「…信じられない」
黄金像から元の姿へと戻っていく虎杖。マハトは彼を見やり、うわ言のようにそう漏らした。
「まさか本当に、私の術式を会得するとは」
マハトの言葉には、明らかに含みがあった。
さながら、ごく低くはあっても可能性としては考慮していたような言い方。確かに虎杖は宿儺の指、呪胎九相図の4番~9番を取り込んだことでそれらに由来する術式が刻まれている。だとしてもそれらの呪物を取り込むことでマハトの『
マハトが認知しており、かつ虎杖がそうでないこと。
「やっぱり、俺を産んだ時にマハトの一部を混ぜたんだな」
宿儺の指のように呪物を取り込ませたのか、あるいはもっと別の方式を採ったのか。具体的なことは何一つ分からない。それでも虎杖の
虎杖の問いに、マハトは僅かに口角を上げた。
「貴方だけではありません。九相図の4番以降にも私の一部が混ぜられています」
「…羂索がやったんだな」
「ええ、実に懐かしい」
マハトが顔を綻ばせる。虎杖は固い表情でそれを見やっていた。
虎杖、そして九相図に取り込まれていたマハトの一部が虎杖の肉体内部で寄り集まり、術式として
だがあくまで理屈としてだ。虎杖の脳裏にはとめどない疑問が浮かんでは立ち消えつづけている。
気づけば、虎杖はマハトへと再び口を開いていた。
「どうして、羂索はそんなことしたんだ」
ともすれば、その行為に明確な理由なんてものはないのかもしれない。脹相によれば、羂索はただの好奇心で日本に住む非術師を天元に同化させようとしていたという。虎杖や九相図にマハトの一部を取り込ませたのも、ただの思いつきでしかないという可能性だってある。
その上で、虎杖は答えを欲してしまっていた。
彼の呪われた出生、そこに理由を求めてしまっていた。
「羂索…香織様はおそらく、私との子を造りたかったのでしょう」
「だから、そんなことをして何が」
「
呪霊は人の負の感情から生じる。人類のように、自らを産み育てる親という概念は在りはしない。
人類の感情を理解したいと述べるマハトにとって、親と子という関係性はさぞ興味深いものであるのだろう。
「私は貴方の親であり、倒すべき敵」
マハトが、黄金の槍を構える。
周囲を泳ぐ金片がその勢いを増す。マハトに、金片に宿る呪力は、どうしようもなく殺意が渦巻いていた。
「悠仁様は私にとって、人類との共存のための道しるべなのです」
ごくりと、虎杖は唾を飲み込む。
人類との共存、その理想のための礎。少なくともマハトにとって、それが虎杖の生まれた意味、役割なのだろう。言うなればそれは人柱だ。知らない感情のため、マハトに殺されるための存在。
全てを理解した上で、虎杖は拳を構える。
意味も理由も、役割だって重要ではないのだ。虎杖が考える人の命の価値は、そこに宿ってはいない。
やはり虎杖はただ、マハトに分かってもらいたいのだ。そのためならば何度だって立ち上がれる。
「さあ、続きを始めましょう」
「そうだな、仕切り直しだ」
微笑みを湛えながら、マハトが槍を振るう。
刹那、金片の群れが虎杖に殺到した。
「『
金片の群れによる猛攻は、先ほどよりも一層激しく虎杖を追い込み続けていた。
前後左右、そして上空からも、全方位から絶え間なく金片の群れが迫ってきている。金片の間合いの内側に入る隙が見当たらない。虎杖はひたすらに攻め立てられ、半ば逃げるように金片の群れを避け続けていた。
「覚えたてで出力が低く、私の術式を相殺することしかできていない」
マハトの言葉に虎杖は歯噛みする。事実だった。今の虎杖は常に発動されているマハトの『
「そして複数の術式の併用もやはりできないのですね」
例え複数の術式が肉体に刻まれていようとそれを同時に発動できない。虎杖は勿論、伏黒に受肉した宿儺も『御廚子』と『十種影法術』を領域内での外付け的な運用以外で併用してはいなかった。
