ブラック・ブレット【蓮の花と一つの歌】   作:唯尊

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第二話 天童民間警備会社

 

「死ぬ前に、何か、言い残したい事はある?里見くん」

 

冷ややかな汗が蓮太郎の頬を伝い、そのままあとずさりするが、ほどなくして背が壁に当たる。

 

 物騒な声の主である少女は、口をへの字に曲げ腕組みしながら苛立たしげに靴をカツカツ鳴らす。

 

 予想はしていたが、大変ご立腹のようだ。

 

 蓮太郎の目の前には黒っぽい美人がいた。細雪のような細かく白い肌に好対照して、髪は真っ黒いさらさらのストレートヘア。白い肌が露出しているのは、わずかに顔や首筋と手と、スカートとハイソックスの間から見える腿の部分だけ。他は美和女学院のセーラー服に袖を通しているせいで黒一色で、胸元に結ばれた赤いリボンを除けば、完全に純色の黒と白だけだと言える。吊り上がった切れ長の瞳は鋭く、笑うと可愛いのだが不機嫌そうな顔でむっつりと押し黙っていることが多いので、なんとも勿体ない話だった。

 

 蓮太郎は、気圧されながらも全力で抗弁を試みる----------限りなく小さい声で。

 

「す、過ぎた事はしょうがねぇだろ」

 

「この、お馬鹿ッ!」

 

狭苦しい室内に大喝が響き渡り、鋭いパンチが飛んでくるのを、すんでのところでよけると、少女は噛みつくような表情で蓮太郎を睨む。

 

「なんでかわすのよ腹立たしいわねッ」

 

「無茶苦茶言うなよ!」

 

 蓮太郎が背中を見せて逃走に移ると少女も拳を振り上げながら追っかけてきて、応接セットの周りをぐるぐる逃げ回る。

 

 そんな様子を、少し離れた位置から、星乃一歌は呆然とした表情で見つめていた。

 

-----------一体、どうしてこんな事になったんだろう……。

 

 

ドタバタと駆け回る年長者二人を差し置いて、数十分前の出来事を思い返す----------。

 

 

 

 

相棒のイニシエーター・藍原延珠とともにガストレアを討伐した蓮太郎は、背後から呼び止める声を無視して全速力で駆け走る。現場に自転車を乗り捨ててきてしまったが、そんな事考えてる余裕はない。とにかく必死の思いでコーナーを曲がった瞬間、自分と同年代と思われる少女とぶつかりかけたのだ。

 

「悪い!大丈------」

 

大丈夫か、と言いかけた時。思わず息を呑んだ。

 

 宮益坂女子学園のグレーのセーラー服と、胸元で結んだ赤いスカーフ。少しはねた長い黒髪とクールな印象の黒い瞳、どこか控えめな印象のある少女。

 

 身長こそ伸びているが、顔立ちと雰囲気は過去の記憶に刻まれたものと合致する。

 

「星乃、一歌……」

 

思い出の底から彼女の名前を引っ張り上げると、少女は多少の緊張が混じった笑顔をみせる。

 

「うん!また会えたね、蓮太郎くん」

 

10年前、天童の屋敷を飛び出した先で辿り着いた難民キャンプで、自分と一歌は会っている。

 

 時間にして10分程度。多少の会話を繰り広げただけの関係だったが、眼前に迫ってきたガストレアの前に体を張って自分を守ろうと立ちはだかった時の姿が、今でも鮮明に脳裏に焼きついている。

 

「えっと……、私のこと、覚えてる……かな?」

 

突然の再会に、驚愕のあまり言葉を失っていると、何も言ってこない蓮太郎に不安を覚えたのか、揺れる瞳で尋ねてくる。

 

 正直、彼女が自分の事を覚えているとは、これっぽっちも思っていなかった。終戦後の混迷期を生き延び、偶然あそこで出会っただけの自分の事などとうに忘れて、どこかで平凡な人生でも過ごしているのだろうと、勝手に想像していたのだが……。

 

「あ、あぁ。えっと……10年ぶりだな…?」

 

