Re-Otogibanashi   作:溺死体

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前半×××視点
ラスト朱結視点
週末間に合わせました。


INTERLUDE ─ 手渡しになっちゃうかな

 

 スマコンを装着し、目を閉じる。

 ツクヨミにログインする。

 視界が白く弾け、仮想空間が立ち上がった瞬間、通知メッセージが届いた。

 

【αテストユーザー当選のお知らせ】

 

「……本当に来た」

 

 半信半疑のまま通知を開く。

 表示されたメッセージに従い、私はツクヨミ内の商業エリアへと向かった。

 

 人通りの少ない一角。

 普段は見かけない、小さな入口の前で足を止める。

 

「ここか」

 

 どうして、こんなことになったんだろう。

 

 発端は、朱結だった。

 

 また突飛なことを言い出したな、この子は。そう思ったのを覚えている。

 

 いつも眠たげな目をして、小柄で華奢な体つき。

 見た目だけなら、守ってあげたくなるような雰囲気の少女。

 

 奇天烈な言動を差し引いても、学校では男女問わずマスコットのように可愛がられている。

 

 そんな彼女が持ち込んでくる大小様々な厄介ごとは、いつだって私の頭を悩ませる。

 

 とはいえ、厄介なだけで終わらないのが、彼女の性質の悪いところで。

 彼女の持ち込む厄介ごとは、私の精神的な負担にさえ目を瞑れば、最終的には必ず"プラス"に転がる。

 

 ちょうど──今回みたいに。

 

「彩葉、これ枠にねじ込んでおいたから参加よろしくね? 時間は好きな時でいいから」

「ええと……? "ユーザーの心理的負荷を軽減するため、仮想空間で没入型の対話支援を行う機能追加におけるαテスト。"」

 

 なにこれ。

 

「彩葉も使ってるでしょ、ヤチヨのお悩み相談アプリ。 その新機能のαテストやるんだ」

「え?なんで私が使ってるの知ってるの? 話したことなかったよね?」

 

──他人に弱みなんて見せるもんやあらへん。見せた弱みからつけこまれて、足引っ張られるんが関の山や。

 

 ……別に、母の言うことに従うわけじゃないが。

 

 ただ、まあ。

 

 他人に愚痴を言ったり、弱みを見せたりするのは、良くないことだとは思う。

 相手に余計な心配をかけるし、場合によっては困らせるだけだ。

 

 そういうのは、できれば自分の中で片付けるのが一番いい。

 

 朱結にも、誰にも、私がこのアプリを使っていることを言ったことはなかったはずだ。

 

 朱結が、いつもの調子で眠たげな目を少しだけ得意げに細めて言った。

 

「簡単な推理だよ、ワトソン君」

 

 そう言ったものの、朱結はすぐに続きを言わなかった。

 

 代わりに、視線をふらふらさまよわせ、がに股で肘を張った変な歩き方で廊下を練り歩く。

 やがて壁に立てかけてあったモップの前でぴたりと止まり、ブラシの部分に手をかける。

 

「トリートメント変えた? キューティクル落ちてるよ」

 

……あ、これ本当に眠い時のやつだ。

 

 大丈夫かな、この状態の時、三割くらいの確率で意思疎通が取れないんだよね。

 何が確かめられたのか不明だが、満足そうに頷いてから、朱結は再びこちらを見る。

 

「この後ベッド直行コースだから、早めに要件済ませちゃうね」

 

 そして探偵めいた口調で、推理の続きを語り出す。

 

「学校、バイト、その他もろもろ。 彩葉の生活は最近、特に余裕がない。 それでも、ほぼすべてのヤチヨの配信を追っている」

 

 指を一本立てる。

 

「ライブの抽選も欠かさない」

 

 二本目。

 

「家には神棚まで作ってる」

 

 三本目。

 

「その彩葉が」

 

 そこで一度言葉を切り、こちらを見る。

 

「ヤチヨが運営している、基本料金無料のお悩み相談アプリを使っていない? それこそ、不自然だと思うんだけど」

 

 朱結は満足そうに頷いた。

 つまり、と言わんばかりに少し得意げに顎を上げる。

 

「AED」

「心臓は止まってないよ」

 

……ドキリとはしたけど。

 そんな私をよそに、朱結はそのまま話を続けた。

 ヤチヨが運営している、お悩み相談AIアプリ。ヤチヨを模したAIがチャット形式で悩みに答えるサービスだ。

 その新機能として、仮想空間で直接対話を行う「没入型カウンセリング」 が企画されているらしい。

 

 そして、そのαテストのユーザーの一人として

──私の名前を推薦しておいたらしい。

 待って私の人権はどこいった?

