羂索がその呪霊に接触したのは、ほんの出来心でしかなかった。
きっかけは
───曰く、市井であらゆるものを黄金に変える呪いが蔓延している。
───曰く、呪いは数百年以上生きた呪霊によるものである。
───曰く、その呪霊は数多の強者を退けた最強の呪霊である。
噂を辿れば、すぐにあらゆるものを黄金に変える呪いとやらが眉唾ではないことが分かった。何せ呪いを受けたであろう黄金像が残っていたのだから。
それどころか、羂索が少し情報を集めれば件の呪霊が今どこにいるのかも判明した。中部地方のとある山間の村落、そこに住む人間を殺し尽くした後、人のいなくなった廃村を住処に追っ手を返り討ちにし続けているらしい。
最強などとも呼ばれている呪霊と接触することは、当然命の危険を伴う。
それでも、羂索は好奇心に駆られるまま呪霊が居るという村落に向かっていた。
胸中を占めていたのはあらゆるものを黄金に変える呪いとやらへの期待、そして最強と称されるほどの呪霊の実力への興味。
あわよくば
最悪の場合は、口車に乗せて連れてきた術師たちを犠牲にして撤退すればいい。
万全の準備の元、羂索は呪霊の住処に足を踏み入れ。
───曰く、呪霊の名は。
「黄金郷のマハト、ここまでとはね…!」
羂索は袈裟斬りにされた身体を廃屋の壁に預け、血反吐を口から零していた。
ひどく、人に似た姿をした呪霊だった。
もしこめかみから生えた歪な角がなければ、術師であっても人間と勘違いするやもしれない。
呪霊の右手に握られた黄金の剣は、血や肉で塗れている。
羂索と、羂索が連れてきた術師たちのものだ。
「急拵えとはいえ、有象無象を集めたつもりはなかったんだけど」
術師たちは既に死んでいる。生き残っているのは羂索だけだ。
呪霊──マハトは術師たちの死体を冷ややかな目で見下ろしながら、おもむろに口を開いた。
「お前の連れてきた奴ら、人殺しに随分慣れているな」
「そうだろうね」
「こういう連中はよく俺を人と同じやり方で
羂索は浅い呼吸を繰り返しながら、袈裟斬りにされた己の身体を見やった。
傷は深い。だが致命傷ではない。反転術式──肉体を治癒する術を持つ羂索にとって、肉体の物理的な損傷は大きな問題ではない。
問題は、
「俺は呪霊だ。身体強度も反応速度も人間とはまるで違う。人との戦いに慣れている連中はその誤差を認識する前にあっさり死ぬ」
「…経験豊富な骨太を集めたつもりが、裏目に出たってわけだ」
印を結べない。
マハトの術式に対抗する術はないことはない。だが、結局現状ではじり貧にしかならないことは明白だ。
加えて、マハトは羂索の目の前に立っている。
その気になれば、いつでも羂索の首を落とすことができる距離。
全てを理解した上で、羂索はくつくつと笑いを漏らす。
「それで、君の祓い方も教えてくれるのかな?」
マハトは死体から羂索に視線を移した。
「自分の立場が分かっているのか?」
「勿論、ただ生憎と私はお喋りが好きでね。君に聞きたいことが沢山あるのさ」
羂索の首に黄金の剣であてがわれる。不用意なことを口走れば、まず間違いなく殺される。
けれど羂索は迷いなく、マハトへと問いを投げかけた。
「まず第一に、君はどうして無意味に人間を殺しているんだ?」
マハトの双眸が僅かに見開かれたのを、羂索は見逃さなかった。
「…どういう意味だ」
「そのままの意味さ」
訝しげなマハトの表情。
羂索はさながら人に教えを説くがごとく黄金のままの両手を広げた。
「ここに来るまでに、いくつもの斬り殺された死体があった」
「だから何だ」
「死体が綺麗すぎるんだよ」
それは、羂索がずっと抱いていた違和感だった。
呪霊、特に知能の低いものは大抵人間を喰うか、ぐちゃぐちゃに辱めて殺すことが多い。人が味気ない粗飯ばかりでは満たされないのと同じようなものなのだろう。きっと、とめどない呪霊の本能がそうさせるのだ。
「君の殺したであろう人間の多くは急所を刺されるなどして一撃で殺されていた。死体に目立った損壊もなし」
本当に、ただ殺しただけだった。
そこに呪霊の本能など、まるで感じられない。
「まるで、人が人を介錯したようだった」
「…話は終わりか?」
「クックッ。これでも死にかけなんだ。そう急かさないでくれ」
マハトは既に、剣を羂索の首から下ろしていた。
「本能に依らない殺し。それは知能の低い呪霊にとっては無意味な殺しに見えるだろう。だが私が思うに、君の無意味な殺しには目的があるんじゃないか?」
呪霊の行動に合理性を求め過ぎてはいけない。
だがマハトには明らかに高い知能と理性があり、凡百の呪霊の常識を当てはめるのはあまりに非論理的だ。
