ブラック・ブレット【蓮の花と一つの歌】   作:唯尊

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第一話 再会

 

 春先。

 

 ごく一般的な一軒家から、女子高生・星乃一歌は登校準備を整える。

 

「行ってきます…」

 

 覇気のない声で挨拶をすると、そのまま外出する。今日は自分が中学の頃から籍を置く宮益坂女子学園にて、高等部の入学式が行われる。

 

 終戦から10年---------ガストレアに敗北した人類は復興を遂げ、文明の針を2020年代前半まで回復させていた。

 

 東京---------厳密に言えば、東京都から東京エリア四十三区制に改称され、その一角であり、若者が集まり音楽などのサブカルチャーが盛んな街、シブヤ。

 

 戦前の頃から世界的に有名だったスクランブル交差点の前で、一歌は小さく溜息を吐く。

 

 ガストレアが忌避する黒い金属、『バラニウム』を用いて建造された巨大な壁、『モノリス』による磁場結界を構築し、関東平野------元東京都、元神奈川県、元千葉県、元埼玉県の一部にまたがって取り囲んでいる小さな箱庭で、人類は生活圏を維持している。

 

 縦に1.618キロメートル、横に1キロメートルもある長方形のモノリス群の威容がここからでも一望できる。

 

 両親は再就職を果たし、家庭の経済状況は安定している。『お嬢様学校』と呼ばれる宮女にて、なんとなく無難な人生を過ごしてきた。特にやりたい事も見つからない。何をすればいいのかも分からないまま、一歌は青信号になった交差点の横断歩道を進む。

 

「……みんなに、会いたいな…」

 

ポツリと小さく呟く。

 

 しかし、それはもう不可能だと、叶わない望みだと思い知らされている。

 

 ガストレア戦争後、日本の人口は十分の一以下まで減少し、死者・行方不明者の多くは異形の怪物と化し、現在もモノリスの外を彷徨っている。

 

 小さい頃からずっと一緒だった3人の幼馴染も、統計上は死亡扱いになっており、その事を両親から告げられた瞬間、一歌の時間は止まった。信じられなった、『そんな筈ない!きっとどこかで生きてるッ!」、そう言って家を飛び出し、荒廃したシブヤの街を駆け回った。あちこちで死体の回収作業と葬儀が行われ、泣いて遺体に縋り付く人々を見ながら、息が切れるまで走り続け、やがて小さな丘の辺りで足を止めた。

 

 そこから見た景色は、幼き自分の心に対し、残酷な現実を刻みつけた。

 

 自分が過ごしてきたシブヤの街が、瓦礫の山と化していたからだ。建物の大半が破壊され、舗装された道路には大きな亀裂がそこかしこに見えた。両親と買い物にいったデパート、幼馴染達と一緒に夜空を駆ける獅子座流星群を見た公園、初音ミクのMVを映していた巨大スクリーン………何も残っていない。

 

 あの時に感じた絶望は、やり場のない自分の想いを、煙のように霧散させた。希望なんてどこにもない。もう全てが、ガストレアに奪い尽くされた後だった----------。

 

 過去を振り返った所で、どうにもならない。

 

 そうと分かっていながら、今もどこかで、彼女達との再会を望んでいる自分がいる。

 

 曇天を思わせる暗い顔で、視線を下に向けながら歩く。

 

「------おや?一歌じゃないか!」

 

 聞きなれた大声が聞こえて目線を上げると、毛先にかけて燈色のグラデーションがかかった金髪が特徴的な少年がいた。

 

「おはようございます。司さん…」

 

「うむ!おはよう!!」

 

一歌の幼馴染である天馬咲希の実兄、天馬司。昔から声が大きく、容姿端麗な割に奇抜な言動と行動が目立つせいで、周囲からは『変人』と呼ばれている。

 

「今日も朝から元気ですね…」

 

「勿論だ!スターたるもの、常に元気は欠かせな------」

 

そこまで言って、司は一歌の異変に気づく。

 

「…どうした?なんだか落ち込んでるようだが……」

 

「あ、いえ!別になんでも…」

 

慌てて否定するが、司はますます怪訝な表情になる。

 

「何でもなくはないだろう。俺でよければ悩みくらい聞くぞ!」

 

