明日も同じ時間に投稿します。
「ねぇ、これ出ないよー?」
家を出てまだ数十歩。少女は自販機の前で足を止める。
ガラスに顔をぐいと近づける。ほとんど張りつく勢いで覗き込みながら、何度もボタンを押す。それでも、何も出てこない。
「お金入れないとね。何飲みたい?」
少女はパネルの炭酸飲料を指さす。
私の頭より高い、最上段のボタン。当然のように、腕を伸ばして押す。スマホを取り出し、読み取り部分にかざす。軽い決済音が鳴った。スマホの画面が点灯する。
『酒寄 彩葉 新着メッセージ(5)』
一瞬だけ視線を落とし、すぐにスリープに戻す。
ごとん、と鈍い音がして、ペットボトルが受け口に落ちた。
「はい」
ペットボトルの蓋を開けて、少女に渡す。
道端に生える雑草にしゃがみ込む。
横断歩道の白線を一本ずつ踏む。
電柱の影をまたぐ。
私もしゃがみ込み、白線を踏み、影をまたぐ。
「楽しい?」
「サイッコー!ちょーたのしい~!」
歩幅を揃えて、二人、また歩き出す。
コンビニの前を通りかかったとき、少女が急に足を止めた。
「これほしーい」
風にはためく登り旗を指さす。
「……あれ? うーん、聞いてみないことには」
──だめに決まってるでしょう。
「カノンにお願いしてもらおうか」
抗う間もなく、主導権が移る。
「えっ、はっ!? わ、わたし!?」
少女が両手を胸の前で合わせ、きらきらした目で見上げる。首をかしげる。声を少し甘くする。
「カノン、お願~い」
ほら、お願いされてるよ。
逃げ道はなかった。
「す、すみません……あの、その……表に出ている旗とかって、い、いただけたりとか……はい、はい。で、ですよねぇ……」
語尾が溶ける。声は小さく、視線は床とレジを往復する。耳まで真っ赤だ。
当然のように、丁寧に断られる。戻ってくると、少女は満面の笑み。
「ダメだった!」
カノンはその場にしゃがみ込み、両手で顔を覆う。
「は、恥ずかしい……殺してくれ……」
コンビニの自動ドアがまた開いて、ぴんぽん、と軽い音が鳴る。
その音に肩を跳ねさせながら、カノンはまだ立ち上がれない。
立ち上がる暇もなく、手を引かれる。
細い指が、強く絡む。ぐい、と前に引っ張られる。
止まる。進む。脇道にそれる。戻る。もう一度進む。
マンホールの前で急停止。縁石の上を歩き出す。カーブミラーに映る自分たちに手を振る。消火栓の標識を見上げる。白線を飛び越える。
そのたびに足が止まり、そのたびに腕を引かれる。
十数分で着くはずの道のりを、倍以上の時間をかけて。ようやく、見慣れたマンションが視界に入る。エントランス前で、カノンが膝に手をついた。
「も、もう無理ぃ……」
少女が振り返り、きょとんと首を傾げた。
そのまま、内側から身体を引き取る。ぐらり、と重心が移る。
「お疲れ」
──つ、冷た……
抗議は聞き流し、 エントランスへ向かった。
オートロックのパネルにカードをかざす。軽い電子音とともに、ガラス扉が静かに開いた。
エレベーターに乗り込む。扉が閉まり、ゆっくりと上昇を始める。
横の小さな窓から、街並みがゆっくりと沈んでいく。建物の屋根と同じ高さになり、やがてそれらを見下ろす位置へと変わっていく。
「うおー!すげー!高ーい!」
窓に張りつきながら、ただ素直に歓声をあげる。
やがて停止音が鳴る。扉が開いた。廊下を抜け、部屋の前で立ち止まる。
少女は両手を胸の前で握りしめ、その場で小さく足踏みを始めた。トントントン、と軽い音が床に響く。
鍵を回す。どうぞ、と言い終わる前に、少女は靴を脱ぐなり部屋の奥へ駆け込んでいく。ぱたぱたと足音が奥へ消える。
「ひろ〜い!」
奥から響く声。玄関に残された靴が、あっちとこっちを向いている。小さく息を吐き、揃える。そのままリビングへ向かうと、少女はすでに部屋の中を跳ね回っていた。
「うはははは、ほんとにひろ〜い!天井も高~い!」
勢いを殺しきれず、その場で小さく弾む。長い髪がふわりと揺れる。
ソファーに飛び込み、跳ね、すぐに立ち上がる。
今度は上を見上げた。
次の瞬間には、物置にしてるロフトへ続く階段を駆け上がっている。
「ここも部屋だ!」
上から声が降ってくる。
段ボールをひとつ開け、ぬいぐるみを持ち上げ、また放り投げる。
「物いっぱいある!」
ばたばたと階段を降りてくる。
今度はキッチン。
「これなに?」
「炊飯器」
「なんで床じゃないの?」
「あっちが特殊」
「へぇ〜」
納得したのかしていないのか、よく分からない顔で頷く。
棚の上、机の上、クローゼットの扉。視線が忙しい。
そして、
「ねー、これ彩葉の家にもあったやつだよね? 私もほしー」
少女の片手に収まっているのは、コンタクト型のPCデバイス。通称、
「スマコンじゃん……。うーん、確か案件でもらって使ってないのがあったような。カノン、どこやったっけ?」
──これ、あげる感じですか……? いや、これあげないと彩葉ちゃんの預金が死ぬやつか……。
「別に使ってないし、よくない? 一個くらい」
──十二万の高額機器を文房具みたいに言いおって、このお嬢がよぉ。
肉体の主導権を内側のカノンに引き渡す。
「……しょうがない。探すかぁ」
しぶしぶといった雰囲気を隠そうともせず、カノンはロフトを見上げた。
