転がっているだけ。

 

 アイズにお姫様抱っこされたフィーナは、回復魔法を唱えて全員の傷を癒す。

 

 「……はぁ、はぁ」

 

 そして、アイズに抱えられたまま着地したフィーナが、安堵のため息を漏らす。

 

 「……勝ち、ましたね」

 

 「……ん。勝った」

 

 アイズはフィーナをそっと下ろすと、自分の顔が熱いのをごまかすように、フィーナの服についた埃を払った。

 

 「二人とも、無事かい?」

 

 フィンが歩み寄ってくる。その顔色は悪いが、表情は穏やかだった。

 

 「はい、なんとか……。フィン団長こそ」

 

 「僕は大丈夫だ。君の魔法のおかげで、正気に戻れたからね。……あれがなければ、相打ちになっていたかもしれない」

 

 フィンはフィーナの頭に手を置き、ポンポンと軽く叩いた。

 

 「よくやった。あの状況で、敵を誘導する判断……見事だったよ」

 

 「いえ……必死だったので」

 

 三人はその場に座り込み、泥のように重い体を休めた。

 

 だが、まだ終わりではない。ここは37階層。帰らなければならない。

 

 「……アイテムの確認をしよう」

 

 フィンが現実的な指示を出す。

 

 リュックの中身を確認する。

 

 保存食、水、そして何より――。

 

 「……精神力回復薬、残り2本です」

 

 フィーナが青ざめた顔で報告する。

 

 持ってきた大量のポーションは、強化種との連戦と、最後の無理やりな回復でほぼ使い切っていた。

 

 エリクサーは未使用だが、これは本当に最後の手段だ。

 

 「……厳しいね」

 

 フィンが苦笑する。

 

 「帰りは、戦闘を極力避ける必要がある。フィーナの魔法も、ここぞという時以外は禁止だ」

 

 「はい」

 

 「アイズ、君の風も温存だ。僕が露払いをする」

 

 ギリギリの綱渡り。

 

 だが、彼らの目には絶望の色はなかった。

 死線を越えた者だけが持つ、強靭な光が宿っていた。

 

 「行こう。……地上へ」

 

 「はい!」

 

 「……ん」

 

 三人は立ち上がり、巨大な黒剣を回収すると、地上への長い長い帰り道を歩き始めた。

 

 その背中は、来る時よりも一回り大きく、そして逞しくなっていた。

 

37階層、『白の宮殿』からの撤退戦。

 

 それは、行きとは異なる種類の緊張感に満ちていたが、同時に「生きて帰れる」という確かな希望が足取りを軽くさせていた。

 

 「……動きがいいね、二人とも」

 

 フィンが走りながら、背後の二人を称賛する。

 

 「深層の空気に慣れたのか、無駄な力が抜けている。……これなら、予定より早く地上へ戻れるかもしれない」

 

 「はい、フィン団長!」

 

 「……ん。体、軽い」

 

 フィーナとアイズは、ボロボロの装備のまま、それでも軽快に駆け抜けていく。

 

 死線を越えたことによるステイタスの底上げ、そして何より「あのウダイオスを(フィンが)倒した」という達成感が、精神的な余裕を生んでいた。

 

 水と食料には余裕がある。だが、ポーションには余裕がなかった。そのため、自身が持つ荷物を少しでも軽くするため、食料と水を最低限残し、三人は他を放置することに決めた。

 

 実際に、現実の登山などでは、山頂に登るため、あるいは、急いで山を降りるために、荷物を置いて帰ることもあったりする。これは、生存確率、あるいは目的を達成する可能性を少しでも上げるためである。軽く慣ればなるほど、進むスピードは速くなるのである。

 

 いらない荷物を捨てた、身軽な今の三人にとって、上層や中層のモンスターなど、もはや障害ですらなかった。

 

 30階層、25階層……。

 

 驚異的なペースで階層を遡上し、ついに風景が開けた。

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