僕の動揺には構わず、陽人は続けた。
「ああ。A高でT学芸大に行ったのは俺と永田だけだったから、元々知らない間柄じゃないし、キャンパスで顔を合わせれば普通に会話もする。もっともあちらは俺のようなガサツな体育教官とは違って優秀な国語の先生だけどね。あいつは引き続きソフトで、野球部とソフト部で合コンを設定させられたこともあったなあ。それで少なくない男が永田目当てだった」
それを聞いて僕の頭の中は錯綜した。望桜も教員養成系の大学に行っているということは教員になっているのか?しかし、都立高校の教員名簿に名前はなかったはずだし研修会で顔を見たこともないはずだ。もちろん都立高校の教員は膨大な数だが、今日の陽斗のようにもしいればどこかでどちらかが絶対に気が付くはずだ。
「頭の中が混乱しているようだな?」
見透かしたように陽斗が言った。
「ああ。望桜はどこかの教員になってるのか?」
「二年前、お前が教員になったのと同じ年に彼女も教員になったよ。もっとも彼女は私立。C女子高だけどね」
なるほど、私立の、さらに国語の教員ならば同年代でも僕の視界には入らないはずだ。
「それで、ソフトボール部の監督やってるそうだ」
陽斗はお通しをいじりながらポツリと言ったが、聞いた僕は一瞬にして固まった。
「えっ、今なんて?」
「ん?だから、永田がC女子高でソフトボール部の監督をやってるって言ったんだよ」
今度は陽斗の目を見てしっかりと聞き取った。
それから一時間ほど近況報告をお互いにやりあったが、陽斗との会話に集中することはできなかった。まったく別のことを考えていたからである。
そしてサラリーマンの軽く一杯にしては随分と早めに切り上げた僕達は新宿まで黄色い電車に乗り、新宿駅で別方向の電車に乗り別れた。
一人きりになった僕はさっき考え始めていた別のことに思考を集中させた。
望桜だったら引き受けてくれるのではないか。
僕が一生懸命お願いすれば。
B学園のソフトボール部は男子のチームだから女子高は考えていなかった。盲点だった。
女子高でも健常者のチームであることに変わりはない。
対戦出来れば子ども達も満足だろう。
しかし、どうやって連絡を取るか。
僕はスマホを取り出し、LINEのトーク画面を開いた。
画面を下にどんどんスクロールする。スクロールするごとに、名前が懐かしくなっていく。
そしてその名前はついに現れた。
ミオ
最後のメッセージは「妹のことありがとう」で終わっている。
すぐにメッセージを打とうとしてためらった。
あれからものすごい時間が経過しているのだ。
とにかく、いきなり打つのではなく、まずは下書きを作ろうと思い、それよりなにより僕自身が冷静にならなければならないと思い、一旦帰宅した。
そして帰宅してからパソコンを立ち上げ、下書きを打った。時計は既に午後十時頃を指している。
しかし、練ってもあまり良い文章はできず、結局、下書きを見ながらありきたりの文章をスマホに打つことになった。
ご無沙汰いたしております。A高校で一緒だった相沢弥麻人です。
突然のLINE失礼します。
今日、都立高校の研修会場で和田陽斗に会いました。
それで望桜がC女子高のソフトボール部の監督をやっていることを聞きました。
僕も今、特別支援学校B学園でソフトボール部の監督をやってます。
それで相談したいことがあります。
よろしくお願いいたします。
打って送信ボタンを押した。
「ふう」
僕は一つ大きく息を吐いた。
すると次の瞬間、LINEが通話を受信した。相手は望桜だ。あまりのレスの速さに僕は緊張した。震える手でボタンを押した。
「もしもし」
「もう。やっと連絡ついたよ」
「ゴメン。まあ、まずはお久しぶりです」
僕はぎこちなく応対する。
「ホント久し振りだね。陽斗に会って、懐かしくなって連絡してきたのかな?」
僕のぎこちなさとは裏腹に望桜は高校生の時のままのようだった。
「いや、ホントに相談したいことがあって、それでいきなりだとは思ったんだけどLINEした。アドレスもそのままだったし」
「そうだね。あの時のままだったね。相談って何?借金の申し込みならお断りだよ」
「いや、お金には困ってない。奨学金の返済も順調だし」
「で、何?」
「LINEにも打ったけど、今、B学園でソフトボール部の顧問をやっているんだ。知ってるかなB学園」