マハトの『
「その傷でどこまで戦えますか」
気づけば、虎杖は黄金に変えられたシャッター街まで追い込まれてしまっていた。
マハトは既に『黒閃』を喰らった顔面を治癒し、金片を従えゆっくりとこちらに歩いてきている。虎杖の肉体の治癒は未だに終わっていない。肉体にはマハトの槍に穿たれた跡が残り、血が滴り落ちつづけている。
人間は呪霊と異なり肉体の治癒に高度な反転術式を要する。『
その上、マハトは虎杖の成長に順応しつつあった。数百年以上生きた経験故か、虎杖の動きを無意識に落としこめている。思考を要さなくなってきている。金片の群れの操作が最適化され、その対処が困難になってきているのだ。
このままではジリ貧だ。無策で拳を振るうだけでは、確実に金片に嬲られる。
虎杖に、残されている手札は。
「兄貴、俺の背中を押してくれ」
言葉の直後、虎杖の身体から血が噴出した。
呪力で生成された血液は瞬く間に虎杖の身体を呑み込み、濁流となって金片へと、マハトへと雪崩れ込んでいく。明らかに、虎杖の血液が操作されている。
『
「……悪足掻きですね」
マハトの表情に驚きはなかった。虎杖の策を理解したのだろう。
血液の濁流、その内部で断続的に金色が瞬く。マハトが虎杖の血液を黄金に変え、虎杖がそれを解除しているのだ。
虎杖は『
『赤血操術』で血液の濁流に指向性を与え、直後に『
それはきっと、黒閃を経た覚醒状態が可能にした早業。
術式は術師の肉体、特に脳に強く紐づいており、連続的に発動する術式を切り換えつづければ脳に大きな負荷がかかることとなる。しかしながら虎杖のそれぞれの術式の発動速度は単一時のそれと遜色なく、『
やがて。
血液と金片が衝突する。
「! これは…」
結果として、血液は金片の群れに染み込んでいった。マハトの操る金片が虎杖の血液に塗れる。
直後、金片の動きが不自然にガタつく。
『赤血操術』は自身の血とそれが付着したものを操る。虎杖の血液が付着した金片も、当然赤血操術の術式対象となる。
勿論発動する術式を常に切り換え続けている以上、虎杖は金片の
「面白い、短期間でここまで術の精度を上げるとは」
金片の群れの動きが鈍化し、際限なく虎杖の血液が染み込んでいく。目指す先は当然マハトだ。マハトを覆う金片の動きを抑制し、再び殴り合いの土俵に持ち込む。
「ならば、付着した血を振り払うまで」
マハトの周囲の金片の速度が上がる。旋回するそれはさながら黄金の嵐だ。強引に金片の付着した血を弾き飛ばそうとしているのか。
「けどもう遅い」
金片に付着した血が、弾ける。
連鎖する炸裂。それにより金片が四方八方に散らばる。マハトを覆う金片の厚みが失われていく。
だがそれはあくまで一時的なものだ。マハトはすぐに散らばった金片を補うことが出来る。
問題はない。虎杖は血液の濁流に運ばれ、既にマハトの元まで到達している。
「───シン・陰流『簡易領域』」
マハトの身体は旋回する金片により覆われている。しかしながら、マハトも理解していたのだろう。こんなものはもう、虎杖にとってはただの薄壁でしかないことを。
槍を構えるマハトを認め、虎杖も右の拳に呪力を籠める。
「居合『夕月』」
『簡易領域』の範囲内に虎杖が引きずり込まれる。
拳と槍が、真正面からぶつかる。
弾けたのは黒い火花。
『黒閃』により、マハトの槍が吹き飛ばされる。
「───ッ」
槍伝いの衝撃に腕を振るわせながら、マハトは目を見開いていた。
二度目の黒閃、虎杖の集中がこれ以上なく高まる。
左の拳はもう振りかぶられている。雑念のない澄んだ呪力だ。虎杖は既に、そこに奔る黒い火花を幻視していた。
マハトにもう逃げ場はない。足元を浸す虎杖の血液によって動きを阻害され、防ぐための槍も失われてしまっている。
虎杖は拳を打ち込むため、マハトへと一歩踏み込み。
