呪いの王、両面宿儺と高専の術師たちの戦いは、正に死闘そのものであった。
五条悟が敗れた後、先陣を切った鹿紫雲。虎杖と日車、そして乙骨の連携。その悉くを宿儺は破った。
「成り行きではなく明確に今一度、お前たちの理想を切り刻むことにした」
羂索の遺志を受け継ぎ、宿儺はそう宣言した。
日下部や猪野、甚壱による追撃。髙羽による一世一代の
その果てに、虎杖悠仁は『黒閃』に至り覚醒した。
「『
それでも尚、宿儺は高専の術師たちに食い下がった。
『黒閃』による領域『伏魔御廚子』の回帰。自らの最終奥義の解禁。
脹相が命を賭して虎杖を庇わなければ、彼は『
「領域展開」
東堂、五条の肉体を文字通り受け継いだ乙骨の参戦。来栖の不意打ち。
宿儺との死闘の舞台は、虎杖が展開した領域内にもつれ込んだ。
「宿儺、決着をつけよう」
虎杖の魂を捉える打撃、術式対象を魂の境界に絞った『解』。
「宿儺……。もう一度やってみよう、誰かを呪うんじゃなくて誰かと生きるために。誰にも受け入れられなくても、俺だけはオマエと生きていける」
伏黒恵の肉体から引き剥がされ、完全無欠とは程遠い肉塊と成り果てた宿儺。
彼は虎杖に情けをかけられ。
「ナメるなよ、俺は"呪い"だぞ………!!」
"呪い"として、己の生を終えることを選択した。
「お。ここにいたんだ、マハト」
呪術高専内の寺社仏閣。
その一角に虎杖はマハトを探しに顔を出していた。
「……悠仁様ですか」
縁側に腰かけるマハトは、振り返り虎杖へと曖昧な笑みを向けた。虎杖も顔を綻ばせながら口を開く。
「ここで何かしてたのか?」
「いえ、特には」
「そっか」
マハトの要領を得ない答え。もう聞き慣れてしまったそれに、虎杖は僅かに眉尻を下げる。
特級呪物、両面宿儺を巡る呪いに決着はついた。少しずつではあるが、死滅回游以前の日常が戻ってきている。
だというのに、最近のマハトの振る舞いは明らかに妙だ。
丁度今現在のように、高専のどこかしらに座り込み何をするでもなくぼーっとしている。何をしているのかと問うても何もしていないと返される。何もせずにただ座っていること自体が、虎杖にとっては違和感でしかないというのに。
勿論、マハトは虎杖たちのことを無視している訳ではない。話しかければ返事をくれるし、頼み事などにも応えてくれる。ただ、独りでいる時間が増えたというだけ。
けれど虎杖には、それが決して見逃してはならない変化のように思われた。
根拠は何一つとてありはしない。これは直感のようなものだ。マハトの変化を見過ごしてはならないという、危機感にも似た直感。
「私に何か用でしょうか、悠仁様」
「まあ、そうだな」
「高専の任務ですね」
マハトがゆっくりと立ち上がる。
以前から任されていた呪術指南役に加え、マハトは高専の任務も請け負うようになっていた。死滅回遊においてマハトが為した功績、そして慢性的な呪術界の人手不足からの判断だ。
12月24日、犠牲を払いながらも虎杖たちは羂索や宿儺たちを倒すことができた。これにより死滅回游は事実上その機能を停止した。
しかしながら死滅回遊の
決戦の後、総監部を率いることとなった楽巌寺。
虎杖や真希、憲紀らの嘆願を受け、彼はマハトの祓除延期の再開を取り決めた。それだけでなく、楽巌寺はマハトに特級呪術師としての地位を与えることを検討している。乙骨以外の特級が死滅回遊平定の過程で命を落としてしまったことからの判断だろうか。
マハトに与えられた任務は、彼に呪術師としての任務遂行能力があるかを改めて判断するための場でもあった。
「あーいや違う違う」
「? そうなのですか」
虎杖はひらひらと手を振った。マハトが首を傾げ、赤い長髪が垂れる。
「個人的な用というか、頼みたいことがあってさ」
確かに、やるべきことは山積している。
それでも、今の虎杖たちには時間があった。逼迫した事態が去ったために許された時間だ。今まで後回しにせざるを得なかったことに向き合うための時間。
だから、虎杖はマハトと。
今まで共に生きてきた呪いと、向き合うことにしたのだ。
「一緒に地元帰らねぇか、マハト」
「いやーお疲れマハト」
仙台の町を歩いている虎杖は、そうマハトに声を掛けた。見慣れた仙台の町には、ぽつぽつと雪が降り始めている。
