黄金寓話   作:いなほみのる

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第26話 黄金寓話─陸─

「全てをぶつける……か」

 

 宿儺との決戦の前、虎杖は脹相にも声を掛けていた。

 兄として虎杖に寄り添ってくれた脹相には、マハトの話をしなければならないと思っていたのだ。

 

「ああ。鹿紫雲(アイツ)はそうするのが一番早いって」

「…そうか」

 

 脹相は顎に手を添え、物憂げな表情を形作っている。渋谷での数日、脹相はマハトと共に虎杖の隣にいてくれた。脹相としても、呪霊でありながら育ての親でもあるマハトに対して何か思うところがあるのやもしれない。

 彼のその横顔を見て。

 

「…脹相は、マハトのことどう思ってるんだ」

 

 虎杖は思わず、脹相へとそう問いかけていた。

 脹相が虎杖へと目を合わせる。

 

「俺にマハトとの加茂憲倫の関係は分からない。受肉する前は弟達だけが(よすが)だったからな」

 

 それは、以前も脹相から聞いたことだ。この150年、脹相や彼の弟たちは彼ら以外の外界の情報を知覚できていなかった。彼らに母の記憶はない。羂索やマハトが当時彼らや彼らの母に何をしたのか。伝聞は知っていても、内実は知る由もなかったのだ。

 

「だが人類との共存…悠仁と共に生きることを、マハトは確かに望んでいる。オマエのお兄ちゃんとして、俺はマハトの言葉を信じている」

「それは俺もだよ。だけど」

「分かってるさ、悠仁」

 

 脹相が顔を綻ばせる。さながら、虎杖を窘めるような表情。

 

「あの加茂憲倫とつるんでいたんだ。マハトにも後ろ暗い部分はあるだろう。それこそ、人間を大勢殺したこともあるかもしれない」

「だったら」

「その上で、俺はマハトを信じているんだ」

 

 脹相の言葉には、虎杖の兄としての自負が宿っているように思えた。その双眸は、ここではないどこかを見つめている。

 

「悠仁が生まれた時から、マハトはオマエの側にいたんだろう? "呪い"であるマハトが"人"として生きる悠仁と共に生きる……。大抵の人間には受け容れられないだろう、決して楽な道じゃない」

 

 それは、虎杖もつい最近まで認識できていなかったこと。呪術高専に来てから、マハトが、"呪い"が、どれほど人に疎まれ忌み嫌われるのかを虎杖は理解した。今まで虎杖が当たり前に過ごしていたマハトとの日常は、薄氷の上に成り立っていたのだと。

 

「マハトは悠仁のために、苦しい道を選んだんだ。弟を死なせた俺とは違う」

 

 自嘲するような言葉。虎杖はそれに思わず歯噛みしてしまう。

 

「…あれはオマエのせいじゃない。俺がアイツらを殺したんだ」

「あの時楽な道を選んだのは俺だ。だから、俺がマハトに何かを言う資格はないんだ」

 

 脹相が乾いた笑みを漏らす。今度こそ、虎杖はそれに何を返すことも出来なかった。きっと何を言ったところで、脹相の考えは変わらないのだろう。

 

「俺が出来るのは、(オマエ)の背中を押すことだけだ」

 

 脹相は虎杖に言葉を続ける。どこまでも、虎杖を尊重しつづける言葉を。

 

「オマエがどんな道を選ぼうと、俺はそれを否定しない。弟を見守ることが兄の役目だからだ。(オレ)の選んだ道が標となっていればそれでいい」

「本当に、脹相はそれでいいのか……?」

「いいんだ、悠仁」

 

 脹相が目を伏せ笑う。懐かしむような表情。"人"として、脹相は虎杖の意志に殉ずるつもりであるのか。

 

「高専で加茂憲倫と戦った時、俺も(オマエ)達に背中を押してもらった。俺に力を貸してくれた」

「……そんな記憶、ないんだけど」

「ああ。背中を押してくれたのは、俺の記憶の中の(オマエ)達だ」

 

 直接でなくとも、脹相の中に息づく虎杖の記憶が彼に力を与えたのだ。脹相にとっては確かに、虎杖に、弟たちに背中を押してもらったということで相違ないのだろう。

 

「兄は弟の手本なんだ。力を貸してもらってばかりじゃ、兄失格だからな」

 

 脹相が虎杖を見やる。

 彼の双眸には、兄としての理想が宿っていた。

 

「悠仁、今度は俺の番だ。俺にオマエの背中を押させてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄金から元に戻った故郷にて。

 マハトは呆然と、胸に空いた孔を見下ろしていた。

 

「……………」

 

 覚束ない足取りで、マハトが後ろへと振り返る。虎杖へと背中を向ける。胸を庇うように手を宛がい、ふらつきながらも一歩踏み出す。地べたに這い蹲っている虎杖から距離を取る。

 まさか、まさかマハトは。

 

「ま、はと……!」

 

