「オマエ、呪い…マハトに育てられたんだってな」
渋谷で真人が七海を殺し、虎杖悠仁と真人の殺し合いが始まった直後のことだった。
虎杖は真人に、そんな言葉を投げかけられていた。ややも唐突に思える問いかけ。虎杖が真人に話すことなど何もない。ぶっきらぼうに虎杖は口を開いた。
「だったら何だ?」
「ははっ。随分と喧嘩腰だな」
自身が玩び、異形へと変えた人間から這い出ながら、真人は虎杖へと笑いかける。嫌悪しか感じない、陰惨な笑みだ。
「少し、申し訳ないことをしたと思ってね」
真人の口から吐き出されるのは、彼の所業とは似合わない殊勝な言葉。虎杖はつい眉を顰めてしまう。
「ほら、
「獲物だと」
「オマエのことだよ、虎杖悠仁」
「あ゙?」
「おいおい、もしかして自覚なかったのか?」
凄む虎杖に、真人はあくまで軽薄な態度を崩さない。
「人間だって、鮪だとか牛だとかを熟成させたりするだろ。マハトがやってるのはそれと同じさ。
「オマエに、マハトの何が分かる…!」
「分かるさ、同じ呪いだからな」
真人の言葉に、虎杖はきりぎりと歯噛みする。
この呪霊の言葉は、いつも虎杖の神経を逆撫でする。里桜高校でもそうだった。真人は虎杖と順平を嘲笑い、虎杖の口から初めて殺意を吐き出させた。この呪霊が存在しているだけで、虎杖の求める正しい死が否定される。
何より不愉快なのは、呪霊の言葉がどこか正論にも思えることだ。
「どうしてオマエは、人の命を、俺の大切な人達を玩ぶことができるんだ…!!」
真っ直ぐに睨みつけ、虎杖は真人へと足を進める。真人は得意気に笑いながら、虎杖を見下ろしていた。
「くははっ。指折り数えて困り顔で殺せば満足か? 次からそうするね♡」
笑う真人の左腕が、音を立てて変形する。やがて生じたのは順平を模したような醜悪な人形だ。人形はあらぬ方向を見ながら、タスケテなどとうわ言を漏らしている。本当に悪趣味な人形劇だ。
「ペラッペラのオマエにはペラッペラの
真人はぶすりと、順平を模した人形を人差し指で突き刺した。
「オマエは俺だ」
真人の表情には確信があった。
虎杖はただ、呪霊を睨み続ける。
「俺が順平にそうしたように、マハトは必ずオマエを裏切る」
意味の理解できない、理解したくない言葉だった。
虎杖はこの数か月、散々呪霊の醜悪さを目にしてきた。眼前の真人などその最たるものだ。呪いはどこまでいっても呪いである。虎杖はそれを、良く理解したつもりだ。
であれば、マハトは例外なのか。たった10年余り共に過ごしただけで、マハトのことを信頼するのか。
「…もう充分だ。呪いの戯言は聞き飽きた…!」
「くっくっ。そりゃ何よりだ。だがな」
右手を胸に宛がい、真人も虎杖へと歩み始める。虎杖は髪をかき上げ、その双眸に溢れんばかりの殺意を滲ました。
「そいつを認めない限り、オマエは俺に勝てないよ」
「ペラペラと。よく喋るな、遺言か?」
虎杖の言葉に、真人は皮肉気に笑った。
「そうだな。これから死ぬオマエには、関係のない話だったかな」
「俺はオマエだ」
真人との死闘の果て、虎杖は真人の言葉を受け容れた。
意味もなく、理由もなく、ただ呪いを殺す歯車に成ることを。
「錆び付くまで呪いを殺し続ける、それがこの戦いの俺の役割なんだ」
東京でマハトや脹相らと呪霊を狩っていた虎杖は、紆余曲折ありつつも伏黒たちと合流した。
死滅回游平定のため高専──天元の居る薨星宮に向かう、その道中のことであった。
「虎杖君は、高専に来るまでマハトと一緒に暮らしてたんだよね」
不意に、虎杖は九十九からそう話を切り出された。
「そうすね、まぁ育ての親みたいなもんっすよ」
「実の両親は?」
「あー俺会ったことないんすよね。父ちゃんはうーっすら記憶あるんすけど」
「…すまない、少しデリカシーを欠いていたね」
「別にいいっすよ。そんな気にしたことないし」
