ピュアな心に花束を   作:山田甲八

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三 採用面接

 いきなり、野球部の監督になるのは無理だと言われて動揺している僕に先輩は容赦なく続けた。

「君は随分と軽く考えているようだけど、野球部の監督にはそうそうなれるもんじゃないよ」

「どういうことですか?」

「言葉そのままだよ。要するに希望者が多過ぎるんだ。君のようなことを考えてる教員、あるいは教員希望者はたくさんいるということさ」

「僕のようなことを?」

「そう。甲子園に行けなかったから、今度は監督として甲子園を目指したいということさ。いっそのこと、甲子園の夢破れた瞬間に、プロを目指さないのであれば野球をやめて、別の道を探った方が良かったかもしれないね。完全に引退してしまうと。そして大学では野球ではない別の興味に打ち込む。ゴメン、余計なことを言ってしまったね。君の質問に真剣に答えるね。まず、野球部の監督になるためにはどこかの都立高校の野球部の監督の枠が空かなければならない。それは分かるよね?」

「・・・・・・」

 僕は沈黙した。言われてみればあたり前のことだが、そんなこと今まで考えたことはなかった。とにかく教員としてどこかの高校に採用されればほぼオートマチックに、それこそその高校の野球部に入部する生徒ように、簡単に監督になれると考えていたのだ。先輩が続けた。

「この春、都立高校の野球部の監督の枠が空くという話は聞いていない」

「・・・はい」

 僕はかろうじてうなずいた。

「仮に空いたとしても君がそこの高校に赴任する可能性はほぼゼロに近い。一方、野球部の監督になりたがっている教員は溢れるほどいるから希望者の中でも激戦となる。いずれにせよそう簡単には野球部の監督にはなれないということは認識してもらいたい。実際、甲子園や六大学経験者で野球部の監督になれず、サッカー部やバスケットボール部の面倒を見ている教員はたくさんいる。かくいう私も教壇に立ってた頃は水泳部の顧問だったからね。水泳なんて授業でしかやったことがないのに」

「・・・・・・僕はどうすれば良いんでしょうか?」

 既に強い衝撃を受けていた僕は、しばらくの沈黙の後、声を振り絞った。

「本音としては野球部の監督は諦めろと言いたいところだけど、それは君の求める答えじゃないよね?」

「はい」

「野球部のない高校に赴任して、一から野球部を作るという回答もあるけど、現実的ではない。ただ、これは実際にやった先生がいることはいる。何かやろうと思ったとき、既にそれをやった人がいるというのは勇気をくれるだろう。君と同じように、野球部の監督になりたいのだが赴任校に野球部がない。それなら野球部を作って自ら監督に就任してしまおうと考え、実際に野球部を作って監督になった先生はいるよ。しかし、今の君にはそれすらも現実的ではないだろうな」

「現実的?」

「そうだ。その先生、今もその高校の野球部の顧問なんだけど、部員を集めるのにも苦労している。今年はなんとか大会に出てきたけど、三年生が卒業してしまう来年は部の存続自体が難しいだろうな」

「そうですか・・・」

「今、君が一番必要としていることは夢から覚めて、現実と向き合うことだ。確かに監督として甲子園の土を踏むことは君の夢に違いないだろう。その夢はこれからも大切にした方が良い。しかし、夢は所詮、夢だ。それだけ見ていて生きていくことは難しい。もちろんどんなに大人になっても夢を見続ける大人はいるから、夢だけを見続けて生きていくことは不可能ではない。プロ野球選手を夢見ている奴、俳優を夢見ている奴、作家を夢見ている奴、そういう奴を私も知っている。でも現実的ではないんだな。そういう奴らは結局、親のすねをかじって、親に衣食住を頼って生活しているんだ。そういう生き方を君はどう思う?」

「どうとおっしゃられますと?」

 僕は首をひねった。

「素敵な生き方だなあ、自分もそうなりたいなあと思うか?ということだよ。そのプロ野球選手を夢見ていた奴は、国内はもちろん、アメリカにも渡って入団テストを受けていたんだけど、ある年、ようやく国内の独立リーグのできたばかりのチームに入団してね、ついに念願のプロ野球選手になったんだ」

「それは素晴らしいじゃないですか」

「・・・そうかな?そいつは独立リーグのメンバーになったは良いが、活躍できずにその年の六月には解雇されてしまったよ。まあ、もういい歳だったし、選手生命も寿命だったわけだけどね」