屈託ない笑顔でドンッと自身の胸を叩く司。

 

「………咲希達の事を思い出していて……あれからもう、10年ですから…」

 

「あぁ……そうだな…」

 

咲希の事で苦しんでのは、兄である司も同じだ。それを口にしていい物か一瞬迷ったが、己の中にある孤独と寂しさを吐き出したかったのか、つい彼の厚意に甘えてしまった。

 

 案の定、司も少し苦しそうな表情を見せるが、すぐさまブンブンッと頭を振ると、あえて溌剌とした笑顔を作る。それでもかなり無理した様子だった。

 

「…大丈夫だ。咲希の事は、俺もずっと辛いままだが………俺は咲希の分まで、頑張ると決めたんだ!必ず世界に誇れるスターになってみせるッ!」

 

神山高校の制服を着たやや小柄な少年は、『スター』を自称するだけあって、人前で悲しい顔を見せたりする事は少ない。

 

「司さんは、これからの目標がしっかり定まってるんですね…」

 

「一歌は違うのか?」

 

「はい……私一人だと、何をすればいいのか分からなくて…」

 

「…そうか」

 

司は何と言葉をかけるべきか、考える間を取るが、かけがえのない存在を一気に3人全てを失ったのだ。軽はずみな事も言えず、最終的な結論は、やはり一つしかなかった。

 

「------よし!一歌が新しい目標を見つけるまで、俺がショーで一歌を励まし続ける。だから心配するな!なにせ俺は、天翔けるペガサスと書き、天馬!世界を司ると書き、司!その名も------天馬司なのだからッ!」

 

 公共の場のど真ん中で、堂々と恥ずかし気もなく叫ばれる。周囲から奇異の視線が突き刺さり、一歌は居た堪れない気持ちになる。

 

「アハハ……ありがとうございます。司さん」

 

取り敢えず気持ちだけ受け取っておく事にした。

 

 

 

 

司と別れ、入学式を終えた一歌は自身に割り振られたクラスである1-Cに向かう。

 

 担任からの挨拶と軽い自己紹介を済ませた後、クラス委員の担当を決める。自分は学級委員となった。

 

 その後はすぐに解散となり、一歌は登校時と同じ道を引き返す。ふと、アップテンポなメロディーとともに透き通った女性の歌声が聞こえる。

 

 見上げれば、スクランブル交差点前の巨大スクリーンから初音ミクのMVが流されていた。戦時中に受けた損傷は、修復によりすっかり消えており、電子の歌姫は今日も歌を届けている。

 

「すごいな、ミクは。………どんな風にでも、なれて」

 

巨大ビジョンに浮かぶバーチャルシンガー、初音ミクを見て一歌は呟く。と、そんな時------。

 

「------いいッ!?里見くん!本ッ当にこれが最後のチャンスだからね!?この依頼までパーにしたら、事務所でお尻蹴り回すからッ!」

 

なんだか物騒な声が聞こえてくる。見れば、自分から見て対面に位置する交差点の端に、黒っぽい美人がいた。同性の自分でも思わず見惚れてしまうほどの美貌を誇っており、背中まで伸ばした真っ黒いストレートヘアと、美和女学院の黒いセーラー服がこれでもかと言うほどマッチしている。

 

「はぁッ?まだ家ですってぇ!?…電車やバスじゃ間に合わないわよ!タクシー使いなさい!……何が『金がない』よ!だったら自転車使って走りなさいッ、足が千切れてもこぎ続けなさいッ!!」

 

どうやら電話で誰かと通話しているらしいが、怒鳴り声が大きく、10メートル以上離れたこの場所からでも余裕で聞こえる。しかも口から飛び出す単語の全てが、ブラック企業を経営する高慢社長のそれである。人権無視上等、最低限のモラルも常識もない我儘っぷりに、一歌は思わず残念な気持ちになった。

 

 東京エリアの国家元首も通う真のお嬢様学校である美和女学院だが、通ってる生徒って皆んなあんな感じなんだろうか?