「う、うん、そっちこそ……元気だった?」

 

「まぁ、ぼちぼちな…」

 

「そ、そっか……」

 

「……………」

 

「……………」

 

 

会話が早々に途切れた。久々にあった親戚の子同士のように、驚く程話題が進まない。

 

 何を言えばいいんだろう、と一歌が迷っていると、唐突にむくれた表情の幼女が、一歌と蓮太郎の間に割って入る。延珠だった。

 

「待て待て蓮太郎!いきなり出てきたこの女はなんだッ、今すぐ説明するがいい!」

 

時代劇に登場するお姫様みたいに尊大な口調で捲し立ててくる。延珠が不満を全身で露わにする中、蓮太郎はなんと説明したものかと頭を悩ませる。

 

「延珠、コイツは星乃一歌。俺の………まぁ、昔の知り合いだ」

 

「むッ、そうなのか?」

 

 延珠の視線が蓮太郎から一歌に移る。

 

「え、えーと……、まぁ、そうなるのかな…?」

 

なんとも曖昧な反応だったが、二人とも他に、互いの関係を説明する言葉が見つからなかった。

 

「う〜〜む…」

 

何やらただならぬ表情で、延珠が一歌を睨んでくる。……より厳密に言えば、一歌の上半身、首から下の胸元を押し上げる柔らかな膨らみを鑑定するかのような眼差しで見ていた。

 

 どう考えても小学校高学年くらいにしか見えない延珠の行動に、一歌が困惑していると、やがて満足した様子の延珠が大仰に頷く。

 

「うむ!木更よりは小さいな。あと5年もすれば妾でも十分に追い抜かせるッ、恐れるに足らない雑魚ではないか」

 

なんかさらりとひどい事を言われた気がする。年下の小学生相手に傷ついていると、蓮太郎が頭髪をボリボリと搔く。

 

「あー……一歌?この生意気でうるさいのは俺のイニシエーターで、相棒の------」

 

「藍原延珠という!覚えておくがいい、よくわからない蓮太郎の知り合いめ」

 

「あ……うん、よろしく…」

 

 矮躯の少女に手を差し出され、そのまま握手に応じてしまう。なんだか随分とおませな子だなぁ……、と思いながら延珠を見ていると、ふと疑問を覚えて蓮太郎に視線を移す。

 

「ねぇ、蓮太郎くん。この子がイニシエーターって事は、君は、その……」

 

「プロモーターだぜ。民警のな」

 

懐から民警の許可証(ライセンス)を取り出すと、一歌の前に翳して見せる。蓮太郎のバストアップされた顔写真が添付され、発行年数と拳銃携帯許可の旨が書かれている。まんじりともせず、一歌は写真の中の蓮太郎を見つめる。

 

「……………なんだよ?」

 

「いや、その………写真写り悪いね、君…」

 

「あぁ?」

 

「あと、なんか顔が不幸っぽい」

 

「うるせぇ」

 

「あれ、昔は一人称『僕』だったよね?いつから変えたの?」

 

「なんだっていいだろそんなの」

 

ぶっきらぼうな態度でライセンスを懐に仕舞うと、表情を真剣なものに変え、一歌と向き合う。

 

「それよりアンタ、なんでこんな所にいる?この辺は警察が封鎖している筈だろ」

 

「え?えっと……」

 

そんな事を言われても、入学式を終えて昼頃に下校しながらフラフラしていたら、いきなりガストレア事件に巻き込まれたのだ。周囲が封鎖されてるだなんて、初耳である。

 

その辺の事情を説明すると、蓮太郎は呆れ返って様子で溜息を吐く。

 

「ガストレア化寸前の感染者の近くで、ウロウロして無事だったとか……アンタ、もう少し気をつけた方がいいぞ?延珠がいなかったら今頃------」

 

今にも説教されそうな空気の中、蓮太郎が何かを思い出したようにハッとする。直後、「ヤッベッ!」と言って一歌の手を取る。

 

「もう時間がねぇ!一緒に来てくれ」

 

「え?えッ?」

 

