「……勝ったのか」
萎んでいく直哉の気配を感じ取りながら、加茂憲紀はそう呟きを漏らした。
マハトが制御を手放し、舞い落ちていく金片たち。憲紀はその現実感の無い光景を呆然と見つめる。金片は太陽の光を受け煌めいており、黄金の大地に立つ憲紀たちを幻想的に彩っていた。
視線を下に落とすと、呪具『竜骨』を携えた真希が憲紀の元に近づいて来ていた。
「マハトとオマエのおかげだ」
「…マハトは」
「向こうでピンピンしてるよ」
真希は穏やかな笑みを湛えつつ、憲紀へと口を開く。
「憲紀、これでもマハトが信用できないか?」
真希の問いかけに、憲紀は眉間に皺を寄せた。
決して気分を害した訳ではない。彼女の問いに安易に答えることが憚られたからだ。短慮な拒絶はマハトに対しては勿論、真希に対してだって真剣に向き合えていない。
「マハトの助けがなければ、私は今頃直哉に殺されていただろう。私は彼を糾弾する権利はない」
直哉の圧倒的な速度に、憲紀も真希もまともに対応できていなかった。あの呪霊とまともに殺り合えていたのはマハトだけだ。憲紀は彼らの殺し合いに、横槍すら入れられなかったのだ。
加えて、マハトは憲紀や真希を『
マハトがいなければ、今の憲紀の命はない。それは紛れもない事実である。
「それでも、無意識の部分でマハトを…"呪い"を拒んでいる己がいるんだ」
「憲紀は、呪いが憎いのか?」
「いいや、そうだな…。生理的なものに近いのかもしれない」
あくまでマハトを受け容れない憲紀を、真希は拒絶しない。
「真希も御三家の人間なら、同じじゃないのか」
彼女の温和な態度が、憲紀には疑問でならなかった。
「私は子供の頃から、呪いは祓うものと教えられてきた。アレは人の膿みのようなものであり、通わせる心など宿していないと」
それが御三家で育った憲紀にとっての常識だった。いいや、例えどこで育っていたとしてもこの事実は変わらないはずだ。
"呪い"は当たり前に人を殺す。殺すだけでなく、躊躇いもなく人を弄ぶ。憲紀が今まで祓ってきた呪いは、そのどれもが見るに堪えない暴虐を人に振り撒いていた。恐らく生活の一部として当たり前に呪いはそれを行えるのだろう。人間とは根本的に、価値観が異なるとしか思えない。
そうだ。憲紀は実感として、呪いの何たるかを知っているはずだ。
「禪院家も同じだよ、呪いと肩を並べるなんて有り得ない」
真希はそう言って、小さく笑った。
「けどその禪院家は、マハトがぶっ壊しちまったからな」
軽い口調だった。
真希はもう、自身が生まれ育った家が修復不可能なほど壊滅したことを受け入れているのだ。加茂家が羂索の手に堕ちた憲紀にとって、それは決して他人事で片づけられる話ではなかった。
「…真依と高専に戻ってから、時々考えるんだ」
真希はどこか遠くを見つめ、目を細めていた。
「禪院家のアイツらと、分かり合える余地があったんじゃないかって」
彼女の言葉に、憲紀は目を見開いた。
信じられない言葉だった。御三家において呪力のない真希の立場は底辺に近く、常日頃から虐げられていたことは想像に難くない。自身の立場の保身のために真希を斬り捨てようとしたことがその何よりの証拠だ。
その真希が、まさか彼らに歩み寄るような言葉を発するとは。
「真希は、その…彼らが憎くないのか」
「憎いさ。真依が無事じゃなきゃ、こんな戯言は吐けなかったかもな」
「………」
真希はあくまで笑っている。憑き物が落ちたかのような穏やかな表情を、憲紀へと向けている。その表情にはある種の達観さえ帯びているように思われた。
「私達は皆、呪いを背負って生まれてきた。禪院家が1000年熟んだ呪いだ」
禪院家だけではない。加茂家も、恐らくは五条家も、どうしようもない呪いを孕んでしまっていた。人を見下し蹴落としあう地獄の中で、化け物として生きることを望まれた。
きっと羂索やマハトがいなくとも、いずれあの家らは破綻してしまっていただろう。己が臓腑に蠢く呪詛に焼き殺されることになっていたはずだ。
「生まれる場所が違えば、直哉達はあんな末路じゃなかったかもしれない」
最期まで呪いの言葉を吐きながら、直哉は独りで死んでいった。
呪いを背負った報いとするには、あまりに悲惨で救いのない最期だ。
「私には真依がいた。それでも家の連中を見返すことに…私が私として生きることに囚われて、アイツのことが見えなくなってた。気づいたときには、私は真依を失いかけてさえいたんだ」
真希が憲紀から視線を外す。彼女が向いた先には、こちらへと歩いてくるマハトがいた。
「マハトが、私達の呪いを解いてくれた」
僅かな後悔と、強い確信。それが真希の言葉には宿っていた。