「私は何もしていません」
「いいんだ、隣にいてくれたろ」
虎杖はただ己が生まれ育った町を懐かしむためだけに地元に帰ってきた訳ではない。マハトのことを置いておくとしても、虎杖には仙台に来なければならない理由があった。
「それにしても、お爺様の家の相続ですか…」
「こういうの初めてだから緊張したわ」
虎杖の祖父である虎杖倭助が亡くなってから、もう半年以上が経っていた。秘匿死刑のごたごたや呪術高専への入学などで家の相続の手続きをするタイミングを逃し続けていたのだ。死滅回游平定の目処が立ったことで、ようやく仙台まで戻ってくることが出来た。
「でもタイミング良かったんじゃないかな。小沢にも会えたし」
虎杖の言葉にマハトが微笑む。
ついさっき小沢と会えたことは、虎杖にとっては本当に予期しない偶然だった。祖母が老人ホームに移るために家の片付けの手伝いをしにきたとのこと。共に東京に越してきていたものの、小沢とは渋谷事変の前に一度会ったきりであった。
そう、東京は羂索が無数の呪霊を放ったことにより現在進行形で人外魔境と化している。釘崎経由で安否の確認はしていたとはいえ、こうしてこの目で五体満足の小沢を見れたことが虎杖には何より嬉しかった。
「…優子様は悠仁様を好いておられるのですか?」
「小沢が? んな訳ないって」
マハトの言葉に虎杖は思わず息を吐いた。
虎杖よりもずっと永く生きているといっても、やはり恋愛の類は疎いのだろう。虎杖と小沢はただの中学の同級生だ。それ以上でもそれ以下でもない。それに虎杖はこれまで女子にモテた試しがないのだ。逆ならばまだしも、小沢が虎杖に好意を寄せるなど有り得ない。
マハトも何の気なしに発した問いだったのか、特に虎杖と小沢の関係を追及することはなかった。
「………」
「………」
やがて。
虎杖とマハトの間に束の間の沈黙が生じる。
雪景色を背に2人で旧知の町を歩む。どこか懐かしい心地だ。例えば買い物帰りに、例えばゲーセン帰りに、虎杖はマハトとこうして歩いていた。思えば東京に来てから忙しなくしてばかりで、こんな風にゆったりとした時間の歩みに身を任せたりはしていなかった。隣から漏れ出るマハトの気配を深く感じることができるから、虎杖はこの沈黙が決して嫌いではなかったのだ。
「なあ、マハト」
沈黙を破ることが躊躇われたのは。
懐かしさにただ浸っていたかったからだろうか。
「折角だし、北上にも寄ろうぜ」
「っぱモノホンの鬼剣舞は違うな」
「懐かしいですね」
駅から出てすぐに見えたその像に、虎杖はつい破顔していた。マハトも穏やかな笑みを浮かべている。
「マハトとここに居たのって1、2年くらいだっけ」
「いえ、私はずっと悠仁様の側にいましたから」
マハトは宿儺のように虎杖の言葉をばっさりと斬り捨てたりはしない。あくまで虎杖に共感しているような反応を返してくれる。
「ここも随分寂れちまったよなぁ」
「そうですね」
「…まあそうだろうなって感じではあるけど」
祖父の友人の葬式の折、虎杖と共にマハトのここに戻ったことがあった。以前と比べて寂れてしまった街を見て、マハトは今と同じ笑みを浮かべていた。虎杖のように、特段感情が動いている様子は見られなかった。
「おっ。ここで昔よく遊んだよな」
「よく覚えていますね」
「そりゃな。ここの水道にスライム流しちまったのトラウマだもん」
「あの時の悠仁様は手がつけられませんでした」
かつて虎杖が足しげく通っていた公園。遊具がほぼなくなってしまったそこを通り過ぎ、虎杖とマハトはシャッター街へと歩を進める。
「今だから言えるけどさ。一時期マハトのことサンタじゃないかって疑ってたんだ」
「私が、サンタですか」
「ほら、髪赤いし。なんかシルエットがクリスマスっぽかったからさ」
「成る程……?」
「真面目に悩まないでくれ。俺が恥ずかしくなってくる」
他愛もない話をしている内に、虎杖たちはそこに辿り着いていた。
「…覚えてるか、マハト」
辿り着いたそこは、公園だ。
家から遠いが、ザリガニが獲れる公園。
「俺はここで、オマエと初めて出会ったんだ」
公園を見やって、マハトはやはり笑みを浮かべていた。変わらぬ微笑。ずっとずっと、やはりマハトは。