 マハトは虎杖から逃げ出していた。

 虎杖と東堂は既に死に体。このまま放置しようともほぼ確実に死ぬことになる。彼らを放置して自身の体勢を立て直すことは決して間違った選択ではない。

 だが、これではあまりにも。

 

「待、て……!!」

 

 地べたを這いずり、虎杖はマハトの背中を追いかける。心臓を破られ、全身に血がまともに巡らない。ならば呪力で強制的に心臓を動かす。少年院や新宿での宿儺を模倣する。

 しかし虎杖とマハトの動く速度は歴然だ。そもそも呪霊にとって胸部の損傷は必ずしも致命傷にはならない。大きく弱ってはいるのだろうが、それでも虎杖や東堂よりはまだ余力があるのだろう。

 着実に、マハトとの距離が離されていく。

 

───俺が順平にそうしたように、マハトは必ずオマエを裏切る。

 

 渋谷にて真人に投げかけられた言葉が脳裏に過る。あの時虎杖が切り捨てた真人の言葉。ある意味で真人の言葉は正しかった。マハトはこうして虎杖に殺意を向け、一度彼の故郷をぶち壊したのだから。

 しかし虎杖にとっては、今の状況こそが裏切りそのもののように思われた。共存のためならば命とてかけられるとまで述べたマハトが、こうして今無様に逃げ出してしまっている。これが裏切りでなくてなんというのか。あの時の言葉は嘘偽りだったというのか。

 

「───」

 

 マハトが歩み、虎杖が這いずる。彼が逃げる先をただ追いかける。

 虎杖から逃げるとして、マハトは一体どこに向かうつもりなのだろうか。マハトの呪術が解除された以上、東堂のような増援の術師がまた来るやもしれない。ともすれば、マハトにはもう逃げ場などどこにもないのかもしれないのだ。

 あるいは、マハトは逃げているのではなく。

 

「悠仁様」

 

 マハトが虎杖へと振り返る。

 血の滲んだ笑みを彼に見せる。

 

「どうやら…私はここまでのようです」

 

 マハトの背後には、1つの家屋が在った。

 見覚えのある家屋。そうだ。虎杖はついさっき、この家屋をマハトの領域でも見つけていた。

 

 ここは、この家は。

 虎杖が祖父やマハトと共に住んでいた家だ。かつて共に暮らした場所がそこにはあった。

 かつての虎杖の家に、マハトがその背を預ける。無抵抗に座り込んでいた。

 

「マハト……。もう一度やってみよう」

 

 虎杖はマハトへと寄り、そう言葉を投げかけた。かつて、宿儺へと投げかけたものと同じ言葉を。

 

「"呪い"だとか"人"だとか、関係なかったんだ。マハトがいたから、俺は化け物にならずに"人"として生きてこれた」

 

 マハトが"呪い"であるのか。それはきっと重要ではなかったのだ。マハトが何であるのかではない。虎杖にとってマハトが何であるのかこそが考えるべきことだった。

 祖父とマハトこそが、幼き虎杖にとっての標だった。だからこそ虎杖は、マハトと共に生きたいと願うのだ。

 

「皆オマエを受け入れてくれる。俺達なら、オマエと共に生きていける」

 

 真希や伏黒たちも、死滅回游にてマハトと肩を並べて戦ってくれていた。マハトだって決戦にて羂索を討ったのだ。マハトがいなければ、今の形で決戦を終えることなど不可能だった。

 きっと皆、マハトのことを信用してくれる。信頼だってしてくれるはずだ。

 

「無意味ですよ…」

 

 マハトは、ただただ笑っていた。

 諦念を含んだような笑みを浮かべていた。

 

「…結局…何も……わからなかった…」

 

 その言葉がどれだけの重みを持っているのか、虎杖には分からない。

 虎杖が産まれる前のマハトを彼は知らない。彼がどのように生きてきたのか。羂索とどのような関わりがあったのか。一体何年、何十年、何百年、マハトは人類との共存を求め彷徨ってきたのか。

 

 分からないからこそ、虎杖はただ手を差し伸べる。

 

「大丈夫だ。俺達には、まだ次がある。わかるまで、地獄の底まで付き合うさ」

 

 それでも。

 やはりマハトは頑なに、虎杖の手を取ろうとはしない。

 

「…悠仁様は……私に人を…殺して欲しくないのでしょう…」

 

 マハトは暗に告げているのだ。ここでマハトを生かせば、またこうして全てをぶち壊すと。虎杖とマハトは、もう殺し合うしか道がないのだと。

 

───自分が助けた人間が、将来人を殺したらどうする。

 

 その問いの答えを、虎杖は既に識っている。

 死にゆくことを選んでいる者に、虎杖は生きろとは言えない。受け入れがたいどうしようもない現実というものは存在する。高専に来てそれを味わい続けた虎杖は、死という選択を否定することが出来ない。

 

 だから。

 不平等であるとしても、身の丈に合わぬとしても。

 虎杖はひたすらに願うのだ。

 

「オマエがいないと寂しいよ、マハト」




次回の更新は5月8日(金)0時の予定です
次回が最終話となります
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