機動戦士ガンダム Hollows' Warfare 作:怨是
追記:
ジムを壊してしまったことに気を落としていたが、
イサカ少尉はそんな俺に気を使ってくれたのか、格納庫へと案内してくれた。
格納庫ではノークス大尉がメルツ技術大尉と口論を繰り広げており、
その中でノークス大尉が口にした
「上はオニールを評価している」という内容の発言が、俺を元気付けてくれた。
あの発言は偶発的に耳にしたもので、イサカ少尉が見せたかったのは
どうやら別のことだったらしい。
それでも俺は、少しは今日の出撃に対して、前向きに捉えることができた。
ところで、他の候補生達も、この基地の守備隊として配属されるのだろうか?
あまり一緒に仕事をしたいと思える手合いではないのだが……。
特に、ミゼールという奴と、その取り巻きだ。思い出したくもない。
宇宙世紀0079、12月6日。
オニールはたった三日で新品のジムが届いたことに驚嘆していた。かつて戦車が運ばれた際には一週間前後を要していたためだ。量が少ないからではないだろう。徐々に地球上の制空権を奪還しつつあるという証左に他ならない。
「やっとか。物資を途絶えさせるなんて、ジャブローの連中は僕らを見殺しにする気か……予備パーツも少ないのに陸戦型ジムだけでどう戦えと……戦争をなめてるとしか思えない」
恰幅の良い男――ライナー・メルツ技術大尉が、納品書の内容を確かめながら愚痴を零していていたのを、オニールは敢えて聞き流すことにした。己の立場が想像以上に危ういものであるということを、認識したくはなかった。それに、認めれば間違いなく彼の長い小言に付き合わされることとなる。予備パーツが底を突いていたのはオニールの責任ではないし、三日前の戦闘で破損したジムについてはその日の内に整備されていた筈だ。
が、本部からすれば今までたかだか二機の陸戦型ジムと両手で数えきれる程度の航空戦力だけで持ち堪えられた、僻地の戦線など、宇宙に比べれば気に掛けるほどのものでもなかったのだろう。本来ならば。
事実、戦場は少しずつとはいえ宇宙に移行している。何隻目とも知れぬ宇宙巡洋艦がジャブローから打ち上げられているのを、ジャブローより二日遅れで配布される内報で知らされた。資源を削減すべく掲示板にピン留めされているそれは、誰かが毎日貼り替えているのだ。基地のスタッフか、或いは当番制で下級兵らがやっているのだろう。
例のニュータイプ部隊とやらの活躍ぶりも、記事にされていた。特にガンダムの戦果は目覚ましく、ジャブロー防衛戦までにどれだけのジオン軍エースを撃墜してきたかが仔細にわたって書き連ねられていた。あれが全てニュータイプ部隊の戦果だとしたら、ジオン側がガンダム撃破に躍起になるのも道理というものだ。そして我等が連邦軍の兵士達にはエースパイロットになってガンダムに乗るという、いわゆる“ガンダムドリーム”なるものが生まれるのも、また道理だろう。それだけのエースになれば報奨金をたっぷり受け取って、退役したあとは遊んで暮らせるだけの生活が保証されるに違いないのだ。何より、男たるもの名誉を求めたい。世界中から『スゴイ奴=ガンダムに乗った英雄!』として見られれば、この宇宙を巻き込む大戦争に参加しても悪いことばかりではなかったと思える。
……などという風潮がおそらく男の兵士達の中で15パーセントほどを占めているように見えた。残り85パーセントのうち45パーセントは名誉も金も要らないからとにかく戦争が終わって欲しいというものだろうし、35パーセントは故郷を滅ぼされたり家族を失ったりしたことに起因する復讐心。そして残る10パーセントはガンダムドリームにこそ興味を持たないものの、戦争に乗じて何らかの利益を上げんとする商魂たくましき連中だ。女はこれ以上に複雑怪奇な統計になるだろうから、敢えて考えないことにした。
無論オニールは己の分析を裏付ける証拠が何一つ見付からない以上、これを単なる憶測のみに留めるつもりだ。自分がニュータイプとやらだったら心を読み取って確たる分析も出来ただろうが、残念ながらそういった兆候が見られないのは当のオニールが一番よく理解していた。
――余計なことに頭を使ってしまうのは、戦況が安定しているからだな。
自身の頭の動きがどうであれ、平和が一番だ。
*
フリードリヒは先日、ようやく極寒地獄の懲罰房から出された。そのことを思い返しながら、ここイルクーツクに置かれた駐屯地の臨時格納庫に足を運んでいた。元は戦略爆撃機などを格納していた場所――いわゆるハンガーと呼ばれる設備だったため、二階建ての高さとはいえモビルスーツは寝かせて搬入するしかない。しかも建てられたのが随分前なのか、壁はところどころに黒ずみが見られ、屋根に至っては留め具がいくつか無くなっている。付近でガウを飛ばせば、すぐに崩れ去るだろう。ビルの隙間にテントを張っただけのケウリ駐屯地や、掘っ立て小屋と揶揄されたマガダン採掘基地に比べればまだマシではある。
このイルクーツク駐屯地で整備を受けたフリードリヒのザクは、細かい部分が拾われたときのままだという。動かす上で文句がないかどうかを調べておけというのが、テルシオ・テルマルト中佐の命令だった。
フリードリヒはフェンスにもたれかかりながら、階下で眠る愛機ザクを見やった。
「まずは全体像を把握しておかねば。それにしても……」
骸骨を思わせる顔立ち、旧世紀の軍隊を彷彿とさせるオリーブ色の塗装、頭と腰と脚部に伸びる動力パイプ、そして何よりレールによって動くモノアイがその存在感を主張している。それがザクというジオン魂だ。人を模倣した姿でありながら、人ならざる姿でもある。
「見惚れるよ……。やはりザクは力だ」
しかしその恍惚は、愛機の隣で佇む――正確には戦車の車体に上半身が乗っかっている――異形のモビルスーツを目の当たりにして消し飛んだ。
卵のような形状の、首の無い上半身は間違いなく『ゴッグ』だ。しかし腰から下はジオン軍主力戦車の、マゼラアタックの基底部――いわゆる『マゼラベース』と接続されている。ゴッグは元来、水陸両用モビルスーツとして開発された重装甲タイプだ。戦車と繋げたら泳げない。ジャブロー侵攻が失敗した今、その機能は無用の長物とされたのだろうか。脚部の予備パーツが無くなったというのが理由であっても、幾ら何でも無茶が過ぎる現地改修ではないか。腰のメガ粒子砲も取り外され、丸形のライトに替えられている。両腕は本来ならば伸縮と胴体格納が可能だが、継ぎ接ぎの装甲で覆われている様子を見るに、どうやらそれも機能しなさそうだ。
「失敬、そこの君。あれは……?」
このフロアを清掃している整備士に、声をかけた。己の声が震えているのは、このさい気にしないことにした。
「付近で活動するゲリラとの交渉材料です。戦闘には……まあ使えなくもないが、瓦礫の撤去とかが主な利用法ですな。名付けてゴッグタンク。クレイジーでしょ?」