九十九にひらひらと手を振り、虎杖は自身の少し前を歩いているマハトを見やった。マハトは歩きながら乙骨と言葉を交わしているようだ。その姿は、人と何ら相違ないように思える。
「俺には、爺ちゃんとマハトがいたから」
彼らのおかげで、今の虎杖が在る。祖父とマハトはずっと虎杖の人生に寄り添い続けてきてくれた。虎杖の歩む人生に席を用意するのであれば、彼らにはふかふかのソファに座っていて欲しい。それだけ長く、彼らは虎杖と人生を共に歩んできたのだから。
懐かしむように、どこか遠くを見つめる虎杖。九十九はどこか固い表情で彼の横顔を見つめていた。
「重ねてすまない。私は世辞の類が苦手なものでね、単刀直入に問わせてもらう」
「何すか、そんな改まって」
九十九の真剣な眼差し、それに虎杖もつい姿勢を正してしまう。こんな美女に熱い目線で見られたら、誰だって緊張してしまうだろう。
「君は、マハトが人類の敵に成り得ると思うか?」
九十九の問いに。
虎杖は、くしゃりと顔を歪めた。
「…高専に来る前なら、んな訳ねぇって否定してました」
「今は違うと」
あのツギハギ面の醜悪な笑顔が、否が応でもでも思い出される。身体の各所に残った傷は、未だ虎杖を蝕み続けていた。
「九十九さんは、真人って呪いのこと知ってるんすよね」
「術式ぐらいはね」
「アイツは、本当に最低で最悪な奴でした。人の命を玩んで殺して、それを誇るように見せびらかす」
真人は、人を殺すことに一切の躊躇がなかった。息をするようにその掌で人を殺して回っていたのだ。それが呪霊の本能であると、虎杖に見せつけているようですらあった。
いや、もしかすれば本当に真人は虎杖に教え説きたかったのやもしれない。
「アイツは言ってました。俺が何も考えずに人を助けるのと、アイツが何も考えずに人を殺すのは同じだと」
「呪霊の本能の話か」
「俺は、アイツの言葉自体は正しいと思ってます。俺がアイツを殺したことに、正しさなんてない」
虎杖の行いは、害虫駆除でも妖怪退治でもない。意味も意義もないただの殺し。
真人が何も考えず人間を殺すように、虎杖は何も考えず
「けど…じゃあマハトはってなった時に、俺は分からなくなるんです」
それはある意味で、傲慢な思考だった。
虎杖は真人の言葉を認めておきながら、マハトだけはそれに当てはめたくないと考えているのだ。
「俺はマハトが人を殺すのを見たことがない。でも見たことがないだけで、いざ殺すってなったらマハトは真人みたいに何も考えずに人を殺せるのかもしれない」
「…彼の望みは、人類の共存なのだろう」
「九十九さんは、呪いの戯言を信じるんですか?」
「時と場合によるだろうね」
九十九は、虎杖の話をひたすらに聞き入っていた。これ以上なく真摯な態度だ。きっと九十九は、本気でマハトが人類の敵に成り得るかどうかの判断材料を求めている。
「九十九さんは、どう思ってるんですか」
だから。
気づけば、虎杖の口からその問いは衝いて出ていた。
「マハトは、"呪い"は、どこまでいっても"呪い"なんですか?」
問いに、九十九は僅かに目を細めた。
「
自嘲するように九十九が小さく笑う。それから九十九は、思案気にしばらく口を噤んだ。虎杖は思い悩む九十九の横顔を、じっと見つめ続けていた。
やがて、彼女がおもむろに口を開く。
「…虎杖君は、精霊を知っているかい?」
「いや」
「呪霊の中の分類の一つだ。神聖なものに対する恐怖や後ろめたさが折り重なり生まれるとされている」
九十九からの説明を受けても、虎杖にはそれを上手く理解できなかった。具体的なイメージが頭の中に浮かばない。呪霊に対して、虎杖は神聖さなどを感じた覚えがなかった。
「私も数えるほどしか遭遇したことはないんだけどね。精霊やそれに近しい呪霊は、一般的な呪霊と比べて人間を積極的に襲わない傾向があるようだ」
「人に友好的ってことすか」
