Re-Otogibanashi   作:溺死体

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見たい映画の予約が取れて気分がいいので投稿です。


彩葉寝てたから、堪能してた

 鍵を開けて部屋に入った瞬間、むわりとした熱気が肌にまとわりついた。

 一日中閉め切っていた部屋は、高階層ということもあって熱がこもりやすく、蒸し風呂みたいな温度になっていた。背中にじっとりと汗が張りつく。

 

「……暑っ」

「お邪魔しまーす」

 

 遅れて入ってきた彩葉が、律儀に扉と鍵を閉めた。廊下を抜け、リビングへ。カバンを適当にソファへ放り投げ、速やかにエアコンのスイッチを入れる。

 彩葉は勝手知ったる様子で棚の前に腰を下ろす。棚の中央に鎮座するのは、神棚に飾られた月見ヤチヨのアクリルスタンド。

 仮想空間『ツクヨミ』の管理人兼アーティスト(同業者)としても活動する仮想世界の歌姫。

 母のように、姉のように、時には友人のように。いや、8000歳という設定を考慮するなら祖母のように、なのか?

 兎も角、人々に寄り添ってくれる存在だ。

 私と彩葉にとっては、共通言語みたいな人物だった。

 その周囲を、守護天使の置物とカード、塩の袋、そのほか色々な“ありがたいもの”が取り囲んでいる。

 

「……あれ、神棚になってる。 拝んどこ」

「やめてよ。ただでさえ宗教感強いゾーンなんだから」

「これどうしたの? 買ったの?」

「いや、作った」

「え?」

 

 彩葉が雑多に物が置かれた棚の、ヤチヨの神棚をもう一度見る。

 

「見本見て、このくらいかなってサイズの材料をホムセンで適当に揃えて、あとはいい感じに調整しただけ」

「DIYってそんなもんだっけ?」

 

 彩葉は少しだけ考えてから、もう一度手を合わせた。

 

「……これ周りも増えてない?」

「いつもの母親便」

 

 冷蔵庫から紙パックのジュースを二本取り出し、一本を投げ渡す。

 

「ああ、例の……」

「今月は野菜と聖水と塩とカードだった」

「ランダムガチャなの?」

「たぶん」

 

──Pickアップガチャ、周年記念ガチャ、遠い天井……うっ頭が……。

 脳内でカノンが呻く。

 ツクヨミにガチャ要素なんてないし、またいつだかにリスナーから来たコメントだろうか。同じ体を共有しているはずなのに、妙に色々なネット知識の守備範囲が広い。

 

 彩葉は棚の守護天使を少し眺めてから、メンダコのぬいぐるみを抱え直した。

 

「これ先週の?」

「そ。クレーンゲーム配信で取ったやつ」

「大分てこずってたね。 最後あんまり直視したくない金額になってたよ」

 

 本当に、そう。

 ツクヨミ内にあるクレーンゲームは、景品を取れば現実にも同じものが届く。配信の企画ということで、最初は二人で普通にお菓子などの台をやっていたのだが、このぬいぐるみはアームが弱すぎてどうにもならなかった。

 最終的に、むきになったカノンがプレイ料金の十倍を払うことでアームを強化するという、仮想空間ならではの仕様に頼って強引に獲得した。

 

 こいつめ、とぬいぐるみの額を指で軽く弾く。

 

「今日は昨日休んだ分の復習からでいい?」

「うん、それでお願い」

「はい、じゃあこれ昨日のノート。 いつも通り分からないところあったら聞いて」

「はい、先生」

「それやめて」

 

 ジト目で軽く睨まるが、聞こえなかったことにして机の上を整える。借りたノート、教科書、参考資料を並べる。窓から差し込む光はまだ強く、室内にこもった熱を逃がさない。  さっきまでの蒸し暑さが、机の周りにじっとりと残っている。それでもエアコンの風がようやく効き始め、部屋の空気が少しずつ落ち着いていく。

 週に一度の、家庭教師の時間が始まる。

 

 

 しばらくは、問題を解くことだけに意識を向けていた。分からない箇所があれば、彩葉に確認する。彩葉はそれに対して可能な限り丁寧に説明してくれる。理解できればそれで終わり、足りなければ、何度かやり取りを繰り返す。

 

 納得すれば、またペンを握る。

 しばらく、部屋にはペン先が紙を走る音と、ページをめくる乾いた音、それからエアコンの低い駆動音だけが続いた。

 

