何やら騒がしい音が耳に響く。何処か既視感があるような、懐かしいような、そんな雰囲気の音。
「で、こうなった訳よ!」
「まじで〜!?」
ぼんやりとした意識の中、思考を巡らせる。
ここは何処だ?俺は屋上から飛び降りてそのまま、この世から飛び立ったんじゃなかったのか?
「ら………こ……あ…」
走馬灯か?でも何でこんな何気ないシーンが?普通、もっと苦戦した記憶とか、入団したての記憶が流れるはずだろ。
というか長い。何で次のシーンにいかないんだ。俺の脳のメモリはどうなってるんだ?
「欄!!!!聞いてる!???」
耳をつんざくような、鼓膜を意図的に破ろうとしているのかと疑ってしまいたくなるほどの声。不快に感じるはずなのに、何故か懐かしくて、心地良ささえ感じる。
「…?どうしたんだよ、鳩が豆鉄砲食らったような顔して…」
人懐っこい容姿にスクエア型の色眼鏡。色眼鏡から透けて見える、ラピスラズリ色のような、青空のように澄んだ瞳。
そこにいるのは【想真】だった。想真で、間違いなかった。
「…っ、」
声が出ない。喉に何やら異物が詰まったような感覚がして、思うように声帯が動かせない。
それは驚きからか、それとも…。
「…大丈夫か?なんか今にも泣きそうな顔してんぞ?」
ぽんぽん、と俺の背中を適度な力で撫でる想真。背中から想真の体温が一身に伝わる。あたたかい、あたたかい。
それは最期の体温を失った想真の手ではなく、いつもの、あいつが笑顔で居た頃の体温の手だった。
「…っ、う、ぐ…っ」
喉の異物が込み上げてくるような感覚がした後、頬に生暖かいものが伝う。
1度込み上げてきたものが簡単に止まるはずもなく、溢れ出るように涙の雨が俺を襲う。
「ご、めっん、ぅ゛…」
「何が?え?お前、何も悪い事してねぇじゃん。どうした?」
困惑しながらも、相変わらずの調子の良い声で、俺の背中を撫で続ける想真。
弱々しく泣いて謝るなんて、俺らしくもない。普段なら、撫でられる手を振り切って走り去っている所だが、今はそんな事をする気にサラサラなれない。
「…涙拭くものねぇな…、俺の服で拭くか。」
「…団長、汚いですよ。」
いつの間にか背後から現れ、自然にハンカチを差し出してくる琥珀。
ハンカチからはこいつらしい、何処か華やかな…でも嫌ではない香りがしている。
「…あざっす。」
差し出されたハンカチを受け取り、涙を拭う。こうして気遣われると、やけに冷静になり、さっきまでの涙が引っ込んでいくのを感じる。何故だろう。さっきまで感傷に腰まで浸りきっていたのに。
「…なぁ、今って何年だ?」
「え?今?」
「昭和17、2月21日だけど?」
唐突な俺の問いに、キョトン…と目を丸くさせた想真だったが、その瞳は同情するかのようなものに切り替わる。
「仕事のし過ぎで、日付感覚を失ったか…。」
「…まぁ、そんな時もあるよな。俺もたまにあるし。うん。」
優しく肩を叩いてくる想真。
精一杯慰めてくれているんだろうが、返って虚しくなるから辞めて欲しい。
(…というか…。)
俺は屋上から飛び降りて死んだ。それは間違いない。そのはずだ。だって、ぐちゃ、と何かが潰れる音、やけに生温かい地面の感覚を、今でも身体が覚えているんだから。
だったら何故、死んだはずの想真、仲間が目の前にいる?俺は生きている?
「…奇跡、みたいだな。」
無意識に口に出た言葉。奇跡。
俺はそういうスピリチュアル的な、自然法則とはかけ離れているものは信じない主義なのだ。
まぁ自然法則を無視した事を平然とやるような奴らが集まる組織に属している身ではあるのだが、そういうのは信じない。
一瞬のプライドというものか、俺の中の逆張り精神だったのかもしれない。
…だが、今の状況は【奇跡】という言葉で表しておかないと自分の中で納得が出来ない。
(……不可思議すぎるだろ…。)
困惑を抑えきれず、無意識に髪をかきあげる。
――ギュルルル…。
間抜けな音。間抜けでありながら、空腹を訴えてくる、俺の大嫌いな音。そんな音が俺なら鳴った。
「お前、まだ昼食取ってなかったのか。」
「丁度良いや、俺と一緒に食堂行こうぜ!」
にかっといつもの調子で笑い、俺の腕を引っ張り、そのまま2人で食堂へと向かった。
――――――
食器同士が擦れる音が聞こえ、食欲を刺激するようなスパイスが鼻を擽る。
「いやぁ、今日カレーライスだったなんてな!」
「仕事頑張って良かったと思える瞬間だわ〜」
軽くステップを踏み、時にはくるくる踊りながら席を探す想真。トレーを持ちながら、それをするとは、想真はとても器用だったらしい。
「…はしゃぐのは良いが、落とすなよ?」
注意のつもりで、一応想真に声がけをしてみる。が、想真はわかってるって〜と声がけは余り耳に入っていないようだ。
一瞬の隙にドンドン動きはヒートアップし、ついにはカレーライスが宙に舞った。
(…終わったな、ありゃ…。)
片ずける準備でもするか…と、雑巾を取りに行こうとした時、俺の身体が突如として重くなった。
身体全体に鉛でも付けられたかのような、そんな感覚。かろうじて動く事は出来るが、速度は亀並だ。
――俺だけではない、周りも、止まっている。
「…全く、こんな事で我の異能力使わせるんじゃねぇある。」
呆れたようなため息を着きながら、慣れた手つきでカレーライスの具を皿に戻す人物。
