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日曜日の朝。いつもなら昼前まで泥のように眠っているはずのタロウだったが、今日は差し込む朝日の眩しさに、妙に早く目が覚めた。
隣の布団からは、衣擦れの音や寝息も聞こえてこず、代わりにキッチンからは美味しそうな音が鳴っていた。
「……あ、おはよう」
台所から、イオリが現れちゃぶ台へと朝飯を並べる。
「……おう。早いな」
「帰る日が決まったら、なんだか落ち着かなくて。……ほら、座った。ご飯、できてるから」
出されたのは、昨日残ったカレーと焼いた食パン。それとハムと野菜であった。所謂、ナンを千切ってカレーをつけて食う。インド式の食べ方である。
だが、今回はナンそのものではなく食パン。そして、ここはインドではなく日本。千切るために普通に両手を使います。「手は洗ってあるので大丈夫」と心の中で思いながらタロウはそれを食す。美味くないはずがない……のだが。
昨日から二人の空気は気まずさで凍っていた。いつもの言い合いも減り、お互い口数が少なくなったし目を合わせることもなくなった。別に喧嘩をしているわけでもないというのに、二人の間は凍っていた。
一口食べれば、喉を通る感覚は砂を噛んでいるかのように重い。だが、タロウは誰よりも食べる事が好きな人間であるため、それはそれとして料理をしっかり味わう。
(あ〜、うんめぇ………………でも、一週間経てばこの味も食べられなくなるのか)
名残惜しい、とタロウは思った。だが、それだけではない。
なんだかんだ、イオリと住み始めて2週間。短くも濃いものだった。二人で料理をして、掃除をして、買い物に行って、トランプをして、パソコンでゲームをして、動画の配信を見て、部屋にあった漫画読んで、共に教えあいながら勉強をして……。二人にとって、とても充実した日々だったことだろう。それがあと一週間で、終わりを告げる。
そうだ、良いことのはずなんだ。彼女はようやく、この世界から帰れるんだ。……寂しくはなるけど、でもそれは仕方ないこと。イオリにはイオリの生活がある。ここでは、ただの家主でしかない。家主…………。
「………………嫌だな」(ぼそ)
ふと、タロウは自身の思考に驚いて目を見開いた。
何を言っているんだ。一週間経てば、食費は半分になる。自分のプライバシーは守られ、鼻を蹴られる恐怖に怯えることもない。
最高じゃないか。万々歳だ。昨日、自分もそう言ったはずだ。
「……タロウどうした?味、変だった?」
不安そうに覗き込んでくるイオリ。その瞳は、昨日泣き腫らしたせいか、少しだけ縁が赤い。
「そんなことないよ。うまい」
「そう。……ならいいけど」
イオリは少しだけ安心したように笑い、自分の分を食べ始める。
その何気ない仕草。スプーンを運ぶ手。時折、邪魔そうに耳にかけて揺れる銀色の髪。見えるうなじ、褐色の肌。揺れ動く赤い瞳。その一挙手一投足に目がいく。
今見えているその全てが、あと百数十時間後には、この部屋から、この世界から、永遠に消失する。
(……消える?)