「先程から、悠仁様は何がしたいのですか?」
問いに、虎杖はマハトから目を逸らした。
呪霊でありながら、いや呪霊だからこそであるのか。マハトは人の機微に目敏いところがある。虎杖が闇雲にマハトを連れまわしている訳ではないことに気づかないはずもなかったのだ。
「オマエにぶつけたかったんだ、俺の全て…価値を見出してるものを」
虎杖は結局、マハトと殺し合う覚悟など出来なかった。己の手でマハトを殺してしまえば、虎杖は今度こそ罪悪感に圧し潰されてしまうだろう。例えそれでマハトと通じ合えるのだとしても、それはきっと悲劇的な末路でしかない。
だからせめて、知ってもらおうと思った。虎杖が価値を見出し、"呪い"として死した宿儺が価値を見出せなかった人間のことを。
マハトならば、"人"を理解したいと切望しているマハトならば、共に価値を見出せるのではないか。そんな淡い願いを、虎杖はマハトに対して抱いていた。
「マハトはさ、羂索を殺したくなかったんだろ」
その問いも、虎杖が抱く願いでしかない。
マハトにこうあって欲しいという理想。正しく身の丈以上の願いだ。宿儺に完膚なきまでに切り刻まれていながら、虎杖は未だにそれを持ち続けてしまっていた。
「何故、そのようにお思いに」
マハトが虎杖を見やる。
「何となくだよ。最近のマハト変だからさ」
虎杖の言葉に、マハトは小さく目を見開く。意外そうな表情だ。あれだけ平生と異なる振る舞いをしておいて、マハトにはその自覚がなかったというのか。
「なあ、マハトにとっての羂索は何だったんだ?」
マハトの答えを待たず、虎杖は問いを重ねる。
「俺達にとって羂索は倒すべき敵だった。けどオマエにとっては違ったんじゃないか」
あるいは、虎杖にとってのマハトが、マハトにとっての羂索であったのか。
虎杖には分からない、知る由もないことだ。だからこそ、知りたいと考えている。マハトが虎杖にとって掛けがえのない存在であるからこそ、彼のことを理解したいと願うのだ。
「オマエがなんて答えようと、俺はそれを否定しない。俺にとってそれは、どこかを漂っている記憶の欠片…人の命に宿る価値だからだ」
虎杖にとって羂索は、人の命の価値をないように振る舞い弄び続けた忌むべき怪物だ。けれど天元曰く、羂索は確かに1000年生きた人間であるという。人間の役割に、意味も善悪もない。小さな記憶の欠片がどこかを漂っているだけで人の命に価値はある。
「だから頼む、答えてくれ。オマエの本心を知りたいんだ」
その懇願を受けて。
マハトはおもむろに、肩にかかる外套に手をかけた。
「命をかけたのなら、あとは行動するしかない」
「…マハト?」
淡々と、告げる。
「貴方のお母様の言葉です」
虎杖は、見た。
マハトの内に漲る呪力の"起こり"。それが、そのマハトの振る舞いが、意味しているのは。
「『
視界に映る野原、水面、遠間に覗くシャッター街。全てが黄金に変えられていく。どうしようもなく、マハトの手によって壊されていく。マハトは未だに笑みを浮かべていた。
「あと少しなのです、悠仁様。確かにあのとき、何かが掴めそうな気がしたのです」
虎杖は『領域展延』により、マハトの術式を中和している。
宿儺戦にて虎杖は土壇場ではあるが領域を会得している。その経験と日下部や乙骨の助言があれば、『領域展延』を宿儺戦後の短期間で習得することは虎杖にとって無理難題ではなかったのだ。
虎杖は備えていた。こうなる可能性が、脳裏に過ってしまっていたから。
「私が羂索様と契約を結んだのは、人類との共存のため」
その答えは、やはり虎杖が聞き飽きたもの。いつも通りの釈然としない答え。
だって、その答えは言ってしまえば。
共存のために羂索を殺したと、そう言っているようなものではないか。
「羂索様が遺した貴方と、貴方と共に過ごした時間。その全てをぶち壊せば、私はきっと人類を理解できる」
外套が黄金に変えられる。手に持つは黄金の槍。吐き出される言葉は、人の命の価値の悉くを否定していた。
マハトは槍の穂先を、黄金に変えられた地へと向ける。
「もう、殺し合うしかないんだな」
「さあ悠仁様、私の探し求めた答えを見せてください」
次回の更新は4月26日(日)0時の予定です