「聞いたことないなあ。都立なの?」
「特別支援学校だよ。都立のね」
「だから聞いたことないのか。ソフトボール部のある学校なら聞いたことあるはずなんだけど」
「それで、望桜の学校と練習試合をやりたいんだ。子ども達が健常者のチームと試合をしたいと言っているんだ。引き受けてくれるかな?」
「え~っ。やめた方が良いと思うよ。うち強いよ。都大会でベスト4だよ」
「そうなんだ。でも、あちこちの学校に申し込んでるんだけど断り続けられててね。引き受けてもらえないかなあ」
「なるほどねー。でもそういうオファーが来たらうちも断るかな。特別支援学校と試合なんてやったことないし」
「そこを何とかお願いします」
「でもねえ~」
「なあ望桜。覚えてるかな。あの頃のこと。映画に行く約束してて、当日、望桜が体調崩して望桜の妹さんを映画に連れて行ったことあったよね」
「ああ、そんなことあったね。懐かしい」
そう言われるとすべてが懐かしい。
「あのとき望桜言ったよね。この埋め合わせはするって。だから今、あの時の埋め合わせをしてよ」
格好悪いとは思ったが、なりふり構ってはいられなかった。これが本当にラストチャンスかもしれなかったのだ。
「そんなこと覚えてるんだ。・・・分かったよ。そこまで言うのならね。昔のよしみということでね。対外試合というのは難しいかもしれないけど、特別支援学校だよね?」
「うん」
「じゃあ特別支援学校と合同練習するボランティア活動ってことにすればできるかもしれない」
「ボランティア活動?」
ボランティア活動、その程度にしか見てくれない悲しさはあったが応じてくれるだけありがたいと思わなければならないのかもしれない。こちらに選ぶ権利はないのだ。
「うちの校長、社会貢献とか大好きだから。それで最後に試合形式の練習をしましたってことにすれば良いよ。どうせ内容までチェックしないし。でも対外活動になるから私の一存では決められない。取り敢えず校長先生に相談してみる。それから返事するね」
校長先生の名前が出てきたのは初めてだ。確かに高校のオフィシャルな部活動の対外試合を校長に無断でやることはできないだろう。そう考えるとこれまでの十数校はすべて門前払いだったのだ。
「ありがとう。よろしくお願いします」
「じゃあ、また連絡します。少し時間下さい」
「ゴメンね。こんな遅くにこんなことで」
「ううん。正直、弥麻人の声、また聞けたのはうれしかった。じゃあおやすみなさい」
「おやすみ」
そう言って電話は切れた。なんか、突然、時間があの、悪夢の日の前に巻き戻されたようなそんな感じだったがそれほど嫌な気持ちにはなっていなかった。
次の日の午後四時前、職員室の僕の机の近くにある電話が鳴り、矢内先生が取り、少し受け答えをして受話器を僕に向けた。
「相沢先生。電話です。C女子高の永田先生」
僕は急いで受話器を取った。
「もしもし」
「永田です。一応、仕事の電話なので、プライベートではないのでこっちにかけました。今、良いかな?」
「もちろんです」
僕はかしこまって対応する。
「ご依頼の件、練習試合の件ですけど、校長のOKが出ました。それで、勝手を言って申し訳ないんですけど、次の次の日曜日の午前はいかがですか?」
基本的に部活は土日にはやっていない。僕の予定も入っていないし、たとえ入っていたとしてもこっちが優先だ。
「それでお願いします。それで、そちらにお邪魔すればよろしいですか?」
「いや、こちらからそちらにお邪魔しますよ」
「いや、それでは申し訳ないです。こちらからお願いしているのに」
「そうですけど、失礼ですけど貴校は遠征には慣れていらっしゃらないのではありませんか?」
そう問われれば答えはイエスだ。集団で移動するのは難しい連中ではある。
「それは、・・・その通りですけど」
「ですよね。こちらは遠征慣れしてますのでこちらからそちらにお邪魔します。うちの子達にとっても良い経験になると思いますので。時間が決まったら連絡ください」
「分かりました。では、またこちらから連絡します。ありがとうございました」
「よろしくお願いします。失礼します」
「はい。失礼します」
電話を切って僕はしばらく自分に酔い、心の中でガッツポーズをした。「よっしゃ~」という気持ちだった。
