機動戦士ガンダム Hollows' Warfare 作:怨是
《こちら第17モビルスーツ教導隊のジェフ・ベイカー軍曹だ。オニール伍長、訓練用の操縦マニュアルには目を通しているね?》
通信だ。左側サブモニタに番号と、黒人男性の顔が表示された。
「イエス・サー。合計七回ほどです」
《身に付いているならそれで充分だ。それと“サー”は省略してくれて構わんよ。》
「すみません。私の部隊では、そういう“しきたり”でしたので、つい……」
《ハハハ。今時“サー”を使えなどという海兵隊かぶれの鬼軍曹が居るなんて、珍しいもんだ。俺のような身分でそれを使われるのは初めてだったから、びっくりしちまったよ》
格納庫で説明を受けていた時からだが、ベイカーは教官を務める軍曹の割に随分と腰が低い。有色人種だからという、謂われの無い筈の負い目によるものだろうか。
人種による社会的格差は宇宙世紀の到来と共に取り払われたというが、ベイカー軍曹のこともあり、オニールはどうにもその触れ込みには懐疑的だった。未だに有色人種といえば極東の島国に住まういわゆる“ジャップ”と呼ばれる黄色人種の台頭が脳裏を過ぎるが、それ以外――たとえばベイカー軍曹のような黒人など――が目覚ましい社会進出を遂げているという印象は無い。地球連邦の役人の顔を見ても、白人種が大半を占めている。
しかし、本来ならそれは些末な問題だ。今や地球全体がジオン公国の脅威を前にして、一丸となっている。たとえそれが、表向きであったとしても。
《ここまでで、何か問題はあるかな? 伍長。問題がなければ訓練を続けよう》
オニールは短く首を振り、それから「了解」と応答することでベイカーの話を促した。
《では、手筈通りに此処から500メートル先へと歩行移動する》
オニールは固唾を呑む。シミュレータとは違い、転倒すれば舌を噛み切る程の衝撃に襲われるだろう。シミュレータを何度も動かそうと、マニュアルを何遍読み返そうと、その事実は揺るがないのだ。
――それでも段差一つ乗り越えるのが苦ではなくなるなら、安い代償か。
オニールのコックピットの右側から、少しだけくぐもった音が聞こえた。ベイカーのジムはいつの間にか近くを並走しており、オニール機の右肩にマニピュレータを置いていた。手慣れた動作は三日そこらで体得できるものではなく、恐らくはジムが生産される以前からモビルスーツの操縦経験があったことが窺えた。いや、だからこそ教導隊に配属されたのだろう。
《伍長。歩きながら接触回線に切り替えられるか?》
にもかかわらず、それを鼻に掛けることもなく、ベイカー軍曹は殆ど頼み事のように指示を出した。
「了解」
モビルスーツの回線は三種類に分けられる。広範囲での通話が可能である代わりに傍受の危険性が高い電波通信、ミノフスキー粒子散布状況下での主な通信手段であるレーザー通信、そして機体同士を触れ合わせることで内緒話のできる接触回線通信だ。
オニールはベイカー軍曹の行為を訝しんだ。前線に近い基地での演習だが、訓練中の通信を傍受されたところで、致命的な損失を被る事などあるのだろうか。などと逡巡したところで、上司命令に敢えて反発する理由も見当たらなかった。
「切り替えました」
《オーケイ。ところで、君が七回も読んだあのマニュアルな。俺の知人が編集したんだが、どうだった?》
オニールは脱力した。下士官の部下教育マニュアルには、人に物事を教えるにあたって相手の緊張を和らげるために雑談を交えろとでも書かれていたのだろうか。人類史上に於いて前例のない兵器に乗せられるのだから、確かに一理あるとは思うが、その一方で得もいわれぬ“もや”が胸中に立ち込める。
「詳細に亘って解説が為されていると思いました」
オニールは喉まで出かかっていた「事細かに書きすぎて解りづらい」という愚痴を呑み込み、無難な所見を述べるに留めた。あれをマニュアルとして定義すれば、間違いなく悪文だ。読み手はマニュアルである事を期待してあれに目を通すが、あれは本来のマニュアルとしては不必要な記述が幾つも書かれていた。実際、仕様書から一部抜粋しただけではないのかという不平不満を、オニールは基地内の食堂で耳にしたことがある。ベイカーもどうやら思うところがあったらしく、モニタのウィンドウ越しに、ばつの悪いといった顔を見せている。
