自身の領域が崩壊してすぐに、マハトは槍を低く構えた。
領域から身を守る術である簡易領域の展開。
「シン・陰流───」
「そうはさせない」
それよりも速く、羂索は術式を発動。
マハトが領域対策を有していることは知っている。そもそもマハトに領域展延や簡易領域の手ほどきをしたのは羂索自身だ。であれば、それに備えるのは当然のこと。
次の瞬間には、マハトの身体が無数の呪霊に啄まれていた。領域の必中効果により、羂索の使役する呪霊はマハトに当たるまでそれそのもの存在しない。
マハトといえど、全方位から
「秘伝『落花の情』」
「!!」
マハトの身体が呪力で覆われ、呪霊がそれにより弾かれ始める。
『落花の情』は御三家に伝わる対領域の術だ。簡易領域のように自らは領域を展開せず、必中の術式が発動し触れた瞬間カウンターで呪力を解放し身を守る。羂索の領域が単に呪霊を必中でぶつけるものであったことから有効であると判断したのだろう。
羂索は『落花の情』をマハトに教えてはいない。
恐らく加茂家で呪術指南役を務めていた頃に、マハト自身が加茂家の人間から聞き出し習得したのだ。マハトは一時加茂家の術師と呪霊を祓ってさえいたのだから、彼らが扱う術を共有されていてもおかしくはない。しかしながら排他的な御三家の人間が、まさか呪霊に彼らの秘術を伝授していたとは。
「全く、こんな時に笑わせるなよ」
『落花の情』は確かにシンプルな術式相手ならば領域から身を守る術として十全に機能する。だが羂索の領域の出力を防ぎ切れるものではない。全身くまなくという訳ではないが、マハトの身体の各所は呪霊に噛み千切られてしまっている。
それでも、呪霊の猛攻を無視して再び構えを取ることは出来る。『簡易領域』を展開するための構えを。
「シン・陰流『簡易領域』」
マハトを中心として展開される結界。これにより羂索の結界が中和される。必中の呪霊が途絶える。
「けどそれじゃ、時間稼ぎにしかなんないよ」
簡易領域は所詮は弱者の"領域"だ。本物の領域と比べ出力は大幅に劣るものとなる。それはマハトであっても例外ではないはずだ。一時、領域の必中効果から逃れられただけ。
そのはずだというのに。
「…………持久戦ですね」
マハトが槍を構えたまま笑う。
羂索の領域は確かにマハトの簡易領域を剥がし始めている。けれどもそれは、羂索の予想よりも遥かに遅遅としたもの。羂索の、本物の領域に対抗できてしまっている。
「ああそうか、一月あったんだもんね」
マハトが最初に『簡易領域』を展開しようとした時点で気づくべきだった。
そもそも、正確に言うと羂索はマハトに『簡易領域』を伝授した訳ではない。
羂索はただ『簡易領域』の概要を共有しただけ。マハトは既に習得していた『領域展延』をダウンスケールさせる形でこれを独学で再現したのだ。シン・陰が門外不出の縛りを科しているために、このやり方を採らざるを得なかった。『彌虚葛籠』──『簡易領域』の原型──を習得させる手もあったが、マハトが武具を扱う以上『簡易領域』がより相性がいいと判断したのだ。
きっと冥冥辺りの仕業だろう。
マハトは明らかにシン・陰流の使い手により手ほどきを受けている。シン・陰の門外不出の縛りが解かれているのだ。これによりマハトの『簡易領域』の出力は以前より向上している。
しかしだとしても、本物の領域に拮抗できるレベルまで出力を引き上げられるとは考えにくい。
だからこそ、恐らくマハトは即席の縛りを己に科している。
大方『簡易領域発動時に両足を地面から離してはならない』などといったところか。本来縛りなしで『簡易領域』を成立させられるマハトが縛りを科すことにより『簡易領域』の出力を更に底上げしている。
「そうまでして術式を回復させたいのかな」
「………」
マハトの返答はない。だがそうとしか考えられない。
『
その上で、このまま『簡易領域』で耐え凌がれてしまっては術式の回復が間に合う可能性がある。
