「私は今、とある儀式の準備をしていてね。そのために大量の
山道を下りながら、羂索はマハトに語り掛けた。
彼そのものへの興味は勿論として。
マハトという類稀な強者との協力関係を得られたことは、羂索にとって大きな収穫であった。
「勿論、そこいらにいるような人間では駄目だ。血気盛んで、君の言う人を殺し慣れた強者が望ましい」
「成る程な。お前が選定した人間を俺に殺して欲しいのか」
マハトの言葉に、羂索は呆れたように黄金のままの手のひらを振った。
「違うよマハト、私の目的はあくまで歴戦の強者との契約、契約対象を殺してしまっては意味がない。そもそも私を含めた大抵の人間にとって、殺しは最後の手段なんだ」
これもやはり、呪霊としての本能に由来する価値観の違いなのだろう。呪霊は本能として人を殺すために、人よりもずっと殺しの選択肢が身近にある。
人間にもそういう性質の者はいるが、変わり者として人の社会で受け容れられることもない。
「君にやってもらうのは私の護衛だ。私の契約に立ち合い、有事の際は私の身を守る」
「そうか」
つまらなそうに相槌を打つマハト。羂索は苦笑して話を続けた。
「まぁ君は私の指示通り動いてくれたらいいよ。そうすることが、何れ君の知らない感情の理解にも繋がる」
羂索は上機嫌に歩みを進める。
非術師、術師、呪霊──これらは全て可能性だ。人間という呪力の形の可能性。
マハトという可能性が人間の悪意、罪悪感に触れ、どのように変性するのか。
羂索には、それが気になって仕方がないのだ。
「ところで、私の手治してくんない?」
「断る」
「えぇ………」
その老いた術師は、羂索が姿を現すなり口を開いた。
「おい羂索。ソイツは何だ」
羂索の隣には、見慣れない人型が立っていた。呪霊か受肉した呪物か、何にせよ人外であることは確かだ。人型の頭から生えた大きな双角が、それを克明に示している。
ぶっきらぼうな言葉に、羂索はいつも通りのにやけ面で答える。
「私が最近契約した呪霊だよ。ただの私の護衛だから、君は気にしてなくていい」
老いた術師の周囲に散らばる死体を避けながら、羂索と呪霊がこちらに近づいてくる。
「どう? 楽しめ───」
「羂索」
羂索の言葉を遮り、老いた術師が彼らへと振り返る。
その眼には、煮えたぎる戦意が宿っていた。
「その呪霊と戦らせろ」
一目見れば分かる。この呪霊は別格だ。
底の見えない呪力の総量。明らかに戦り慣れているであろう立ち振る舞い。そして、こちらのことを脆い
まず間違いなく、老いた術師がこれまで出会うことのなかった強者だ。
ともすれば、彼自身すらも。
「…困るな。契約結ぶの結構苦労したんだよ」
「関係ない」
「関係ないって」
「貴様と戦っても良いのだぞ」
「あーもう分かったよ。じゃあこうしよう」
嫌々そうな口調とは裏腹に、羂索はひどく楽し気であった。まるで、お気に入りの虫同士を戦わせる幼子のような無邪気。単純な強さとは種類の違う底知れなさが、老いた術師にはどうにも不気味だった。
「君がアレに負けたら、例の話を受けてもらう」
羂索の言葉を受けて、老いた術師は立ち上がった。
全身から迸る電光。老齢とは思えない確かな足取りで、羂索らの元へと歩き始める
「決まりだ、さっさと戦ろう」
先ほどの場所から移動し、開けた草原で老いた術師と呪霊は対峙していた。
「戦いが長引いて人が来ても困るからね。少し場所を移させて貰ったよ」
「死体は良かったのか」
「あんな状態じゃ、誰が下手人かなんて分からないでしょ」
先ほどから、呪霊は一言も言葉を発していない。そもそもまとも対話が出来ない類の呪霊である可能性もあるが、目の前の呪霊に限ってそんなことはあり得ないだろう。
呪霊は、つまらなそうな表情でこちらをただ見下ろしている。
さながら、勝敗は分かり切っていると言わんばかりに。
「呪霊よ、名はあるか」
「…マハトだ」
告げられた名に、老いた術師は瞠目した。
「そうか、貴様が例の最強か」
その噂は老いた術師の耳にも届いていた。
陸奥辺りで暴れまわっているという呪霊。その呪霊はあらゆるものを黄金に変える呪いを振りまき、数多の強者を返り討ちにしていると。
人呼んで、最強の呪霊。黄金郷のマハト。
「相手にとって不足なし」
