黄金寓話   作:いなほみのる

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第11話 忌真反璞

 死滅回游は成された。

 東京に放たれた1000万体の呪霊を狼煙として、日本全土が混沌に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悠仁様、身体の具合は如何ですか?」

 

 こつこつと、階段を降りる靴音が聞こえる。

 マハトのものだ。階段に座り込む虎杖悠仁に近づいてきている。

 

「黒閃をくらったとこ以外はまぁ平気。多分宿儺の影響だ、アイツの力が大きくなってるのを感じる」

 

 虎杖の側には、マハトの他にもう一人男が佇んでいた。

 黒髪をツインテールのような形で縛った、ダウナーな雰囲気の男。彼はおもむろに虎杖へと口を開いた。

 

「悠仁、俺に気を遣うな。高専に戻っていいんだぞ。俺も焼相達の亡骸を回収したいしな」

 

 男の名は脹相、虎杖の兄を名乗る特級呪物"呪胎九相図"の受肉体だ。渋谷での夏油傑、或いは加茂憲倫との戦いにおいて突如乱入し、以降虎杖と共に行動している。

 そして、渋谷にて虎杖がメカ丸の助力があって尚敗北した相手。

 

「つかってねぇよ、俺が戻りたいかどうかの問題じゃねぇんだ」

 

 脹相の方へと顔を向けず、虎杖は淡々と言葉を漏らす。

 

「宿儺が伏黒を使って何か企んでる。それに、俺は人をいっぱい殺した」

 

 虎杖は渋谷で、これまで積み重ねた全てを喪った。

 もう負けないという決意も、守るべき仲間も、己を突き動かす信念も。

 残っているのは、部品としての役割だけ。

 

───自分が助けた人間が、将来人を殺したらどうする。

 

 脳裏に過るのは、いつかの伏黒の言葉。

 そうだ。伏黒の、皆のためにも。

 

「俺はもう皆と、一緒にはいられない」

 

 人の道を外れた、錆び付くまで呪いを殺す歯車。それが今の虎杖だ。人でなしの歯車に仲間はいらないし、いるべきではない。

 

「悠仁様………」

「マハトも、俺と一緒にいる必要はないんだぞ」

 

 マハトの物憂げな声を振り払うように、虎杖は彼に言葉を投げかけた。

 虎杖がマハトと再会したのは、渋谷で加茂憲倫が呪霊を解放した後のことだった。夥しい数の呪霊が蔓延り廃墟同然となった東京、そこで脹相と共に呪霊を狩っていた虎杖に合流した形だ。彼曰く、加茂憲倫と接敵しその結果地下で隠遁することになったのだとか。

 今の東京の惨状を生み出した張本人と戦ったのだ。相当な重傷を負っていたのだろう。

 

「元々五条先生に死刑を延期してもらってた身なんだ。俺といれば、日本中の呪術師を敵に回すことになるかもしれない」

 

 虎杖は、五条が利かせていた融通で救われていた術師の一人だ。彼が封印され自由に動けなくなっている現状、虎杖の死刑がいつ執行されることになってもおかしくはない。

 そうなれば、虎杖を庇う者も当然呪術界にとっての処刑対象になるに違いない。

 

 だというのに、マハトは虎杖にあくまで付き従い、共に東京での呪霊狩りを続けていた。

 渋谷で虎杖が犯したことを説明してもマハトの態度は変わらない。脹相もそうだが、本当に頑なな態度なのだ。

 

「悠仁様の敵は、すべて私が滅ぼします」

 

 それに救われている己がいることが、虎杖にとって何よりの苦痛であり罰に思えた。

 

「…脹相はいいのか? 俺はオマエの弟も殺したんだぞ」

 

 脹相はかつて虎杖と殺し合った敵同士だ。だが今は、虎杖が自身の弟であるとして彼と共に呪霊を狩っている。その虎杖が、脹相の弟たちを殺したにも関わらずだ。

 

「いい、アレは事故だ。壊相も血塗も、俺の立場なら同じようにしたはずだ」

 