 この家庭教師の時間、私と彩葉の間で勉強に関係のない私語はほとんどない。基本は自習で進めて、わからない部分だけ彩葉に解説してもらう形式だ。

 彩葉ほどではないが、私にとっても学力の維持は死活問題だ。遊びや配信にかまけて成績が落ちれば、私たちの快適な生活が脅かされてしまう。主に我が母によって。

 そのため、私の学習状況は月に一度、彩葉がうちの親に報告することになっている。私は内容を確認できないが、彩葉の性格からして、甘い内容にはなっていないはずだ。

 同級生に家庭教師を頼むことには、両親も最初は難色を示していた。特に金銭が絡むとなればなおさらだ。

 ただ、彩葉のお母さんが弁護士だと聞いてから、態度は少し変わった。

 私とカノンの説得と、実際に彩葉と会った時の印象もあって、最終的には許可が出た。

……決め手がそこだったというのは、正直少し複雑だけど。

 

 

—それまでも感触は悪くなかったけど、彩葉のお母さんが弁護士と聞いてからは、露骨に態度が軟化してたよね。彩葉も気づいて微妙な表情……、にはしてなかったけど雰囲気隠しきれてなかったし気まずかったねぇ〜。

 

 相手の親の職業で判断を変えるって私にはまだ、わからない感覚だけどね。

 

──今回ほどではなくても、家族の評価が間接的に自分の評価に影響するのはよく聞く話だよ。逆だってあるよ。学校も行かず、働きにも出なかったりの娘息子のことを周囲に知られると外聞が悪いから親が隠したりさ。特にうちは古い家だからさ、そういう意識も人一倍だよね。

 

 それでも家族の事を隠したいって気持ちは私には分からないな。

 

──……そっか、それはそれで幸せな事だよ。何か困るわけじゃないしぃ。それより邪魔しちゃったね。私はまた静かにしてるよ。

 

 ううん、気にしないで。

「ニンニン」とだけ残して、静かになったカノンに胸のうちだけで返答をする。

 ふと視線を上げると、彩葉が数秒だけ目を閉じて、すぐにまたノートへ視線を落とす。

……耐えた。

 少し会話に意識がそれすぎていた。彩葉も頑張っているし、改めて私も集中すべく一度気合いを入れ直すのだった。

 

 

 炊飯ジャーの鳴らす軽快な音楽に顔を上げる。

 同時に、彩葉もペンを止めた。

 

「終わろっか」

「うん」

 

 ひとつ、伸びをしてから、私は立ち上がる。

 

「今日もご飯食べてくでしょ?」

「いいの……?」

「もちろん、元々そのつもりだったし」

 

 一度は遠慮しかけた彩葉が、すぐに小さく頷く。

 机の角に指先を這わせ、その感触を楽しみながらキッチンへ向かった。

 

 

 やがて、魚が焼き上がる香ばしい匂いが部屋中に広がった。

 黒い長角皿に、皮目をぱりっと焼いた旬のアジを尾を右にして盛りつける。頭側をわずかに手前に寄せ、焼き目がいちばん美しく見える角度に整える。

 青じそを一枚敷き、その上に大根おろしをふんわり空気を含ませて山に。半分に切ったすだちは、断面がこちらを向くように添えた。

 

 ご飯を茶碗によそい、味噌汁を椀に注ぐ。小鉢を添えて、盆に載せる。 予習を続けていた彩葉に「運ぶの手伝って~」と声をかける。

 二人で盆をテーブルに運び、向かい合って腰を下ろす。

 

「今日のメニューは、ご飯、鯖の塩焼き、小松菜のおひたし、それから豆腐とわかめの味噌汁。味噌汁はちゃんと出汁から取ってるの。昆布は水からじわっと温度を上げて、沸騰直前で引き上げて、鰹節は火を止めてから入れる。煮立たせると雑味が出るからそこは絶対やらない。あと味噌は溶いたら加熱しすぎないのがポイントで──」

 

──朱結、彩葉ちゃん、早く食べたいけど、作ってくれた手前止めづらい顔してるよ。

 

……してるかも。

 

「どうぞ」

「いただきます。……おいしっ」

 

 味噌汁に口をつけた彩葉が、頬を緩ませる。

「沁み入る~」と、感じ入るように目を閉じた。

 それを片方だけ開けた右目で確認してから、私は箸を取る。

 

 テーブルの上のタブレットに手を伸ばしてスリープを解いた。動画の一覧から見ようと思っていたヤチヨの過去配信を開いた。

 

『最近はね~、ビターなお話も悪くないかなって思ったりするんだよね。メリバっていうのがあるけど、あれってさ、誰かにとっては不幸でも、別の誰かにとっては救いだったりするでしょ?』

『同じ結末でも、立つ場所が違うだけで意味が変わるの。時間が経つとね、その時は悲しいだけだと思ってたことが、実はちゃんと前に進むための選択だったって分かることもあるんだよ~。でもね~、みんなにはできればハッピーでいて欲しいな~☆』

