逃げた先に楽園なんてない。
そんなこと、分かってたはずなのに。
それでも………夢を見たかった。
希望はあるんだ、って……私も、信じてみたかった。
でも……もしかしたら、それ自体が夢だったのかもしれない。
雨が体温を奪っていく。
窮屈なガスマスクのせいで、上手く呼吸できない。
身体が、鉛のように重い。
それでも………私は、帰ってこれた。
「おかえりなさい、マイア」
私は、この声を知っている。
どんな時だって、私を助けてくれた…………
私を導いてくれていた……………
「せ、んぱい…………」
身体の先から力が抜けていく。
ぴちゃん、と水が跳ねる音。
それと同時に、私は暗闇の中へ落ちていく。
視界が闇に染まる直前。
最後に見えたのは………………
「今はただ、ゆっくり休んでください」
やっぱり変わらない、『スバル先輩』の顔だった。
◆
まず、見知らぬ天井を見た。
木目が黒ずんでいない。
埃や蜘蛛の巣もない。
綺麗な木の板が、びっしりと並んでいる。
見知らぬ天井だった。
見慣れた天井には、常に小さな穴が空いていたから。
次に、もう寒くない事に気づいた。
空気が暖かい。
雨漏りも、隙間風もない。
雨に濡れていた服は、いつの間にか、見慣れない……真っ白で、泥汚れ一つない、真っ新な、お洋服になっていた。
何が起こってるんだろう……?
だからじゃないけど………
私はボーッとしてしまう。
もう、早起きしなくていいから。
もう、寝起きの頭に弾丸が撃ち込まれないから。
もう、曖昧なまま朝を過ごしても、大丈夫になった。
ちょっと目が覚めてきた。
ふと、また一つ気がついた。
背中とお尻が痛くない。
肩も腰も痛くない。
こうやってボーッとしても痛くない。
いつもなら痛くなる。
ずっと同じ体勢だったら痛くなるのに。
私の下が、ふわふわしている。
いつもの硬い床じゃない。
なんだかおかしいな。
ここは何処なんだろう。
ボーッとしていると、ガチャリって音がして、なんだろうって思って、少し怖くなって、でも反射的に目を向けちゃって、そしたら……………
「っぁ、スバル先輩……!」
「………ふふ、おはようございます、マイア」
スバル先輩が、いた。
いつもみたいに微笑んで。
優しい顔をしながら立っていた。
「っ……ぁあ、せん…ぱぃ、私……わたし……!」
目が覚めてきた。
頭が回ってきた。
私は助けられたんだ。
スバル先輩が助けてくれたんだ。
「ぁぅ」
外の世界に逃げて、うまくいかなくて、また逃げてきた私なんかを。
「はい、私は……『梯スバル』は此処にいますよ」
目の前が滲んで見えない。
耳元で先輩の声がした。
ほんのちょっとだけ苦しい。
なのに、もっと温かい。
「泣いていいんです、もっと泣いても」
先輩の優しい声。
耳元で、くすぐったいけど。
この声が聞きたかった。
こんな声が聞きたかった。
外の世界に、居場所はなかった。
誰もこんな声で話してくれなかった。
どこにも居場所はなかった。
誰も私をギュッとしてくれなかった。
だから消えてしまいたい、とさえ思った。
けど、まだ私をギュッとしてくれる人がいた。
それだけで良かった。
それだけで私は、まだ消えたくないって思えた。
「…………………もう、大丈夫です」
ボヤけた視界がクリアになってきた。
顔のすぐ横に、先輩の横顔がある。
先輩の吐息で耳がくすぐったい。
それが、少し恥ずかしくて、私は強がってしまった。
「私は全然大丈夫じゃないですよ?」
「え!」
「なのでまだもう少しだけ、このままお願いします」
「ぁぅ」
あっ………………
身体がちょっとだけカクカクしてる。
先輩、笑ってる。
イジワルだ。
………………………………………っ…ぁ、
お、お腹鳴っちゃったぁ…………
「……………何か食べますか?」
「……………………………はい」
「ちょっと待っててくださいね」
先輩はイジワルだけど、イジワルじゃない。
お腹鳴っちゃったのに、何も言わなかった。
『ポカポカ』が、どんどん上に来てる。
今の私って、どんな顔してるんだろ………
「はい、どうぞ」
ドアから出てちょっとしてから、スバル先輩が『缶詰』を持って帰ってきた。
缶詰のフタは開いていて、中から湯気が立っている。