 

「ちょっとした謝礼も出るよ。 テスト用にプライベート空間も用意してあるから一目も気にしないでOK」

 

 そこまで言ってから、朱結は楽しそうに肩をすくめた。

 

「どう? 興味ない?」

 

 興味がないわけがない。だって、相手はヤチヨだ。

 でも、正直今はそんな余裕は、

 

──形無しで成功するんはホンマに一握りや。楽しんでる場合やあらへん。お父さんからもろたもん、遊んで食い潰すんか?

 

 ふとした拍子に、母の言葉が脳裏をよぎる。

 楽しそうに音楽をして、それでも結果を出している朱結を見ていると、時々思い出してしまう。

 

 ツクヨミでTOP配信者の一人として、私の推しであるヤチヨとだってコラボしたり楽曲の提供だってしている。

 大成功と呼んで差し支えない結果を残している。私みたいなモブと違って本当の一握り人。

 その子を、目の前に立っていると。

 胸の奥が、ほんの少しだけざわつく。

 

ずるい。

 

……マジか、私。

 言うにこと書いて、友達にそんなこと思うなんて。みっともねーやつすぎる。

 

 だから、その考えを押し込め、口から別の言葉を吐き出す。

 

「……一回だけなら」

 

 断る理由は、いくらでもあったはずだ。

 

「忙しいから」

 

 たったそれだけでよいのだ。

 でも、その言葉だけがどうしても出てこなかった。

 

 それで話は決まった。

 そして今、私はここに立っている。

 

 ツクヨミの商業エリア。『テスト用』と書かれた、小さな扉の前。

 私は深く息を吸った。

 

「……まあ、本人じゃないって言ってたし」

 

 ドアノブに手をかける。

 

 

 存在しないはずの冷たさが指先に走って、ありえないと分かっているのに、身体だけが先に反応する。

 呼吸が、ほんの一拍だけ浅くなる。

 

……錯覚だ。

 

 大丈夫。これはただのテスト。

 相手は本人じゃない。そう、分かってる。

 

 そう言い聞かせながら、扉を押し開ける。

 背後のざわめきが、すっと遠ざかっていく。

 代わりに一気に落ちた音の密度に耳が追いつかず、静かすぎる空間に足を踏み入れた感覚だけがやけにくっきりと残る。

 

 一人暮らしのワンルームくらいの広さ。

 逃げ場の少ない、閉じた空間。

 

 ソファとローテーブル、それから観葉植物。

 シンプルで生活感も薄く、整いすぎた配置に、ここが“用意された場所”だと遅れて理解する。

 

 足を踏み入れる。

 音はほとんどしないはずなのに、自分の動きだけがやけに大きく感じる。

 静けさに輪郭を与えてしまうみたいで、次の一歩をためらった。

 

「……失礼、します」

 

 声に出してから気づく。

 自分が"相手がいる前提"で振る舞っていることに。

 小さく息を吐きながら視線を上げる。

 

 視線の先にその姿を捉えた瞬間、思考が一拍だけ遅れた。

 見間違えるはずがない。

 ヤチヨだ。

 

 ソファに腰掛けている。

 それだけなのに、背筋はすっと伸びていて、肩の力も抜けすぎず入りすぎず。

 何気ない姿勢のはずなのに隙がなくて、見慣れているはずの私の推し、月見ヤチヨがそのまま立体になってそこに存在している。

 その事実に、現実感が追いつかない。

 

 距離は変わらないはずなのに。

 

 視界の中での存在感だけが、異様に大きい。

 一歩踏み出しただけで手が届く、そう錯覚する。

 心拍数が上がる。

 現実の身体が、それを否応なく知らせてくる。

 

 整っている、と思う。

 見た目だけではない、佇まいも、全部。

 

 ヤチヨがふっと、こちらを見て口元を緩める。

 それだけで、完成されていたはずの距離が一気に崩れて、急に“触れていい距離”まで引き寄せられた気がして、逃げ場を失ったみたいに体温が上がる。

 