その言葉が開戦の合図だった。
獰猛に笑い、老いた術師は一息で距離を詰める。マハトのがら空きの胴体へと拳を振るう。
マハトの表情は、変わらない。
「『
拳は、黄金の剣に防がれていた。マハトの纏っていた外套が黄金に変化したのだ。
「成る程、噂は眉唾ではないのだな」
老いた術師は怯まない。絶え間なく拳を振るい続ける。マハトもまた、とめどなく浴びせられる攻撃を剣で的確にいなしていた。
全盛期の肉体ではないとはいえ、己とまともに殴り合えている。
「…なあ、貴様も同じなのか?」
「何の話だ」
その眼を見た時から、もしやと思っていた。
「弱さを知らぬ強者、それ故に自分以外の人間は弱い
彼は、戦うことでしか他者と関われなかった。
孤独だったから、際限なく力の発露を求め彷徨い続けた。戦い、殺し続けたのだ。その果てに屍の山しか残っていないとしても。
「貴様もそうなのか、マハト!」
老いた術師の拳の速度が上がり、マハトが尚もそれを防ぐ。息つく暇もない高速の攻防。
先に、限界を迎えたのは。
「見切った」
拳が、剣の腹を叩く。
黄金の剣が砕けることはない。だがマハトの身体は大きく仰け反り、大きな隙を晒すことになる。
今度こそ、老いた術師の拳がマハトの胴体をめり込んだ。
「───ッ」
吹き飛ばされるマハトの身体。追撃を焦る必要はない。老いた術師はその場で再び構えを取り、ちらと己の拳を見やった。
「身体をぶち抜いたつもりだったんだがな」
彼の視界の先で、吹き飛んだマハトがゆっくりと立ち上がっている。彼の口からは一筋の血が垂れていた。
こんなもの、呪霊にとってまだまだ致命的ではない。呪霊は呪力で肉体を治癒できる。急所を潰す以外の損傷は、呪力を削る以上の意味はない。莫大な呪力量故だろう、自身の電気の呪力特性も効果が薄いようだった。
老いた術師は睨みつけるように、体勢を整えるマハトを注視する。
こちらを向いたマハトは、笑っていた。
「実に面白い」
予想していなかった反応に、肌が粟立つ。
目の前の呪霊は何を言って───
「弱者と馴れ合えない孤独な強者。お前には私がそのように見えているのか、実に興味深い視点だ。ありがとう、名前も知らない術師よ」
老いた術師は勘違いしていた。そして理解した。目の前の呪霊が羂索という怪物に付き従っている意味を。
同じなのだ。凡ゆる人間が、虫か何かにしか見えていない。あくまで対等な強者を求めている己自身とは似て非なる怪物。
「さあ、戦いの続きをしよう。俺の求める答えを見せてくれ」
───だとしても、己のやることは変わらない。
全身全霊で目の前の強者と戦り合い、全てをぶつける。それこそが、彼の選んだ生き方なのだから。
「言われなくとも、そのつもりだ」
老いた術師が雷から噴出する。相対するマハトは油断なく剣を構えた。
マハトは彼の初撃を防いで以降、術式を使っていない。
その意味を、老いた術師は推し量りかねていた。彼のように術式の発動に重い代償が伴うのか、複雑な条件が絡んでいるのか、はたまた何らかの縛りを科しているのか。
あるいは、術式など使うまでもないと舐めているのか。
そこまで思考し、老いた術師は笑った。
際限のない可能性など考えても仕方がない。術式を使わないというなら、使わせるまで。
先ほどの一撃で、マハトには充分な
「爆ぜろ」
───直後、マハトの右腕が千切れ飛ぶ。
それは後の時代で、電荷分離と呼ばれる現象。
領域を展開するまでもなく必中の、大気を裂く稲妻である。
「!」
驚愕で見開かれるマハトの眼。
既に老いた術師は、マハトの眼前まで迫っている。
一時的ではあるが、右腕と得物を奪った。これ以上ない好機だ。回復する暇を与えず、このまま畳み掛ける。
今なら、マハトを
「ゲホッ」
口から血が零れ、振りかぶった拳の勢いが失われる。老いた術師はそのまま地面に膝を突き、マハトの目の前で這い蹲った。
マハトが何かした訳ではない。老いた術師の、肉体の限界が来たのだ。
「糞、ここまでか……」
「そのようだな」
マハトが彼を見下ろしながら、再生した右手で黄金の剣を拾った。直後に、拾った剣が外套へと戻る。
視界の端では、羂索がこちらに近づいて来ているのが見て取れた。
「なんともつまらない幕引きだね」