《正直、良く言えば読み応えがあるが、頭が灼けそうになると思わないか?》
「良し悪しに関しては……。私は、モビルスーツは素人ですので」
《他に読んでないなら比べようが無いか。まあ、忘れてくれ》
「了解、忘れます」
さて、このジムの歩行に伴う震動は、思った程には大きくなかった。もっと胃を揺らされるのではと戦々恐々だったオニールにとって、この結果は些か拍子抜けだった。脚部に緩衝材でも仕込んでいるのだろうか。それとも、胴体内部にカセット式のコックピットを詰め込んだ副産物か。鹵獲したザクにでも乗り込んでいれば理解が及んだのかもしれないが、ついこの前まで門外漢だったオニールには難しかった。
とにかくこの程度の揺れであれば、いざ実戦という局面にあっても棒立ちで武器を使うという愚行を冒さずに済みそうだ。
《間もなく折り返し地点だな。ガイドビーコンがメインモニタに表示されている筈だ》
確かに、黄色いアイコンと“Point A-1”という文字が表示されていた。
「到着しました」
《次はバーニアを用いたジャンプ機動を行なう》
ついに来た。これこそ、オニールが今日まで待ち望んできたものだ。これを使いこなせたなら、少なくとも上海の二の轍は踏まずに済む。他の連中はたかがジャンプ如きと笑うに違いない。だが、立体機動の可不可と、装甲による有視界戦闘での優位性こそが、既存の兵器とモビルスーツを分かつ最大の強みだ。ビームだの何だのは、あくまでオマケでしかない。
――そうとも。弾の種類はあくまで各々の環境に適しているものを選ぶというだけだ。どんな装甲でも破壊する万能の弾薬など、作れるものかよ。神は死んだ。今からおよそ八十年も昔に。
バーニアの作動ペダルを踏み込み、機体を上昇させる。歩行時とは比べ物にならない荷重が、血液を下へと追い遣った。
《右側のフットペダルを二秒踏み、着地の手順を実行してくれ》
着地の手順は、マニュアルに書いてあったものを指している……筈だ。いまひとつ確信が持てなかった理由としては、ジェフ・ベイカーという男からは、何処か正道から足を踏み外したような独特な気配が漂っている為だ。それが何に起因するものかまでは、判然としないが。
果たして、着地は難なく成功した。少しばかり焦って早めにバーニアを噴かしすぎてしまったのは否めないが、驚く程完璧に着地してくれた。これはまさか、ガンダムのパイロットが蓄積してきた戦闘データを基に操縦の補助を行なっているからだろうか。自分のような初心者ならば兎も角、熟達したパイロットであればこういう“お利口さんの動き”に物足りなさを感じるのかもしれない。ただし、そこに辿り着くまでに、生き延びる事が出来るかまでは解らない。三十路手前でありながら伍長止まりなのだから、そろそろ死地に放り込まれてもおかしくはあるまい。凡庸を絵に描いたような自分が今日まで生き存えてこられたのは、ひとえに臆病な性根によるものだ。
*
ジオン公国地球方面軍は、度重なる戦術的敗北により全体的な士気を著しく低下させていた。元より“北の毒蛇”と呼ばれたテルシオ・テルマルト中佐にとっては、さして実感を与えるようなものでもなかったが。
ギャロップ級陸上艦“エスパダ・ヴェルデ”の乗り心地は悪くない。伊達にホバー走行をしている訳ではないということか。ムサイ級宇宙巡洋艦にてモビルスーツのパイロットを務めていた頃が遠い記憶に感じられる。あれからまだ、たかだか十ヶ月余りが経過したに過ぎない筈だった。戦争という疾風怒濤が、月日を鮮血色に染め上げたが故の弊害だろうか。
テルマルトは丸形のサングラス越しに、管制室のレーダーを睨む。黒を基調としたプラズマテレビタイプのレーダーは、光の灯されていない部分にテルマルト自身の顔を映り込ませていた。頭頂部の禿げ上がった白髪頭、胸元まで伸ばした白髭、そしてサングラス。苦々しく歪めた顔に刻まれた皺は、明らかに加齢のみによるものではない。
「ったく、不便な老眼鏡だな。ちっとも度が合わねえ」