「あのゴッグが……」
フリードリヒは絶句した。ジオンが没落の一途を辿っていることは重々承知の上だが、まさかここまで落ちぶれているとは。あのベルファスト基地にて連邦軍の新型戦艦『木馬』や『白い奴』に立ち向かい、輝かしい戦果と勇壮なる散り様を体現したゴッグと、今こうして目の前に鎮座するゴッグタンクなるものが同じ機体だとは考えたくもない。斯様な、水陸両用である利点をまるきり投げ捨てて、うらぶれた機体になってしまうとは。
水陸両用モビルスーツはなにも、ジャブローだけが目的ではない。海底の天然ガス採掘施設を掌握するのも、勘定に含まれていた。ミノフスキー粒子の原料は木星で採取されるヘリウム3という物質だが、木星船団より提供されるヘリウムだけでは間に合わないなら、地球の天然ガスからそれに相当する物質を抽出すればよい。ついでに地球連邦に海洋資源を与えさせず、兵糧攻めにしてやる。制空権を奪還されても、潜水艦で各種物資を輸送すれば遅延こそ生じるものの多少の安全性は保証される。長期戦になればそれだけ海中および海上での戦闘も増加し、海洋汚染が悪化するという事実を連邦に突き付けてやれば、彼らもジオンの短期決戦思想に付き合ってくれるだろうというのが当初の目論見だったと聞いている。
何と素晴らしい。良い事ずくめではないか。伸びきった戦線で補給が追い付かなくなることを早期に予想していた首脳部がメーカーに水陸両用機の開発を指示したのは、きわめて合理的な判断といえよう。だからこそ偉大なる祖国たるジオンは、人類の母ともいえる海を攻略することにこだわったのだ。
――それが今や足も武器も失って、生ける屍も同然の体たらくとはな。
その転落ぶりに自身の境遇を重ね、フリードリヒはうつろな表情で嘆息した。整備士はといえば、こちらの不景気な心中を察してか、口元を痛々しげに歪めていた。
「連邦のモビルスーツから部品をかっぱらってくることが出来たら万々歳だったんですがね。どうやら構造が違うらしくて、それも無理なんだとか。こうするしかなかったんですよ、コイツに関しては」
「構わんよ。模倣された不純物などに頼るのは、我らの矜持にもとる愚行だ」
「ふはは、やだなあ、矜持はメシのタネになりゃしませんって。言い訳にするには、この上なく便利ですがね」
「君もあの狂犬と同じようなことを言うのかね……」
フリードリヒは憤慨した。先日まで懲罰房を共にしたイース・バローネ中尉も「誇りなんてもんはコロニーを落としたあの日から、とっくのとうに宇宙の塵になっちまったよ」とのたまっていた。
確かその時は、フランコ・バッシ少尉という陰険な中年に寄越されたバケツに、彼女が用を足していた。そのバケツの寄越し方も、ひどいものだった。まずフランコ少尉がバケツを地面に置き、次に助走を付けてそれを蹴飛ばし、寝転がるイースの側頭部に当てたのだ。豪快な金属音を立てて転がるバケツ、そこから飛び出るトイレットペーパーを余所に、イースは修羅の如く怒り狂ってフランコに掴み掛かった。その際にバケツを強く蹴り上げてフリードリヒが寄り掛っていた壁に当てたのも相まって、あの空間は地獄そのものだった。
「矜持を捨てれば、後は緩慢に堕落を続けるだけだというのに」
当の、イースのように。
「ですが、末端の連中はみんなそう考えてますよ。督戦隊すら、兵士を盾に敵前逃亡するご時世です」
整備士は自らの頭の後ろで両手を組み、ステンレス製の手すりにもたれかかった。横目でこちらを見やる仕草には、敬意など欠片も見られない。直立不動で話をすることも、彼には出来ないのだ。あるいは、出来るのにやらない。
「“辛いのは今だけだ、これを乗り越えれば何とかなる”って、半年前から毎日それを聞かされてきた」
整備士は続ける。
「ヴォルゴグラード駐屯地なんて悲惨でしたよ。聞きました? 物資ごと自爆したんですよ、あいつら」
徐々に整備士の声は、そのトーンを低く落としていた。不平不満の枠組みではない、明らかな憎悪だ。
「外面ばかり良くて、お人好し、現実を見ないで、やれ独立のために、やれ総帥のためにってお題目を唱えるだけの司令官――ちょうど、あんたみたいな奴のせいでね」
「夢想家呼ばわりするな! 私はただ……」
「いや、いいんですよ。若い兵士なら。上官からすりゃあ扱いやすいでしょうから」
フリードリヒは反論を差し挟もうとしたが、こちらが息を吸い上げるや、整備士が割り込んだ。
「だが基地の司令官ですよ? あいつら、驚いたことに、そういう奴がわんさか居た。大尉も時には自分一人で、上を鵜呑みにしないで、身の振り方を考えて動くべきです。フランコ・バッシ少尉なんかは参考になりますよ。狂犬のお嬢ちゃんと根っこは一緒ですが、彼のほうが幾らかクールです」
「ご忠告、感謝する」
フリードリヒは踵を返し、少し熱を帯びた己の感情を冷却すべく、外へと向かった。破損箇所の確認は、とりあえず後回しにしよう。
――しかし、よりにもよって、バケツを人に当てて喜ぶような輩を“クール”であると評価するなど。
あの整備士の感性は、もはや狂っているとしか思えなかった。ゴッグタンクの件といい、彼らは揃いも揃って自暴自棄にでもなっているのだろうか。
通用口のドアを開けると、曇り空が視界に入る。オデッサやジャブローで戦った頃とは打って変わって、この近辺は晴れ間が殆ど見られない。それに呼応するかの如く、すえた臭気が漂ってくる。煙草だ。格納庫の中は火気厳禁であるから、こうして休憩中の作業員達は外で喫煙するのだろう。煙草は百歩譲って見逃してやるにしても、問題は彼らが口々に放つ悪口雑言だ。
「だいたい、ザビ家の連中は兄弟喧嘩が多すぎなんだよ」
「青い巨星も、ドムを回して貰えなかったのはキシリアの所で差し止められてたからなんだとさ」
「ドムは誰に渡ったんだ?」
「黒い三連星よ。マ・クベの子飼いの連中」
「……やだねぇ。部下まで身内争いに巻き込まれるなんて。で、ウチにドムキャノンが回ってきたのは?」
「大元の部隊が壊滅したからだろ。マ・クベのクソ野郎がオデッサから逃げたんだって、もっぱらの噂だぜ」
「あれ、あいつ敵艦隊を道連れに死んだんじゃなかったっけ?」
「んなワケねえだろ。基地司令官だぜ? 周りが止めるだろ。死んだことにしておきゃ外聞が良くなるだろうがね」
「にしても、テルシオのジジイも鼻が利くよな。ただ、三十分で修理しろっていうのは頂けねえ。結構な無茶をしやがったのか、関節がボロボロになっちまってる」
「老害共は堪え性がないのさ。ションベンが近いのと同じだよ。戦線が広がりすぎたのも、ザビ家とかいう若作りのジジババ共が早くジャブローを探せって喚き散らしやがったから! たまったもんじゃねえ!」
「違いねえや、ふはは! ドムの修理なんて三ヶ月ぶりですっかり忘れちまったよ! ここんところ、マゼラアタックとザクタンクしか直してないからな!」
――ああも悪し様に言うとは……。指導者なのだぞ!
