黄金寓話   作:いなほみのる

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第22話 黄金寓話─弐─

 視界一面で煌めく黄金。

 故郷が死にゆく様を見届け、虎杖は拳を強く握りしめた。

 

「剣、使わないんだな」

「ええ」

 

 マハトは外套を黄金の三又槍へと変え、地面と垂直に構えている。東京第1結界(あのとき)と同じ武具だ。宿儺相手に繰り出したマハトの奥の手。

 

「宿儺を討ち果たした貴方を、私は侮りません」

 

 黄金に変えられた大地に亀裂が走る。粉々に砕け、無数の金片へと作り変えられる。

 金片はやがて群れを成し、マハトの周囲を泳ぎ始めた。壊れない黄金を操り相手へとぶつける。金片の群れは直撃はおろか、掠めただけでも呪力の防御を易々と貫通してくるに違いない。

 

 今現在、虎杖はマハトの術式を中和するために『領域展延』を発動し続けている。そして生得術式と『領域展延』は併用出来ない。

 つまり虎杖はこれから、身一つで金片の群れに対処しなければならないということ。

 

「───」

 

 金片の群れが虎杖の眼前へと迫る。半ば反射的に虎杖は横へと跳んだ。直後に、先ほどまで虎杖の立っていた場所が金片に飲み込まれた。

 もう立ち止まることは許されない。虎杖はひたすらに走り、背後から襲いくる金片から逃れ続ける。

 これだけの大質量でありながら、金片の群れの速さに一切の衰えは見られない。虎杖の脚力であっても、金片の群れから距離を離すことが出来ていない。金片の群れは蛇のように流動的に蠢いており、距離を詰めその猛攻をやり過ごすことも困難に思われた。宿儺はこれを、ああもこともなげに躱し続けていたというのか。

 

「後ろにばかり気を取られていて良いのですか?」

 

 横合いから投げかけられるマハトの言葉。

 同時に、虎杖が走る道の先に金片の群れが雪崩れ込む。進路を遮られた。前後から迫りくる金片の群れは、豪雨で荒ぶる河川を思い起こさせる。さながら逃げ場のない黄金の濁流。

 

「だったら!」

 

 虎杖はその場で上空へと跳躍した。眼下で黄金の濁流が衝突する。金片の群れは黄金に変えられた大地を覆いつくし、虎杖を磨り潰さんとひしめき合っている。

 一先ずの危機は脱した。しかしながら、依然虎杖が追い込まれていることには変わりない。

 

 そもそも未だに、虎杖は金片の群れから逃げてばかりなのだ。マハトにまともに近づけていない。金片の群れの対処に手一杯になってしまっている。

 ならばどうするか。

 

「───」

 

 眼下に満ちる黄金の濁流。虎杖はそこへと両足を伸ばした。 

 足が金片の群れに触るが否や、金片が足の裏を抉りはじめる。足の五指が、血と肉がずたずたに引き裂かれる。金片の群れの勢いにさらわれる前に、虎杖は片足を振り上げた。一歩前へ、再び金片の蠢く仮初の大地に足を伸ばす。

 後は繰り返しだ。金片の群れに身体が完全に吞み込まれぬよう、足を振り上げては前に伸ばすことを繰り返す。

 

「随分と無茶をしますね」

 

 視界の先のマハトは呆れたような笑みを浮かべていた。

 きっと今の虎杖は、ひどく不格好に映ってしまっているのだろう。これはただの東京第1結界(あのとき)の宿儺の真似事だ。だというのに虎杖にはまるでその再現ができていない。感覚(センス)の差、宿儺と虎杖では見えている世界が違うとでもいうのか。

 それでも、前に進むことはできる。少しずつ、本当に少しずつではあるが、マハトへと距離を詰めることができる。

 

「であれば、これは如何でしょう」

 

 マハトが軽く槍を振るう。直後に虎杖が駆ける黄金の濁流に変化が生じる。

 金片の群れが触手のように複数で寄り集まり、黄金の濁流を駆ける虎杖へと殺到する。一本一本は細いが、虎杖の肉体を傷つけることは容易だろう。避けなければ全身が黄金の触手で切り刻まれる。踏みしめる仮初の足場があるといっても、虎杖は金片に足を常に蝕まれ動きを大幅に制限されている。であれば、そこに畳み掛けるのは当然のこと。

 

「ぐッ」

 

 襲いくる黄金の触手たち。虎杖は駆けながら、それらをぎりぎりで躱しつづける。

 低い姿勢で、あるいは身を捻り、ひたすらにマハトへと駆け続ける。避け切れず身体の各所から血が噴き出すが、そんなことに構っている余裕はない。今は、ただひたすらに前へ。

 

「……よく動きますね」

 

 それにこれだけの猛攻を浴びながらも、虎杖は致命傷を避けることが出来ている。

 これは宿儺戦の最中に虎杖が『黒閃』により覚醒したため───()()()()()()

 

