スポットライトの乱反射を受けるステージ。多くの挑戦者を待ち構えるフィールドアスレチックは、最終ステージともあって難易度は跳ね上がっていた。障害物を飛び越え、より迅速に、そして確実にクリアを目指していく。観客席からの歓声と落胆の声は、聞いている余裕が無かった。
ようやく辿り着いたゴールで、時計を止めるスイッチに手を伸ばす。表示されたタイムと、響く落胆の声。――負けたんだ。二人に追いつけなかった。その現実に、膝から崩れ落ちる。
体を動かすことは嫌いじゃない。でも、二人には絶対に追いつけない。才能、努力――その他諸々すべてが、私には欠けていた。
でも自分なりに補えるだけの努力はしていたわけで、それは練習中よりもずっといいタイムが証明している。それでも敵わなかった事、そして期待に応えられなかった事が辛かった。
一番低い表彰台に立って、賞状と賞品を受け取る。おめでとうと言われても、全然嬉しくない。
応援してくれた友達、わざわざ駆けつけてくれた両親――一緒に頑張った仲間の期待に、私は応えられなかった。結局私は駄目なのだ、と唇を噛み締める。
『……嫌だよ……』
嫌われるのは……二人と『友達』でいられないのは嫌だ。
湿り気を帯びた声が、耳障りな音にかき消された。
◇
ジリジリと耳障りな音が響く。音がする方向へと手を伸ばした私――サクラ・ナナヤは、目標地点で勢いよく手を振り下ろした。僅かな衝撃と同時に、音は止む。
(……朝、かあ)
春眠暁を覚えずとは言ったもので、布団の中は冬とはまた違う心地よさだ。時計の針が示す時間は、朝の5時半。まだ寝ていたい時間ではあるが、惰眠を貪る趣味は無い。というか、これまでの規則正しい生活が仇となっていた。
のそのそと起き出し、身支度を整える。纏うのは通っているインターナショナルスクールの制服だ。今日は終業式だから特別必要な物はない。あるとすれば個人的な――帰省用のものくらいだ。スポーツ用のボストンバッグには最低限の着替えと小物が入っている。
鏡の前で制服に皺がないかと確認し、手にした黒いゴムでプラチナブロンドの髪を纏めた。そのゴムを隠すように、同じく黒いリボンを結ぶ。制服はグレーのベストと一般的なブラウスと青いネクタイ、それと黒の地に赤色のラインが入ったスカートだ。本来はこれにジャケットもあるのだが、今日は終業式を途中で抜け出して帰省する事になっている。飛行機のチケットの都合だが、長時間飛行機に乗る事になるから皺になっても困る。荷物にもなるのだから、無いほうが楽でいい。ついでにブラウスの袖を折って上げておく。
左腕に腕時計、右腕にはピンク色のシュシュ。最近買い換えた薄型の携帯電話を充電器から外して、視界に映りこんだ「それ」を見遣る。それ――銀製のドッグタグはあまり思い出したくない記憶だ。しかし同時に記念でもある。
(向こうに置いていけばいいか)
どうせこっちにあっても意味が無いのだし。そう結論付けて、私はドッグタグをボストンバッグの持ち手に結びつけた。それを右手で持って、家を出る。
日本・紀乃川市。3月も半ばというだけあって朝から暖かな日差しが降り注いでいた。現在時刻は6時10分。車道に面しているとは言え、この時間の人通りは殆ど無い。その上目的地は徒歩5分もかからないのだから、すれ違うことも滅多になかった。
ほぼお隣さんと言っても過言ではない――『和泉』と表札がかけられた、木造二階建ての家。引き違いの扉にかけられた鍵を長年預かっている合鍵で開ける。
「シンクー?」
食卓の椅子に鞄を置いて二階へと続く階段を上りながら、私はこの家の住人でありかれこれ10年以上の付き合いがある幼馴染の名前を呼んだ。返事がした方向は彼の私室である。ノックをしてドアを開ければ、我が幼馴染は毎朝の日課であるトレーニングの真っ最中だった。
「あ。おはよう、サクラ」
「おはよう、シンク」
挨拶ついでに朝ご飯はどうするか尋ねると、彼――シンク・イズミは満面の笑顔で「サクラに任せるよ」と言う。人懐っこく無邪気な笑顔は、彼の特技といっても過言ではない。輝く金色の髪と海の様に澄んだ瞳の整った容姿。ついでに常に明るく真っ直ぐな性格の彼を嫌う人間は早々いない――というか、私が知る限りいないんじゃないだろうか。見た目だけなら、私達はずっと「きょうだい」に間違われてきた。