その単語が脳裏をよぎった瞬間、タロウの手はまた止まった。
目の前で黙々と食べる彼女が、光の粒子か何かに溶けて、二度と触れられなくなる光景が鮮明に連想される。
昨夜、膝の上で感じたあの温もりが、ただの記憶という「データ」に変わってしまう。
「っ……!」
心臓が、痛いほどに脈打った気がした。
チクッと、何かにつつかれたような痛み。なんとなく、自身の胸板に手を乗せて胸を軽く抑える。だからといって、この痛みの理由がわかるわけではない。
「おい、本当に大丈夫かタロウ?」
「……いや、なんでもない」
結局、変にイオリを心配させただけで終わった。タロウはこれ以上考えるのをやめる事にするが、イオリを見るたび片隅にそれが浮かび、今日一日、あまり見ないようにしてしまうのだった。
□□□
それから2日が過ぎ、火曜日。もうすぐ冬休みが始まろうとしていた。休みが近づいてきたのもあり、各教科から長期休暇の間の課題が出される。タロウは、今日配られた冬課題のワークを見つめる。
一つのワークにつき10ページちょっと。今時は、普及しているタブレットでやる時代だがうちの高校は昔ながらの紙タイプだ。タブレットが良いとは思ってないが、実際にその厚みやワークの量を見るとどうしても億劫になってしまう。
ふざけてんのかこの野郎!と内心でタロウは愚痴った。
「やっほ太郎、死にそうな顔してんね」
真里が現れた。タロウは、無視を発動。
ミスッ!真里には効かなかった。
真里はいきなり襲いかかった。タロウの手を掴み連れ去った。
「無視するなよ〜!」
「無視してんだから何もすんなよ、あとどこ行く気だ」
「決まってんしょ?屋上とこ」
なし崩し的に屋上入り口近くの階段まで連れてかれそこに座らされる。二人だけになる時のいつもの定位置だ。
「それでそれで?イオリちゃんとは最近どう?」
「まぁ、普通にやってるぞ」
「普通って……え〜?なにかないの〜?ハプニングとかアクションとかさ〜?」
真里は何を期待しているのだろうか、そんなことをぼやく。
「何かあるわけないだろう。いつも通り、アイツが家事して、僕は学校やバイト、帰ってきて飯食って風呂入って寝る。……それだけだ」
「つまんないな〜。……ねぇ、本当に何もないの?」
「だから、何もないって……」
あるにはある。それは、まだ彼の中で名前の付かない謎の感情。隅の隅で蓋をして暴れている。
もうすぐで、彼女は元いたところに帰る……言わなかったらそれもそれで面倒だが、またあのぎこちない空気になるのはごめんだった。
だから、タロウはそう言ったのだが……。
「ふ〜〜ん。……の割には、さっきから顔暗いわよ?」
「……気のせいだろ」
「やっぱり、なにかあったのね」
確信したのかそんなことを言う。それでもタロウは、あくまでしらを切った。
「なんでそう思うんだ?」
「嘘つくときに若干目を逸らしてる」
「?」
「あと、よく首をかいてる。……はい、十分かしら?」
「……参った」
だが、真里はタロウの癖を把握していたのか彼の誤魔化しは一瞬にして砕け散った。
真里が、話せと言わんばかりにタロウを睨み、急かす。だが、タロウはなんて言うべきか迷いしばらく喋らなかった。このままチャイムまで黙ろうと考える。しかし、それに我慢できないのか、真里は聞く。
「いい?タロウ。私は、イオリちゃんのことを深く知ってるつもりよ。あなたよりも詳しいわ。でもね、彼女はゲームのキャラ以前に女の子なの。だから、彼女が抱いてる気持ちがなんなのか。大体だけどわかってるつもり……だからね、タロウ。聞いておきたいんだけど」
真里は手すりに体重を預け、少しだけ真面目なトーンで続けた。
「……アンタ、このまま黙って送り出すつもり?」
「当たり前だろ。あいつには帰るべき場所があるんだ」
タロウは食い気味に答えた。自分に言い聞かせるような、硬い声だった。
「建前はいいのよ。私が聞いてるのは、アンタの中身の話。イオリちゃんが帰るって決まってから、アンタ、一回でもあの子の目を見て笑った?」
「っ……」
図星だった。視界の端に映る銀色の髪、耳に届く声。そのすべてが愛おしくなればなるほど、失う時の恐怖が勝り、彼は無意識に蓋をして閉じ込めていた。
「私の口からは何とも言えないけど。そろそろ気付いてあげるべきなんじゃないの?アンタも薄々わかってたんでしょ。その気持ちの正体を」
「それは……そうだけど。でも、いいのかな?」
