黄金寓話   作:いなほみのる

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第6話 魍虎伏草

「ケヒッ。ヒヒッ」

 

 げらげら、げらげらと。

 目の前で哄笑する化け物を見ながら、伏黒恵は歯噛みする。

 本来ならば、ただ学校に安置されている呪物を回収するだけの任務のはずだった。強力な呪物であるために多少呪いを引き寄せているかもしれないが、二級術師の伏黒ならば大抵の呪いは対処できる。

 想定外だったのは、呪物が学生に拾われていたことと、目の前の虎杖悠仁の存在だ。

 

「ああやはり! 光は生で感じるに限るな!!」

 

 虎杖は、呪いやそれを祓う存在のことを認知していた。それだけならばまだ良かったのだが、呪物を拾った学生が自身の知り合いと知るや否や、虎杖は彼らを助けるのを手伝いたいと言い出したのだ。

 曰く、自身は呪いは祓えないが伏黒の邪魔にならずに先輩を救助できると。

 一応の筋は通っていたのと虎杖の勢いもあって、伏黒は彼をその先輩がいるという学校まで連れてきてしまった。

 

「呪霊の肉などつまらん! 人は! 女はどこだ!!」

 

 それでも、呪いの祓除はつつがなく済むはずだった。実際、伏黒が不意を打たれなければ問題なく終わっていただろう。

 伏黒が痛手を負い、そのせいで虎杖が呪いを祓う手段を手に入れざるを得なくなった。

 

 即ち、特級呪物を取り込んだ。

 

「! 良い時代になったものだな」

 

 特級呪物、宿儺の指を取り込んだものは確実に死ぬ。取り込むことで、呪いを祓う術が得られるなど有り得ない。

 だが虎杖には万が一の事態が起きた。

 

 特級呪物が、虎杖の身体に受肉したのだ。

 目の前の人間を供物か何かとしか思っていない化け物──両面宿儺が。

 

「女も子供も蛆のように湧いている」

 

 宿儺が両腕を広げる。

 まるで、眼下の全てが自らの獲物であると言わんばかりに。

 

「素晴らしい、塵殺だ」

 

 呵々と嗤う宿儺。何とかして、この化け物を止めなければ。

 伏黒が宿儺へと構えを取ろうとした、その直後。

 

 

 

「お前、何者だ」

 

 

 

 伏黒は当初、それを呪いだと認識できなかった。

 それほどまでに人と酷似していた。その姿形も、理路整然とした言葉も。だがあまりに濃い気配が、伏黒の脳に警鐘を鳴らし続けていた。

 

 宿儺は闖入者の存在に露骨に顔をしかめた。

 

「呪霊の肉はつまらん、そう言ったぞ」

 

 まるで蚊でも払うように、宿儺が呪霊へと腕を振るう。

 それだけで、呪霊の立つ学校の屋上の一角が消し飛んだ。ただ呪力を飛ばしたのか、あるいは何かしらの術式を使ったのか、それすら伏黒にははっきりと分からない。

 

 呪霊も、当然粉々に消し飛んだかに思われた。

 

「もう一度問うぞ。お前は何者だ、悠仁様に何をした」

 

 宿儺の背後に呪霊は立っていた。手に持つ黄金色の剣を、宿儺の首へと向けている。

 それはつまり、宿儺の攻撃を避けたということ。

 

 この呪霊も、特級相当の実力があるということではないか。

 

「ケヒッ。少し舐めすぎたな」

「さっさと答えろ」

 

 特級相当が2体、目の前で戦り合っている。これまでの人生にない未曽有の事態に目を眩ませる伏黒とは対照的に、宿儺はあくまで楽し気だ。

 睨む呪霊などどこ吹く風といった様子で、宿儺は呪霊へと下卑た笑みを見せる。

 

「次の一撃を躱せたなら、答えてやろう」

 