フリードリヒは眉を顰めた。しかも彼らは直属の上司であるテルシオ中佐までをも、後ろ指の獲物とした。フリードリヒは寒空の中だろうと構わずコートの袖を捲り、乱闘に備えた。
「捨て置けんな。教育してやる」
意気込むフリードリヒの襟首が、後ろから引かれる。ほどなくして視界が暗くなった。両耳に何か冷たいものが当たっていることと、奇妙な刺激臭から、何か硬い物を被せられているのだろうということが理解出来た。フリードリヒは不躾な悪戯に堪えかね、頭に被せられたものを掴み取ると、それはバケツだった。
視線を上げると、そこには件のフランコ少尉が下卑た笑みを浮かべて佇んでいた。寒さを誤魔化しているのか、両手をズボンのポケットに突っ込んでいる。まるで不良だ。フリードリヒは激昂しつつも、小声で問う。
「貴様、何の権限があって、私に斯様な仕打ちを――」
「――やめときましょうや、大尉殿」
遮られた。明らかに彼のほうが年上とはいえ、階級はこちらが上だ。いや、この部隊は曰く『カタギではない』のだから、通常の法則からは外れているのだろうか。フランコは、軍規もフリードリヒの怒りも構わず続けた。
「陰口を堂々と叩けるのは、言論の自由が保障されてる証拠だ。どこ行っても誰の口からも褒め称える言葉しか出て来ないより、なんぼか健全でしょう?」
「だからといって! 直属の上司や、指導者達の陰口を叩いて良いという理屈にはなるまい! 我々の敵は連邦軍ではなかったのか!」
フリードリヒが口を尖らせると、フランコは両手の平を胸の前で差し出して制した。ちょうど、癇癪を起こした子供をあやす親のように、へらへらしながらだ。
「まあまあ、逸らない。少なくともここに秘密警察のたぐいは居ねえし、テルシオの旦那は地獄耳だが寛大な爺さんです。陰口なんざとっくに届いてるし、黙認してる」
「それは、何故かね」
到底、理解の及ばぬ話だ。困窮した戦況であるならば尚更、組織に属する者は一致団結すべきである。目上の者を敬い、畏れるのが正道ではないのか。
「そのほうが、まとまりますからね」
……だが、フランコの理屈はフリードリヒとは真逆の、人心は憎むべき存在が身近にあってこそ結束力を生み出すという発想の上に成立している。それはひとえに、この部隊に属するもの達が、そういった低俗極まる道徳心の持ち主であることに他ならないのではないか。だからこそフリードリヒは彼らに立ち向かわんとした。
「憎まれ役という言葉が辞書に載ってる理由を、少しでも考えたらいいですよ」
「理由くらい解る。人がその言葉の真意を知りたがるから、あらゆる単語は辞書に載っている。憎まれ役という言葉もまた同じだ」
「……これなら狂犬に訊いたほうが、まだマシな答えが返ってきそうだ」
「あんな輩に私が劣るだと? 冗談は、このバケツだけにして頂きたい!」
「俺はいつでも真面目ですよ、大尉殿……。物事はいつも柔軟に考えないと。大尉殿がお持ちのバケツにだって、クソを垂らすくらいの使い方はできるでしょう?」
フリードリヒは、ぎょっとした。手に持っていた――しかも被せられていた――このバケツは洗ったとはいえど、コンテナに詰められていた時に汚物入れとして使っていたものと、全く同一のものだ。道理で異臭が鼻に付いた訳だ。
「返すよ、これは」
バケツを突き返すと、フランコ少尉は片膝を突いてうやうやしく受け取った。
「これに懲りたら、一人で状況をひっくり返そうだなんて、馬鹿な真似は止しておくことですぜ。オデッサやジャブローの時みたいにね。見ましたよ、作戦記録」
「そんな余裕があるのかね」
「二時間寝れば充分な体質ですから。浮いた時間で倍速再生。あれじゃあ隊が壊滅するワケだ。スタンドプレーに付き合わされる部下も、こんな上官じゃ浮かばれない」
「……もういい」
思わず、フリードリヒは顔を背けた。聞くに堪えない陰湿な当てこすりに、これ以上耳を傾ける必要などあるものか。
「部下の忠告なんざ聞く耳持たないって事ですかねえ。そんなんじゃ他でやってけませんぜ! ヒャハハ!」
フランコは嘲笑を交えつつ、陰口を叩く作業員達に混ざった。バケツを逆さに置き、その上に座って煙草をふかす。以降、彼らの視線は少しもフリードリヒに向けられていない。何やら「この紙屑、捨てといてくれ」だの「またポケットに入れっぱなしですか! 少尉はホント、ズボラだなあ!」だのと騒いでいるだけだ。後ろ指を差されていないことを幸いとすべきか、初めから眼中に入れるだけの地位には居ないことを嘆くべきか。
「くそ、どいつもこいつも!」
フリードリヒは奥歯を噛み締めながら、己のザクのコックピットハッチへと向かった。少なくとも今あの中に居れば、不愉快な喧噪とも無縁で居られるだろう。
「ハッチ、閉じるんですか?」
近くの整備員が怪訝そうな顔で覗き込んできたのを、フリードリヒは手で追い払う。
「悪いが、しばらく放って置いてくれないか!」
消灯したモニタには、苦渋に歪んだ己の顔が映っていた。
「辛いのは、今だけだ……じきに、まともな友軍と合流できる筈だ」
*
『各地にて復興作業を行なう、我等ジオン公国軍地球制圧軍の様子をVTRにて紹介する。早々に近隣の住民を見捨てた連邦軍とは異なり――』
抑揚の効いた、悪く言えば芝居がかったアナウンスと共に、瓦礫を撤去するザクの姿がテレビに映されている。このプロパガンダ番組のチャンネルを変える者は、ラウンジには誰一人として居なかった。この場での視聴者が、エリオット・ノークスただ一人だからなのかもしれない。
エリオットは、連邦側がどのように見られているかはテレビなどでは窺い知ることなど、どうせプロパガンダじみた内容なのだからほぼ不可能だと断じていた。だからこそ同じプロパガンダ放送でもジオン側を視て、どのような手法で彼らが自らを美化しているのかを観察することにしたのだ。
あの戦闘以来、出撃も無い。ここ数日の仕事といえばパトロール部隊の報告書を元に付近のジオン軍の動向を分析したり、オニールという無愛想な新入りに部隊編入という内示が出たからそれに付き合ったりといった程度だ。
この前のような激戦はうんざりだが、かといって全く出撃しないのも困りものだ。適度に経験を積んで、モビルスーツの動きに慣れて貰わねばなるまい。それに、前回の出撃から帰還したおりにオニールに伝えた言葉が、果たして実戦に活かせているのかも気掛かりだった。
「わかってくれると、いいんだが」