 

------なんか気位ばかり高くて、自活能力とか無さそう…。

 

 そんな失礼な事をおくびにも出さず、一歌は静かにその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後------夕刻、勾田町。

 

 下校中にコンビニに寄り、焼きそばパンを購入して公園のベンチで食べ終えると、再び歩き出す。時間が余っていたので、なんとなくその辺をフラフラして時間を潰していると、いつの間にか夕日が辺りを照らしていた。人気のない住宅街を一人で通っていると、不意に隣を見てしまう。こうして一人で歩いてる時、一緒に帰っていた幼馴染である3人が居ない事を改めて痛感する。

 

 もう、自分しか残っていない………咲希も、穂波も、志歩も----------きっと皆んな、死んじゃってるんだ。

 

 唇を噛み締め、自分は完全に独りぼっちなんだと自覚する。もう、彼女達には会えない。一緒に遊びに行く事も、勉強する事も、ケンカして仲直りする事も------そんな時は、永遠に訪れない。

 

「…また、4人でバンドとかやりたかったな…」

 

あれから既に10年だ。いい加減見切りをつけるべきだと、頭では理解している。もう自分は高校生なのだ、そろそろ大切な人達の死を、受け入れてもおかしくない歳頃だ。

 

「……でも、私は……」

 

どうしても、嫌だった。

 

 自分まだ、幼馴染達との再会を諦め切れなかった。まだ彼女達とやりたい事が、語り合いたい事が沢山あるッ!だから------。

 

「皆んなと、一緒に……居たいよッ……!」

 

 気付いたら、嗚咽を堪えて泣いていた。誰かに見せたくはなかったが、それでも溢れ出る涙は止まらなかった。

 

 必死に涙を止めようとする中、10年前、あの時の少年の言葉と眼を思い出す。

 

 彼は---------両親の死を信じようとせず、最後まで諦めないと誓っていた。彼の瞳が、それを紛れもない真意であると語っていたのだ。

 

 今も、あの少年はどこかで生きてるのだろうか?まだ---------両親の事を諦めていないのだろうか。

 

 もし彼が今の自分と同じ立場にいたら、こういう時、どうするのだろうか?もし彼がこの場に居たら、彼は何と言うのだろうか……。

 

『もう諦めろ、全て忘れるんだ』とでも言われるのだろうか?それとも------。

 

 あの日、燃える空の下で聞いた名前を、一日たりとも忘れた事はない。

 

「君なら……『諦めるな』って言うのかな?れん-------」

 

 

 

「蓮・太・郎・の・薄・情・者・めぇぇぇッ」

 

 

その時、大声でがなる声が聞こえて、一歌ははっとする。正面から長い鍵を引いて、1人の少女がこちらに歩いてくるのが見えた。歳の頃は10歳前後だろうか。裏地にチェック柄が刻まれたおしゃれなコートにミニスカート、底の厚い編み上げ靴を履いており、小刻みに左右に揺れるツインテールは、少し大きめの髪留めで結ばれていた。

 

 すれ違いざま「おのれぇ、『ふぃあんせ』の妾を、よもや捨てていくとは……」と、なんだか物騒な声でズカズカと歩を進めている。

 

 誰かに置いてけぼりをくらったらしいが、一歌の存在に気づかずにそのまま通り過ぎていく。この近所の人間だろうかと思い、後ろから見送った。

 

少女が1ブロックを過ぎた所で、一歌は別の道に入ろうとした。その時------。

 

「お嬢ちゃん、ちょっと道を聞きたいんだけど」

 

不審者丸出しのあんまりな男性の声に、一歌は驚く。顔を向けると、どうやら先程通りかかったツインテールの少女に向けられた言葉らしく、案の定顔を上げた少女が飛び退くようにして後ろに下がったのが見えた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ、怪しい者じゃない。俺は岡島純明、多分この近くに住んでいるけど、帰り道がわからないんだ」

 

一歌の視線からは、壁の角が死角になって少女と話す人物が見えない。まさか犯罪だろうか、と心配になり、ツインテールの少女に向かって近づく。少女はまんじりともせず対話相手を見つめている。やがて、少女はなにか悟ったのか、困惑したような顔をした。

 

「お主、自分がどうなっているのかわかっていないのか?」

 

「なんだって?」

 

「妾にはどうしてやることもできない。勿論世界中の誰にもだ。その………だな、最後に何か言い残す事は無いのか。家族とか友人とか、誰かいるのだろう?」

 

「……一体、なにを言ってるんだ」

 

「こういうこと、別に妾だって言いたくて言っているわけではない。だが、本人への告知は義務だから守れって蓮太郎に言われているからちゃんと言っているのだ」

 

 聞こえてくる会話が噛み合っていない。妾?お主?