 正直、マハトと違い虎杖は脹相のことを良く知らない。真人たちと共に行動していたのだ。今まで少なくない人を陥れ、殺してきたのかもしれない。

 虎杖が知っているのは、脹相が彼に寄り添い続けているという事実のみ。

 

「赦す赦さないじゃない。兄弟とはそういうものだ」

 

 それに、虎杖が自身の弟であるという脹相の主張は妄言と断じるには早計に思えた。

 脹相の親は3人いる。母と母を孕ませた呪霊、そしてその間に血を混ぜた加茂憲倫。加茂憲倫が肉体を乗り換え何百年と生きている以上、虎杖と脹相が同じ親から生まれていても決して不思議なことではない。

 都合が良いのか悪いのか、虎杖は両親のことをまるで覚えていない。薄らと父親の記憶がある程度なのだ。

 彼の額に縫い目があったかと問われて、虎杖は即答することが出来ない。

 

 だがだとすれば。

 虎杖は、いいやマハトは。

 

「……行こう。今はとにかく呪霊を減らさないと」

 

 立ち上がり、虎杖は階段を降り始めた。

 歯車に迷いはいらない、それは動きを鈍らせる錆びとなるから。

 

 今はただ、呪いを殺すことに専念するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 虎杖たちが、開けた道路で呪霊狩りをしていた時のことだった。

 本当に不意に、虎杖たちは何者かに声を掛けられた。

 

「君ら随分と強気やね。気配隠す気まるでないやん」

 

 声の主は、金髪の左耳にピアスを開けた男だった。虎杖の知らない顔だ。東京(ここ)が呪霊の棲まう魔境であることなど素知らぬ風に砕けた口調で男は虎杖らに話を続ける。

 

「ま、黄金像(それ)見たら理由もよー分かるけど」

 

 金髪の男が虎杖の周囲を見やる。そこには、マハトにより黄金に変えられた呪霊たちが転がっていた。

 虎杖がここまで誘い込み、マハトの術式を喰らわせた呪霊たちだ。脹相には周囲に逃げ遅れた人間がいないかの確認をしてもらっていた。

 

「オマエ、悠仁に何の用だ」

 

 脹相は金髪の男へ真っ先に口を開いた。その表情は既に警戒心に満ちている。金髪の男は脹相を見て、楽しそうに口元を歪めた。

 

「知らへんの? 悠仁君死刑なんやで、悟君の後ろだてがのうなったから」

「あ゙ん?」

「!」

「何や、ほんまに知らんのかい」

 

 それは、他ならぬ虎杖たちが危惧していたことだった。五条が封印されたことによる死刑の執行決定。そもそも死刑の延期を提言したのが五条であるのだから、ごく自然な話だ。

 

「では、貴方が執行役なのですか?」

「いやちゃうで? そもそも俺は君らに用は無いんや」

 

 金髪の男に剣を向けるマハト。

 彼の敵意を受けて尚、金髪の男はおどけた態度を崩さない。それほどの実力を彼が有しているのか、あるいは。

 

「悠仁君の執行役(あいて)は、特級さん方やで」

 

 ぬるりと。

 不気味な気配が、虎杖の肌を撫でる。五条と見紛うほどの、圧倒的な気配。

 

 同時に金髪の男の背後から姿を現したのは、黒髪の男と金髪の女だった。女の顔を見て、虎杖はあっと声を漏らした。

 

「九十九さん…!?」

「また会ったね、虎杖君」

 

 九十九由基。五条と同じく、特級を冠する術師の一人。

 特級には特級を宛がう、考えてみれば確かに妥当な人選に思える。何せ虎杖の側にはマハトと脹相がいるのだ。

 

「乙骨君、分かってるやんな」

「何度も言わなくても分かってますよ。虎杖君を殺したこと、暫く黙っておけばいいんですよね」

 

 金髪の男の口から発された乙骨という名。虎杖はその名に聞き覚えがあった。かつて伏黒から聞いたことのある名だ。

 乙骨憂太、東京高専二年の特級術師。

 上層部は虎杖を殺すために、2人もの特級を虎杖に送り込んできたというのか。

 