冷静さと年数の大切さを教えた。そこから考えて、理解して欲しいのだ。一から十を完全に伝えては、指示を実行するだけになってしまうのだから。これを事細かに分けると第一に、遮蔽物に隠れるべきだということ。上空から攻撃を受けているなら、落ち着いてビルに背中を預けて対空射撃を行なう。それと教官から通信があったのだから、まずしっかり応答する。不意打ちをするには経験が足りない、初陣で無理をしてまで撃墜数を稼ぐ必要などない……など、枚挙に暇が無い。
安物の代用コーヒーがそろそろ底を突き、アクリル製のカップがすっかり透明になった頃、見知った顔がカップ越しに現れた。長いブロンドをうなじの辺りで束ね、ふちが焦げ茶色の眼鏡の奥にエメラルドグリーンの双眸は、理知的とも狡猾とも取れる鋭い輝きを放っている。整備士の、デニータ・ロンズデール中尉だ。
「怒らないのですね、ジオンのこと。日頃から嫌ってる割には」
デニータは目を細めながら、野菜ジュースの満たされたカップでテレビを指した。
「呆れてんだよ」
考え事をしていたとは、敢えて言わなかった。それに、半分は本当のことだ。
「自分達でしでかしたことの後始末をしてるだけなのに、さも善行を積んでるみたいによ」
今更怒る気にもならない。今やオーストラリアのシドニー跡地に突き刺さっている巨大な墓標こそが、エリオットのかつての故郷『アイランド・イフィッシュ』だった。
「笑っちまうな。自分達の住処だった筈のコロニーをゴミにして地球に落としたのはあいつら自身だぞ」
彼らは地球連邦にすり寄る姿勢を見せた幾つかのコロニーを見せしめにしたのだ。それが生み出したのは恐怖だけだったか? 答えは否。サイド6は中立かつ地球連邦に対する協力姿勢をより強固なものとした。他のサイドも、同じくジオンへの敵対心をより明確なものとした。
家族を殺されて憎くないとは言わないが、ジオンが憎いのは、連邦軍の誰もが同じだ。こんな見え透いたプロパガンダ放送に、人前で激怒してみせたところで――当人がどう考えていようと第三者にとって――それは単なるポーズ以上のものには成り得ない。芝居をやっているのではないのだ。結果を残して、少しでもジオンの敗北に近付ける形で、なおかつ可能な限り早急にケリを付けることこそが兵士の務めというものではないのか。
その心得が通じているかはわからないが、デニータは野菜ジュースを少しずつ減らしながら相槌を打った。
『さて、連邦軍はこの地球復興を後回しにしてまで、宇宙に戦力を……』
テレビは途中から映像が波打って、色が抜け落ちるなどし始めた。音声も途切れ途切れになっている。電波状況が悪いのは今に始まったことではないが、今日はいつもに増して乱れがひどい。
「どっかでミノフスキー粒子でもバラ撒いてるのか。戦闘の準備をしねえと」
この近くか、少なくともここから電波中継施設の軸の上にあるどこかで戦闘が起きている。ならば、遠からぬ内に出撃命令が下るだろう。今のうちに心の準備を済ませておけば、いざサイレンが鳴り響いたとしても泡を食わずに済む。これはエリオットが常々、部隊員に教えてきたことだ。その部隊員も今ではダン・イサカ少尉ただ一人となってしまったが。
「忙しいですものね。私達のような裏方とは違って」
彼女はどうしてこう、棘のある言い方ばかりをしてくるのか。これだから整備班とは仲良くできたものではないのだと、エリオットは歯噛みした。あまり渋い顔をすればまた目敏く指摘されるに違いないからと、エリオットは急いで苦笑いの顔を作った。
「……戦時中なんだ。俺達みんな、毎日がメーデーの連続みたいなもんさ」
「ええ、そのようですね」
デニータは声音を微塵も変えずにそう言い放ち、野菜ジュースを飲み干した。
*
ぼろアパートが立ち並ぶ住宅街の廃墟を、ドムキャノンは疾走する。パイロットのイース・バローネ中尉は、この地ハルビンでの戦闘を命じられた。イルクーツク駐屯地の格納庫で、ザクのコックピットに籠もった上官気取りの青二才を引きずり出し「オーイ、クソ大尉。仕事だ。あのジジイ、俺達に腕試しをさせたいんだとよ」と言って命令書で顔面を叩いてから、ざっと三時間程度が経過している。作戦領域までは『ド・ダイ』が低空飛行で輸送し、そこから先は自分でどうにかしろというのが作戦らしい。事前の偵察で戦力は判明していた。そこから計算するに、キャノンを多用するのは勿体ない。予備の装甲材は幾つか余っていたので、接近戦を主軸に殲滅と洒落込もうというのがイースの目論見だ。右腕部兵装である急造品の197mm水平二連ショットガンは、まさにおあつらえ向きだ。他のパイロットは不満を漏らしていたが、市街地制圧用としてはそれなりに扱いやすいし、今回持ち出したもののように銃身を切り詰めれば、散弾が良い具合に広がってくれる。
「ヴェノム2、作戦領域に着いたぜ。もう始めちまってもいいかな?」
《……ああ。許可する》
フリードリヒの憮然とした声が返ってくる。
――命令書で顔を叩いたこと、まだ根に持ってやがるのか。ケツの穴の小せえ野郎だ。
手厚い歓迎として戦車砲が次々と飛来するのを、左右に機体を振って回避する。上空からのミサイルは既にミノフスキー粒子が作用しているのか、命中せずに空中で四散した。所詮は辺境区域の防衛部隊だ。派手な歓迎も長くは続かなかった。
小道に逸れ、索敵を行なう。射線上に敵は居ない。先刻の戦車砲の弾道から逆算するには、ここから三ブロック先の坂道を登り切ったところに六両程度が身を潜めているだろう。イースは舌なめずりをしながらフットペダルを踏み込んだ。ドムキャノンのホバーが周囲の塵を吹き飛ばす。景色は再び、日陰――とはいえ曇り模様なので代わり映えしないが――から、日向へと移り変わる。倒れた電柱を蹴散らし、戦車の潜んでいると思しき地点へと足を進める。果たして彼らはそこに居た。それも十数両ほどだ。
連邦の戦車特有の水平二連の戦車砲が火を噴く前に自機を後退させる。戦車の居る通りの、その裏側まで移動した。
戦車の付近のビルに狙いを定め、ショットガンから二発の散弾を同時に放つと、無数の金属の粒がビルを穿つ。すかさずキャノンを発射するとビルは瞬く間に倒壊し、その奥から爆発音が木霊した。瓦礫の合間からは煙が立ち込めている。ドムにショットガンの装填動作を行なわせつつ、イースは凄絶な笑みを浮かべた。
「共同墓地のできあがりだ!」