 

「………やっぱりお主は気付いていないのだな。じゃあ自分の姿を見てみるといい。ただし、パニックに陥らないようにゆっくり見るのだぞ。そうしたら妾の言ったことがわかる」

 

少女から発せられる不思議な諦め、その雰囲気に気圧されるようにして、一歌は壁の角を覗き込む。

 

「……え…?」

 

思わず、間の抜けた声が漏れ出た。

 

 40代半ばの男の腹部が真っ赤に染まっている。いや、腹部だけじゃない肩口や喉にまで引き裂かれたような大きな傷があり、今現在も鮮血を流し続けていた。男が立っている舗装路の上には、滴った血が水溜まりほどの大きさになっている。

 

「なんだ、これは……」

 

 一歌が驚愕と衝撃で固まっている間、男は恐る恐る腹部に手で触れると、直後にその場に倒れ込んだ。

 

「思い……だした。そうだ、俺は無一文になって、それで……俺は、あのガストレアに殺されかけて必死で逃げて、ここまで来たんだ」

 

「感染源ガストレアに体液を送り込まれたな」

 

  少女は感情を抑えた声で語りかける。

 

 男は自分の肩口についた2本の牙の痕を見た。

 

「ああ」

 

 諦めのような声が漏れる。それを聞いた一歌は男の身に何が起きたのかを理解した。戦時中、何回も見たテレビの内容を思い出す。実験用のラットは、ガストレアウイルスを投与されて、数分後に凄まじい異形の姿になって産声を上げ、視聴者の度肝を抜いた。

 

------この人は、もう……。

 

 一歌はこれから起きる悍ましい現象を……生命の在り方が根底から変貌する様を目の当たりにすると察し、戦慄して生唾を呑んだ。

 

 気付けば、男から彭湃と涙があふれていた。

 

「じゃあ君は、民警の……?」

 

「うん、妾は『イニシエーター』藍原延珠という。10歳に上がったぞ。もう立派な淑女(レディー)だ」

 

 角から覗いていた一歌は驚愕する。

 

「…イニシエーター……あの子が…!?」

 

思わず声に出してしまい、慌てて口元を手で抑える。幸い、向こうに聞こえた様子はない。

 

「……頼みたいことがある。妻と子供に、謝っておいてくれないか------いままで、ゴメンって」

 

「……承った」

 

それが男の------岡島純明の見ていた世界の最後だった。

 

 彼はあっさりとヒトの形を留めていられる臨界点を突破した。

 

 彼の手足が常識では考えられない速度でしぼんだかと思うと、体を突き破るようにして真っ黒な細長い脚が飛び出す。

 毛が生えた8本の長い脚、遅れて頭部の部分から四対の真っ赤に光る単眼が現れた。腹部は鞠のように大きく膨らみ、口角からは濡れ光る2本の牙が生えていた。黄色と黒のまだら模様の体色は、人間に生理的嫌悪を与えて止まない。それは巨大なクモである。

 

「ヒッ…!」

 

 一歌はしばし恐怖で動けず、呼吸すら忘れていたが、すぐにはっとして延珠と名乗った少女の方を見る。彼女は逃げ出すでも悲鳴をあげるでもなく、ただ静かに構えていた。

 

 このままじゃ…!と思った直後、身体が無意識のうちに行動に入っていた。

 

「危ない!早く逃げ------」

 

 

 

 

 

 

「ガストレア---------モデルスパイダー・ステージⅠを確認。これより交戦に入るッ!」

 

一歌が最後まで言う前に、割り込むような声があさっての方向から聞こえた。

 

 一歌と少女が振り返った瞬間、黒衣の少年が今さっき誕生したばかりのガストレアに拳銃を向けていた。

 

 その顔を見た瞬間、一歌はかつての記憶と結びつき、目を見開く。

 

------あの人は…!