 

 湯気の向こうで、彩葉は静かに箸を進める。一口ごとに、きちんと噛んで味わい、飲み込む。私は私で、余計な音を立てないように椀を持ち上げる。

 食卓にあるのは、食器の触れ合う小さな音と、動画から流れるヤチヨの声だけだった。

 

 

「ごちそうさまでした」

 

 私が食べ終わったタイミングで、先に食べ終わってヤチヨの配信を見ていた彩葉が立ち上がり、こちらの皿に手を伸ばす。

 

「片づけくらい手伝うよ」

「いいよ。 座ってて」

 

 「悪いよ」となおも手を伸ばす彩葉を半ば押し出すようにして、ソファーへ座らせた。

 

「彩葉は適当にくつろいでて」

 

 肩を軽く押して、そのままソファーに向き直らせる。

 彩葉は少しだけ迷って腰を浮かしてから、諦めたように素直に腰を下ろした。

 

「飲み物入れるよ。 紅茶と緑茶、どっちがいい?」

「……おすすめは?」

「緑茶」

「じゃあ緑茶で」

 

 

 水音が台所に広がる。

「遠くに眺めたけーしきがー、いつもーよりなーぜか」

 気まぐれに、ヤチヨの曲の中で1番好きな曲の一節を口ずさむ。

 洗剤の泡が弾ける音と、食器が重なる控えめな音が重なる。ポットが小さく湯を沸かしはじめた。一曲も終わらないうちに、洗い物は片付いた。

 湯呑を温め、その湯を急須へ移す。茶葉を落とし、蓋をして数を数える。早すぎず、遅すぎず。二つの湯呑に交互に、均等になるようゆっくりと注ぐ。

 最後の一滴まで落としきって、急須を静かに置いた。

 

「いろはー、ってあれ……」

 

 急須で入れた二人分のお茶を知らせようとリビングに声をかけ、視線を向けると、彩葉がソファーに体を預け目を閉じている。

 手に持ったお茶を溢さないようにいつもより歩幅を狭め、たっぷり時間をかけてソファーの前のローテーブルまで運ぶ。

 音を立てないように湯呑を慎重に置き、額を腕で拭い、一仕事終えた感を出す。

 

 ここまで近寄っても起きる気配がない。

 私は、「ふむ」と垂れ下がった彩葉の髪を一房すくい上げる。親指の腹で髪の感触を確かめるように数度撫でる。

 私の想定より深く彼女が寝ていたため、思いがけずできてしまったできてしまったこの手持ち無沙汰な時間に、彩葉について知っていることが思い浮かんでは消えていく。

 

顔がよくて

成績優秀で

バイトで忙しくて

ヤチヨを崇拝していて

意外と負けず嫌いで

顔が良くて

親との仲が悪くて一人暮らしで

真面目で頑張り屋で

いつか一人で壊れてしまいそう

 

 これらの要素はすべてが正解なようで、すべてが彩葉という女の子の本質を掴めていないような気がする。

 

 髪から手を放し、彩葉の頬に触れる。

 いつもなら、聞こえる制止の声も今は聞こえない。手のひらをぴたりとくっつけると彼女の身体の温度を感じられた。疲労が溜まっているのか、肌の状態はあまりよくない気がする。

【いつか一人で壊れてしまいそうな女の子】

 先ほど思い浮かべたこの単語が、頭の片隅で顔をのぞかせてくる。

 きっと、そうなるまでこの子は相談してくれないんだろうな。

 私にも、きっと芦花や真実、誰にも相談しないで、破裂する風船みたいに、ある日突然。

そういう予感がある。

 

 彩葉が前を向くためのどれだけの犠牲を払っているかを理解しているから尊重しているけど、 やっぱり綺麗なものが少しずつ陰っていく様を見ているのは、私もストレス貯まるし…… 最終的に納得してくれればそれでいいし

 それならいっそ、そうなる前に私がさらってしまうか、なんて。

 

──今考えてることを実行に移したら、二度と口利かないからね。

 

 声音だけで、本気だと分かる。普段のカノンは甘い。私の都合を優先して、だいたいのことは譲ってくれる。けれど、一線を越えそうな時だけは、絶対に退かない。

 さっきまで頭をよぎっていた考えが、少しずつ萎んでいく。

 

「やらないよ。妄想くらい」

──七割くらい本気だったでしょ。

 

 むう。

 一心同体ならぬ、二心同体。強く思えば思うほど隠しきれないのは少しだけ困りものだ。

 

 

「あのー、朱結さん? 人の顔を触りながら固まらないでー」

「ごめん、ぼーっとしてた。 おはよう彩葉」

 