目算では二割を削った程度か。先は長い。次はミサイルだ。確か、背の高いビルの屋上に備え付けてあった。そちらに関しては後回しにするとして、機体後方の路地裏から湧いて出た歩兵を片付けねばならない。
無論、轢き殺した。何度も機体を往復させ、念入りに熱核ホバージェットで焼き払った。蒸気にあてられた敵の歩兵達は少しずつ数を減らし、原形を留めぬ黒焦げの物体へと成り果てた。隙を突いたつもりの歩兵達が背後から対モビルスーツ用のバズーカを構えているのが見えたが、こんなものは後ろ手にショットガンを放ってしまえばすぐに肉塊と成り果てる。
最後の仕上げにバーニアを噴かすと、それらは塵となって飛んでいった。これで歩兵達は足下から狙おうとは考えなくなっただろう。事実、逃げ惑う彼らの表情は悲痛に歪んでいる。この時点で敵に恐怖を植え付けるという、イース個人の至上目標は達成したと言えた。
では次に、割れた窓ガラスの隙間から機関銃を撃ってくる連中だ。これはショットガンをビルに突っ込むだけで解決した。装填を済ませていなかったので弾は出ないが、虫けらが相手では弾を使うまでもなかっただろう。反対側のビルからも人間用バズーカの“ちゃち”な弾頭が飛んできたのを左手で払い除け、そのままビルに腕を突っ込み、射手を引きずり出す。マニピュレーターに握られた射手は何かをしきりに叫んでいたが、イースは構わずそれを地面に叩き付けた。ひび割れたアスファルトに、赤黒い染みができる。
《中尉、遊びすぎるな。君の背後を戦車が狙っていた》
「はっ。ご丁寧にどうも。ドムキャノンの装甲材は余ってるし、こいつら多分、民兵上がりの素人共だ。大隊規模つっても、多分正規軍からのお下がりだろ。マスかきしながらでも戦えらあ」
サブモニタを見やると、フリードリヒはザクマシンガンでチマチマと破壊しているようだった。ザクマシンガンであれば、二発ないしは三発程度で連邦の戦車は大破する。
これが後期生産型のMMP-80のように劣化ウラン弾を使用するものであれば、一発で機関部まで貫通できたのだろうが、はぐれ者の集まりにはまず回されない代物だ。無いなら無いなりの戦い方というものがある。イースはコンソールのボタンを操作し、ショットガンの装填を行なった。
少し進むと、坂を登り切る辺りに戦車が隊列を組んでいるのが見えた。付近には、こちらが隠れられる場所も無い。すかさずショットガンを撃ち放つ。散弾は途中で放物線を描き、戦車の装甲を穴だらけにした。それでも幾つかは煙を噴きながらも応戦してくる。残りは坂道であることを利用して、後退していた。
「しゃらくせえぜ、てめえら……」
ドムキャノンの腰にマウントさせてあったヒートサーベルを、左手に持たせた。機体のマニピュレーターを器用に動かし、ヒートサーベルを逆手持ちにさせる。すれ違い様に戦車のうち一両を、ヒートサーベルで抉った。逃げ遅れた数両も、順番に蹴り飛ばす。あるものは横転し、あるものは逆さになって火達磨になる。装備や整備状態の都合で最大速度は通常仕様のドムに比べて低いものの、時速175kmもあれば充分だ。状態の悪い道路では覆帯よりホバーのほうが圧倒的に優位だと、イースは確信している。
「……俺に勝てるワケねーだろ! バーカ!」
ガソリンスタンドに無人のタンクローリーがあったので、ショットガンを腰アーマーにマウントし、タンクローリーに持ち替えた。眼前で都合良くミサイル車両が尻を向けていたので投げ付ける。タンクローリーは何度も向きを変えながら転がり、大爆発と共に車両を宙に浮かせた。
「どっかーん! ひゃーはははあ!」
反対側で飛び退くフリードリヒのザクは、敢えて無視した。潜伏している戦力も予想して、これで五割程度か。
彼らは明らかに狼狽している上に悪手ばかり打っているが、統率のある動きまでは失っていない。この分だと、司令塔はやられていない。
《ヴェノム1ならびに2、聞こえるか。俺だ》
今や聞き慣れた濁声が鼓膜を揺らす。テルシオ・テルマルト中佐もとい、愛すべきクソジジイだ。イースは舌打ちした。折角いい気分で暴れていたのに、水を差されたためだ。
《ヴェノム1よりアナコンダへ。どうぞ》
「だ、そうだ。聞こえますよ、クソジジイ」
《通信設備の近くに居るやつ引っ捕らえて、ヤクーツク仮設基地を明け渡すように伝えろ。基地の座標は今しがた送った。お使いのメモが一行増えた程度だが、やれるだろ?》
「ガッテン承知だ。もうひと暴れしてやるぜ」
《いいか、最低でも一人は残せよ。用が済んだら、好きにしても構わんがね》
《ヴェノム1了解であります!》
――クソ大尉の野郎、暢気に敬礼なんざしてやがる。
早めに探し当てねば、普通の軍隊というものは自軍が壊滅する前に撤退を始める。世の中にはそれを腰抜けと揶揄する“脳足りん”も居るが、常識的に考えて全部が決死隊では組織など成り立たない。時には見捨てて逃げることも重要だ。その意味でオデッサでのマ・クベの判断は、半分程度は正しいといえた。ザンジバルにもう少し人員を収容していれば、兵達の反発も少しは収まっただろうが、隠れて脱出の準備を進めることがミソだったに違いない。あの時は通信機が絶え間なく狼狽の声を垂れ流していて、鬱陶しくて仕方がなかった。少しすれば悲鳴の一つも聞こえなくなったが、彼らの末路など知ったことではない。
「仕事、集中しねえと」
そう言い聞かせて雑念を振り払う。今はお掃除の最中だ。教会で聖歌を歌っていた頃から塵一つ残すなと教えられてきたから、こういった任務は得意中の得意だった。
「そら見ろ。でけえホウキが転がってやがる!」
かつては工事現場だった場所に鉄骨が束ねられている。ヒートサーベルを消耗させるより、こちらのほうが経済的だ。うち一本を早速拝借し、左手に持たせた。
ジャンクションの側道を上ると、高速道路沿いに複数の戦車が縦列配備されていた。誘い込んだモビルスーツを滅多打ちにしようという作戦だろう。ご丁寧にリフトまで使って近道するという周到ぶりは賞賛に値するが、イースはドムキャノンを前進させつつ、鉄骨でそれらを片端から捲り上げた。ほどなくして戦車達は爆発、炎上した。先頭車両だけを残し、これを何度も鉄骨で叩き潰す。一発振り下ろす毎に惨たらしく変形してゆく戦車から、オイルが流れ出た。やがては、突き立てた鉄骨が車体を貫通した。
気が付けば上空を、鴉が何羽も飛び回っている。代わりに航空機の類いが一機も見られないのは、イース達がここへ来る前に消耗したのか、出払っているのか。