憲紀はようやっと、真希がどうしてここまでマハトを庇うのかを理解した。ただ真希たちに協力してくれているからではないことを。
「マハトは"人"として生きている。
黄金に変えられた禪院家全域。
ぎらぎらとしたその光景に顔を顰めながら、裏梅は羂索と共に歩いていた。
「おい、これは何だ」
裏梅は不機嫌そうに羂索へと問いを投げかける。裏梅の内心を知ってか知らずか、羂索はいたく楽し気だ。
「どうしたんだい? ここじゃ"浴"とやらには不適かな?」
「"浴"に関しては問題ない。多少悪趣味なきらいはあるが許容範囲内だ」
眉間の皺を増やしつつも、裏梅は更に言葉を続ける。
「私が懸念しているのは、これを為した術者の存在だ」
裏梅の言葉に、羂索は笑みを深める。内心を悟らせない気味の悪い笑みだ。昔から羂索の考えは読めない。1000年間策を巡らせ、数多の人間を陥れ続けてきた怪物の考えなど読めるはずがない。
裏梅が分かっているのは、羂索が信用に足る技術を持っているということだけ。
事実として、羂索がいなければ主である宿儺や自身の黄泉返りは成し得なかった。
「マハトのことが恐いのかい?」
「恐れているわけではない。所詮は呪霊、宿儺様の敵ではない」
裏梅は羂索からの情報共有によって、マハトの術式や呪霊としての力量などをおおよそ把握している。
マハトの術式は確かに理不尽ともいえる性能であり、身体能力も抜きんでている。裏梅自身が相手取るとなれば厳しい戦いを強いられることは必至だろう。
だが、それだけだ。それだけでは到底
「しかし、これだけの規模の呪術を使える呪霊は死滅回游にとっても脅威になるのではないか」
「もしかして、私の心配?」
「…死滅回游に支障が出れば、宿儺様の段取りにも影響があるやもしれない」
「ああ成る程」
死滅回游は人類と天元との同化のための前準備だ。
禪院家の様子から見てマハトの術式は広範囲かつ高速で展開することが出来る。裏梅が想像していた以上の凶悪な性能だ。もしマハトが死滅回游に参加すれば、一瞬で
ともすればマハトの存在は死滅回游そのものを破綻させかねない、それが裏梅の懸念であった。
「そう気にする必要はないよ。マハトは現在虎杖悠仁達に協力している。彼らが死滅回游に巻き込まれた非術師を無視できない以上、
彼らにとっても他人事じゃないだろうしね、と羂索は笑う。
「彼らとてマハトの術式で
「そうなのか?」
「裏梅にはその辺の話はしてなかったっけ? マハトの術式はコールドスリープみたいなものなんだよ、対象の生命を絶っているわけじゃない」
裏梅には思ってもみないことであったが、言われて見れば得心の行く話だ。もしかすれば呪物と同じような"縛り"も絡んでいるのかもしれない。
「ともかく、虎杖悠仁達はマハトに術式を
「………」
一通り喋り終えた羂索。対して裏梅は、黙りこくり目を細めていた。
裏梅の様子を妙に思ったのか、羂索が再び口を開く。
「どうした裏梅。まだ何か懸念があるのかい」
「いや、懸念というわけではないのだが」
羂索の話を受けて、裏梅には一つ疑問が生じていた。
「貴様はマハトと過去に関わりがあったのか?」
裏梅の問いに、羂索は僅かに目を見開いた。
「…驚いたな。君って宿儺以外眼中にないのかと思ってたよ」
「あったのならあったと言えばいいだろう。貴様がやけにマハトに詳し気なのが私は気になっただけだ」
「つれないなぁ。冷たいのは術式だけにしておくれよ」
「去ね」
手厳しい、と息を吐く羂索。羂索はおどけるように両手を上げ、裏梅へと口を開いた。
「マハトは私がかつて興味本位で契約した呪霊だ。それ以上でもそれ以下でもないよ」
「…ならば何故、死滅回游に
凡百の契約対象であるにしては、羂索はマハトをやけに特別扱いしているように思われた。マハトを死滅回游に強制的に巻き込まず、あくまでマハト自身の自由意志に任せている。同じく呪霊である黒沐死も羂索は呪霊操術の
マハトの何が羂索をそこまでさせるのか。なまじ羂索の性分を知っているからこそ、裏梅は疑問でならなかった。
「出来ないとは思わないんだ」
「貴様ならばいくらでもやりようはあるだろう」
「どうだろうね」
「一々はぐらかすな。マハトとの関係を簡潔に言え」
羂索は態度はやはり読めない。不気味なまでの軽薄な笑み。八方美人の二枚舌とも称される羂索のそれは、同行する裏梅からしても得体の知れない怪物そのものだ。
しかしながら。
「マハトとの関係か……。一言で表すのは難しいけど」
顎に手を宛がい、思い悩む羂索は。
裏梅の見たことのない、過去を懐かしむかのような表情を浮かべていた。
「強いて言うならば、悪友かな」
次回の更新は4月7日(火)0時の予定です
作者のリアルの都合により少し間が空きます、ご了承ください