「これはどういう状況?」

「彩葉寝てたから、堪能してた」

「え、何されてたの私!?」

「まあまあ、それよりお茶、冷めないうちに飲んじゃって」

 

 あ、うん。どこか釈然としない顔をしつつも、彩葉は湯呑に手を伸ばす。

 

 

 しばらくして、彩葉が思い出したように顔を上げた。

「そうだ。 来週の家庭教師、なしでお願いしてもいい?」

「ヤチヨのライブだっけ、もうそんな時期か」

「うん。 ……ちょっと、緊張してきた」

「まだ一週間あるけど」

「もう一週間しかないんだよ」

 

 私は返事をせず、湯呑を傾ける。

 わざと間をつくるように、ゆっくりと一口。

 

「じゃあ、私で練習する?」

「え?」

「私、美少女人気配信者」

「友達はノーカウント!」

 

──自分で言っちゃうんだ、それ?  

からかうような声が、すぐ横から差し込む。

 同じ顔なんだから、理論上は私も美少女でしょ。

──理論上って。

 私は背もたれに体重を預けた。クッションが沈む。だらりと腕を落としたまま、首だけを回して彩葉の横顔を覗き込む。

 

「ね、今日はこのまま泊まっていく?」

「明日も学校なので泊まりません」

 

 即答に、私は軽く肩をすくめる。どうせ却下されると分かっている、ほとんど習慣みたいなやり取りだ。

 

「青梅線快速電車、立川駅には?」

「それは止まる。……泊まらないよっ」

 

 肩口でぐい、と押される。押し返すと、体ごと使ってさらに押し返してくる。

 

「あー、もう」

 押し合ったまま、彩葉がスマホを確認する。

 画面を見つめる目が止まり、親指の動きがぴたりと止まった。

「……って、まずい。 こんな時間?」

 ソファーから体を起こし、慌てて立ち上がる。

 

「帰るね」と言って自分の鞄を持つと、玄関へ歩き出す。

「送るよ、ちょっと待ってて」

 

 ソファーでだらけきった姿勢から跳ね起きる。

 冷蔵庫から目的のものを取り出し、追いかけるように小走りで玄関まで向かう。

 

「じゃーん、お土産です」

 両手で桃を顔の横に掲げる。

 冷気をまとった表面に、うっすらと水滴が浮かんでいる。

 

「そうこれは今が旬の三千年に一度実る桃。 不老不死になれる」

「いや、もらえないよ、流石に」

「なんで?不老不死になりたくないってこと?」

「それはなりたくないかも……そうじゃなくて、もらい過ぎだよ」

 

 眉尻を少し下げて、小さく笑う。

 

「それがさあ、実は、実家から送られてきたんだけど、流石に三個は食べれなくて」

 

 貰ってくれないの?と気持ち瞳を潤ませる。 既に必要なさそうではあったが、今が旬なんだけどなあ。食べきれなかったら捨てるしかなくなっちゃうなあ。

と追撃をかければ、小さく唇を動かして、結局そのまま引き結び、

 

「も、勿体ないのでもらいます……」

 

 負け惜しみの言葉を吐く口とは裏腹に、嬉しそうな表情で受け取ってくれた。

 そのままだと持ち帰りづらいので適当な紙袋に入れて、一緒にエレベーターに乗り込む。

 

「桃、ありがとうね」

「本当に気にしないで、二個じゃなくて三個ってことは、元々そういうつもりで送ってるんだよ」

 

 律儀に再度お礼を言う彩葉に、私の推測を口にする。

 基本的に何か送って来る時はペアで送って来る母が三つ送って来るということは、そういう意図が含まれている、と思う。恐らく渡してもいいし、渡さなくてもいいのだ。

 だから渡した。それだけの話なんだよねこれは。

 

──あの朱結が他人におすそ分けできるようになるなんて、お姉ちゃん感動。

 うるさい黙って。

 

 エントランスを抜ける。

 空調の効いた涼やかな空気の層を抜け、ぬるま湯のような外気が肌を包む。昼間の熱をまだ抱え込んだアスファルトの匂いと、どこか遠くで湿った土が乾いていく匂いが混ざって、深く吸い込んだ空気がゆっくりと、肺の奥まで落ちていく。

「バイバイ」と互いに手を振る。

 街灯の淡い光を背負った彩葉の背中が、すっと伸びる。

 そのまま振り返ることなく歩いていくその後ろ姿が、曲がり角の向こうに消えていくまで、私はぼんやりと見送った。




カノンはネット文化にやたら詳しい。
ただし本人は「リスナーから聞いた」と頑なに言い張っている。
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