「直哉さんは、露払いをお願いします」

 

 3人の術師が、虎杖たちへと歩いてくる。彼らの纏う気配も相まって、その様は断頭台が近づいてきているようにすら思われた。相手に死を下賜する断頭台だ。虎杖が受けるべき罰そのもの。

 だが、虎杖はまだ死ぬわけにはいかない。託された呪いが遺っている。

 

「…マハト」

「分かっています」

 

 虎杖の言葉を受けマハトが首肯する。それは術式を制限する合図だった。

 マハトの『万物を黄金に変える呪法(ディーアゴルゼ)』は法外な術式(ちから)だ。その気になれば魔境と化した東京一帯をそこに潜む呪霊ごと黄金に変えられるやもしれない。

 だがそれをすれば、当然まだ残っているかもしれない非術師を巻き込むこととなる。

 

 目の前の乙骨のような強大な気配ならばまだしも、非術師の微弱な気配を感知することは難しい。下手に広範囲にマハトの術式を発動すれば、呪霊と一緒に沢山の人間が犠牲になりかねないのだ。

 だからこそ虎杖はマハトにむやみやたらに術式を発動させず、あくまで虎杖や脹相が誘い込んだもののみを術式の対象にとっていた。

 

 そもそも、乙骨や九十九は高専の一員。伏黒の仲間なのだ。

 自分が助かるために、虎杖は彼らを殺したくない。

 

「成る程」

 

 虎杖とマハトの様子を見て、九十九が僅かに笑みを漏らす。

 獣にも似た、好戦的な笑み。

 

「少し特級達(わたしら)のこと、舐めすぎじゃないか」

 

 いつの間にやら。

 九十九の掌には、丸まった彼女の式神が乗っていた。本来細長い魚のような式神がサッカーボール大までに自身の体を丸めている。

 彼女はすぐにその式神から手を離し、落下していく式神へと足を振りかぶる。

 

「悠仁さ───」

「狙いは君だよ」

 

 式神が蹴り飛ばされた。

 虎杖に意識を割いてしまっていたのだろう、飛来した式神がマハトに直撃する。虎杖が何かをする暇はなかった。凄まじい轟音と共に、マハトの身体が道路を、建物を砕きながら吹き飛ばされていく。

 

 乙骨は、呆れた顔で九十九を見やりながら口を開いた。

 

「これ、もう祓っちゃってません…?」

凰輪(ガルダ)を喰らう直前に防御体勢に入ってた。彼は無事だよ」

 

 断言する九十九。虎杖も、彼女の言葉を信じるしかない。

 九十九はマハトが吹き飛ばされた方向を見やり、そちらへと足を踏み出した。

 

「さて、見定めさせてもらおう」

 

 

 

 

 

「驚いた。君の呪術、そんな使い方も出来るんだね」

 

 マハトの気配を感知することで、九十九由基はすぐに吹き飛ばした彼の元に辿り着くことができた。

 倒壊した建物の中で体勢を整えるマハト。彼の手には黄金に変えられた外套が盾のように構えられている。九十九が先ほど見た時には剣の形をしていたはずのものだ。

 

「自身の衣服を形を弄り、それを黄金に変えることで変幻自在の壊れない武具とする。五条君が君に目をかけるのも良く分かるよ」

 

 この呪霊はただの術式頼りの猛獣ではない。確かな知性があり、技術があり、経験がある。相手取るにはこれ以上なく厄介な相手だ。

 マハトに対して構える九十九。だが彼は、あくまで冷ややかな眼でこちらを見ていた。

 

「由基様、つまらない茶番はおやめください」

 

 彼の言葉に、九十九は僅かに目を細めた。

 

「…どういう意味かな」

「悠仁様の助命のため、貴方たちが芝居を打っていることは分かっています」

「論拠が分からないな、どうしてそう思う」

 

 九十九の問いに、マハトは笑みを浮かべていた。

 

「貴方や憂太様は、総監部の方々がお嫌いなのでしょう?」

 