「喜べ黒んぼ共。今日の晩飯はハンバーグだ。焦げないうちに召し上がれ」
イースは鴉に聞こえる筈のない独り言を呟きつつ、視界の中から航空機を見付けようとした。が、すぐに諦めた。悪天候ではないにもかかわらず、見晴らしの良い場所から探しても見当たらないのだから、無意味だ。
「そういやさ。ヘリとか見掛けた?」
《いや。発着場らしき地点はあったが、無人だった》
兵士の練度が妙に低いこと、そして航空戦力の不在が気に掛かる。
「探しといてくれるかな。俺は親玉を探してみる」
イースはふと、妙案を思い付いた。先に回想した友軍の悲鳴から着想を得た、我ながら見事な作戦だった。早速実行に移すべく車体から鉄骨を引き抜き、どこへともなく機体を疾走させる。
果たして、戦車はまだ残っていた。イースはしぶとく居座る彼らの胆力と、己の運の良さに感謝しつつ、敢えて一両だけを残して叩き潰した。それから外部音声を起動させる。
「おい捨て駒。他の連中みたいになりたくなけりゃ、親玉の場所を吐きな」
《あ、あなたから見て8時の方角に、6キロ進んで下さい》
戦車の外部音声から聞こえてきたのは、青年とも少年ともつかない声だ。だいぶ上擦っていたことから、よほど堪えたのだろう。生還すれば、どこかで上官を相手にたっぷりと土産話をしてくれるに違いない。
「はいよ、ありがとさん」
残された戦車の水平二連砲塔に鉄骨を振り下ろすと、その両方が拉げた。中身の無事は、砲塔を引き摺りながら後退する戦車の様子を見れば確かめるまでもない。3時方向のアーケード街から殺気を感じたイースは、お気に入りだった“ホウキ”こと鉄骨をアーケード街の入り口に放り投げる。鉄骨は放物線を描き、アーチ状の門を倒壊させた。
……目的地に辿り着けば、ヘリが今まさにローターを回転させ、離陸しようとしている。イースはヘリの尾翼を掴み、全てのブレードを引き千切った。ヘリは地面を這いながら煙を噴き、赤いランプを点灯させている。イースはドムキャノンの右脚を、かかとを地に付ける形でヘリの前に出す。外部音声を再び起動した。
「おい、ケツ穴野郎! ヤクーツク仮設基地を明け渡すように、ママの所に連絡しやがれ! それと……妙な真似しやがったら承知しねえからな? 飼い犬の手綱は握っとけよ」
ヘリの操縦士らしき男が、拡声器を片手に出て来た。顔面蒼白で、身振り手振りを交えている。イースはコンソールに頬杖を突きながら、その様子を眺めた。
《了解しましたから! 今、準備しているから、撃たないで!》
「はあ? 知るか。さっさとしやがれ、ウスノロ野郎。俺がホバーを噴かせば、お前はコンマ一秒しないでローストチキンに早変わりだ。10数えるうちに始めろよ? そら、10! 9! 8――」
《わ! あ! は、すぐやります! やってます!》
操縦士は乗客の何者かと話し込んでいる。イースはその間に、この近辺には何があったかを思い出すことにした。確か、開戦前に沿海地方に大きな海軍基地が新設されていた筈だ。もう一つはモンゴル方面のミサイル陣地だったか。
操縦士と、カメラ越しに目が合う。交渉は済ませたらしい。
「ママは、何だって」
《その……。撤退、するみたいです》
「上出来だ。何処へなりとも失せな。ママに叱られたくないだろ。早くしねえと……?」
ヘリから四つの人影が、堰を切ったように飛び出す。ひとしきり右往左往し、操縦士が一人の手を引いた辺りで、ようやく彼らはまとまって同じ方向に逃げた。イースはドムキャノンの爪先を下げさせ、ヘリの操縦席を踏み潰した。ホバー機能に異常がないことを確認し、フリードリヒ機に通信を飛ばす。
「クソ隊長、片付いたぜ。ただ、少なくとも二つの方面から増援が来ると思う」
ここハルビンの戦力は捨て駒である可能性が高い。ジオンをおびき寄せる餌と、これから旧式化して消えて行く戦車を早めに在庫処分するのも兼ねているのだろう。モビルスーツでは代替えできない航空戦力が不在なのも、どこかに戦力を移動して温存する腹だというのなら、妙に張り合いの無い戦場だったのも合点が行く。
《呼び方はともかく素晴らしい戦果だ、バローネ中尉! これでまた一つ、我等ジオンの兵は連邦の圧政から解放したのだな!》
生粋のジオニストとやらにとっては聞こえの良い言葉だが、イースには耳障りな寝言でしかなかった。鼻から体液が飛び出しそうになったのを慌ててすすり、鼻の頭を何度か指で擦る。
「はあ? てめえの頭はコカイン製造所かよ? ド低脳が。そのお目出度え脳味噌を隅から隅まで消毒しやがれ、クソボケ。 てめえラリってんのか? 増援が来るんだよ、マザーファッカー大尉!」
サブモニタに鉄拳を喰らわせる。無論、それで割れるほどヤワなモニタではない。しかし面食らったのはイースのほうだった。フリードリヒはこちらを見ていなかったのだ。拳銃でも撃ち込むべきだったか。
《はあ……そちらに関する方策はテルマルト中佐が既に実施して下さったと聞いたが、何が不足なのか?》
イースは聞こえよがしに溜め息をついてみせた。フリードリヒ機のサブモニタには、肩を竦めてかぶりを振るイースの姿が映っていることだろう。今度は彼の目に映るように、わざと遅めに動いた。
「宇宙育ちの田舎者はこれだから……。あのさあ。この近くにゃ二つの前線基地があってだな、どっちも只では寄越しちゃくれないの」
《果たして本当に来るのか? 彼ら弱卒の兵などに、そこまでの志があるとは思えんが》
「あいつらも俺達と一緒で、やぶれかぶれなんだよ……。だから、保険はたっぷり掛けておくに越した事はねえだろ」
《そうなのか……。ヴェノム1よりアナコンダへ。指示を請う》
暫くして、サブモニタにサングラスを掛けた禿頭と白髭――テルシオ・テルマルト中佐の顔が映った。テルマルトは後方で指示する身分をいいことに、葉巻を吹かしている。
《ヴェノム1およびヴェノム2は待機。それと、ヴェノム2》
「あ?」
《お前さんの考える保険とやらを、俺が何もしてないと思ってるのか》
イースは口元が裂けそうになるのを堪えながら、両手の指をこめかみに当てて見せた。
「クソジジイの干からびたハゲ頭だけじゃ、どうにも心許なくて。ほら、もう歳だしさ?」
テルマルトの禿頭に、青筋が立った。相変わらず、高血圧症にでもなりそうな気質だ。
《……いい度胸じゃねえか、クソガキ。楽にゃ死なせねえぞ》