サングラスを取り、目を軽く擦ってからレーダーを見返した。レーダーに表示されている『FT』のアイコンは戦闘機――ファイターを意味する。上空の偵察および対地攻撃支援を担い、十機のドップ戦闘機で編成されるスカベンジャー飛行中隊だ。
対して『MS』と表示されているアイコンのコブラチームは三機編隊で、その全てが補修を繰り返したザクIIで構成されている。旧型ザクでないだけまだましだが、十全な補給が保証されていない状況下だ。本作戦の目的がハバロフスク基地の制圧ではなく、その前準備である偵察だということを差し引いても、些か心許ないというのが偽らざる本音だった。
さて、その三機の内ひとつが想定したルート――方角で表せばエスパダ・ヴェルデより3時方面、廃墟と森林地帯を抜けるというもの――から逸れて動いているのをテルマルトは見逃さなかった。すぐさまマイクのボタンを押し、粗相をしでかした一人を咎める。
「こちらアナコンダ。コブラ1、進路を外れてるぞ」
《コブラ1よりアナコンダ。連邦のモビルスーツ二機を視認しました。北方、距離3000。動きを見るに、まだ感付かれてはいません》
通信機越しに聞こえる掠れた男の声に、テルマルトは眉を顰めた。
「ガンダムタイプか?」
テルマルトは押し殺した声で、静かに問うた。件のモビルスーツにツノでも付いていたら後方基地への手土産にもなるだろうなどと楽観的に考えられるほど、ジオン公国軍の物資は潤沢ではない。当然、このヴァイパー小隊も例に漏れず、貧者の行軍を続けている。
負け戦が続いているのだ。既にガンダムが複数機存在することは、オデッサ防衛戦より以前に確認されていた。はじめのうちはマ・クベ大佐が報告を握り潰していたのか知らないが、上から知らされる者はあまり居なかったという。
コブラ1――ジャンゴ・セス大尉が暫し間を置いた後に《いいえ、生産タイプです。マッドアングラー隊のデータと外見が一致しています。脚部の形状から、恐らくはジャブロー製かと》と答えた。確か妙に足が角張った同型機が居るから、それとの見間違いをしたくなかったのだろう。言葉の端々に、どことなくジャンゴ自身に言って聞かせるような響きがあった。
《一方が先行し、動作をもう一方に繰り返させているところを鑑みて、訓練機と思われます》
「ひよっこかよ、おどかしやがって。まあ、何にせよ交戦は避けろ。敵が動きを見せたら、障害物を利用しながら戻って来い」
《了解。コブラ1および2と3、偵察に専念します》
「スカベンジャー隊もだ。指定の高度を維持しろ。対空砲火に捉えられたら、終わるぞ」
《了解。基地周辺に攻撃ヘリが見えますが、こちらに気付いている様子はありません。スカベンジャー各機、同じく偵察に専念》
「あいよ。やれやれ。面倒な事になっちまったな……」
テルマルトは禿げ上がった頭をぼりぼりと掻き毟った。ジャブローでの戦闘記録のみでは、連邦の新型の性能を推し量るには些か不足だ。ジオン公国地球制圧軍は度重なる作戦失敗により、その戦力を当初の三割程度にまで規模を縮小していた。オデッサ作戦、ジャブロー侵攻作戦――これに関してはオデッサ作戦の際に師団からはぐれてしまった為に合流できなかったが、情報はどうにかして友軍が仕入れてくれた――はいわずもがな、他にも様々な戦闘でモビルスーツを損失していたのだ。このヴァイパー小隊に於いてもそれは例外ではない。二ヶ月前にはドムを三機受領する手筈だったが、今や旧型のザク一機ですら有り難いという体たらくだ。このざまで連邦の新型とかち合うのは得策とはいえない。
「やれやれ、置いてけぼりの俺達に、追い打ちをかけて欲しくはないね」
革張りのシートに腰掛けながら、テルマルトは自分達の境遇を嘲笑した。既にジオン公国軍は宇宙――ソロモンでの決戦に注力している。とはいえ地上に降りた戦力を再び宇宙に上げるにはHLVと呼ばれる大型シャトルが必要不可欠だ。そして、それらを守る為の部隊も。
テルマルト含むヴァイパー小隊は後者だった。ジオンの余り物、はぐれ者ばかりが集まるこの部隊など、公国軍の上層部にとっては捨て石に過ぎない。無駄な戦闘で犬死にするよりは、HLV護衛という大役を担えた事は本来ならば身に余る光栄などと喜ぶべきかもしれない。ましてや本来なら外人部隊や懲罰部隊行きの人事を、たかだか数十点の金塊と壷を一つくれてやるだけで免れ得たのだ。今までよく背中から撃たれなかったものだと、己の悪運強さを褒めてやるべきかもしれなかった。