しかし、すぐに冷静になって、校長に報告しなければならないことに気付いた。
そもそも他校を練習試合に呼ぶなど開校以来のことかもしれない。僕はすぐに校長室に報告に行ったが、事後報告だったにもかかわらず、横堀校長はつとめて笑顔だった。僕は校長の机の前で立ったまま報告した。
「そうですか。健常者のチームが遠征してくるんですか。それは快挙ですね。我が校始まって以来のことかもしれません」
「ご迷惑をお掛けします」
僕は横堀校長にペコリと頭を下げた。
「ところで相沢先生、練習試合は良いとして、審判はどなたがやられるんですか?」
校長の質問に僕はハッとした。審判のことまで考えていなかった。つまるところ試合というより合同練習程度に考えていたのだ。
「スミマセン、そこまで考えていませんでした」
僕はもう一度頭を下げた。
「では私が引き受けましょう」
横堀校長はきっぱりと言った。
「校長先生がですか?」
「ええ。私、ソフトボールの経験はありませんけど、学生時代は野球をやっていたんですよ。ですから大まかなルールは分かります。私が球審を務めますので塁審は相手チームの控えの選手にでもやってもらったらいかがでしょうか?うちの子には審判はちょっと荷が重いでしょうから」
なるほど、校長は若い頃、何かスポーツをやっていたのだろうとは思ってはいたが、野球だったのだ。
「しかし、ご迷惑ではありませんか?休みの日ですし」
「迷惑だなんてとんでもありません。あの子たちの元気な姿を間近で、それこそ砂被り席で見られるんですからこれに勝る喜びはありません。それにしても相沢先生はすごいですね。健常者のチームを呼び寄せてしまうのですから」
横堀校長は終始ご機嫌だった。
それから僕は外で練習しているソフトボール部のメンバーに集合を掛けた。
部員達が練習を中断し、僕の周りに集まってくる。
僕は一つ咳払いをして、少し誇らしげに発表した。
「みなさんに重要なお知らせがあります。我がB学園ソフトボール部は特支ではない学校のソフトボール部と練習試合を行うことになりました」
言うと部員の間から「お~」という声が聞こえた。その辺はどこにでもいる普通の生徒だ。
「試合は次の次の日曜日です。普段は休みの日ですけど、この日は学校に来てもらいますのでそのつもりでいてください。相手はT市にあるC女子高校でこの学校まで来てくださいます」
「女子高って、女の子だけのチームか?」
僕の目の前にいるキャプテンの大地が不思議そうな顔で聞いた。
「ああ、そうだ。もちろんそうなるな」
「かわいい子とかいるのかな?」
「いるかもしれないな。きっといるだろうな」
不謹慎な話だがここの子達も普通の年頃の男の子だということだ。
「相沢先生、対戦相手が見つからないってこぼしてたのに、よく見つけられたな」
大地が続けた。
「実は相手の監督さんは先生の高校時代のクラスメートなんだ。だから昔のよしみで特にお願いして引き受けてくれたってわけだ」
「女だけのチームなら俺達勝っちゃうかもしれないな」
別の部員が言った。
「油断するなよ。女子とはいえ、相手は都大会でベスト4になってるんだぞ」
僕は部員達を戒めた。事実、その戒めは現実のものとなる。
練習試合の日曜日が来た。
今日は日曜日ということもあり、また初めての健常者のチームとの練習試合ということもあって部員の保護者も何人か見物に来ていて、他の先生も来ていた。矢内先生もお子さんを連れて来ていて部員達と談笑していた。
試合開始時刻の十時より三十分くらい前に望桜に引率されたC女子高のメンバーがぞろぞろとやって来た。メンバーは三塁側に陣取り、望桜が一人で横堀校長と僕のところにあいさつに来た。
「今日はよろしくお願いします」
C女子高のユニホームを身にまとった望桜が帽子を取って横堀校長と僕にあいさつをした。
望桜とは八年ぶりで随分と垢抜けした印象を受けた。高校生の頃は自身、プレイヤーだったこともあり、刈上げに近いくらいの短髪だったが今は肩甲骨の辺りまで髪を伸ばしている。僕は一目惚れした頃のことをこっそりと思い出した。
「校長の横堀です。こちらこそよろしくお願い致します。遠いところをお越しくださいましてありがとうございます」
僕よりも先に校長が深々と頭を下げてあいさつをした。