 その言葉は、挑発以外の何物でもない。戦の狼煙だ。

 宿儺と呪霊の呪力が、これ以上ないほど高まり。

 

「人の体で何してんだよ、返せ」

 

 宿儺の腕がひとりでに動き、宿儺自身の顎を掴む。

 

「オマエ、なんで動ける?」

「? いや俺の体だし」

 

 困惑する宿儺、当然だ。受肉した以上、この身体の支配権は宿儺にある。受肉とは器の自我を殺し沈めること。多少の拒絶反応はあるかもしれないが、器の意思で肉体を勝手に動かすことなど不可能だ。

 呪霊も今の虎杖の状態を分かりかねているのか、彼に剣を向けたまま口を開いた。

 

「…悠仁様なのですか?」

「おう。学校来て良かったのか、マハト」

「良くはないですが、学校側から異様な呪いの気配を感じたもので」

 

 呪霊と虎杖がまるで友達か何かのように親し気に話し合う。

 伏黒はもう頭がおかしくなりそうだった。虎杖のように振る舞う宿儺の受肉体と、それを親しいように振る舞う呪霊。全てが異常過ぎて、逆に伏黒の今までの常識が間違っていたのかとすら思ってしまう。

 

 だが例え正気ではないとしても、伏黒には呪術師としての役割がある。

 

「動くな、オマエはもう人間じゃない」

「は?」

「………」

「呪術規定に基づき虎杖悠仁、オマエを"呪い"として祓う(ころす)

 

 伏黒の言葉に、あくまで虎杖はとぼけた表情をしている。

 

「いや、なんともねーって」

「悠仁様、この少年は?」

「伏黒、モノホンの呪術師なんだって」

 

 平然としゃべる虎杖、その身体から呪印が消えていく。まるで、特級呪物を完全に抑え込んだかにも見える。自分は無抵抗だといわんばかり両手を上げた彼は、本当に宿儺ではなく虎杖に変わったようにしか思えない。

 だが、その全てが(ブラフ)だとしたら。

 

 伏黒には真意が掴めない。明るく話す虎杖のことも、意味深に笑う呪霊のことも。

 どうすれば───

 

「今、どういう状況?」

 

 伏黒の背後に。

 現代最強の呪術師、五条悟が現着した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや君、ほんとにすごい術式()持ってるね」

 

 五条悟は呪術高専のとある一室で、呪霊──マハトと対峙していた。真っ黒な眼帯をめくった五条は、その青い双眸でマハトを見つめている。

 

「とんでもございません」

「初対面の時みたいに、タメで話してくれてもいいんだよ」

「恐れながら、悟様は悠仁様の師になるのでしょう?」

 

 マハトは椅子に座らされ、両腕を呪符などによって拘束されている。まともに身動きが出来ない状態だ。

 呪術の世界において処刑対象になされる厳重な拘束。それを受けていて、マハトの余裕げな微笑は崩れない。

 

「悠仁のこと考えてる場合じゃないよ。君をどうするか、うちの老人共は最近ずっと議論しているんだから」

「随分とご迷惑をかけているようですね」

 

 マハトはまるで他人事と言った口ぶりだ。

 実際、どうでもいいのだろう。今マハトに科している拘束など彼ならばきっと一瞬で破れる。それだけの実力を持っていると、五条は己の六眼()で見て確信した。目立たぬよう呪力量を抑えているようだが、彼に誤魔化すことは出来ない。

 

 マハトが拘束を受け入れているのは、彼自身の意思に他ならない。

 

「…改めて、君がなんで悠仁に憑いていたか教えてくれるかい」

 

 五条の問いに、マハトはよどみなく口を開いた。

 

「私は昔から争いの類が嫌いでして、人類との共存の道を探してきました」

 

 五条が宿儺の受肉した現場に着いた際、マハトは無抵抗で高専まで連行された。マハトの思考能力ならば、それがどういう意味か分からない訳がないにも関わらずである。

 

