「まずは俺を助けろ、虎杖」
伏黒の説得もあり、虎杖は彼らと共に高専に戻ることとなった。加茂憲倫が仕組んだ呪術を与えられた者たちの殺し合い───"死滅回游"に巻き込まれた伏黒の姉を助けるために。
死滅回游の収拾のため、虎杖たちが知るべきことは2つ。獄門彊の封印の解き方、加茂憲倫の具体的な目的と今後の出方だ。
高専に戻り、これらの回答を得るために天元に接触する。
それが虎杖たちにとっての急務であった。
薨星宮に足を踏み入れたマハトを、天元は腕を組み待ち構えていた。
「初めまして、羂索の知己」
何もない真っ白な空間に
彼は薨星宮に1人で来た訳ではないのだから、当然の表情だ。
「案ずることはない。虎杖悠仁達はもう一人の私がもてなしているよ」
「もう一人、ですか」
「詳しい説明は省くが、今の私は天地そのものが自我なんだ。今君の目の前にいる私ですら私ではない。結界術を応用することで、複数の私でない私を用意したんだよ」
天元は不死の術式を有する術師だ。しかし不死であり不老ではない以上、天元は常に進化を続けている。
その結果が今の四つ眼の異形の姿だ。姿形だけではなく、天元の自我は天地へと根を伸ばし完全に人外のそれへと変貌していた。
その現状を利用し、天元はマハトと虎杖たちを隔離した。
結界術によりマハトのいる空間と虎杖たちのいる空間を切り分け、それぞれにコミュニケーションの取れる
「君を虎杖悠仁達から隔離したのは、君が羂索に協力している可能性を警戒したからだ」
天元の言葉に、マハトは目を細め微笑んだ。
「本当に、全てを知っているのですね」
「ああ。およそ400年前、君が羂索と接触したことは把握している」
天元は自身の張った結界内の情報を把握している。羂索の千年に渡る企みも、伏黒甚爾によって自身の取り巻く因果が破壊されたことも。
「だが、私には人の心までは分からない。君が羂索にとってどういう役割を持っているのか確認したかったんだ」
「私が羂索に協力していたとして、ここまで私を招き入れてよかったのですか?」
「…君の呪術の進行は、封印術や結界術で多少は抑えられる。加えてこの場には特級術師が2人、一級相当の術師が3人集結している。仮に
それでも、危険な賭けではあった。
羂索の目的は天元の本体を呪霊操術で取り込み、人類と天元を同化させること。そして天元の本体はこの薨星宮に在る。もしマハトが羂索と目的を共有しているのなら、これ以上ない好機と言えた。
マハトも虎杖たちも関係なく、皆を拒絶する。天元の身を考えるならばそれが一番の案配だ。
だが天元は、あくまで高専の人間たちに賭けることにした。
「私は傑様と、既に袂を分かっています」
「その理由は?」
「悠仁様の側にいるためです」
マハトの答えは端的なものだった。天元に、いや天元でなくとも、呪霊の心は分からない。述べられた回答と、把握している事実から推論を立てるしかない。
「確かにここ10年近く、君は虎杖悠仁に協力している。だがこれは、羂索の指示によるものではないのか」
「人類との共存のためです。話し合い共に暮らし理解し合うことこそが、共存の道への第一歩だと考えました」
「………」
淀みなく口を開くマハト。彼の口から吐き出されるのは、寒気がするのほどの夢物語だ。
どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。あるいはその全てが嘘であるのか。全く厄介な呪霊だ。羂索が一時共に過ごしていた理由が分かる気がする。
「君の主張は理解した。どの道虎杖悠仁達は死滅回游の平定に君の
無言で礼の形を取るマハト。人と見紛うその姿を見て、天元は四つの目を僅かに細めた。
「…最後に、一つ聞いていいかな」
天元は、おずおずと口を開いた。
神のように奉られ、事実そのように振る舞ってきた彼女に相応しくない態度。
「羂索の動機を、君は知っているか」
「動機、ですか?」
「私に人の心までは分からない。羂索が何故このようなことをするのか、その理由を知っているのなら教えて欲しい」
マハトの表情は変わらない。絶えぬ微笑のまま、彼女の問いへと答える。
「面白いと思ったから、そう伺っています」
彼の答えを受けて。
彼女はほんの少し、顔を綻ばせた。さながら旧い知己を懐かしむような、あるいは悔やむような表情を浮かべていた。
「変わらないね、あの子は」
「正直、驚いたぜ」
禪院真希は、そうマハトへと声を掛けた。
「オマエはもう少し、悠仁と一緒に行動することにこだわると思ってた」
「悠仁様の役割は、恵様と共に金次様を説得し仲間に引き入れること。呪霊である私が共に出向けば、その時点で警戒されてしまうでしょう」
「天元様もわざわざオマエ隔離してたしな」
天元の情報提供を受けて、真希たちはそれぞれの役割は決めて行動を開始した。
九十九と脹相は天元の護衛、乙骨は回遊に参加し情報の収集、そして虎杖と伏黒は停学中の3年である秤金次への協力の要請だ。