しかし、テルマルトはそうではなかった。
自らの経歴に思いを馳せてみれば、この釈然としない感情の本質を見出せた。テルシオ・テルマルトの人生は、常に破滅的な倦怠感と共にあった。南米で育った幼少期には既に父親の姿は無く、また母親は病床に伏せっていた。出稼ぎ労働による収入だけでは薬代が賄える筈もなく、齢が十を数える頃には母が逝った。人口増加抑制政策の名残で出産が厳しく取り締まられていた為に、テルマルトには兄弟が誰一人として居なかった。頼れる人脈といえば、出稼ぎ先の採掘場くらいのものだった。
使えるものは使える限り使う。それがあの過酷な労働環境によって与えられた唯一にして最大の教訓だ。激動の最中にあってもそれは変わらない。そうして綿密な計画と、豊富な人脈の末に得られたのが最高の商売道具――麻薬だ。コロニー内部では取り締まりが厳しく、思った程の財は得られなかったが、それが逆に功を為した。結果的にザビ家の支配地に手出しをせずに済んだのだ。
それに対して、地球圏では実に上手く行ってくれた。特に開戦直後の連邦軍は劣勢に立たされることも多く、またその頃には売却ルートがある程度確立されていたのも相まって、それなりの数の一般市民や軍人を薬漬けにしてやった。平時であればあんな大胆な商売をすれば、即座にお縄になっていただろう。加えて、責任追及を逃れる為のパイプもあった。連邦軍北米支部との癒着関係により、揉み消しが円滑に行なわれていた。開戦当初に収監および移送中の事故を偽り、ジオン公国に亡命してから数ヶ月の間は、ズムシティから地球へと指示を少し出してやるだけで懐が潤ったものだ。
――それも、今となっちゃあ過去の栄光だ。
儲けの大半は情報料や人事・物資に関する書類の細工、そしてキシリア・ザビへの上納金で使い果たし、かつての部下達とは連絡が途絶えて久しい。確固たる信念やらとは無縁なテルマルトだったが、それでも老齢に伴う寂寥感によるものか、在りし日の仲間が少しずつ姿を消して行く現状には気が滅入っていた。
艦橋モニタのレーザー通信一覧から、コブラ2の表示が消えた。これでザクIIと、そのパイロットを損失した事になる。
《こちらコブラ1! コブラ2、被弾! スカベンジャー、援護を!》
《スカベンジャー了解。対地支援を行なう》
「何処からだ?」
《南東、距離は不明です。弾頭の爆発規模からタンクモドキと推測されます》
テルマルトは眉間を揉んだ。この付近の地形を事前に調査した上で、障害物の多い箇所を侵攻ルートとして選んだつもりだったが、見通しが甘すぎた。連邦軍のモビルスーツ部隊など、性能に頼り切った素人ばかりだろうと高をくくって、進軍速度をある程度考慮したのが仇になったようだ。まさか訓練中の露払いを担う、いわゆる哨戒機が針の穴を通すが如く砲撃を成功させるとは、テルマルトは夢にも思っていなかったのだ。
「……コブラ隊は戻れ。スカベンジャー隊は上がりすぎるなよ。何度も言うが、対空網に引っ掛かったら、今までの努力が水の泡だ」
《了解。指定高度を維持します》
操舵をしつつ、指示を飛ばさねばならない。先の白兵戦でオペレーターと操舵手を一気に失った今、かつてのパイロット時代に培った経験を活かすしかないのだ。
*
オニールはおもむろにコックピットハッチを開いた。すかさず、ベイカーの当惑を帯びた声が鼓膜を打つ。
《おい、何があったんだ?》
「今、かすかに轟音が。訓練は私で最後でしたよね?」
《あ、ああ。他に出せるジムが無いからな》
ならば、音は訓練で出たものではない筈だ。鳥が曇り空を横切っている。オニールは懐に忍ばせていた双眼鏡を構え、鳥の進行方向の逆を辿った。この近辺は森林地帯が続いており、野生動物は此方の戦争などお構いなしに――などと口にしようものなら環境保護団体に吊るし上げられそうだが――あの木々に生息している。異変を察知すれば必ずその痕跡が生まれる。
――ビンゴだ!