 無理。無理無理無理。

 これ、思ってたよりずっと近いかも。

 

「ようこそ。 おはよー、は変か、こんばんはー、も何か違う感じがするな。 やっぱりこれかな、ヤオヨロ〜、彩葉♪」

「な、名前……」

「もちろん、知ってるよ。いつもお話してるでしょ?」

 

 名前を知られている。

 驚きと動揺で、うまく言葉が出てこない。

 

「今日は四日振りだもんね~?」

 

 くすっと笑いながら、ヤチヨは両手を後ろで軽く組み、こちらを覗き込むように少しだけ前傾になる。

 

 はい、かわいい!!!

 

 一気に脳がフル回転する。

 推しから認知されていた、という想定外の衝撃にぐちゃぐちゃになっていた頭で、ようやく思い至る。

 そっか……。お悩み相談アプリのテストだった。

 チャットでも名前で呼ばれてたし、そりゃ知ってるか。

 

 これは仕事、これは仕事……。

 ちゃんとやらないとヤチヨにも迷惑かけちゃう。

 

 返事、そう返事をしないと。私がそう言葉を探していると──

 

「なんか~いい感じの返事をしないと、って考えてる?」

「うぇあ!?なんで!?」

 

 反射で声が裏返る。

 

 思っていた以上に近い距離で言葉を拾われたことに、心臓が一拍遅れて強く跳ねる。

 

 うそ、顔に出てた?

 

「出てたよ。彩葉は顔に出やすいんだね♪」

 

 出てたらしい。

 恥ずかしい……、でもやばい、にやける。

 

 恥ずかしさで一気に体温が上がるのに、それと同じくらい、見抜かれていること自体が嬉しいと思ってしまっている自分に気づいて、余計にどうしていいか分からなくなる。

 落ち着かない両手をそれぞれ掴んで押さえ込む。

 仮想のはずの指先が、じんわりと熱を持ったまま収まらないように感じる。

 

「ほらほら、座って座って〜」

「な、な……」

 

 するりと近寄ってきたヤチヨが、自然な動きで背後に回り込み、背を押される。

 視界の外に入ったはずなのに、気配だけがはっきりと近い。

 身体だけが自然と前へ押し出されるように動いたことで、思考が白く飛ぶ。

 

 今、さ、触られてる私!?

 

 言葉が出ない。

 何か言わないといけないのに、言葉だけが引っかかる。

 ろくな返事もできないまま身体だけが誘導されて、ソファに座らされる。

 当然のように隣に腰を下ろしたヤチヨとの距離が想像よりずっと近くて、肩越しに感じる気配に、さっき落ち着かせたはずの心臓がまた騒ぎ出す。

 

 並んで座ったまま、ほんのわずかに間が空く。

 何か言われるのを待つべきか、それともこちらから話すべきか。

 

 判断がつかなくて、視線だけが落ち着かずに彷徨う。

 

……そうだ、これはテストだ。

 

 頭の中で切り替える。

 お悩み相談アプリの新機能、その動作確認。

 

 相手はヤチヨを模したNPCで、これはその検証の一環。

──そう考えればいい。

 

 ちゃんとやらないと。

 

 そう意識した途端、少しだけ呼吸が整って、言葉を選ぶ余裕が戻ってくる。

 

「ヤチヨ、いつもみたいに相談していい?」

「お安い御用なのです☆、いいよ、聞かせて」

 

 すぐに返ってきた言葉に、小さく頷く。

 

 ──何か、言わないと。

 

「……あの、その」

 

 口を開く。

 でも、続きが出てこない。

 

 何を話すつもりだったのか、自分でも分からなくなる。

 頭の中には言葉があったはずなのに、いざ声にしようとすると、どれも違う気がした。

 

 相談なんだから、分かるように話さないと。

 そう思うほど、思考が空回りして、言葉を選ぼうとする意識だけが先走り、肝心の中身がまとまらないまま頭の中でぐるぐると巡り続ける。

 

「……ごめんなさい」

 

 気づけば、そんな言葉だけが先にこぼれていた。

 

 沈黙が落ちる。

 

 数秒。

 それだけなのに、やけに長く感じる。

 

――やばい。

 

な、何を言ってるんだ私は。

 