彼の起床を確認したところで再び一階の台所に戻った私は、冷蔵庫から材料を取り出す。
「せっかくだから、フル・ブレックファストもどきにでもしてみようかな」
とは言ってもオートミールやキッパーとかは無理だから、普通にトーストやベーコンエッグ、野菜スープとサラダ程度になる。付け合せはオクラとツナ、マヨネーズの和え物だ。野菜を切って冷水にさらして、器に。残りの野菜は缶詰のコーンと一緒にコンソメスープにしよう。
そうこう考え、準備をしている内に時計は7時を示していた。最後にトースターに食パンを入れて、焼き上がりを待つ。その間に盛り付けた皿をテーブルに出せば完成だ。
「あ、そうだ」
半熟の目玉焼きを飲み込んで、シンクが私を見る。
「春休みの最後の三日間、サクラは暇? おじさんとおばさん、帰ってくるっけ?」
「私は暇だけど……父さんと母さんはどうだろ。何で?」
「うちの父さんと母さんが帰ってくるから、一緒に和歌山の別荘に行かないかって。ナナミも来るんだって」
後でベッキーも誘うんだ、とシンクは嬉しそうに告げた。
「ちょうどお花見の季節だしね。ご一緒させてもらおうかな」
「やった!」
……本当に嬉しそう。
そんなこんなで朝食を食べ終え、私は食器を流しへ運んだ。
「じゃあ洗い物しとくから、着替えてきなよ。もうそろそろベッキーが迎えに来る時間だし」
「え? ……あ!」
私の言葉に首を傾げたシンクは時計を見てからようやく慌てだす。ばたばたと足音を響かせて二階に戻るのを見届けて、私は台所の蛇口を捻った。
元々、私とシンクはいわゆる「幼馴染」の関係である。母親同士も幼馴染で、結婚後の住まいも近所だったためか、物心つく前から一緒に育った。シンクの両親は海洋学者と海洋生物学者。私の両親は二人とも考古学者で、父親はロンドンの大学で教鞭を取っている。母親は今も遺跡を探して世界中を飛び回っているらしい。それもあってか私はシンクやシンクの両親と過ごす時間が長く、日本に引っ越してからもそれは変わらなかった。
シンクの両親の仕事が忙しくなって、うちも親が不在で……そしていつの間にか今のように、こうして二人一緒に食事を取るという習慣がついた。
おじさんやおばさんも「一緒に暮らさないか」とは言ってくれたけど、そこまで迷惑かけるわけには行かないし。昔から一人でいることが多かったから家事も慣れたものだ。
洗い終わった食器を拭いて、乾燥機にかける。使った布巾を漂白剤に漬けて消毒している間に乾かし、棚に仕舞った。耳を澄ますと、外から自転車のベル音が聞こえてくる。
「シンクー。シンクー、起きてるー?」
そう尋ねるのは私とシンクの共通の友達であり、幼馴染といっても過言ではない少女――ベッキーだ。ちなみに本名は『レベッカ・アンダーソン』で、彼女を『ベッキー』と呼ぶのは私とシンク、それからナナミさんだけである。小さい頃にいつの間にか定着していた愛称なのだけど。
戸締りを確認して、玄関先で待つベッキーと合流する。
「サクラも降りて来たー。遅れそうなら置いてくわよー!」
そう催促するけれども、私が覚えている限りベッキーがこう発言してもシンクを置いて登校したことは一度も無い。
「そんなつもり無いのに」
「だって……」
拗ねた様に唇を尖らせて、ベッキーはその頬に朱を差した。
そうこうしている内に、二階のベランダにシンクが姿を見せる。愛用しているスニーカーを履いて、呼吸を整えた。次の瞬間には鞄が宙を舞い、それを追うようにシンクも二階から飛び降りる。空中で身を捻って体勢を整え、安全無事に着地する。相変わらず見事な運動神経だ。
「そういえば……明日から春休みだけど、二人はどこか行くの?」
学校へと続く道を三人で歩く。自転車を押しながら、ベッキーは私と、車道側に立つシンクに問いかけた。
「んー……父さんと母さん、相変わらず出張から帰って来ないしなあ」
言いながらシンクはガードレールに飛び乗り、器用にバランスを取って歩き出す。進行方向に背を向けて、危なげなく歩を進めた。