案の定、煙を噴いている箇所があった。
「独断行動をお許し下さい。我々が狙われていないとも限らんなと思いまして」
《いや、いいんだ。カメラのズームでは鮮明に映らないものもある。付近の部隊に回線を繋ぐ》
こちらもモビルスーツの量産化に成功しているのだ。ならば、明らかに疲弊しているジオンが攻勢に出る事態には成り得ない。日和見主義的な考え方をするならば、わざわざ出向かずとも敵は退散する筈だ。友軍が抑え込んでくれる。逆に、下手に手を出して訓練用のジムを損傷させてしまった場合、始末書を作らされるハメになるだろう。いずれの場合にせよ、ベイカー軍曹のさじ加減次第だ。オニールは口を真一文字に結び、ハッチ閉鎖ボタンを押す。金属音とガスの音がコックピット内に木霊し、外界の空気が遮断された。
《こちら第17モビルスーツ教導隊のジェフ・ベイカー軍曹。付近の友軍は応答願う》
《……第6師団32小隊、エリオット・ノークス大尉だ。ベイカー軍曹、そちらは訓練中か?》
《ええ。万一に備え、武器はビームスプレーガンを二機分携帯しています。合流しますか?》
《上等だ。数が多い方が助かるってもんよ。連中、ゴキブリみてえに隠れやがった》
――そうするのが常だろうな。不測の事態が起こらないとも限らない。
手袋の裏側で、汗が滲み出る。ここの気候はまさしく寒冷地だが、オニールは何かに乗るとその乗り物が何であれ手汗をかいてしまう。身体がそのようにできてしまっているのだ。お陰で、素手で計器を操作していたときに何度汗を零したことか。にわかに渇きを覚えた唇をひと舐めし、メインモニタを睨む。
《ノークスもといゴート1、敵影を捕捉。敵は分散しているらしい。訓練中の二機はそいつらを炙り出してくれ》
《了解》
《さあ! ジオンのクソ虫共に、もう一発ブチかましてやるぜ!》
ホバー走行型モビルスーツ『ドム』でなければ、恐らくは着弾地点から然程の距離を稼げてはいないだろう。
ベイカーのジムが、腰のアタッチメントに装着していたビームスプレーガンを指差す。
《取ってくれ。生憎、火器の手渡しはマニュアルに載っていない》
「何故です? モビルスーツの利点は人体を模した構造そのものにあるのでは」
《その必要が無いと考えられているらしいから、だな》
弾が切れたら携行している他の武器を使えば良いとでも考えているのだろうか。ならば、それはとどのつまり平和ボケだ。モビルスーツも兵器だ。前線に立っている。ジャブローでの損失がどれだけのものかは立場上聞かされなかったので実情を知らないが、コックピットを貫かれたジムの残骸を見れば解る。大破したジムから武器を奪い取り、使用する事態は想定されて然るべきだ。とはいえ、それを口にするのは憚られるというものだ。オニールは苦い顔をしながら、ビームスプレーガンを手に取った。敵はまだ近くに来ていない。
ベイカーからの通信が来る。
《伍長、聞こえるかな》
「どうぞ」
《モビルスーツの弱点は、装甲の薄いバックパックだ。一発でも喰らったら、それが豆鉄砲だろうとひとたまりもない。ここからは、互いの背後をカバーする形で動く。いいね?》
「了解」
合理的な判断だ。股の下でも潜られない限りは、常に正面ならびに側面だけを注視できる。ジムの左手に装備された大型のシールドが、何とも頼もしい。
センサーは未だに敵機を感知していない。ミノフスキー粒子影響下に於ける有視界戦闘を前提としている為、レーダーなどという気の利いた代物は搭載していない。載せたところで役に立たないのだから、結局は無用の長物だが。何にせよ、敵が何処に居るかが判然としないのは、気分が悪い。
せめて雪が積もったばかりであれば、もう少し粉雪が舞うことで場所の特定もし易かっただろうに。よりにもよって中途半端に伐採されている所為で、モビルスーツが木々に触れ合ってくれない。