 虎杖はかつて練習試合にて、マハトに一撃を入れたことがある。

 当時はただの偶然だと思っていた。そもそもあの時は東京校の1、2年全員をマハトは相手取っていたし、たまたま一撃を貰うことぐらいは有り得る範疇であると。けれどあれはきっと、ただの偶然ではなかったのだ。

 

 それは断じて。

 マハトが虎杖に育ての親として情を抱いているからだとか、そんな人間らしい感傷に依るものではないのだろう。これは恐らく、虎杖とマハトの時間間隔の差だ。数百年を生きるマハトにとって、虎杖との10年余り重ねた暮らしはつい最近のこと。マハトにとって、虎杖が中学生であったことも、小学生であったことだって少し前のことなのだろう。マハトの1年と虎杖の1年は、決して等価ではない。

 だからこそ、呪術高専に入ってからの虎杖の成長に無意識の部分でついていけていない。虎杖は日下部(にんげん)からしても凄まじいと称されるほどの成長を遂げているのだ。たった一瞬、ほんの誤差のような時間ではあるが、マハトは虎杖の動きへの対処に思考を要している。なまじ以前から虎杖と共に過ごしてきたからこそ、反射神経で無意識に対応できない。

 ほぼ無意識で肉体を動かす虎杖に対し、思考し金片を操作するマハト。その差が、虎杖の命を辛うじて繋いでいるのだ。

 

「知ってるだろ、俺は諦めが悪いんだ」

「そうですね、存じております」

 

 笑うマハト。彼の周囲に金片が集いはじめる。

 虎杖がマハトへと距離を詰める前に、金片で守りを固めるつもりか。この無数の金片を全て防御に使われてしまえば、今度こそ虎杖に打つ手はない。そしてこのまま駆けているだけでは、マハトの金片の展開には間に合わない。

 虎杖に焦りはなかった。やるべきことは決まっていたから。

 

「───ッ」

 

 虎杖はほんの一瞬、その場で強く踏み込んだ。

 今彼が駆けているのは金片で出来た大地だ。そんなことをすれば当然、金片がより深く虎杖の両足を抉ることとなる。しかし虎杖はその殺意で満ちた地をただ踏みしめた。ありたっけの呪力を足へと流し込む。

 必要であるのは瞬間的な爆発力。マハトの認知が追いつかないほど迅く、一息でマハトへと距離を詰める。

 集中しろ、虎杖の潜在能力を引きずり出すのだ。

 

「悠仁様、何を」

 

 間もなく。

 虎杖の踏みしめる地が爆発した。黄金の濁流を跳び越える。マハトが何かをするよりも速く、虎杖はマハトの背後へと足を着けた。

 既に虎杖は拳を振りかぶっている。拳に込められるはこれ以上なく研ぎ澄まされた呪力。マハトという圧倒的な強者と殺し合うことにより、虎杖の感覚は思い出し始めていた。史上最強(すくな)との、限界を超えた殺し合いを。

 虎杖はそのまま、マハトの背へと拳を。

 

「シン・陰流『簡易領域』」

 

 ぞくり、と悪寒が走る。これは警告だ。虎杖の本能が警告している。マハトの攻撃を、避けなければならないと。

 

「居合『夕月』」

 

 マハトの槍が、虎杖の全身を穿ち刻む。

 虎杖は知っている。これは日下部の、シン・陰の技だ。宿儺戦までの一ヵ月でマハトが『簡易領域』について日下部や三輪に教えを乞うていたのは目にしていた。だがマハトは入れ替え修行を誰ともしていない。呪霊と人間の魂の入れ替えがどのような影響を及ぼすか不明である上、マハトは『簡易領域』を会得しているが反転術式は使えない。そのため同じく『簡易領域』を使える日下部などや反転術式を使える者との入れ替えを優先することとしたのだ。虎杖自身も日下部と入れ替え修行を行い、結界術の基礎を習得している。言い換えれば、日下部の呪術の記憶を以てしても結界術の基礎しか習得できなかった。

 マハトはたった一月で、他者の呪術の記憶を頼ることなくシン・陰の技術を習得したというのか。

 

 居合『夕月』は領域内に侵入したものを全自動(フルオート)反射で迎撃する。互いの感覚の差など関係ない。捌ける者がいないとも称される絶技。

 

「……しぶといですね」

 

 全身にその絶技を浴びながらも、虎杖はその場で立ち続けていた。肉体には数えきれないほどの穴が穿たれ、血が絶え間なく滴り落ちてしまっている。反転術式による肉体の治癒がまるで追いついていない。

 それでも虎杖がその場から退かないのは、今が千載一遇の好機であると理解しているからだ。

 

 これだけされるがままに虎杖が槍を喰らい続けていながら、マハトは金片を攻撃に織り交ぜてこない。恐らく、してこないのではなく出来ないのだ。考えてみれば当たり前のことだ。この至近距離で金片の群れを操作すれば マハト自身も巻き込まれるリスクがある。縦横無尽に思われる金片の群れにも、間合いの概念は存在しているのだ。