咳き込みながらも、老いた術師は内心で羂索に同意した。
もし彼が全盛期の肉体であれば、いやもし少しでもマハトと出会うのが早かっただけでも、こんな退屈な結果にはならなかったはずだ。心行くまで、マハトに全力をぶつけることが出来たはずだ。
こんな形での決着など、他ならぬ己が認められない。
「君の負けってことでいいのかな」
「……羂索」
老いた術師は羂索を見上げた。
這い蹲り苦しんでいる者とは思えない鋭い眼光が、羂索を射抜く。
「宿儺とマハトならば、どちらが強い?」
問いに羂索は即答した。
「宿儺だ。600年も前で申し訳ないがこれは譲れない」
その答えを聞いて。
老いた術師に、もう心残りは消え失せた。
「そうか。では、例の話甘んじて受けよう」
思いを馳せるのは、未だ己の知らぬ最強にのみ。
「さすれば、宿儺と戦れるのだな」
「いやーお疲れマハト」
「別に、大したことはしていない」
老いた術師との契約を終え、羂索とマハトはすすき野原を共に歩いていた。
「マハト、過度な謙遜は人間にはかえって悪印象だよ。あの術師は私が600年見てきた中でも屈指の強さだった」
マハトと互角以上に渡り合える体術、そして高威力かつ必中の稲妻。対等な強者がいないと言うのも頷ける凶悪な性能だ。
もしあの時、彼が術式を使っていれば勝敗は変わっていたやもしれない。
「最強はマハトって言ってたら、術式使ったのかなぁ」
老いた術師の術式は一回使い切りのもの、らしい。羂索も彼から軽く話を聞いただけで詳細は把握していない。
だがわざわざ
うんうんと羂索が思案していると、マハトが横から呆れた視線をよこしてきた。
「どうしたんだい、マハト?」
「
彼の視線の先には、羂索に抱えられた黄金の両手があった。黄金の両手は『
マハトに両手を元に戻すことを拒否された羂索は、自身の腕を切断し
「君の呪術を受けた貴重な資料なんだ。持ち帰らない手はないだろう」
丁度手ごろな大きさだしね、と羂索は笑う。
「それにしても
羂索は自らが持つ黄金の両手を玩ぶ。返ってくるのは、黄金にしては硬すぎる感触。
「見てくれは黄金そのもの。だがその内実は、どんなに熱しても力を加えても変形しない全く異なる物質だ。これが市井に流通すれば、大きな混乱を招くことになるだろうね」
「黄金が偽物で気に喰わないか?」
「いいや、
紛い物の黄金を生み出す黄金の呪いなど、ある種寓話的ですらある。
仏頂面のマハトを気に掛けることなく、羂索は上機嫌で歩みを進める。
「話が逸れたね。マハトはどう思う?」
「何の話だ」
「君こそが最強と嘯いていれば、さっきの彼が術式を使ったかもって話だよ」
私の話聞いてなかったでしょとぼやく羂索。マハトはそのぼやきを無視して、彼に疑問を投げかけた。
「そもそも宿儺とは何者だ」
「あーそっか、マハトは呪霊だもんね」
術師の社会の常識を呪霊であるマハトが知るはずもない。
羂索は何故か誇らしげに、マハトへと話を続ける。
「両面宿儺は600年前実在した人間だ。平安…呪術全盛の時代、術師が総力をあげて彼に挑み敗れた。紛うことなき、史上最強の術師だよ」
つらつらと述べられる羂索の話を、マハトは黙って聞いていた。
「それで、本題だけど───」
「俺が聞きたいのは強さの話じゃない。お前にとって宿儺の話だ」
予期していなかった問いに、羂索は思わず目をしばたたかせた。
「どういう意味かな」
「あの術師に宿儺の話をしていた時のお前の口ぶりは、又聞きのそれではなかった。以前交友があったか、実際に見たことでもあったのか。俺は、その答えを知りたいだけだ」
「…へぇ、そういうの分かるんだ」
果たしてこれも、呪霊としての本能に依るものなのだろうか。他者の人間関係を把握することは、他者を欺くための第一歩だ。相手に興味があると思わせ、その人間関係の輪の中に潜り込む。
マハトという呪霊が、その能力に長けているのならば。
「クックッ。宿儺とはただの旧い知り合いだよ」
「随分と楽しそうだな」
その言葉に、羂索は笑みを深めた。
紛れもない事実だった。確かに、羂索はマハトとの会話を楽しんでいる。
「悪企みさ。君も真似をするといい」
「その笑い方をか?」
マハトとの旅路は、実に面白いものになりそうだ。