『ハウンゼン号』というクルーズ船を貸し切るのに、一体どれほどの金が必要になるのだろうか。
僕には想像もできない。
しかし、僕の隣に座る少女………『桐藤ナギサ』からすれば、途方もない金の浪費さえも、現実的な感覚として捉えられるのかもしれない。
良い銘柄で淹れられた紅茶の芳醇な香りが、僕を思索させる。
だけど、僕は人前で何かを飲む事ができない。
申し訳ないけど、そういう
折角の紅茶が冷めてしまうのがもったいないのは分かるんだがね。
僕たちは今、ハウンゼン号のレストランの中にいる。
目の前には、連邦捜査部『
そして、僕の隣にはトリニティの代表である…………『桐藤ナギサ』が座っている。
これは『先生』が設けた『会談』だ。
これからのアリウスについての話し合い。
僕には、それに参加できる権利がある。
やはり、アリウス復興計画を行う前に、桐藤ナギサに話を通しておいて正解だった。
連邦捜査部『
ならば、いずれこうなる事は分かっていた。
予想よりも遅かったが……………
まぁ彼にも色々と事情があったのだろう。
全ての生徒たちの味方、だというのなら。
アリウス以外の『哀しい世界』の為に、彼は戦っていたに違いない。
この『会談』の主導権は『先生』が握っていた。
桐藤ナギサでは話が拗れると判断したのだろう。
その判断は正しいと思う。
彼女は聡明で、理知的で、理性的なのは確かだが……どこか『お嬢様』というか、上の人間特有の無意識な『傲慢さ』が透けて見えてしまう。
人の心理に対して鋭い感覚のある人間か、或いは徹底してマシンのように合理的で論理的な人間ならば、彼女の深層心理にある『お嬢様』に気付けてしまう。
だってそうだろう?
彼女は今、アリウススクワッドに対して頭を下げた。
アリウスである彼女たちは、確かに『テロ』を起こした加害者だし、トリニティは被害者だ。
だが、より2校の因縁を遡るならば、トリニティは元々アリウスを迫害していた加害者だ。
敗者となったアリウスの子らは、貧困という環境の中で生きてきたのだから、こうしてレストランの中で豪華なフルコースを食べさせられ、高級な紅茶を差し出してくる相手に頭を下げられても、中々素直に認められないだろう。
物凄く意地の悪い、穿った考えをするのなら………
『貧乏人には食べられない高級料理と紅茶をやって、更に頭まで下げてやったのだから、今まで貴女たちにしてきた迫害は全て水に流せ。ついでにテロも許してやるから』
貧困という環境と、兵士として心を捻じ曲げられてきた少女たちの中には、こういう捉え方を無意識にしてしまう子がいても可笑しくはない。
勿論、
それだけは決してない。
彼女の行いが間違いであっていい筈がない。
現にアリウススクワッドの1人である『槌永ヒヨリ』は舌鼓を打って感動している。
贖罪だけでなく、互いの親睦を深める為に美食を振る舞うという手段が、彼女の完全なる『善意』から来るものなのは明白だからだ。
人々は時に、互いに分かり合えるのは知っている。
だが今の僕のように捻くれて穿った考えをして、目の前の善意に疑いや反感を覚える子は、特にアリウスの子なら必ずいるだろう。
それらの元凶は全て『あの女』のせいであって、そんな考えをしてしまう子たちの責任ではない。
全ては『大人』の都合で踊らされたせいだ。
だが、そうした『歪み』は必ず後々の火種になる。
ならばやはり必要なのは、因縁を根本から破壊するという事。
例え、その方法が『偽り』を用いたものであっても…
「既に学生寮と校舎の復旧は済んでいます、ですよねハサウェイ様?」
「……………………あぁ、そうだよ」
「……?」
思索が断ち切られた。
話に集中しなくては。
「君たちからすれば僕は唐突に現れた『大人』だ、何か裏があると疑われるのは当然だし、すぐに信用して欲しいとも思わないさ」
「…………………先生は、どう思う?」
| "彼は信頼できる人だよ" |
|---|
「!」
| "前に私たちを助けてくれたんだ" |
|---|