「あのねえ、タロウ。女の子が、自分のために一生懸命料理を覚えて、あなたのために作ったのよ。それも、慣れない世界で必死に居場所を作ってくれた男の子に。最初は恩義からかもしれなかったけど、流石にわかるでしょ!イオリちゃんの行動の全てが、それを物語ってんのがわからないわけ!?」
真里の言葉が、冷たい冬の風に乗ってタロウの胸に突き刺さる。
「でも……」
それでも、タロウには自信が無かった。タロウにとってもイオリにとっても、これは初めての恋だった。そして、タロウはこの気持ちがそういうものだと、実感していない。故に、本当にそうなのかと自分を疑ってもいた。
「この……!!」
真里の怒声が、静かな階段の踊り場に反響した。彼女はそのままタロウの胸ぐらを掴み、至近距離でその目を射抜く。
「『でも』なんて言葉で逃げていい場面じゃないのよ!時間ももう残ってないってのに!何も言わずにこのまま終わらせようっていうの!アンタそれでも男なの!!」
感情が昂る。真里の憤っていた。女の恋心に応えないその男にイラついて、胸ぐらを掴んで抗議する。
タロウは真里の腕を振り払うでもなく、力なく言葉を零した。
「あいつは、あっちの世界に居場所がある。立派な役目だってあるんだ。僕がここで余計なことを言って、あいつの足を引っ張ってどうすんだよ。それに、言ってどうなる?どっちみち、イオリはあっちに帰らないといけない。ヘイローだって、いつまでも隠し通せるわけじゃない。真里みたいに見えるやつだっているだろう。平和ではあるけど、それでも彼女は異質だ。騒ぎになる前に帰ったほうがいいのは、当然だろ。………その方が、笑って送れるってもんだ」
タロウは理論武装で真里の言葉を跳ね除ける。
タロウはもう、わかっていたのだ。この自分の気持ちがなんなのか。蓋をしていたそれがなんなのか。でも、気付かないように蓋の上を塞いだ。それをお互いに、未練を残さない為に黙って片隅に追いやった。そうすれば、気が楽だったから。
「……そんな苦しい顔で言われても、説得力ないわよ」
タロウは顔を下に向けて沈む。
真里はタロウの制服から手を離して、呆れの籠った目でタロウを見つめる。そこで、問い詰めるのをやめた。十分だと思ったのだろう。真里の目的は、あくまで彼に気付かせることだったから。
タロウは一度、深呼吸をして、目つきを変えて真里を見る。その目は、決意を表していた。
そうして、タロウは真里にある事を頼むのだった。
□□□アパート
時刻が15時近くを指し始めたところで、晩ご飯の支度を始める。今日はバイトが無い日なので大体このぐらいの時間から準備をしている。タロウがいないこの時間は、基本することが家事かパソコンにあったゲームと動画視聴くらいしかないので、イオリは退屈であった。
「今日はなににしようかな」
冷蔵庫の中を開け、メインになりそうなのを考える。昨日は鯵の塩焼きだったので、今回は肉にしようと考える。
「……あっ、これ消費期限が明日までだな。今じゃなくてもいいけど。……他に思いつかないし、今日はハンバーグにしよう」
「ソースは……レシピにあったトマトソースにしよう」と考えながら玉ねぎや卵、野菜などを用意していく。
ハンバーグの整形が終わったところで、玄関から鍵が開く音が響く。すぐ近くなので、その音はよく聞こえてきた。玄関の方に視線を向け、彼をいつものようにイオリは出迎える。
「おかえり、タロウ」
「ただいま、イオリ」
聞き慣れた声。けれど、その声にはどこか努めて明るく振る舞おうとしているような、硬い響きだった。イオリは少しの違和感を感じたが、気づかないふりをする。
キッチンに現れたタロウは、焼かれ始めたハンバーグの香りに鼻を震わせた。
「……おう。今日はハンバーグか」
「ああ、冷蔵庫の整理も兼ねてな。……今焼き始めたから、もう少し待っててくれ」
「……あぁ、そうするわ」
いつも通りの会話。いつも通りの距離感。
けれど、洗面所へ向かうタロウの背中を見送りながら、イオリは胸の奥がキュッと締め付けられるのを感じた。
(……あと、何回。あと何回、こうやってタロウと話せるんだろう)
ジュー、という肉の焼ける音が、今は砂時計の砂が落ちる音のように聞こえる。
手を洗い終えて戻ってきたタロウは、ちゃぶ台に皿を並べ、洗った野菜達を盛り付け始めた。
「……なぁ、イオリ」
不意に、タロウが口を開いた。視線は手元のサラダボウルに向けられたままだ。
「……何よ」
「明日からさ。迎えが来るまでの間、真里の家に住まないか?」
その言葉に、イオリの持つ菜箸が止まった。じゅうじゅうと音を立てるハンバーグの脂が、心なしか爆ぜたように響く。