「君は確固たる目的の元、理性に依る殺しを行っている。私が聞きたいのはその目的だ」
羂索とマハトの視線が交錯する。重々しい沈黙、それが果たして何秒続いたのか。
やがて、マハトはゆっくりとその口を開いた。
「俺が人間を殺すのは、悪意や罪悪感を理解するためだ」
「ククッ⋯⋯ははははははっ!!」
マハトの目的を一通り聞いて。
羂索は、大口を開けて爆笑していた。
「何が可笑しい」
「いやすまない。君が真剣なことは理解している。でも…クックッ」
これを可笑しいと言わずに、何と言おうか。
人の負の感情──悪意から生まれた呪霊が悪意を、罪悪感を理解できないなど。
確かに理屈としては理解できる。欺き、誑かし、殺すことを呪霊の本能とするならば、そこに逐一罪悪感などを感じていてはまともに生きることもできない。呪霊にとってこれらは生活の一部であり、無意識レベルで行えることなのだ。
だからこそ、悪意や罪悪感はそこに介在する余地はない。
このマハトという呪霊は、人間の感情を、決して呪霊では理解しえないものを理解するために無意味な殺しを続けていたのだ。
ああ、本当に。
何という笑い話だ。
「あー笑い死ぬかと思ったよ。こんなに愉快なのは、本当に久しぶりだ」
それこそ、これだけ大笑いをしたのは数百年ぶりやもしれない。
もはや清々しい心持ちで羂索が上を見上げると、マハトが不愉快そうに目を細めていた。
「それで? 俺の答えを聞いて満足したのか」
マハトの視線には明らかに殺意が籠っていた。
どうやら怒りという感情は、マハトの中にも存在しているらしい。
「そうだね、感謝するよ。君のおかげで面白い話を聞くことが出来た」
「時間稼ぎは終わりだな」
マハトは羂索の身体の傷を見やった。血塗れのため分かりにくいが、マハトが羂索に与えた傷がほぼ完治している。黄金となった両手は流石にどうにもならなかったようだが、少なくとも死に体ではないだろう。
漂う一触即発の空気。けれど羂索に焦りはなかった。
「まあ待ってよ。面白い話を聞かせてくれたお礼に、私の身の上話を聞かせてあげよう」
「⋯礼になっていない」
「いいじゃないか。どうせ私を今すぐ殺そうが話を聞いた後で殺そうが、そう手間は変わらないだろう」
愉快げに肩を揺らしながら、羂索は話を続けた。
「私の名は羂索。脳を入れ替える術式で肉体を転々としながら、600年間呪いの世界を生きてきた」
礼のつもりだという羂索の言葉は、決して嘘のつもりではなかった。
マハトの答えは、ある意味で羂索の
「この600年間、私は私のため大勢の人間を欺き、誑かし、殺した。自らの手を汚さずに、人間同士を潰し合わせたこともあった。悪意に塗れ続けたと言ってもいい」
「だから何だ。お前は何が言いたい」
「ふふ、私は人の悪意をよく知ってるって話だよ。それこそ、君よりもずっとね」
だが、羂索にとってはここからが本題。
「契約を結ぼう、黄金郷のマハト」
契約、呪霊にとって耳慣れない単語にマハトは眉を顰める。
「私は君に知らない感情を教え、その対価として君は私に仕える」
それは、普段の羂索ならば論外と断ずるような契約内容だった。
目の前のマハトがそうであるように、呪霊の感覚、倫理観は人間のそれと大きく乖離している。『仕える』などという曖昧な文言では、マハトに付け入る隙を与えてしまう。例えばマハトの認識において羂索に『仕える』ことと、羂索を危害を加えることが矛盾しないなどという可能性が考えられるからだ。
そもそも、羂索がいつも行っているのは
面白いと思ったことが、本当に面白いかどうかは実現するまで分からない。
羂索はただ、マハトという呪霊の末路に興味が湧いただけ。
「お前が俺に、知らない感情を教えるだと」
「ああそうだ。逆に君は、私が教えられないと思うのかい?」
「⋯教えられなかったら?」
「私を殺すでも何でも、君の好きにすればいい」
無論、羂索も無抵抗で殺されるつもりはないが。
冷ややかな視線はそのままに、マハトはしばらく黙りこくっていた。羂索の言葉が信用に足るか逡巡しているのか、あるいは───
「いいだろう」
マハトの右手に握られている黄金の剣、それにかけられていた呪いが解かれる。現れたのは藍色の外套だった。自身の衣服の一部を黄金に変え、武器として扱っていたのか。
藍色の外套を左半身に纏い、マハトは右手を羂索に差し出した。
「羂索といったか、お前の口車に乗ってやる」
「⋯契約成立だね」
羂索がマハトの手を取る。
それがまるで友達同士のやり取りのようで、羂索にはどうも可笑しく思えた。
「それで、俺は何をすればいい」
こうして。
羂索とマハトの永い旅路が始まった。