「上等、上等! 犬死になんてさせやがったら枕元で呪ってやるよ、アハハ!」
《イース中尉!》
腹を抱えて笑っていたところに、フリードリヒが紅潮させた顔で割り込む。イースは足をばたつかせていたのを止められ、危うくフットペダルを踏み込みそうになった。
《貴様は上官に向かって――》
「――うるせえタコ。命令に従ってんだから、文句ねえだろうが」
遮った上で、フリードリヒに向けて中指を立てた。
「それで? 俺達のお迎え、いつ来るんだよ?」
テルマルトに問うた。仕事は終わったのだから、さっさと帰投したい。目的は制圧ではなく、敵部隊の撤退なのだから充分だろう。ゲリラ部隊に報復でもされては、たまったものではない。しかしテルマルトは、モニタ越しにも解るほどに歯痒い表情をしている。
《エンジンがよ、トラブっちまったのよ。二機とも。悪いが、食い残しが無いか調べてくれ》
「はあ? ザクとドムを載せただけで? オーバーホールもロクにやってねえのかよ、クソが」
《うち一機は蜂の巣にされた奴を、部品かき集めて修理したからな》
《中尉、今は雌伏の時だ。いずれ雪辱を果たそうじゃないか》
「てめえはどさくさに紛れて、小難しい言葉でケムリに撒いてんじゃねえぞ、カス」
中指に続いて人差し指も立てる。ついでに、サブモニタに唾を吐きかけた。この程度で壊れるような構造ではないので、好き放題やってやろう。当然、この唾はフリードリヒに袖で拭かせる予定だ。
そして、ついにフリードリヒは何も言わなくなった。
*
一連のやりとりを通信機越しに情報収集していたジャンゴ・セス大尉は、溜め息と共に頭を抱えた。傍らのテルシオ・テルマルト中佐はといえば、涼しい顔で胸元まである長い白髭を指で弄びながら、葉巻を吹かしている。このエスパダ・ヴェルデのブリッジは、お陰で白煙がもうもうと立ち込めていた。
「……ボス、なぜあいつらを仕入れたんです?」
「人手が足りねえからだよ」
「もう少しマシな人材もあったでしょうに。特にイースとかいう小娘、ありゃかなりの難物ですよ」
「元より、はぐれ者どもの集まりなんだ。あんなのしか来ねえよ。それに、実績があるし物分かりもいい。あのクソガキは、存外に扱いやすい手合いだ。孫娘みてえなもんさ」
――ボスは良くても、フリードリヒの小僧があまりにも不憫ですよ。あんな万年生理不順のヒステリーを間近で相手取るなんて。
などとは絶対に言えず、ジャンゴは唾液を呑み込んで返答を誤魔化した。意図するところを察したのか、テルマルトは何も返してこなかった。暫くはジャンゴ自身の呼吸と、テルマルトの紫煙を吐き出す息づかいだけが艦橋の沈黙に色を添えた。何とも、無味乾燥な彩りだ。地球降下作戦から半年程が経過した当時の、慰問団の女性達と談笑していた頃が懐かしい。とびきりの美女ばかりが揃っていたが、今や音沙汰ひとつ無い。連絡先の交換など、戦争とミノフスキー粒子で通信網がズタズタに引き裂かれた現在に於いては無意味だ。
イース・バローネは元の顔立ちこそ整っているが、顔の中心に十字傷があるだけでなく、殺気を全面に押し出した表情のせいで台無しだ。“オデッサの狂犬”が女だったと知って手を出そうとした者が、彼女が来た当日に居たらしい。全身をアザだらけにされた挙げ句、素っ裸で放り出されたのだという。それを見咎めたフリードリヒが彼女を諫めたことが原因で、大喧嘩に発展したという話を、医務室で寝込んでいる兵から聞いた。その兵こそが、イースに手を出した者だと知ったのはそれから数時間後だった。
オデッサからバイコヌール宇宙基地侵攻部隊に移った頃もイースはかなりの問題児だったらしく、周囲の兵を顎でこき使っただの、民間人に扮装した諜報員を拷問ついでに惨殺しただの、兎角そういった暴力的な噂が山ほどあった。いくら顔の傷を消して淑女のような振る舞いをさせてみても経歴が消えるわけではないから、誰一人として彼女を淑女として見る者はいないだろうし、それこそが彼女の狙いでもあるに違いない。あれの上官を任されたフリードリヒの境遇は一言で表せば“不幸”だ。正直、同情する。
とはいえ、対するフリードリヒ・ファルサーの戦歴も悪く言えば凡百に埋もれた、冴えないものだ。とりたてて劣っているわけではなく、かといって飛び抜けて優れてもいない。彼について特筆すべきは、その性質だ。多くのジオン公国軍将官にとって理想的とも言える忠誠心、不義を断じて許さぬ道徳性、率先して前に出る積極性、部下を思い遣ろうとする優しさ。
惜しむらくはそれら全てが、彼の壊滅的に鈍感な性格が災いして空回りに終わっていることだ。敗戦が濃厚となりつつある戦局では、忠誠心も道徳性も裏目に出るだろう。聞けばフリードリヒは軍用食が底を突いた際も「我々の部隊は水だけで戦える。兵糧で泣き言を抜かすのは弱者のすること」と豪語し、友軍に食料を譲ったという。そんな姿勢であるから友軍も食料の確保に消極的になり、結果として皆で揃って栄養失調で進軍が止まった。まる二日かけて本隊に追い付いた頃には、既に戦闘は終了し、現地で食料も確保していた。しかも直後にフリードリヒが体調不良で寝込むというオチまで付いている。つまりは、筋金入りの根性論者だ。「要らぬ苦労で戦果が出せるなら苦労しませんよ」と整備士の一人がこぼしていた時の得も言われぬ苦い顔を、ジャンゴは忘れられないでいる。
両者のプロファイリングが整備班の世間話を取り纏めたものに基づいている以上、手放しに信用すべきではないが、概ね噂通りの人物像であることもまた事実だ。あの水と油そのものである二人を腐っても前線部隊であるこの毒蛇部隊に寄越したケウリ駐屯地も、文句も言わずに受理したテルマルトも、どう甘く見積もったとしても正気の沙汰とは思えない。
《あー。そういやさ、クソジジイ》
口を開いたのは、件のイースだった。
《アナコンダは単にでかい蛇ってだけで、毒蛇でも何でもねえよな?》
「上が付けたコールサインをそのまま名乗ることにしたんだよ。故郷に生息してるテルキオペレっていうおあつらえ向きの蛇が居るんだが、そいつじゃあまりに“そのまんま”だろ?」
コロニー育ちのジャンゴには、蛇は毒を持つ種類とそうでないものが存在するという程度しか知識がない。地球降下作戦の前に有害な生物についての講習があったが、今となっては半分も覚えていなかった。テルマルトの知識がどの程度なのかを具体的に推し量ることは不可能だが、彼は地球育ちであるから詳しいのは違いない。