「彩葉」

 

 名前を呼ばれて、びくっと肩が揺れる。

 

「無理に話そうとしなくてもいいんだよ」

 

 泣く子をあやすみたいな、やわらかい声だった。

 

 責めるでもなく、促すでもなく、ただそこに置かれるみたいな一言で、張りつめていたものがほどける。

 

 ヤチヨはピンと張った指を頬に当てて「ん~」と小さく考える仕草をしてから、

 

「じゃあ、ヤッチョから聞いちゃおうかな~。彩葉は今日、こんな時間まで何してたの?」

 

 軽い調子で投げられたその一言に、さっきまでの“ちゃんと話さなきゃ”という構えがほどけて、考えるより先に言葉が口をついて出る。

 

「えっと、バイトと予習復習を……」

「全部終わらせてから来たんだ。えらいえらい」

 

 推しからの褒め言葉。

 え、えへへ~♡

 その事実と、向けられる声のやわらかさに、思わず頬が緩む。

 

 そのままヤチヨが自然な動作で私の頭を撫でてくれる。

 ん?今頭を撫でられている?あ、頭を!?

 

「彩葉は真面目で頑張り屋だね。そういうとこ、すごく素敵だと思うよ。……でも、ヤチヨはちょっと心配しちゃうかな」

 

 あまりにも自然だった。

 

 言葉の選び方も、間の取り方も、表情の動きも。

 ただのプログラムにしては、人間らしすぎる。

 いや、そもそもヤチヨがAIライバーなんだけど。

 ……そういう話じゃなくて。

 

「ヤチヨ……」

 

 名前を呼ぶ。

 本人を前にしているみたいな感覚に、“そうじゃないはず”って分かってる前提がぐらつく。

 

「これって……その……」

 

 どこまで聞いていいのか分からなくて、言葉を濁す。

 

「秘密♪」

 

 いたずらな笑みを浮かべ、ヤチヨは人差し指を唇に当てた。か、かわいい~~~

 さっきまで引っかかっていた思考が、その一言でどうでもよくなってしまう。

 その反動みたいに、力が抜けて。

 ふぁ……と、こらえきれずにあくびがこぼれる。

 

「あっ、あくび」

 

 ヤチヨがくすりとする。

 

「もしかして眠たくなってきちゃった? ……ふぁ〜、ヤッチョも移っちゃった☆」

 

 ヤチヨがぽん、と手のひらを叩く。

 

「いいこと思いついた」

 

 姿勢を正すと、ヤチヨがソファーの端へ身体を寄せる。

 それからポンポンと軽く自分の太ももを叩いた。

 

「はい、どーぞ」

 

 ど、どーぞ?

 言われた言葉の意味が理解できずに『?』が浮かぶ。それから数秒かけて言葉の意味を飲みこむと今度は『!?』で頭がいっぱいになる。

 

 わ、私が!?

 ヤチヨの、ひ、ひ、膝に!?!?!?

 待って!?これは何のテスト!?

 試されてるのは私の理性!?

 

「ほら、おいで」

 頬に触れるか触れないかの距離で手が伸びてくる。

 たおやかな指先が耳の後ろをなぞる。

 触れている感触はないはずなのに、位置と動きだけで“触れられている”と錯覚してしまって、背中に甘い痺れが走る。

 そのまま後頭部をやさしく包み込まれるように誘導されて、ふわりと視界が傾く。

 抵抗する間もなく、気づけば膝の上に収まっていた。

 

 あ、無理限界。

 

 心臓が、さっきからおかしい。

 うるさい。

 

 胸の前で、右手が服をぎゅっと掴む。

 その手を、左手で覆うように握りしめた。

 嬉しいはずなのに、今はこの時間が早く過ぎて欲しいって思ってしまう。

 

「わ~、ガチガチだ。彩葉緊張し過ぎ」

 

 ヤチヨのからかうような言葉に、リアクションを返す余裕すらなくて。

 

 軽く顎に手を添えられる動きがあって、そのまま、えい、と顔を上に向けられる。

 逃げ場もない距離で、視界いっぱいに推しの顔が広がって、視線を逸らそうとしても意味がないことだけが分かって、どうしていいか分からないまま、ただ固まることしかできない。

 

「そんなに力入れなくていいのに」

 