里桜高校や渋谷の真人がそうであったように、呪霊は人間と比べ術式の焼き切れからの回復が速い。呪霊と人間の肉体構造の違い故だろう。術式の回復までの猶予は、もうそう長くは残されていない。
ならばどうするか。
「極ノ番『うずまき』」
マハトに縛りを破らせ、『簡易領域』の出力を削る。
「4461体の呪いを
「どうでしょうか」
くつくつと笑う羂索。背後には夥しい数の呪いが渦を形作っている。その異様な呪力の塊を目の当たりにしても、マハトはその場から動くことはなかった。
まともに喰らえば全身が消し飛ぶことはマハトも理解しているはずだ。術式を焼き切れている現状では破壊困難な黄金を盾とすることも出来ない。果たしてマハトに、縛りを解く以外の策の用意があるのだろうか。
最も、策があろうとなかろうと関係ない。
「構えてるだけでいいのかい。『うずまき』の真価は君も知ってるだろ」
ぽっかりと。
足元に大穴が空く。そんな幻視をマハトはしたはずだ。
「!?」
「術式の抽出は、既に済んでいる」
それは『うずまき』により抽出された『大鯰』の術式。
かつて鯰は地震と結び付けられ怪異として語られた。それ故に『大鯰』は対象に"落ちた"という錯覚を与える。
マハトはその場で尻餅をつくことはなかった。それでも、構えが崩れ足が地から離れる。科していた縛りが破られる。
瞬間、マハトの『簡易領域』が一気に剥がされる。単に縛りが破れられただけではない。不意打ちに近い『大鯰』の術式を受け、呪力操作が乱れてしまっているのだ。これまでの拮抗が嘘のように『簡易領域』が凄まじい勢いで剥がされていく。
やがて息つく暇もなく、『簡易領域』が羂索の領域により完全に剥がされる。
その刹那。
「───」
羂索の目と鼻の先に、黄金の槍が迫る。
マハトが手に持っていたはずの槍だ。この土壇場で、羂索の頭目掛けて投擲したのか。マハトの身体能力で放たれた槍は、防御体勢を取るよりも速く羂索の脳天に肉迫し。
「術式反転『
虎杖香織からこの肉体に引き継いだ術式。羂索は順転では心許ない出力を術式反転により補い底上げしていた。それでも効果範囲と持続時間が限られお世辞にも融通が利く術式とは言い難いが、今のような万が一の事態の保険としては十分機能してくれる。
強化された重力を受け、槍の穂先が沈む。
そのままマハトの放った槍は、乱回転しながら羂索の顔のすぐ横を通り過ぎていった。
「最後の最後で捨て身の一撃か。中々どうして、泥臭い真似をするね」
「まだ、終わりでは───」
もう反撃の暇は与えない。
『簡易領域』は完全に剥がされた。領域から身を守る術はもうない。
必中の『うずまき』が、4461体分の超高密度の呪力が。
マハトの身体を消し飛ばした。
「………」
『うずまき』により完全に倒壊した道路。
土煙が立ち昇るそこを、羂索は油断なく見下ろしていた。
「死んでないのは分かってるよ、マハト」
羂索の『胎蔵遍野』は微弱ながらも確かにマハトの気配を捉えていた。俄かに信じがたいことではあるが、マハトは羂索の4461体の『うずまき』を耐えきったのだ。去年の乙骨憂太は4461体の『うずまき』に加え特級仮想怨霊『化身玉藻前』からの攻撃を凌いでいる。だがそれは自らを生贄とし呪力の制限を解除した結果だ。まさか
けれどやはり、辛うじて生き延びただけなのだろう。
『胎蔵遍野』が感知しているマハトの気配は、見る影もなく萎んでいる。この様では呪術もまともに使えないだろう。正に死に体そのものだ。
「抵抗する気力もないのなら、辞世の句ぐらいは聞いてあげるけど」
だから、羂索はつい問うてしまった。
それが断じて。
人間らしい感傷に依るものでないことは、羂索自身が良く分かっている。羂索に湧き上がっているものはとめどない好奇心だ。400年共に過ごした人間と殺し合い死に瀕しているマハト。彼の中で何か生じているものはないのか。凡百の呪霊には有り得ない変質が起きているのではないか。