「……は?何言ってるの、アンタ」
「いや、ほら。真里もお前のこと気に入ってるし、あいつの家の方が広いだろ?それに女子同士の方が、帰る前の準備とか……色々都合がいいかと思って。僕もこれから冬休みの課題とか、バイトとかでバタバタするし。……その方が、お互い気楽だと思うんだ」
タロウは一度も目を合わせず、もっともらしい理屈を並べ立てた。もとより、おかしかったのだ。恋人でもない男女が一つ屋根の下、同棲しているという事実。もっと早くからこうするべきだった。でも、今からでもこうすれば大丈夫だ。お互い好きだという気持ちに気付かぬまま、後腐れなくイオリは帰れる。
タロウは、これでいいと納得した。完璧な作戦だと思った。……しかし、それは前提が崩れた今の状況において、ただの悪手だった。
沈黙が流れる。イオリの背中は、小刻みに震えていた。
「……気楽?」
低い、地を這うような声だった。
「そうよね。居候がいなくなれば、アンタはのびのびと自分の生活に戻れるもんな。食費だって浮くし、うるさく突っかかれる心配もない。……万々歳だもんね」
わなわなと体を震わせながら、つらつらと込み上げる怒りが噴火目前の振動の如く出る。
「イ、イオリ……?」
「ふざけないでよ!!」
そうして、火山は噴火した。イオリはフライ返しを叩きつけるように置き、タロウに詰め寄った。その瞳には、隠しきれない怒りと、それ以上の絶望が滲んでいた。
「なによ都合がいいって!なによ気楽って!私は……私は、最後の日まで、この部屋で、アンタと最後まで……っ!」
「……イオリ、落ち着けって。これはお前の為を思って――」
「私の為!?アンタが私を視界に入れたくないだけでしょ!追い出したいならそう言えばいいじゃない!面倒になったって、顔も見たくないって、はっきり言いなさいよ!!」
イオリの怒号が、廊下のキッチンに突き刺さる。いつもなら言い返すタロウだったが、その剥き出しの感情の質量に気圧され、言葉を失って立ち尽くした。
「……ねぇ!!なんとか言えって!!本当は嫌だったんだろ!!こんな当たりの強い女は嫌いなんだろ!必死に我慢してたんだろ!」
「…………い、や。ちが」
「もういい!!」
叫ぶなり、イオリはスニーカーを引っ掴んでドアを蹴破るように飛び出した。
バタン、という暴力的な閉扉音が、静まり返った部屋に虚しく響く。
「…………あ」
数秒間、タロウは放心状態で立ち尽くしていた。
頭の中では「これでよかったんだ」という理性が必死に働こうとしていたが、胸の奥の痛みがそれを許さなかった。イオリの、あの泣きそうな怒り顔が網膜に焼き付いて離れなかった。
「……クソっ!!」
タロウは我に返り、靴も揃えず外へ飛び出した。
□□□
夜の帳が下り始めたアパートの周辺。街灯の下を、狂ったように探し回る。
「イオリ!! イオリ!!どこだ!!」
二人がよく買い物に行ったスーパー。近くにある公園や川、最寄りの駅の改札前など。とにかく探し回る。
銃も持たず、知り合いもいないこの世界で、あいつが一人で行ける場所なんて限られているはずだ。
走って、叫んで、息を切らして。
けれど、銀色の髪も、揺れる尻尾も、どこにも見当たらなかった。
(……僕は、何をやってるんだ)
逃げようとした結果、一番見たくなかった顔をさせてしまった。
後悔と自己嫌悪で足が重くなる。一時間以上探し回り、もはや絶望的な気分で、重い足を引きずりながらアパートへと戻った。
階段を上がり、自分の部屋の前まで来たとき。
タロウの心臓が跳ね上がった。
ドアの前に、小さな影がうずくまっていた。
膝を抱え、顔を埋めて。冷たい床の上に座り込んでいるその姿は、あまりにも小さく、脆そうに見えた。
「……イオリ」
タロウが掠れた声で呼ぶと、影がびくりと肩を揺らした。
ゆっくりと上げられたその顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
けれど、捨てられた仔犬のような目をして、彼女は震える声でこう言った。
「………………タロウ」
タロウは、開けるべき蓋の重さを、その意味をようやく理解したのだった。
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次回投稿は一週間後の月曜を予定。
後2、3話(+α)続くと思っといてください。後日談は一話だけにする予定。
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