「私が悠仁様と過ごしていたのもその一環です。共に彼と過ごし人間の感情を理解することで、人類との共存の道しるべとしたいと考えていました」

 

 マハトの考えは読めない。

 そもそもここまで高度な知能を持つ呪霊が稀なのだ。それがこのような綺麗事を宣うなど、ある意味で宿儺の器以上の前代未聞の事態と言っていい。

 

「っぱいまいち信用できないな。所詮は呪いの戯言だし」

「呪いの戯言、言い得て妙ですね。ですが私は嘘は言っておりません」

 

 五条の明らかな煽りにも、マハトは動じた様子はない。だが、ここまで冷静なことが逆に怪しくも感じられる。

 

 五条は、事前に虎杖からマハトについての話を聞いている。

 虎杖からの話は、どれもマハトへの信頼が滲むもの。実際血縁が祖父しかいない虎杖にとって、マハトは紛れもなく義理の兄か父のような存在だったのだろう。話しぶりを聞くだけでも分かる。

 肉親──心の拠り所のいない人間は、呪いが取り入るにはうってつけだということも。

 

「じゃあさ」

 

 五条は嘆息する。本当に、かつてなくややこしい問題だ。

 

「共存のためにここで死ねって言ったら、オマエは死んでくれるんだな」

 

 だから、五条は力づくで解決することにした。

 

 上層部、特にマハトを擁護している者たちの魂胆は分かっている。マハトという強大な呪いの力を掌握し、呪術界への影響力を高めたいのだろう。乙骨や虎杖にはあれだけ強硬姿勢を取っていたというのに、マハトが従順な姿勢を見せるだけで良くもここまで態度を変えられるものだ。最も、乙骨と虎杖は抱えているものが文字通りの爆弾であったという面もあるが。

 五条自身も、その意見には一部賛成ではある。今の呪術界に必要なのは、老人たちの圧力に屈しないほどの強い力の波。マハトが真に人類の味方であるならば、彼はその大きな後押しとなるだろう。

 

 だが、もしマハトが人類を欺いているのならば。

 真っ先に犠牲となるのは、他ならぬ高専の生徒たちだ。

 

「…いいのですか? 私の処遇について上の者が協議している真っ最中であると、他ならぬ悟様がおっしゃていましたが」

「僕、最強だからさ。ある程度そういうの無視できるんだよね」

 

 五条悟は、現代最強の術師だ。その気になれば日本国民を皆殺しに出来る力すら彼は有している。その気になればつまらないしがらみなど全て無視して、呪術界で暴君のように振る舞うことすら出来てしまう。

 

 勿論そんなことをしてついてくる人間などいないのだから、五条は原則そんな手を取るつもりはない。

 だがここで見逃すには、マハトという呪霊はあまりに危険過ぎる。

 

「で、どうする。僕と戦う? それともこのまま死ぬ?」

 

 五条が本気であることを理解したのか、マハトの表情が初めて変わった。

 呪いに似つかわしくない、何かを懐かしむような顔。

 

「人類との共存のためならば、私は死をも恐ろしくはない」

「だったら」

 

 五条の言葉を、マハトが遮った。

 

「ですが私が死ねば、悠仁様がきっと悲しむでしょうね」

 

 その言葉に、その声音に、一体どんな感情が宿っているのか。五条には分からない。どこまでいっても所詮は呪いの戯言だ。

 けれど。

 

「気が変わった」

「?」

 

 マハトは、少なくとも言葉の上では死の瀬戸際まで他者を慮っていた。

 

「マハト、上に君の祓除の延期を提言するよ」

「それは…」

「勘違いするなよ、あくまで延期だ。僕の生徒に何かあれば、真っ先にオマエを祓いに行く」

 

 マハトが真に人類との共存を願っている。

 五条はその僅かな可能性に賭けただけだ。

 

「じゃあね。次はこのかび臭い部屋の外で、君に会えることを願っているよ」

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