「僕達は里帰りでもしようかな……って」
「里帰り? ……イギリスの方?」
「そ、コーンウォールの方。向こうは練習できる場所もたくさんあるから、サクラと一緒にトレーニングしようって」
「いや、私はどっちかって言うとお目付け役というか……」
「シンクは本当、アスレチックが好きよね」
ガードレールの隙間をバク宙で飛び移り、「そりゃあまあ、楽しいからね」とシンクは笑った。
「今年も七月と九月に大会があるから、がっつり鍛えておかなくちゃだし」
「アイアンアスレチック、よね?」
アイアンアスレチックとは、読んで字のごとくアスレチック競技大会である。七月に予選があり、九月に本選。日本のテレビ局が企画・運営する大会で参加者も多いし視聴率も高い。屋外に設営された建築物はどのステージも難易度が高く、参加者曰く「1ステージクリアできたら御の字」だそうだ。成人参加者は自宅庭に自作セットを作り上げて鍛錬するのはざらにいて、ある人は最終ステージまで勝ち残った事を表彰され職場で昇進したというケースもあるとかないとか。
私とシンク、そしてナナミさんが参加したのは去年のU‐16ジュニア大会。ナナミさんが優勝し、シンク、私と続いて三人で表彰台を独占した。テンションが高い実況に付けられたキャッチフレーズは「『若者の人間離れ』の成れの果て」。
優勝を逃したシンクは悔しさで、私は諦めでいっぱいいっぱいだったから当時はそこまで気にしていなかったけど――余計なお世話だ。
「でもやっぱ、今年こそは優勝したい! だから春休みは、レッツ猛練習!」
ぐっと拳を握り締め、シンクはガードレールの上で叫ぶ。
「……はいはい、頑張ってー」
いつもの調子のシンクに、ベッキーは小さく呟いた。
◇
「あ、そうだ。忘れてた」
ベッキーが駐輪場に自転車を停めるのを待って、私達三人は登校中の生徒でごった返す校舎へと向かっていた。
「春休み最後の三日間、ベッキーとお父さんとお母さん、暇?」
「どうかな。何で?」
「うちの父さん母さんが戻ってくるから、一緒に和歌山の別荘に行かないかって。ナナミも来るんだって」
「いいわね、素敵!」
「ちょうどお花見の季節だし。お父さんとお母さん忙しそうなら、ベッキーだけでもって」
「そ、そう……」
嬉しそうに言ったレベッカは、ついと顔を逸らした。
「でも、嫌よ? いつかみたいに私を放っぽって、アスレチックとか棒術ごっこばっかりとか……」
いつぞやの記憶が蘇ったのか、呟いたベッキーの言葉にシンクは形容しがたいきらきらかつ崩れた表情で私たちを見る。
「平気! 前日までにボロボロになるまで特訓しとくから!」
この場合、『前日までの特訓相手』は私だ。一方のベッキーは「あんまり無茶苦茶しないようにね……」と引いている。昔も似たようなことがあったが、その時シンクとナナミさんは文字通り「ボロボロになるまで」特訓に打ち込んでいた。
「サクラも大変ね……」
「ベッキーほどじゃないけどね」
会話の内容に気づくことなく通り過ぎる女子生徒が、小さくきゃあきゃあ声を上げてシンクを横目に見る。
(人の恋路は、見ている分には楽しいんだけどね)
なので、当分の間は「お互いがちょっと気になる幼馴染達」を見守っていこう。
鳴り響くチャイムに駆け足になる私達を見張る影に気づかぬまま、そんなことを考えていた。
◇
『あー、今年一年間のこのスクールライフは充実していただろうか?』
紀乃川インターナショナルスクール、終業式。生徒全員、そして教員分のパイプ椅子を並べられるだけの広さを誇る体育館には、マイクを通して校長の声が響く。真面目に聞いている人、寝不足で瞼が限界を迎えている人と差はあれど、校長以外の声はなく静寂そのものだ。
『皆それぞれに生まれた国は違っても、この日本という国で過ごす日々と……』
話の合間合間に、私は視線を落として腕時計を確認する。時計の針は12時5分前を指していた。それを確認して、私は前の席に座るシンクの肩を指で叩く。本来は出席番号順で座るが、今回は事前に早退を申し出ていたため抜けやすい右端の席だ。
列を抜け出し、担任の先生に声を掛けてから私達は体育館を出る。
「イズミ、ナナヤ、どうした? 早退か?」