「似たような毒蛇ならカイサカとか、ハララカって奴もあったが聞き取りにくい。まあ、アナコンダも大概、ありがちだがよ。ボスって感じがするだろ」
《へえ。ジジイ、意外と学があるじゃん》
イースが珍しく――否、少なくともジャンゴの知る限りでは初めて――屈託のない笑顔を見せた。彼女は素直に感心しているらしかった。
「そりゃあ、地元のアブナイ生き物くらいは知ってるだろ」
《ボス、整備班からです。いつでも塾帰りの坊や達を迎えに行けます、とのことですぜ》
と、ここでフランコの艦内通信――全体放送ではなく艦橋のみに向けられたものだ――が割り込んできた。テルマルトはスピーカーに向かって短く頷く。
「ご苦労さん。一足先にハンガーでエンジン暖めとけ」
《了解、ボス》
テルマルトは視線をスピーカーから、再びモニタへと移した。
「……というワケだ。野郎共、聞こえたか? 待望のお迎えだ」
《了解しました。ヴェノム1および2、指示があるまで待機します》
暫く寡黙に徹していたフリードリヒが、数分ぶりに口を開く。下手に合いの手を入れて来なかったのは、彼なりに空気を読んだからだろう。涙ぐましい努力だ。
「しっかり見張っとけよ。いくら俺が根回ししても、横から白んぼが殴り込んでくることもある」
《了解!》
《あいよ。適当にぶらついてくるわ》
それきりモニタは暗転し、何も言わなくなった。ジャンゴは顎に手を当て、いつかの番組でコメディアンが放った発言を呟く。
「地球連邦は南極条約にてジオンに生物兵器を作るなとのたまうが、当の連邦は既に地球にてヒルや猛獣といった生物兵器を所持――もとい放し飼いにしている……」
「おう。なんだなんだ、いきなり」
面食らったといった様相で、テルマルトは禿頭を掻いた。
「テレビでやっていた、某コメディアンの言葉ですよ。毒蛇で思い出しまして」
「よりにもよって、バイル・バッキートかよ。アイツ嫌いなんだよ、自虐ネタで尺稼ぎやがって」
ジャンゴが“某”と表現していたのは、サイド3ではバイル・バッキートの名前が禁じられていたためだ。コロニー住民でありながらスペースノイドを扱き下ろす内容の自虐トークは、ザビ家の標榜するジオニズムやスペースノイド優性主義とは相容れない。それでもバッキートが一定数のファンを獲得していたのは、閉塞感溢れるコロニー生活を笑いにすることで少しでも前向きになろうという姿勢ゆえだ。
テルマルトはジャンゴに背を見せ、肩を竦めた。
「だいたいよ、生き物を使おうったって、この辺りじゃ熊しか居ねえよ。その熊だって、今は土の中でオネンネ中だ。まったく、くだらねえ」
そう言って、テルマルト両肩や腕はそのままに上半身をひねってこちらに向き直り、顔をしかめ、フィンガースナップをしつつ右手の人差し指を立てる。バッキートが哲学系トークのネタを披露するときの、定番のポーズだ。「嫌い」と言った割に再現率が高いせいで、ジャンゴは噴き出しそうになったのを必死に堪えた。
「さる連邦の高官はこう言った。“モビルスーツ開発の技術ではジオンに十年も劣る我々地球連邦だが、ことジョークのセンスに於いては我々が百年優れている。連邦側のほうが、笑顔の者が多いからだ”……。しかし同時に泣く奴も怒る奴もジオンより連邦のほうが多いことについて、どう説明するのか?」
途中で恥ずかしくなったのか、テルマルトは咳払いをしながら椅子に座り直す。
「お前さん、バッキート好きなんだろ。これもアイツがやってたネタだ」
「ええ。確か、ジオン公国に比べて連邦寄りの人口のほうが多いのだから、当然だろうという笑い話ですか」
サイド6で収録されたトーク番組のネタだ。彼は連邦にすり寄る姿勢を見せつつ、この現在という時勢を喜劇に変えようとしている。安全な場所はどこにもないと知っていながら、なおも自身を危機に追い込もうとしている。盛大で、そして緩慢な自殺を彼は試みている。
「正解! エンジンも暖まった頃合いだろう」
テルマルトが手を叩き、話を閉じる。
「くだらねえ話はこの辺にして、格納庫のド・.ダイの二番機に乗りな。スカベンジャーが護衛に付くから、武器は心配しなくていい」
「しかしボス。自分はド・ダイの操縦なんて一度も……」
ドップの操縦経験くらいはあるが、いくら同じ航空機とはいえド・ダイは爆撃機と輸送機を兼ねている。戦闘機のドップとは感覚が違いすぎるだろう。
「なあに。操縦はフランコにやらせときゃいいんだよ。お前さんは隣でふんぞりかえって、やっこさんを見張るだけだ。ヘマはしないだろうが、サボるかもしれねえからな」
「あいつド・ダイ動かせるんですか?」
「あのサイコ野郎、大抵の乗り物は動かしてるのよ。何でも、足回りのコツさえ掴めば、ワッパだろうがアッザムだろうが一通り動かすだけなら五分で全部できるんだと。お前さんが来る前、実際に借り物のゾックで突破口を開いたこともある」
フランコの操縦技術については、ザクを動かしているところしか見ていない。しかし、トップエース――たとえばシャア・アズナブル大佐のような――と呼ばれる者達ほどには熟達しておらずとも、中堅よりは上と言っても差し支えない程度には上手く動かしている。ほぼ全ての機体でそのレベルに達しているとしたら、それはもはや人の成せる業ではないだろう。モビルスーツの機種転換訓練ですら相応の期間を要するというのに、たった五分で勝手が全く異なる機体を動かせる筈がないのだ。加えてあの陰険な性格だ。慢心ゆえの裏切りも有り得るかもしれないというのに、テルマルトはそれを制御しているとでもいうのか。
ジャンゴは背筋が凍るような錯覚と同時に、強烈な眩暈に襲われた。毒蛇部隊では比較的古参ながら常識人でもあったコブラ2ことランツ・ギブスンは、今頃は灰になっている。心の底で信頼が置けそうな人間は、この艦にはもう残されていない。今の自分に出来ることは、たった一つ。
「……イースが狂犬なら、あいつは差し詰め“狂気の天才パイロット”ですな」
どこぞの狂人を陰で扱き下ろしてやるくらいだ。大昔の映画などで使われるようなあだ名はやはり、テルマルトの琴線には触れなかったようで、気まずい沈黙が少しばかり続いた。
「前から思ってたことなんだが……お前さん、センスねえな」
「自分も、そう思います」
センスが無いのはユーモアだけであってほしい。ジャンゴは胸中で祈りつつ、駐屯地のハンガーを目指した。