「領域展開『胎蔵遍野』」
「領域展開『黄金郷"晩鐘"』」
術の発動の直後に、羂索はマハトの領域に吞み込まれた。視界一面にマハトの生得領域であろう黄金の街並みが広がる。
領域、いや結界の外殻の押し合いに負けた訳ではない。
羂索が繰り出したのは結界を閉じない領域。結界の外殻そのものが存在しないが故に、並一通りの領域の押し合いは起こり得ない。
───互角。
マハトの結界内では対になる2人の必中命令が重複し打ち消しあっていた。
共に何百年と呪術の研鑽を積んだ者同士であり、彼らの術の精度に大きな隔たりはない。だからこそ必中効果を巡る押し合いに決着はつかず、束の間の膠着が生じる。
───結界
"結界を閉じない領域"に対する解は、五条悟により出されている。
『小さい結界』──バスケットボール以下に結界の大きさを縮めることで、領域外から発動される必中術式に耐え得る強度を獲得する。五条悟が打ち出したこの対抗策は、約3分領域外から結界外殻への『伏魔御廚子』の術式効果に耐えることが可能であった。
しかし、マハトには五条悟のように人1人収まらない外見の体積の
現在のマハトの結界のサイズは人2人より少し大きい程度であり、五条悟の『小さい結界』のそれよりも遥かに大きい。だがそれでも、マハトは結界の対内条件と対外条件を通常の運用から逆転させ結界の外殻の強度を底上げした。領域の結界は術師それぞれが特定の対外条件や、対内条件、体積、構築速度を設定することで初めて成立するものであり、本来その時々の状況で変えられるものではない。数百年以上"生きて"きたマハトだからこそ成し得た離れ業。
『胎蔵遍野』の術式効果は、即座にマハトの結界の外殻を破ることが出来ない。
宿儺と五条、羂索とマハト。
それぞれの実力差。呪力量及び出力の差。結界の精度の差。術式性能の差。
「分かってるだろ、マハト」
───3分。
3分後に、マハトの結界は崩壊する。
つまりは。
この3分間で、羂索とマハトの勝敗は決するということ。
「『
「『領域展延』」
お互いが領域を展開した状態での戦闘が始まる。
どちらかが大きなダメージを負いどちらかの領域が崩壊すれば、即座にどちらかの必中術式がどちらかを襲う。羂索は3分間、マハトの猛攻を凌ぎつづける必要がある。
「押し合いならばまだしも、領域内での戦闘で勝負になるとお思いですか」
マハトの周囲の黄金の街並みがひび割れる。やがて生じるのは無数の金片。煌めくそれらが自在に泳ぎ、マハトの意のままに群れを形成する。
伏黒恵の『嵌合暗翳庭』のように、マハトの領域は領域そのものが術式の媒介となるのか。
「言ったろう、手筈は整えたと」
羂索が両手を広げ、周囲から呪霊が生じる。
呪霊の姿を認め、マハトは目を見開いていた。当然の反応だ。羂索はマハトの術式を中和するために『領域展延』を発動している。そして『領域展延』は生得術式と併用することが出来ない。宿儺ですら『領域展延』を挿んでの術式効果の継続は出来ても、生得術式そのものの併用は出来ていなかった。
『領域展延』は術式を付与しない領域を身に纏うことで空いた容量に相手の術式を流し込み中和している。生得術式を併用できないのは、この術式を付与しない領域が成り立たなくなってしまうからだろう。
羂索は既に、領域を展開しそこに必中術式を付与している。
マハトの結界内において起きているのは必中効果を巡る押し合いであり、術式そのものは中和されていない。故に羂索は外付け的な術式の運用を行うことで、疑似的に『領域展延』と生得術式──『呪霊操術』の併用を成立させたのだ。
喚び出した呪霊たちには当然、それぞれ『領域展延』を纏わせている。
「成る程」
羂索が操る無数の呪霊、マハトが操る無数の金片。それらが濁流となって衝突する。絶えず降り注ぐ呪霊の血や肉片を身に浴びながら、マハトは変わらぬ瀟洒な笑みを浮かべていた。
金片によって喚び出した端から磨り潰される呪霊たち。だが羂索に焦りはない。羂索には1000年の間契約を結び、この身体を得た際に取り込んだ呪霊のストックがある。この3分間で呪霊のストックが尽きることはまず有り得ない。
呪霊が肉壁となっているために、マハトの金片は羂索に届かない。
「ならば、私自身が寄ればいいだけのこと」
一息で、マハトが羂索へと距離を詰める。