「これじゃあ見失う訳だ」
太陽が沈み、空はにわかに黒みを帯びる。こうなれば暗視装置に頼る他なく、敵の洗い出しはますます困難を極めるだろう。さっさと済ませねば。オニールは痛むこめかみを押さえながら、ちらついたメインモニタを凝視した。
ふと、視界の端で白い飛沫が舞い上がる。オニールは間髪入れずに、操縦桿に備え付けられた兵装の発射トリガーを引いた。ピンク色を帯びた光線が、照準の方角へと飛んで行く。何本もの針葉樹を貫いたそれは、枝葉のみならず幹に至るまで赤く染め上げ、瞬く間に炎を生み出した。ミノフスキー粒子を圧縮して吐き出す、エネルギーCAPと呼ばれる技術の賜物だ。
オニールは戦慄した。こんなものが量産されているのだ。戦車砲でも十数発は要するザクの装甲も、このビームスプレーガンなら二発か三発あれば貫けるに違いなかった。
ただ、敵機にまで命中はしていないと確信できた。もし命中していればもっと動きがある筈だ。良くても掠った程度だろう。
《着弾地点へ向かうぞ。敵機は少数だ。囲まれる心配は無い》
「了解」
*
コブラ1――ジャンゴ・セス大尉は間一髪でビームの着弾を免れ、額に浮かぶ汗を拭った。ガンダムと呼ばれるモビルスーツがビームライフルと共に7月から猛威を振るっていたことは知っていたが、よもやそれを量産できる段階にまで達していたとは夢にも思わなかった。いや、正確には軽視していた。ジャブローでの降下作戦で緊急離脱し、戦況を間近に見ることが叶わなかったジャンゴは、友軍の噂話でビームライフルのことを耳に入れていたが、彼らが誤認したのだろうと高をくくっていたのだ。連邦軍の陸上艇にはメガ粒子砲を搭載していたものが多かったから、それの見間違いだろうと思っていたのだ。
しかし、現に敵のモビルスーツはジャブローで多数確認された量産型でありながら、ビーム兵器を携行していた。砲弾よりも素早く、そして同程度の威力を誇りながらも直線状に飛ぶなどと、笑えない冗談だ。
「焦るな、ジャンゴ。俺はどんな状況でも、どうにか生き存えてきたじゃないか」
ザクの左腕は、以前に両肩のアーマーを損傷してから碌に修理をしていない所為で、可動範囲が思わしくない。攻撃補助に用いるのは諦め、コックピットを守らせる。これで多少は気休めになってくれると信じたい。
此処から少し北上すれば廃墟郡だ。弾避けにはなってくれるだろうし、舗装された地面ならば雪で柔らかくなった地面に足を取られる危険性も低くなるだろう。後はこの大きな足跡が発見されないことを祈るだけだ。なるべく進行ルートから外れた場所を、向きを変えながら歩く。
「コブラ3、状況を」
《廃墟郡から南西の距離1500、射撃訓練場らしき場所に生産タイプが一機。タンクモドキは発見できず》
どこか粘着質な声ではあったが、そこさえ除けばコブラ3――フランコ・バッシ少尉の悪癖といえば憎まれ口と粗野な言動に、あとは斜に構えた態度くらいだ。戦局を見極める冷静な観察眼と、悪状況から生還するタフネスはそれを補って余りある。仕事上の付き合いに留めておけば、少なくとも害のない男だ。
「スカベンジャー、ビームは空からは観測できたか?」
もう一つ、スカベンジャー飛行中隊にも打診する。彼らは戦闘機『ドップ』を用いて、制空権の確保から空対地攻撃まで何でもやってのける文字通りの何でも屋だ。現に、つい先程まで空対地支援を行なっていた。
《こちらスカベンジャー1、着弾点まで丸見えだ。それ以外は暗くてよく見えん》
「暗視スコープは」
《あんなもの、相手がバーニアを噴かしてなけりゃクソの役にも立たん。それに高度が低いとな》