「すいません、飛行機の時間がありまして!」
「クラス担任には伝えてありますので!」
駆け足でそう伝えれば、先生も納得したようだ。
「そうか、気をつけてな」
「はーい!」
「失礼します!」
駆け足から小走りになって階段を駆け上り、一年生教室が並ぶ廊下に出る。私達以外誰もいないせいか、ひどく静かだ。
「じゃあ、サクラ。校門で」
「うん」
教室に入り、自分の席に置いた鞄を取る。
空は快晴、気温も上々。風は心地よく、体を動かすには最高の日和だ。……それを純粋に喜べなくなったのは何故だろう。
――アスレチック遊びは好きだ。小さい頃からやっていたし、シンクやナナミさんと一緒にいられる理由だから。二人と一緒にいるのは好きだし、目先の目標を超えた瞬間が一番楽しかった。
でも、二人には敵わない。差を縮めることが出来ない。
もしこの状態がいつまでも続いたら……シンクに――ナナミさんやレベッカにも嫌われてしまうのだろうか。皆の傍で、今まで通りでいられないのだろうか。
そして登校中の会話を思い出す。乗り気のシンクとは違って、私は今年のアイアンアスレチックには出場しない予定だ。
弱いままでは嫌われる。けれど努力しても結果がついてこない。かといってアスレチック自体を辞めてしまっては、意味が無い上に居場所を無くす事になる。
(せめてベッキーみたいに可愛かったら、お洒落のし甲斐もあるんだろうけど)
そうすれば恋人を作ったりと夢中になれる事も増えるだろうけど……それでも、所詮中途半端な私には無理な話だ。
「……とりあえず、しばらくはシンクのお目付け役だし。しっかりしないと」
そう独白した途端、外が強い光に包まれる。まるで吸い込まれるように向かっているのは――誰であろう、シンク本人だった。
「シンク!」
私が声を上げると同時にピンク色の光が強く瞬き、収束した。先程見えた変な模様の魔方陣は消えていて、シンクの姿も見えない。思わず窓から飛び降りた私の目に見えたのは、口に何かを銜えたキツネ――いや、フェネックだった。
「え、ちょ、え!?」
一先ず着地しようとした私を見て、フェネックが笑った――様に見えたのは気のせいではなかったらしい。銜えていた小さな刀を地面に突き刺した。同時に広がったのは白色の光。先程見たものとは違う模様が浮かび上がり、その輝きを強くする。しかしその中心には闇が広がっていた。まるでその闇に吸い込まれる様に、体は引き寄せられる。
「まさか……!?」
嫌な予感しかしない。完全に吸い込まれる直前に見えたのは、白色の光が私を覆うように動き、そのまま引力と重力に従って落下していく景色だった。
軽い衝撃。光が消えた先に見えたのは見覚えの無い場所。尻餅をついた私の隣に降りてきたフェネックは、意外にも小柄な体格に見合わず力持ちのようで私が手放したボストンバッグを銜えていた。
「あ、ありがとね」
言ってフェネックの頭を撫でると、キューと一声鳴く。前読んだ本では「フェネックは人に懐きにくい」と聞いたのだけど、どうやらちゃんと個体差はあったようだ。この子は私の手を嫌がるどころか、気持ちよさそうに目を細めている。
「……で、ここはどこなのかな?」
気持ちよさそうに喉を鳴らすフェネックに尋ねても、返事があるはずがない。きらきらと輝く目で見上げられただけだ。
青い空に浮かぶ白い雲。緑溢れる地上と橋で繋がれたこの場所は、何故か宙に浮いていた。石碑に刻まれた文字もしくは記号は、私が知っている言語ではないらしい。
(……少なくとも、私が知ってる国じゃないことは確かだよね……)
非科学的ではあるが――そもそも「地球」ですらないのではないだろうか。スカートのポケットから携帯電話を取り出し、スライドさせてキーを打てるようにする。が、画面に表示された「圏外」の二文字に指が止まった。
(せめてシンクと連絡取れれば……って思ったんだけどなあ)
私より早く、あの魔方陣に吸い込まれたシンクはどこへ落ちたのだろうか。同じ場所なのか、違ったとしてその距離はどれくらいなのか。そして何より――「ここはどこなのか」。
私を連れてきたこのフェネックは喋らないし、この場所には私とこの子以外に誰もいない。携帯は通じないし、幼馴染は行方不明……。