今ここでマハトに止めを刺すことは簡単だ。しかしマハトを殺してしまえば、彼が秘めているやもしれない可能性を未来永劫確かめられなくなってしまう。それはあまりにも、羂索とマハトの旅路の終わりとしてはつまらないものだ。
故にこそ羂索は待つ、返ってくるかも分からないマハトの答えを。
「聞こえてるなら返事を───」
羂索は、見た。
膨れ上がるマハトの呪力、その呪力の"起こり"を。
400年共に生きた羂索が、その"起こり"を見紛うはずがない。これは『
いや、まずはマハトの術式をやり過ごさなければ。
「『領域展延』」
無闇に焦る必要はない。
術式を回復したところで、領域を展開している羂索の優位は揺るがない。『
すぐさま術式を発動せんと、羂索は右腕を振り上げ。
背後から飛来した黄金の槍が。
羂索の首を穿ち飛ばした。
完全に断ち切られ、宙を舞う生首。同時に『胎蔵遍野』が崩壊した。ごとりと、生首が道路に落下し当てもなく転がる。致命傷どころか、これでは最早ただの死体だ。辞世の句であれ何であれ、生首のまま言葉を交わせる者がいるとすればそれはもうまともな人間ではない。
そう、1000年間死体を渡り歩いてきた羂索がまともな人間であるはずがない。
生首の瞳がぎょろりと蠢く。
土煙から姿を現したマハトを認め、生首は口を開いた。
「結界術での気配の隠匿、呪力の"起こり"のフェイント……。まんまとしてやられたね」
「とんでもない、こんなに楽しい戦いは本当に久々でした」
生首──羂索の口から漏れ出たのは、純粋な感嘆の言葉だった。
「あの『うずまき』は、即席の縛りでやり過ごしたんだろ?」
「ええ。金次様の話を参考にさせていただきました」
推し量るに頭部以外を捨てる即席の縛りを己に科し、その上で頭部に出来る限り呪力を集中させたのだろう。頭部より下が襤褸切れ同然の今のマハトを見れば容易に想像がつく。肉体を呪力で治癒できる呪霊だからこそ為せる荒業。
「だとしても、あまりに危険な賭けじゃないか。私が間を置かず追撃していれば、決着の形は違ったかもしれない」
羂索の問いに、マハトは笑みを深めた。
「羂索様は、私に期待しているのでしょう?」
「……クックッ。そうだったね」
思えば。
羂索がマハトに結界術を教えていなければ、結界が崩壊した時点で勝負はついていた。結界術による気配や呪力量の隠匿も、羂索がマハトに指導し習得した技術だ。いやそもそも、己自身が選択した結果今こうして羂索はマハトと殺し合っていた。
マハトという呪霊、その毒牙に最も侵されていたのは他でもない───
「君の末路をこの目で見れないことが、残念でならないな」
言葉の直後、羂索の首を欠いた肉体がどくんと脈打つ。
「それはそれとして、やるべきことは済まさせてもらう」
「!」
首のない肉体が跳ね、体内から無数の呪霊が這い出てくる。羂索の
「『
樹木状の呪霊に吊り上げられていく羂索の生首にまで意識を割けていない。
「コガネ、
「まさか、宿儺に…」
『承認されました。〈
羂索は瞠目するマハトを見下ろす。樹木状の呪霊に長髪を掴まれたその生首は、風に吹かれ揺れる枝垂れ桜を想起させる。
「宿儺とは事前に継承の儀を済ませてある。あとは基礎となる死滅回游で同化の儀の親を書き換えれば……」
「天元様!」
呪霊に宿っている天元が宿儺の元に旅立つのと、マハトが手に持つ槍を再び投擲したのは同じタイミングだった。
マハトは自身が黄金に変えたものを自在に加工し操作できる。それは普段武具として使っている黄金の剣、あるいは槍も例外ではない。
「この400年、君のおかげで退屈せずに楽しめた」
黄金の槍が、ひとりでに軌道を変え羂索の元へと迫ってくる。今の羂索にそれを防ぐ術はない。
だから羂索は、眼下のマハトにただ笑いかける。
「次は君の番だ」
槍が脳天に突き刺さる。
額から血を垂れ流しながら、最期まで羂索は笑っていた。
「
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