 

「蓮太郎!」

 

「延珠、無事か!」

 

延珠は走り出す。黒衣の少年------蓮太郎も両手を広げ彼女の元に走り寄った。まるで映画のワンシーンのように、別れ別れになっていた二人は暮れなずむ夕陽の中、万感の思いで再会の抱擁を------交わすわけでもなく延珠の放った蹴りが蓮太郎の股間に食い込んだ。

 

「うわッ…」

 

一歌はそれを見て口元を抑える。女性である自分にはよく分からないが、巷で聞く噂によれば、相当痛いらしい。

 

「大丈夫……かな…」

 

耐え難い激痛で蹲る少年が心配になり、思わず他人事みたいな台詞を口にする一歌であった。

 

 

 

 

 

 

「ぐあああああああッ」

 

里見蓮太郎は股間を押さえたまま膝をつき、そのまま額を地面につける。

 

 女性では決して理解し得ない彼岸の激痛にのたうちながらも、蓮太郎は歯を食いしばって顔を上げる。身長145センチの少女、藍原延珠は両手を腰に当てて傲然と蓮太郎を見下ろしていた。

 

「妾を自転車から放り出しておいて、よくもぬけぬけと妾の前に顔を出せたな」

 

「お、怒ってんのかよ?」

 

「当たり前だ」

 

「し、仕方ねぇだろ。この仕事取れなかったら木更さんに尻を蹴り回されるのは俺なんだぜ?」

 

「妾を捨てていったら妾が蹴り回す」

 

「じゃどーすりゃいいんだよッ!」

 

「大人しく尻を差し出せ、あとはどちらに蹴り回されるかの問題でしかない。蓮太郎が蹴られたい方を選べばいいだろう」

 

「アホッ、んな二択があってたまるか」

 

 その時、再び2人の会話に割り込むように銃声が轟いた。遅れて現場に着いた寸胴中年の刑事・多田島の手には硝煙をあげるリボルバー拳銃が握られている。

 

「おい、お前等、敵を放って漫才か!仕事しろ民警!」

 

生まれ落ちて間もないガストレアの皮膚は、銃弾が当たり、血が吹き出していたが、次の瞬間凄まじい勢いで治癒を始め、最後には多田島の撃った38口径を傷口から吐き出した。ガストレアは多田島のほうに回頭して、シィィと鋭く鳴く。マズい。

 

 蓮太郎は叫ぶよりも早く走って体当たりで多田島の上体を倒す。

 

「うおッ、お前なにしやが------」

 

巨グモが低い姿勢でジャンプし、二人がたったいまいた位置を恐ろしい勢いで擦過していく。多田島の顔が青ざめた。

 

「警部、こいつは単因子・ハエトリグモのガストレアだ」

 

「は、ハエトリグモだと?」

 

「オリジナルは体長の何十倍もの距離を跳躍して餌をとるクモだよ。あの特徴的な体色でわかる。それと------」蓮太郎は多田島のリボルバーを取り上げる。「ガストレアに通常の弾丸は効き目が弱い。撃つと興奮させるだけだから使うんじゃねぇ」

 

「じゃあどうやって倒すっつうんだよ!」

 

その時濃い影が二人を覆い、多田島がひっと短い悲鳴をあげた。

 

 卵が腐ったような匂いが鼻を刺し、蓮太郎は数、背筋に冷たいものを感じながらゆっくり振り返る。そこには8本の足を広げた巨大グモがいた。鋏角と、その先に毒腺のある牙を開閉させ、腹をこちらに向けている。生理的嫌悪を覚える容姿に派手な体色、糸を出す出糸突起がぐちゃぐちゃと耳障りな音を立てる。

 

 はたとなにかに気付いたのか、ガストレアが素早く体を向けたのは小柄の少女だった。

 

 出糸突起を向けるとブルブルと震えたと思うや、突如彼女の体に投げ網のような物体が覆い被さり体勢が崩される。

 

「ぬわっ、な、なんだこれッ、ねばねばするぞ」

 

彼女は腕に力を込めるがその度に粘性のある糸全身を絡め取る。

 

 その時蓮太郎は、クモの糸ではあり得ない緑色にぬら光っているのを見咎めた。これは、被害者の岡島純明宅で見たものと同じものだ。

 