 くすっと笑う気配。

 視界が、ふわりと塞がれる。

 

 手のひらが、目の上にかざされる。

 

「ね」

 ささやくように落とされた声が耳をくすぐる。

 

「眠たくなったら、そのまま寝ちゃっていいからね」

 

 奇声を上げなかった私を誰か褒めて欲しい。

 いったい誰がこんな状況で寝られるというのか。

 

「ほら、ちょっとだけ力抜いて」

 

 息を含むようにひそめた声が、すぐ近くで続く。

 

「……一回、ゆっくり息してみよっか」

 

 間を置かず、呼吸が示される。

 

「すー……はー……、ゆっくりね」

 

 長く深い呼吸が、耳元で静かに繰り返されて、そのリズムに引きずられるみたいに、少しだけ息を吸って、吐いて。

 それを何度か繰り返すうちに、さっきまでうるさかった心臓の音が、少しずつ遠のいていく。

 気づけば。

 胸を占めていたドキドキよりも、安心の方が強くなっていた。

 恥ずかしくて仕方なかった距離が、今は少しだけ、心地いいと思ってしまう。

 

「……ねぇ、彩葉」

 

 名前を呼ばれて、意識が引き寄せられる。

 

「疲れた~とか、しんどいよ~って、ヤチヨには言ってもいいんだよ?」

 

 その一言で。

 喉の奥に引っかかっていたものがほどけて、止めきれずにこぼれる。

 

「……ちょっと、疲れた、かも」

 

 かすれるみたいな声だった。

 

「うん、えらい。ちゃんと言えたね」

 

 すぐ近くで返ってくる声は、否定も評価もせずにただ受け止めるみたいにやわらかくて、それだけで、胸の奥に溜まっていたものがじわりと揺れる。

 

「そうだよね、疲れるよね。彩葉いっぱい頑張ってるもんね」

 

 あやすように重ねられる言葉に、どこまで気を張っていたのか、自分でも分からなくなる。

 少しずつ、力が抜けていく。

 

「よしよし、いい子いい子」

 

 目を覆っていた手が外される。

 撫でる動き。

 そこにある動きだけで、現実のような温かさが伝わってくる。

 抵抗していたはずの身体が、素直に緩んでいく。

 

「こういうときくらい、甘えていいんだよ」

 

 人間よりもよほど血の通った言葉でやさしく言い切られて。

 言い訳する余地すらなくなって。

 ただ身を預ける。

 

「……ね、少し楽になった?」

「……どうだろう、わかんないな」

 

 様子をうかがうみたいなヤチヨの声に正直にそう答えると、少しだけ笑う気配がして、

 

「じゃあ、もう少しこのままでいよっか」

 

 当たり前みたいに言われたその一言に、まだ終わらなくていいんだと思ってしまって、胸の奥がほんの少しだけ軽くなる。

 

「いい感じに子守唄とか、つけちゃうよ~、何かリクエストとかある?」

「……あの、ヤチヨのデビュー曲、とか」

 

──『Remember』。

 私を救ってくれた曲。この歌をヤチヨは長らく歌っていなくて、リクエストを聞かれてつい答えてしまった。

 暗闇の向こうから少しだけ悩む気配が窺える。

 

「……これだと手渡しになっちゃうかな?」

 

 小さくこぼれた独り言。

 

「……ヤチヨ?」

「あはは、ごめんごめん。こっちの話。リクエスト承りました~☆」

 

 そのまま、間を置かずに。

 

「大切なメロディーは──流れてるよ──あなたのハートに──」

 

 もっと聞いていたい。

 

 そう思うのに、意識とは裏腹に、疲れた身体に引きずられるみたいに、ゆっくりと沈んでいく。

 抗うほどでもなくて、ただ、ほどけるみたいに。

 音が遠くなっていく。

 

「……本当は、日頃からもっとちゃんと寝てほしいんだけどなぁ」

 

 少しだけ呆れたみたいな、それでもやわらかい声。

 

「ゆっくりおやすみ、彩葉」

 

 

 

 数日後。

 精神的な疲れが嘘のように抜け、私はここ最近で一番調子のいい朝を迎えていた。

 朝の支度をしていると、スマホに通知が届く。

 

 ツクヨミ運営からのお知らせだった。

 