「うーん…私の印象としては殺意を抑えるのが上手いって感じかな」
そう言われて思い起こされるのは、交流会にて虎杖が東堂と共に戦った特級呪霊だ。
話し合いの余地こそなかったが、あの呪霊は理路整然と言葉を発し表立って殺意を見せることも少なかった。少なくとも、真人や火山頭の特級呪霊よりはずっと理性的な呪霊に虎杖からは見えていた。思えば、気配も他の呪霊とは少し異なっていたような気もする。
「ともかく、呪霊の性格も十人十色って話を私は言いたいのさ」
そう九十九は、虎杖へと笑いかけた。
「人間がそうであるように、本能と理性のブレンドは呪霊によって異なる。場合によっては"人"と近似できるようなブレンドをしてる呪霊もいるかもしれない」
「ならマハトも」
「けれどやはり、最後に選択するのは君自身だ」
ぴしゃりと、九十九は断言する。
どこか、諦念を含んだような言葉だった。
「私が今まで見てきたどの呪霊も、形は違えど決して逃れられない呪いとしての性質を持っていた」
その言葉は、虎杖の問いを肯定する言葉。あるいは呪霊のない世界を求める探求者として、九十九は呪霊の可能性をも模索していたのかもしれない。
「東京で私はマハト自身とも対話を行ったが、有意義な結果を得ることができなかった。私には、マハトの言葉を呪いの戯言としか捉えられなかった」
混血の脹相がどうかはまだ分からないけどね、と九十九は零す。
地に沈む九十九の視線には、絶望が宿っているように虎杖は思えた。これまでの試行の中で、九十九は呪霊という存在に対しての結論を出してしまっていたのだろう。即ち、呪霊は人類にとっての蠹害であると。マハトではそれを覆すことは出来なかった。
「虎杖君、君は違う。君はまだ可能性に蓋をしていない」
九十九は虎杖に、両手の人差し指を立てて見せた。
「マハトを信じる君、それを否定する君。これらはただの思考された可能性だ」
揺らされる人差し指。移ろうそれは、虎杖の内心を克明に表しているように思われた。九十九が安易に結論を断じてくれれば、どれだけ楽であっただろう。
「どちらを本音にするのかは、君自身がこれから選択するべきだ」
九十九のある種の誠実さが、虎杖をより強く締め付け、苦しめるのだ。
だが。
「…渋谷で九十九さんと別れた後、俺はマハトと再会したんだ」
───後は頼みます。
虎杖の胸の内には、七海の言葉が遺っている。
苦しむ覚悟は、既に出来ている。
「脹相もだけどさ。人をいっぱい殺した俺を、マハトは何も言わず寄り添ってくれた」
罪悪感に圧し潰されそうになっていた虎杖を、マハトと脹相は支えてくれた。虎杖がそうすることを拒んだにも関わらずだ。
「アイツ意外と強情なんだよ。一度こうって言ったらてんで譲らない。いくら俺が犯した罪を説いて聞かせても、マハトは俺から離れようとしなかった」
虎杖は苦笑する。
思えば、昔からそうだった。マハトは虎杖がパチンコに行く度に、ぐちぐちとそれに文句を言っていたりもした。本当に、ずっと変わらない。
「けどそのおかげで、俺は東京で
それは紛れもない事実だった。マハトの内心はどうあれ、彼の行動の結果として虎杖は確かに救われていた。
「だから、俺はマハトを"呪い"と思いたくない。…またブレるかもしれないし、胸を張って本音とは言えないけど」
虎杖の言葉に、九十九は穏やかな笑みを浮かべた。
「今はそれでいい。君には、まだ時間がある」
九十九が前を向き、虎杖もそれにつられる。乙骨と話を終えたマハトが虎杖らへと振り向いていた。虎杖は、努めて元気そうに彼へと手を振った。
先ほどまでと打って変わって、隣の九十九はやけに楽し気であった。
「…どうしたんすか? 急にご機嫌すね」
「いやね、あんな面して案外泥臭いなと思ってさ」
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