「しゃがめ延珠!」

 

「え?」

 

彼女は咄嗟の指示に反応できない。その華奢な身体が横っ飛びに弾き飛ばされ、地面に激しい擦過痕を残しながら20メートル近く吹き飛ばされる。

 

「延珠ッ!」

 

咄嗟に蓮太郎はスプリングフィールド・アーモリー社製、XD拳銃を構えて引き金を引く。

 

 強烈な発砲炎と共に反動で腕が跳ね上がる。40口径の弾丸が着弾した瞬間、ガストレアは大きく悲鳴をあげて8本の足で胴体を守るようにしながら後退。いつまでたっても傷は再生される気配は無い。

 

 よしいいぞと蓮太郎は思った。続けて発砲。足が一本吹き飛びぐらりと体が傾いたところに浴びせかけるように弾丸を連発。硬い外殻を破り体液がほとばしり、40口径の弾丸が黒い穴を穿つ。

 

 10発は撃っただろうか、拳銃は丁度スライドが後退したままストップして、弾切れを知らせる。遠目にガストレアは体を丸め、ぴくりともしなくなった。

 

 注意深く接近すると、拳銃弾のうち一発が毒腺のある牙ごと顔面の一部を吹き飛ばしている。だがそこで蓮太郎はおや、と思った。命中弾が半分以下しかない上に肝心の急所に弾が当たった形跡がない。

 

 嫌な予感がして唾をごくりと飲む。

 

 刹那、スパイダーが跳ね起きるや毒腺を開いて蓮太郎めがけて突進してくる。

 

 完全な不意打ちに体が咄嗟に反応できない。蓮太郎はやられると身を強張らせる。

 

 あわやという瞬間、すさまじいインパクト音と共にガストレアの体が地面と並行に吹き飛ばされ地面を一度バウンド、横手の石塀を激突破壊し電柱を巻き込み倒壊させ、盛大な粉塵を巻き上げる。一瞬、なにが起きたのか理解が追いつかなかった。

 

「延珠か」

 

先ほどまでガストレアがいた位置には、代わりに延珠が誇らしげな顔で立っていた。

 

「ふん、蓮太郎はすぐ油断するな。見ていられないぞ」

 

多田島は口をぱくぱくさせていた。この細身の少女の飛び蹴りが、いましがたそこにいた60キロはありそうな巨体を吹き飛ばしたという事実が信じられないのだろう。

 

 彼女の外見にはなんら普通の少女と変わるところはない。ただ一つを除いて。

 

 先程は黒かった彼女の瞳が、真っ赤に輝いていた。

 

 ガストレアと同じ、深紅の瞳。

 

 多田島の表情に張り付いた驚愕が徐々に理解へと変わる。

 

「そうか、このガキがイニシエーター」

 

「蓮太郎の相棒、藍原延珠だ。覚えておけ公僕め」

 

ことさら勝ち気な瞳で彼女は告げた。その不遜さは年齢に不相応でありながら、見惚れるほどに美しい。

 

 蓮太郎は、10歳の少女に好き放題言われて不甲斐なさを覚えながらも、予備弾倉を拳銃に叩き込むと油断なく構えたままガストレアに近づく。クモは多脚を揃えて天に伸ばすと、末期の痙攣を残して今度こそ死亡した。

 

 蓮太郎は多田島に向かって素直に頭を下げる。

 

「すまん警部、格下(ステージⅠ)に油断した」

 

「おい、それよりもお前さっき『ガストレアに通常弾は効き目が薄い』とか能書き垂れたばかりじゃないか」

 

  蓮太郎は多田島に向き直る。特に隠しだてすることでもないので蓮太郎は黙って予備弾倉------正確にはそれに装填された弾丸を見せた。

 

 多田島の糸目が、理解と驚きに見開かれる。

 

「そうか、バラニウム弾」

 

蓮太郎は頷いてから、一発取り出して掌で転がせて見せた。黄金色の薬莢------バラニウムブラックの弾頭部分が、夕陽を鈍く反射する。

 

「知っての通り、これはガストレアの傷の再生を阻害する金属、バラニウムで出来ている」

 