「詰めが甘いですよ、悠仁様」
「ッ!?」
ごぽりと、虎杖の口から血が漏れる。
上手く言葉を発せられない。虎杖の喉が抉られているのだ。一体何が起こった。マハトの武具である槍は失われているはず。
「勝てると確信したときまで、敵は切り札を伏せているのです」
「き、りふだ」
振り切られたマハトの右手には、細い黄金の針が握られていた。
恐らくはこれで虎杖の喉を掻き切ったのだ。マハト自身の髪か何かを黄金に変えたのか。槍を、武具を失ったという先入観を逆手に取られた。油断したつもりはなかった。ただ策で上回られた。
けれど、だとしても。
「まだ、だ…!」
「!」
左の拳を、振りかぶる。
拳には、未だ呪力が満ち満ちている。
宿儺に由来する図抜けた肉体強度、九相図を取り込み後天的に獲得した呪力を血液に変換する特異体質、そして反転術式による肉体の治癒。これらが虎杖に鬼神の如き身体を与える。追いつき始めていたマハトの想像を更に凌駕する。
振るわれる拳に、マハトは今度こそ反応できなかった。
胴に打ち込まれる『黒閃』。
黒い火花が、マハトの身体を駆け巡る。
吹き飛ばされるマハト。しかし虎杖の血液の拘束により大きく吹き飛ばされてはいない。すぐに距離を詰めることはできる。
黒閃の余韻に浸ることもなく、虎杖はマハトへと駆ける。
───度重なる黒閃により、マハトの気配は少しづつではあるが萎んできている。
元があまりに膨大であるが故に分かりづらいが、着実にマハトの呪力は削れているはずだ。体勢を立て直す暇は与えない。
虎杖は既に金片の間合いの内側に達している。
黒閃の絶大な威力が故か、マハトの動きは緩慢としている。手には細い黄金の針しか持っていない。不意打ちならばまだしも、正面から虎杖の拳とやりあえる代物ではない。
このまま押し切る。
その後は───
「悠仁様」
マハトが顔を上げる。虎杖と目が合う。
この窮地にありながら、マハトは穏やかに笑っていた。
「私は共存のためならば、命とて惜しくはない」
金片の間合いの内側、虎杖とマハトの周囲。
全方位から、金片が殺到する。逃げ場などない。マハト諸共、虎杖の身体が磨り潰される。
「───」
苦悶の声すら絞り出せぬまま、虎杖はその場で膝をついた。視界が血に塗れている。虎杖の肉体は、どこまで原型が残っているのだろうか。今こうして意識を保てていること自体が奇跡に近しいように虎杖には思われた。
赤に染まった視界の中で、黄金に輝くものを手に持つ何者かがいた。
マハトだ。黄金の槍を手に持つマハトが立っているのだ。
そう理解した瞬間、虎杖は両の拳を握りしめていた。
「本当に諦めが悪いですね」
マハトが一歩、こちらへと近づく。虎杖と同じく金片に磨り潰されていながら、目に映るマハトの呪力に衰えは見られない。戦い始めた当初と比べれば大きく削れているが、やはり致命的ではない。呪霊と人間の組成の違い、自分自身の呪力に依る攻撃であることが恐らくこの差を生んだのだろう。
虎杖の前で立ち止まったマハトは、やがてゆっくりと槍を振り上げた。止めを刺そうとしているのだ。
「今度こそ終わりにしましょう、悠仁様」
マハトの槍を避けなければ。そう思考しているのに、虎杖の身体はまるで言うことを聞かない。ついに肉体が限界が迎えたのだ。そもそも金片で磨り潰される前の時点で全身に穴を穿たれ、喉さえ掻っ切られていたのだ。いつこうなってもおかしくはなかった。
動けない。マハトの槍が、虎杖の脳天に振り下ろされてしまう。
その時。
虎杖とマハトは気づいた。
この黄金の死地の遥か上空から、落下している気配を。
「───有り得ない」
故郷の死を悼む暇もなく。
戦地に投入されたのは。
───
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