(ベッキー風に言うなら、『詰んだ』ってやつかな)
その言葉に行き着いた瞬間、こちらへ駆け寄る影があった。それに気づいたフェネックが嬉しそうに鳴いて、そちらへ駆け寄る。
「よくやった、アロゼ!」
影の正体である少年はフードを外し、緋色の髪を惜しげなく陽光に晒した。頭部のキツネ耳とちらちら見える尻尾に、私は思わず自分の頬を抓る。言うまでもなく痛かった。
(勘弁してほしいなあ……)
今までは何とか平静を保っていたが、正直もうそろそろ限界である。いきなり飛ばされて、その先では耳と尻尾が通常装備とか――ここまでくれば認めるしかない。ここは地球ではなく、立派な「異世界」だと。
「初めまして、勇者殿。急な召喚にも関わらず応じていただいて申し訳ない」
一礼して少年は黒曜石の様な瞳で、未だ呆然とする私を見た。
「僕……じゃない。私は、フィユタージュ王国第27代国王、エールトベーレ・フィユタージュだ」
「サクラ・ナナヤと申します。……あの、『勇者』のこととか聞きたいことが……」
召喚に応じたとは、そもそも『勇者』とは何だ。ゲームのように魔王でも倒せと言うのか。それ以前にどう見ても私とそう年が変わらない彼が、何故「国王」を継いでいるのか。
もし一連の事が召喚だと言うのなら、シンクは私よりも前に呼ばれたということになる。なら彼はどこにいるのか。聞きたいこと、聞かなければならないことが山ほどある。
しかし、私の言葉を遮るかのように花火が上がった――花火!?
「しまった! もう始まった!?」
「始まったって……?」
一方、私よりもエールトベーレが慌てていた。へたりこんだままの私に手を差し伸べて立たせ、そのまま下へと続く階段を駆け下りる。
「あ、あの!?」
「詳しい話は道中に! ……ヴァニーユ!」
その声に応えたのは、ダチョウにも似た鳥だった。一声鳴いたその鳥は静かに脚を折り、その背に私たちを乗せる。その鳥――種族は「セルクル」と言うらしい――の背で、私はエールトベーレから現状を聞いていた。
まず最初に言われたのは、『ビスコッティ共和国』と『ガレット獅子団領』という二つの国家と、その二国が現在戦争中だという事。そして私を召喚したエールトベーレが治める『フィユタージュ王国』はここ最近になってその戦争に参加し始めたらしい。地理的にも両国家のちょうど中間に存在するということ、そして同盟を理由にビスコッティ共和国に援助をしていたから、だとか。
「ガレットはそれが気に食わない……っていうこと?」
「それもあります。だけど、ビスコッティとの同盟はずっと前から締結しています。この戦に合わせたわけではありません」
そもそもこの三国は友好国として、歴史を鑑みても長い付き合いがあるらしい。しかしある時を境にガレットはビスコッティに進軍。当初はガレットもフィユタージュに協力を要請していたらしいが、数日後にはビスコッティ同様進軍対象になったそうだ。
ここでビスコッティ・フィユタージュ両国は手を組み、ガレットと対立。しかし二国を同時に相手取るガレットとの戦力差は著しいものがあり、ここまで敗戦続き。そうこうしている内にガレットはビスコッティ共和国フィリアンノ領の目と鼻の先まで進軍した。――それも、本来の戦力の半分で、だ。もう半分は私達が現在向かっている
「今日、ビスコッティか僕達か……どちらかが負ければ、フィリアンノ城が落とされる。そうなったらビスコッティの民も――ミルヒも、悲しい思いをしてしまう」
その様子を想像したのか、エールトベーレの耳が垂れた。尻尾は力なく風に揺れている。……しょんぼりしているのはこちらも同じらしい。
「確認するね。……まず、フィリアンノ城を守るには、今日の戦いでビスコッティとフィユタージュ両国が勝たなければならない」
「はい」
「んで、ガレットの戦力を二分して戦闘中。名のある実力者はそれぞれほぼ均等に配置されている」
「はい」
「……そんでもって、現在進行形で両国は敗戦一方。現状打破のため勇者召喚を試みた――で、合ってる……んだね」
目の前のキツネ耳が、先程よりも垂れた。