突然腕を引っ張られ、一歌は訳も分からず困惑する。

 

「スーパーのタイムセールが終わっちまうッ、アンタがいればモヤシがもう一袋手に入るんだよ!」

 

「モ、モヤシ…?」

 

「俺たちにとっちゃ死活問題なんだ!!頼む協力してくれッ」

 

「う、うん…」

 

これを逃したら今晩の食事が消滅する------------そんな蓮太郎宅の事情など露知らず、切羽詰まった様子の蓮太郎に気圧されて、一歌は引っ張られていった。背後から「おのれぇ!妾を差し置いて二人で駆け落ちする気かッ、この裏切り者めぇ!!」と、とてつもない誤解を受けながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして現在、激しい主婦の皆様と激しい争奪戦を繰り広げた末に獲得したタイムセール品とともに、一歌は蓮太郎と延珠が所属する『天童民間警備会社』の事務所にお邪魔する事になったのだが、その先に待ち受けていたのは、仁義なき鉄拳制裁だった。

 

「逃げ足……ばっかり……早いんだから……」

 

ゼェ、ゼェ……と体力のない少女は肩で息をしながら脱力する。

 

「なぁ、木更さん。また次回で頑張ろうぜ?」

 

「バカ言わないで!アレが最後のチャンスだったのよ!」

 

「それと------」と言いながらツカツカと社長机の椅子まで歩いていくと、どっかりと腰を降ろす。

 

「仕事してる時は、社長って呼びなさい!」

 

天童木更。蓮太郎が引き取られた天童家の末の娘であり、天童民間警備会社の社長である。ここに来る途中で蓮太郎からそのような説明を受けたのだが、自分と一つしか離れていない女子高生が経営業を営んでおり、蓮太郎が高校生をやりながらそこに務めている事実に対し、正直驚いてしまった。

 

……なんか怪しい雰囲気が漂うマンションにテナントされていたが。

 

「つまり君は、スーパーのタイムセールに向かっていたら、警察から報酬を受け取っていない事に気付き、慌てて連絡したけど払ってもらえず------」

 

「……あぁ」

 

「それでも、モヤシは三袋買ってきた------と?」

 

「そ、そうだ!お一人様一袋限定だったから、一歌が来てくれたおかげで三袋買えたぜ!」

 

一体自分は何を報告してるんだろうと蓮太郎は思う。

 

「……アンタも食べるか?」

 

ペチンッ------と買ったモヤシの袋が顔面に投げつけられる。

 

「ちょっと里見くん……今月は収入ゼロよ?誰のせいだと思ってるの……、この甲斐性無し、最弱、お馬鹿ッ」

 

「あ、あの……流石に言い過ぎじゃ……」

 

「部外者はすっこんでなさいッ!」

 

「あ、ハイ……」

 

 ピシャリと言い伏せられ、一歌はすごすごと引っ込んでしまう。

 

「それと、君は社長である私の命令よりも、タイムセールの方を優先するの?」

 

「何より------」と椅子を鳴らしながらガタンッと立ち上がる。

 

「どうして私にもタイムセールの事教えてくれなかったのよッ!」

 

直後、ギュルルルルルルと木更の腹が大きく鳴り、力なく社長机の倒れ込む。目は虚だった。

 

「もうダメ……ビフテキ、食べたい」

 

「俺だって食べてぇよ…」

 

「あの……大丈夫ですか?」

 

思わず心配になり、一歌は声をかける。

 

「大丈夫じゃないわよ。会社経営って思ったより大変なのね……。それもこれも、里見くんが甲斐性無しで最弱のお馬鹿さんなせいね」

 

「事務所の立地のせいじゃねぇの?一階はキャバクラ、二階はゲイバー、四階なんて闇金だぜ?」

 

「分かってないわね、本当にいい会社は立地なんて関係ないのよ」

 

そういうもんかね、と蓮太郎は思う。一歌も似たような表情をしていた。

 

「地道にビラやティッシュ配って宣伝しようぜ?」

 

「地味、地味な事10人でやっても10人分の成果しか出ないわ。やるならもっとインパクトが欲しいわね」

 