 しかしそれも、明確な弱点とは成り得ない。そもそもマハトは非常に高い身体能力を有しているのだ。今だって虎杖は金片の間合いの内側に入りこめているが、マハトにまともな一撃も与えられていない。無数の金片による大質量の攻撃で中・遠距離を、黄金の槍による全自動(フルオート)反射の攻撃で近距離を対処する。微塵の隙もない、正に完成された戦術。

 だが、それは逆に言えば。

 

「!」

 

 マハトの槍が虎杖の鳩尾の辺りを貫く。同時に虎杖は黄金の槍の柄を左手で掴んだ。虎杖を甚振りつづけていた槍の動きが、止まる。

 

 逆に言えば。

 槍さえ抑えてしまえば、今のマハトは無防備であるということ。

 

「槍を止めたところで、今の貴方は」

「動けるさ」

 

 槍を肉体に食い込ませ、虎杖は一歩マハトに近づく。右手は握り拳を形作っている。全てをぶつける覚悟で、拳にひたすら呪力を籠める。

 痛みも傷も、虎杖が止まる理由には成り得ない。

 今の虎杖を突き動かしているのは、彼が抱く百折不撓の理想であった。宿儺という呪いの王に対し、全てにおいて劣っていた虎杖が唯一並び立てたもの。それが在る限り虎杖は決して止まらない。

 全身を苛む痛みは、むしろ虎杖に導きを与えてくれていた。痛みが教えてくれる。己の血と肉、そして呪力の移ろいを。意識が肉体の隅々まで届く感覚。極限の集中が齎す核心。

 

「マハトは俺の、先生だから」

 

 その予感を。

 果たしてマハトも察していたのか。

 

 

 

 黒い火花が。

 『黒閃』が、マハトの顔面に打ち込まれる。

 

 

 

 マハトの身体が槍と共に大きく吹き飛ぶ。虎杖は拳を振り切ったまま、肉体に満ちる呪力にただ浸っていた。ようやっと、マハトに一撃を与えることができた。

 

「素晴らしい」

 

 血反吐を口から漏らしながら、マハトは心底嬉しそうに笑っていた。

 

「師として、貴方の成長を嬉しく思います」

 

 彼の口から吐き出されるのは、純粋な称賛の言葉。いかにマハトと言えど、頭部に『黒閃』を喰らったのだ。だのにまだ、虎杖を慮る言葉を発することができるのか。

 僅かな違和感。

 マハトのこの余裕は。

 

「ですが、これでもう終わりにしましょう」

「!!」

 

 虎杖を、金片の群れが完全に包囲する。

 『黒閃』で吹き飛ばされたことにより、虎杖は金片の間合いに入ってしまっていたのだ。あるいは、マハトはあえて大きく吹き飛ばされたのやもしれない。金片は隙間なくひしめきながら虎杖の周囲を旋回している。速すぎる包囲。まさか槍で虎杖を迎撃していた時点で、こうなることを想定し備えていたのか。

 

「楽しい戦いでした、悠仁様」

 

 全方位から金片が虎杖へと迫ってくる。逃げ場などどこにもありはしない。虎杖は一切の抵抗も許されず、金片の群れに圧し潰され───

 

「…わざと『領域展延』を解き、体を黄金に変え金片を防ぎましたか」

 

 そう独り言ちるマハトの目の前には、黄金に変えられた虎杖の姿があった。壊れない黄金に自身を変え、金片による圧殺をやり過ごす。

 だがこれでは本末転倒だ。

 虎杖自身では黄金に変えられた身体を元に戻すことは出来ない。だからこそ虎杖は今この時まで『領域展延』でマハトの術式を中和していたはずである。虎杖にとって、全身を黄金に変えられることは致命傷と等しい。

 

 今この瞬間、虎杖はマハトの手により殺された。そのはずなのだ。

 

「悠仁様、私は…」

 

───『黒閃』の真価は、その威力ではない。

 

 その真価は、呪力の核心へと近づくこと。

 黒い火花は微笑んだ者に己が潜在能力を啓くきっかけを与える。

 虎杖悠仁は宿儺戦にて『黒閃』により潜在能力を解放し、己に刻まれていた『御廚子』を引き出し遂には領域まで会得した。

 

 だがそれは、彼の秘めたる潜在能力の底までは至っていない。

 虎杖悠仁はそもそも、両面宿儺の受肉体である前に。

 

 

 

 

 

「『万物を黄金に変える呪法(ディーアゴルゼ)』」

 

 

 

 

 

 虎杖悠仁であった黄金像の一部が、剥離するかの如く変質する。黄金に変えられた身体が、元へと戻っていく。マハトは驚愕した様子でそれを見ていた。

 

 

 

 宿儺戦以来の『黒閃』。

 虎杖悠仁の覚醒が、更に加速する。




次回の更新は4月28日(火)0時の予定です
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