同時に、きっとこれがあるから、人類はかろうじて絶滅を免れているのだろうと内心思う。ガストレアは極度にこの金属を嫌い、この金属を敷き詰めた部屋に放り込むと衰弱して死んでしまうらしい。

 

「銃弾にも加工できるんだな」

 

「剣とか槍とかわかりやすい武器にしてる民警の奴等の方が目立つけど、俺のは銃弾なんだ。弾は特殊だが、拳銃は至って普通のもんだよ」

 

ほれ、と言って蓮太郎の使っているXD拳銃を見せると、多田島は顎に手を当て唸った。

 

 不意に、くいくいと制服の袖が引っ張られるので首を巡らせると、延珠がにこにこしながらさかんに自分を指差していた。

 

「わかったわかった。スゲーよお前、よくやった。ついでに助かった。これでいいんだろう?」

 

「妾からも、蓮太郎に言うことがある」

 

延珠が手招きするので、仕方なく蓮太郎はかがみ込んで延珠に目線を合わせる。どうせ、詰めが甘いとか、強くなれとか言うんだろうと思って嘆息したい気分だった。

 

 と、素早くこちらの首に手を回され、不意打ち気味に唇に柔らかい感触が押し付けられる。

 

------な!

 

 体を強張らせていると、延珠はぱっと離れて、両手を後ろ手で組んではにかんだ。

 

「ふふ、ありがとうな蓮太郎。妾のパートナーとしてはまだまだだが、妾が油断したとき単身敵に立ちはだかった蓮太郎は、ちょっとだけ格好良かったぞ」

 

「お、お前……」

 

「なんだ、もっとしたかったのか?蓮太郎にならもっと色んなことをしてもいいのだぞ」

 

 蓮太郎は自分の頬が紅潮するのを感じる。

 

「ア……アホ!冗談でもンなこと言うな。誤解する奴がいたらどうす------」

 

ふと首筋に悪寒を感じて振り返ると、多田島が腰から手錠を抜いてこちらににじり寄ってきていた。

 

「……いい趣味してるな豚野郎」

 

ブワッと脂汗が噴き出してくる。多田島はじっと蓮太郎を睨み上げた。

 

「最近ここらで少女にイタズラする馬鹿がでててな。背格好はお前くらいで、体重はお前くらいなんだが………どう思うよ?」

 

「……ざ、ざけんじゃねぇよ。誤解だッ、冤罪だッ、無罪を主張する!」

 

「話は署で聞こうか」

 

「こ、この野郎!」

 

蓮太郎と多田島は延珠を中心にぐるぐると輪を描くように追いかけっこする。

 

「え、延珠、頼む、お前からもなにか言ってくれ!」

 

延珠はよくぞ聞いてくれたとばかりに胸を反らせる。

 

「とても一言では言い表せない深い中だ」

 

多田島がリボルバーの撃鉄を起こした。

 

 え?なに射殺されんの?

 

「こいつは居候なんだ!」

 

「いつも夜は凄くて妾を寝かせてくれないのだ」

 

「俺は寝相が悪ぃんだよ!」

 

「将来を誓いあった仲だぞ?」

 

「ねぇよ!」

 

多田島はしばらく蓮太郎と延珠を交互に見比べていた。やがて取り出しかけていた手錠をしまった。

 

「チッ。おしゃれなブレスレットを両手に嵌めてやったのになぁ」

 

「か、勘弁しろよ警部。冗談キツいぜ」

 

ふと延珠の背に視線を落とした時、蓮太郎は息を飲んだ。背中の皮が剥けて真っ赤になっている。さきほど奴の体当たりを喰らって地面を擦ったとき出来たものだろう。

 

「痛くないか延珠?」

 

こちらの彼女の勝ち気な瞳がふふんと鼻を鳴らして、揺るぎなくこちらを見返す。

 

「大丈夫だ。じき治る。妾はそれより駄目にされた服の方が腹が立つ。キャミソールの肩紐まで切れたぞ」

 

彼女の言葉を裏打ちするように、それは起こった。皮が剥けた痛々しい色が覗く背中の擦過傷が、目に見えて小さくなっていくのだ。

 

 やがて傷は何事もなかったかのように塞がると、少女特有の体毛の少ない肌色と破れた服だけが残った。

 