「いえいえ、こちらこそお招きいただきましてありがとうございます。それで、スミマセン。シートノックさせていただいてもよろしいでしょうか?」
望桜が横堀校長と僕、どちらともなく聞いた。校長は僕の方を見た。グラウンドではC女子高のメンバーが既にキャッチボールを始めている。
「ええ、もちろん構いません」
僕が同意した。
「ありがとうございます。では十分ほどお時間をいただきます」
望桜は踵を返し、部員達のもとに戻っていき、ホイッスルを吹いたかと思うと大声で「集合!」と叫んだ。
キャッチボールをやっていた部員たちが駆け足で集合し、望桜を中心に円陣を組む。
数十秒円陣が組まれていたかと思うと次の瞬間には部員達の声が合わさった「ハイ!」という返事が聞こえ、部員達はそれぞれの守備位置に散っていった。
それからが圧巻だった。内野に散った部員達が本塁、サード、セカンド、ファーストとメンバーが入れ替わり立ち替わりボールをグルグルと回すのだがスピード感が凄まじく、正確な精密機械を見ているようだった。
一通りボール回しが終わると今度は望桜のバットでノックが始まる。
華麗なグラブさばき、正確な送球、一糸の乱れもないその動きはまさに芸術的だ。
動きだけではない。部員達は声を出し、お互いに声を掛け合っている。B学園ではできないことだ。
外野は外野で別の部員がバットを握り、フライを打ち上げていた。
ふとB学園ソフトボール部のメンバーに目をやると、みんなあんぐりと口を開け、押し黙って彼女達の華麗な動きに目を見張っていた。
そのうちキャプテンの大地が僕の側に近付いてきた。
「先生。俺達こいつらとやるのか?」
「ああ」
キャプテンと監督の会話はそれだけだったがそれだけで十分だった。
二人の気持ちは他の部員にも伝わっていたはずである。
「レベルが違いすぎる」
この時、僕は初めて望桜が言っていた「うち強いよ」の意味を理解した。
そのうちシートノックは規模が縮小されていき、十分ほどで終了し、C女子高のメンバーは三塁側に引き上げた。その動作も統率の取れたものだった。
試合開始予定時刻の午前十時になると球審を務める横堀校長がホームベース上に現れた。
横堀校長はどこで調達してきたのか、野球のアンパイヤのユニホームを身にまとっている。
「集合!」
球審の掛け声とともにC女子高のメンバーが一斉に整列する。B学園のメンバーはまだベンチ前でうだうだしていた。
「どうしたんだ。早くしなさい」
球審の渋い声に促されてようやくB学園ソフトボール部はバラバラとC女子高の対面に並んだ。
「これから練習試合を始めます。礼!」
球審が言うとC女子高のメンバーは帽子を取って一礼し、「よろしくお願いします!」と元気に叫んだ。B学園は帽子を取って頭を下げただけで声は出なかった。
後攻のB学園が守備に散り、C女子高の一番バッターが帽子を取って一礼してバッターボックスに入る。その構えには僕が今まで特別支援学校の大会では見たことのないような特別なオーラがあった。
「プレイ!」
球審を務める横堀校長の声で練習試合が始まった。
月曜日の朝、僕の足取りは重かった。
分かってはいたはずだったが、結果はボロ負けだった。
守っては一体何点取られたのか分からなかった。最初の内は数えていたが、そのうち誰も数えなくなった。実力差のあるチーム同士の戦いでは一点取るも百点取るも同じということだった。
一方、打っては相手のエースに完全に抑え込まれた。完全なパーフェクトピッチングだった。何せ、九人の打者が全員三球三振。相手エースは三回コールドとなったこの試合で三×九、二十七球しか投じていないのだから。
パーフェクトなパーフェクト、野球でもこんな試合は見たことがない。
「球が見えねえ」
みんな口々に同じセリフを吐いていた。実際、高校時代に硬式野球部で四番を打っていた僕でさえ、バットに当てるのが精一杯だったかもしれない。
それでも健常者と初めて戦った部員達の表情は暗くなかった。別の世界を垣間見たということで、それはそれで良い経験になったのかもしれない。
今はそう思うしかなかった。
取り敢えず、朝、登校して一番に僕は校長室を訪ねなければならなかった。
練習試合を認めてくれただけでなく、審判まで務めてくれた横堀校長に朝一でお礼を言わなければならなかった。
怒られるかもしれない。そう思う僕は校長室の前まで来て少し緊張した。