「やれやれ……ボスのご機嫌を伺ってみるか」
チャンネルを切り替える。ボスであるアナコンダ、とどのつまりテルシオ・テルマルト中佐がすぐさま通信を割り込ませた。
《コブラ3の見付けた生産タイプが、コブラ2をやった奴だ。地形を見るに、視界がそこだけ一直線に開けてる。隙を覗って、予め予想した方角に撃ち込んできたんだろう。まったく、ツイてねえ》
「出来る奴が相手だと、苦労しますな」
《だがボヤいてる場合でもねえぞ。残った連中の位置が割り出せない以上、無闇に動き回るのは危険だ》
このまま敵の包囲網を脱出できるとは思えないが、今日まで戦ってきた手前むざむざ捕まってやるのも癪だった。
「ハイパースコープを使います。識別コンピュータのレベルを落として、真新しい奴を狙ってみましょう」
《訓練機を狙い撃ちにして退路を確保するか。悪くねえな。スカベンジャーは、コブラ1の援護を》
《スカベンジャー全機了解》
《コブラ3はそのまま、指示があるまで待機しとけ》
《了解、ボス》
*
オニールは、にわかに騒がしくなった空を眺めた。TINコッドにしては音が低すぎる。いや、これは聞き覚えのあるエンジン音だった。
「ジオンの戦闘機だ」
上海攻防戦で何度も聞かされた。そして、煮え湯も飲まされた。ジオン製の奇怪な形状の戦闘機ドップは、独特なベクタードノズルを採用しているのか異様に機動力が高い。最大速度ではなく、旋回性能をひっくるめた運動性が高いのだ。すなわち、自在に動き回れることを意味する。空力特性を殆ど無視した形状でありながらも、それが有視界戦闘に最適化されたものであるということは、少し知識があればすぐに理解出来た。
そしてそれが何機かは不明だが、この作戦領域に来ている。オニールは、己の顔が青褪めてゆくのを自覚した。制空権は半年前に連邦側が有利を勝ち取ったとはいえ、地上の戦力というものは戦闘機に対して非力だ。
「頼むから、もう俺に悪夢を見せないでくれ」
オニールの脳裏に、上空からのロケットによって木っ端微塵になった友軍の戦車がフラッシュバックする。今乗っているのは戦車ではなくモビルスーツだが、それは気休めにはならない。
《こちらベイカー。司令部に報告。敵戦闘機を多数確認、上空パトロール中の機体を援護に回すことを提案します》
暫しの間を置いて、再びサブモニタにウィンドウがポップした。
《こちら本部。部隊長からの返答を待つ》
《ゴート1より本部へ。軍曹の提案には概ね同意。但しそれのみでは不足と思われます。基地に温存した戦闘機部隊にもスクランブルを回されたし》
《許可しない。最小限の被害にとどめよ。以上》
《……へい、了解》
パトロール中の空挺部隊は確か、空対空機関砲搭載の装甲ヘリ『T-VAT』を中心に構成されていた筈だ。あんなものでは的になるだけだろう。しかしながら、オニールは彼らの作戦に口出しする権限が無い。
と、思案に耽ったのが間違いだった。
「――!」
気付けば被弾していた。立て続けにロケットの雨が降り注いでおり、雪の飛沫がそこかしこに立ち上がる。致命的な打撃は受けていないが、回避のためにバーニアを噴かしたのは悪手だったらしい。第二波はより激しさと正確さを増していた。
《オニール伍長、無事か?!》
応答しようにも、口が渇いて言葉が出ない。八年間もの経験とは何だったのだろう。情けないが、オニールは半ば恐慌状態に陥っていた。苦し紛れにシールドを上に掲げ、頭部に内蔵されたバルカンを掃射する。視界が悪いせいで、命中しているかどうかも判然としない。
*
エリオット・ノークス大尉は追撃を行ないながら、爆発の炎を横目に見た。あれは確か新入りを乗せた訓練機だ。有事の際にはそのまま戦闘に参加させることが出来るように、武装は全て本物を積み込んでいる。基地の高官達はさぞや『ジム・トレーナー』を配備したかっただろう。こういう事態になってしまえば、高価なモビルスーツまるまる一機が台無しになってしまうのだから。