手すりに体重をかけながら階段をのぼる。
積み重なった段ボールの中から、目当てのものを探していく。箱を動かすたび、うっすらと埃が舞う。
ある程度あてがあるのか、いくつかの箱を選んで順番に開けていく。
少女はその間にも、きょろきょろと部屋を見回している。
「あっ」
壁に立てかけてあるそれを見つける。木目の浮いたアコースティックギター。
ぴん、と乾いた音。少女の目が大きくなる。もう一度、同じ弦をつつく。音を出した弦を、まじまじと覗き込む。
今度は少し強く弾く。不揃いな音が鳴る。
「おお!」
見つけたスマコンを片手に、階段を降りる。少女は興味深そうにギターを見つめている。
「やってみる?」と声をかけると、少女が顔を上げる。
「いいの?」と聞き返す少女に頷く。
ギターを持ち直し、「こう持つの」と向きを整える。体に軽く当て、ネックを少し持ち上げる。少女の指を、弦の上に一本ずつ置いていく。
「で、これを弾く」
じゃん。ぎこちない和音が鳴る。少女の口が大きく開く。もう一度。さっきより少し形になった音。「ね?」少女が頷く。
「ねぇ、今度は朱結がやって!いっちょお手本見せてくださいよ」
ギターを渡される。受け取り、軽くコードを押さえる。
「いいよ、楽しいやつにしようか」
今、この瞬間、心の内からあふれ出るメロディを音の形にして乗せていく。
両手が思う通り、いやそれ以上に。
風に導かれるみたいに、軽やかに動く。
絶好調だ。
今決めた。
演奏に合わせて体を揺らしていた少女が、目を閉じて少しだけ息を吸う。
一拍だけ待って、歌い出す。
澄んだ声が、私の弾く和音の上にすっと乗る。
楽しそうに歌う。
歌うことそのものが、楽しくてしかたないという顔で。
私も負けじと、音に胸の高鳴りを乗せる。胸の奥で、止まっていた空気がふっと動く。閉じた窓が開いて、夏風が通り抜けたみたいだった。
少女がぱちぱちと手を叩き、目を輝かせる。
「朱結すごすぎ!プロじゃん!」
「部分的にそう」
深く息を吐く。身体の奥に溜まっていたものが、ふっとほどけていく。
胸の奥で、澱んでいたものが決壊する。
唇を噛む。
でも、抑えきれない。
「あはははははは!」
自分でも驚くくらいの声が出た。こんなふうに笑ったの、いつ以来だろう。
……いや、もしかしたら初めてかもしれない。
ヒメちゃんがきょとんとする。それから、つられて「あはは!」と笑う。
しばらく二人で笑う。ひとしきり笑って、私はギターを抱え直した。
「あー、おかしい。どうする?ヒメちゃん、もう少しやる?」
「やる!」
即答だった。
少女にギターを渡す。
さっき覚えたコードを思い出すように指を置く。ぎこちない和音。それでも、形にはなる。もう一度弾く。今度は、ちゃんと和音になる。さっきよりも、迷いなく弦を鳴らす。
それから、部屋を移して、まだまだ遊ぶ。
ギター、エレキ、ベース、ドラム。触っては鳴らし、鳴らしては笑う。オタマトーンも、サックスも。音が出るだけで、また笑う。
気づけば、かなりの時間が経っていた。
少し伸びをする。
「……少し、早いけどお昼にしようか」
なに食べたい?と伺えばすかさず「オムライス!」と返ってくる。好物なのだろうか?
少女を引き連れてキッチンに向かい冷蔵庫の中を確認する。
卵、ケチャップ。鶏肉と玉ねぎ。米は今朝炊いたものが残ってる。問題なく作れそうだ。
諸々の下ごしらえを終えて、フライパンに油を落とし、玉ねぎと鶏肉を炒める。
私もやりたい!と少女が主張したため、まずは卵を割るところを任せる。
卵を持ち上げ、ボウルに打ちつける。ぐしゃ。中身と一緒に殻も落ちる。苦笑して、炒める方を任せる。
その間に、ボウルに落ちた殻を取り除いていく。もう一つ卵を取り出し、見本を見せるように割る。次はこうやってね、と軽く伝える。
少女は木べらを握り、見よう見まねで具材を返す。初めてにしては、様になっている。
ご飯を加え、軽くほぐす。ケチャップを落とすと、甘い匂いが立ち上る。
少女に皿を出してもらうように頼み、赤く色づいたご飯を皿に盛る。
ボウルの卵をフライパンに流す。
半熟になったところで火を止め、ケチャップライスの上に乗せる。
スプーンいっぱいにすくい、口に運ぶ。
「う~~ま~~」
すぐにもう一口。
私は今日の昼に食べるつもりだった弁当を電子レンジに入れる。
温め終わったそれを取り出し、向かいに座る。
少女は夢中でオムライスを食べている。
「おいしー! 昨日のよりおいしい! オムライス大好き!」
全身で喜んでいる。
どこかの誰かにも見習ってほしいものだ。
──面目ないねぇ。
「美味しい以外の感想も言えるようにね。」
──うっ。
何やら強い視線を感じて顔を上げると、早くも自分の分を平らげたお姫様が物欲しそうな目でこちらを見つめている。
ここまで来ると、呆れよりも笑いがこみ上げてくる。
私はまだ大半が残っている弁当を、素直に献上した。
朱結の部屋には、使っていないスマコンがもう一つある。
『カノン』というシールが貼られている。
二人は同時にツクヨミへ入ることができるため、今のところ出番がない。
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