「あぁ、アビドスに物資を融通した件かい?でもそれ以外では大して力にはなれなかったと思うけど…」
確かまだ連邦捜査部『
あの時には、我が社は既に『アマラカマラ商会』とも業務提携していて物資も潤沢に融通できたし、そもそも連邦生徒会は貧乏じゃないから別に僕たちに頼らなくてもアビドスを支援できただろうに…………
正直あの程度では恩は売れないと思っていたけど……
『先生』は、やはり義理堅い人らしい。
好感が持てる人だ。
「過去の因縁がある以上、トリニティの者が復興計画に一枚噛むのは反感を買ってしまうでしょう…ですがハサウェイ様は反マダム派を匿っていたのですから、我々が介入するよりもスムーズに事が進むかと」
「………………………どう思いますかサオリ姉さん」
アリウススクワッドのリーダーである錠前サオリは、目を閉じて思案している。
僕は
アリウスから脱走した子の中には、彼女に指導されていた子もいた。
彼女たち曰く……サオリは教官らしく厳格で冷血、という話を聞いていたのだが……
こうしてアリウスの為に必死に考えている姿を見れば、とても冷血な人間だとは思えない。
サオリは『先生』と出会って、良い方向に成長したのだろう。
今のキヴォトスには、直接的で物質的な支援だけでなく、心に寄り添い精神的成長を与え導く者が必要だ。
だが僕には……きっとできない。
しかし『先生』がいるなら…………
「『先生』が信頼できる人と言ったのなら…それは、本当だと思う」
| "良かった……そう言ってくれて嬉しいよ" |
|---|
…………なんで先生の方が嬉しそうなんだ?
普通、僕の方が喜ぶべきだと思うけど。
「そしてさっき言っていた……アリウスの生徒たちに『試験』を受けさせてあげたいという話も、勿論応援させてもらうよ………僕たちでは彼女たちの生活を支える事はできても、導ける事はできないからね……」
| "でも貴方がいたから、復興は進んだ" |
|---|
「先生の言う通りですよハサウェイ様……あまりそうご自身を卑下なさらなくても…………」
「……………………えへ、なんか親近感湧いてきました」
……もしかして僕って、そんなに暗く見えるのか?
随分と大袈裟に捉えられてる気がする。
後ヒヨリちゃん、聞こえてるよ……………
◆
人々は時に複数の『記号』を使い分けるものです。
しかし貴方はそうではなく、この社会の中で普遍的に偏在する
これは非常に興味深い。
そのテクストは破滅的で悲劇的な文脈を内包していますが、貴方の中にはそれだけでなく『救世主』としての記号も持ち合わせています。
これらの相反する複数の記号を持ち合わせた場合、貴方の内的世界にて葛藤やジレンマが発生し、自己定義に『揺らぎ』が発生します。
もし貴方が愚者であれば、その揺らぎに気付く事なく自らの『記号』が単一のものであると錯覚してしまうのですが、どうやらそうではない。
その上で互いに反発し合う複数の『記号』を併せ持ち、内的世界に葛藤やジレンマを抱え続ける貴方は、著名な哲学者の言葉を借りるのであれば………それは
……………いいえ?これは皮肉ではありません。
少なくとも私は、『真実』であるが故に『悲劇』が齎されるという、今となってはある意味で陳腐になってしまったテクストよりも………
『偽証』によって『和平』を成立させようとする試みの方が、よほど文学的であると思います。
逆説的なアプローチを成立させるにはそれなりに深い洞察と思案が必要ですから。
貴方がこれから描く『未来』が、観測するに値するものだというのは、私が保証しましょう。
人々が持つ哀切…………フラストレーションの高まりと呼応する内乱の意思を切除する試み。
憎悪と報復の連鎖を終わらせ、世界の
勧善懲悪とピカレスクロマンが融合した『勧悪懲悪』
一見『先生』と共通していながら、しかし致命的に食い違った思想と信念。
非常に興味深い。
…………此度は有意義な議論ができました。
では『取引』は成立という事で。
また会いましょう、ハサウェイ・ノア…………
いや、『マフティー・ナビーユ・エリン』。