振るわれる槍を羂索は辛うじて躱した。続くマハトの追撃も間一髪で避け続ける。夏油傑の肉体と羂索の技量を以てしても、マハトの猛攻を捌くことしか出来ない。
その上。
「あまり無理をなさらないでください。お体に障りますよ」
羂索の身体の節々が、黄金に蝕まれはじめている。
『領域展延』はあくまで術式を付与しない領域。自身だけでなく自身が手に持つ武具や使役する式神、呪霊にも纏わせることが出来る。しかしながら、より広範囲に、より多くの対象に術を行使すればするほど『領域展延』そのものの出力は落ちていってしまう。現に羂索は、マハトの術式を中和しきれなくなってきている。
黄金に蝕まれ羂索の身体捌きがガタつく。その明らかな隙を、マハトが見逃すはずがなかった。
「捉えました」
「───ッ」
マハトの槍が、羂索の脇腹を抉った。噴き出る鮮血。羂索は小さく顔を歪めた。
こうなることは分かっていた。
羂索とマハトの身体能力に歴然とした差がある以上、マハトが接近戦に持ち込んでくることは。そして実際に、羂索はまともに反撃できず追い込まれていることも。
自身の優位を確信したマハトが、ほんの僅かに隙を見せることも読めている。
羂索はマハトの顔に右の掌をかざす。唐突な行動にマハトは回避が間に合わない。掌の内に、隠し持っていたのは。
「極ノ番『うずまき』」
極小の『うずまき』。ひとまとまりにされた呪霊、その超高密度の呪力が爆ぜる。周囲に常に呪霊の気配が満ちている以上、マハトに『うずまき』の気配はまともに感知できなかったはずだ。
完全な不意打ち、マハトの
「領域外であれば、決着がついていたかもしれませんね」
「…ハッ。よく言うよ」
マハトの頭部を遮るように、金片で形成された障壁が生じていた。彼の顔には傷一つない。羂索の『うずまき』は、この黄金の障壁に防がれたのか。
あの時、あの瞬間、マハトに金片を操作する余裕はなかった。恐らくこれは領域による術式性能の向上だ。術式対象が拡張され、
羂索の不意打ちを防いだマハトは、再び黄金の槍を振るいはじめる。マハトから距離を取りながら羂索はこれを対処しようとするが、黄金に蝕まれた身体ではやはり避け切れない。マハトの槍が、羂索の腕を、足を、胴を、穿ち斬りつける。それぞれの傷は浅いが、着実に羂索の動きが鈍くなっていく。
このままでは。
3分を待たずして、マハトの槍が羂索の命に届くことになる。
「次の作戦はあるのですか」
それは挑発か、あるいは単なる疑問か。
マハトが発した問いに羂索は笑った。
「いいや」
羂索が両手を上げる。さながら、降参を示すかのような仕草。
「ここからは博打だ」
ずずず、と羂索の背後から呪霊が這い出てくる。呪霊の気配、呪力量を感じ取ったのだろう、マハトは一歩退き槍を構え直していた。
───特級特定疾病呪霊『疱瘡婆』
その呪霊は、渋谷で残した等級の高い呪霊の内の1体。疱瘡──特定の病気に対する恐怖から生まれ、特級を冠するほどに呪力を蓄えた呪霊。
故にこそ、この呪霊は。
「!!」
呪霊が、領域を展開する。
三者同時の領域展開。その押し合いは二者と比べより煩雑なものとなる。疱瘡婆の領域はともかく、マハトの領域は領域のサイズ、結界の対内条件、対外条件が通常と大きく異なっており、羂索の領域に至っては結界の外殻そのものが存在しないのだから猶更だ。
加えて、マハトと疱瘡婆の領域は羂索の必中術式により絶えず
これにより。
「これは…」
結界が。
崩壊する。
「ふぅ、肝が冷えるね」
羂索が展開しているのは、結界を閉じない領域。他の二者のように結界で空間を分断していない。それは現代、過去の術師を問わず有り得ないと言わしめる神業。器もなしに水を溜める、キャンバスを使わずに空に絵を描く、根も葉も茎もなく種から花が咲く。結界を閉じない領域というものはそれらと同じ矛盾を孕んでいる。正に通常では起こし得ない
だからこそ、なのだろうか。
羂索の領域は、未だ健在。
背後には依然として、羂索の生得領域である怨嗟の面が連なった大樹が聳えている。
領域の三者間相殺の結果として、マハトと疱瘡婆の結界のみが崩壊を迎えていた。そもそも結界の外殻がないがために、羂索の領域は崩壊の影響を免れている。
「さて」
領域展開直後は、術式が焼き切れ使用困難になる。
マハトはこれから、術式を使わずに羂索の領域に対抗しなければならない。
「何か作戦はあるのかい」
「…面白い。まさかそうくるとは…」
次回の更新は4月14日(火)0時の予定です