モビルスーツに限れば、それはエリオットにとって些細なことだった。物量に於いて勝っているのだから機体など幾らでも補填できるだろう。問題はパイロットだ。技量や経験もそうだが、彼らの人生というものは替えが利かないのだ。
「おい、新入り! 聞こえるか!」
しかし、返答は無い。それも道理だろうかと、エリオットは訓練機へと向かった。あの状態で一ツ目に襲われたりでもすれば、それこそ只では済まされまい。エリオットは乗機のバーニアを噴かし、しゃにむに走った。学生時代にフットボールで地元のチームを大金星に導いた自慢の脚力も、機械であるモビルスーツには反映されない。
しかし奮闘虚しく、新入りの機体がビル群へと突っ込んだ。瓦礫の土煙でその周囲が見えなくなるが、あれでは恐らく助からないだろう。基地から戦闘機部隊を出撃させていれば、すぐにでも救援に来ることは可能だった筈だ。それをあの碌でなしの司令官はあろうことか、モビルスーツの戦闘はあくまでモビルスーツのみで、そしてあわよくば敵と同規模の戦力を投入しただけの状況下でケリを付けようとしたのだ。司令官が面子を欲張った結果、前途有望な若造を殺した。それもこれも、ジオンがモビルスーツを開発してコロニーを地球に落とし、独立戦争だの何だのと勿体振った大義名分を振りかざして地球連邦を挑発したからだ。
「……ジオンのクソ虫共! この落とし前は付けて貰うからな!」
怒鳴り声とは裏腹に、内心は冷静だった。目標を一機片付けたなら、その隙に一ツ目もといザクは逃げる筈だ。それを叩き、ご退場いただくという算段だ。
「ゴート1よりホイッスル。爆発地点から敵機の割り出しは済ませたか?」
ホイッスル――オペレーターのリタ・アルバ少尉に通信を入れる。彼女の仕事はホバートラックに搭乗し、ソナーをはじめとする各種センサーで敵の位置関係を割り出すというものだ。
《はい。位置情報を送信します。リンク、しましたか?》
「バッチリだ」
エリオットの『陸戦型ジム』の右側サブモニタには、しっかりと赤い点が表示されていた。同時に、味方部隊を示す青い点も。
内訳はこうだ。青い三つの丸印がモビルスーツ、五つの三角印が装甲ヘリの『T-VAT』で、赤い二つの丸印はザク、残った赤い三角印の七つほどがあの忌々しい奇天烈戦闘機……とどのつまり下手人だ。対空砲は敵ドップ編隊の高度が低すぎて射撃角度が取れないため、今回は頭数から外す。それと、隅っこで怯えている我等が母艦であるビッグトレー級陸上艇『フラウンダー』も除外した。艦砲射撃は基地周辺の被害と、敵に対する命中率の釣り合いが取れないので当然の判断だ。しかも艦長は司令官の腰巾着で、とびきり上等な平和主義者だ。鳩が大鷲の縄張り争いにやってきたような。エリオットはひとまずそれを頭の隅に追い遣った。
後はこれを元に作戦エリア内からジオン軍を追い払い、新入りを供養してやらねば。そのことに意識を集中させる。
「T-VAT部隊は動けているな?」
《配置につきました。空対空機関砲を掃射します》
「よし、やっちまえ!」
轟音がスピーカーを揺らすと同時に、蜘蛛の子を散らしたが如くドップの編隊が逃げ惑って行く。
「ゴート2はもう一機のザクをやれ。俺はベイカー軍曹を援護する」
《ゴート2了解。幸運を》
さて、反撃開始だ。作戦記録を付けている連中を焦らせないよう、確実に事を運んでやろう。そして、神になったつもりで見て貰うとしよう。
エリオットは少しだけ口元に笑みを浮かべ、それから神妙な顔に戻りながらスロットルレバーを引いた。