「・・・・・・」

「それでようやく長い夢から覚めるわけなんだけど、今は派遣社員としてガテン系の、体力勝負の仕事をしていて、相変わらず衣食住は親に頼る生活をしているよ。私と同い年だけど、まだ人生の方針すら決められない。折角、大学まで出たのに」

「・・・・・・」

「夢を見ることは悪いことじゃない。むしろ素晴らしいことだとすら言えるだろう。だから私が言いたいのは夢を見るなということではなくて、夢だけではなく現実も見ろということなんだ。・・・ごめんね。また話がそれてしまったね。どうすれば良いのかという質問だったね。とにかく、今の君が夢の実現のためにできることは、どこかの高校に正規の教員として採用されることだ。そしてどこに配属されても嫌な顔をせずに教員としての職責を果たす。そうすればいつの日か、硬式野球部のある高校に異動になって、監督のポストが空いて、監督になれるかもしれない。何年先になるか分からないけど」

「そんなに時間がかかるんですか?」

「繰り返すけど、分からないということだ。来春は無理だよ。もう固まっているからね。でも再来年は可能かもしれない。いや、君の赴任した高校に野球部があって、監督がスキャンダルで年の途中でその座を追われるという可能性もなくはない。もちろん可能性は宝くじの一等に二回連続で当たるより低いかもしれないけど。とにかく今の君にとってはどこでも良いから採用されることが最低条件だ」

「野球はできなくなるかもしれないんですね?」

「君が金持ちなら他に選択肢もあるかもしれないけど、奨学金もあるんだろ?」

「ええ、まあ」

 今の世の中、卒業時に奨学金という名の借金を抱えていない輩の方が少数派だろう。国立大学も私立並みに学費が上がってしまっているし、親元を離れるとなると生活費も必要になる。

「じゃあ、まずやるべきことは奨学金の返済だよ。さっき、プロ野球選手だった男の話をしたが、そいつが派遣社員でありながら、なお親のすねをかじらなければならない理由はそれだよ。奨学金の返済に追われているんだ。今の私の立場からすれば返済金額なんてたかが知れてるけど、派遣社員のそいつにとっては少なくない金だからな」

「はあ」

「もちろん、今の世の中、派遣社員でも生きて行かれないわけじゃない。てか、十分に生きては行かれる。だから、少子化が止まらないとも言えるんだけど、普通の生活ができないというだけで、生きていくことはできる。今、言っている普通の生活というのは子どもを産み、育てて、ローンを組んで家を買ってという生活だけど、そういうことができなくなるということだ」

 聞いた僕は少し黙った。

「・・・これから僕はどうなるんですか?」

「とにかく、今は教育庁や学校からの採用面接を待つということになるね。こればっかりはしょうがない。とにかく教員採用試験の合格はゴールではないから、あくまでもスタートラインに立っただけだから気を抜かないことだ。それで、とにかく採用面接の案内はどこであれ断ってはいけないし、絶対に採用されるように頑張らなければならない。離島だろうと特別支援学校だろうと来たオファーは絶対に断ってはいけない。どこかの学校に採用されれば、その後は何とかなるけど、採用されなければ何ともならない」

 先輩の言うことを僕は理解できないではなかった。プロ野球でもきっと同じことが言えるのだろう。ドラフトで指名を受けたアマチュアが、腕に自信があるためかプロ野球選手になりたいくせに意中の球団じゃないとか言って指名を拒否することがある。

 本人は意中のチームでプレーすることを夢見て野球に打ち込んできたのだろうが、プレーヤーとしての夢と就職は違う。プロ野球選手になるためには日本野球機構に「就職」することをまずは考えなければならない。日本野球機構に「就職」したくても、できない野球少年の方が圧倒的に多いのだ。

 奇跡的に日本野球機構傘下のプロ野球選手になれたとしても、長年に渡って活躍できる選手はほんの一握りだし、契約金をもらえただけましだったというケースがほとんどだろう。

「分かりました。先輩の言葉、胸に刻みます」

 僕はまだ混乱していたが、何とか受け止めた。

「とにかく、生き急がないことだ。急いては事をし損ずるという言葉を肝に銘じることだ」

 先輩は優しい口調で念を押した。

 