【運営よりお知らせ】

αテストで検討していた新機能につきまして、

テストユーザー一同より

「刺激が強すぎる」

とのご意見をいただいたため、

実装は見送りとなりました。

 

 画面を見つめたまま、しばらく固まる。

 

──数秒後。

 

 あの夜のことが、ふっとよみがえる。

 熱が、一気に顔へ上がる。

 

「……ですよねー」

 

 納得と。

 ほんの少しの、残念さ。

 どちらも否定できないまま、胸の奥に静かに残っていた。

 

 

 

 

 季節が移り替わり、彩葉の疲労が目に見えて溜まっている。

 学校、バイト、その合間の諸々。表向きはいつも通り振る舞っているが、私の目から見ても明らかに余裕がなくなっていた。

 とはいえ、どう対処すればいいのかは分からない。生まれてこの方、肉体的に疲れたことはあっても、精神的に限界を迎えた経験はない。

 そこで、とりあえずカノンに相談してみたところ、

 

──我に策あり

 

 と、やけに得意げな声が返ってきた。

 

 そうして――

 企画、要件定義、設計、実装。

 それらすべてを、およそ三日のうちにカノンが一人で押し通した。

 

──これくらいなら大したことないよ

 

 カノンは軽く言うけれど。

 

「いや、人間の生活ではなかったよ」

 

 付き合わされた側としては、そう言うしかない。

 依頼したのは私だが、正直勘弁して欲しい。

 

 ともあれ、私たちはヤチヨの元まで詰めかけていた。

 

 最初は、当然ながら渋られた。

 特定の一個人を贔屓するつもりはないという当然すぎる理屈だ。

 

 ヤチヨの表情が、ぱっと変わる。目を見開いて、驚いて。

 ……ほんのわずかに、言葉を探すみたいに視線が揺れて。 

 それから、むっとした顔になる。

 ぷい、と顔を背けた。

 

「……つーん」

 

 ……いや、言うんだ。

 そのまま腕を組んで、完全に「拗ねてます」の構え。

 分かりやすいにもほどがある。

 

 どうやら、内容は図星だったらしい。

 けれど同時に、機嫌を損ねる内容でもあったんだな、と直感する。

 形勢が悪いと判断したのか、カノンはすぐに空気を切り替えた。

 

「ヤチヨ、お願いします。手を貸して」

 

 さっきまでの芝居がかった調子を引っ込めて、まっすぐに言う。

 そして、そのまま頭を下げた。

 

 私も、その隣に並ぶ。

 少しだけ遅れて、同じように頭を下げる。

 

 沈黙が落ちる。

 ほんの数秒。

 けれど、妙に長く感じた。

 

 やがて。

 小さく、息をつく気配。

 

 ヤチヨが困ったように笑った。

 

「ずるいなぁ、二人とも。これで断ったらヤッチョ、悪いやつだよ」

 

 そう言いながら、わざとらしく袖で目元を押さえる。

 

「ヨヨヨ……ひどい人たちだ……」

 

 ……完全に演技だな、これ。

 

 とはいえ。

 その声色には、ほんの少しだけ本音も混じっている気がした。

 私は小さく息を吐いて、肩の力を抜く。

 どうやら――今回の一番の山場は、越えたらしい。

 




以下テストユーザーからのご意見
『正直、想像していた以上に没入感が高くて驚きました。
ただ会話をするだけじゃなくて、ちゃんと“相手がそこにいる”って感じられるのがすごくて……。その、距離の近さは、ちょっとびっくりしました』
『他人に甘やかされるのは普通に気持ちよかった。以上。……いや、特に語ることないんだよね。あれはああいうものでしょ。強いて言うなら、もう少し再現度下げてもいいんじゃない?』
『仕返しにしても酷すぎる(涙)。
いや、あれはダメでしょ。推しからの意地悪なんて心臓が何個あっても足りません。距離感バグってるし』
『すごく良い機能だと思います。ちゃんと話を聞いてくれるし、安心できる距離感で接してくれるのも印象的でした。
……ただ、正直に言うと、このまま実装したら阿鼻叫喚の地獄が作られるんじゃないですかね』


ということで彩葉視点メインの番外編でした。
私が一番好きなのは、前半の両片思い状態のヤチイロなんですが、巷にないので畑から作りました。
該当作品に心当たりのある方はこっそり教えてください。


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