 九十九は気づけば口の端を吊り上げていた。そこいらの呪霊とは一線を画しているとは聞いていたが、まさかここまでとは。

 どの道、マハトは自身の考えを変えるつもりはなさそうだ。これ以上の芝居は無意味。九十九は構えを解き、観念したように両手を上げた。

 

「参ったね、舐めていたのは私の方だったようだ」

 

 マハトは穏やかな笑みを浮かたまま、彼女へと口を開く。

 

「やはりそうでしたか」

「ほんとは私まで出張るつもりはなかったんだけどね。総監部の老人共が煩くてさ」

 

 ただ虎杖を殺すだけならば、乙骨を執行人に立てるだけで問題なかったのだろう。しかしながら、虎杖の側にはマハトがいる。本来縛りで行動を制限しているはずの猛獣が解き放たれている。

 総監部はその事実に大いに怯え、彼らから距離を置いている九十九にまで頼ってきたのだろう。全く情けないことだ。

 

「まぁこうして君と話す機会を作れたと考えれば、悪くはなかったかな」

 

 九十九はマハトをちらと見やる。

 総監部とマハトが結んだ縛りは『呪術界に連なる人間に仕え、悪意を持った行いをしてはならない』という内容だ。これが意味を成していなかったことは、九十九にとって何も驚くべきことではない。そもそもマハトは呪霊。人間の価値観、概念をまともに当てはめられると考えること自体が筋違いなのだ。

 真に驚くべきは、事実上何の制約もない状態でマハトが術師たちと過ごせていたこと。

 

「伏黒君辺りから話は聞いてる。君、人類との共存を目指してるんだって?」

「ええ。私はそもそも争いの類いが嫌いでして、かねてより人類との共存の道を探してきました。総監部の皆様と縛りを結ぶ前からです」

「…私は、世界から呪霊をなくしたい」

 

 それは、九十九にとっての悲願だった。

 呪霊をなくす──そのために九十九は十年以上前から世界を巡り、様々なアプローチを探っていた。未だ明確な策は見つけられていないが、九十九はその歩みを止めるつもりは毛頭ない。

 

 九十九にとっても、マハトという呪霊は興味深い存在だ。そもそも呪霊が理性を獲得したとして、人間を殺すことを止めるとは九十九は思っていなかった。人間を殺すということは、呪霊にとってより本能に近しい部分であるのだから。

 人を殺さず、あまつさえ共存を謳う呪霊など九十九にとって完全に想定外の存在だった。

 

「もし私が何かしらの方法を確立して、世界から呪霊をなくすことが可能になったとして、君は私を止めるかい?」

 

 だからこそ、九十九はマハトに問いたいのだ。

 人類との共存、それをマハトが本当に望んでいるのかどうか。

 

「そうですね、方法次第でもありますが」

 

 マハトは、ただ笑っていた。

 

「純粋にどうでもいい」

 

 眉を顰める九十九に構わず、マハトは話を続ける。さながら、当たり前の事実を子どもに説いて聞かせるように。

 

「呪霊に仲間意識などあってないようなものです。私以外の呪霊が生きようが死のうが、私にとってはどうでもいい」

「私の採る方法次第では、君自身の命も危ういかもしれないよ」

「愚問ですね。人類との共存のためならば、私は命とて惜しくはない」

 

 世界から呪霊がなくせたとして、それは果たして人類と呪霊が共存できたと言えるのか。

 人間と似たような姿をして、人間と同じ言葉を吐いていても、呪霊は人間とあまりにも違う。会話をキャッチボールに例えるならば、マハトとのそれは歪な崖壁にボールを投げ続けているようなものだ。

 

「…そうだね。すまない、無駄な時間を取らせてしまった」

「とんでもない。実に有意義な話し合いでした」

 

 これ以上マハトと話す必要はない、そう九十九は判断した。少なくとも、マハトが人類に仇なすかどうかの判断材料にはなり得ないと。

 九十九が、真に話を聞くべきは。

 

「虎杖君のところに向かおう。そろそろ事が済んでる頃合いだ」




次回の更新は3月10日(火)0時の予定です
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