ふわりと漆黒の髪が風に揺らされて舞う。
…虎次郎だ。
「第一、食事を運ぶ時は慎重に運べと、前も我は言ったある。」
「忘れたとは言わせねぇあるよ?」
相変わらずの強い眼光で想真を睨みつける虎次郎。想真は反省する色を見せず、適当にごめん〜等とほざいている。
――異能力。普通の社会で生きていたら聞き馴染みの無い言葉であろうが、此処ではそれが''普通''として扱われる。
一人一人が生まれた時に持つ、特別な能力らしく、誰しもが持っているものだと、此処に入る際に説明を受けた。
最初こそ現実味が無く、信じられなかったものの、もう慣れてしまった。
「虎次郎〜、異能力解除してよ、食べにくい〜!」
食堂中に響く、柔らかでありながらも、天真爛漫さも含まれている声。
「…凛々、ちょっと待つある、こいつに説教してから…」
「異能力解除してからでも出来るじゃん!」
「異能力解除するとこいつ逃げるある。」
不満げに解除しろ、という凛々を宥めるように、虎次郎はそう言う。
虎次郎の異能力は進む時間を極限まで遅くする能力。発動範囲は約8m。良くこの異能力は不便だとぼやく所を見てきているが、ようやくその意味がわかった。
解除して貰わないと、俺も食事が取れない。胃が一刻も早く栄養を寄越せと煩いのに。
「…虎次郎、異能力解除してくれ。」
「…解除すると…」
「想真は俺が捕まえておく。」
「わかったある。」
勢い良く虎次郎が空に手をかざすと、瞬く間に俺の身体が軽くなった。世界の速度が戻った。
持っていたカレーライスを適当な机に置いた後、素早く想真を拘束する。身体を捻って、脱出しようとしているが、力で押さえ込んでしまえば良いこと。
「…ちょ、欄、離せ…ッ」
「無理。」
首を締めすぎない程度に力を込める。こうでもしないとこいつは器用に逃げ出していくのだ。前科がある。信頼できない。
「待て待て、首が締まる、締まるって!!!」
「谢谢。じゃ、こいつ連れていくある〜」
想真の襟口を乱暴に掴み、引きずるように連れていった虎次郎。嘆くような声が聞こえた気もするが、気の所為だろう。俺は何も聞こえない。
「……変わらないですね。この光景。」
まるで懐かしい光景でも見つめるかのように、琥珀はそう言い放った。
まずいつの間に現れたのか、という疑問は置いておこう。
「…お前、もしかして…。」
違和感。前の琥珀なら虎次郎と同じように呆れた表情でこの騒動を見ていたはず。
というかまず、変わらないという言葉自体がこの状況では不自然だ。
「…ええ。おおよそは貴方の想像している通りですよ。」
「…ここでは少し話しにくい。場所を変えましょう?」
内心の感情が読みずらい笑顔を浮かべ、人の目が届きにくい食堂の隅へと、俺を誘導する琥珀。
周りを注意深く見渡し、誰もいない事を確認すると、パチ、ッという音が鳴った。
琥珀が指を鳴らすと、一気に空間が違う物へと切り替わる。
生活感が滲む食堂から、異国情緒溢れる、庭園へと。この切り替わりの技術には何度体感しても、感嘆の意を漏らさずにはいられない。
「…やっぱすげぇな、お前の異能力…。」
「…でしょう?良く言われます。」
ふふん、と当然だとでも言うような自信ありげな表情を浮かべる琥珀。その様子は何処か子供っぽい。
琥珀の異能力、[空間転移] は自身の望む空間を創り出す能力だ。
自身の望む景色を想像し、現実に創り出す能力。
主なエネルギー源は使う者の精神状態。精神状態によって、この空間は変わっていく。
詳細な事は分からない。とにかく便利な能力だ。
「まぁ、とりあえず座ってください。」
いつの間にか現れていた机を指し示す琥珀。椅子を引き、がたっといつもの様に座る。
「…サモワール…?」
何処かアラブ味を帯びた、アンティーク調の壺のような物。それがサモワールだ。
それが机にドン、っと置いてある。
「…どうぞ。」
シンプルなティーカップに添える様に置かれたジャム。いれられた紅茶からはほんのりとストロベリーの甘い匂いがふわりと心地よく広がる。
「…ロシアンティーじゃねぇか、これ…。」
「というか、サモワールなんて良く手に入れられたな…。」
「今は色々な物が輸入制限かかってるっていうのに…。」
「まぁ、裏取り引きで少々…。」
さらっと重大な事を零す琥珀。栄光ある、これぞ人としてある姿だと世間で持ち上がられている騎士団、幹部がこんな事をしているとバレたら一斉に非難が集まるだろう。
「…政府の奴らにバレたら、贅沢だって叩かれるぞ?」
「バレなきゃ良いんですよ、バレなきゃ。」
「非国民じゃねーか。」
「そもそも私、日本国民じゃないので。」
にこ、っと紳士的な笑みを浮かべる琥珀だが、発言の重さというのを分かっているのだろうか。閉鎖された異能力空間だから良いが、もし此処が喫茶店だったりした場合、周りの客から物を投げつけられてもおかしくないレベルの発言である。
「…さて、茶番はこれくらいにして…。」
「本題に入りましょうか。」
紅茶を1口、含んだのちに真面目な表情を見せる琥珀。
さっきまでの空気とは一変し、この空間を支配するのは重々しい雰囲気。
――始まる。これからの、作戦会議が。
日常回のつもりが気づいたら不穏な雰囲気になってしまいましたね。
次回はいよいよ作戦会議です。