 多田島が小さく口を開けているのを横目で見ながら、当然の反応だろうと思った。

 

 通常の人間ならばまず傷にかさぶたがかかって、その下でゆっくりと時間をかけて傷が修復されていくものである。その過程を飛ばして傷が治癒していくということが、彼女が普通の人間ではないことを裏書きしていた。

 

 超人的な回復力。それこそがガストレアウイルスを一定の条件下でコントロールしている少女たち、イニシエーターに与えられる恩恵の一つだ。彼女の持つ規格外の筋力や敏捷性などもその範疇である。そして、力を解放していない現在、彼女の瞳は限りなく黒い。

 

蓮太郎はイニシエーターをサポートする監督役『プロモーター』として彼女に道を示してやらなければならないのだ。

 

「そうだ延珠、お前、形象崩壊を起こす前に被害者と話してたけど、なにか言ってたか?」

 

延珠は神妙な顔で頷いた。

 

「うん、妻と子供によろしく伝えてくれって言ってたな」

 

「……そうか」

 

蓮太郎は時計を見ると背筋を正して多田島に敬礼する。

 

「2031年、4月2日1630、イニシエーター藍原延珠とプロモーター里見蓮太郎。ガストレアを排除しました」

 

「ご苦労民警の諸君」

 

形式的とはいえ、現場の最高責任者として多田島も礼を返した。多田島と目線を交わし合うと、どちらともなく笑みがこぼれた。

 

 そこに、空気を読むことを知らないあどけない声が差し挟まれる。

 

「ぬ、そんな事よりタイムセールの時間はいいのか?」

 

「え?……ああッ」

 

慌ててポケットから今日の折り込みチラシを取り出す。蓮太郎の顔から血の気が引く。

 

「お、おいもう行くのか?」

 

「ああ、また仕事あったら回せよな」

 

多田島はなにやら口をもごもごさせている。

 

「なんだ、その、あれだ。さっきはその、助けてくれて……いやいい。ところでそんなに急いで大事な用なのか?」

 

「モヤシが一袋六円なんだよ!」

 

蓮太郎が走り出すと、その後ろをじゃれつく子犬のように延珠が追いかける。

 

「待て蓮太郎!また妾を置いていくつもりかッ」

 

「さっきのは不可抗力だろッ」

 

「ぬぅぅッ、ひどい奴だ!」

 

このタイムセールに遅れたら、今晩の夕食の献立は消滅する。それだけは避けねばッ、と必死に走る。

 

 目の前の角を一気に曲がると、そこで見知らぬ少女と追突しそうになる。

 

「キャッ…」

 

「うぉッ!悪い、急いで------て……」

 

一言謝ろうと少女の顔を見た瞬間、蓮太郎は驚愕と共に硬直する。

 

 少しはねた長い黒髪とクールな印象の黒い瞳を持つ15歳くらいの少女、宮益坂女子学園の薄いグレーを基調とした色のセーラー服を着ていた。

 

 自分は彼女の事を知っている。10年前----------ガストレアから蓮太郎を守ろうと、自身の10倍以上の大きさの怪物に対し、身体を張って立ち向かったあの時の少女。年齢や容姿こそ成長を見せ、当時よりずっと女らしく綺麗になっていたが、見間違える筈がない。

 

 彼女も自分の事を覚えていたのか、こちらを驚いた表情で見つめていると、やがて少し気恥ずかしそうに口を開く。

 

「ひ、久しぶり……元気だった?」

 

10年ぶりの再会だというのに、やや控えめな挨拶をしてくる。その様子から、彼女の性格がどちらかと言えば内気で謙虚であり、少しシャイな一面を持ち合わせている事が窺えた。

 

「あの……私のこと、覚えてる…かな?」

 

 予想外の出来事にしばし呆然と立ち尽くしていたが、こちらが無言のままでいると、彼女の瞳が不安そうに揺れ、はっとする。

 

「……星乃、一歌…」

 

この名を実際に口にするのは、これが初めてだった。ややぎこちない発音だったが、目の前の少女------星乃一歌は嬉しそうにパァッと表情を綻ばせる。

 

「うん!また会えたね、蓮太郎くん」

 

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