「そうだ!木更さんがメイド服着てビラ配りすりゃいい」

 

 素材がいいから一人で10人分の視線を集められるぜ、と言ったつもりだったのだが、伝わらなかったのか、木更が噛みつきそうな顔で睨んでくる。

 

「この私に女給のマネをしろって言うの!?私は嫌!里見くんが、『天童民間警備会社ここにあり!』って叫びながら衆人環視の中、突然燃えるか爆発しなさいッ!」

 

「それじゃテロだろ……」

 

蓮太郎が呆れ返っていると、ようやく落ち着いた木更が一歌に視線を向ける。

 

「------で?さっきからそこにいる女は誰なの?まさかここに来る途中でナンパしてきたとかじゃないでしょうね?」

 

木更にジロリと睨まれ、一歌はビクッと身体を震わせる。

 

「ちげぇよッ。コイツはその………昔の知り合いなんだ」

 

「は、初めまして……」

 

先程の暴力的なやり取りを見たせいか、少し怯えた様子で挨拶する一歌である。

 

「昔のって……」

 

「10年前、俺が父さんと母さんの葬儀の最中、屋敷を飛び出した事があったろ?その時に流れ着いた難民キャンプで会ったんだよ」

「…………それだけ?」

 

木更が目をパチクリと瞬かせる。

 

「あぁ、それだけだよ。ただ……」

 

チラリと一歌の方を見る。偶然、彼女と視線がぶつかった。

 

「なんというか………妙に記憶に残ってたんだよ。コイツも偶然、俺の顔を覚えていたから、無性に懐かしくなってな…」

 

 蓮太郎と木更の視線が一歌の方に向けられる。

 

「は、はい。私もまさかあんな所で会うとは……、それに、蓮太郎くんと延珠ちゃんがいなかったら、きっと助からなかっただろうし、お礼もしたくて……。すみません、突然お邪魔して…」

 

 ペコリと頭を下げる一歌に対し、事情を聞いて溜飲の下がった様子の木更が首を横に振る。

 

「いーわよ、そういう事情なら。あと、ごめんなさいね、見苦しい所見せちゃって」

 

「い、いえ…」

 

 顔を引き攣らせながら苦笑する。

 

 なんだろう、交差点で見かけた時も思ったけど、やっぱり残念な美人だなぁ…、とは間違っても口に出せなかった。

 

「なぁ、いい加減新しく人雇おうぜ?せっかくワンフロア丸ごと貸し切ってるんだから、俺と延珠だけじゃ勿体ないだろ」

 

「使えそうな人がいたらね」

 

蓮太郎と木更のやり取りを見て、一歌は視線をキョロキョロと泳がせる。依頼人と対面する為のソファと卓、泊まり込み用のキッチンなどが見られた。

 

「あれ?ここの社員って蓮太郎くんと延珠ちゃんだけなの?」

 

一瞬、失礼かもしれないと思ったが、つい興味が勝ってしまった。

 

「まぁな、おかげでいつも人手不足だ…」

 

「君がもっと働けばいいだけの話でしょ、っていうか働きなさい」

 

「う、持病の癪が…」

 

「働けば治るわよ。それより、お茶を淹れてもらえるかしら?」

 

「自分でやれ」

 

「あら、今日報酬を貰い損ねたのはどこのお馬鹿さんだったかしら?」

 

「チッ、へいへい。分かりましたよお嬢様」

 

舌打ちしながら、渋々といった様子で蓮太郎が急須を手に取り、茶飲みに湯を注ぐ。不幸顔も相まってなんだか召使いに見える。

 

 蓮太郎が淹れた緑茶に木更が口をつけると、「ふぅ…」と一息吐く。

 

「ねぇ、君が倒したのって、感染者だったのよね?」

 

「そうだよ。感染源も同じモデルスパイダーだろうけど、現場では見つからなかった。今頃、他の同業者が始末してんだろ------」

 

「そんな報告はないし、なんなら目撃もされてないわよ」

 

「------なに?」

 