 それから一週間後、僕が気付かないうちに僕の携帯に着信履歴が入っていた。登録されていない番号だった。

 登録されていない番号の場合、僕は必ず番号検索をすることにしている。迷惑電話だと嫌だからだ。実際、迷惑電話は少なくないし、場合によっては詐欺電話も稀ではない。

 早速、グーグル検索をすると画面には「特別支援学校B学園」と表示された。

(「特別支援学校?」)

 僕は首をひねった。「ムムッ」という思いが素直な第一印象だった。「離島だろうと特別支援学校だろうと来たオファーは絶対に断ってはいけない」という先輩の言葉を思い出した。

 すぐにコールバックしたところ、電話は事務室から校長に取り次がれやはり採用面接の案内だった。会話はつとめて事務的に進み、僕は三日後の面接にエントリーした。

 エントリーを終えてからふと我に返り、僕はもう一度首をひねった。

(「特別支援学校?」)

 

 三日後の採用面接は関東平野には珍しく、雪の一日だった。しかし、交通機関を混乱させるほどの大雪というわけではなく、雪を見込んで早めに現地入りした僕は、駅前のMACで時間を潰してから面接会場のB学園に向かった。

 採用面接は校長と一対一であり、僕の他にも五人の候補生が呼ばれていた。

 僕は幸か不幸か、一番目で、控室である多目的室から案内の教員に先導されて別の空き教室に移動した。教室のドアにはまったガラスから中を覗くと、中には校長と思われる初老の紳士が雪景色をバックに一人こちらを向いて座っていた。

 僕はドアをノックし、失礼しますといってドアを開け、教室に入った。

「K体育大学四年、相沢弥麻人と申します。どうぞよろしくお願い致します」

 言って一礼し、校長の「どうぞお掛けください」との声を聞いて校長の対面に座った。場所が教室なので個人面談のような雰囲気だが、僕の前には机がない。

「相沢さんは野球をやっていらっしゃったんですね?」

 いきなりそんな質問から始まった。どうして教員になろうと思ったのか?が第一問だと思っていたので少し面食らった。あるいは僕の緊張をほぐすためにわざと軽い質問から入ったのかなとも思った。

「・・・はっ、はい。野球は子どもの頃からずっと、小中の軟式から、高校、大学と硬式野球をやっておりました」

 僕はなんとか頭を切り替えて答えた。

「実は当校には野球部がありましてね、もし、相沢さんが当校に来て下さるのなら、相沢さんには野球部の顧問になっていただきたいと考えているのですがいかがでしょう?」

 そう言われて僕の胸は高鳴った。特別支援学校にも野球部があるのだ。しかも、僕は今、校長から監督就任を要請されている。教育庁の先輩には随分と脅かされたが、なんだ簡単じゃないか。

 しかし、そう思った次の瞬間には冷静になっていた。全国高等学校野球選手権大会の西東京予選、僕も三年間参加したあの大会に特別支援学校は参加していたか?参加などしていない。そこまで考えて、目の前の校長の言っている野球部と僕の認識している野球部には大きな隔たりがあることが分かった。

「それは硬式なんですか?」

 自分の認識を質すように、僕はわざとらしく聞いた。

「コウシキというのはオフィシャルという意味ですか?それともボールの種類?」

 聞いた僕が馬鹿だと思った。校長の質問を質問で返すやり方が既に僕の質問に残酷なくらい冷静に、客観的に答えていた。

「ボールの意味ですが」

「もちろん硬式ではありません」

 校長は当たり前だというように答えた。

「では軟式ですか?」

「いえいえ、ソフトボールです。だから相沢さんの考えている野球とは違うかもしれません」

 違うなんてものではない。もはや別のスポーツだ。

「お言葉を返すようで恐縮ですが、野球とソフトボールは全然違うスポーツですよ」

 採用面接の場ということは分かっていたはずだが、咎めないわけにはいかなかった。思わず口の方が先に出てしまった。

「確かに相沢さんのように長年、硬式野球に慣れ親しんできた方から見れば野球とソフトボールは全然違うスポーツになるのでしょうけれども、まあ親戚みたいなものではありませんか」

 それを聞いて僕は熱くなる気持ちを抑えなければならなくなった。これが採用面接でなかったならば、相手がたとえ校長という肩書を持つ人物だったとしても難詰していたことだろう。