「かぼちゃスープです、まだ熱いから気をつけて」
「あ、熱いんですか……?」
「ええ、熱いですよ」
スープなのに、熱いらしい。
珍しい。
普通、缶詰のスープは冷たいのに。
どうやって熱くしたんだろう。
「ふーふー、してあげましょうか?」
「大丈夫です!」
「そうですか、それは残念」
流石に、ふーふーくらい1人で出来る。
でも熱いものを食べるのは久しぶりだから、ちょっと怖い気もする。
だけど、このスープは先輩が用意してくれたから、やっぱり怖くない。
「っ!?………………っ……?」
一瞬、舌がビリッとした。
ビックリして身体が跳ねた気がする。
反射的にスープを強く握っちゃった。
「どうですか?」
「…………しょっぱい、です?」
どうですか?って言われても………
本当に、しょっぱい、としか言えない。
「不味いですか?」
そう言われると困る。
不味いとか、美味しいとか、わからないから。
「わからないです」
そう言うと、先輩は少し考え込んだ。
「では、このスープはもう食べたくないですか?」
「いえ」
「なら美味しいって事です」
…………………確かに。
さすがスバル先輩だ。
先輩は、なんでも知ってる。
◆
スバル先輩は、私が『かぼちゃスープ』を食べている間に、色々とアリウスの現状について教えてくれた。
アリウス分校の皆は現在、とある『会社』の人たちと共に『復興作業』をしているらしい。
発電所?とか、水道?を自治区に作らなきゃいけないから、って。
「でもなんで『外』の世界の人が?」
アリウスには会社なんてなかった。
あそこには……マダムと私たち、マダムに逆らう子、マダムに捨てられた子、くらいしかいなかった。
「それは…………まぁ、そうですね………直接、説明してもらいましょうか」
「え?」
「………食べ終わりましたね、じゃあ私について来て下さい………
「あの、この缶詰は…………」
「とりあえず………ん、そこに置いといて下さい、後ここにサンダルがあるので使ってください」
言われた通りにして、先輩の後をついていく。
この部屋から出て、ながーい廊下を歩く。
でも廊下は綺麗だった。
窓は割れていないし、穴も開いていない。
埃も石もゴミも薬莢も蜘蛛の巣も水溜まりもない。
ガラス片が落ちていない。
いつの間に、こんな…………立派な『お屋敷』が建てられたのだろう。
…………………?
でも、なんだか初めて来た気がしない。
見覚えがあるような気がする。
「さ、ここです」
そう言ってスバル先輩は、おっきな扉を開けた。
すると、中に居たのは、見知らぬ『大人の男の人』と………
「久しぶりね、マイア」
「セ、セ……セイラちゃん!?」
見間違えるはずがない。
金髪のショートカット。
青い眼。
間違いない………赤井セイラ。
私の
身体が弱くて病気になってしまったから、『退学』になって、それから行方不明になっていた、私の大切な友だち…………
「私もいるぞ」
「っ!?………レム先輩…!」
この人…………赤井レム先輩。
セイラちゃんの、お姉ちゃん。
セイラちゃんが退学になった時、マダムに反抗して『修正』され、それでも尚反抗を続けたから、アリウスから『除籍』された一個上の先輩…………
「……皆、生きてた……でも、どうして…?」
「それから先は、僕が説明しよう」
見知らぬ男の人が、立ち上がって、私のところまでやってきた。
背がおっきい。
スバル先輩どころか…レム先輩よりも身長が高くて、がっちりしてる。
「僕の名前は『ハサウェイ・ノア』君たちアリウスの『復興計画』の総責任者だ」
「ぁ……私は、立木マイア、です」
「マイアちゃんだね、よろしく」
男の人……ハサウェイさんは、おっきくてゴツゴツとした手を差し出してきた。
………………どういう事だろう。
なんで、手を差し出してきたんだろう。
「あっ、そう………か……ううん、なんでもない」
「………………?」
「それより事情を話すよ、そこに座って」
ハサウェイさんは、ニッコリしてから、木でできてるのに何故かピカピカしてる椅子を指差した。
その椅子は、ふかふかしていた。
全然固くなくて、少しだけビックリした。
「それじゃあ話すけど……………」