「けど実家に帰るだけの私にオマエを付けるのは、ちと過剰戦力じゃないか」
真希とマハトの役割は禪院家の呪具の回収だ。
禪院直毘人の遺言状にて禪院家当主に指名され、全財産の譲渡を約束された伏黒。これにより真希たちは禪院家の忌庫を好きに漁ることができる。回遊の平定に向けてこれを活かさない手はなかった。
しかしながら、これは真希だけでも十分果たせる役割だ。
マハトは虎杖たちと同行するか、あるいは乙骨と同じように回遊に参加し情報収集を行うべきなのではと真希は考えていた。
「恵様たちと話し合った結果の判断です。結界内で電波が繋がる保証がない以上、結界には段階的に戦力を投入すべきでしょう。悠仁様や乙骨様の成果次第で、私達の動きは大きく変わりうる」
「そういやマハトも電子機器使えるんだっけか」
真希は得心がいっていない様子でマハトの話を聞いている。
「加えてこの異常事態に、御三家が何も策を弄してこないとは思えません」
「策って、当主は直毘人直々の指名だぜ?」
「だとしても、ですよ」
マハトの言葉には、何か確信があるように思えた。
真希としてもマハトの話に頷けないこともない。確かに禪院家の中核となる面々は決して人格者とは呼べない人物ばかりだ。外様の人間である伏黒が当主に指名されたことが気に喰わず、彼を当主の座から引きずり下ろす手を企んでいても不思議ではない。
「…随分と訳知り顔なんだな」
「ただの憶測です」
真希がマハトをちらと見やる。マハトはいつも通りの笑顔を浮かべていた。能面のように変わらない表情だ。
ここ数か月マハトにしごかれ続けた真希だが、それでも人間に味方する彼の真意を彼女は分かりかねていた。鍛錬の中、真希がどのように攻めてもマハトの余裕は崩せなかった。その上こちらの動きを逐一指導してくるのだから、腹立たしいことこの上ない。
けれど唯一、虎杖に対してのみマハトは少し表情を変える。
他人に見せるそれとは違う、親愛が込められているように見える柔らかな表情。呪霊に家族愛などという概念があるのかは分からないが、それは確かにマハトが虎杖との間に培ったものなのだろう。
鍛錬の中で、虎杖は一度だけマハトに攻撃を当てたことがあった。一年二年を総動員した猛攻の中で、それでもマハトは虎杖にだけ不自然な隙を晒したのだ。何が原因なのかは分からないが、隙を晒したという事実だけは確かだった。
だからこそ、虎杖への態度という一点だけは信頼に値すると真希は思うのだ。
「まぁ私達で言い争っても仕方ねぇか」
真希はマハトから視線を移した。
目の前に聳える、陰鬱な雰囲気を纏った屋敷へと。
「着いたぜ、泣く子も黙る禪院家だ」
「誰かと思ったわ」
禪院家へと帰ってきた真希を出迎えたのは、厭らしく笑う禪院直哉だった。
「酷い面やな、それもう治らんやろ。どうすんの? 真希ちゃん」
直哉の罵倒に真希は動じない。こんなことで動じていては、禪院家でまともに生活することは出来ない。
真希は口を開いた。直哉に軽口を返すためだ。
「女を顔で判別できたんだな。
「真希ちゃんに言われたないわ。男の
じろりと、真希の側に立つマハトを見やる直哉。品定めでもするような目つきだ。一瞬、直哉とマハトの視線が交錯する。
直哉はすぐに真希へと視線を戻した。
「乙骨君、恵君ときて次は呪霊とか、俺にはよう真似できひんわ」
禪院家は、呪霊と肩を並べ戦うことを許容していない。呪霊は祓うもの、共に戦うとしてもそれは屈服させ飼い馴らした呪霊とのみ。マハトのように何の枷もない猛獣と肩を並べる真希は、直哉から見てさぞ奇特なものに映っただろう。
「ほんでどうすんの? さっさと答えろやカス」
直哉の罵詈雑言は止まらない。
久しぶりに会ったからだろうか、徹底的に真希のことを扱き下ろすつもりらしい。
「呪術も使えん、呪霊も見えん、取柄のお顔もグズグズ。もう誰も君のこと眼中にないで」
真希は直哉に何も反論しなかった。
ある意味で、直哉の言葉は正しいものであったから。真希は弱い。今の真希が伏黒から当主の座を譲り受けたとしても、誰も納得しないしついてこないだろう。
真希では、真依の居場所を作ってやることができない。
「寂しいなぁ。昔みたいにまたイジメたろか?」
目の前の直哉にだって、真希は一度も勝てたことがない。かつて鍛錬と称した直哉の暴行を真希は受けたことがある。その時も、真希はまるで反撃をすることができなかった。それは今だって同じだろう。
「どうすんの? ずっと色んな男の金魚のフンしてるんか?」
真希は無言で直哉に背を向け歩き出した。忌庫に向かい、禪院家が貯蔵する呪具を回収しなければいけない。
「なんとか言えや、カス」
直哉は。
じいと、真希に付き従うマハトの背中を見つめていた。
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