 守備と攻撃に分かれるから親戚ということであればアメリカンフットボールだって野球の親戚になってしまう。

 そんな僕の気持ちにはまったく関心がないように、校長は眉一つ動かさずに続けた。

「昔、熱心な先生がいましてね、当校にソフトボールの部活動を立ち上げたのです。その先生の指導の成果もあって、長年、当校は大会でも優秀な成績を収めていました」

「大会?ですか?」

 大会という言葉に僕はもう一度反応した。

「特別支援学校の大会です」

 聞いた瞬間、無条件に反応した自分が恥ずかしくなった。

「特別支援学校の大会では敵なしというところだったのですが、その先生が転校されてからは熱心に指導する人もなく、過去の栄光となってしまいました。野球部は今に至るまで続いているのですが、過去の栄光を取り戻したいというのが私の率直な気持ちです」

(「過去の栄光って言ったって所詮は特別支援学校の大会だろ?」)

 僕は心の中でつぶやいた。

「残念ながら私はこの春、異動することが決まっています。ですから、種だけはまいて後任者に引き継ぎたい。もし、当校に採用されたら野球部を引き受けていただけますね?」

「・・・とにかく、与えられた仕事には全力で取り組みたいと思っています」

 色々な思いが頭の中を駆け巡ったが、僕はどうにか模範解答を口にできた。

「ところで相沢さんはどうして教員になろうと思ったのですか?」

 ようやく予想していた第一問目が来た。

「野球をやっていたのはその通りです。野球にはかなり真剣に取り組みました。そして高校三年の時、あと一歩で甲子園というところまで行ったのですが、逃してしまいました」

「それは知っています。というより、私もあの試合は見ていましたから」

 校長は教育庁の先輩のように言った。都の教育関係者にとっては共通の思い出なのかもしれない。途端にあの時の苦い記憶が蘇ったが、僕は踏ん張った。

「そうですか。それで、甲子園に行く夢を監督として甲子園に行く夢に変えたんです。そしてその夢を実現させるために教員になろうと思うようになりました」

 僕は自分でもビックリするくらい素直に答えた。

「まあ、何にせよ夢を持つことは良いことですね」

 校長は僕の言葉をあっさりと受け止めた。僕の夢の重みには興味はなく、自慢のソフトボールチームの面倒を見る人材の確保だけに興味を持っているようだった。

 それから何問かありきたりの質問が続き、面接はあっさりと終わった。正直、僕はこの学校で働きたいとは思わなかった。しかし、なんだか採用されてしまうような気がしていた。

 校長は僕がソフトボールチームを引き受けるかどうかだけを確認したかったのではないか。そんな気がしていたのである。そもそも、採用面接は候補者名簿に掲載されている者を対象に行われる。既に教員としての資質があることは分かっている話なので、後はこの学校の実情に応じる者かどうかだけが問題であり、僕はその問いにイエスと返事をしてしまったのだ。

 面接が成功したはずなのに家路での僕の足取りは重かった。

 翌日、その校長から電話があり、採用を言い渡された。

 僕はこの春から東京の郊外にあるB学園で教員生活をスタートさせることになった。

 冒頭から高校野球の監督として甲子園の土を踏むという僕の描いたシナリオは崩壊していた。

 

 世間が終業式を終え、春休みに入った三月二十六日、僕はぷらりとB学園を訪れた。別に約束があったわけではない。試験会場の下見でもするかのように、あるいは通勤経路を確認するように、通勤ラッシュも一段落した午前中の時間を狙って数日後の勤務先を訪問したのだ。

 雨は降っていなかったが空はどんよりしていた。僕の気持ちを表しているかのようだった。

 およそ学校というものは通勤至便な場所にはないのが普通である。お客様商売ではないので駅の近くにある必然性はない。私立学校の場合は学園の経営に地代がもろに影響してしまうため、歴史の浅い学校は山の奥にあったりする。生徒はスクールバスで決して近くはない最寄駅からピストン輸送すれば良いので立地はそれほど問題にならない。むしろ一流大学の付属高校は山の奥でも高偏差値を維持できるくらいだ。

 幸い、B学園は飛田給の駅から徒歩十数分程度のところにあるので便利だ。西武多摩川線にも近いので中央線方面からの通勤、通学も便利だ。そもそもB学園の周囲は学校が多く、文教地帯だ。

 生徒達は、障害の重いクラスの子はスクールバスで通学するが、障害の軽いクラスの子は電車通学だったりする。

 そんなことを考えながら僕は校門をくぐり、学校の敷地に入った。

 

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