そう言って、ハサウェイさんは『事情』とやらを話してくれた。
ハサウェイさんは、どうやら『キヴォトスの外』からやって来た人らしい。
キヴォトスに来た理由はあんまり覚えていないらしいけど、たぶん、前やってたお仕事?に疲れて、どこか新しい場所に行きたかったから、らしい。
それから、トリニティ自治区で新しいお仕事を探してたハサウェイさんは、たまたまアリウス自治区に出入りしていた子を見つけた。
その子は傷だらけで、服もボロボロだったから、事情を聞こうとしたけど、銃を向けられた挙句に逃げられてしまった。
普通なら……それも、キヴォトスの外から来た人なら尚更、危ない目に合わない為にそのまま放っておくんだけど、ハサウェイさんはその子が凄く気になって、こっそり尾行してアリウス自治区に入った。
そして、アリウス自治区という場所を知った。
ハサウェイさんは、マダムのやり方が許せなかった。
だから、マダムが退学にさせた子とか、マダムに反抗する子を廃墟の奥に匿って、アリウスの外で会社を作って稼いだお金で、皆のご飯とかお水とかを用意してあげていた。
ハサウェイさんはそれから……どうにかしてマダムをやっつけようとしていたんだけど、ある日マダムは、突然
だから、今まで出来なかった………アリウス生徒たちを助ける為に、会社の人と協力してアリウス自治区復興計画を始めた。
…………………なんというか、すごい、話だ。
正直、頭が追いつかない。
でも………………
「ずっと………私たちを……助けてくれてたんだ」
「いいや、それでも僕は、君たちを完全に助ける事ができなかった………本当に、ごめんね………」
「あ、謝らないでください!だって、セイラちゃんもレム先輩も、ハサウェイさんが助けてくれたんですよね?なら……!」
ダメ。
さっきまで散々泣いたのに。
また、泣いちゃう。
「あの女の支配が終わり、外の世界で他の学園に転入した子たちがいる、彼女たちの中には、ようやく新しい場所で新しい幸せを掴んだ子だっているだろう……でも、マイアちゃんみたいに、外の世界に馴染めなくて、また居場所を失った子だっているんだ…だから僕は、このアリウスを君たちの居場所にしてあげたい」
「…………………ぅ…う…」
「僕はアリウスの生徒じゃない、それどころか君たちを助けてあげられなかった『大人』だ……それでも、僕は君たちを……助けても、いいかな」
「今まで、貴女に私の無事を教えてあげられなかったのは謝るわ、マイア……でもね、ハサウェイさんは、ずっとマダムの目から隠れながら私たちを匿ってくれたの……どうか、彼の事を信じてあげて頂戴」
セイラちゃんが、涙目になりながらお願いしてくる。
レム先輩も、珍しくガスマスクを外して真剣な表情で私を見ている。
スバル先輩も……………
「まだ、『大人』は信じられない、って気持ちも……正直あります……」
「!」
「でも、もしもハサウェイさんがいなかったら………もしかしたら………セイラちゃんは『消えてた』かもしれないんですよね………」
「…………………ええ、きっと」
「私、信じてみます」
今もまだ、私は大人が嫌いだ。
怖くて、酷くて、ズルくて、嘘つきで………
みんな、みんな私をイジメてきて。
だけど、目の前の大人の人は………
信じてもいいかな、って思う。
セイラちゃんやレム先輩を助けてくれた。
マダムがいなくなってから、すぐに来てくれた。
何も悪くないのに、謝ってくれた。
そしてなにより…………
ハサウェイさんの、目。
綺麗で、透き通っていて、濁っていない。
真っ直ぐで、ピカピカしている目。
今まで見てきた、どんな大人よりも綺麗な目。
アリウス分校。
私が育った場所。
私が耐えてきた場所。
私が『教え』を受けた場所………
そこが私の居場所になる。
それも、前みたいに痛くて、辛くて、苦しい場所じゃなく、みんなが幸せになれる場所に生まれ変わる。
そうなれるなら、私は……………
もう一度。
もう一度だけ……………
赤井セイラ、赤井レムは、ただのモブ姉妹です。
セイラはアリウス生徒の中では最弱レベルですが、レムは平均以上スクワッド未満くらいの強さです。
レムは3倍のスピードで動く事はできませんが、大体いつもガスマスクかグラサンをしてます。