木更が使っていたノートパソコンを蓮太郎に見せる。ガストレアの出現地点と目撃情報を通知する民間のウェブサイトだ。一歌も学校で使い方を習った記憶がある。

 

「これは------」

 

「ないわよね?」

 

「あぁ……けど、おかしいだろ。感染者が出てるのに感染源の目撃情報がないなんて」

 

「ここにあるじゃない」

 

 蓮太郎と木更のやり取りに、一歌は困惑を見せる。

 

「えっと…、それってどういう…」

 

「お前があそこで見た男を、ガストレアに変えた奴がまだエリア内にいるって事だッ」

 

 蓮太郎の切羽詰まった表情に、一歌は事態の深刻さを一瞬で理解し、戦慄する。

 

 それはつまり、このままでは新たな犠牲者が---------人間を捕食する赤目の怪物が増え、東京エリアにパンデミックをもたらす。その結果は、戦前の頃に世界中で見られた屍山血河の再現となる。

 

 一歌の脳内に忌まわしく、そして何よりも恐ろしい記憶が蘇る。住んでいた街が焦土と化し、目の前でガストレアに貪り食われていく人間の悲鳴と断末魔が、今でも耳の奥から離れない。

 

「な、ならすぐに避難しないと!警報は------」

 

「一歌ちゃん、政府は無能ではないけれど、避難とかの強制手段は殆ど取らないから、期待するだけ無駄よ」

 

「そ、そんな…」

 

木更にバッサリと切り捨てられ、一歌は立ち竦んでしまう。

 

「大丈夫だ。そうならない為に、俺たち民警がいるんだから」

 

 蓮太郎の頼もしい一言に、木更が頷く。

 

「そうね、私の方も独自のツテがあるから、そっちで色々調べてみるわ」

 

「専門家の意見が必要だ。帰りに先生の所に寄るよ」

 

 先生…?と一歌は小首を傾げる。

 

「里見くん、残った感染源ガストレアも私達で狩るわよ。可及的速やかに」

 

「あぁ」

 

下手をすれば、自分達の命も生活も、全てを失うというのに、二人は冷静さを欠く事なく、的確に物事の方向性を決めて行動に移す------。普通なら恐怖で取り乱す所なのに、あくまで気丈に、勇敢にガストレアに立ち向かおうとする彼らの姿に、一歌は心の底から感服させられた。

 

 これが民警------ガストレアから世界を守る、人類最後の希望。

 

 天童民間警備会社は、間違いなく人の生命を最優先に考えられる人達だと、一歌は確信する。同時に、自分と同じ高校生でありながら、己の身ひとつで強大な敵に打ち勝とうとする蓮太郎の生き方が、強さが、一歌にとって凄く眩しい物に見えた。

 

----------すごいな、蓮太郎くんは。

 

 私なんかより、ずっと強くて…、と一歌は自嘲気味に小さく笑う。諦めたくても諦められない、かといって他に何かできる訳でもない。いつまでも同じ所から抜け出せない自分が、少し惨めに思えてきた。

 

「そういえば延珠ちゃんは?」

 

「先に帰らせたよ。疲れたからって」

 

「そう、なら私達も今日は帰りましょう。ここにいても他にやる事はないから」

 

 木更は社長椅子から立ち上がると、机の下から学生鞄を取り出す。

 

「帰るなら送ってくぜ?」

 

「ごめんなさい、今日は血液透析の日なの。気持ちだけ受け取っておくわ」

 

「……そうだったか」

 

「え、透析って……あ、いや、なんでもないです」

 

 一歌が疑問を呈そうとして、途中で押し黙る。デリケートな話題に思えたので、失礼に当たるんじゃないだろうか。

 

「あぁ…別に気にしなくていいわよ、そういうの。昔、色々あって腎臓が悪くなっちゃってるだけだから」

 

特段気分を害した様子もなく、木更はにこやかに微笑む。色々と残念な所はあるけれど、根は優しい人なのかもしれない。

 

「あ、そうだわ。せっかくだし連絡先交換しない?」

 

「え?」

 