しかし現状をまとめれば、「勝ち目が無い」という結論に落ち着いてしまう。彼らが求めているのは、劣勢を覆す、絶対的な力を持った勇者だ。――普通の女子中学生である私に、そんな力があるはずない。
沈黙が場を支配する。
「確かに、僕達が勝つなんてあり得ない。……でも、だからって諦めたくないんだ」
そう、エールトベーレは唇を噛み締めた。肩越しに見えた悔しそうな瞳は、それでも自国の勝利を――同盟国の勝利を願っている。その輝きを、私は知っていた。
『――いい、サクラ。どんなことがあっても、”絶対にあり得ない”なんて思っては駄目よ?』
彼の横顔を見た瞬間、脳裏に母の言葉が蘇る。
『思い込みで視野を狭めるということは、思考を放棄したも同然。それは可能性を潰すということよ』
(……そんなこと、分かってるよ)
でも実際、どうすればいい? 前にベッキーと一緒に遊んだゲームを片っ端から思い出してみるけれど、参考に出来そうもない。私に出来ること……。
「……着きました。ここが、今回の
「ここが……」
エールトベーレの声に、顔を上げる。
――目の前の光景に、声が出なかった。
まず目に入ったのは、空に浮かぶクリスタルに映された実況席と大きな湖。湖の両端にかけられた木製の橋は途中で切れていて、中央の方は岩やら何やら……私が良く知っている言葉で表したら、ともかくフィールドアスレチックそのものだった。両軍の兵士は鎧など着込んでおらず、動きやすそうな軽装。妨害を受けて湖に落ちた兵士達は敵味方問わず医療部隊に救助されている。
そして湖を越えた先、『バトルフィールド』というらしいその場所では、一人の少年が剣を片手に戦っていた。突撃してくる大軍に、舌打ちして剣を構える。その姿が中継クリスタルに大きく映されると同時に、緋色に輝いたあの紋章がその背に現れた。緋色の光は刃に宿り、衝撃波で大軍を蹴散らす。蹴散らされた兵士達は煙と共に、耳と尻尾がついた毛玉に姿を変えた。
「勇者殿?」
「いえ。少し、情報を整理させてください……」
痛む頭を抱えて、私はこの光景を見つめ直す。もっと血生臭い感じを想像していたのだけど……。
「……これが、戦……?」
「戦を見るのは初めてですか?」
「ええ、まあ……というより、想像の斜め上を行かれた、というか……」
首を傾げる彼に、「怪我したり、死んじゃったりするのかと……」と正直に告げる。私の言葉に、エールトベーレは目を丸くした。
「『戦』はルールに則って、正々堂々行うものですから。怪我や事故が無い様にするのが、主催者や国の義務なんです。国同士の交渉でもありますが……健康的なものなんです」
――断言されてしまった。
いきなりこんな異世界に召喚されることも、確率が億分の一であっても「あり得ない事ではない」。その先で行われている『戦』が安全無事な興業だったり、召喚主が年の変わらない王様であっても――あり得ないと決め付けるには早すぎる。
「やるよ、『勇者』」
「えっ……」
「……そのために、呼んでくれたんだよね?」
それはきっと、私以外の誰かでもよかった筈で。偶然あの場に居合わせたからこそ選ばれた訳で――それでも、私は呼ばれたんだ。なら、可能な限りその期待には応えたい。
私には、それだけの力があるのだから。
『連敗なんて残念展開はこれまでだ。我がフィユタージュ王国に希望と勝利を運んでくれる、勇者が来てくれた!』
一陣の風がマントを揺らす。エールトベーレの声がマイクを通じてフィールド一帯に拡散していた。その声に耳を傾けつつ、「あれって『よそ行き』の演技なのかなあ」なんてことを考えた。もしその通りなら王様も大変だ。
合図である花火が上がると同時に、足場にしていた見張り櫓から飛び降りる。花火に気づいた面々の口から聞こえる、期待に染まった声色がむず痒い。
空中で身を捻り、着地すると同時に預けられた『武器』を発動させる。シンプルながらもどこか優雅さを感じられる装飾がなされた指輪がその姿を、扱い慣れた棒状へと変化した。それを数回回し、構える。
……やっぱ言わなきゃ駄目かなあ、恥ずかしいなあ。周囲の視線を集めつつ、それでも覚悟を決めて、私は高らかに声を上げた。
「陛下のお呼びに預かり、『勇者・サクラ』――ここに見参!」