「ここで会ったのも何かの縁だろうし、貴女って素直でいい子そうだから。里見くんだけに独占させるなんて勿体ないもの」

 

「はぁ…」

 

断わるのも悪い気がしたので、その場の流れでスマホを取り出し、連絡先を交換してしまう。

 

「ふふ、美和女と宮女。お嬢様同士で友達になっちゃったわね♪」

 

「そんな、お嬢様だなんて…」

 

 遠慮気味で謙虚な一歌に対し、どこか嬉しそうな様子の木更である。美和女での木更の交友関係は知らないが、お世辞にも友達が多いとは言えない(少なくとも蓮太郎は会った事はおろか、聞いた事もない)彼女にとって、可愛い後輩ができた------みたいな感じのノリなのだろう。

 

 蓮太郎がそんな事を考えながら見ていると、交換を終えた一歌がおずおずと進み出てくる。

 

「えっと……蓮太郎くんとも、いいかな?」

 

「え?あぁ……ま、いいけど」

 

断わる理由がないので、先程と同じ方法で一歌と連絡先を交換した。片手でスマホを操作しながら、連絡先リストの中で殆ど使う機会がない【友達】欄に一歌の名前と番号を入れる。ふと視線を感じると、木更がむっつりとした表情でこちらを見ていた。

 

「……なんだよ?」

 

「別に?友達のいない里見くんが、私以外で女子高生の連絡先をゲットするなんて……何かの不吉な兆候だわ。明日世界が滅びなきゃいいんだけど…」

 

「なんで俺が女子高生の連絡先を手に入れたら世界が滅ぶんだよッ!」

 

「フフ…」

 

あまりにも理不尽な物言いに蓮太郎が噛み付く。どこか微笑ましい一幕を見て、一歌は思わず笑みを零し、木更がそれに連れて笑う。

 

「それにしても、早いものよね。君と延珠ちゃんがペアを組んでから、もう一年になるだなんて…」

 

木更が事務所内をぐるりと眺め渡しながら、懐かしそうな表情で呟く。

 

「まだ一年だ。俺もアンタも、まだ目的の半ばに過ぎない」

 

「目的……」

 

 二人の言葉に対し、一歌が反応する。

 

「なんだ?」

 

「----------ねぇ、君の今の目的って……なに?」

 

「は………?」

 

直後、蓮太郎の表情が一瞬で強張る。

 

「あの時、言っていたよね?父さんと母さんはまだ生きてるって、僕が地の果てまで捜し出すって---------今でもそう思ってるの?」

 

一歌は責め立てる様子もなく、真っ直ぐに蓮太郎を見つめてくる。

 

「そうね、私も聞きたいわ。いい機会だし、君の言葉で教えてくれる?里見くん」

 

 木更からも見つめられ、蓮太郎は二人の視線から逃れる術を持たなかった。

 

「…………どーだっていいだろ、アンタらには関係ない」

 

「え…」

 

突如、蓮太郎の口から放たれた冷たく、陰険な響きのある声音に固まってしまう。

 

「いちいちうるせーんだよアンタら!もういいんだ、俺の両親が10年前に死んだのは、間違いないんだからなッ」

 

吐き捨てるように言うと、そのまま背を向けて扉に向かう。

 

「あ、待って---------!」

 

一歌が呼び止める前に、蓮太郎は乱暴に足を踏み鳴らしながら、事務所から出て行ってしまう。

 

 呆然と立ち尽くしていると、後から肩に手を置かれ振り返る。木更が複雑そうな顔で、今しがた蓮太郎が出て行った扉を見つめていた。

 

「あのッ、すみません!私なにか余計な事を---------」

 

「いいのよ、私も少し軽率だったから。それに………誰にだって、触れられたくない過去はあるもの」

 

木更が少し目線を下に落とす。

 

「安心して、そこまで気にしなくても、少しの間そっとしておけば、いつもの調子に戻るから」

 

「……………」

 

 木更に励まされるが、一歌は思い詰めた表情のままだった。

 

 先程に見せた蓮太郎の辛そうな顔が、頭から離れなかった---------。

 

 

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